FINEPLAY新連載「Dance Video Evolution. – ストリートダンスと音楽のつながりをミュージックビデオからひもとく – 」がスタート。
本企画は日本のストリートダンスシーンに影響を与えたミュージックビデオにスポットをあて、音楽とダンスの双方の視点からご紹介をしていきたいと思います。ナビゲーターには日本のストリートダンスシーンにおいて、自身もダンサーの肩書きを持ちつつ、DJとして約20年に渡りシーンを支えてきたDJ HIROKINGを迎え、音楽とダンスの関係性を解説してもらい読者にたのしんでいただきたいと思っています。
今回は本編にいく前にDJ HIROKING自身をご紹介。DJやダンスのルーツについてご本人に伺いました。

DJ HIROKING
1982年生まれ東京出身のDJ。早稲田大学 教育学部卒。15歳でDJをはじめ、16歳でBREAKINをはじめる。現役ダンサーから絶大な人気を誇り、国内外の多くのダンスイベントで活躍する。HipHopとFunkを中心に、新旧の様々なジャンルをスムーズに行き来するスタイルが高く評価され、世界最大級のダンスバトル「DANCE ALIVE HERO’S」のレギュラーDJをはじめ、Inter FM897「TOKYO DANCE PARK」や自身がオーガナイズするライブ・パーティ「Tokyo Soul Drive」のライブ・バンド・ディレクターとしても活動を広げつつある。ニューヨーク、ラスベガス、ヒューストン、シドニー、シンガポール、台湾、ジャカルタ、上海など、世界30都市以上をまたにかけて活動中。ダンサーとしても、BBOY PARK準優勝、映画「マスク2」への出演、Madonnaのベストアルバムプロモーションへの参加、韓国のトップブレイクチームGamblersとの共演など、シーンの第一線で活躍するプレイヤーでもある。2010年、iTunesでリリースしたコンピアルバム「Dancers Masterpiece」がダンスチャート1位・総合チャート4位を獲得し、8月にはその続編となる「Dancers Masterpiece Official Mix」をリリース。また2012年Sweet Soul Recordsからリリースされたカヴァー・アルバム「Dance, Soul Lights」を監修、iTunes R&B チャートの1位を獲得。一方、2011年の「風営法のダンス規制における公開質問状」を皮切りに、政治や行政に対して独自のアプローチを行ったことからNHKや朝日新聞にも取り上げられ、風営法改正運動における先駆者の一人として広く認知される社会派DJ。
|DJとダンスをはじめたきっかけ
早速ですが、DJ HIROKINGさんは、DJでありBBOY(ダンサー)でもあるんですよね?
そうですね。DJは中学3年生の時に兄の友人の勧めで始めて、ダンスは高校1年生の時にクラブで踊っている人がかっこよくて、自分もやってみたい!と思って始めました。
今から約23年前、時代でいうと1997年 AIR MAX がとんでもなく流行っていた時代ですね。
東京生まれで中学時代から渋谷界隈でよく遊んでいたんですが、その頃はものすごくナイキのAIR MAX が流行していた時期で、スニーカーをナイキショップに買いに行っては他のショップに転売するということをやっていました。それでDJ機材を買うお金(約20万円)もいつのまにか貯まっていました。DJ機材を買おうと思ってス二ーカーの転売をやってたのではなく、完全に後付けで買った感じです。きっかけは本当に兄の友人からの一言で「やってみよっかな」という気軽な気持ちで始めました。
それから、イベサー(イベントサークル)が物凄い勢いを見せる時代に突入するわけですね。
そうですね、いわゆる雑誌として絶大な影響力のあったeggやストニュー(東京ストリートニュース!)を中心にギャル・ギャル男文化が大流行して、若者のクラブパーティも、チーマー主流のものからギャル・ギャル男主流のものにシフトしつつあったんですよね。パー券(パーティ券)を学生が売りさばく時代になり、僕も高校生DJとして渋谷のクラブでしょっちゅうプレイをしていました。当時は高校生のイベントサークルが都内近郊の各地にあって、本当に勢いがありました。毎週2・3つくらいイベントに呼ばれていたんじゃないかな?高校生でDJできる奴も少なかったので、それなりに名前も売れていたと思います。1,000人規模のイベントも結構ありました。高校生ながら、渋谷を歩いていれば知り合いに会うような日常でしたね。
DJとしてどんな音楽をクラブイベントで回していたんですか?
HIP HOPとヨーロッパのDANCE POPが主でした。当時からHIP HOPが好きだったので、求められるよりは多めにHIP HOPをプレイしていたと思います。Naughty By Nature – HipHop HoorayやHouse Of Pain – Jump Aroundは定番でしたね。パーティでDJをしていると、フロアでかっこいいダンスを踊っている人がいて、その人たちに影響を受けてブレイキンを始めるようになりました。
その頃って、どんな風にダンスを練習するんですか?
ダンススタジオなんて今ほどはなくて、ダンサーが個人で自主的に体育館を借りてレッスンをしていたり、街中の練習スポットみたいな場所に足を運んでその場にいるダンサーから学んでいました。例えば僕は東京ドームのあたりとか、武蔵境の体育館なんかでよく練習していましたね。当時は全然面識なかったですけどS.A.SのYOSHIO君とかもいて、彼はちょうどその頃流行っていたダンス番組「RAVE2001」でも高校生ながら活躍していたしものすごく上手かった。それは印象に残っています。

|DJとダンスを捨て単身オーストラリアへ
ある時突然、オーストラリアに留学したとか・・?
はい。若いうちに英語を習得しておきたかったのと海外で勝負してみたいってのがあって、ワーキングホリデービザをとってシドニーに10ヶ月滞在しました。高校まで早稲田実業に通い、そのまま早稲田大学に進学しました。そのうち、サイケとかパラパラ系のイベントが多くなりはじめて、僕はやっぱりHIP HOPが好きだったので、それらのイベントに出ていればそれなりに稼げましたけど、そのイベント文化からは徐々に抜けていきました。そういったきっかけもあり20歳の時に大学を休学して、DJもダンスも約1年は距離を置くつもりでオーストラリアに行きました。大好きだったクラブ(イベント)でやっとレギュラー出演をもらい始めた頃だったんですが、オーストラリアに行けば自分のキャリアなんてゼロ。でもどうしても英語を習得しておきたかったのと勝負したいという漠然とした気持ちがあり行きました。
オーストラリアでは実際どんな生活だったんですか?
DJとダンスを捨てたつもりで乗り込んだ初日、偶然ダンススタジオを見つけたんです。超ラッキーでした。とりあえず勢いで入ってみたら、日本人の方が経営に携わっていて、無料で自由に練習できるスペースもあるし、ローカルのダンサーもたくさん集まっているというなかなか恵まれた場所でした。飛び込んで早々スタジオにいたダンサーに”2週間後ダンスバトルがあるから一緒に出ないか”と誘われたんです。当時は英語も全くわからなかったけど、その場にいた現地の日本人に通訳してもらい勢いでOKと答え一緒に出ることになって、出たら出たで準優勝しちゃったんです。余談ですがそのダンススタジオのオーナーさんはシャブレイのNOBUさんのパートナーで、最初にダンスを教わったのはDJ WAKAさんだったそうです。

ダンサーとしても既にスキルが高かったんですね(!!)
オーストラリアに行くまでは、全くそんなこと思ってもいませんでした。当時から日本は全体的にダンサーのレベルが高かったんだと思います。とにかく異国の地で突然準優勝しちゃったもんだから、ダンスを捨てたつもりがダンスに救われた感じでした。オーストラリアに渡り2ヶ月後にはダンススタジオでレッスンを持っていましたからね(笑)。
その頃には友達もたくさん増えて地元のイベントにも遊びに行き、そこでサイファーで踊りあう感覚が身につきました。徐々にDJとしても現地のイベントで回すことができて、1年弱で20歳ながら月給50万くらいまで稼げるようになりました。我ながらすごいなと思います。そんなつもりではなかったのに、DJとダンスでここまでいけるのかと。それで、確信したんです。これで飯食っていこうって。
|日本でのサラリーマン時代
シドニーから帰国して就職活動が始まるんですよね?
はい。シドニーから帰国したのが2005年でダンス番組「少年チャンプル」(後のスーパーチャンプル)がすごく流行っていた時期でした。シドニーで知り合った日本人が新宿のRUINS 23というクラブを経営するようになり、そこでは少年チャンプルに出演しているダンサーがよくイベントに出演していました。僕もDJとしてイベントに呼んでもらい、RUINS 23のイベントはいわゆるチャンプルダンサーやそのファンが多かったのでダンサー相手にDJをするということの手応えは、そこで掴んでいった感じがあります。自分の武器に気付きはじめたのがその頃でした。
そうこうしているうちに大学を卒業して、人事コンサルタントの会社でサラリーマンとして働きながらDJやダンスを続けていました。社会人として働きつつダンスチーム“Born2Funk”を結成し、DJをやりながらも一方ではダンサーとしてバトルに挑戦したりもしていました。2006年にはBBOY PARKのクルーバトルで準優勝しました。
“プロ”のHIP HOP DJとして、若い頃にちゃんとギャラをもらってプレイする場数を踏めたのはシドニー生活があったからです。シドニーに行くまでは自分のお客さんを持っていなかったので、集客ノルマをこなしながらイベントに出演するようなこともありましたが、学生パーティの経験値や英語圏のローカルのお客さんを相手にDJをしてきたことが自信に繋がり、いつのまにかギャラを頂いてDJをすることができるようになっていました。
社会人を辞めてDJ一本でやっていこうと思っていた頃に、DANCE@LIVE(現:DANCE ALIVE HERO’S)を主催しているXyonを紹介され、2年目のシーズンから彼らのイベントに出演させていただくようになりました。サラリーマンは2年で辞めて、完全にDJでやっていこうと決めて今に至りますね。

|現在の主な活動
DJとその他の活動について、現在はどんなことをされていますか?
今は、DANCE ALIVE HERO’SなどのダンスバトルイベントのDJが多いですが、ライブバンドと一緒に演奏したり、ライブパーティ「Tokyo Soul Drive」を主催したり、InterFM897「TOKYO DANCE PARK」などのラジオ番組に出演させていただいたりしています。最近は楽曲制作が軌道に乗ってきて、自分の作品のリリースやアーティストへの提供、アプリや広告に使う音源を作ったりもしています。
昨年までは仕事の3割くらいは海外だったんですが、新型コロナウイルスの影響で旅ができなくなってしまったので、今は音楽理論や演奏の勉強に力を入れています。ストリートカルチャーや社会のあり方について、国会議員や弁護士の方に直接お話しを聞いて、SNSでアウトプットをするなどしています。
ここ数年は黒人ラッパーやミュージシャンと一緒に活動することが多くなったこともあり、ブラックカルチャーの恩恵を受けて幸せに生きられてるなという実感が強くなってきました。ただブラックカルチャーを金稼ぎの手段にするんじゃなくて、人種差別に対する運動や啓蒙をしっかりやって、彼らのアートに込められた思いを若い世代に伝えていきたいと思っています。
|おわりに
DJ HIROKINGという人物
筆者である私とDJ HIROKINGの出会いは約8年前。主にダンスイベントの現場で会うことが多く、当時からいつも明るく人生を愉しんでいるような印象が強くありました。DJとしての現場対応力も非常に高く感銘を受けていました。彼がSNSを中心に発信する内容は音楽やダンスのことはもちろん、世論や政治的な発言も多くあり非常に興味深く感じていました。今回インタビューをとらせていただき、彼のボキャブラリーが豊富な理由がわかりました。世界各国でのイベントやDJの経験、加えて人脈があるがゆえの世界標準の俯瞰な視点と、ダンスと音楽の両軸から身を持って体感してきたプレイヤーとしての知見をもとに、次回からはミュージックビデオをテーマに解説していただきます。乞うご期待!
Written by :Takako Ito
Takako Ito
1986年東京生まれ。都立工芸高校グラフィックアーツ科、東京家政大学造形表現学科卒。アート・教育・エンタメを軸に現在はフリーランスとして活動。グラフィックデザイナーを経て、世界最大級のストリートダンスバトルイベントを主催する(株) アノマリーにジョインし、イベント・振付・キャスティング・映像などの制作ディレクションや、営業・広報と幅広く経験。その後リデル(株)にジョイン。Instagramの運用企画やマネジメント、クリエイティブ案件を中心にSNSマーケティング事業に携わる。1万人が来場する共感型フォトジェニック・アート展「VINYL MUSEUM」や「LittleTwinStars MILKYWAY MUSEUM -T A N A B A T A-」を統括する。
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「意図しない人種差別で炎上するのは嫌だ!2020年代のクリエイティブにおけるリスクマネージメント」
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FINEPLAYはアクションスポーツ・ストリートカルチャーに特化した総合ニュースメディアです。2013年9月より運営を開始し、世界中のサーフィン、ダンス、ウェイクボード、スケートボード、スノーボード、クライミング、パルクール、フリースタイルなどストリート・アクションスポーツを中心としたアスリート・プロダクト・イベント・カルチャー情報を提供しています。
アクションスポーツ・ストリートカルチャーの映像コンテンツやニュースを通して、ストリート・アクションスポーツの魅力を沢山の人へ伝えていきます。
●今日 ○イベント開催日
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skateアクションスポーツ好きな子どもたちあつまれ!「PLAY MOVESPORT」が渋谷キャストで開催2023.03.27日本国内大手のスポーツウェアメーカー「DESCENTE」のニューレーベル「MOVESPORT」によるスポーツ体験会「PLAY MOVESPORT」が、 2023年3月29日(水)13時〜17時に渋谷キャストガーデンにて開催される。 「MOVESPORT」は「日常をもっとスポーツのように。」をコンセプトに、これまでのパフォーマンスをサポートする機能性に加えて、多様化するライフスタイルに合わせた日常でも着用しやすいデザイン性を高め、ニューレーベルとして生まれ変わり23年春夏シーズンから展開を始めた。また本ニューレーベルの始動を機に、未来のスポーツシーンの発展を目的に新世代アスリートチーム「MOVESPORT UNIT」を発足した。 そして今回の「PLAY MOVESPORT」は新世代のスポーツシーンを盛り上げていくため、「MOVESPORT UNIT」のメンバーを中心とした豪華講師陣を招いて開催するBMX、スケートボード、スポーツクライミングの体験型ワークショップである。 今回の講師には、BMXフリースタイルで活躍し「MOVESPORT UNIT」の一員でもある「大和 晴彦」選手、日本のスケートボードシーンを牽引してきた一人の「荒畑 潤一」選手、そしてスポーツクライミングからは日本代表選手「中川 瑠」選手の3名を招き、小学3年生から小学6年生までの子どもたちにアクションスポーツの楽しさを届けていく。 本イベントは対象年齢の小学生であれば誰でも無料で参加できるため、春休み中の子どもたちのみんなには是非参加してもらって一緒にアクションスポーツを楽しんで欲しい。 当日イベント講師メンバー 大和 晴彦 (BMX フリースタイルパーク種目) 荒畑 潤一 (スケートボード・ストリート種目) 中川 瑠 (スポーツクライミング・ボルダリングリード種目) イベント概要 名称 : PLAY MOVESPORT 体験会日時 : 2023年3月29日(水) 13:00 - 17:00(予定)会場:渋谷キャストガーデン 屋外広場(〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-23-21)参加対象者:小学3年生~6年生参加費:無料対象スポーツ:BMX、スケートボード、スポーツクライミング ※注意事項 ・荒天の場合は中止となります、予めご了承ください。 ・動きやすい服装でご来場ください。 ・当日はイベント保険に加入しております。 (参加者の方のご負担はございません)
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park「みんなから憧れられるBMXライダーになりたい」弱冠15歳のBMXエリートライダー小澤楓が目指す将来の姿2023.03.17東京オリンピックから正式種目として採用され、世界中で人気上昇中の自転車競技「BMXフリースタイル・パーク」。近年、世界で結果を残す日本人選手が増えているこのスポーツは、キッズライダーのレベルに関しては世界最高とも言われるほどで国内でシーンが急成長している。今回は世界最高峰の舞台で戦う注目の若手BMXエリートライダーである小澤楓(おざわ・かえで) 選手にインタビュー。小澤選手は昨年、全日本フリースタイルBMX連盟(JFBF)が開催する国内のシリーズ戦において最高カテゴリーのエリートクラスに最年少の14歳で出場し初戦から準優勝。その後も国内では周りの選手を寄せ付けない勢いで安定した好成績を残し、国際大会であるFISEにも出場を始め世界の更なる高みを目指している。そんな彼にBMXを始めた経緯から強さの秘訣、そして弱冠15歳で世界のトップ選手たちと戦う中で感じていることなど様々な角度から彼のBMXに対する想いを聞いた。小澤 楓(以下:K) 当時14歳で初出場したエリートクラスでの快挙 高木聖雄選手とのツーショット -エリートクラスでは初出場した大会で準優勝という好成績でした。どうしてこのような結果を初戦から残せたのでしょうか?K:実は僕自身、エリートクラス初出場のこの大会は予選突破できれば良いかなという程度に考えていました。でも前年の2021年シーズンのJFBF最終戦にて2位という悔しい結果で年齢別最後の大会を終えたこともあり、もう同じ思いはしたくありませんでした。その時の敗因が、大技にこだわりすぎてラン全体の流れを見た時にトリックをしないシングルジャンプが多くなってしまったことだったので、それ以降は大技のレベルを少し下げてでもすべてのジャンプでトリックを入れられるようにランを構成してたくさん練習してきました。そのような練習の甲斐もあって、エリートクラス初めての大会でも自分の思った通りのライディングができたので準優勝できたのだと思います。ただ最初にも話した通り予選突破を目標にしていて、初めから勝ちに行くつもりではなかったので、予想以上の結果に驚きましたがとても嬉しかったです。 -年齢別クラスからエリートクラスに昇格し、周りの選手たちの年齢もレベルも変わったと思います。エリートクラス初戦はどんな印象でしたか?K:年齢別クラスに出ていた頃は年齢的にまだ体が小さいこともあって、大技をメイクすること自体が難しいので基本的には大技がメイクできたら勝てるという印象でした。でもエリートクラスは大技をメイクしたからといって勝てるわけではないので、どういう風に試合を進めるのかをすごく考えないといけないですし、もちろん周りの選手たちも同じことを考えながら戦っています。エリートクラス独特のピリついた空気感もあり、今までのクラスとは全然違うと感じました。 -改めて、そういった空気感の中で準優勝という結果を残した初戦でした。率直にどんな気持ちでしたか?K:2位という結果は素直に嬉しかったですが、2位と1位とではその座を勝ち取る難しさが全然違うので今後どうやって戦おうかなと考えるようになりました。それと周りの選手も僕みたいに初めて出てきた選手には負けたくないと思いますし、次の大会からは更にギアを上げてくると感じたので自分自身ももっと気を引き締めて頑張らないといけないなと思いました。この初戦の準優勝という結果によって次の大会でも良い成績を残さないといけないというプレッシャーが生まれたり、他の選手からの見られ方が変わったのを感じた大会でした。 -ちなみにその準優勝を勝ち取ったライディングは個人的にどんな評価ですか?K:大技をする前の小技も含めてランを通して、全てのジャンプでしっかりトリックを決めることができたので満足のいくランだったと思います。ただ、決勝ランは他の選手たちももちろん本気で来るわけなので、結果として表彰台には乗れなくても「自分のルーティンがしっかり決められたらいいかな」という気持ちで挑んだライディングでした。 BMXフリースタイルパークとの出会いとBMXの持つ魅力 BMXを始めるきっかけとなったのは父・健司さん(一番左) -BMXを始めたきっかけを聞かせてください。K:元々は父がBMXを趣味でやっていました。それを僕が見ていた時に父から「一緒にやろう!」と誘われて、幼稚園年長くらいの頃にBMXに乗り始めました。当時、父がやっていたのはフラットランドという種目だったので、最初は僕も一緒にフラットランドをやっていたのですが、たまたまパークに行く機会があり、そこで今もトップでやられている高木聖雄選手と出会い、パーク種目の魅力に惹かれて小学2年生の時にパーク種目を始めました。 -小澤選手が思うBMXの魅力と好きなところを聞かせてください。K:BMXフリースタイルパークの好きなところは、まず「ジャンプ中に色々なトリックを決めるのがかっこいい 」というところです。また最近海外転戦をするようになってからは、大会で色々な国に遠征に行くことで世界中の選手たちと友達になれることもBMXの魅力だと感じるようになりました。 -小澤選手がライディング中に特に意識していることはありますか?K:ジャンプ中の大技の完成度はもちろんですが、大会で特に意識していることはトリックをしないシングルジャンプをなるべく作らないようにすることです。大技をメイクする前のジャンプでもしっかり技を入れるようにしたり、各ジャンプでトリックを入れてバリエーションのあるライディングを意識しています。 国内最強の15歳を生み出した練習環境 楓選手の練習の様子 -ちなみに大技を決めるために意識していることもありますか?K:僕の考えでは、大技はタイミングとテンポが合えばメイクできると思っています。そのため大技をする前はしっかり自分のライディングをイメージして、セクション1個1個を綺麗にこなしていくことを意識しています。特に練習の時は大技にトライする一個手前のジャンプを綺麗に合わせて十分に加速することを大切にしています。 -国内での練習環境についてですが、普段はどこで乗ることが多いですか?K:普段は父とBMXの仲間が作った、地元の岐阜県本巣市の根尾にある「Neoパーク」で練習しています。でもこのパークは屋外にあり天候が悪いと乗れないので、そういう時は愛知県あま市にある屋内パークの「Hi-5 スケートパーク」に行って練習しています。また父が休みの時は遠方のパークに行って練習することもあります。 -新しいトリックに挑戦する時はどういう風に練習していますか?K:「Hi-5 スケートパーク」にはスポンジプールがあるので、そこで新技を挑戦してみてメイク率が上がってきたら、自分が走り慣れている「Neoパーク」の実際のジャンプセクションで挑戦する感じです。 BMXライダー仲間とライディングを楽しむ楓選手 -ちなみに地元で普段から一緒に乗るBMXライダー仲間はいますか?K:地元にはいないですが、同じ岐阜県には高木聖雄選手や他にも一緒に乗るライダーはいます。普段は「Neoパーク」に岐阜県内からライダーたちが集まってきて一緒に乗っています。 -他のアクションスポーツのライダーとの繋がりもあったりしますか?K:「Neoパーク」にはBMX以外のライダーはいませんが、「Hi-5 スケートパーク」ではスクーターやスケボー、インラインスケートなどのライダーがいて、よく一緒に乗ることもあるので結構繋がりはあります。 15歳の等身大の姿と大家族の存在 7人兄弟のうち6人がBMXライダーの小澤兄弟 -パークで乗らないオフの日は主に何をしていますか?K:重機を使ってBMXダートコースを自分たちで作ってライディングしたり、BMXフラットランドは近くの駐車場でたまに乗ったりしますね。数年前に鎖骨を骨折してBMXが乗れなかった時はドローンを飛ばしたりラジコンでよく遊んでいて今でも趣味で父と一緒に楽しんでいます。また接骨院の先生にはとても可愛がってもらっているので時間がある時は先生の家に遊びに行ったりもします。 -小澤選手は7人兄弟とのことですが、妹の美晴選手を始め兄弟と一緒に乗ることもよくありますか?K:兄弟6人で一緒に乗ることはそんなに多くないですが、美晴の下の3番目の妹まではたまに乗る感じで、その下の4番目と5番目の弟と妹はお父さんがいれば乗るという感じです。また、上石津のパークに行く時はBMXを練習するためにみんなで行くので一緒に乗りますが、「Neoパーク」の場合はBMX以外にも楽しめる遊びがたくさんあって、乗るかどうかも基本的に自分たちの自由なので弟たちは一緒に来ても乗らないことが多いです。 楓選手に良い刺激をくれるのは妹の美晴選手 -BMXに導いてくれたお父さんや一緒に練習している美晴選手など、家族は小澤選手にとってどんな存在ですか?K:練習するには車でパークへ行かないといけないので父のサポートが必要ですし、妹が一緒に練習してくれると一人で練習するよりも気分が上がって楽しく乗れるので、家族は僕にとってとても大事な存在です。 世界最高峰への挑戦のために始めた海外転戦 2022年ワールドカップ最終戦があったオーストラリアでの一コマ -海外遠征で色々な国に行くようになったと思います。海外に行って感じた日本との違いはありますか?K:BMX関係ではとにかく海外はパークが多く、車で10分くらいの距離間でボウルのあるスケートパークがあるので1日に5ヶ所くらいは周って乗れるような環境があります。その中でも特にオーストラリアは比較的治安が良く気楽に乗りに行けるので個人的には好きです。ただ逆にこの前行ったアブダビはかなり治安が悪く、荷物にも鍵をかけながら動かないといけないので精神的にも疲れましたね。 -自分より先に世界で戦っている中村輪夢選手や溝垣丈司選手の存在についてはどう感じていますか?K:一緒に海外転戦する上で、自分より先に海外を経験している二人の存在は心強いです。普段とは全く違う環境で多くの海外選手を目の前にしても気後れすることなく大会前の練習ができたのも彼らのおかげだと思います。特別よくコミュニケーションを取るわけでもないですが、一緒にいるだけで乗りやすくなり自分に自信がつく雰囲気が作れています。 -また大会最年少選手として世界最高峰の選手たちと対峙して感じたことを聞かせてください。K:海外のトップ選手たちは基本的なランの構成がすべて大技で組まれていて、どのセクションでも大技を決めてくるところが凄いと思います。また彼らはもちろん僕のトリック以上に高難度な大技を入れてきますし、その大技まで繋ぐジャンプでも日本では大技と言われるようなトリックを軽々メイクしてくるので、全体的なランの完成度が自分よりも1段階も2段階も上なのでとにかく凄いなと感じました。 -そのようなハイレベルの戦いを求められる中、昨年12月のFISEでは準決勝へ進出し全体18位という結果でした。この成績についてはどう感じていますか?K:予選突破を目指していた大会だったので、自分のルーティンをしっかり決めたことで準決勝進出という結果がついてきたのは良かったです。まだ海外選手に比べてスキル的にも体格面でも劣るので不安な部分も多かったのですが、今回の結果から正しいトレーニングを積めば戦えることが分かったので、そういう意味では自分に自信がつきました。 -今後自分が勝つためには何が必要だと思いますか?K:確実に大技をメイクすることはもちろんですが、ライディングのスピードも採点に影響するのでスピードも上げつつ、大技を決められるようにすることが課題だと感じています。今後は筋力トレーニングを本格的に取り入れ体格面も強くしていきながら、自分の思い通りに身体をしっかり動かせるように着実にレベルアップしていきたいと思っています。 小澤楓が目指す今後の目標と理想のBMXライダー像 -年齢的にはパリオリンピックにも出場可能ですが、今後に向けて取り組んでいくことはありますか?K:パリオリンピックに向けてというよりも、まずはFISEで確実に準決勝以上へ進出していかないとオリンピック出場は難しいのでそこを目標とした上で、どれだけ自分のトリックを決めて順位を上げていけるかというところを考えながら戦いたいです。 -今シーズンの意気込みと今後の目標に聞かせて頂けますか?K:先ほども言いましたが、まず今シーズンの一番の目標はFISEで準決勝に残ることです。そして来年の2024年はUCIとFISEを含めた世界のポイントランキングでトップ6に入れるように頑張りたいと思っています。なぜかというと、パリオリンピック出場選考基準の中にトップ6に入ることが一つの条件としてあるのでそのスポットを目指しています。 -最終的にどんなBMXライダーになりたいですか?K:日本で開催された「Chimera A-side Final」にも出場したオーストラリア出身のBoyd Hilder(ボイド・ヒルダー)という選手がいるのですが、彼はどちらかというストリート系のライダーでスタイルもかっこよくてインスタグラムのフォロワー数も多く、みんなに憧れられる選手なんです。もちろん大会で優勝したり結果を残せる強い選手になることも重要だと思いますが、僕はスタイルがあってみんなから憧れられる彼のようなBMXライダーになりたいです。 小澤楓プロフィール 2007年9月7日生まれ。岐阜県本巣市出身のBMXライダー。小学校2年生の時にBMXフリースタイルを始める。自宅の近くには父親が手作りで作った練習場「Neoパーク」が設置されており、現在は7人兄弟のうち6人がBMXフリースタイルの練習に日々励んでいる。2017年及び2019年には世界選手権で優勝しジュニア世界チャンピオンとなる。2021年には13歳~15歳の年齢別クラスでJFBFの年間シリーズチャンピオンに。そして2022年からはJFBFのエリートクラスに昇格し初出場となった2022年シリーズ第1戦では準優勝、その後の第2戦では優勝。2022年のワールドカップシリーズFISEの最終戦では準決勝進出を果たした。
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[PR] danceバトル型オーディション番組「WARPs DIG」の現場に潜入!ストイックにデビューを目指す、次世代ボーイズグループ「WARPs ROOTS」のリアルとは2023.03.16メジャーデビューまでのラストスパート!ダンスをルーツとする2名のメンバーに独占インタビュー WARPs ROOTSとは、決められた筋書きでオーディションをするのではなく、365 ⽇間をかけて参加者が仲間を選び、時に審査を⾏う“バトル型オーディション 番組”『WARPs DIG』に出演する、デビュー前の次世代ボーイズグループである。 2022年4⽉25⽇から活動がスタートし、これまでデビュー組選出に向けた数々のオーディションが1年間かけて展開されている。現在では計12名の候補⽣がデビューを⽬指してバトルを続けており、この中からメジャーデビューするメンバーが『WARPs DIG』内で選抜される。 SEASON 3 FINALは1on1 POSITION BATTLEと、6vs6で戦うUPSET TEAM BATTLEで順位が決まる この日は、ボーカル&ダンス・ラップ・ボーカルのジャンルからなる1対1のソロバトルである、1on1 POSITION BATTLEと、チームでダンスボーカルのパフォーマンスを行う6対6のUPSET TEAM BATTLEがバトルが行われ、総合的なジャッジの評価で1位から12位までの順位が決まる。また、初めて有観客での収録が行われ、会場の観客も手元のスマートフォンでオーディエンスジャッジに参加した。 WARPs ROOTSのオーディションの一番の特徴は、バトルに特化したオーディション番組であるところ。加えて、過去に韓国合宿で、世界的ダンススタジオ「1MILLION Dance Studio」とのコラボレーションを実施するなど、ダンスにおけるクオリティの追求も、WARPs ROOTSならではと言っても過言ではない。この日は、ボーカルやラップなどの演技も審査の対象となった為、ダンスのスキルに加えて、どこまで表現力の幅が広げられるか?にも注目が集まった。 今回は、ハイクオリティなダンスを魅せるWARPs ROOTの中でも、ダンスを強みとする2人のメンバーに独占インタビューを実施。 Takeru「歌を歌えるメインダンサーは、なかなか世の中にいないと思っているので、そのポジションを狙いたい」 本名:伊藤彪流 18歳 埼玉県出身 今日の「WARPs DIG SEASON 3 FINAL」はどうでしたか? グループダンスの難しさだったり、皆で揃えるダンスが凄く難しかったです。 1on1 POSITION BATTLEと、UPSET TEAM BATTLEのそれぞれで、気を付けたことや頑張ろうと思ったところがあれば教えて下さい ソロに関しては、歌がメインだと思っていたので歌に支障がないように、でもダンスもカッコいいっていう感じの振りを重視して踊りました。グループの方はダンスが得意なメンバーでもあるので、引っ張っていかないといけないという気持ちでやっていました。 これまで、自分の中ではどんなダンススタイルを大事にやってきましたか? 自分はHIPHOPとアニメーションダンスが得意なんですけど、やっぱりステージに立つ時にはパッションが大事だなとも凄い思っていて。なのでヒットを強く打ったりとか、僕は体が小さいのでオーバーにダンスしたりとか、そこが僕のダンスをやってきた人生の中で、大事にしてるところですね。 特に観て欲しい部分や、ダンスの注目ポイントについて教えてください 自分の特徴的でもあり、得意な部分はキレキレなダンスなので、止めるところや、止めた後の流しとかに注目してもらいたいです。あとは、ヒットなどの細かい身体の動きもそうですし、いろんな振り付けを綺麗に踊れる、バリエーション豊かな部分を観て欲しいと思っています。 本名:伊藤彪流 18歳 埼玉県出身 ここまで話していただいたように、ダンスがバックボーンにありながら、今回のプロジェクトに対してはどんな想いを持っていますか? やっぱり僕のルーツはダンスで、アーティストとしての振る舞い方と、ダンサーとしての魅せ方は真逆な部分もあり、正直、結構苦戦はしています。特に映像で撮る時に、ダンスは一番目に付くものだと思っているので、そういった面に関しては、今までいろんな人や色んな先生に教わったものを活かしてやっている感じですね。 ダンスをルーツに持つメンバーとして、これを伝えていきたい!という部分があれば教えてください 自分がアーティストになろうと思った理由が、なかなかダンスが踊れるアーティストの人たちが少ないなってのが、元々印象でありました。尚且つ、最近ダンスの楽しさっていうのが凄く知れ渡ってきてると思うんですけど、アーティスト業界の方にもその楽しさを凄く伝えていきたいっていうのが小さいころからの夢だったので、もしもデビューが出来たら、ダンスの楽しさや面白さを、いろんな人たちに伝えていきたいなって思っています。 デビューに向けて、今後の意気込みをお願いします ますはデビューするのが第一で、なおかつ自分の得意なダンスにもっと磨きをかけて、プロとも交われるようなダンスを目指していこうと思ってます。あと、歌を歌えるメインダンサーは、なかなか世の中にいないと思っているので、そういったポジションを狙いたいなと思います。自分の小さいころからの夢である、ダンスの楽しさを発信できるようなアーティストになりたいなと思っています。 Ryota「ダンスで人を感動させられる、ダンスで泣いてもらえる、そんなアーティストを目指したい」 本名:今井亮太 23歳 埼玉県出身 今日の「WARPs DIG SEASON 3 FINAL」はどうでしたか? 自分のパフォーマンスは、正直ダンスが練習より弱かったなという印象で、出しきれない部分もありました。でも、ソロでもグループでも、自分のやりたいことは、上手くできたかなっていう印象です。 1on1 POSITION BATTLEと、UPSET TEAM BATTLEのそれぞれで、気を付けたことや頑張ろうと思ったところがあれば教えて下さい ダンス&ボーカルで、自分が歌っていない時に周りからどのように観られているか?というのを意識して、歌詞を口にしながら踊るのか、目線はどこに持っていくのかなど、細かい部分を練習でも気をつけていました。あとは、歌詞の意味を感じて、踊り方を変えたりとかしていて、普段はガツガツ系のダンスが得意ですが、今回は少し雰囲気が違う曲調だったので、そのニュアンスを取り入れながらというのは意識しましたね。 初めての有観客での収録となりましたが感想はどうですか? 観られてるなぁ~って感じですかね(笑)。アーティストとしては、観られてナンボじゃないですか(笑)。でもそのおかげで、しっかりスイッチを入れてパフォーマンスをすることが出来ました。 WARPs ROOTSは、バトルが醍醐味だと思いますが、今日のバトルはどうでしたか? 相手のMASAYA君が先攻だったんですけど、結構遊んでくるラップをするのが分かってたので、その流れにつられないように…とは思っていました。その後に、全くスタイルの違う、ブチかます系のフローで自分が魅せようって思っていましたし、相手の流れを断ち切りながら、自分が出したい部分を出せたという感じはあります。 特に観て欲しい部分や、ダンスの注目ポイントについて教えてください 普段から声や言葉で遊んだり、いろんな楽器の音を口から出す遊びもしているので、ラップはこれからも注目して欲しいですね。ダンスの魅せ方は、正直誰にも負ける気がしないです。キレもそうですし、アクロバットが得意なので、ぜひそこに注目してパフォーマンスを観て欲しいです。 どんなダンスのジャンルがルーツになっていますか? HIPHOPがメインで、それを軸にしながらアクロバットやブレイキン、あとはジャズヒップホップだったりを付け加えながらやってきました。なので、引き出しもたくさんあると思うし、いろんな魅せ方が出来ますね。 これまでも踏まえて、オーディションのバトルはどのような気持ちで挑んでいますか? もちろん、ブチかます!ということは思いつつ、観ている人にも伝わるパフォーマンスをしたいと思っています。一番大事にしているのが、自分自身が楽しんでパフォーマンスをすることで、緊張して低レベルな演技になっちゃうと、観ている人たちも盛り上がらないので、たとえ緊張してもそれをパワーに変えて、自分が楽しむ!という気持ちで挑んでいます。 ダンスをルーツに持つメンバーとして、これを伝えていきたい!という部分があれば教えてください ダンスで人を感動させられる、ダンスで泣いてもらえる、そんなアーティストを目指したいです。自分の感情を、ダンスのみで表現しても周りに伝わるようなパフォーマンスをしていきたいです。やっぱりまだ、HIPHOP以外の曲調が苦手だったりするので、他のジャンルや歌の歌詞を意識したダンスのレベルを上げて、表現したいと思っています。 デビューに向けて、今後の意気込みをお願いします ボーカル&ダンスで、マイクを持ってのパフォーマンスに慣れていないので、今日もその部分で弱いな…と感じることがありましたし、そこはしっかり技術を磨いて、鍛えながら、自分の得意なダンスを軸にして、次のパフォーマンスでもブチかましたいです! WARPs ROOTS とは 「WARPs ROOTS」とは、決められた筋書きでオーディションするのではなく、365日間かけて参加者自らが仲間を選び、時に審査を行う“バトル型ドキュメンタリー番組”「WARPs DIG」に出演する、デビュー前の次世代ボーイズグループ。様々な年齢・領域の才能が切磋琢磨しながら、日本から世界に通用する新グループの誕生を目指している。WARPs ROOTSのメンバーは、番組内で幾つかのチームに分かれており、ダンス、ラップ、ボーカルなどエピソード毎の様々なテーマをもとに戦いながら、365日間をかけてメジャーデビュー組が選出される仕組み。技術だけでなく人間力や精神性を高めるための仕掛けも用意されている。 動画はこちらから https://www.youtube.com/watch?v=ApKw7JpR9GI https://youtu.be/L_XpuMAWRvo THE MOMENTS of「1 on 1 POSITION BATTLE - UPSET TEAM BATTLE」
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danceU-15のブレイキン頂上決戦。RA1ONとCocoaが優勝!「Next Generations Games 2022」2023.03.112023年 3月11日(土)に渋谷区立北谷公園にて、「Next Generations Games 2022(ブレイキン)」が開催された。昨年 2022年11月の開催が雨天のためキャンセルになってしまった「Next Generations Games 2022」。本大会は、2月18日(土)に国立代々木競技場 第二体育館 特設会場にて開催された「ヒップホップ(Mix)」と「ダブルダッチ(Mix)」の代替大会に引き続き、「ブレイキン ソロ(Boys・Girlsの2部門)」の代替大会として開催された。 JUDGEはShigekix、KODEE ONE、YURIEの3名が務め、予選から決勝までブレイキンU-15の日本一を決める熱戦が続いた。通りがかった多くの通行人も足を止めて観戦する様子が見られ、休日の北谷公園は「ブレイキン」で大きな盛り上がりを見せた。 Bgirl部門 Bgirl部門ではサークルピックアップ形式による予選を勝ち抜いた、Cocoa、HINATA、HIYOの3名がTOP4に進出、そして昨年11月に開催された「Next Generations Games 2022 U-12 限定バトル」にて優勝したHARUもシードとしてTOP4に名を連ねた。 HINATA / ©Next Generations : Jason Halayko U-15の世代を代表する4名の中で、CocoaとHINATAの2人が準決勝を制して決勝に進出した。Cocoaは昨今のバトルシーンでも好成績を残しており、「Breakdance Dream Cup 2022」や「JDSF 関東甲信越ブロック選手権 2022」でも準優勝に輝いている注目のBgirlだ。対するHINATAもKRUMPやWaackのジャンルをバックボーンに持ち、ダンス力の高さを武器にブレイキンでも昨年から様々なバトルで頭角を現している実力者だ。 Cocoa / ©Next Generations : Jason Halayko 先攻のCocoaはクオリティの高いパワームーブに加えて、フットワークなども途切れないフローでムーブを構成していく。対するHINATAも他ジャンルの要素を入れ込んだステップやグルーヴで、オリジナリティあふれるムーブを展開した。 近年のブレイキンシーンの盛り上がりを象徴するようなレベルの高さを見せた両者の勝敗は、見事Cocoaが勝利。U-15のBGIRL 日本一となったCocoaは、「自分の中でバトルで優勝するのは今回が初めてでした。勝ち負けが全てではないと思いますが、今まで負けてきたことで得られたこともあったので今日の優勝は凄く嬉しいです。次はもっと今よりも上手くなって自信を持って踊れるようになりたいです。」とコメントを残した。 Bboy部門 左:RA1ON 右:yu_shin / ©Next Generations : Jason Halayko Bboy部門でTOP4に進出したのは、RA1ON、RAIA、Atsuya、そしてBgirl部門と同様、昨年11月に開催された「Next Generations Games 2022 U-12 限定バトル」にて優勝したyu_shinがシードとして参戦した。 全国各地からU-15トップレベルのBboyが集結した中で、決勝戦の組み合わせははRA1ON VS yu_shinの対決。多くの注目が集まったこのバトルでは、先攻で勢いよく飛び出したRA1ONが2000(ツーサウザンド)から1990(ナインティー)を3連発で決めるコンビネーションを見せ、戦いの火蓋を切った。対するyu_shinも負けじとエアートラックスを連発からスイッチで逆方向にエアートラックス、といったムーブを披露。1ムーブ目からのハイレベルな攻防に、観衆は驚きと共に大きな盛り上がりを見せた。 RA1ON / ©Next Generations : Jason Halayko そんな中でRA1ONは2ムーブ目も圧巻の貫録とバトル運びで、クオリティの高いムーブを展開。中学生らしからぬ完成度で見事優勝に輝いた。RA1ONはNext Generations Gamesを2連覇中であり、今回の優勝で前人未到の3連覇を達成した。 優勝後のコメントでは、「今回は優勝したら3連覇という事で大会に参加しました。そんな中で気持ちよく踊れて3連覇できたので良かったです。来年はこの大会に出れるラストの年なので4連覇を目指して狙いに行こうと思います!」と、大会4連覇を次回の目標に掲げた。 FLY DIGGERZによるダブルダッチ体験会 / ©Next Generations : Jason Halayko Valuence INFINITIESによるヒップホップ体験会 / ©Next Generations : Jason Halayko また今大会のコンテンツとして、準決勝前にはプロダブルダッチチーム「FLY DIGGERZ」によるショーケースとダブルダッチ体験会、そしてD.Leagueに所属する「Valuence INFINITIES」によるショーケース、ヒップホップ / ブレイキンの体験会も行われた。体験会に参加した多くのBboy・Bgirlたちは、楽しみながらも熱心に体験会に取り組む姿が見られた。 イベントの最後には「PICK UP PLAYGROUND」として参加者がトングとゴミ袋を手に取り、会場のゴミ拾いを実施。自らが踊った場所をきれいに清掃することで、このイベントを締めくくった。 PICK UP PLAYGROUNDの様子 / ©Next Generations 開催概要(ブレイキン) 日時:2023年3月11日(土) 会場:渋谷区立北谷公園(東京都渋谷区神南1丁目7-3)競技:ブレイキン ソロ(Boys・Girls)参加資格:中学校3年生以下の男女 エントリーフィー無料 ※必ず保護者の承認を得てエントリーすることプライズ:優勝・準優勝…トロフィーおよび2023年3月下旬に開催予定の「Next Generations Elite Camp & Awards」へのインビテーション主催:Next Generations 実行委員会主管:一般社団法人渋谷未来デザイン助成:公益財団法人日本財団協賛:KDDI 株式会社 / GoPro 合同会社 / 株式会社シブヤテレビジョン / 株式会社スポーツビズ / 東急株式会社 / 東急不動産株式会社 / バリュエンスホールディングス株式会社後援:渋谷区 / 渋谷区教育委員会 / 公益社団法人日本ダンススポーツ連盟 / 一般財団法人日本ジャンプロープ連合運営協力:株式会社スポーツビズ / 株式会社IAM / 有限会社OVER THUMPZ / 渋谷区立北谷公園
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skateスケートボードを通じた社会貢献。”楽しさ”を伝えたい。 藤澤虹々可とPODコーポレーションが行った「POD Games」とは!?2023.03.09去る3月4日、日本を代表するガールズスケートボーダーの藤澤虹々可による初の主催イベント「POD Games」 がムラサキパーク東京にて開催された。今回が初の試みということもあり、終了後に彼女と運営会社を直撃。イベントに対する思いの丈を語ってもらった。 PODとの出会い イベント主催者の藤澤虹々可。 ―まずどういった経緯でこのイベントを開催することになったのでしょうか? 藤澤(以下 藤):きっかけは、2018年に同じムラサキパーク東京で開催した「SKATE EXCHANGE」というガールズイベントです。その時に運営されていた方が、現在POD Corporationで働いていて、そのイベントで知り合ったことから、私とPODさんとの関わりが始まったんです。 そんな縁から、以前私のお話を聞いてもらうディナー会を開いていただいたんですけど、その時にPODの社長さんが「またイベントをやりたいね」と言ってくださって、私もスキップ学園祭というイベントに関わらせてもらってすごく楽しかったし、やりがいも感じていたので、「やりたいです!」と話したら、後日連絡がきて開催が決まったという流れになります。そこから何月にやりましょうと具体的に話を進めたのが去年の11月なので、約4ヶ月かけて準備してきました。 ―その「SKATE EXCHANGE」で藤澤選手は優勝されていましたが、今回のイベントはそういった過去の実績があったからなのでしょうか? 藤:いえ、「SKATE EXCHANGE」はマライア・デュランとかアレクシス・サブローンとか、海外からもいろいろなプロライダーをゲストとして呼んでいたので、私はその中の1人という位置付けでした。 ただ運営の方とは別でも接点があって、海外のエージェーシーとの間に入って取り持ってくれたので、そういったイベント絡みでちょくちょくお世話になっていたんです。 イベント内ではスケートボードの体験会も行われた。 スケートボードを通じた社会貢献 最後の最後でメイク。オーディエンスからは拍手がわき起こる ―POD Corporationさんとはどういったことを行なっている会社なのでしょうか? こうして社名を冠にしたスケートボードイベントを催したのは初めてかと思うので、ご説明いただけないでしょうか? POD(以下 P):確かにスケートボーダーの方からしたら、急に出てきてよくわからないという方もいらっしゃると思います。簡単にご紹介させていただくと、当社は事業投資、資産運用など様々な事業を展開しているのですが、今回イベントを企画させていただいたのが企業価値の向上をESGの観点からサポートする「ソーシャルブランディング」というチームになります。私たちはESGのS。つまり「社会」を軸にスポーツ業界やNPOなどの多様なネットワークを活用しながら、企業様のブランディングをサポートしています。アスリートのキャスティングをしたり、様々な企業様のイベントやったりというところでスポーツと関わっています。 スケートボードを題材にした漫画作品『スケッチー』の作者、マキヒロチさんのブースも設けられた。 これからの可能性 オリンピック効果もあり、スケートボードをする子供は以前よりも確実に増えている。 ―数あるスポーツの中でスケートボードを選んだのには何か理由があるのですか? P:すでに皆さんがご存知のように東京オリンピックで急激に注目度が高まったことでスポーツ性が増しましたし、若年層の選手が多いというところから、伸びしろという面で、会社としてもこれからの可能性に非常に興味があったんです。ただスケートボードそのものにこだわってるというよりも、今回POD Gamesと名付けさせていただいたように、自社コンテンツとして藤澤選手の想いをサポートしたいというところの方が大きいですね。 例えば、これがサーフィンで環境に対する想いのある方がいて、環境を守るようなイベントしたいということであれば、そこをサポートするようなこともできたらなと思っています。スケートボードはもちろんなんですけど、それ以外でも今後はもっと多角的にアスリートの想いをカタチにできるようなイベントをするという可能性はありますね。 スケートボード本来の楽しさ 常に笑顔を振りまくガールズスケーター達。 ―今回の出場選手や開催場所、イベント内容はどうやって決めたのですか? 藤:私がこんなのがやりたい、ココでやりたい、こう考えているんですといったことをPODさんだったり、今回全面的に協力してくれたゆりゆり(村井祐里。長年ガールズスケートシーンを撮影し続けている映像作家)に相談して決めました。私はとにかくガールズのスケートセッションをやりたかったんです。大会や試合みたいなものは他にもあるので、皆で楽しくで滑ろうよ! っていう感じのものができたらいいなと思っていました。 その結果ベストトリックコンテストを行うことになったんですけど、すごく盛り上がったなと実感してます。「乗れ乗れー! 乗ったー!! ワー!!」と皆が沸くところも見れましたし、そういったスケボー本来の楽しさ、自由さを伝えるっていう私のコンセプトは具現化できたんじゃないかと思います。 ベストトリック終了後は皆で楽しくセッション。 ベストトリックで優勝した前田日菜の全越えキックフリップ ―イベント内容をベストトリックにしたのにはどんな理由があるのですか? 藤:他の大会、いわゆるオリンピック選手選考大会などになると、最初にランがあって、それが必ず点数に加算されるんです。だから仮にそこでミスしたら、もう優勝の可能性はほぼ潰えてしまいます。その後のベストトリックにしてもトライできる本数が決まっているので、とにかくプレッシャーがすごいんです。もちろんその先には名誉もあるんですけど、純粋に楽しむという観点で見ると、緊張の方が優ってしまうところも否定できないのではないかと思います。 でも今回のように制限時間内なら何度もトライできるベストトリックのルールにすると、気持ちの面でもリラックスしてできますし、成功する確率が低い、自分の持っている最高難度のトリックにもトライできます。何度失敗しても大丈夫なので、転び続けた末に制限時間ギリギリで成功したらオーディエンスもすごく盛り上がりますし、なおかつ優勝できたらエンターテインメント性もすごく高いと思うんです。 今回は制限時間終了後にも1人1トライずつ行うルールを付け加えたんですが、そこには「もっとエンターテインメント性をあげたい」という想いが詰まっているんです。そういったプロセスも含めて、私個人としてもベストトリックはすごく好きなんですよね。成功した瞬間みんなが喜びますし、そこにはスケートボードが本来持っているカルチャーの要素が詰まっているんじゃないかと思っています。 ベストトリック2位は上村葵。こちらはヒールフリップで全越え。 P:今回その藤澤選手の想いのところで共感したことがあるんですが、スケートボーダーって、意外と女性が少ないということを相談された時に、少ないとは思うけど、スケートボーダーって男女平等で、スケートボーダーであればみんなが友達みたいな文化があるんだということを聞いて、すごく素敵だなと思ったんです。私たちは企業のブランディングをする時にESGなどで女性の活躍推進を売り出すこともしているんですけど、そういったところなんかと関連づけて、スケートボードが持つ素晴らしい文化を、もっと一般企業さんにもアピールしていきたいと思いましたね。 3位の石丸葵はフロントサイド50-50グラインドからノーリーキックフリップアウトを披露。 藤:日本の社会だと、今も女性だからと差別とまではいかなくても、ちょっと不利な思いをすることって少なからずあると思うんです。でもスケボーの世界ではあまりなくて。もちろん男子と比べたらスキルは全然違いますけど、みんなが同じように接してくれますし、それがこの世界の良いところなんですと、PODさんに伝えたんですよね。 ベストトリックコンテストのトップ3の面々 初の主催イベントを終えて 初めてイベントを主催するとは思えないほど、MCもスムーズにこなしていた藤澤虹々可。 ―今回はゼロからイベントの運営を一通り経験されたましたがいかがでしたか? 終わった率直な感想をお聞かせください。 藤:皆に楽しんでもらえたので、ひとまず安堵してます。準備から頑張って、みんなで協力してやってきましたし、参加者さんの楽しんでくれる姿を見れたので、よかったなという気持ちでいっぱいです。 P:私たちは藤澤選手がそう思ってくれたことが何よりで、彼女が達成感を感じてくれてたのであれば、それが1番です。私達は彼女をサポートするという思いで、POD Gamesをやらせていただいたので、もし藤澤選手がよければ、今後も継続していきたいと思っています。 コンテスト終了後はもちろん滑る。そうして後輩達に自らの背中を見せていた。 ―なにか当日の印象的なエピソードはありますか? 藤:いろいろあったからひとつには絞れないですね。美優(伊藤)ちゃんが借りたのも含めてデッキを2枚も折っちゃったのは、いろんな意味で本当にヤバかったですし。(笑) ただみんなが盛り上がってるところとか、ちびっ子たちが頑張ってる姿は最高でした。メインイベントが終わって皆で滑っていいよっていう時間に、ベストトリックコンテストで決まらなかった技を一人で黙々と練習してる女の子がいたんですけど、やっぱりスケボーってこうだよね、順位よりも自分超えができるかだよね! って思いましたし、凜ちゃん(青木)が最後の最後にバックサイドフィーブルグラインドの全流しを成功させた時は、最高に盛り上がりました。 本当に思い出はたくさんあります。すごく良いもの見せてくれたライダーには感謝しかありません。ただベストトリックコンテスト中は自分も滑りたくてウズウズしてしまったので、次は絶対出ようと思います! しっかりとメイクしたものの、デッキを折ってしまい顔を覆う伊藤美優。 最後の最後できっちりメイクした青木凜のバックサイドフィーブルグラインド より幅広い世代が楽しめるイベントに イベントの最後には村井祐里の最新作『TSUMEATO』の試写会も行われた。 ―では今回の反省点も踏まえて、次回以降どんなことをやっていきたいですか? 藤:私はとにかく皆が笑顔で終わってくれたことが一番だったんですけど、欲を言えばもっともっとたくさんのガールズスケーターが来てくれたら嬉しいなと思いました。もちろん今回も多くの方が来てくれたんですけど、もっと大人のガールズスケーターも来れるようなコンテンツを増やしていきたいですね。20歳、30歳、40歳オーバーの方っていっぱいいらっしゃると思うので、そういう方々も来たいって思えるような、大人から子供までみんなが楽しめるイベントを目指して、これからも頑張りたいなと思います。 ―ありがとうございます。では最後にメッセージをお願いします。 藤:来てくれた皆さんには本当に感謝してます。次のイベントを早く開催してほしいという声があったのもすごく嬉しかったです。今回みたいなベストトリックコンテストももちろん盛り上がるんですけど、もっと競技競技していないというか、みんなが楽しめるコンテンツを作っていきたいと思っているので、次回もぜひ参加してください。どうもありがとうございました! 今回のイベント参加者達による集合写真