2024年7月、神奈川県川崎市にて開催された『アジアジャンプロープ選手権』そして『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』。
今回、そのジャンプロープの異なるジャンルの2大会のステージに日本代表選手として立った REG☆STYLE・KAI を独占取材。
なぜ苦しみながらもKAIは“両方に出る”ことを選択したのか。破竹の勢いを見せ、“ダブルダッチシーンの主人公だった”と多くの人々に言わしめた彼が、その栄光の裏にあった試練の道のりと、そこで見た景色についてを赤裸々に語ってくれたロングインタビューを、ぜひご覧いただきたい。
■KAI
所属:REG☆STYLE / CAPLIORE / HEARTS / FOR
日本から世界のシーンを牽引するプロチーム『REG☆STYLE』のメンバーとして、2017〜2019年には世界3連覇。メディアへも多数出演するほか、近年は神奈川県川崎市のダブルダッチスクール『JUMPS KAWASAKI』において次世代育成も担う。
2024年夏、アジアジャンプロープ選手権には『FOR』として、DOUBLE DUTCH CONTESTには『HEARTS』として異なるチームに所属し大会へ出場。どちらもアジア一・世界一のタイトルを獲得し、選手という立場からシーン内外に多大なる影響を与えた。

【参考】今回2つのチームを兼任したKAIが、それぞれ挑んだ国内予選・決勝大会までの道のり

#1 挑戦のはじまり
“両立”を決意した瞬間
ジャンプロープ、そしてストリートカルチャーの聖地である神奈川県川崎市で、2024年にジャンプロープの『アジアジャンプロープ選手権』が、2025年には世界選手権が開催されることが決定。日本初開催となる大規模なスポーツ種目のコンペティションに加え、フュージョン種目の世界大会である『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』も同時開催が決定した。
それは世界のシーンや行政から、日本が“ジャンプロープ大国”としての認知が形となった瞬間。そこにシーンを牽引する日本初のダブルダッチチームであるREG☆STYLEのKAIも、思いを馳せていた。
・・・
KAI
このまたとない機会に、いちダブルダッチプレイヤーとして何をすべきか?ということをすごく考えました。「ダブルダッチ」というものを見てもらい、それが市や企業の方々をはじめ“世の中”を繋ぐパイプにもなれるし、学生たちにとっては興味の薄いジャンルにも関心を持ってもらえる機会にもなる。子供たちの夢にもなるかもしれない。
裏方や指導側に回ろうかなどと色んな選択を考えましたが、結局今の自分にできることはいち選手として出ることだな、そして2つともいこう、ってなりました。

Photo by YAMADAI
──そうなんですね。それはどちらもチームメイトを見つける前に。
そうだね。どちらも全員は決まっていなかったかなと。
日本だと僕らが元々やっていたフュージョン(音楽と動きを合わせるパフォーマンス)形式と、純粋に回数や技の難易度を競い合う形式のスポーツジャンルのダブルダッチは、その壁をあまりまたがないというか。同じジャンプロープ、同じダブルダッチなのに別物かというくらい、カルチャー的にも壁がある。
『FOR』では、スポーツジャンルのダブルダッチも更に浸透させて“文化”にしたいと考えて、自分と近い年齢層で固まるのではなく、年齢・性別をバラバラにして、色んな世代や層に刺さるチームでありたいという思いがあったんです。だからメンバーへの声の掛け方は特殊かもしれない。
一方の『HEARTS』は、最終的に2022年に『アメリカズ・ゴット・タレント』に出場したメンバーが軸になりましたね。AGTが終わって、このメンバーでまた何か出たいよね、じゃあやっぱり大会じゃないですかーと。あと互いに信頼を置けていたのでやりやすかったですし。

中央のKAIを含む4人が『HEARTS』としてチームを再結成する
ただ仕事の関係でAGTメンバー全員は揃わず、最終的に残った4人に誰を加えたらヤバいショーを作れるかなって考えたとき、クボユウトとKO-SEIを加えるという結論に至ったんです。
特にKO-SEIは大学4年生(声をかけた当時は3年生)で、彼が次のシーンを引っ張っていく存在になってほしいなという思いもあって。
──そうなんですね。『FOR』でも似たような話題が挙がってましたけど、KAIさんの根底にその思いはありそうですね。業界のためにとか、次世代をとか。
そうだね(笑)。まあでも若い頃は自分がそうしてもらっていた側だったから。繋いでいって何倍にもしていく作業というのは、心の中で常に考えていることなのかもしれない。
──ちなみに、どちらもREG☆STYLEとして大会には出ていないと思うのですが、そこには何か理由があるんでしょうか。
今REG☆STYLEって、真ん中に“☆”が入ってるじゃん。この5つの角はメンバー5人を表しているんです。
角度を変えて誰を真ん中にしてもチームが成立するのがREGで、1人1人がそれぞれの方向性を模索し育てて大きくしてくのがREG。
僕らは世界大会の3連覇を経て、メンバーは今それぞれ指導者だったりプレイヤーだったり、メディア露出だったり裏方だったり、このダブルダッチというものを本気で広げていくために各々が考えて、別の大会や、全く別の軸のことでも選手並みに活動している。
で、その“各々”を強くするからREGとして結集したときもパワーアップするという考えのもと、自分の中では大会に出場して、自分の方向性にある先のものを大きくしていこう、というのがミッションだったと結論付けました。

直球で戦いたかった
そうして『DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN』に向けHEARTSが、『ALL JAPAN』に向けFORが始動する。それぞれのチームは、2024年3月に控える国内予選大会に向け練習に励んでいった。

後列左から Elina Mizuno / TAISUKE / TATSUYA
クボユウト / KAI / KO-SEI
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KAI
『HEARTS』のメンバー自体は2023年12月には固まって、正直そっちは国内予選までは特別難しいことはなかった。5人とも素晴らしいチームメンバーだから。
驚いたのは、最初の曲候補が挙がってきたから自分が軽く曲編集をしてグループLINEに送ったら、全員から「じゃあこれは?」と再編集された音源が送られてきて(笑)。1投げたら10返ってくるような、メンバーからの熱意を強く感じたんです。びっくりしました。
──KAIさんのみならず、メンバー全員が強い思いで臨んでいたと。
そうそう。自分がコンテスト出場を決めたときの思いに立ち返ったとき、HEARTSは「圧倒的に勝つ」こと、そしてキラキラしているスターチームになっていてほしかった。
先輩も中堅も若手も頑張っている、それが色んな人に刺さっていてほしい。
だから、中途半端なものを出すことは許されないなという意識はありましたし、奇をてらい過ぎることより、直球で、ストレートで戦いたかったという感じ。
あと、あくまで自分は─という話ですが、HEARTSは世界大会優勝を見据えていたから日本予選は少し引き算で臨んだと思っています。むしろリラックスして臨めていたんじゃないかな。メンバーによって色々捉え方の違いはあったかもしれないけど。

──そうなんですね。KAIさんは“緊張しない”という話をよく聞きますが、そういう部分が如実に露わになったエピソードですね(笑)。
でも普通チャレンジする側って必死だし、まずは“目の前の勝負を勝とう!”って思うじゃないですか。そこを世界大会まで見据えて臨めていたというのは、やっぱりビジョンがあったから。
そうだね。それもあるし、あとこの活動って「自分が勝ちたい」という思いより、シーンにいる仲間や後輩たち・川崎の方々・世の中とか、色んなものに対して影響を与えたいというのが原点だったから。そこが原動力でしたね。
──国内予選に立ち向かって、HEARTSは3位で世界大会への切符を掴むことになります。その時の心境はいかがでしたか。
予想通りっていう感じでしたね。正直なところ、1位通過したい!とはそこまで思っていなくて(笑)。3位くらいで通過できた方が気楽に臨めるかなとすら思っていたから、よしよし、まずは1つクリア、みたいな感じでした。
フュージョンとスポーツは「全っ然違う!」

──少し時間軸を遡ります。HEARTSと並行して、FORとしての日々もあったと思うのですが、そちらはいかがでしたか。
KAI
さっき「同じダブルダッチなのに…」とは言ったけど、本当に全っ然違う(笑)。
フュージョン種目は簡単そうなことでも難しく見せたり、あるいは別の角度から新鮮な見せ方をすることが評価につながるけど、今回はまず技の難易度が高くないとお話にならない。だから普段のパフォーマンスでは良いとされていることが、こっちだと全く評価されないこともあるのさ。
「同じダブルダッチ」ではあるんだけど、例えるなら同じ球技なのに野球とサッカーくらい違う。「俺ってこんな下手くそなんだ」ってことをもう一度思い知らされたんだよね。
──分かりやすい(笑)。でも確かに、スポーツジャンルの方はレギュレーションが本当に細かく設定されていて、ルールブックの文量も膨大ですよね。一方“曖昧性”を許容するフュージョンはそれに比べると、はるかにその文量は少ない気がします。
右も左も分からないし、よく経験者のERIや、FORをコーチングしてくれたDAIKIに「そこ違います」って否定されて、自分はそう思わないんだけどな…とたまに反抗してみるものの、やればやるほど彼らの言ってることが正しいんですよ(笑)。
そっか、凄いなって思いながら、一つ一つ未知を潰していった感じですね。楽しかったけどね。

スポーツジャンルに精通し、FORを“コーチ的存在”として支えた (本人提供)
あとALL JAPANでは、ダブルダッチは4種目やらないといけないんですよ。フリースタイルシングル / ペア、スピード / スピードリレーと4種目やらないといけなくて、しかも自分とERIはその4つ全てに出る選手。その全ての技術を日本代表レベルにまで持っていく必要があったから、とても苦労しました。身体も心もボロボロになって。
──そうですよね。HEARTSの時とは対照的に、上手くビジョンを描けなかったと。
そうだね。通ったことのなかった道だったから。“模索”って言葉が一番しっくりくるかな。
でも、とはいえ自分に全くダブルダッチの経験がないわけではなかったから、ゴールから逆算するように点を打っていたのが『HEARTS』だったとしたら、『FOR』では今見えている少し先に向けて点を打つように向き合っている感覚だった。

──なるほど。じゃあもうフュージョンの臨み方と、スポーツのそれとは全く異なるし、慣れているか否かということも大きく影響していたのですね。
そして大会当日を迎えたわけですが、振り返っていかがでしたか。
予選当日はフリースタイルが特にボコボコで(笑)、かなりミスがあったけどギリギリ持ち堪えて2位通過。あと、全ての種目に出場したチームが「総合」というカテゴリで入賞することがあるんだけど、そこで僕らはなんとか総合2位通過。
この予選の日、僕らはやっと勝負の土俵に立つことができたんだなと思いました。“アスリート”としての自分がやっと確立されたし、上には上がいることも改めて痛感しました。

・・・
こうして『HEARTS』そして『FOR』で、どちらも決勝大会への進出を決めたKAI。慣れないスポーツジャンルのダブルダッチと格闘しながら、一方で自分の“主戦場”としていたフュージョンジャンルのダブルダッチでも世界一を目指し、戦いは続いていく。
着々と壁を越え、その走り出しは順風満帆にも見えたが、ここからが正念場だったことを当時の彼らは知る由もなかった。
#2 決勝大会に向けて
6人の“心”
KAI
『HEARTS』では難なくショーも完成して、ここから決勝トーナメントのチームバトル* の準備に取り掛かろうと練習をしていたんだけど…
*編集部注:DOUBLE DUTCH CONTEST WORLDではショーケース披露後、その得点の上位4チームが、DJの流す音楽に即興で合わせ相手チームと1対1で戦う「チームバトル」に進出。バトルトーナメント優勝チームが“世界一”となる
KAI
その途中である日、5月ごろだったかな─ Elinaが負傷してしまった。最初は捻挫くらいだと思っていたんだけど、病院で診断されたら骨折していた。まあ一言で言うなら大怪我。
残りのメンバーはElinaの復活を信じて練習を重ねていた。でも、Elinaは正直出場できるかどうか分からない状態で練習をすること自体が迷惑になってしまうと感じて、「私以外の5人で出てほしい」と。そういう思いを各々が抱えていたんだけど、ある時にそれをぶつける、本気の話し合いがあったんですよ。
でもそこで最終的に、改めて一人一人が「Elinaが出ないなら出ない」という選択をしたんです。それは変にElinaにプレッシャーを与えたいという意図ではなくて、Elinaを含め6人で『HEARTS』だから、それが今年難しいなら、6人揃ったときにまた改めて出ようよ!って。
ユートとかカッコよかった。「1週間前とか3日前まで待ちます」って。「それでダメだったらダメで良いっすよ、だから大船に乗ったつもりで、なんでも無理そうなことでも言ってください」って。
素晴らしいなこのチームは、って思った。

あと、これは過ぎたことだから好きに言えてしまうかもしれないけど…。最初に病院で診断を受けたあと、Elinaから連絡をもらってすぐに電話したとき、声を聴いて「こいつは絶対に帰ってくる」って確信があったんです。その電話の時に、もう完全にHEARTSは勝ったわって確信が。
──凄まじいエピソードでした。きっとKAIさんの意図されてることとは違うのかもしれませんが… ただただ、信じる力って凄まじいなと感じました。
Elinaからも並々ならぬ思いとパワーを感じたけど、それ以外のメンバーからも強い思いを感じた瞬間でした。
そこからはもう、駆け上がるだけ。怪我というすごくマイナスなことはあったけど、それを機にHEARTSはより団結して、よりパワーが生まれた。本当、随所に“人間力”を見ましたね。人間力の塊(笑)。
例えば練習が13時スタートだったとして、自分がFORの練習で先にスタジオに行ったら、11時とかにはみんなも揃い始めて時間になるまで自主練していて。
あとElinaも、自分が跳べない時の練習にもいるんです。ストレッチしながら自分はどう立ち回るのかを考えながら練習に参加している。俺らもプロパフォーマーとして活動しているけど、彼女からはまた別の“プロフェッショナル”を教えてもらったような感じだった。
──名は体を表すとは言ったもので、まさしく“HEARTS”というチーム名の通り、各々の気持ちがぐっと固まって、試練を乗り越えていこうとしていたんですね。
あとはそこから、俺の奥さんであるMaykaが衣装を徹夜で作ってくれたり、ゴット・タレントへ一緒に出場したメンバーで、残念ながら今回は出場できなかったDAICHIさんに練習に来てもらったり、あとは同期で今も最前線で切磋琢磨してるt.taishiとか、REG☆STYLEのKO-YAやKEITAが来てくれたり。
周囲の色々な人たちに助けられて直前期に突入していきました。

生まれた“ポジティブ休暇”
KAI
でも、FORも同じ。相変わらずそっちも大変で、みんなで団結してやっていくことには変わりなかったね。
3月の国内予選でやっと右左くらいは分かるようになってきた感覚があって、自分がどこへ向かい、何を目指すべきなのかがハッキリしてきたから、それを元に練習を進めていきました。ただ、何より大事なのはフィジカルとメンタル。
──そうですよね、本当に。
練習はもちろん、それ以外の時間にめっちゃくちゃ走り込んだりシャドー(ロープ無しで駆け足跳びの練習)をやったりしていた。
そして模索する日々を送りつつも、6月のイベントでゲストとしてフリースタイルを披露させてもらった機会があって、そこでやっと手応えを掴めた感じがしました。
──FORとしても“峠”を越えて、やっとの思いで向かっていこうとしていると。
いや、でもやっぱり色々あった。unnoとMAHOROは『ブリテンズ・ゴット・タレント』があったでしょ。MIREIも別のチームで学生大会が控えていた。で、ERIはさっきも言ったけど会社員で、そうやって各々がハードな生活を送るなか、わずかな時間も惜しんで練習時間を作って進めていた。なんだけど… ERIがアジア選手権の1週間前くらいに救急搬送されちゃって。
確かにその日の練習、顔面蒼白だったんだよね。気をつけて帰りなよーなんて言ったら夜に点滴の写真が送られてきて(笑)。
──ええっ。
でも、それでまたFORの一人ひとりと電話して「このERIの件をどうポジティブに考えるかが大事だよね」って話をしたんです。元々みんなタイトなスケジュールだったから、これはじゃあ“ポジティブ休暇”ってことにしよう!と。
みんなで「ERIのおかげでちょっと休めるわ!」って考え方にしてしまって、練習から戻ってきた時にはもちろんERIの体調に気遣いながら、時折それをいじったりもして(笑)。逆にすごい明るい方向に持っていくことができたのが結果として良かったなと思ったんです。

──なるほど。今お話を伺っていて、KAIさん流のチームメイクとして、“ポジティブに捉えよう”というところが大きいなと思いました。
そうだね。Elinaの件もERIの件も、変な意味じゃなくむしろ「こういうことがあって良かった」って思えて臨めたのは大きかった。
やっぱり気持ちを上げていかないと意味がないし、どんな出来事も衝突も、チームとして一丸となって戦うなら、結果それが右肩上がりになっていかないと意味がないと思っている。常にポジティブに捉えようという意識はしているね。
──逆境のさなかだからこそ、逆転の発想を持とうという考えは非常に学びになりました。でも、結局チームメイトがそういう状況になるというのは、自分の力だけでは乗り越えられるものではないじゃないですか。どうしてそこまでポジティブに居られるのかなと。
人が好きなのかな(笑)。でもだからこそ、一緒にやる人って大事ですよね。チームメイトは大切な存在。中途半端にはしちゃいけないし、1人じゃないからこそ何でもできるということは、自分の体験談として学んできたことです。
良いも悪いも、自分自身の向き合い方次第
──少し各チームの話題から脱線しますが、KAIさんと話すといつもポジティブな視点を持てるなと思っていて、私は勝手に歩くパワースポットだなって思うんですよ(笑)。
そうやってKAIさんが人をポジティブにしているのは想像に難くないのですが、そう思うに至った原体験に迫りたいなというか。KAIさんがポジティブにさせられたな、ってことはありましたか?
KAI
ありますね。やっぱりREG☆STYLEの存在なんじゃないかな。
学生時代からダブルダッチをやってきて、その後2014年に『シルク・ドゥ・ソレイユ』で活動していた『CAPLIORE』というプロチームに入れてもらったんです。ここまでは割と順調に、とんとん拍子で進んで行きました。

ただそのあと、2016年くらいかな。ショーの期間が終わって自分は日本に帰る選択をして、日本で活動していたREG☆STYLEに入ったんだけど、正直その時期はめちゃくちゃ天狗だったし、当時のREGはお世辞にも“プロ”とは言える状態ではないと思っていた。かたや自分はCAPLIOREとして先輩たちとステージを踏んできたから、自分が引っ張らなきゃ!と思っていたんだけど、今思えばどの目線で言っとんじゃって言葉ばかりだった。
REGの一員としての言葉がなかなか出なくてどこかずっと他人事… そうこうしているうちに、アキレス腱を断裂してしまったんだよね。確か2018年くらいのことだったかな。
──確か2度目の世界大会出場後、3連覇に向けて動いていた矢先の出来事だったと記憶しています。
自分がカマさないとと思っていた矢先に怪我で動けなくなって、本当に根暗になった瞬間だった。でもその時期に一緒になって引き上げてくれたのが、REG☆STYLEだったんだよね。
──じゃあKAIさんにとって、この大怪我は人生観を変える大きな出来事だったと。
そうだね。相当大きかったし、結果相当ハッピーを呼んでくれた事件だった(笑)。むしろ怪我してなかったらどうなっていたんだろう…とすら思う。自分を正しい方向に変えてくれたきっかけだった。
本当、リハビリとか地獄のように痛いの。リハビリの後は筋トレもしないといけなくて、いつ完治するかもハッキリしないまま、心の中ではシーンやREG☆STYLE、事務所のみんなに迷惑をかけてしまっているなとモヤモヤしていて。でも表に立つ身として、明るく振る舞わないといけないじゃん。
夜も寝付けない、むしろ目覚めてしまったらまた辛いルーティンが待っている。そこで地の底まで落ちた経験と、周囲で支えてくれた人の存在が、今の自分を作っているなと思います。

──だからこそ、同じような境遇にいるElinaさんのような仲間や出来事に対しても、ポジティブに向き合うことができたのかもしれませんね。
そうかもしれないね。怪我やリハビリの辛さとか、そこからどうしたら這い上がれるか…ということも何となく分かるし、「こいつは戻ってくるな」ってElinaに感じたのも、似た経験があったからなのかもしれない。
──軽い言葉でまとめるのも憚られますけど、やっぱり傷ついた経験というのは人を大きく変えますよね。本当に経験だな、というか。
良いも悪いも自分自身の向き合いようでプラスに変えられるんだなと改めて感じました。
・・・
降りかかる幾多の試練をなんとか乗り越え、なんと両チームとも無事にフルメンバーで大会のステージに立てることが決まった。奇跡か必然だったのか─それは神のみぞ知る話であるが、いずれにしても、彼らの血の滲むような努力が呼び起こした成果だったに違いない。
そうして2024年7月、アジア各国の選手が川崎に集結し、戦いの火蓋が切って落とされる。
日本選手団として迎える決戦の日々。しかし安堵するのも束の間、まだまだそこには壁が立ち塞がっていた。

#3 迎えた決戦の日々
笑顔で「頑張ろうぜ!」

──私もアジア選手権大会というのは初めての経験、1週間という長期の大会も初経験で、これは選手は相当大変だったんじゃないかな… と思っていたんです。出場されていた立場から当時を振り返って、いかがでしたか。
KAI
オモロ3:キツい7だったね(笑)。
今まではその一日に全身全霊をかけて臨めば良かったけど、そうはいかないから大変だった。FORとしては4種目あるし、そこにHEARTSとして最終日に世界大会があるから、出場しない日にも練習はあったし、詰め詰めのスケジュールの中でなんとかやっていました。
しかも本戦がある種目もあって、ありがたいことに予選を突破したら一度で終わらないものもあったり、アンチ・ドーピングの観点から自宅には帰れず、日本選手団も近くのホテルに泊まらないといけなくて、心も休まりきらない日々。
最終日のコンテストは正直、今まで出た大会で一番ぼっとしてしまってたなと思う。
──大会やってまた次の大会って、今までからすると考えられない話です。
でも、だからこそ他のスポーツジャンルの選手たちって凄いなって改めて思いました。
それこそ僕らはダブルダッチ種目だけだったけど、選手によってはシングルロープ(単縄のこと。一般的な“なわとび”)種目と掛け持ちして出ている人もいて、1種目終わったら脚を引きずりながらまた別の競技へ向かっている人とか、裏でぶっ倒れてる人たちをたくさん見た。
そういう人たちをたくさん目の当たりにして、俺らは少なくとも、笑顔で戦わなきゃいけないよねって。色んな国の選手たちに笑顔で「頑張ろうぜ!」って声をかけていました。

多くのアスリートたちがしのぎを削った (本人提供)
それで最後、TEAM SHOWという種目で各国の選手がパフォーマンスを披露する種目があるんですけど、見ているともう涙が止まらなくなるんです。一人一人怪我していく姿とか見て、その選手から命懸けで向き合っている姿から溢れるパワーというか、パッションというか… 強く刺激を受けました。
あとは、運営陣やスタッフなどの裏方の人たちも選手と同様に、あの日々がハードだったのを目の当たりにしていました。みんながいてあの空間、あの日々があったから、俺はへこたれちゃいけないなって。色んなことを考えたとき、確かに苦しかったけど、それでも笑って過ごそうと思っていました。
──ここでもなお、KAIさんは“ポジティブ”だったと。
FORの方は思っていたより成績が良くて、正直まさかあんなにメダルを獲れると思ってもいませんでした。表彰台の一番上から『君が代』を聴いたときは涙が出たな。チームメイトとハグして喜んだ瞬間とか、たまんないよね。

──苦しい日々を乗り越えてきたからこそ、得られた喜びとか、そこで見て感じるものも大きくなりますよね。素敵な経験です。
このステージに“選手”として立つ意味
KAI
それで、その期間の最終日に、HEARTSとしてコンテストワールド(世界大会)があった。
たださっきも言ったけど本当にぼーっとしてしまっていたし、目覚めたら脚も上がらない、肩も上がらない。身体のコンディションは相当悪かったけど、とりあえず風呂に入って「笑顔で会場に入ろう」と決めて向かったことは覚えている。
それこそ裏方の人たちもアジア選手権から地続き、ほぼ同じメンバーで運営していたのもあったし、大会にはアジア選手権で出会った選手たちも大勢いたから、いつも以上にこのステージで“選手”としている意味を考えながら全力で戦おうと思ったんだけど、改めてショーの映像を見ると軽くフラついてるんだよね。
どうなっちゃってもおかしくなかったと思うけど、最後まで動かしてくれたのは色んな人たちの支えだったなって思います。色んな人の顔が浮かんだショーだったな。

──限界の状態で迎えていたんですね。正直、見ていてそうは思えないくらいパワーがありました。
そしてショーケースを終え、HEARTSは1位で続く決勝トーナメントのチームバトルへ駒を進めることになります。
ショーケースが終わってやっと本調子になった感じでした。身体の感覚も戻ってきて、頭も冴えてきて、もう大丈夫だなって。
初戦の相手は同じ事務所で、お互いプロチームとして切磋琢磨してきた『NEWTRAD』。彼らも色んな葛藤のもとここまで戦ってきたのを知っているから、全力で迎え撃ちました。REG☆STYLEとしての経験もあるから、あそこまで登り詰めるのは並大抵のことじゃないのも知っている。お前ら凄えな、ありがとう、って気持ちで戦いました。

無事に突破し残すところは決勝戦のみだったんだけど、その後、同時に開催されていたソロバトルの大会『DOUBLE DUTCH ONE’S』で、ユートが決勝戦で負けてしまったんだよね。ユートも二足の草鞋を履いて、そっちにも全力で取り組んでいるのを知っていたから。
控室から出てこれないくらい気持ちが沈みきってるユートを支えようと向き合うHEARTSの姿と、一緒にもう一度戦うぞっていうユートのパワーに心を打たれて、決勝のSAMURAI DRIVEとのバトルに向かっていきました。
──あの決勝戦は凄まじかったですね。文句なしにチームバトルの最高峰の勝負だったと思いますし、“スタイルウォーズ”の極致だったと思います。
これまた相手はRYO-TAやMochasとか、付き合いの深いメンバーたちで。目の前で完璧なムーブをカマされて、お前らやるな、凄えなって。
ワクワクと負けないぜってたぎる気持ちがどんどん湧いてきて、めちゃくちゃ白熱したバトルだったかなと思う。REG☆STYLEのときとはまた違う感情になったな。
でも万全の練習を重ねてきたと思うんだけど、やっぱり本番だと見たことないミスが出てくるんだよね。
──個人的に、SAMURAI DRIVEはミスを抑えて手堅く戦っていたのに対し、HEARTSはオリジナリティという点では優れていたように思います。ただどちらも本当に甲乙つけ難い、ハイレベルな名勝負でした。見ている側も、最後どちらに軍配が上がるか分からなかったです。
SAMURAI DRIVEの圧倒的な火力に対して、HEARTSは“NEW”をぶつけてきた。この戦い方の違いも面白かったし、全員がここに懸けてきた情熱も感じた。
ただ終わった瞬間の正直な気持ちとしては、ミスも目立ったからダメだったかな…と思っていました。
──そうなんですね。優勝はできなかったかな、と。
だから結果発表でHEARTSの側に腕が上がって、驚きもした。もちろん凄く嬉しかったんだけどね。でもやっぱり、全体的にフワっと時間が過ぎていった感覚はどうしてもあったな。

KAIが思う“勝利までの道のり”

──ここまで凄まじいお話を聞かせていただきましたが、いくつか気になったことを伺わせてください。
まず大会期間中、ベストなコンディションで臨めていなかったというお話もありましたが、(長期の大会でなくても)そもそも大会当日をベストな状態で臨めないことも少なくないと聞きます。
振り返って今回、そういった状況でもどうして勝利を手繰り寄せられたのかと思われますか?
KAI
準備だけは完璧にこなせたなと自信を持って言える状態まで持っていくことができたからかな、と思っています。徹底的に練習もしたし、大会期間中や直前期にしんどくなったり、過密なスケジュールになることも想定していたから、「それでも100を出せる自分」を事前にチームとして創り上げていけたことが理由かなと。
──それが絶対的な答えですね(笑)。
そうそう。準備が全て。当日はやっぱり手元が狂うこともあるから。
──その「準備」というのはどういったことをされていたんでしょうか?
フュージョン(HEARTS)に関しては、ありとあらゆるミスを想定して潰していきました。冒頭にもお話しましたが、経験もあったからゴールは見えていて、そこから逆算することもできたので、自分以外のミスも含め「今これがこうだったから、ミスの原因はここだね」っていうのをトライ&エラーでやり続けていきました。
どういう感情のときにどういうミスが出るとか、この縄のときにこういうミスが起こるとか、それを理解すること、解決しようと試みることを当たり前にし続けることが大事。
例えば順番が繰り上がっちゃったりとか、音が小さくて聴こえづらいこととか、照明が暗くて見えづらいこととか、当日右手が満足に上がらなくなるとか、色んなシチュエーションをイメージして向き合っていたから、何の心配もなかった。
ただ、チームバトルは心配要素もあった。DJがどんな音楽を流すか分からないし、ムーブ自体は準備できてもあとは即興で対応するしかない。でも対応力の部分は鍛えておくことはできると、来てくれたtaishiやKO-YA・KEITAとバトルしたり、DAICHIさんや奥さんのMaykaに真正面に立ってもらったりとか(笑)。
それでも本番ミスは出てしまったんだけどね。

──でも「ベストを出せるような準備をする」という根底の部分は共通していますね。かつこれまでの豊富な経験から、シミュレーションを重ねられていたような印象を受けました。
ただ一方で、FORとしては初のスポーツジャンルの大会への挑戦ということで、そのシミュレーションもフュージョンほど効かなかったのではないかなと思うのですが、いかがでしたか。
フュージョンでミスの要因の120%くらいを理解できているとしたら、スポーツジャンルに関しては70%くらいだったかな。なぜミスして、なぜ上手くいっているのかがハッキリ分かっていない状態で本番を迎えざるを得なかったというのはあります。
根本的に、例えばショーだと1エイトの間に注意点が2箇所くらいあるとしたら、こっちは1カウントに16個くらいあるパートもあるんです。それを同時に捌かないといけないんだけど、どれだけシミュレーションしても処理速度が追いつかない。だからそれを考えなくても上手くいくくらい、とにかく身体に染み込ませて練習を重ねるしかなかったです。
本番当日までミスの全容は掴みきれなかったけど、成功率はちゃんと上がっていく。不安はあるけど、これくらい出来るようになったから、あとはもう本番は覇気だし、なるようになる。このメンバーで頑張ってきたから、俺らなら大丈夫と。そういう意味で、そう思えるくらい練習してきました。

#4 激動の日々を振り返り、思うこと
こうして幕を下ろした激動の日々。本気で戦い抜いたKAIが感じたのは、思わぬ感情だった。
・・・
──最後に伺いたいのですが、あの激動の日々を振り返っていかがでしたか。終えてみて思ったことや得たものってありましたか?
KAI
“燃え尽き症候群”みたいなものは無いなと思ってたんだけど、とりあえず次の日はベッドから起き上がれなかったね。川崎のホテルに泊まっていたけど、身体中が軋んで動けない。あっ、でも最終日の次の日にはワークショップがあったから、満身創痍だったけどそれを見に行った。
でも終わった直後も世界を獲ったんだとかって実感は湧かなくて、とりあえず「この日々を終えた」ってことだけ感じた。なんか燃え尽きたかもなー、って。
でも一回、不安にはなった。今回の俺の挑戦は誰かのためになったのだろうか、みたいなことを考えた。自分のやったことは合っていたのか、他にやるべきことは無かったのか…。今でもちょっと考えるときがある。
──そうなんですか。正直意外でした。
あんまり不安に思うことはないけど、誰かにいつか聞いてみたいなって思った。「俺、これで良いんすかね」って先輩とかに。

──それは手応えがなかったから、ということですか?
いや、手応えがないというか、手応えがあっても思うんだろうなと。
でもこうして“誰かの、何かのために”という思いで整えながらやっていかないと自己満で終わってしまうだろうし、色んな人の意見に耳を傾けながら、自分がどうあるべきかを決めていきたい。
でも何だか良い不安を持てたなって思うし、その上で今進もうと思えているから大丈夫だと思う。
──最後はやっぱりポジティブですね。
あと、どうやら「自分のために頑張れない」人らしいんだよね(笑)。誰かのために、誰かと一緒にやりたい。思い返すと、REG☆STYLEに加入したごろの時期は自分中心の日々だった。自分を守る行動や言い訳が多かったけど、怪我をきっかけに、誰かのためにというマインドになった。
これからもダブルダッチ、そしてジャンプロープを広げるために命を燃やして、最期は1抜けしながら死ねたら本望だなとか思ってる(笑)。
あとは先人たちが紡いできてくれたものへの感謝も伝えたいなとか、自分としてはコンテストを4回優勝したから、キリよくいつか5回目も達成したい。
でも大それたことを言うつもりもなくて、誰かが次の日、「明日俺も頑張ろうかな」って思ってくれさえすればそれでオッケーだなとも思う。
どれも簡単なことじゃないと思うけど、これからも心が燃え続ける限り跳び続けていたいなって。そう思います。
・・・
彼のもとに、全く不安が訪れないということではないのだろう。しかし、逆境に立ち向かうKAIはいつも“ポジティブ”だった。
不安や痛みを感じないことではなく、それを全身に受け止めながらも前を向くことが真の「強さ」なのだと教えてくれた。そしてその強さは、ジャンプロープというカルチャーと、その周囲にいる人々の存在があったからだと口にする。
これからもKAIは、誰かのために跳び続ける。その心が、力が、命が、彼の中で燃え続ける限り。

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dance10周年を迎えて過去最大規模に!青森・弘前発!日本最大級のダンス+カルチャーイベント「SHIROFES.2025」の全コンテンツを紹介!2025.06.04「SHIROFES.」は青森県・弘前市で2016年から毎年開催されているダンスバトルをメインとした弘前市を代表するダンスとカルチャーの複合イベント。毎年全国から著名なダンサーや大勢の観客が集っては大いに賑わい、地元観光の一手を担っている弘前市に必要不可欠なイベントだ。そして今年10周年を迎える「SHIROFES.2025」はコンテンツの数もイベントサイズも過去最大規模にスケールアップし、2025年6月27日(金)〜29日(日)の3日間にわたり、昨年同様に青森県弘前市にある弘前公園内にて開催される。弘前公園は、弘前城がシンボルの東京ドーム10個分以上の広さがある公園。歴史と文化を学べる貴重な文化財として公園全体を通して様々な見どころがあり、年中様々なイベントが開催されるなど、1日を通して老若男女が楽しめるスポットとして例年全国から観光客が訪れることで知られている。今年もこの歴史的な建造物を含む、見どころ満載の自然溢れる公園内に「SHIROFES.」がコンテンツとステージ数を増やして開催し、10周年の記念すべき3日間を参加者全員で祝う。ダンス好きやフェス好きにはたまらない本イベントの豪華すぎるコンテンツをまとめて紹介! 「SHIROFES.2025」のコンテンツはこちら!全7項目をチェック! ①豪華ダンサーが集う11種のダンスバトル SHIROFES.と言ったらやっぱりダンスバトル!今回も様々なバトルが開催され、それぞれのジャンルにてナンバーワンを決定する。さらに今大会ではイベント初のALL STYLE CREW BATTLE「G-COAT」が追加され全11バトルに。SHIROFES.ならではの普段見ることができない混合チームのバトルが観られるチャンス!終日繰り広げられる様々なバトルに目が離せない!なお今回はPOPPIN’ 1ON1 「SAMURAI」のトーナメントを除く、ほとんどのバトルが全天候型の屋内で行われるため、観覧にはチケットが必要になるのでダンスファンの皆さまは是非プレイガイドサイトからチェックして欲しい! 下記は豪華バトルMC陣を筆頭にそれぞれ年齢別やカテゴリー別に行われる各バトルの詳細だ。 バトル全体MC:CRUDE、GUCCHON、KENTARAW、MC SUV、TK、プラチナポーク ・POPPIN’ 1ON1 「SAMURAI」カテゴリー:POPPIN’(OPEN・FEMALE・Global Edition)(男女国籍問わず参加可能)ジャッジ:Poppin’J、Boogie Frantick、KEI、KITE、YUKIDJ:Satoci Enomotion ・BREAKIN’ 1ON1 <U15>「THE JAM」カテゴリー:BREAKIN’ 1on1 (男女国籍問わず15歳以下が参加可能)ジャッジ:NORI、TAISUKE、WUTA、MiMz、KATSU ONE DJ:GABAWASH ・BREAKIN’ 1ON1 「ON THE BEAT」カテゴリー:BREAKIN’ 1on1(男女国籍問わず参加可能)ジャッジ:NORI、TAISUKE、WUTA、MiMz、KATSU ONEDJ: GABAWASH ・HIP HOP 1ON1「DO OR DIE」カテゴリー:HIP HOP 1on1 (性別年齢国籍不問)ジャッジ:Yusei、TATSUKI、KATO、Atsuki、HONGOUDJ:DJ OBA ・LOCKIN’ 1ON1「EVERYBODY’S UP!!」カテゴリー:LOCKIN’ 1on1 (性別年齢国籍不問)ジャッジ:POG、TONY GOGO、福助、HANA、SORIDJ:3104st ・HOUSE 1ON1「OPEN YOUR EYES」カテゴリー:HOUSE 1on1 (性別年齢国籍不問)ジャッジ:PInO、HIRO、TAKESABURO、TAIKI、HARUDJ:OHISHI ・WAACKIN' 1ON1「MIYABI」カテゴリー:WAACKIN’ 1on1 (性別年齢国籍不問)ジャッジ:Si4、Mizuki Flamingo、RYO-TA、ryj.、MIKIDJ:DJ MAR SKI ・ALL STYLE 2ON2「DEADLY DUO」カテゴリー:ALL STYLE 2on2 (性別年齢国籍不問)ジャッジ:KOOJI、ATZO、TheRetro、Yasmin、KEIN、KYOGO、LOCO YOKODJ:辰 ・KIDS ALL STYLE 1ON1 BATTLE 「NINJA」カテゴリー:KIDS ALL STYLE 1on1– Under 10 division (男女国籍問わず大会当日に10歳以下が参加可能)– Under 15 division (男女国籍問わず大会当日に15歳以下が参加可能)*Wエントリー可です。ジャッジ:GEN ROC、Yu-mah、RINKA、THE D Soraki、Aoi、SHOW-GO、MEI、BUMMEIDJ:辰 ・OVER18 COLLEGE ALL STYLE 1ON1 BATTLE「ROOKIE」カテゴリー:OVER18 COLLEGE ALL STYLE 1on1(男女国籍問わず、18歳以上の学生が参加可能)*高校生は不可ジャッジ:BOXER、Boo、KAZANE、YUUSHIN、METH、Takuya、SEAN、バファリンDJ:3104st ・ALL STYLE CREW BATTLE 「G-COAT」カテゴリー:ALL STYLE CREW BATTLE (性別年齢国籍不問、3名以上15名未満で出場可)ジャッジ:Teddy Dan、KAZU、LEO、MITSU、YASS、MOCCHIN、P-STAR、RYUZYDJ:WANI、DJ BLAZE新たな注目ポイント:今回初開催のALL STYLE CREW BATTLE「G-COAT」。初代王者に輝くCREWはどこになるのか? ②トップパフォーマーによるパフォーマンス 全国から国内外で活躍するプロダンサーやダンスクルーをはじめ、フリースタイルボーラーなど様々なトップパフォーマーが大集結。10周年を記念して過去最多のショーケースが用意され、世界水準のパフォーマンスを通して観客を沸かせる。 シーンを長年牽引してきたトップパフォーマーたちから、最近飛ぶ鳥を落とす勢いでSNS上や各イベントで話題のダンサーたちなどダンスカルチャー好きなら誰もが知っている豪華な面々が勢揃い。是非この貴重な機会を見逃すな。 出演者:Boo&SHOW-GO、BUG!? 、Co-thkoo、D'oam(Dance Of Artistic Movers)、D&F、ebony(YOSHIE+LEE+MEDUSA)、FULLCAST RAISERZ(KTR aka Jr Twiggz+KILLA TWIGGZ)、GRYSOURCE、IB6side(バファリン+Aoi)、KOOJI&FUKUSUKE、Let’s Boogie、METH&HONGOU、MiMz&Yasmin、MONOLITH、Novel Nextus、Reray、S.kitchen、Teddy Dan&KATO、WATER BOYz(Gucchon+PInO+Boo+Yacheemi)、WAVE FAM JAPAN(ATZO+KEI+P-STAR)、YOSHIE&THE D Soraki、Yu-mah&Yacheemi、Yusei&TATSUKI、BOXER(ソロショー)、HARIBOW ③プロダンサーによるワークショップ SHIROFES.といえば、やっぱり出演ダンサーによるダンスワークショップは外せない!昨年ありがたいことに参加者から大好評だったこともあり、今年はなんと開催するクラス数が2倍にパワーアップ! しかも、講師を務めるのは各ジャンルで国内外を飛び回っている実力派ダンサーたちばかり。そんな豪華メンバーと一緒に、ダンス未経験者からプロを目指す人まで、50人以上が集まってワイワイ楽しめるのがこのワークショップの魅力。 「興味はあるけど、普段のレッスンはちょっと敷居が高くて…」という人こそ、気軽に参加できるこの機会をお見逃しなく!会場内の開放的な空間でどんな人でも気軽に参加できるので、家族や友達と一緒に楽しむコンテンツとしても◎ ダンスに興味がある人なら誰でもOK。みんなウェルカムな空気感でご参加お待ちしています!*ワークショップ参加にはチケットが必要になります。詳しくは記事最下部のプレイガイドを参照ください。 ダンスワークショップ講師名:【6/24(火)開催】KYOKA @FUNKY STADIUM CStudio【6/27(金)開催】YOSHIE & THE D SoraKi、Yusei / Atsuki / HONGOU、IB6side (バファリン+Aoi)、HANA&Yasmin、Novel Nextus、WAVE FAM JAPAN (ATZO+KEI+P-STAR)【6/28(土)開催】KATSU ONE / WUTA / NORI【6/29(日)開催】FULLCAST RAISERZ : KTR aka Jr Twiggz / KILLA TWIGGZ、黒須洋嗣、JUNNA、Boogie Frantick ④アーティストによる音楽ライブ ダンスパフォーマンスもさることながら、それ以外にもご当地ならではのアーティストたちが多数出演するこの音楽ライブ。青森県を代表する人気アイドルから伝統楽器奏者など幅広いアーティストたちが織りなす青森の魅力が詰まった生演奏のグルーヴに身をまかせよう。 出演アーティスト名(6月4日現在):りんご娘、ジョナゴールド、ライスボール、アルプスおとめ、クローバー(from リーフ)、creeps、KAZZ、渋谷和生 and more. 毎年SHIROFES.の風物詩として親しまれている「DJ TIME」が、今年も3日間にわたり終日開催。ジャンルや世代を超えて、出演者も観客も垣根なく、音楽とともに語らい、踊り、笑い合う。そんな心地よいひとときが広がる時間。お気に入りのドリンクを片手に、リズムに身をゆだねながら、SHIROFES.ならではの非日常の空気を全身で感じて欲しい。GUEST LIVE(6月4日現在):Olive OilライブDJ(6月4日現在):QUROVER、MAR SKI、D.I.K.、3104st、KAZMA、BLYS、OZORA、STO、MOTOYAMA、shinta、magistery、randyranzy、Coohey、SUI、Lachi、BLAZE ⑤今年も帰ってくる人気コンテンツ「エアー遊具」 そして今年も昨年好評だったSHIROFES.とコラボした巨大なエアー遊具も登場!SHIROFES.と「ふわふわ遊具」を通して遊び場を提供しているASOVIVAがコラボして、今年は更にパワーアップしたふわふわ遊具エリアを開設!踊って、観て、遊んで、全身で楽しんでほしい。 ⑥全21店舗が軒を連ねるフードエリア 青空の下、緑に囲まれた会場内には、約21店舗の多彩なフード&ドリンクブースがずらりと並ぶ。地元・弘前の名物グルメに舌鼓を打つもよし、冷たいドリンクを片手に芝生の上で一息つくもよし。陽の光を浴びながら、フェスの熱気とともに、お気に入りのメニューを見つける楽しみもこの場所ならでは。 ⑦お土産にオフィシャルグッズはいかが?ここでしか買えないアイテムが揃う「物販・グッズエリア」 今年もSHIROFES.オフィシャルグッズの販売コーナーが登場。ファンはもちろん、ダンサーや来場者の心をくすぐるラインナップをご用意。注目は、10周年を記念した限定デザインのTシャツとトートバッグ。手がけたのは、日本のブレイキンシーンを牽引するBBOYであり、デザイナー/クリエイターとしても高い評価を集めるTENPACHI。彼ならではのセンスが光るアイテムは、まさにこの瞬間だけの特別なデザインだ。SHIROFES.で過ごした熱い夏の記憶を、形にして持ち帰ろう。 SHIROFES.2025 ティザー動画 最後に 今回10周年を迎えるSHIROFES.2025は、これまで以上のスケールで過去最大規模の開催!地元・青森の方々はもちろん、全国から弘前観光とあわせて訪れる価値のある一大イベントとなっている。さらに今年は新たにステージが一つ追加されたことで屋外のフォレストステージでは昨年の約2倍の出演者によるパフォーマンスが実現し、ダンスバトルだけでなく、見応えたっぷりのショーケースやライブパフォーマンスも充実。ぜひご家族や仲間と一緒に、SHIROFES.ならではの“非日常”を体感しに来て欲しい。自然と音楽、そして人が織りなす、この夏だけの特別な体験を五感で味わおう。 なお、本日6月4日(水)よりSHIROFES.オリジナルグッズなどが抽選で15名に当たるSNSプレゼントキャンペーンを開催中!FINEPLAYもしくはSHIROFES.2025のInstagramアカウントをチェック!
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skate世界最高レベルのトリック一発勝負を制したのは!!「DeNA presents Spark ONE supported by ARKLEAGUE」スケートボード・ストリート種目2025.05.232025年5月17日(土)に「DeNA presents Spark ONE supported by ARKLEAGUE」 が神奈川県川崎市で開催された。今大会の会場は株式会社ディー・エヌ・エーが「川崎新!アリーナシティ・プロジェクト」の建設予定地である自動車教習所跡地を活用し運営するアーバンスポーツパーク「Kawasaki Spark」で行われ、BMXフラットランドの大会と共にスケートボードストリート種目の大会が、世界最高峰で戦うトップライダーたちを筆頭にトリックに定評のある幅広い年齢層で豪華なメンバーにより繰り広げられた。 photograph by Jason Halayko 今大会はジャムセッションでのベストトリック形式で予選なしの一発勝負で争われたのだが、大会当日は朝から夕方まで豪雨に見舞われ大会中止も予測されるほどの状況。しかしライダーたちの熱い思いと大会運営側の入念な雨対策が功を奏し、夕方から奇跡的に天気が回復すると、惜しくもMENS LOWクラスは中止となってしまったものの、優勝者100万円というビックな賞金を争うWOMENS HIとMENS HIは無事に開催。大会後半は多くの電灯によるナイター仕様も相まってセクションにスポットライトが当たる形で大会の盛り上げに一役買っている様子も見受けられた。 吉沢恋のトークショーの様子 photograph by Jason Halayko また大会前には特別トークショーとしてパリ五輪金メダリストの吉沢恋が登壇し、キッズスケーターや親御さんに向けて自身の練習やトリックについて、またパリ五輪での話など実際にメダルを見せながら語った。トークショー後には子どもたちにサインする時間も設けられ、大会に出場しない観覧客も体験しながら楽しめる時間が提供されていた。 なお本記事では入賞したトップ6のライダーの滑りを中心に当日大会の様子をお届けする。 大会レポート 【WOMENS HI】 WOMENS HI ジャムセッションの様子 photograph by Jason Halayko 今大会は全18名の出場者の中、2ヒートに分かれて各15分間のジャムセッションで戦いが繰り広げられた。なお今回は15分間のジャムセッションではあるものの、カウントされるのはベストトリック一つのみ。さらにそのベストトリックに対して3名のジャッジが付けたスコアの平均点が採用されるため、万が一ジャッジが誰か1人でもそのトリックを見ていなければカウントされないというシビアなフォーマットとなった。ジャムセッションという形式上、各ライダーが縦横無尽にコース上を行き来できる中で、ジャッジ陣にトリックを見てもらえるように絶妙なタイミングでのセクションへのドロップインや、またしっかりその場でベストトリックを決め切るスキルなどと複合的な要素が求められたが、一方でストリートらしさも垣間見れる展開だった。 吉沢恋 photograph by Jason Halayko そんな中で見事強さを見せて優勝し、賞金100万円を持ち帰ったのはパリ五輪金メダリストの吉沢恋。吉沢はプラクティスの時点から淡々とセクションに飛び込んでは、トリックを誰よりも多く練習している様子が見受けられたが、競技中もその姿勢は同様でとにかく数をこなしながら自分のベストトリックをチューニングしているようだった。その中でも彼女の代名詞の一つである「ビッグスピンフロントサイドブラントスライドショービットアウト」をはじめ数々のトリックメイクを成功させた。ジャッジがどのトリックをベストトリックとしてピックアップしたかは分からないが、8.8ptをマークし優勝を果たした。 伊藤美優 photograph by Jason Halayko 吉沢に続き準優勝に輝いたのは伊藤美優。伊藤はレッジを中心にスライド系の高難度トリックに挑戦。アップレッジとダウンレッジと様々な角度からトリックを決める中、ダウンレッジでの「フロントサイドブラントスライド」の完成度は高く見事なライディングを披露した。そんな伊藤にはベストトリックに8.4ptの評価が付き2位となった。 綿引愛留 photograph by Jason Halayko そして今回伊藤と同スコアとなったものの、ヘッドジャッジのスコアの差から3位となったのは若き才能の1人である綿引愛留。長身で長い手足から繰り出されるトリックの数々は世界トップレベルでも戦えるほどのレベルである中、彼女は今回独特なオリジナリティの高い玄人好みのトリックを見せる。レールからバンクの角にかける「バックサイドクルックドグラインドtoバックサイド50-50グラインド」を決めると会場を沸かした。今後が注目の若手ライダーの1人だ。 福田葵 photograph by Jason Halayko 続いて今回4位となったのはストリート・パーク・バーチカルの3刀流で活躍する福田葵。ライディングの随所にパークスタイルの動きが垣間見られる福田は、トランジションはもちろんトリック後のランディングの懐が深くストリートのライダーとは違う部分があるのが特徴的だった。特にハンドレールでの「ビッグスピンフロントサイドボードスライド」は見事だった。ジャッジはベストトリックを7.9ptを付けて4位となった。彼女の3刀流での今後の活躍にも期待したい。 織田夢海 photograph by Jason Halayko 5位に入ったのは世界選手権での優勝経験も持つ、日本が世界に誇るライダーの1人である織田夢海。織田はハンドレールを中心にトリックにトライ。見事な「フロントサイドブラントスライドショービットアウト」をメイクするも、自身の代名詞である「キックフリップフロントサイドフィーブルグラインド」を時間内に決め切ることはできず、ベストトリックは7.7ptをマークした。 黒田希杏 photograph by Jason Halayko そして最後に6位になったのは綿引同様にストリート種目の若き有力株である黒田希杏。他のライダーがなかなかトライしないトリックから繰り出されるスタイリッシュなライディングが特徴的な彼女は、今大会で「フェイキーキャバレリアルキックフリップ」を決めるなど会場を沸かした。そんな彼女のベストトリックは7.5ptをマークし見事入賞して賞金を獲得した。 【MENS HI】 MENS HI ジャムセッションの様子 photograph by Jason Halayko 女子カテゴリーと同様に各15分間のジャムセッションで戦いが繰り広げられたMENS HIは、全21名が参加したこともあり、3ヒートに分かれると各々がベストトリックを決めるためにしのぎを削った。ただヒートが進行する中でライダーたちも前ヒートを見ながら学んでいるのか、各ライダーが阿吽の呼吸でテンポよくトリックにトライ。最終ヒートの頃には全員がジャッジに自分たちの表現を見てもらう最適なタイミングを掴んでいる様子も見られた。ただジャムセッションの中でベストトリックをメイクするのは簡単なことではなく、各ライダーがトリックメイクに苦戦する様子がとても印象的だった。その代わりトリックが決まった時の盛り上がりはとてつもなく、会場全体が歓声に包まれそのトリックメイクを称賛していた。 佐々木来夢 photograph by Jason Halayko そんな誰が勝っても全くおかしくない熾烈な戦いを制し、賞金100万円を持ち帰ったのは佐々木来夢。脱力感がありながらもその中に強いコアを感じられる彼のライディング。トリックセレクションも多くその中でもスイッチ180から繋がれる高難度トリックの精度はピカイチ。今回もダウンレッジで「スイッチフロントサイド180バックサイドクルックドグラインドノーリーキックフリップアウト」をはじめ数々の高難度トリックメイクを成功させた。彼のベストトリックには9 Clubの9.3ptの評価が付きベストトリックの猛者たちを抑えて見事優勝を果たした。 浦野建隼 photograph by Jason Halayko 佐々木に続き準優勝に輝いたのはこちらもトリックマスターの浦野建隼。浦野はレッジやハバセクションを中心に様々なトリックを織り交ぜた高難度トリックに挑戦。トリックが決まるたびに歓声が上がる彼のライディングだが、その中でもダウンレッジでの「インワードヒールフリップスイッチバックサイドノーズスライドキックフリップフェイキー」はMCやジャッジも驚かせるほどだった。そんな浦野にはベストトリックに9 Clubの9.1ptの評価が付き、わずかに佐々木には届かなかったが2位という結果となった。 そして今回佐々木と浦野に続き9 Clubである9.0ptをマークし、3位になったのは群馬出身の若手の下境瑠祈空。彼のライディングからはSOTY(Skateboarder of the Year)受賞経験のあるトップライダーのジェイミー・フォイらしさが感じられ、特に今回ダウンレッジでメイクした「フェイキーフロントサイドスイッチクルックドグラインドフェイキーフリップアウト」はジェイミーを彷彿とさせた。今後の更なる活躍が期待される注目の若手ライダーだ。 栗栖悠 photograph by Jason Halayko 続いて今回4位から6位までは8.8ptで同点となったものの、大会ルールで定められた「ヘッドジャッジのスコアが高い方が上位となる」という基準によって順位が振り分けられた。まず4位となったのは九州の雄である栗栖悠。ハイスピードかつ豪快なジャンプが特徴的な栗栖は、今回もダイナミックで目を惹くトリックを披露した。中央のセクションでの「レールオーバーバックサイド180レイトショービット」はバンク越えのフラット着地で会場を沸かせていた。 そして同点8.8ptで5位に入ったのは、スケートボードの聖地の一つである湘南出身でスイッチスタンス系のトリックに定評のあるトップライダーの坂本倭京。坂本はアップレッジやアップバンクtoレールを中心にトリックにトライ。その中でアップレッジを上がってメイクした「バックサイドノーズスライドビッグスピンヒールフリップアウト」は会場を盛り上げた。 最後、入賞圏内6位に滑り込んだのは、ぶっ飛んだ豪快なライディングの中に正確なボードさばきを見せるスタイラーの安倍来夢。今大会でも豪快なライディングを見せて会場を沸かした。その中でも「アーリーウープレールオーバーフロントサイドキックフリップ」はハイエアーから綺麗にバンクイン。その完成度の高さに歓声が上がった。ベストトリックのスコアは4位と5位と同じ8.8ptだったため実質上6位とは言えないレベルでまさにそれを象徴するライディングを見せてくれた。 大会結果 photograph by Jason Halayko WOMENS HI1位 吉沢 恋 / 8.8pt2位 伊藤 美優 / 8.4pt3位 綿引 愛留 / 8.4pt4位 福田 葵 / 7.9pt5位 織田 夢海 / 7.7pt6位 黒田 希杏 / 7.5pt*同ポイントの場合はヘッドジャッジのスコアが高い方が上位となる photograph by Jason Halayko MENS HI1位 佐々木 来夢 / 9.3pt2位 浦野 建隼 / 9.1pt3位 下境 瑠祈空 / 9.0pt4位 栗栖 悠 / 8.8pt5位 坂本 倭京 / 8.8pt6位 安倍 来夢 / 8.8pt*同ポイントの場合はヘッドジャッジのスコアが高い方が上位となる 最後に photograph by Jason Halayko 今大会を通して感じられたのは、ベストトリック一発だけがカウントされるジャムセッション形式というコンペティションとしては最近珍しいフォーマットだからこそ表現されたストリート感だ。各ヒートを通して、ライダーたちがメイクに苦戦していたトリックを次々と決めていく時間の盛り上がりはいつものコンペティションではなかなか見られない画だったと思う。また誰かがトリックを決めたことでその勢いが連鎖していくのもスケートボードならではのことで、お互いを称え合い切磋琢磨しながらレベルアップしていく様子も本質的な魅力を感じる部分だった。そして筆者からはライダーたちが勝ち負け関係なくこのジャムセッションの時間を楽しんでいるように見えた。 一方で、コンペティションの側面からは若手ライダーたちの成長を顕著に感じる大会でもあった。今大会の表彰台の面々を見てみると世界を舞台に活躍する日本代表ライダーたちはもちろんのこと、次世代の若手ライダーたちが彼らの牙城を崩すために上位に食い込む様子が垣間見れ、ベストトリックのレベルだけで言えば若手ライダーも十分に世界で戦える実力を持っていることを証明する結果となった。今後彼らがどのように成長して海外のトップライダーたちに肩を並べるのかにも期待して注目していきたい。 ロサンゼルスオリンピックに向けて歩む3年が注目されがちなコンペティションシーンだが、日本国内のスケートボードのレベルがどう進化していくのか、また日本代表以外のトップライダーや若手ライダーの活躍にもしっかり編集部として目を向けていきたいと思わされる大会だった。 「Spark ONE」大会概要 名称:Spark ONE(スパークワン)日程:*2025年5月17日(土) スケートボード・ストリート種目*2025年5月18日(土) BMXフラットランド種目*雨天によるスケジュール変更後場所:Kawasaki Spark内特設会場観覧料:無料主催:株式会社ディー・エヌ・エー協力:一般社団法人ARK LEAGUE協賛:不二サッシ株式会社、株式会社ムラサキスポーツ
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bmxX Games Osaka 2025への切符もかかった日本最高峰の戦いを制したのは「DeNA presents Spark ONE supported by ARKLEAGUE」BMXフラットランド種目2025.05.222025年5月17日(土)〜5月18日(日)に「DeNA presents Spark ONE supported by ARKLEAGUE」 が神奈川県川崎市で開催された。今大会の会場は株式会社ディー・エヌ・エーが「川崎新!アリーナシティ・プロジェクト」の建設予定地である自動車教習所跡地を活用し運営するアーバンスポーツパーク「Kawasaki Spark」で、BMXフラットランドとスケートボードストリートの大会が、世界最高峰で戦うトップライダーたちにより繰り広げられた。なおフラットランド種目ではMENS HIクラスにて内野洋平選手が、WOMENS HIクラスでは本村果鈴選手が優勝を果たした。 大会当日は朝から夕方まで豪雨に見舞われ大会中止も予測されるほどの状況。当初はスケートボードとBMX両種目共に17日の同日開催の予定だったが、急遽BMXフラットランドは翌日18日に延期。天候への心配を払拭した中で無事に大会は開催された。 photograph by Jason Halayko 今大会の競技フォーマットはジャムセッション方式で行われるベストトリック一発勝負。最大40秒間の中で決めたベストトリック1本が最終リザルトとして採用される形となりジャムセッションの中でいかに少ないトライでベストトリック1本を決め切れるのかが勝敗を分ける戦いとなった。さらにMENS HIとWOMENS HIの優勝者には賞金100万円。またMENS HIの優勝者には来月大阪で開催される「X Games Osaka 2025」の出場権が与えられるという過去に類を見ないビックなプライズが用意された一戦となった。なお本記事では入賞した選手たち上位3名にフォーカスして今大会を振り返る。 大会レポート MENS HI :悲願の優勝を勝ち取ったのは、BMXフラットランドシーンを牽引する「Ace of the World」内野洋平 男女ともに世界最高峰で活躍するトップライダーから次世代の注目選手、さらにはベテランライダーなど全国から実力者が集まり熱戦を繰り広げた今大会。MENS HIは計23名が出場し、5ヒートに分かれたジャムセッションの中で各々が自身のベストトリックにトライ。各ライダーがトリックメイクに大苦戦を強いられる中、高難度ルーティンを決めた内野洋平が久しぶりの優勝を果たし賞金100万円を勝ち取った。 優勝者:内野 洋平 内野洋平のライディング photograph by Jason Halayko 過去通算11度に渡り世界タイトルを獲得し、日本のBMXフラットランドが世界に名を轟かせるきっかけを生み出したパイオニアでもある内野洋平。近年では各大会でなかなか自分の思うようなルーティンを決めきれず優勝を逃すなど辛酸を舐める経験をしてきた彼は、今回バックスピンからのハーフバイクフリップからまたハーフバイクフリップで戻す高難度ルーティンを決めた。彼のベストトリックには8.1ptがマークされ見事優勝を果たす結果となった。今大会では自身が万全なコンディションで臨めていない中でのパフォーマンスであったが、来月大阪で行われる「X Games Osaka 2025」の招待選手である彼。次なる大舞台ではさらにハイレベルなルーティンを披露して自身初のX Games金メダルを獲得する姿が見られることを楽しみにしたい。 第2位:片桐 悠 片桐悠のライディング photograph by Jason Halayko 現在BMXフラットランド界最強とも呼ばれる世界最先端を突き進むトップライダーの片桐悠。今大会でも異次元のトリックセレクションにトライ。序盤ではなかなか自分の思うようにコンボをメイクできず苦戦を強いられるが、後半ではバイクを縦に跨ぐペダル軸のツーフットのバックワーズから体勢を変えながらも終始難しいペダル軸でのルーティンを展開。メイク後の彼の様子からは本来であればもういくつかトリックを組み込んだルーティンになる予定だったようにうかがえたが、それでも8.0ptをマークして2位となった。今月末には「FISE Montpellier」、来月には「X Games Osaka 2025」が控えており、既に出場権のある片桐がこれらの大会で今回メイクできなかったルーティンを披露してくれるのかに期待したい。 第3位:早川 起生 早川起生のライディング photograph by Jason Halayko リアトリックのスピンを中心に構成されるバリエーションの多いトリックが注目の早川起生。今回も彼の代名詞トリックでもある「サーカス」や「タイムマシーン」を発展させたオリジナルトリックを交え、難しい体勢から繰り出されるコンボを披露した。前半はかなりトリックメイクに苦戦を強いられていた彼だが、中盤から後半に掛けてルーティンを決めて3位入賞を果たし、さらに「X Games Osaka 2025」の出場権を既に獲得している内野と片桐を除く、トップ成績を収めたため早川が本大会の出場権を見事獲得した。 WOMENS HI :今年ほぼ負けなしの強さを見せている本村果鈴が優勝 MENS HIと同様に18日(日)に行われたWOMENS HIは計9名の2ヒートで争われ、トリックメイクに大苦戦を強いられる中、ハイレベルなトリック合戦を制した本村果鈴が優勝を果たした。 優勝者:本村 果鈴 本村果鈴のライディング photograph by Jason Halayko 国内はもちろんのこと海外でも好成績を残しており、BMXフラットランド界において世界最高レベルと言われる日本を代表する本村果鈴。ここ最近では出る大会負けなしと言っていいほど強さを見せている彼女は、今回も長い手足を活かした豪快なルーティンで見事なライディングを見せた。その中でも「ウィップラッシュ」を中心に構成したフロントトリックと細かな切り返し、そして最後にはX-upの状態でフィニッシュするといったハイレベルなルーティンを披露するなど、オリジナリティと高いテクニックが詰め込まれたライディングで5.9ptをマークし優勝。賞金100万円を勝ち取った。 第2位:高橋 七衣 高橋七衣のライディング photograph by Jason Halayko 2位に入ったのはBMXフラットランド強豪として知られている佐賀県出身の高橋七衣。他のライダーがトリックメイクに苦戦する中、自分のペースと間合いを上手く理解し順調にひとつひとつのルーティンを決めていく姿が特徴的だった彼女。フロントタイヤとリアタイヤを器用に使い分けるルーティンを展開し、その中でも細かく様々なバリエーションで繋いでいく構成は見事で、終盤の「ラードヤード」の姿勢からスイッチをしっかり決めきり会場を盛り上げた。彼女の安定した正確なルーティンメイクは今後他のライダーの脅威になっていくことだろう。 第3位:清宗 ゆい 清宗ゆいのライディング photograph by Jason Halayko ここ最近の大会では表彰台常連となってきている清宗ゆいが今大会で3位入賞。フロントトリックでのスピンや切り返しのレベルの高さが特徴的な彼女は、今回もバックスピンからのハーフパッカーの繋ぎなど難しいバランス感覚が要求されるトリックも見事にメイクし、今回強豪が揃う中で3位という結果を残した。今後はさらに高い順位を勝ち取って来ること間違いなしの注目のライダーだ。 大会結果 MENS HI photograph by Jason Halayko 優勝:内野 洋平 / 8.1pt2位:片桐 悠 / 8.0pt 3位:早川 起生 / 7.3pt4位:菱川 高虎 / 6.6pt 5位:志賀 勇也 / 5.9pt 6位:早川 結生 / 5.8pt WOMENS HI photograph by Jason Halayko 優勝:本村 果鈴 / 5.9pt2位:高橋 七衣 / 5.1pt 3位:清宗 ゆい / 4.5pt4位:田口 織帆 / 4.3pt 5位:宮嶋 歩菜/ 3.8pt 6位:吉村 想花 / 3.3pt MENS LOW photograph by Jason Halayko 優勝:田口 煌也 / 6.9pt2位:藤井 斗芭 / 6.7pt 3位:金本 龍弥 / 5.9pt 「Spark ONE」大会概要 名称:Spark ONE(スパークワン)日程:*2025年5月17日(土) スケートボード・ストリート種目*2025年5月18日(土) BMXフラットランド種目*雨天によるスケジュール変更後場所:Kawasaki Spark内特設会場観覧料:無料主催:株式会社ディー・エヌ・エー協力:一般社団法人ARK LEAGUE協賛:不二サッシ株式会社、株式会社ムラサキスポーツ
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culture横浜を拠点に国内外をアートで繋ぐ。新プロジェクト「GT Lab.」とは?ガーデングローブ合同会社 代表 佐藤航インタビュー2025.05.14近年、国内外から注目を集める日本のストリートアート。今回は、約10年に渡り裏方としてシーンを支えてきた「ガーデングローブ合同会社」代表の佐藤航氏(通称:バル)に、これまでの自身のルーツやシーンのこと、音楽からアート分野への関わり、そして今後の展望について話を訊いた。 まず最初に自己紹介をお願いします。 ガーデングローブ合同会社代表のバルです。生まれは横須賀で、年齢は今年で45歳になります。ガーデングローブという会社は、横浜に拠点を置き、壁画家を中心としたアーティストや映像作家等のクリエイターマネジメントやエージェントを国内外問わず行っています。 早速ですが昨年移転されたオフィス兼アトリエについて、教えてください。 元々ずっと、アーティストたちが自由に作業ができるスペースを作りたいと思っていて、現在のようなアトリエ兼オフィスをいつか作りたいなと思っていました。話が具体的に進んだのは、T-PLASTER代表の水口さんからの一言でした。現在のオフィスは、彼の自宅に隣接している建物をお借りしていて「アトリエにちょうど合いそうだから使ってみる?」みたいな感じでスタートして‥。ありがたや。2024年5月にオープンしました。 ミューラルアートがまずご自身の事業を体現されていますよね。コンセプトについて教えてください。 ミューラルは自社がマネジメントをしているアーティストの「Kensuke Takahashi」が描いてくれました。壁画をよく見るとGTのアルファベットが浮かび上がります。これは、T-PLASTERの水口さんと立ち上げたプロジェクト「GT Lab.」の名前にちなんでいます。GardenGroveの[G]とT-PLASTERの[T]の共同研究所(Lab.)として、新たな可能性を探りながらここから日本のアートを発信していくというような意味合いを込めています。あとは、結構周りが住宅街なので、景観に馴染むというか、悪目立ちしないというか。そう言う視点もKensukeは上手に昇華させてくれました。モノトーンにしたことでコントラストがありながら凛とした印象となり、近隣の方にも喜んでいただいてるみたいです。 1階はアトリエになっているそうですが、どのような方が使われているのでしょうか? 1階は若手アーティストが自由に使える作業場にしています。作品を作る際の塗料やイベント時の画材などの物品まわりも、ここにある物は無償で提供をしています。また、大きな作品を作りたいと思ってもその場所に困ったりもするので、そんな時にも気軽に使えるスペースを提供したいと思いこのような場を作りました。大型案件や自社プロジェクトでアーティストが複数携わる作品を制作する際にも、このスペースにみんな集まって作品作りをしたりしてますね。 1F アトリエスペースはガレージのような雰囲気 ルーツを探る ご自身は絵を描かれないと思うのですが、どういった経緯で今の事業に繋がったのでしょうか? 僕は生まれも育ちも横須賀で、地元には米軍基地があったこともあり、小さい頃から自然と海外の文化に触れる機会が多かったんですね。音楽も盛んな土地柄で、高校生の頃にはバンドのライブでモッシュしにライブハウスによく足を運んでいました。アルバイトしてたドブ板の外人バーでは爆音で音楽が鳴る中、みんながダーツやビリヤードをしたり、踊ったり、時には喧嘩が起きたりするような、熱気のある場所でした。大学時代から地元の先輩バンドのスタッフとしてツアーの同行をするようになり、その時代、僕に出会ってくれたミュージシャンや先輩たちとの経験が、僕の基礎を作ってくれたというか・・。本当に感謝しています。 作品の一つひとつに想い入れが 有名大学の経済学部に進学されたとのことですが、どのような大学時代でしたか? 運よく学習院大学の経済学部に進学したのですが、大学時代は勉強というよりは音楽に関わる時間が大半でした。メジャーと契約した先輩バンド“BADFISH”のスタッフとしてツアーやイベントに同行しまくってて、楽しいことも辛いことも、本当にたくさんの経験をさせてもらいました。当時、数バンドで一緒に全国ツアーを回ることが多かったのですが、僕が大学生で就活をしてる時期に、SNAIL RAMPのマネージャーさんから「うちにくれば?」と話をもらい、不動産会社に内定をいただいていたのですが、それはお断りさせていただき、SNAIL RAMPのマネジメント会社に新卒で入社することにしました。 内定まで決まっていたのを突然音楽業界に舵を切ることに躊躇はなかったのでしょうか? そんなに無かったですね(笑)。両親に反対されましたけど。まぁ、周りの友達もみんな金融系とか官公庁とかそれなりの会社に就職をするわけですから、その気持ちもわかります。でも、僕はそもそも良い企業に就職をしたくて大学を選んだわけではなく、単純に、池袋の方にキャンパスがあったので、遊べそうだと思って選んだんですよね(笑)。根っからそう言う思考の持ち主なので、あんまり悩んだりとかはしなかったです。それよりも僕の人生を変えてくれたバンドの先輩に恩返しをしたくて、音楽業界に就職することに決めました。その先輩たちに出会えて、自分の人生が楽しくなったんですよね。かっこいい背中を見せてくれる先輩たちに恩返しがしたい気持ちで、就職先を変更しました。そうしたなかで僕が25歳くらいの時に、まだ歌い始めて数年のRickie-Gに出会いました。お互い横須賀出身で同じ年齢だったこともあり、その数年後Rickie-Gと一緒に独立し、彼のマネジメントとしての活動がスタートしました。 Rickie-G×Dragon76 Dragon76との出会いから現在の事業に Dragon76さんとの出会いはRickie-Gさんのジャケットのアートワークがきっかけでしたよね? そうですね。2008年リリースのアルバム「am08:59」のジャケットアートワークはDragonさんで、確かその頃に出会ったかと思います。それこそ、Dragonさんがライブペイントしてたフェスにリッキーが出演してたのかな‥。その後2009年、世界一周を回る船の水先案内人という仕事で、自分はリッキーマネジメントとして乗船しDragonさんはソロで乗船されてて、一緒にキューバからパナマ・ジャマイカ・ニカラグア・グアテマラを旅しました。船の中ではリッキーがライブしたり、Dragonさんは寄港地で壁画描いたり。そして帰国後、Dragonさんのマネージャーのような形でサポートさせてもらうようになったのが、本格的にアート分野に携わるようになったきっかけです。2011年からオーストラリアなど太平洋のアーティストを集めたコンピレーションCD「PacificRoots」シリーズを5作リリースさせていただき、そのジャケットは全てドラゴンさんにお願いしました。上記のコンピCDが好評で2014年から2016年まで、横浜の仲間であるDJ HOMERUN SOUNDやDJ MEGUMUSIXたちとともに、太平洋の各国大使館や政府観光局のサポートを得て「PacificRoots FES at 横浜港 大さん橋国際客船ターミナル」を開催できたことは、自分にとってとても大きな出来事でした。 Dragon76「PacificRoots」 ここまでのお話を伺う限り、アート事業への道のりは順調に感じたのですが、実際はどうだったのでしょうか? いやぁ・・。改めて振り返ると、人には言えない危うい歴史ばかりですよ(笑)。「明日をどう生きていくか」みたいな極貧時代もありましたから。2009年に独立してからは、横浜にあったクラブというか地下の箱“JACK CAFE basement"で音楽イベント企画したり、バーテンダーしたりしながら生活をしていました。2010年代頭はミュージシャンのCDジャケットやイベント・フェスのアートワーク、そしてライブペイント等が主な活動だったと思います。2014年にDragonさんが、日本最大級のハワイアンイベントのアートワークの仕事をいただき、それが横浜ワールドポーターズ15周年アニバーサリーアートーワークに繋がり、街中に大きく作品が露出した時はとても嬉しかったですね。 新事業「GT Lab.」とは? 音楽活動を通じて、自然な流れでアートシーンにシフトをしていくわけですね。ご自身が立ち上げた「GT Lab.」についても教えていただけますか? GT Lab.は「Garden Grove」と水口さんの会社の「T-PLASTER」による共同プロジェクトとして立ち上げました。そのコンセプトは、アート×木工を中心としたモノづくりの新たな可能性を探る研究所です。特に若い世代のアーティストたちが自由に表現できる場を提供したいという想いが根底にあります。なので、現在のオフィスも一部そういったアーティストに解放をしています。また、T-PLASTERは木工にかなり強い会社なので、彼らと一緒にアート領域で様々なチャレンジをしたいと考えています。例えば、僕たちが開催するイベントや展示会の什器やパネルを木工で作り、それも展示の一部としています。廃材などをアップサイクルして作品化できるよう試行錯誤を繰り返しています。 木の廃材で作るキャプションパネル ここでは、ある程度の経験を持つアーティストたちが、若い世代にアドバイスや刺激を与えるような交流も生まれています。今後は、無垢材や木工に関する設備や知識も活用しながら、アート作品の制作や近隣のキッズを招待してワークショップなども企画していく予定です。 アトリエで作業中のJUNK-R 若手アーティストにとって非常に貴重な場ですね。このような場を作られた背景には、どのような想いがあるのでしょうか? 僕自身、若い頃から音楽を通して様々な経験をさせてもらいました。それに加えて出身の横須賀という土地柄、働いていたBarには外国人客が常連にいて、英語も日常的に飛び交っていましたし、そこでアートのイベントなども行われていて、音楽とアートは融合している場面を目の当たりにしてきました。また、当時は良くも悪くも“良い時代”だったように思います。境界が曖昧で、責任は伴いながらも自由だからこそ産まれるミックスカルチャーを体験できたことが、今の活動に繋がっています。今度は自分たちが若い世代に機会を与えていく番だと思っています。特に、ミューラルアートは、街の景観を変え、人々に刺激を与える力を持っています。若い才能がGT Lab.のような場所で制作を通して経験を積み、さらに大きな舞台へと羽ばたいていってほしいと思います。今はまだ、実績作りの段階の作家が多いですが、こういった場所での活動が、将来的に絵で飯を食えるようになるためのステップに少しでも役に立てば嬉しいですね。 オフィス内の至る所に作品が 現在のシーンについてとこれから 若手アーティストは増えているのでしょうか?何か課題を感じることはありますか? 若手アーティストは増えているのですが、海外のように大きな壁画を制作できる機会が日本ではまだまだ限られてますね。横浜や川崎を中心に少しずつ壁画を増やして行きながら認知度を上げている段階です。ただ、このようなラボを作れたことも、ひとつ前進したかなと思っています。また、アート領域全体でいうと、日本は世界中から注目されていると思いますね。タイとかアジアは凄い熱量ですよ(笑)。日本に行きたいってよく聞きますね。Kensukeの作品なんか「ジャパニーズファンタジー」の作風で、海外勢にもハマりやすい(わかりやすい)んじゃないかなって思います。そういったニーズに対して国内外問わず橋渡しができる環境づくりを僕たち裏方がサポートしていくことに課題というか使命感がありますね。 Kensuke Takahashi本人とタイのカフェに描いたミューラルアート 今後の展開や構想について教えてください。 いつか、地元の横須賀をアートや音楽で盛り上げていきたいという想いがあります。横浜で培ってきた経験を活かし、横須賀らしい魅力を引き出すようなプロジェクトを実現したいです。また、海外への展開もさらに強化していきたいと考えています。日本のアーティストの才能をどんどん世界に発信していきたいです。そのためにも、様々な国を訪れ、現地のシーンとの交流を深めていきたいと思っています。若い世代へのバトンタッチも重要なテーマなので、彼らが活躍できる場を国内外問わず積極的に作っていきたいですね。音楽、アート、そして他のカルチャーとも連携しながら、友達作りを通して世界を繋いでいくような活動を続けていきたいです。まぁ、だって友達がいる国と戦争したくないじゃないですか。僕は音楽やアートを通じて友達が沢山できました。焼酎などのメーカーさんともコラボしているのも、その想いがあります。どんどん様々な人たちとアートを通じて繋がって、友達を沢山作って、平和に暮らすことに繋がればと思いますよね。選択肢がある時代、何を使って友達を作るか。若い世代にとって、選択肢を増やす活動ができるといいなと思いますね。 約20年の仲間と共に歩み次なるステージへ向かう インタビューを通して感じたこと まず、バルさんという人間が面白い。そして、バルさんの人生は誰か先導者がいるのではないかというくらい、人に導かれる人生を生きているように感じる。まるで、世界各地の波を乗り続けるさすらいのサーファーのように。横須賀というアメリカンカルチャーが色濃い地に生まれ、学生時代から外国人と対峙し海外の音楽や言語が身近にあったことがルーツにあるが、そこから数々の現場を経験し、良い意味で先の計画をせず、良いも悪いもその時々を生きている感じがひしひしと伝わってくる。今後のアートを通じた横須賀へのチャレンジや友達作り、そして、それをどのように次の世代にバトンタッチをしていくのか。この先の動向を追い続けていきたい。 以下、プロフィール Garden Grove 横浜を拠点とし《アート/音楽を通して、街とアーティストを繋ぐ》をコンセプトとした、壁画家・音楽家・選曲家・映像作家・装飾家・デザイナー等のマネジメント/エージェント近年は壁画事業・ワークショップ事業・イベント企画制作事業を中心に、 行政や企業・まちづくり団体とともにアート/音楽による多様なコミュニケーションを推進 T-PLASTER「made with soul.」をコンセプトに、“素材へのこだわり”、“ずっと大切に使えるモノづくり”、“世代を超えて過ごせる空間づくり”を通じて、自然を守ることと、モノのあり方を追求した工務店です。リノベーション設計・施工、無垢材の家具製作・販売、レジンプロダクト製作・販売、仕上げ左官工事、建材・建具・インテリアアイテム販売、シェアスペース運営(レインボー倉庫)など、多岐にわたる事業を展開。GT Laboにおいては、アートと木工という異なる分野の融合を通じて、新しい表現や価値を生み出すことを目指す。
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surf2度の世界女王、大原沙莉がボディーボードを未来につなぐために2025.05.052度のワールドチャンピオンに輝き、ボディボード界の歴史に名を刻んだ大原沙莉。11歳で競技を始め、15歳でプロに転向。そこから世界を舞台に挑戦を続け、2019年にワールドチャンピオンを獲得、2023年には2度目の世界王者に返り咲くという偉業を成し遂げた。長年にわたり第一線でトップアスリートとして戦い続けた彼女が、2024年、現役生活にピリオドを打つという決断を下す。その裏には、「ボディボード業界の未来をつなぐ」という強い意志があった。競技者としての葛藤、引退を決めた理由、次世代へのメッセージ、そしてこれからの活動にかける想い――。次なるステージへと歩み出す彼女の今を、飾らない言葉で赤裸々に語ってくれた。 ボディボードを始めたきっかけを教えてください 父がショートボード、母がボディボードをやっていて、私が小学校1年生の時に一宮町に引っ越したタイミングで、私と弟の洋人(プロサーファー・大原洋人)にサーフィンをやって欲しいという父の想いから始めました。最初のうちは海があまり好きではなかったのですが、小学校5年生の時に御宿の海でプロボディボーダーの小池葵さんに会って、「一緒にボディボードやろうよ!」と声をかけてもらったのをきっかけに、同世代の友達も増えて楽しくなり、毎日海に入るようになりました。 試合に出るようになったきっかけは何かありましたか 私の両親は、私に楽しんでボディボードをして欲しいというよりも、競技として取り組んでほしいという想いがありました。小池葵さんに誘ってもらって訪れたボディボードのお店も、「楽しむ」というより、「試合に勝つ」ことを目指してボディボードをしている人が多かったんです。みんな試合に勝つために海に入り、練習をしているような環境が最初から整っていて、私も自然と試合に出るようになりました。小学校5年生の春にボディボードを真剣にやるようになって、6年生になる冬に、葵ちゃんが「沙莉をハワイに連れて行きたい」って言ってくれたんです。両親も競技としてボディボードをやってほしいという考えだったので、「ぜひ連れて行ってください。」と後押ししてくれて、ボディボードを始めてすぐに、海外を経験することができました。実際にハワイへ行って、間近で自分の師匠である葵ちゃんがパイプラインで試合をしている姿を見たり、自分も海外の試合に出て外国人の選手と戦ったことで、「試合に勝ちたい!」という想いが強くなっていきました。 海外を経験する中ですぐに海外を目指そうと思いましたか 正直、私がやりたくてやっているというより、ついここ数年前までは、周りの声を聞いて自分の進路を決めていました。ボディボードを始めたのも、両親の影響や、師匠の小池葵さんとの出会いがあったからです。試合に出るようになったのも、「まずは地元の試合に出てみよう」「次はNSAに出てみよう」「NSAでチャンピオンを取ったら、プロの大会に出て、世界の試合を目指そう」みたいな感じで、「自分がこの試合に出たい」「こうなりたい」と強く決めたというよりは、周りの影響がとても大きかったです。 世界チャンピオンになるためのレールが引かれていたのですね はい。でも、それが全く嫌だったわけではなくて。ボディボードは楽しかったし、私自身、すごく負けず嫌いな性格だったので、「やるからには絶対に勝ちたい」という想いがありました。もし試合に負けてしまっても、答えもちゃんと用意されていたんです。たとえば、「次勝つためには、朝練をしよう。学校に行く前に早朝、海に入って練習をすれば、もっと上手くなる」といったように、常にレールが敷かれている環境でした。 自分の意思で行動しようと切り替えた瞬間はありましたか 今までは、海外のツアーも日本人選手と一緒に回っていて、「みんなが行くから私も行く」といった感覚の部分もありました。でも、2016年に外国人選手とツアーを回るようになってからは、自分で選択し、進路を決めていかなければならないと強く思い始めました。外国人選手と過ごす機会が増え、誰も自分の代わりに決断をしてくれない。だからこそ、自分で決断していかなくてはいけないタイミングが増えていき、そこからは自分で目標を立てて、その目標に向かって少しずつですが進んで行けるようになっていきました。 自分の意思で行動するようになって、変わった部分はありましたか 外国人選手と海外のツアーを回るようになったことで、「自分で責任を負うこと」や「自分の環境を自分で作ること」を学びました。当時、一緒に試合を回っていた外国人選手たちは、そんな私の姿勢を尊重してくれていて、そのあたりから試合への向き合い方も少しづつ変わっていった気がします。そして2018年、日本人として初めてワールドチャンピオンを鈴木彩加選手が獲得した姿を見て、「自分も変わらなきゃ」という思いがより一層強くなりました。それが私にとって1番のターニングポイントになったと思います。2019年、すべてを変えて挑んだシーズンで、日本人で2人目だけれど、初めてワールドチャンピオンを獲ることができました。振り返ってみると、この3、4年はいろんなことに向き合い、自分を変えるきっかけになった時期だったと思います。 日本人が世界で戦い、活躍していくための課題はどのように感じていますか 私は、「海外に寄せつつ、日本人でいること」を大切にしています。海外で戦うためには、海外の波の経験が必ず必要で、海外トレンドを取り入れることも欠かせません。さらに、ジャッジクライテリア(評価基準)の理解を踏まえたうえで、外国人選手と戦うためのメンタルや戦術も身につけなければいけません。海外ツアーでは大きな波で試合をすることが多いため、それに対応できるスキルも必要になります。海外で戦う以上、海外のスタンダードに合わせる努力は絶対的に必要です。私自身、大きい波は得意ではありませんでしたが、少しずつ克服していきました。でも、性格やボディボードのスタイルまでを完全に外国人に合わせる必要はないと思っています。むしろ、日本人の良さを持っていたからこそ、海外で成功できる要素になったと思っています。たとえば、日本人特有の繊細さや、 ライディングのラインの丁寧さは、ボディボードにおいて大きな武器になります。外国人選手は技がダイナミックだけれど、クオリティがやや雑になってしまうこともあり、その雑さを整える作業を外国人選手たちは行っています。その中で、日本人のボディボードスタイルが海外ツアーで大きな武器になるタイミングがたくさんあると感じています。だから、それを捨てる必要はないと思っています。性格の面でも、日本人の謙虚さや感謝の気持ちといった部分は、とても大切な要素です。だからこそ、「海外に寄せつつ、日本人でいること」を大切にしてほしいと思います。 ボディボードは日本と海外で審査基準が異なると聞きましたが、実際はどうなのですか はい。実際にボディボードの試合では、日本と海外で波の大きさや質などの規模感がまったく違うので、日本の波でできることと、海外の波でできることは大きく異なります。海外のジャッジ基準に合わせたいけれど、日本ではその基準となるような波がほとんど無いため、日本独自のジャッジクライテリアが自然と生まれます。この部分が日本人選手が海外の試合に出た時に大変な点だと思います。私も、日本の評価基準に合わせて子どもの頃から練習をしていたので、自分では「決めた!」と思ったライディングでも、海外の基準ではあまり点数が伸びなかった経験をしてきました。その擦り合わせはとても大変な作業ではありましたが、適応力を養ううえではすごく良い経験になったと思っています。 引退を考え始めた時期、そしてそのきっかけを教えてください 以前から、30歳ぐらいで引退をしようと考えていたのですが、本格的に引退を考え始めたのは、2度目のワールドキャンピオンを獲った2023年の夏頃でした。「もう、来年の1年で終わりにしよう」って決めました。ワールドチャンピオンを絶対に2回獲るという目標は自分の中で決めていて、2023年のワールドツアーで1戦目、2戦目と優勝し、世界ランキングでもその時点でぶっちぎり1位になったんです。そこで、ワールドチャンピオンが取れると確信し、もう引退しようと決めました。 引退後の不安はありましたか 不安は大きかったです。11歳から選手として活動して、15 歳でプロボディボーダーになり、そこから 29 歳までプロ選手としてやってきたので、これからの生き方がガラっと変わることに対する不安が大きかったです。2023年に2度目のワールドチャンピンを取ったので、その年に引退してもよかったのですが、2024年のシーズンもツアーに出ることを決めたのは、その1年間でセカンドキャリアに繋がる活動も一緒に進めていきたいと思い、試合を回りました。その間に自分のやりたいことも増えていき、試合を回りながらいろんな人とコミニュケーションを取ることができて、とても良い1年間になりました。 選手とは違った自分で過ごすようになって、いかがですか 1番感じるのは、闘争心がなくなったことです。海に入る頻度は選手時代に比べて減りましたが、現役時代よりボディボードが好きかもしれません。初めてワールドチャンピオンを取った年から、ボードを変えたり、環境を変えたりしたことで、まだまだボディボードが上手くなれる自分の可能性を感じています。選手時代はその可能性を少しずつ現実化していき、試合に勝つことだけを考えていましたが、今は理想のボディボードを追い求めることができ、とても楽しいです。また、選手をやめる理由の1つに、業界を盛り上げたいという気持ちが強くありました。ボディボード業界が縮小してしまっている今の状況を、どうにかしなくてはという思いはずっと持っていました。選手として業界を盛り上げることも考えましたが、難しい部分もあると感じていたので、これからは業界を盛り上げられるように、与える側の人間になりたいと思っています。そのために、私は何ができるのか、何を与えられるのか、いろんな可能性を膨らませて考える時間がとても楽しいです。 ボディボード業界を盛り上げたいと思うようになったきっかけは 若い頃から、師匠の小池葵さんやその世代の先輩にお世話になってきました。先輩たちが現役だった時代はボディボードブームで、選手としても金銭的に潤っていたという話を聞いて、「どうして今は違うのだろう?」とシンプルな疑問が自分の中で湧いてきました。私は現役時代、スポンサーにも恵まれ、親のサポートもあり、不自由なく選手生活を送ることができましたが、それでも今のボディボード業界は、ブームだった時代に比べると明らかに衰退していると感じます。サーフィンはショートボードがオリンピック種目になったことで、認知度も高まり、サーフィン人口も増えてきています。でも、ボディボードは一時のブームで止まってしまい、そのまま業界全体が縮小してしまった。その理由の1つに、「誰も続けて来なかったからではないか」と思うことがあります。ブームを経験した先輩が業界から離れてしまっていて、もちろん離れる事情も理解できますが、誰かが続けていかないと、本当にこの競技がなくなってしまうのではという危機感を持つようになりました。もし、自分が最後の世代だったら絶望的でしたが、後輩たちが頑張っている姿を見て、「私が繋げなきゃ」と強い使命感を持つようになりました。だから私は、ワールドチャンピオン2回獲ったし、もうボディボード業界から離れよう。ということは出来なかったです。 業界の課題について、どのように感じていますか ボディボードの魅力を発信していくことが、とても重要だと感じています。競技そのものや選手の魅力をしっかりと発信して、価値を見出していかないと、競技を続けていくことが難しくなり、選手が離れていってしまうという悪循環が生まれてしまうと思っています。そういった発信の仕組みづくりや環境作りも私が担っていけたらいいなと感じています。また、ボディボーダーがサーフィン業界に入っていくケースは少なく、ボディボード業界の中で何かやろうと思っても、出来ることが限られてしまうのが現状です。私は、弟や多くのサーファーの友達が居るので、サーフィン業界の知識をボディボード業界に取り入れたり、他のスポーツ業界の仕組みを参考にして、ボディボード業界に新しい価値や仕組みをもたらすことができたらと考えています。今までの経験や知識を、少しずつでもボディボード業界に還元していけたらと思っています。 今後ボディボード業界や社会に貢献していきたいことはありますか 選手だった頃は、どうしても自分が1番で、自分の成功を最優先に考えていましたが、引退してからは「人に影響を与えられる存在になりたい」という気持ちが強くなりました。数年前から環境問題に触れることが増えて、サーファーである自分が、肌で感じていることを伝えていかなければ、という思いがあるのですが、環境問題は少しハードルが高く感じる場面もあって、なかなか行動に移せない分野でもありました。だからこそ、堅苦しくならずに、自分が海で感じていることや学んだことを素直に伝えて、共に学んでいける仲間を増やしていきたいと思っています。ここ数年、世界でも日本でも「いい波」が減ってきているように感じます。それによって、海の中で言い争いが起きてしまうことが、私が住んでいる千葉県一宮町の大きな問題のひとつになってしまっていると感じています。サーフィン人口が増えて、一宮町に来てくれるのはとても嬉しいことですが、良い波に乗れないと不満が溜まってしまいます。さらに、プロサーファーも多い地域なので、彼らは仕事として練習が必要です。でも、一般の人から見ると、プロサーファーばかりが良い波に乗っていると感じてしまうこともあります。けれど、プロサーファーはそれが仕事。もし、いい波が豊富にあれば、こういった不満はきっと生まれにくいのではないかと思うのです。その「いい波が減っている」根本的な原因のひとつは、環境問題ではないかと感じています。だからこそ、もっと多くの人に、わかりやすく伝えていける発信ができたらと思っています。 また、私はボディボーダーとしてのコンプレックスのようなものを長年感じてきました。ボディボーダーってマイノリティですし、海外に行けば日本人やアジア人であること自体がマイノリティになることもあります。たとえば、ハワイのパイプラインで練習していると、アジア人女性でボディボーダーだから前乗りしてもいいみたいに扱われることもありました。アジア人だから、女性だから、ボディボーダーだから、うまくいかないこともあるし、相手にされないと思ってしまう人も多いと思います。でも私は、もっと自分を誇ってほしいし、ボディボーダーとしての自分自身を、自分の活動を、胸を張って誇ってほしい。大げさに聞こえるかもしれませんが、「自分を誇れる空気」を作っていきたい、それが本音かもしれません。弟のことを見て、羨ましいと思ったことは一度もありません。でも、サーフィンをやっているからこそ注目されているな、と感じる瞬間は少なからずあります。ボディーボードの業界とは全然違うなと。誰より劣っているとか、誰より優れているとかではなく、「ボディボーダーは、ボディボーダーらしくていい」と認めてあげられる場所を作っていきたいです。そのためにも、ボディボーダーとしていろんなことに挑戦していきたいです。だからこそ、たくさんの人に声をかけてもらって、選手時代にはできなかったさまざまな経験をたくさん積んでいきたいです。 プロフィール 大原 沙莉(おおはら さり)1995年4月21日生まれ。千葉県一宮町在住。2012年、ISAワールドボディボード選手権で日本代表として出場し、日本人初となる金メダルを獲得。2019年にはAPBワールドチャンピオン、2023年にはIBC年間ランキングでグランドチャンピオンと2度世界チャンピオンに輝き、世界トップレベルの実力で長年にわたりボディボード界を牽引。JPBAでは4度の年間グランドチャンピオンに輝き、国内外で数多くの優勝実績を残す。2024年に競技生活を引退。現在は、自身の経験を生かし、ボディボード業界に恩返しするため、団体に貢献できる事を探しつつ若手育成・普及活動も始めている。また、大会で解説・ビーチMCも務め、環境問題の重要性をサーファーに伝える手段を模索中しながら、多方面で活動中。競技を離れてもなお、ボディボードの魅力と文化を次世代へつなぐ存在として、精力的に活動を続けている。