いよいよ今週末に控えた『ITADAKI ダブルダッチ甲子園 2022』。昨年からスタートした同大会は、ダブルダッチシーン史上初の高校生をメインとしたコンペティション。昨年大盛況のうちに幕を閉じたITADAKIが、開催を夏季に改めまもなく開幕する。
今回は豪華ゲスト陣に、お笑いコンビ「2700」のツネと、社会人チームとして業界内では有名な「YUTTY KINGDOM.」そしてアンバサダーを務める「REG☆STYLE」の3組が登場!
高校生が主役となる1日を間違いない布陣で彩ってくれる彼らが今回、一同に会しインタビューを受けてくれた。
彼らがゲストという大役に際し、ステージに込める思いとは。そして高校生タブルダッチャーに期待することは何か?

※GUEST・ENTERTAIMENT JUDGEとしてご出演予定だった2700・ツネさんについて、先日新型コロナウイルスへの感染が確認され、ご出演を取り止めることとなりました。
当該記事については大会実行委員会とも協議の上、「ITADAKIに携わる関係者の熱量と思いを届けたい」という意図から、一部再編集を加え、予定通り掲載させて頂きます。
“エンタメ”色に溢れるITADAKI
「ITADAKI」という大会は他のストリート業界のコンペティションとは一線を画しており、同じカルチャー内の最前線プレイヤーだけでなく、キャストとして他カルチャーや“ストリート文化”を飛び越え、あらゆるジャンルの面々が名を連ねることが特徴だ。
この異色の大会構成について、まずITADAKIの運営にも携わるアンバサダー・KO-YAにその意図を訊いてみた。

KO-YA:
「ダブルダッチ」そして「高校生の頑張る姿」を、業界の中やストリート関係者はもちろん、それ以外のエンタメ好きの方にもご覧頂きたいという思いがあるんですよね。
ツネさんのような方がいらっしゃるからこそ、枠を飛び越えて様々な方にご覧頂ける“きっかけ”になると思っています。
――出場する高校生たちには、ITADAKIのどんな部分を楽しんでもらいたいですか。
KO-YA:
これだけのメンバーが揃っていますが、あくまで主役は高校生たちです。出場する選手のみんなには、「俺たちが主役なんだ!」という思いで臨んでもらいたいです。
業界を飛び越えて自分たちのダブルダッチを披露する瞬間なので、噛みしめて楽しんでもらいたいですね。
好奇心を持って
今回、ITADAKIの様々な企画に関与してくれていた2700・ツネ。高校生のエンターテインメント性を審査する「ENTERTAIMENT JUDGE」だけでなく、GUESTとして自身の持ちネタも披露してくれる予定だった。
アンバサダーのREG☆STYLEも「沢山笑わせてもらった」と語る、耳に残る警戒で独特なリズムネタが特徴のツネ。インタビューでは多岐にわたる活動やモットーについて訊いていた。

――最初に、このような形でダブルダッチの大会の依頼が来たときはどういった心境でしたか。
ツネ:
嬉しかったですね。実はストリートカルチャーが昔から好きで、いつか携わりたかったんです。「芸人」というお仕事とカルチャーがリンクすることが少なかったので、垣根を超えるような存在になりたいという思いはずっとありました。
――普段から色々なパフォーマンスをご覧になると伺ったのですが、ダブルダッチをご覧になったことはございますか。
ツネ:
もちろんです。つい先日も『PADMA』という舞台に出演させて頂いて。
(※) PADMA
ダブルダッチをはじめダンス・BMXやアクロバット・DJや歌など、あらゆるジャンルのパフォーマンスが混在するパフォーマンス集団。コントやお笑い要素も取り入れつつ、時折ホロっとさせる演劇を融合させた「パフォーマンス+演劇」の舞台作品を作り続けている。
ツネ:
PADMAとは付き合いも長いんです。色々なカルチャーが混在するショーが特徴なので、PADMAを見てあらゆるショーの見識が増えたといいますか。
「こんなグループがあって、こんなパフォーマンスがあるんだ」と衝撃を受けました。
――ツネさんのジャンルレスなご活躍、いち視聴者として凄いなと感心ばかりなのですが、改めてツネさんが今どんなことをやられているか、教えてください。
ツネ:
お笑い以外にも「カジサックチャンネル」(キングコング・ 梶原雄太さんのYouTubeチャンネル)のメンバーとしてや、キッチンカーを経営していたり。あとは「アマチュアナイト」というパフォーマーの大会で、アポロシアターを目指していたりもしました。
――多岐に渡る活動、凄まじいパワーを感じます。こうしたジャンルレスな活動の“原動力”は何なのでしょうか。
ツネ:
ひとえに「好奇心」なんですよ。「やりたい!」「楽しそう!」という感性の赴くままに色々なことにチャレンジしています。
色々な媒体で僕を知って頂けることが嬉しいですし、逆に僕も色々なことを知れることが嬉しいですね。
KO-YA:
先ほども話がありましたが、アポロシアターって僕らダブルダッチプレイヤーにとても縁がある場所なんですよね。
ITADAKIのおよそ1カ月後にスタートする「Double Dutch Delight」(ダブルダッチデライト) という大会は、日本決勝を勝ち進むとアポロシアターでパフォーマンス出来る機会があって。
YUI:
REG☆STYLEだと私とKEITAがそのステージに立ったことがあって、KEITAは優勝しています。
ツネ:
ワオ! マジですか?!
KEITA:
いやーもう、最高でしたね。アポロシアターに行ったらこれをやってもらいたい、みたいなことも色々あります(笑)。
――ツネさんがアポロシアターへの挑戦を報告している動画の1つで「ネタ作り」「練習」「ネタの調整」「ネタ見せ」など、やらなければならないことを列挙されていたと思うのですが、動画を拝見していて「ダブルダッチプレイヤーと一緒だ」と思ったんです(笑)。
――そんなダブルダッチにも通ずる部分がお持ちのツネさんからご覧になる、ダブルダッチの印象を教えてください。
ツネ:
むちゃくちゃ特殊だと思うんです。アクロバット、ダンス、根底にある“なわとび”の要素など、あらゆるジャンルがまとまっていますよね。
普通はまとまらないんじゃないか?と思う部分が1つになって形になっていることが凄いです。
YUI:
もうそれはよくダブルダッチをご覧の方の目線じゃないですか(笑)。嬉しいですね。

そんなツネに、中高時代からダブルダッチを始めたREG☆STYLEのKAIと、YUTTY KINGDOM. のYoshが「高校生のダブルダッチ」の魅力を語ってくれた。
KAI:
ダブルダッチって1人じゃできない。だからこそ、1つの目標にメンバー全員で向かうときの熱量があります。これは容易く大学生や大人には出せない、ひたむきで情熱的で、見ていても常に感動が続くような。
技術云々を超えた“純粋な感動”を感じます。
Yosh:
ダブルダッチって男女の優劣がなく、むしろ珍しい男女混合のスポーツです。KAIさんも言ってくれましたが、チームワークの育まれ方もこれまた特殊。ダブルダッチという競技ならではの「空気感」を見て、感じて頂きたいです。
ツネ:
めちゃくちゃ楽しみですね!
僕のパフォーマンスのコンセプトとして「バカになる」というものがあって。高校生たちもとにかく全身全霊で、なりふり構わずそのステージに思いを注ぎ込んで欲しいですね。
新型コロナへの感染が確認され、当日は残念ながら出演できなくなってしまったツネ。しかし、SNSでは事前に撮影されたコラボ企画も実施されるということで、そちらも是非お楽しみ頂きたい。
そして、ツネの熱い思いを受け取るように代演を務めるのは、お笑いコンビ「ダイノジ」の大地洋輔。
エアギター世界一になったプロフェッショナルなパフォーマンスをはじめ、お笑いだけでなく、歌舞伎や舞台にもチャレンジするなど、多岐にわたって活躍する大地。当日のGUEST SHOWにも期待が集まる!!

「ダブルダッチが好き」の一心で

2組目のGUESTは「YUTTY KINGDOM.」(ユッティキングダム)。
社会人チームの先駆けとして活動している彼らは、2017年の「DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD」(世界大会)パフォーマンス部門で見事優勝。
今年の3月に映像審査で行われた「DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN」(国内大会)でも準優勝に輝き、世界大会へ駒を進めた。
結成当時は前例のなかった社会人との“二足の草鞋”で、今となってはシーンの憧れとして定着した彼ら。
今回、チーム名にもなっているメンバーのYUTTY(ユッティ)と、高校時代から本格的にダブルダッチを始めたYosh(ヨッシュ)の2人に、チームを代表して思いを聞いた。
――本格的なダブルダッチ活動と社会人との両立はなかなか難しいことだと思うのですが、皆さんのそのバイタリティはどこから湧き上がってくるのでしょうか。
YUTTY:
全員目立ちたがり屋なんですよね(笑)。そしてダブルダッチが本当に好きなメンバーで、ステージが大好きなんです。
――なるほど(笑)。ただ「ステージが好き」と言っても、良いと思える経験だけではなかったとも伺います。
Yosh:
そうですね。チームを結成して8年目ですが、負けた経験のほうが多いです。
でもステージは好き。ステージが好きで挑戦して、負けて悔しい。だから「次のステージに立ちたい」という気持ちがより強くなる。
負けたくはないですが、心のどこかで負けすらも楽しんでいるんだと思います。
――今となっては「YUTTY KINGDOM.」というチームに沢山の学生が影響を受けていますが、メンバーで今日お越しのYoshさんと、ITADAKIではDJも兼任されるt.taishiさんは、それぞれ中高時代からダブルダッチをプレーされています。
Yosh:
僕のきっかけは中3ですね。実家は剣道一家で、僕も剣道をやっていたのですが、文化祭で「DIANA」(ディアナ) というチームと昼休みに一緒に練習したときに、「うわ、これだ」ってなって。
剣道には剣道の良さがありつつも、その時は仲間と笑って楽しく練習するようなスポーツの経験がなかったので、一気に引き込まれたんです(笑)。
その日家に帰って、すぐに「剣道を辞める」と両親に伝えて、高校からダブルダッチに励もうと決意しました。剣道で決まりかけていた高校の推薦もあったので余計に反対されましたが、あの瞬間の衝撃が今でも繋がっているので、決断は正しかったなと。

Yosh:
その後すぐにダブルダッチにどっぷりはまって、中学の卒業時に「DOUBLE DUTCH CONTEST VOL.8」という大会に出たのですが、ミスが多くとても悔しい思いをしました。
「これは真剣にやらないと勝てないな」と決意を新たにして、高校では部活動に所属せず、学校が終わったらチームで集まってひたすら練習する日々でした。
YUTTY:
Yoshが高校生の時のチーム「high BARO」(ハイバロ)では優勝していたよね。最初にダブルダッチを始めた大学生のころは画面の向こう側の人でした(笑)。
KO-YA:
high BAROといったら、当時の高校生だけじゃなく、色々な世代に影響を与えたスターチームだったもんね。
――一方でtaishiさんは、REG☆STYLEのKAIさんと同じ高校というご関係で、KAIさんも高校時代からダブルダッチを始められたと伺いました。
KAI:
高校生の時のタイシは大トガリ人間でしたね(笑)。
僕がダブルダッチ部に入りたいと思ったものの、その時は男子が僕1人で。良くも悪くも目立っていたタイシに声を掛けたら、体験に来てくれたんです。
そしたら体験が楽しかったのか、気怠そうに「やるわー」って(笑)。
YUTTY:
タイシっぽいエピソードだなあ(笑)。
KAI:
でも当時は仲が悪かったんです。トガったタイシとそうじゃない僕、なかなかウマが合わなくて。でもその後は2人で同じサークルに入って、今でも毎週のように会っています(笑)。
ダブルダッチの1つの良さがここですよね。こうしてかげかえの無い仲間と出会えることと、性格が真逆の人間でもそうなれること。
ダブルダッチ歴としては15年で、今僕らが30歳なので、人生の半分がダブルダッチということになります。

――そんなティーン時代からダブルダッチを始められたYoshさんは、この「ITADAKI」という大会をどのような思いでご覧になっていますか。
Yosh:
高校生がフィーチャーされる大会って本当になかったから、羨ましいですよね。
そしてこのステージによって、その下の世代も活性化すると思いますし、高校を卒業した子は大学生になっても続けて、社会人になっても続けることもあると思うんです。
――業界の黎明期を見ていたYoshさんからすると、感慨深いものがありますね。
Yosh:
野球の甲子園がそうであるように、高校生シーンが盛り上がることで、それ以外の色んな年代も盛り上がっていくと思います。この「ITADAKI」という大会が、1つの憧れの場となって、シーン活性化の中心地であり続けて欲しいです。
――ありがとうございます。最後に、YUTTY KINGDOM. のパフォーマンスを通して高校生たちに伝えたい思いなどあれば聞かせてください。
YUTTY:
僕が大学生だった頃は「プロとして残るか、ダブルダッチから離れるか」という2択でした。前例のない道を作るうえで、REG☆STYLEをはじめ、プロチームとして活躍していた人たちを倒してみたいという思いもあって。
練習が始まると結構大変でした。当たり前ですが、本業の傍らダブルダッチに取り組むので時間の制約があるし、金曜日の夜に会食や接待が入ったら、次の日の練習はヒイヒイ言いながらやっていたりとか(笑)。
その上、そこまで努力しても結果に繋がらないことも多かった。油断したとかじゃなくて、真剣にやって食らう「負け」。悔しかったです。

YUTTY:
けれど、最初に自分たちが決めたことだから曲げたくなかったですし、何より社会人でやっていても報われる時がある。長く続けたからこそ味わえた感動の尊さを高校生たちにも伝えたいです。
卒業を機に辞めてしまうのではなくて、5年後も10年後も続けて欲しい。なにも僕らも特別な存在だったわけではなくて、ただただ「ステージが好き」「負けず嫌い」そして「ダブルダッチが好き」という思いがあったメンバーだった、というだけなので。
“面白くて格好いい”存在を目指して
3組目は、業界をけん引するプロチーム「REG☆STYLE」。
ITADAKIではアンバサダーを務めている彼らだが、世界大会「DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD」では前人未踏の3連覇という偉業を果たすなど、パフォーマーとしても大活躍。
個人活動もチームとしても躍進し、業界の可能性を拡げ続ける彼らが、ITADAKIでもGUESTとしてパフォーマンスを披露してくれる。

――アンバサダーとしての思いはFINEPLAYの記事でも何度かお伺いしていると思うので、今回はREG☆STYLEの皆さんのパフォーマンスの部分についてお伺いしようと思います。そもそもこのチーム名には「おもてなし」という意味があると。
KO-YA:
そうです。Regaleという「おもてなし」を意味する単語が由来になっていて、“Regale Style”が転じてレグスタイル、と。
――観客を楽しませる“おもてなし”や創意工夫を感じる見ごたえのあるショーですが、何か大切にされている価値観などはありますか。
KEITA:
まず「技術がある」ということは前提ですね。技術が一番じゃないとプロは名乗れないと思います。
その上で、その技術をどう魅せるか。どれだけ見ている方々のフィルターを突破して、パフォーマンスの中にある技術や僕らの思いを伝えられるか。どれだけ観客の空気感を僕たちの味方に出来るか。
そこへの創意工夫がREG☆STYLEの魅力であり、まさに“おもてなし”だと考えています。

KAI:
大元の「何を伝えたいのか」という思いを大切にしています。
伝えたい思いに対してどんなネタや曲を載せていくのか。ここはダブルダッチャーだったら、みんな同じような作り方をしていると思います。
KO-YA:
僕らのショーのテーマとして、“クール & ファニー”というのを掲げていて。掲げているというより、無意識的にそういう思いがあるといいますか。
よく僕ら、芸人さんって本当に凄いなって話すんですよ。リスペクトしていて。
「面白くて格好いい」「格好良くて面白い」芸人さんたちの、そういう部分に僕らも魅了されているからこそ、ダブルダッチの業界の外にも通ずる、面白くて格好いいパフォーマンスを目指しています。
――確かにパフォーマンスの中には、ただ「すごい」という部分だけでなく、思わず笑ってしまうような“ファニー”な部分もありますよね(笑)。
KO-YA:
練習中もよくふざけているんですよ(笑)。
音に合わせて即興で跳ぶ“フリーロープ”という文化があって、練習でもそれを取り入れているのですが、練習が進むと段々皆がふざけだす。
そうやってふざけていると、ネタが勝手に出てくるんです。「あ、これ使えるじゃん」みたいな。
――技術があるから、思いの部分や笑いなど、エンタメ要素を足していけるということですね。当日が楽しみです。
KO-YA:
なんと今回、ITADAKIで新しいショーをやらせて頂きます。
――ワクワクしますね。新しいショーの見どころを教えてください。
KAI:
今回は前例のない形式のショーにチャレンジしています。
簡単に言うと… 短い時間に“クール & ファニー”を詰め込んで、10分間ぶっ通しでやる感じです。今までだと一度、YUIのMCを挟んで流れを止めてということがありましたが、今回はぶっ通しです。
KO-YA:
新しい試みだよね。そのままラストまで続く、僕らにとってもチャレンジングなショーです。
ITADAKIの最後に僕らのショーを見て、ファニーな気持ちになって帰ってもらいたいですね。

最後にGUEST 3組に、出演する高校生たちへのメッセージを聞いた。
Yosh:
高校生たちに一番に楽しんでもらいたいです。そして僕らは「ITADAKI」という大会を盛り上げるために頑張ります。
ダブルダッチはミスもつきものですし、上手くいかないこともあるかも知れませんが、またとない素晴らしい機会だと思うので、思う存分楽しんで欲しいです。
KENGO:
大会だから結果は出てしまう。優勝する1チーム以外は全て“負け”となってしまう。でも、それでも「楽しかった」と思い出にできるかはどうかは、結果ではなく“過程”だと思うんです。
チームメイトへの愛と感謝をもって、本番に臨んで欲しいです。それ1つで、ITADAKIにチャレンジした経験は最高なものになると思います。
ツネ:
さっきも言いましたが、僕のモットーは「バカになる」。高校生たちには全力で、直球でカマしてもらいたいですね。結果はどうであれ「自分が一番楽しむんだ!」という気持ちでやって欲しいです。

いよいよ大会まで数日を迎えたITADAKI。是非とも出演する高校生たちには「バカになって」臨んで頂きたい。ITADAKI世代には、大人にはない感動と無限の可能性を秘めている。がむしゃらに臨む姿が、きっと多くの人々の胸をうつことだろう。勝負の一日まで、残りわずか――。
開催概要

「ITADAKI ダブルダッチ甲子園 2022」
日時 : 2022年 7月24日(日)
時間 : 開演 13:30 / 終演 19:00 予定
会場 : 川崎ルフロン
主催 : ITADAKI 実行委員会
共催 : 川崎市 / INTERNATIONAL STREET FESTIVAL KAWASAKI 実行委員会
主管 : 有限会社OVER THUMPZ
協賛 : ポカリスエット / ヘインズブランズ ジャパン株式会社
協力 : スキルハック / JSDDL (日本学生ダブルダッチ連盟)
後援 : 一般財団法人 日本ジャンプロープ連合 (JJRU)
協力メディア : FINEPLAY
SPECIAL EDITION

FINEPLAYはアクションスポーツ・ストリートカルチャーに特化した総合ニュースメディアです。2013年9月より運営を開始し、世界中のサーフィン、ダンス、ウェイクボード、スケートボード、スノーボード、クライミング、パルクール、フリースタイルなどストリート・アクションスポーツを中心としたアスリート・プロダクト・イベント・カルチャー情報を提供しています。
アクションスポーツ・ストリートカルチャーの映像コンテンツやニュースを通して、ストリート・アクションスポーツの魅力を沢山の人へ伝えていきます。
●今日 ○イベント開催日
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surf歴史あるガールズサーファーのコンテスト“第19回 TAHARA おいでん GIRL’S CUP”が愛知県赤羽根海岸で3年ぶりの開催2023.09.272023年9月24日(日)に愛知県田原市赤羽根海岸ロコポイントにて『第19回 TAHARA おいでん GIRL’S CUP』が開催された。ここロコポイントは遠州灘に面し、広いビーチや広場が併設された珍しい立地で、大会やイベントなどが度々開催されている。浜辺から向かって右奥にある沖へと伸びた長い堤防に沿って砂がつきやすく、ウネリが入ればAフレームのブレイクが現れ、初心者からエキスパートまで楽しめる遠浅で綺麗な砂のビーチである。 『 TAHARA おいでん GIRL’S CUP 』とは2003年に伊良湖を代表するウィメンズプロサーファーの大沢裕子氏・三浦麻美氏・バッカー麻里衣氏の有志3名により、コンペ思考だけでなく、誰でも楽しめるフェスのような大会を目指し立ち上げられた。 長くサーフィンを続けていく上で、女性のライフスタイルの変化と共に進学・就職・結婚・出産それぞれの年代のサーファーが、それぞれのライフスタイルの中でサーフィンを続けていくことを応援することも目的としている。 この歴史ある大会は、現在プロとして世界で活躍をしている選手たちも過去に出場実績がある。ガールズサーファーの登竜門的立ち位置となるこの大会は、東海地方のみならず全国から多くの選手達がエントリーしており、10代から60代と選手層にも幅があることが特徴だ。 今大会は総勢125名の選手がエントリーし、当日はAM6時より開会式とルール説明が始まった。海に向かって西側がAポイント・東側がBポイントと2バンクで1ヒート12分、日本サーフィン連盟(NSA)のジャッジレギュレーションに則り、各クラスの演技レベルにあった採点方法で進行された。 スペシャルクラスを制したのはツインズガールズサーファーの姉、清水ひなた選手 優勝した清水ひなた選手、セミファイナルでのライディング 大会当日の朝は前週までの蒸し暑い夏の日差しとは打って変わり、秋の涼しい風に包まれたが、昼にかけて徐々に気温が上がり東風が強く吹き始めた。昼前まではオフショアで海面もクリーンな状態を保っていたが、各クラスのファイナルが始まる頃には東風のサイドオンショアとなり、沖の強風からの東うねりで波のサイズは上がり1.5m程に。時には2m近い波も見られた。 スペシャルクラスのファイナルリストは、馬場心選手、ハナ・バッカー選手、清水ひなた選手、石井有沙選手の4名が出揃い、風波な上にインサイドのカレント、ワイドでクセのある難しい波に各選手は苦戦するも、清水ひなた選手がクリーンな波をつかみファーストターンで大きく板を返し6.33pt、難しいセクションへ2ターンと安定したライディングで5.50ptとトータル11.83ptで優勝を決めた。 石井有沙選手。ファーストターンで大きくスプレーを飛ばし7.50ptを出すもバックアップが伸ばせず惜しくも2位。 3位の馬場心選手。難しい風波にバックハンドで大きくマニューバーを描く。 ハナ・バッカー選手はフロントサイドで際どいターンで攻め込む。 エキシビジョンはCS・QS・IBCと世界を転戦中のプロサーファーが参加し会場を盛り上げた 左から山下海果、相田桃、都築虹帆、川瀬心那 エキシビジョンに参加した、日本を代表する選手たち。ショートボードからは都築虹帆選手・川瀬心那選手、ボディーボードは相田桃選手・山下海果選手、そしてロングボードは榊原寄子選手、の5名が参加。風波のハードコンディションの中、素晴らしい技で会場を沸かせた。中でも、都築虹帆選手・川瀬心那選手・山下海果選手の3名は世界大会で結果を残すほどのトップコンペティターで認知度も高く、多くの観客から注目を集めた。 CS:Challenger SeriesQS:Qualify SeriesIBC:International Bodyboarding Corporation サーフィン体験会や地元小学生が参加する和太鼓の演奏、子供向けワークショップなども盛り沢山! 地元の子供達や、選手・スタッフもみんなでビーチクリーンタイム 障がい児童を中心としたサーフィン体験の様子 素晴らしい和太鼓演奏を披露してくれた地元和太鼓団体と小学生和太鼓チームの皆さん 子供向けワークショップ 新実行委員長となった、プロボディーボーダー片山綾子氏のコメント 片山綾子氏 今大会より、実行委員長はプロサーファーの金子藍氏からプロボディーボーダーの片山綾子氏へと引き継がれ、閉会式の挨拶では「選手やスタッフの皆さま、今日は遅くまで本当にありがとうございました。波がハードな中で、初めての大会だった方や、スペシャリストの方などレベルは様々でしたが、皆さんに楽しんで頂けたんじゃないかなと思います。運営面でたくさん反省点はありましたが、皆さんの頑張っている姿がとても印象的でした。私自身コンテストが好きなように皆さんもコンテストを楽しんで、これからも波乗りを楽しんでいってくれたら嬉しいです。今回の経験を活かして来年はもっと良い大会にできるように成長してここに帰ってきますので、皆さんもロコのいい波を堪能できるようにもっと腕を磨いて、楽しんで波乗りをしてください。」と、涙と共に感謝の気持ちを伝えた。 今回は “TAHARA おいでん GIRL’S CUP” 20周年ということで、閉会式には愛知のガールズサーフィン文化を牽引してきた大沢裕子氏・三浦麻美氏・バッカー麻里衣氏に実行委員からサプライズでお祝いが贈られた。 行政との連携や、地元の小学校和太鼓チームや飲食店など地域の協力のもと、伊良湖のプロ・アマガールズサーファーらが中心となり運営されている ”TAHARA おいでん GIRL’S CUP” 。来年の記念すべき第20回大会もとても楽しみである。 大会結果 ショートボード・スペシャルクラス優 勝:清水 ひなた準優勝:石井 有沙第3位:馬場 心第4位:ハナ バッカー ショートボード・オープンクラス優 勝:川瀬 煌渚準優勝:田中 亜矢第3位:前田 はるき第4位:木村 咲葵 ショートボード・ビギナークラス優 勝:福嶋 悠紀準優勝:山中 真穂第3位:天野 にこ第4位:野口 絹子 ショートボード・ママさん&シニアクラス優 勝:中原 由未準優勝:杉浦 知江第3位:神谷 真理子第4位:松浦 優 ロングボード・スペシャルクラス優 勝:川崎 智子準優勝:市川 恵里香第3位:松原 純恵第4位:大塚 海音 ロングボード・オープンクラス優 勝:磯部 有紀準優勝:村松 優第3位:阿隅 香奈第4位:あさ ゆうこ ロングボード・ビギナークラス優 勝:井山 志津恵準優勝:川原 美奈子第3位:川合 真紀第4位:村上 仁美 ボディーボード・スペシャルクラス優 勝:井島 真紀準優勝:瀬田 七海第3位:源馬 鮎海第4位:野村 美也子 ボディーボード・オープンクラス優 勝:山本 孝江準優勝:藤岡 みり第3位:上村 有加第4位:岸川 恵理子 ボディーボード・ビギナークラス優 勝:阿部 みゅう準優勝:松原 磨優美第3位:佐久間 早希子第4位:宮本 麻紀 大会概要 タイトル :第19回TAHARAおいでんGIRLSʼCUP 開催日 :2023年 9月24日(日) 予備日 なし 開催場所 :愛知県田原市赤羽根(ロコポイントまたはロングビーチ) 主催 :おいでんガールズカップ実行委員会 賞典 :各クラス入賞者に景品 後援 :田原市 田原市教育委員会・渥美半島観光ビューロー NSA日本サーフィン連盟愛知支部・ティーズ・ヤシの実FM CBC未来つなぐPROJECT x ダイドー株式会社協力 :一般社団法人スマイルビーチプロジェクト CBC未来つなぐproject・田原市商工会内容 :ウイメンズのみのサーフィンコンテスト 障がいを持つ子供たちのサーフィン体験教室 (一般社団法人スマイルビーチプロジェクト主催コラボイベント) 参加資格 :アマチュアレディース お問合せ先 :〒441-3424 愛知県田原市南神戸町仲北81-1 シーク内 おいでんカップ実行委員会事務局 TEL 0531-27-1334(10:00〜18:00) mail@seeksurfshop.com
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others宇部市が街をアーバンスポーツの舞台に変えた。「UBE URBAN SPORTS FES 2023」イベントレポート2023年9月23日(土)24日(日)に山口県宇部市の国道190号特設会場にて「UBE URBAN SPORTS FES 2023」と「第4回パルクール日本選手権」が同時開催された。 「UBE URBAN SPORTS FES 2023」は都市の風景を舞台に、自分の身体や技術を自由に表現するアーバンスポーツの魅力を身近に感じて楽しむことができるイベントとして、BMX SHOWCASEやBMX体験会、3人制バスケットボール市民大会「3x3 ENJOY II」などが実施された。またパルクール日本一が決まる「第4回パルクール日本選手権」も同時開催され、通行止めとなった国道190号線には多くの観客が来場した。※第4回パルクール日本選手権記事はこちら 本記事では「UBE URBAN SPORTS FES 2023」当日のレポートをお届けする。 BMX SHOWCASE 地元のライダーである中務 泰法 © Jason Halayko 会場内に設置された特設のセクションに6名の国内トップライダーと、MCの米田大輔が集結。ライダーには日本が誇るBMX界のエース 中村 輪夢選手をはじめ、地元・山口県のローカルヒーロー 中務 泰法選手、ジュニア部門の世界チャンピオンである松本 翔海選手、福岡出身でアメリカでも活動の幅を広げる上田 崇人選手、名古屋を拠点に活躍するBMX兄弟 伊藤 大空・伊藤 蒼空 が名を連ね、本イベント限定のスペシャルショーケースを披露した。 多くのスマートフォンやカメラが向けられ大注目のコンテンツとなったBMX SHOWCASE。それぞれのライダーが自身のトリックを惜しげもなく披露し、空中でのアクロバティックな動きに対してはどよめきも起こるほどであった。 宇部市長、山口県知事のはるか上を飛び越える中村 輪夢 © Jason Halayko SHOWCASE 時には宇部市長の篠﨑 圭二氏、山口県知事の村岡 嗣政氏も来場。途中にはMCの米田大輔が、「市長と県知事の上をBMXで飛び越える」という台本なしの“フリースタイル”なパフォーマンスを提案。会場は大盛り上がりの中で見事パフォーマンスは成功し、前代未聞のコラボレーションは大きなインパクトを残した。 ハイタッチの様子 © Jason Halayko 最後にはライダーと観客とのハイタッチ、そして写真撮影やサイン会も行われ、大盛況のうちに幕を閉じた。23日の実施のみとなった本コンテンツだが、BMXの魅力を余すことなく伝えてくれた6名のライダーとMCの米田大輔には観客から惜しみない拍手が送られた。 3x3 ENJOY II エキシビジョンマッチの様子 © Jason Halayko また同日には、3人制バスケットボール市民大会「3x3 ENJOY II」が行われた。イベントのゲストには 3人制バスケットボールのプロチームである、スリストム広島(広島)、SOLVIENTO KAMAKURA ZUSHI.EXE(神奈川)の2チームが参加し、クリニックやエキシビジョンマッチを実施した。 注目の市民大会ではU12部門や女子部門が行われる中、一般部門では地元のチームである「仁」が優勝。イベントの最後には優勝した仁と、プロチームであるスリストム広島・SOLVIENTO KAMAKURA ZUSHI.EXEの連合チームによる10分間のエキシビジョンマッチが行われた。序盤から確実にシュートを決めていく仁に対して、プロ連合チームはスピードやフィジカルで上回ったがボールがリングに嫌われてリードを許していた。 試合終盤ではプロ連合チームもギアを上げて点差を縮めたが、アウトサイドから攻めるプロ連合チームに対して確実にディフェンスリバウンドを押さえ、シュートを決め切った仁が逃げ切って勝利。まさかのプロ連合チームに勝利するというジャイアントキリングを巻き起こした。 エキシビジョンゲームで何本ものシュートを沈めた「仁」の森本選手© Jason Halayko 仁の代表である斎坂 稜選手は優勝コメントにて「普段なかなか外でプレーする機会が少ない中で、初めて組んだチームでしたが凄くフィットして良いゲームになったと思います。まさかエキシビジョンでプロチームに勝てるとは思いませんでしたが、チームメイトの森本選手がたくさんシュートを決めてくれたし、追い付かれても諦めずにチーム一丸となって頑張ったことが勝利に繋がったと思います!」と語ってくれた。 © Jason Halayko イベントを通して © Jason Halayko 初開催となった「UBE URBAN SPORTS FES 2023」は来場者数もさることながら、想像以上の話題性と熱狂を生みだした。BMX SHOWCASEや3x3のほかにもスケートボード体験会や、宇部市のグルメ品が揃ったフードエリアなど、全年齢が楽しめるフェスとしてのコンテンツも充実していた。イベントには子ども連れの家族、学生たちも多く見られ、イベント開催の本来の目的でもある「中心市街の活性化」「若者世代の獲得」に向けて大きな足掛かりとなったことは間違いないだろう。 様々な課題を抱える地方都市が「アーバンスポーツ」の力で活性化を図る―。来年以降も本イベントが開催されること、そして今後の宇部市の更なる発展に期待していきたい。 イベント概要 名称:UBE URBAN SPORTS FES 2023会場:宇部市役所前から松山町一丁目交差点までの国道190号特設会場約600m日程:2023年9月23日(土祝)24日(日)入場料:無料主催:宇部市後援:(一社)日本アーバンスポーツ支援協議会協力:(公財)日本体操協会メディア協力:FINEPLAY主管:UBE URBAN SPORTS FES 2023実行委員会問い合わせ先:宇部市観光スポーツ文化部スポーツ振興課Email:info@ubeusfes.jp
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parkour山口県・宇部市で「第4回パルクール日本選手権」が開催!女子は絶対王者が連覇2023.09.262023年9月23日・24日に山口県 宇部市の国道190号の特設会場にて、パルクールの日本一決定戦である「第4回パルクール日本選手権」が開催された。本大会は宇部市主催の「UBE URBAN SPORTS FES 2023」と同時開催となり、会場には多くの観客が詰めかけた。 23日(土)に実施された「スピード女子」では泉 ひかり(TOKIOインカラミ)が優勝。24日(日)に実施された「スピード男子」は本居 一輝、「フリースタイル女子」では永井 音寧(TOKIOインカラミ)、「フリースタイル男子」では関 雅仁(TOKIOインカラミ)が優勝に輝いた。また、女子の泉ひかりはスピード種目で大会3連覇、永井音寧はフリースタイル種目で大会4連覇を飾った。 第4回パルクール日本選手権 開会式© Jason Halayko 【スピード】女子・泉 ひかりが大会3連覇! 泉 ひかり © Jason Halayko 23日に実施された「スピード女子」では泉 ひかりが優勝に輝き、大会3連覇を飾った。今大会の出場者は泉ひかり・山本 華歩の2名のみであったが、ワールドカップでの優勝経験もある泉 ひかりは38.645秒のタイムで見事、優勝を勝ち取った。 本居 一輝 © Jason Halayko 24日に実施されたスピード男子では20歳の本居 一輝が初優勝となった。タンクトップにバンダナなどウェッサイスタイルで登場した本居 一輝は、予選を5位で通過。決勝には昨年の世界選手権に日本代表として出場した大西 隼人や勝乗 志音が名を連ねる中、本居は予選からタイムを2秒近く縮めてフィニッシュ。大きな歓声と共に大会初優勝を飾った。 【フリースタイル】永井音寧・怪我を押して勝ち取った大会4連覇 永井 音寧 © Jason Halayko 女子フリースタイルでは絶対王者である永井 音寧が圧巻のランで大会4連覇を飾った。優勝後のインタビューでは「両足首を怪我していて心配だった」と語っていたが、怪我を全く感じさせないほどのスピード感とトリックの完成度で、まさに「国内敵なし」といった強さを見せつけた。直近では国際大会での活躍も多く、今後も彼女が世界の舞台で活躍していく姿に目が離せない。 関 雅仁 © Jason Halayko 大会のトリを飾った「フリースタイル男子」では関 雅仁が優勝に輝いた。決勝では大貫海斗や宮崎裕来、前回大会チャンピオンの朝倉 聖などの強豪が決勝に顔を揃える中、得意の鉄棒を使ったトリックなどパワフル且つハードな演技で会場を沸かせた関 雅仁。30点満点中28点という高得点で堂々の初優勝となった。 男子フリースタイル決勝進出者 © Jason Halayko 宇部市で開催された本大会は、未来のメダリストを一目見ようと宇部市内外からも多くの観客や来賓の関係者も詰め掛け、大盛況で幕を閉じた。2024年 パリ五輪の正式種目としては不採用だったパルクールだが、今後のオリンピック種目の候補として大きく注目されている。 オリンピック競技採用に向けて、より「競技」としての見方も強くなるパルクールだが、今回のような公道(国道190号線)で大会が実施されることで「ストリートカルチャー」の面もクローズアップされた形となった。特にスピード男子で優勝した本居 一輝や、フリースタイル男子で決勝に進出した松本 蛍など、競技のスキルだけでなくファッションや普段の活動スタイルからストリート色を感じる、華のあるプレイヤーが活躍していたのも印象的であった。今後も引き続きパルクールのカルチャー面、そして競技としての発展に期待して注目していきたい。 優勝者コメント © Jason Halayko スピード女子 優勝:泉 ひかり(※大会3連覇) 「まずは走り切れてホッとしています。でもプランしていた通りの走りが出来なかったので悔しいです。そして今回もたくさんの方に大会を見に来ていただき、本当にありがとうございました。パルクールは一見難しそうに見えますが、どなたでも何歳でも始められるので、興味を持った方は是非パルクールを体験してみてください!」 © Jason Halayko スピード男子 優勝:本居 一輝「シンプルに優勝できて嬉しいです!僕は競技とストリートの2つの面でパルクールをやっています。街中でのパルクールもとても魅力的でめちゃめちゃ楽しいので、競技だけでなくストリートの面も見てもらえたら嬉しいです!」 © Jason Halayko フリースタイル女子 優勝:永井 音寧(※大会4連覇)「今回は両足首を怪我していて心配だったんですけど、まずは全部やり切れたことに安心しています。パルクールって一つのセットでもみんな使い方が全然違うし、その人オリジナルの技もあるので、そういったところをどんどん注目していただきたいです!」 © Jason Halayko フリースタイル男子 優勝:関 雅仁「自分は12年くらいパルクールをやっていて、日本にパルクールの大会がなかった時からやっていました。その後大きな怪我をし、ブランクの期間に日本にも大会ができてきました。なかなか大会に出れない時期が続きましたが、ちょうどカムバックした2年前の「第2回パルクール日本選手権」では3位、昨年の大会では準優勝、そしてこの4回目の今大会で優勝ができたのでとても嬉しいです!」 大会結果 © Jason Halayko スピード女子1位:泉 ひかり(TOKIO インカラミ) 38.645秒2位:山本 華歩 41.682秒 © Jason Halayko スピード男子1位:本居 一輝 23.636秒2位:勝乗 志音 (MISSION HIROSHIMA) 23.799秒3位:永田 悠真 24.029秒 © Jason Halayko フリースタイル女子1位:永井音寧 (TOKIO インカラミ) 25点2位:山本華歩 24点3位:近藤凪紗 23点 © Jason Halayko フリースタイル男子1位:関 雅仁 (TOKIO インカラミ) 28点2位:大貫 海斗 (TOKIO インカラミ) 27.5点3位:勝乗 志音 (MISSION HIROSHIMA) 26点 大会概要 タイトル :『第4回パルクール日本選手権』会期 : 2023年9月23日(土祝) ~24日(日)会場 : 山口県 宇部市 国道190号 特設会場主催 : (公財)日本体操協会後援 : (一社)日本アーバンスポーツ支援協議会協力 : 宇部市競技種目 : スピード(男子・女子)、フリースタイル(男子・女子)観戦 : 無料参加体験 : パルクール一般参加体験コーナー同時開催 : 「UBE URBAN SPORTS FES 2023」(BMX, 3X3, スケートボード など)
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skateSkateboarding Unveiled vol.6 ~ムラサキパーク東京の軌跡を辿る~「想い出が詰まった場所です」「青春時代を共に過ごしました」「私たちの憩いの場所でした」 無くなってみて、初めて当たり前にあった場所の大切さに気付く人も多い。 “伝説のスケートパーク”と捉えている人もいるだろう。『ムラサキパーク東京』のことだ。 前回のコラムでは2009年にムラサキスポーツに経営権が移り、Map’s Tokyoからムラサキパーク東京へ名称変更、2014年に全天候型の屋内パークが完成したところまでをお届けしたが、今回は今年5月7日の営業終了までに行われたコンテストやイベントの写真から、一時代を築いたスケートパークの軌跡を辿っていきたいと思う。 未来の金メダリストの一日 ムラサキパーク東京をホームとしていた当時16歳の堀米雄斗 といったところで、いきなり変化球から入らせてもらうのだが、まずは「The Days Inn」という、トップスケーターの1日を追う企画から紹介していきたい。 これはかつて自分が在籍していた専門誌、「TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN」の人気コーナーで、2015年2月に撮影したもの。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで国内シーンのトップに上り詰めていった堀米雄斗に密着させてもらったのだが、後のオリンピック金メダリストを育てたという事実は、ムラサキパーク東京がどれだけシーンに貢献をしてきたのかがわかる重要な証拠となるだろう。 メジャーブランドも次々にコンテストを開催 MAKE IT COUNT 2015で優勝した田中陽 次は同年5月に開催されたElementによる「MAKE IT COUNT」。 もともとElementは、この前年に富山の「NIXSスポーツアカデミー」で同イベントを開催するなど、国内で話題性あるパークがオープンしたら真っ先にコンテストを行ったり、映像作品をリリースしてきた。この年の会場にムラサキパーク東京を選んだのも自然な流れだろう。 当時は並いる若手有望株を抑え田中陽が優勝。瀬尻稜や松尾裕幸といった、同社が抱える様々なブランドに所属する豪華ライダー陣によるデモも行われ、盛大な盛り上がりを見せた。 デモンストレーションで圧倒的な存在感を見せつけた瀬尻稜 そして7月にはVOLCOMが「WILD IN THE PARKS」を開催。これはアメリカ各州や世界各地で行うコンテストの日本ラウンドにあたり、“OPEN”と“14 and UNDER”の2クラスの優勝者にはThe Berricsで行われるチャンピオンシップスへの出場権が与えられ、現地までの航空券と宿泊が用意された。 優勝は堀米雄斗と池田大亮で、彼らが世界へと足を踏み出す最初の一歩となったのだが、この時は10歳以下のLIL’ MONKEYクラスも行われ、見事池田大暉が制覇している。 彼らの今の活躍を見れば、誰もが納得する結果と言えるのではないだろうか。 またこちらは余談になるのだが、このイベントからパーク中央部のセクションがリニューアルされており、以後この三角形型のセクションがパークの定番となっていった。 優勝した堀米雄斗(左)のライディングと、池田大亮(右)。このコンテストは両者の世界進出の足がかりとなった。 LIL’ MONKEYクラスで優勝した池田大暉(右端) 当然海外のプロスケーターも来日 左からユーン・サル、エリック・コストン、ショーン・マルト。彼らからの声掛けでリラックスしたポートレートが撮影できた 続いては海外から来たライダーのデモとスクールイベントを。これは同年12月にSkull Candyクルーとして来日したエリック・コストンとショーン・マルト、さらにフォトグラファーのユーン・サルという面々。 最近ではRed Bullチームの来日が記憶に新しいが、それでもブランド単位のジャパンツアーは以前と比べれば少なくなったように思う。 以前は毎月のように様々なブランドの来日ツアーが行われていた時代もあったし、筆者もその情報に心を躍らせていたひとりだ。 だがそれ以上に、今はX GamesやSLSといった国際大会が日本で開催されるようになり、あらゆるトッププロを一挙に見れるようになったのだから、時代の進歩は凄まじい。 デモでライディングを披露するエリック・コストンとショーン・マルト。写真からも彼らのスタイルが伝わる JSFによるストリートのコンテスト 2016年に入ると、今度はJSF (Japan Skateboarding Federation)がストリートのコンテストを開催している。 今はストリートがAJSA、パークスタイルがJSFというイメージを持つ人が多いと思うので、もしかしたらこの事実には驚きを持つ人もいるかもしれない。 だが優勝は池田大亮、2位に堀米雄斗という顔触れは当時の他のコンテストと変わらない。 彼らがいかに突出していた存在だったかがわかる一枚だ。 優勝した池田大亮(中)のライディングと、2位の堀米雄斗(左)、3位の根岸空。集まっているメンツも今を代表する豪華スケーターばかり。 オリンピック追加種目発表記者会見の場にも選出 そしてこの年で忘れてはいけないのが、オリンピック種目への採用が正式に決定したことだろう。 実はその記者会見場に選ばれたのもムラサキパーク東京だったのだ。これはおそらくではあるが、当時はスケートボードの社会的認知度がまだまだ低かったため、世間一般にどんなものなのかを見てもらおうと。デモンストレーションも兼ねた記者会見となったのでないかと思う。 ただ日本のスケートボードの歴史においては、ものすごく重要な一瞬であったことは間違いのない事実だ。 おそらくこの時がメディアも含め、世間がスケートボードを目にした最初のタイミングではないだろうか。それもあってか、当時はマスメディアも摩訶不思議そうなに見つめていた記憶がある。 東京五輪に向けた国内大会も多数開催 優勝した池 慧野巨と参加選手たちの面々。よく見るとあんな人やこんな人も発見できる その後はオリンピックに向けて、徐々にスケートボードシーン全体が社会からの注目を浴びるようになってくる。これは2018年5月に開催された第2回全日本選手権の写真になるなのだが、第1回と第2回の開催場所に選ばれたのもムラサキパーク東京だったのだ。 ただその後はムラサキパーク笠間や、村上市スケートパークといった、新たにオープンしたコンクリートのスケートパークへ徐々に移行していったので、ビッグコンテストの開催は減っていくのだが、東京五輪に向けた戦いの初期を支えていたのは間違いなくココだった。 当時の優勝は池 慧野巨(左)と伊佐風椰(右)。この優勝をきっかけにちょうど現在開催中のアジア大会への出場権を獲得した。 それでも2019年はまだまだ国内のコンテストシーンのど真ん中に居座っていたことがわかる。 なぜなら2月にはWORLD SKATE JAPANの全身であるJRSF(Japan Roller Sports Federation)によるJAPAN OPENが初開催されているからだ。 この年はオリンピックを翌年(その後コロナ禍により一年の延期となったのは皆さんが周知の事実)に控え、いよいよ本格的なライダー選考の始まったタイミングであり、強化選手選出を兼ねたコンテストだった。そこでAJSA(日本スケートボード協会)との共催で行われ、5月の村上での第3回日本スケートボード選手権大会と合わせて絞り込まれていった。 2019年の優勝は池田大亮(左)と、藤澤虹々可(右)。 時代には左右されないAJSAのムラサキカップ 2018年のムラサキカップは優勝が池田大亮で2位が白井空良なのだが、実はこの数ヶ月後に行われたJRSF JAPAN OPENも同じ並び。堀米雄斗がアメリカに拠点を移してからは、この2名が国内の覇権を争っていたことがわかる。 ここまでの話を聞くと、ムラサキパーク東京は見事に時代の波に乗り、次々にコンテストを開催、そして成功させていった場所だと思うかもしれない。 だがその一方で、昔から変わらないものもある。AJSAのムラサキカップだ。 これはオリンピック競技の採用が決まる前から開催されているもので、当然2018年も2019年も、もちろん今(今年はムラサキパーク立川立飛のこけら落としイベントの一環で行われた)も開催され続けている。多くの皆さんもご存知だと思うが、AJSAは日本一の、しかもぶっちぎりで長い歴史を持つ団体だ。そこには世の中の流行り廃りに左右されず、しっかりとした基盤とピラミッド型の育成システムを創り上げ、コンテストを通して業界の底上げを図っていくという意思表示の表れでもあると思っている。そんなAJSAを、自分は可能な限りずっと協力していきたいと思っている。 2019年は青木勇貴斗、山下京之助、白井空良による三つ巴の戦い。本当に僅差であったため、まさかの優勝に青木勇貴斗は驚きの表情を見せていた 近年広がりを見せるフォトセッション 撮った写真を即座に編集して当日中に本人へ渡す。撮影後は画面を食い入るように見つめていた参加者たち その後世界がコロナ禍に見舞われたことで、しばらくイベントの開催はなくなり、自分が足を運ぶことも減っていったのだが、久しぶりに訪れたのが、2021年3月に行われたJASA (ジャパン・アクション・スポーツ・アソシエーション)によるフォトセッションになる。 これは現在徐々に広がりを見せている形式のイベントで、撮影した写真データを当日中に編集し、その場でもらえるという試みだ。 というのもプロスケーターにでもならない限り、普段の生活では大判印刷できるようなカメラで、しかもプロカメラマンにライティングまでして撮ってもらう経験は、そうそうあるものではないと思う。現にこの時も多くの人が、「僕も(私も)撮ってくれ! 」声をかけてくれたし、実は今も現在進行形でこういったイベントの企画は進めているので、開催した際はぜひ皆さんにもご参加いただけたら幸いだ。お子さんの成長の記録としてもピッタリではないかと思う。 そしてこの年の7月にあったビッグイベントといえば、まだまだ記憶に新しい東京オリンピックだろう。 本番会場は有明アーバンスポーツパークだったが、これはその直前にボードライダーズ社の主催で、メディア向けの公開練習が行われた時のものだ。 同社に所属する西矢椛、中山楓奈、岡本碧優、青木勇貴斗が華麗なライディングを披露し、マスコミからの質問に答えていたのだが、中には岡本碧優が滑っているのを疑問に思う人もいるだろう。なぜなら彼女は女子パークの選手であり、ムラサキパーク東京はストリートのパークだからだ。 だが、そこにも当然理由はあって、この日は本来ならムラサキパーク笠間で行われる予定だったのだが、降雨により急遽屋内施設であるムラサキパーク東京に会場が変更されたのだ。 だからこそではあるが、ストリートのパークで滑る岡本碧優というレアな一枚を撮影することができた。 クォーターではあるが、岡本碧優(左)がストリートのパークを滑るというレアな一幕。そして西矢椛(右)はご存知の通り、この数週間後に日本史上最年少の金メダリストとなった。 継続は力なり 藤澤虹々可とPOD CorporationによるPOD Games そして次がムラサキパーク東京の営業終了前に、自分が撮影した最後のイベントになる。 POD Coporationと藤澤虹々可によるPOD Gamesだ。 ただ彼女はこのコラムにも載せた2019年のJRSF JAPAN OPENの覇者で、まだまだ現役バリバリのトップガールズスケーターだ。 しかも自分は彼女の10歳にも満たない頃の写真も撮影しているので、まさかこんなに早く彼女と裏方の立場で一緒に仕事することになるとは思っていなかった。 でも今思うと、そんな出来事もお互いスケートボードが好きで続けてきたから実現したのだと思う。 今やその数も増えたガールズイベント。今後もきっと増加の一途を辿っていくことだろう ここまでの流れを辿れば、やはり世の中は「諸行無常」であると思わざるを得ない。だがそれと同時に「継続は力なり」という言葉の意味も、時を重ねることで感じ取れるようになってきた。 残念ながら今はもう「ムラサキパーク東京」は存在しないが、そのレガシーは「ムラサキパーク立川立飛」に立派に受け継げれている。これからも『ムラサキパーク』の名はそのままに、時代の最先端をひた走っていくのだろう。 一個人が撮影した写真だけで、これほどのストーリーが出来上がってしまうのだから。 吉田佳央 / Yoshio Yoshida(@yoshio_y_)1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本の監修や講座講師等も務める。ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている
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doubledutch初のガールズチームでの世界制覇!「Mrs.DOUBLE DUTCH」インタビュー2023.09.252023年7月、アメリカ・コロラド州にて開催されたダブルダッチの世界大会「DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD 2023」。コロナ禍によって4年ぶりとなった、プレイヤーたちが待ち焦がれた実地での開催。見事世界一のタイトルを掴み取ったのはガールズチーム「Mrs.DOUBLE DUTCH」(ミセス ダブルダッチ)。チーム結成は8年前。彼女たちがどのような道のりを辿って“世界一”となったのか。これまでの歩みと今大会へ懸けた思い、そしてこれからについて訊いた。 ABOUT “Mrs.DOUBLE DUTCH” 10名の女性ダブルダッチプレイヤーで結成されたチーム。各メンバーがプレイヤーのみならず、メディア・モデル活動や、大会でのゲスト・審査員など、多方面で活躍している女性ダブルダッチチームのパイオニア。今回の世界大会にはこのうち7名が出場。 (左から) KYOKA・REINA・MISA・HARUNA・MAYU・SUMIRE・HARUKA(写真提供:Mrs.DOUBLE DUTCH) ※以下、記事中ではチーム愛称「ミセス」と表記。 "女性プレイヤーの希望になりたい” ミセスが結成されたのは2016年。当時のダブルダッチシーンについてと結成に至った思いについて、リーダーのMISAはこう壊述する。 MISA「多くのプレイヤーは大学のサークルでダブルダッチに出会うので、卒業というのが一つの分岐点なんですよね。プレイヤーとして続けるか否かという。ですが、当時は女性でプレイヤーとして続けている人が少なかったんです」 左から SUMIRE・MAYU・MISA・HARUKA 「どうにかして女の子たちがプレイヤーとして活躍し続けることができないか。そんな声に触れるたびに考えるようになり、女の子のチームを作ってみることにしました」 そこでMISAを中心に、現メンバー MAYU・MOEMI・HARUNA・SUMIREを含めた7名でMrs.DOUBLE DUTCHが結成された。 結成当初の写真(写真提供:Mrs.DOUBLE DUTCH) MISA「チームを作ったことに対する責任感はありましたが、私の中ではあくまで実験的な試みでもあったんです。前例のないチャレンジだったからその先どうなるかも予想できなかったし、当時はプロ以外で同じチームを長く続けている人も多くなかったので。でも女性のダブルダッチプレイヤーの希望でありたい、可能性を切り拓きたいという思いはありました。そこで『Mrs.DOUBLE DUTCH』と名付けたんです」 確固たる思いを持って走り出したミセス。結成直後に、彼女たちは国内最大級の大会「DOUBLE DUTCH CONTEST 2016」の国内予選に出場することを決める。しかし、その結果は17位。本戦出場となる“10位以内”には届かなかった。 DD CONTEST 2016 出場時。(写真提供:Mrs.DOUBLE DUTCH) MAYU「“女子だけ”の難しさを感じた部分もありました。今思えば妥当な結果だと思いますが、今にいたるミセスの活動の源流だったというか、そこで私たちに火がついたというか」 HARUNA「当時、私とSUMIREは大学4年生の卒業間近で忙しい時期だったこともあり、MISAさんがほとんど全ての曲や衣装を準備してくれていたんです」 MISA「でもミセスを“長く続けていこう”とだけは決めていて、そのためには1人が作った作品でチームを続けていくのは無理だと思ったんです。チームメイトと関係性を築いて『ここは自分のアイデアなんだ』『この瞬間自分は輝いているんだ』ってことを自覚しながらやらないと長く続けられない」 その後、メンバーそれぞれの活動を経て、2017年の「Double Dutch Delight」では一般部門で優勝を果たすほか、「DOUBLE DUTCH CONTEST」の上海大会に2年連続で出場し、2019年には優勝。 このほか、個々がミュージックビデオの出演やゲストショーケース、アパレル活動や審査員など、多岐にわたって活躍。“ガールズチーム”としての存在感を確立させていく。 2019年、オリジナルメンバーの一部がプレイヤーとしての活動を終えたこともあり、ミセスとしての活動を継続するべく、AYUKA・KYOKA・REINA・NATSUMI・HARUKAが加入し現体制となる。 (後列) 左から1番目 AYUKA / 2番目 KYOKA / 3番目 REINA / 6番目 NATSUMI(前列) 左から1番目 HARUKA(写真提供: Mrs.DOUBLE DUTCH) 国内予選に向けて――「ミセス式」のパフォーマンスメソッド それからしばらく経ち、2023年。最大級の大会である「DOUBLE DUTCH CONTEST」に再び出場することを決意する。世界一のためにまず国内予選を制する必要がある。同部門への参加は約120チーム。その中で、まず上位5チームに残らなければならない。 注:オフィシャルサイト等の情報を元に、編集部で制作 MISA「今年は久しぶりとなる実地での開催。しかもフルメンバーで大会に出るチャンスは今回を逃すとしばらくないかもしれないと思い、出ることを提案しました。ただ各々の都合もあるし無理はさせたくないから、イエスかノーで答えて、と」 そうして集まったのが今回のメンバーである7名だ。 MISA「ただ各々仕事や家庭もあって、社会人チームは予定を合わせるのにも一苦労です。だから最初に集まりやすいメンバーでネタ(動きや技)を作って、そこから音を合わせていきました。 MAYUが音のストックを色々持っているので、MAYUが提案して、それを曲編集をやってくれるRisA(※)に伝えて進んでいきました」 (※)RisAミセスのパフォーマンス音源を作成していた人物。これまでのミセスメンバーが出場していた別チームの音源も作成するなど、数多くを手がける名曲編者。 中央がRisA(写真提供:Mrs.DOUBLE DUTCH) 同じチームを継続し続けていくメリットも多いが、その反面、期待値がインフレし高いハードルにもなりうる。そんな彼女たちのパフォーマンス作りは、どのように進められていったのか。 MISA「『みんなが見たいミセス』『メンバーがやりたいミセス』というのはそれぞれ違うと思ったんです。だから今回、私が『こうしたい』とは極力言わないようにしていました」 SUMIRE「逆にMISAさんが委ねてくれたからこそ、話し合いは積極的にありました。新メンバーが入ってできることが増えたのもあって、『こういうネタもできる』『これよりこっちの方が良さそう』という感じで」 MAYU「“ミセスをどんなカラーにするか”ということを踏まえ、1つ1つ細かいことでもみんなで話し合ったからこそ、みんながやりたいものにまとまっていったんです」 KYOKA「『これは違うんじゃない?』と言うときも、それを言うからにはしっかり代案がありますし、試す価値があるから試す。逆に『ここは⚫️⚫️が跳んだ方が良さそうだね』ということも話しました」 HARUNA「各々が自分の出来ることをしっかり自覚しているんだけど、その上でミセスって“他薦”が多いんです。チームメイトのこともよく理解していて、その人の技やスタイルに合いそうなことを判断できる。だから『自分たちがやりたいミセス』と『みんなが見たいミセス』を両立させることができたと思うんですよね。自分たちでワイワイ盛り上がっているように見えるかも知れませんが、客観視もしています。パフォーマンスの多くは最後にスピード(駆け足飛び)やアクロバットなど、ダイナミックな大技で締めくくるケースが多いのですが、そのやり方だと他には勝てないなと思ったんです。勝つための他にない部分、そこがいわゆる『ミセスらしさ』ということなのかなと。ミセスならではの要素、ミセスならではのパフォーマンス構成に同意してくれることで、それが自信に繋がっていきました」 それぞれが意見を出し合い、自分の理想と他者像を重ね合わせながら進めるのが“ミセス式”のパフォーマンス作りだ。どうしてもその手法だとなかなか意見がまとまらなかったり、メンバー同士で衝突することも考えられるが、彼女たちにそういったことはなかったようだ。 左から HARUNA・REINA・KYOKA MAYU「意見がまとまらない状態で置いておくことはほぼありません。『そこいいね』『そこ微妙だね』を繰り返します。だから喧嘩もないです。当然時間はかかってしまいますけどね。あと良いものが出来たら自分たちでも盛り上がってしまいますし、自分やお互いをめっちゃ褒めます(笑)」 MISA「険悪な空気になることもありません。もちろん議論が白熱したり、出来ないことによって落ち込んだりはしますが、それはどのチームにもあるレベルのことで、取り立てて激しいようなものではありません。メンバーを見ていると、みんな作品を作ることに対する意識が高いんです」 KYOKA「ミセスは最年長と最年少のメンバーで9つも離れていて、見てきたダブルダッチや影響を受けてきたものなども全然違います。だからこそ色々な意見が出るし、それらを互いにリスペクトできるんです」 MISA「色々と意見が飛び交うので、“お蔵入り”になった技や音はたくさんあります。ボツのものだけでショーケースが1本できるくらいには(笑)。当然自分たちが頭を絞って作ったものなので、それらを捨てることに未練が無いと言えば嘘になります。けれど客観視していくなかで、勇気を持ってボツにすることも必要。『これはKYOKAっぽくないよね』とか『これはミセスらしさじゃないと思う』とか。皆さんが見たいと感じてくれたミセスになっているのだとしたら、そこが理由だと思いますね」 MAYU「例えば手の開き方1つとっても、指の開き方の間隔から角度まで細かい一つ一つを擦り合わせていきます」 筆者がミセスのパフォーマンスに“女性らしさ”を感じるのは、まさにこうした部分が所以だろう。女性のきめ細やかな感性と丁寧さが、今回の勝利を手繰り寄せていることを感じる。そうして迎えた、国内予選の当日。 KYOKA「結果、パフォーマンスはミスが1つ。今回の大会は審査基準的に、ノーミスとミス1つで6点差がついてしまう仕組みなんです。この1つのミスが順位を大きく左右しかねないと思っていたので、終わった直後に『確実に世界大会へ上がれる』という自信はありませんでした。本来だったら、ノーミスでパフォーマンスを終えて衣装で会場を練り歩いて、『ミセスすげえ』ってチヤホヤされて、これから出番の学生たちに「頑張ってね」なんて声をかけて… とかってこと細かくイメージして臨むんですが(笑)」 国内予選のパフォーマンス中(写真提供:Mrs.DOUBLE DUTCH) そうして迎えた結果発表――。5位、4位とチーム名が呼ばれていくが、ミセスの名前はまだ呼ばれていない。 HARUNA「会場を沸かせていた他のチーム、ノーミスを出していたチームも色々と見ていて、もうダメかも…と。最初はチームメイトの手を握りながら結果を聞いていたのですが、みんなすーっとその手を離してしまって」 一瞬の静寂を経て、MCが次の結果を読み上げる。「3位は……… Mrs.DOUBLE DUTCHーー!!」 KYOKA「結果が出たとき、何より『ミセス』をまだ続けられることが嬉しかったんです。またミセスで練習できる。またこの人らと会える。またこの人らと一緒に帰れる。『コロラド(世界大会の開催地)に行ったらさ』ってことをたくさん話してたから、それもできるなって」 拓かれた世界への道 そうして手にした世界への切符。舞台をアメリカ・コロラド州へと移し、次なる戦いが始まる。世界大会ではパフォーマンスに加え「フリースタイルバトル」という種目がある。DJが掛ける音楽に合わせムーブを披露し、チーム同士が1vs1で優劣を競うというものだ。 MISA「国内予選が3月、世界大会が7月なんですが、まず国内予選のパフォーマンスをリメイクするかどうかという話になりました」 REINA「予選と本戦ではパフォーマンスを少し作り替えるチームが多く、当然私たちもまず作り替えるかどうか、というところから話がスタートしました。ですが結果としてはそのまま持っていきました」 MAYU「私たちは1つ1つの技や音に対してかなりの時間を費やし議論をしています。ボツになったものは私たちの中の“予選”を通過しなかったからそうなった。また同時に、あのパフォーマンスが国内予選を通過したのにも理由がある。だから変えずにいこうと」 HARUKA「RisAに音源の編集を頼むときも、パフォーマンスの内容を変えると歌詞を途中でぶった斬ることになって、気持ちが乗っかっていかないんですよね。歌詞で振り付けを決めている部分もありましたから。でも『こうできる?』と訊いたらすぐ対応してくれて、しかも逆に提案までしてくれて、丁寧で。こうした支えなくしてミセスは無いなと感じますね」 HARUNA「そうなんです。本当にいろんな人に支えられているんです。世界大会の渡航にはかなりの資金が必要になるので、イベントを開いたりクラウドファンディングなどをやったんです。でもそういったツールを設けたことで、皆さんから応援の声がたくさん届くようになったんです」 SUMIRE「練習終わりに、皆さんからクラファンに寄せていただいたメッセージを全員で読んだのですが、もうみんなボロ泣きで(笑)」 HARUNA「ダブルダッチの仲間に限らず、それぞれ自分たちの人生で出会ってきたたくさんの人が支えてくれていることを実感して『世界大会がミセスとしての最終地点ではいけない』とも思いました。この感謝を体現するため、大会の後まで活動し続けなければならない。だからこそ、世界大会では優勝しなければならないと」 周りの応援を力に決意を新たにしたという彼女たち。いよいよ渡米し、大会直前を迎える。 MAYU「問題はフリースタイルバトルです。私たちは他のチームのやり方を真似していては勝てない。決勝まで進むと5ムーブ披露することになるのですが、どのタイミングでどのムーブをぶつけるかによって勝敗が大きく左右される」 HARUKA「実はコロラドに渡ってから、大会前日の練習で結構議論したんです。初めてくらいですかね?あれだけ熱くなったのは。バトルムーブをどう組み替えるか、どう構成するべきかということは国内の練習で決めていたんです。でもやっぱり不安になってしまって…。普通だと大会前日は身体を休ませたり、練習しても控えめに進めることが多いんですが、前日とは思えないくらい練習もかなりやったんです。議論もたくさんして」 応援は間違いなく彼女たちの力になっていた。しかし一方で「勝たなければならない」という思いが、じりじりと焦りを引き起こしていく。 国内予選の比にならないほどのプレッシャーだったと振り返る彼女たちだったが、議論の末になんとか方針もまとまり、練習を終えて会場に足を踏み入れたときのことだった−−。 MISA「世界大会は何日にもわたって開催されていて、私たちの大会の前日にも競技の種目の大会があったんです。それで、他国の選手の表彰を見ていたときです。ぼんやりと、私たちもあの表彰台の一番上で表彰されて、君が代が流れて… なんてことを考えていたら、思わず涙が溢れてしまったんです。これまでの日々が実を結んだイメージが、勝手に湧いてくるようにして出てきて。でも一番驚いたのは… ふと横を見たらメンバー全員が同じように泣いていたんです(笑)」 HARUNA「私たちもMISAさんと同じように、優勝した自分たちのイメージを関係のない選手の表彰に重ねて号泣してしまっていたんです」 HARUKA「この一件を私たちは『ブルートゥース』と呼んでいます(笑)。でもかなりの衝撃だったと共に、大きな自信にもなりました。それぞれが目指していた先にあるものって、ここまで同じものだったんだなだと」 迎えた本番当日。メンバーのKYOKAが一時期アメリカを拠点にダブルダッチ活動を行っていたことなどもあり、ミセスに対する会場の注目度は最高潮に。 そうして彼女たちは遂に、夢にまで見た世界大会のステージに立つ。 KYOKA「ステージに出てきただけで本当に盛り上がってくれていたんです。出てきて大盛り上がりした時『あっ、イメージ通りだ』なんて思ったりして(笑)。でも照明が付いて音源が掛かると、余計なことは一切考えないようになって、パフォーマンスに没頭していたというか… いわゆるこれが『ゾーン』ってやつなんですかね。疲れすらも感じなくて、結果的にノーミスで終えることができたのですが、終わってはける時までそれにすら気付かなかったんです」 MAYU「変な例えかも知れませんが、“ショーの中に閉じ込められた”ような感じでした。終わってからしばらくして誰かが『ノーミスじゃない?』って言って初めて気付いたくらいです」 世界大会のパフォーマンス中(写真提供:Mrs.DOUBLE DUTCH) その結果、パフォーマンスでは見事1位に。しかし彼女たちの戦いはこれで終わらない。世界一を決める最後の種目であり、“鬼門”であるフリースタイルバトルが始まる。 MISA「どのチームと当たっても一筋縄ではいかないでしょうから、とにかくひるまないようにしようと話していました。でもいざ戦っているときは、それよりも『楽しい』という気持ちが勝っていました。パフォーマンスで勝ち上がったとき、その結果以上に『まだミセスとしてできる!』という方が嬉しくて。だから決勝まで進んでムーブがどんどん終わっていくと、不思議なことに寂しさも感じました。私たちが必死になって考え続けたものが徐々に世に放たれていって、何とも言えない気持ちになって…『この瞬間をしっかり覚えていたい』『目に焼き付けていたい』と強く感じたんです」 KYOKA「私も勝ちたい思いは強かったのですが、それ以上に楽しくて、なんなら勝ちにいこうとし過ぎると勝てないでしょうから、楽しんで『ミセスらしく』やりたいと思っていました。私たちが私たちらしく、ミセスがミセスらしくあることを、会場中の人たち、中継を見てくれていた人たち、そして応援してくれた全ての人たちに見ていてほしくて」 国内予選のフリースタイルバトル中(写真提供:Mrs.DOUBLE DUTCH) 最後のムーブを終え、いよいよ結果発表。審査員が両チームの手を握り、勝利したチームの選手の腕を挙げることになっている。カウントダウンが始まる。一瞬の静寂。空気が張り詰める。ほどなくして、審査員が片腕を高らかに掲げる。その腕は… MISAを掴んでいた。女性のみのチームとして世界を征するのは、10年の歴史の中で初のことだった。 優勝直後のようす(写真提供:Mrs.DOUBLE DUTCH) KYOKA「もちろん嬉しかった。喜びました。ここまでの道のりで心細くなったことはあっても、前日に同じ涙を流してからは、世界一になることを信じて疑わなかった。神様がこっちを向いてくれたように感じました。 大会が終わって会場を後にしようとしたとき、虹が掛かっていたんです。『あ、天気まで私たちの味方してくれてるじゃん』なんて話しながら(笑)」 MISA「体調を崩してしまうことも多いメンバーが、異国の地でも最終的に誰も体調を崩すことなく、万全の状態で迎えられたんです。たくさんイメージを重ねてここまでやってきましたが、現実は“ブルートゥース”を上回る光景が待っていました」 「ここでは幸せであること」 偉業を成し遂げはや1ヶ月。最後に、世界一になった彼女たちの“これから”について訊いた。 MISA「結成当初、8年もチームを続けていることなど想像してもいませんでしたし、こんな幸せな未来も考えられていませんでした。だから正直この先も明確な目標などがあるわけではありません。けれど1つ、ずっと変わらないビジョンがあります。それは『ここでは幸せであること』。私たちはパートナーや家族、友人や職場の方々のご理解など、置かれている環境のおかげでダブルダッチに向き合うことができています。それをすっ飛ばして考えることは違うなと感じていて。その上で続けることは難しいんです。ぼーっとただ続けることは簡単かも知れないけれど。私はミセスのメンバーが幸せであり続けてほしい。今回大会に出ていないメンバーも、ダブルダッチから離れてしまったメンバーも。そしてそういう場である『Mrs.DOUBLE DUTCH』がこれからも続いてほしい。そしてチーム結成当時、出たくても出られなかった子たちに道を作りたい、少しでも希望になれたらという思いがあったけど、こうした私たちの努力が、後ろに道を作れていたら嬉しいと思っています。先のことは分からないけど、いつかまた新たなメンバーが加わったりして、私たちが『初代』なんて言われちゃったりして(笑)」 MAYU「そうだね。いつか『もうミセス10代目? 挨拶きてないんだけど』とかって言っていたりしてね(笑)」 初のガールズチームでの世界一を成し遂げた彼女たち。しかしそのタイトル以上に、8年という長い歳月を重ねてきた中で、彼女たちが創ってきたものの大きさは測り知れない。 そのバイタリティと原動力の源にあったのは、仲間への愛情とダブルダッチへの思い。そして、弾むような彼女たちの楽しげな会話だった。 “突飛な妄想”から夢を描き叶え続けてきたミセス。次に何を目指し、どこへ向かっていくのだろうか。ダブルダッチに夢を見る全ての女子たちの思いを乗せて、旅は続いていく。