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GOLD STYLE
カテゴリ:イベント
開催日時:2020年11月22日 09時00分〜19時00分
開催場所:東静岡アート&スポーツ/ヒロバ
実施内容:11月22日(日)、静岡県静岡市・東静岡アート&スポーツ/ヒロバにおいて、今年で10周年となる世界トップレベルのインラインスケーターによる国内最高峰バトル、「GOLD STYLE」が開催される。
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【限定5名】<ストリート・アクションスポーツフォトワークショップ>NEXT GENERATIONS × FINEPLAY共催
カテゴリ:おすすめ, ワークショップ
開催日時:2020年11月22日 12時00分〜18時00分
開催場所:
実施内容:2020年11月22日(日)・23日(月・祝)渋谷にてNext Generations × FINEPLAYによる<ストリート・アクションスポーツフォトワークショップ>を開催致します。
SPECIAL EDITION

FINEPLAYはアクションスポーツ・ストリートカルチャーに特化した総合ニュースメディアです。2013年9月より運営を開始し、世界中のサーフィン、ダンス、ウェイクボード、スケートボード、スノーボード、クライミング、パルクール、フリースタイルなどストリート・アクションスポーツを中心としたアスリート・プロダクト・イベント・カルチャー情報を提供しています。
アクションスポーツ・ストリートカルチャーの映像コンテンツやニュースを通して、ストリート・アクションスポーツの魅力を沢山の人へ伝えていきます。
●今日 ○イベント開催日
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climb世界のトップを経験したプロフリークライマー野口啓代が語る、次世代のクライミングシーンにかける思い。『AKIYO’s DREAM with RYUGASAKI』開催前特別インタビュー2025.02.17オリンピックやワールドカップでの日本人選手勢の大活躍から日本が世界に誇るスポーツのひとつとしても知られ、現在国内で人気が急上昇している「スポーツクライミング」。クライミングシーンの拡大と共に世界最高峰の舞台で活躍する日本人トップクライマーが増えている傍ら、セカンドキャリアという次のステップで次世代のためにクライマーの新たな可能性を体現しながら、先陣を切って国内のクライミングシーン拡大に貢献し続けるプロフリークライマーがいる。 それが長年世界トップの日本人選手として前人未到の快挙の数々を成し遂げ、2021年に開催された東京オリンピックでは銅メダルを獲得し競技を引退したプロフリークライマーの野口啓代(のぐち・あきよ)さんだ。今回は現役時代の活躍に止まらずセカンドキャリアにおいてもパイオニアとして活躍されている野口さんにインタビューを敢行。本人が地元龍ケ崎市で開催するボルダーユース大会『AKIYO’s DREAM with RYUGASAKI』を来月に控えた今、現在の活動をはじめ、自身の長い競技経験を振り返ってユースクライマーたちに伝えたいことや今後の展望まで、未来を担う次世代の若手選手たちに是非聞いてもらいたい話を様々な角度から伺った。 10年以上トップ選手としてコンペティションシーンを牽引してきた野口啓代。競技引退後の現在地について。 スペイン・シウラナでの様子 ― 長年トップ選手として活動してきた競技を引退してから、現在はどのような活動をしていますか? 私は東京オリンピックのあった2021年の夏に競技を引退して、その後楢﨑智亜選手と結婚し、2年後の2023年に娘を出産しました。現在は一児の母や主人をサポートする妻として、一方で自分の大好きなクライミングを普及するために大会やイベントそして体験会を開催しています。ただ競技を引退してもクライミング自体を続けることには今も変わりがないので、クライマーとして外の岩場を登るような活動や日常的に実家にあるプライベートウォールでトレーニングをしています。 パートナーの楢﨑智亜選手との写真 ― パートナーの楢﨑選手のサポートやクライミングの普及以外で、クライマーとしては主にフリークライミングをしている形でしょうか? そうですね。現役中は競技に集中していたので、自分の行きたい自然の岩場に行って高難度ルートを登るような自由な時間はそこまでありませんでした。でも今は主人のパリオリンピックのサポートもひと段落ついて、子どもが保育園に通い始めたので、自分のクライミングの時間も取れるようになってきました。そして昨年の12月には10年ぶりにスペインにあるシウラナというエリアに岩登りに行ったのですが、やっぱりもっともっと自分の限界に挑戦するような、現役時代には登れなかったグレードの高い岩場を登る活動もしたいなと改めて感じました。 スペイン・シウラナでの登攀 ― 競技を終えても自分の限界に挑戦することには変わりないということですね。 はい。クライミングの本質は競技の順位や岩場のグレードだけではないので、何歳になっても自分自身クライミングを通じて成長していきたいと思っていますし、本当に努力をすればした分だけ自分の限界が突破できるのを感じたので、今まで以上の活躍が岩場でもできると嬉しいです。 ― 楢﨑選手との結婚と娘さんの出産を経てライフステージが変わったと思います。どのような変化がありましたか? これまでは本当に自分中心で、全ての時間を自分のクライミングのために費やして生きてきましたし、私の目標に向かって協力してくれる家族やスポンサー、トレーナー、コーチなど周りの方々も私のために時間を使ってくれました。でも今は自分よりも主人の競技や育児が中心の生活に変わったので、クライミングも含めて自分の時間に対して優先順位が本当に大きく変わりましたね。その中で主人を支える妻の立場、子どもを育てる母親の立場、クライミングを普及する立場、そして自分のクライミングもやりたいというプロフリークライマーとしてのアスリートの部分のバランスを取ることは、決して簡単なことではないのですが、私自身にとってこのバランスを取ることがすごく大切だな感じています。 ― また引退後はメディア出演などさらに活動の幅が広がったと思いますが、その中で新たに感じたことはありますか? メディアのお仕事をさせていただく中でも、現役時代の捉え方と競技を引退した今では本当に感じ方とか見え方が変わってきました。特に強く感じているのはメディア出演を含めてクライミング以外の色々なお仕事を通じて出会った人とのご縁であったり、これまでも現役中からお世話になった方と一緒に取り組んできたことが今の活動にすごく繋がっていると感じているので、人とのご縁にとても感謝しています。 ジブラルタ生命の社内イベントでの講演 ― ちなみにクライミングシーン内外で色々な仕事をしている野口さんですが、一息つけるオフの最近の楽しみはありますか? 私と主人も含めて、最近の一番の楽しみは子どもと一緒に旅行に行くことです。私たちは仕事柄、週末の土日に大会やイベントがあることが多いので、なかなか平日も休日も子どもと一緒にいることが難しいんです。そのため旅行もそこまで頻繁には行けないのですが、年間を通じて夏と冬の2回くらいは「家族旅行に行きたいね」と主人とも話しています。今年の冬はまだ旅行に行けていませんが、子どもに雪を見せてあげたいと思っているので、主人が3週間後に控えている大会が終わったら旅行に行きたいと思っています。でも子どもがまだ1歳8か月なので、遠出ではなく車で行けるスキー場などに1泊2日で行けたらいいなと考えています。 競技生活を振り返って伝えたいのは、時代に合わせて自分がクライミングで勝ちたい理由と向き合うことの大切さ Rocky 品川店で行われた「Own Style」エキシビジョンでの様子 ― トップ選手として長年強さを示し続けられたその秘訣は何だと思いますか? ありがたいことに競技を引退してからも、現役選手からメンタル面について相談や質問を受けることは結構多いのですが、最近もモチベーションの維持の仕方について聞かれて私も改めて考える機会がありました。モチベーションってすごく流動的なものなので、なかなかモチベーションだけでは5〜6年は競技を続けられても、10年〜20年と長年続けるのは厳しいと思っています。私は11歳の頃にクライミングを始めて、16歳から世界大会に出場するようになり、最後に東京オリンピックに出たのが32歳の時でした。なので競技生活は約20年とすごく長かったのですが、自分の年齢やその時の目標、時代の変化に合わせてその都度自分がクライミングをする目的や勝ちたい理由に常に向き合ってきました。そのおかげでどうして頑張りたいのか、どうして勝ちたいのかが自分の中ですごく明確に分かっていたと思います。そのおかげでワールドカップで優勝したり年間チャンピオンになった時も、そこで満足せずに次のさらに高い目標設定ができましたし、あとおそらく自分の性格的な部分も大きいのですが、大会だけではなく日頃の練習から負けず嫌いだったので、成績が出ても気を緩めるのではなく、さらに自分にプレッシャーをかけてずっと貪欲にいられたと振り返ってみて感じます。 ワールドカップ年間総合優勝時の表彰式 ― 負けず嫌いという性格もあるとのことですが、自分に満足せず高い目標を立てて結果を残し続けられたのはどのような思いが背景にあったのでしょうか? 私自身、目標に向かってトレーニングしている時間が好きだったこともあります。でもアスリートであれば皆さん同じだと思いますが、勝っている時の自分や頑張っている時の自分が私は一番好きだったので、その一番好きな自分でいられる努力をすることはずっと意識していました。あと個人的に泥臭く日々努力していながらも謙虚でいる選手がすごく好きだったので、そのような自分が理想とする選手像でいたいという思いもずっとありました。 ― そうだったのですね。そのような熱い思いを持って日々挑戦していた中で、結果が出ない葛藤もあったかと思いますが、どのように乗り越えましたか? もちろん勝てなかった試合は全て苦しかったのですが、どうして勝てなかったのか分からなかった時が1番苦しかったです。自分のスキル不足や努力が足りない負け方であればまだ受け入れられたのですが、やれるだけのことを全てやり切ったのに勝てなかった時にはなかなか受け入れることができず、自分の中で葛藤もありました。また私はコーチがいないような時代から独学で工夫しながら競技をしてきたのですが、それだけだと苦手な部分や改善方法が分からない部分など、自分の力だけでは埋められない部分がありました。そんな中で若手の追い上げやルール変更など時代の変化を経験して、自分1人で解決できない時にはコーチをお願いしたり、クライミング以外の身体作りのトレーニングを始めたりなど、そういった時期だからこそ自分の考え方や価値観を変えないといけないと強く思うようになりましたね。 現役時代のクライミングの様子 ― 長く競技をしてきて、シーンの色々な移り変わりも経験されているからこそ、その時の自分に必要なことを冷静に捉えて取り入れてきたんですね。 そうですね。柔軟に時代に合わせて自分も変化し続けることが1番大切だったり、逆に1番受け入れたくない部分でもあると思うのですが、私の場合は自分が大きく変わらないと厳しいと感じた時期があったので、そこに対応できて本当に良かったと思います。私自身15〜16年近くずっとワールドカップや世界選手権に出場してきた中で、時代によって正解が変わってしまうようなことを経験してきました。自分の成功体験や当時1番良いとされていた正解が次の時代へ変化した時には真逆になっていたり、既に古い考えになってしまっていたこともあったんです。そのような時代の変化の中で、いかに新しい時代や若手の成長に対して自分自身がさらに1歩先を見越して、10代の若い選手が3歩進むところを、自分が30代になっても4歩進めるような努力や工夫をしたり、そういったマインドセットを持っていないと勝ち続けることは厳しいとずっと心に留めて頑張っていました。 自身初開催のボルダーユース大会『AKIYO’s DREAM with RYUGASAKI』にかける思い 2022年に龍ケ崎市と開催した「AKIYO’s DREAM」の様子 ― 野口さんが今大会の主催に至った経緯について聞かせてください。 私が現役の時から応援していただいている私の地元の茨城県龍ケ崎市と一緒に今年度から「スポーツクライミングのまち龍ケ崎」という取り組みが始まったのですが、その第1回のキックオフイベントとして開催するのが今回のユース大会『AKIYO’s DREAM with RYUGASAKI』になります。今後は何年もかけて毎年大会を開催していきたいと思っていて、来年にはジャパンカップという日本で一番大きな大会を、そして再来年には世界大会の開催を目指しています。その中でまずは自分の大好きなクライミングを広めていくためにも、後進の選手を育成したいという思いと、自分の好きな地元龍ケ崎市にたくさんの人を呼び込みたいという思いの2つが重なった結果が今回の大会開催に結びついた形です。 ― 世界のトップを経験してきた野口さんがプロデュースする大会だからこそ、こだわっているポイントはありますか? はい。世間的にユースの大会は会場演出や大会規模も含めて、大人の大会よりもレベルが低いものと思われがちなので、これまでのユース大会のイメージを変えられるような世界大会クラスのものにしたいと思って現在準備を進めています。これまでの日本のユース大会はクライミングジムにある常設の壁で行われるなど公共の施設で既に壁がある場所で開催されることがほとんどだったのですが、今回は龍ケ崎市にあるニューライフアリーナという会場に仮設で一から壁を建てて大会を開催します。このような形でユースの大会を開催するのは前例がないことですし、この大会から世界に羽ばたくような子が誕生してほしいという願いも込めて、今大会の壁は昨年行われたワールドカップの壁をモチーフに製作し、ワールドカップと同じ環境を再現して開催します。あとは地元の龍ケ崎市や茨城県内の子どもたちがこの大会を見たり出場したことがきっかけで、自分の人生が変わるような出会いになってくれたら嬉しいです。そして今大会は日本山岳・スポーツクライミング協会の公認大会ではありますが、ユースの世界大会の選考には関わらないので私が思い描いたような自由度の高い大会になっていると思いますし、いずれはユースクライマーの中でも有名で人気のある格式高い大会になって、子どもたちがこの大会を目指して1年間頑張ってくれるような彼らの目標となる大会になったら嬉しいなと思っています。 2022年に龍ケ崎市と開催した「AKIYO’s DREAM」の様子 ― それでは来年以降もこのユース大会を続けていくのでしょうか? この大会の第2回目を開催することはもちろん前向きに考えていますし、ユースの大会を経て大人向けの大会に変えていくのもありだと思っています。また大会開催と並行して、私と龍ケ崎市の大きな目標の一つに大型クライミング施設を市内に建設するということがあります。今はまだ市内にクライミングジムがないので今大会もアリーナ内に仮設で壁を建てるのですが、いずれは世界中から選手を呼んだり、どのような大会でも開催できるようなクライミング施設を龍ケ崎市内に作れたら良いなと思っています。 ― どのような方にこの大会に参加してもらいたいですか? この大会には自分でクライミングの道具を持っていれば誰でも参加できるので、世界大会に出るようなレベルの高いユース選手はもちろんですが、クライミングを始めたばかりでこの大会がデビュー戦という子も既に申し込んでくれているので、クライミングが大好きなユースクライマーはどなたでも気軽に参加してもらいたいです。 クライミングシーンを大きくしていきながら体現するのはクライマーの新たな可能性 メディアに出演することも ― これからのクライミングシーンを背負う次世代のために行っていきたいことはありますか? 私が現役を引退してからやらせていただいているセカンドキャリアの部分って、これまでクライミング選手のセカンドキャリアとしてはあまり馴染みがなかったり、イメージできなかったお仕事もあるので、私が色々な活動をすることで今後現役選手がセカンドキャリアを考える時に選択肢が増えてくれたら嬉しいです。そのためにこれからも私自身がクライマーの新たな可能性を体現していきたいと思っています。 ― ご自身の活動としては具体的にどのようなことをしていきたいと考えていますか? 今回の規模のユース大会を開催することは私自身初めての試みなので、まずはこの大会を成功させて次回へ良い形で繋いでいきたいです。そしてこのような大会の開催はもちろんですが、後進の育成や施設の建設など私がこれからやりたいことは、これまで選手としてやってきたこととは違って私1人では達成できないことがほとんどなので、市や県の方、県内の企業さん、クライミング関係者などたくさんの方に協力していただきながら、もっとたくさんの人々を巻き込んで成功できたらいいなと思っています。 ― そういった活動の中で、今後の「AKIYO’s DREAM」の展望についても聞かせてください。 大会開催だけに関わらず、今後やっていきたいことはクライミングシーンをもっと大きくしていくことなので、そこは自分が中心になって進めていきたいですし、その活動を自分の大好きな地元で行うことは私が特にこだわっている部分なので、ここ龍ケ崎をクライミングの聖地にすることが今後「AKIYO’s DREAM」を通じて力を入れてやっていきたいことです。 ― また今大会の開催も含めて、特にユース世代に向けて行っていきたい活動もありますか? 長く現役選手をやってきた私だからこそ伝えられる部分や失敗体験もあると思っているので、もっとクライミングで頑張りたいっていうユース選手だったり、そういった子どもたちの育成も今までの自分の経験を活かしながらやっていけたらと思っています。 ドラゴンボルダリングジムでのクリニックの様子 「野口啓代のようなアスリートやクライマーになりたい」と思ってもらえるような人間像を目指して ロッククライミングの様子 ― 最終的に人生を通して成し遂げたいことについて聞かせてください。 最終的に自分の人生やこれまでの活動を振り返った時に、自分がやってきたこととその選択に納得できて自分を誇れるような活動をこれからも続けていきたいと思っています。また現役時代の側面だけではなくセカンドキャリアとしても、多くのクライマーやクライミング以外のアスリートの方から「野口啓代のようなアスリートやクライマーになりたい」と言ってもらえる存在になりたいです。 ― そんな野口さんが「野口啓代」として目指している人間像はどのような姿でしょうか? そうですね。。なかなか答えるのが難しい質問ではありますが、人に尊敬してもらえるような人間でありたいですし、1人の母としても子どもに自分の母親が私でよかったって思ってもらえるようになりたいと思っています。そしてもちろん主人にとっても、私と結婚して、また私にサポートしてもらえてよかったと思ってもらえるような人間になれたらそれが本当に一番嬉しいです。 ― 改めて今回のユース大会『AKIYO’s DREAM with RYUGASAKI』についての思いを聞かせてもらえますか? 私自身が「この大会から世界へ!」って大きく謳っている部分もありますが、それはハードルが高い大会というような捉え方ではなくて、本当に誰にでもチャンスがあるという意味です。まだまだクライミング歴が長くなくても、大会に出たことがなくても、本当にクライミングが好きで大会に興味がある方全員に出てほしいと思っています。また今大会は現時点で茨城県をはじめ日本全国からだけでなく、中国やアメリカからも既にエントリーがある状況です。そして今回は第1回目ですが、大会が終わった時に「また是非来年もやってほしい!」とか「これからも継続して出場したい!」って日本人だけじゃなく世界中のユースクライマーに思ってもらえるような大会にしたいです。そして今大会は3月15日と16日で開催されますが両日とも誰でも無料で観戦できるので、まだクライミングを見たことがない方でも、クライミングをやったことがない方でも、是非会場に足を運んでもらって一緒に楽しんでもらえたら嬉しいです。 ― 最後に今大会に出場する選手を含めたユースクライマーに伝えたいことがあればお願いいたします。 誰にでもユース時代は初めての大会だったり成績が出ない時期が絶対あると思いますが、その目標や夢に向かって一歩踏み出して頑張っている姿を、自分の家族や身近な人たちは見てくれていてその努力を全部分かってくれていると思います。その中で長年頑張り続けていくうちにどんどん応援してくれる人が多くなって、またその人たちが自分の頑張りや活躍をすごく喜んでくれるようになるので、諦めずに挑戦し続けて欲しいです。 2023年に龍ケ崎市で開催されたAKIYO's SPORTS FES これはクライミングだけに関わらず、どのスポーツでも一緒で自分が頑張ったら頑張った分、本当に自分の世界と可能性が広がると思うので、たくさんのことに挑戦してほしいと思っていますし、そんな自分の可能性をこの「AKIYO’s DREAM」で感じてくれる子が1人でも多くいてくれたら良いなと心から願っています。 野口啓代プロフィール 小学5年生の時に家族旅行先のグアムでフリークライミングに出会う。クライミングを初めて1年で全日本ユースを制覇。その後数々の国内外の大会で実績を重ね、2008年ボルダリング ワールドカップで日本人初の優勝。通算4度(2009年、2010年、2014年、2015年)の年間総合優勝という快挙を果たし、ワールドカップ優勝も通算21勝を数える。自身の集大成、そして競技人生の最後の舞台となった東京2020オリンピックでは銅メダルを獲得。その後、現役を引退しプロフリークライマーとなる。現在は、自身の経験をもとにクライミングの普及に尽力。 『AKIYO’s DREAM with RYUGASAKI』について ■大会名『AKIYOs DREAM with RYUGASAKI』■開催趣旨:日本代表を目指す未来のボルダーが世界のトッププレーヤーが監修するユース大会を体験することで新たな発見や感動による更なる競技に対する技術やモチベーションの向上を目指します。また、スポーツクライミングのまち龍ケ崎を広く発信するとともに、スポーツクライミングの普及促進や地域活性化を図ります。■日時・対象・参加定員:・2025年3月15日(土)8:30~ 対象:小学3年生~6年生(2025年3月1日時点)定員:250人・2025年3月16日(日)9:30~ 対象:中学1年生~3年生(2025年3月1日時点)定員:100人※開場時間、受付時間は別途公式Instagramなどでご案内します。■会場:ニューライフアリーナ龍ケ崎 メインアリーナ(所在地:龍ケ崎市中里3-2-1)※駐車場は臨時駐車場(龍ケ崎公園テニスコート)をご利用ください。近隣の陸上競技場、野球場でもイベント開催予定なので他の施設駐車場への駐車はお止めください。■共催:龍ケ崎市/AKIYOs COMPANY■公認:(予定)公益社団法人日本山岳・スポーツクライミング協会(JMSCA)■主管:デロイトトーマツコンサルティング合同会社/株式会社スポーツビズ■協賛:牛乳石鹸共進社株式会社/株式会社ゴールドウイン■協力:茨城県山岳連盟■後援:龍ケ崎市教育委員会■種目:Bouldering■競技方法・競技順:詳しくは最下部の申し込みページをご確認ください。■大会ゲスト:楢﨑智亜選手、楢﨑明智選手、森秋彩選手 ■観戦:観戦あり・観戦費無料 応募要項 ■エントリー期間:2024年12月25日10:00~2025年2月28日23:59 (エントリーページは記事最下部に)※定員になり次第エントリーは終了します。■エントリー費11,000円(税込/エントリー時 事前支払い)※スポーツ保険料含む参加賞:THE NORTH FACE製品を予定
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danceShigekixが4度目の優勝で王座奪還!AYANEは5年ぶりの日本一に輝く「第6回 全日本ブレイキン選手権」2025.02.16オリンピック経験者と新世代が日本一の称号をかけて激突 2月15日(土)・16日(日)の2日間、東京のNHKホールにて「第6回全日本ブレイキン選手権 (主催:公益社団法人日本ダンススポーツ連盟)」が開催された。本⼤会は、前年度の全⽇本ブレイキン選⼿権の優勝・準優勝選⼿や、2024 年に日本ダンススポーツ連盟から国際競技大会に派遣された選手、 2024 年度ブロック選手権 各ブロック大会にて TOP8 となった選手らが一堂に会し、2024 年度の頂点を決定する大会である。中学3年生以下の選手を対象としたジュニアカテゴリーが15日の土曜日、高校1年生以上の選手を対象としたオープンカテゴリーが日曜日に行われた。オープン部門にはシードで、昨年のパリオリンピック日本代表であるHIRO10、Shigekixが出場。実績のあるBBOY・BGIRLにRa1onやNanohaなどの新世代が挑む注目の大会となった。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 2026年ダカールで行われる夏季ユースオリンピック世代 ジュニアカテゴリーではLil kongが初優勝、Mireiは2連覇を達成 15日に行われたジュニアカテゴリーは、前年度全日本の優勝準優勝であるBBOY yu_shinとWATO、BGIRL MireiとHaruがシードで参戦。日本のジュニアシーンは世界的に見てもレベルが高く、シードで出場するWATOは若くして海外で活躍するダンサーの一人だ。その中、強豪を撃破し昨年は3位だったLil kongが見事リベンジを果たし優勝を掴み取った。BGIRL部門はMireiが連覇を達成し、2位がKoharu、3位がHaruとTOP3が昨年と同じ顔ぶれとなった。Mireiは「連覇の実感がまだないですが、とても嬉しいです。来年のユースオリンピックに日本代表として出場したいです。」と、2026年にダカールで開催される夏季ユースオリンピックへ向けての意気込みを話した。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 昨年のリベンジを果たしたShigekixが王座奪還、BGIRLはAYANEが優勝 BBOYは、パリオリンピック日本代表のHIRO10がTOP8で16歳のRA1ONに敗れるなど、本当にレベルの高い戦いが繰り広げられた。ただ、その中でも昨年の王者のISSINと、昨年は2位に終わったが3連覇の経験を持つShigekixの存在感は別格だった。セミファイナルをそれぞれ大差で勝利し決勝進出。この二人の決勝カードは昨年と全く一緒で、前回は当時絶対王者と言われていたShigekixをISSINが破り新王者となった。前回同様に3ラウンド全て接戦となり、最後は2-1でShigekixが勝利し、全日本選手権4度目の優勝を果たした。本日実施されたオープンカテゴリー、BGIRLは初代王者のAMI、昨年まで3連覇を果たしているAYUMIが優勝者が出場しなかったこともあり、新たなメンツで日本の女王を目指す戦いとなった。決勝では、共にRoad to Paris(2024年のパリオリンピックに向けた予選)を戦い、支え合ったAYANEとRIKOが対決。大阪出身のAYANEと沖縄出身のRIKO、それぞれの地域をレペゼンした戦いはAYANEに軍配が上がり、見事優勝を果たした。AYANEは実の弟であるShigekixと揃っての優勝を手にすることとなった。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 オープン女子 優勝 AYANE コメント Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 ― 大会を終えた率直な感想を教えてください二日間通して反省点はありつつ、楽しかったです。決勝では3ラウンドなので体力的にきつかったのですが、良いムーブを出し切ることができました。特にフリーズまで決め切れたのが良かったと思います。最後まで押し切れたことに満足しています。 ― 弟のShigekixと揃っての優勝はどう感じましたか?結果的にそうなったのは嬉しいですし、弟がずっと一位でやっと横に並べたのが特に嬉しかったです。 ― 今大会で感じたことを教えてください この5年間で(第一回大会があった5年前から)本当に多くのことが変わりました。世代も変わったし、たくさんの刺激をもらいました。この経験を通じて、自分と向き合うことの大切さを学ぶことが出来てよかったです。 ― 今後の目標や展望を教えてください 2025年の最初の大会を良い形で終えられたので、これをいいスタートとして走っていきたいと思います。ブレイキンを通じて、挑戦し続ける姿で多くの人に勇気と元気を与えたいです。違いをリスペクトできるこの文化を伝え、世の中に良いパワーを与えられたらと思っています。 オープン男子 優勝 Shigekix コメント Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 ― 大会を終えた率直な感想を教えてください 楽しかったです。パリオリンピック後に焦点を合わせて挑めた大会でした。今回はしっかりと自分でも自信を持ってぶつけられた大会だったと感じています。 ― 昨年と同じ決勝カードだったことについてどう感じましたか? 昨年は負けて本当に悔しかったですし、昨日のことのように覚えています。去年は不完全燃焼だったので、今回は再戦で去年の自分を超えられるのか?という気持ちで挑みました。強い気持ちで臨むことができました。 ― 姉のAYANEと揃っての優勝はどう感じましたか? 感慨深いです。これまで毎回どちらかが悔しい思いをしていたので、今回初めて2人で笑顔で帰れるのが本当に良かったです。 ― 今後の目標や展望を教えてください とにかくブレイキンを盛り上げることです。カルチャーで発展してきたブレイキンですが、オリンピックというスポーツ文脈での追い風もあり、大きな発展を遂げたと思います。ここからが僕たちの腕の見せ所だと思うので、カルチャーで培ってきたものとスポーツで得た知識を活かして、ブレイキンをさらに盛り上げていきたいです。 大会結果 オープンBBOY 優勝:Shigekix2位:ISSIN3位:Tsukki オープンBGIRL 優勝:AYANE2位:RIKO3位:Nanoha ジュニアBBOY 優勝:Lil kong2位:Renren3位:WATO ジュニアBGIRL 優勝:Mirei2位:koharu3位:Haru 大会概要 大会名:JDSF 第 6 回 全日本ブレイキン選手権主催:公益社団法人日本ダンススポーツ連盟(JDSF)主菅:公益社団法人日本ダンススポーツ連盟 ブレイクダンス本部共催:NHKオフィシャルパートナー:株式会社ベイエフエム / 株式会社コーセー / 東急不動産ホールディングス株式会社 / カシオ計算機株式会社 /株式会社みずほフィナンシャルグループ / ビザ・ワールドワイド・ジャパン株式会社オフィシャルウェアパートナー:株式会社 NIKE JAPANパートナー:味の素株式会社 / 西川株式会社オフィシャルサプライヤー:カラダファクトリー / RIMOWAPR パートナー:PR TIMES / FINEPLAYジャッジ:ERi FeNeSiS / KAZUHIRO / KOUSKE / Shie-Chan/ KAZUKI ROCK / RYOMA / YURIE / RYUJI / JACK / Steez / KATSUYA日程:2 月 15 日(土)・2 月 16 日(日)会場:NHK ホール
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doubledutch「笑顔で戦おう」2024年の“主人公” REG☆STYLE・KAIが振り返る、激闘の夏。2024年7月、神奈川県川崎市にて開催された『アジアジャンプロープ選手権』そして『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』。今回、そのジャンプロープの異なるジャンルの2大会のステージに日本代表選手として立った REG☆STYLE・KAI を独占取材。 なぜ苦しみながらもKAIは“両方に出る”ことを選択したのか。破竹の勢いを見せ、“ダブルダッチシーンの主人公だった”と多くの人々に言わしめた彼が、その栄光の裏にあった試練の道のりと、そこで見た景色についてを赤裸々に語ってくれたロングインタビューを、ぜひご覧いただきたい。 ■KAI所属:REG☆STYLE / CAPLIORE / HEARTS / FOR日本から世界のシーンを牽引するプロチーム『REG☆STYLE』のメンバーとして、2017〜2019年には世界3連覇。メディアへも多数出演するほか、近年は神奈川県川崎市のダブルダッチスクール『JUMPS KAWASAKI』において次世代育成も担う。2024年夏、アジアジャンプロープ選手権には『FOR』として、DOUBLE DUTCH CONTESTには『HEARTS』として異なるチームに所属し大会へ出場。どちらもアジア一・世界一のタイトルを獲得し、選手という立場からシーン内外に多大なる影響を与えた。 2024年夏、4度目の世界一の瞬間 (本人提供) 【参考】今回2つのチームを兼任したKAIが、それぞれ挑んだ国内予選・決勝大会までの道のり ※編集部作成 #1 挑戦のはじまり “両立”を決意した瞬間 ジャンプロープ、そしてストリートカルチャーの聖地である神奈川県川崎市で、2024年にジャンプロープの『アジアジャンプロープ選手権』が、2025年には世界選手権が開催されることが決定。日本初開催となる大規模なスポーツ種目のコンペティションに加え、フュージョン種目の世界大会である『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』も同時開催が決定した。それは世界のシーンや行政から、日本が“ジャンプロープ大国”としての認知が形となった瞬間。そこにシーンを牽引する日本初のダブルダッチチームであるREG☆STYLEのKAIも、思いを馳せていた。 ・・・ KAIこのまたとない機会に、いちダブルダッチプレイヤーとして何をすべきか?ということをすごく考えました。「ダブルダッチ」というものを見てもらい、それが市や企業の方々をはじめ“世の中”を繋ぐパイプにもなれるし、学生たちにとっては興味の薄いジャンルにも関心を持ってもらえる機会にもなる。子供たちの夢にもなるかもしれない。裏方や指導側に回ろうかなどと色んな選択を考えましたが、結局今の自分にできることはいち選手として出ることだな、そして2つともいこう、ってなりました。 この日、アジア選手権で着用した『FOR』の日本代表ウェアで姿を現したPhoto by YAMADAI ──そうなんですね。それはどちらもチームメイトを見つける前に。 そうだね。どちらも全員は決まっていなかったかなと。日本だと僕らが元々やっていたフュージョン(音楽と動きを合わせるパフォーマンス)形式と、純粋に回数や技の難易度を競い合う形式のスポーツジャンルのダブルダッチは、その壁をあまりまたがないというか。同じジャンプロープ、同じダブルダッチなのに別物かというくらい、カルチャー的にも壁がある。 『FOR』では、スポーツジャンルのダブルダッチも更に浸透させて“文化”にしたいと考えて、自分と近い年齢層で固まるのではなく、年齢・性別をバラバラにして、色んな世代や層に刺さるチームでありたいという思いがあったんです。だからメンバーへの声の掛け方は特殊かもしれない。 一方の『HEARTS』は、最終的に2022年に『アメリカズ・ゴット・タレント』に出場したメンバーが軸になりましたね。AGTが終わって、このメンバーでまた何か出たいよね、じゃあやっぱり大会じゃないですかーと。あと互いに信頼を置けていたのでやりやすかったですし。 2022年、アメリカズ・ゴット・タレントにて (本人提供)中央のKAIを含む4人が『HEARTS』としてチームを再結成する ただ仕事の関係でAGTメンバー全員は揃わず、最終的に残った4人に誰を加えたらヤバいショーを作れるかなって考えたとき、クボユウトとKO-SEIを加えるという結論に至ったんです。特にKO-SEIは大学4年生(声をかけた当時は3年生)で、彼が次のシーンを引っ張っていく存在になってほしいなという思いもあって。 ──そうなんですね。『FOR』でも似たような話題が挙がってましたけど、KAIさんの根底にその思いはありそうですね。業界のためにとか、次世代をとか。 そうだね(笑)。まあでも若い頃は自分がそうしてもらっていた側だったから。繋いでいって何倍にもしていく作業というのは、心の中で常に考えていることなのかもしれない。 ──ちなみに、どちらもREG☆STYLEとして大会には出ていないと思うのですが、そこには何か理由があるんでしょうか。 今REG☆STYLEって、真ん中に“☆”が入ってるじゃん。この5つの角はメンバー5人を表しているんです。角度を変えて誰を真ん中にしてもチームが成立するのがREGで、1人1人がそれぞれの方向性を模索し育てて大きくしてくのがREG。僕らは世界大会の3連覇を経て、メンバーは今それぞれ指導者だったりプレイヤーだったり、メディア露出だったり裏方だったり、このダブルダッチというものを本気で広げていくために各々が考えて、別の大会や、全く別の軸のことでも選手並みに活動している。で、その“各々”を強くするからREGとして結集したときもパワーアップするという考えのもと、自分の中では大会に出場して、自分の方向性にある先のものを大きくしていこう、というのがミッションだったと結論付けました。 2019年8月の世界大会『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』にて、REG☆STYLEが世界3連覇を果たした瞬間 直球で戦いたかった そうして『DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN』に向けHEARTSが、『ALL JAPAN』に向けFORが始動する。それぞれのチームは、2024年3月に控える国内予選大会に向け練習に励んでいった。 結成当初の『HEARTS』 (本人提供)後列左から Elina Mizuno / TAISUKE / TATSUYAクボユウト / KAI / KO-SEI ・・・ KAI『HEARTS』のメンバー自体は2023年12月には固まって、正直そっちは国内予選までは特別難しいことはなかった。5人とも素晴らしいチームメンバーだから。驚いたのは、最初の曲候補が挙がってきたから自分が軽く曲編集をしてグループLINEに送ったら、全員から「じゃあこれは?」と再編集された音源が送られてきて(笑)。1投げたら10返ってくるような、メンバーからの熱意を強く感じたんです。びっくりしました。 ──KAIさんのみならず、メンバー全員が強い思いで臨んでいたと。 そうそう。自分がコンテスト出場を決めたときの思いに立ち返ったとき、HEARTSは「圧倒的に勝つ」こと、そしてキラキラしているスターチームになっていてほしかった。先輩も中堅も若手も頑張っている、それが色んな人に刺さっていてほしい。だから、中途半端なものを出すことは許されないなという意識はありましたし、奇をてらい過ぎることより、直球で、ストレートで戦いたかったという感じ。 あと、あくまで自分は─という話ですが、HEARTSは世界大会優勝を見据えていたから日本予選は少し引き算で臨んだと思っています。むしろリラックスして臨めていたんじゃないかな。メンバーによって色々捉え方の違いはあったかもしれないけど。 2024年3月、国内予選『DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN』でのHEARTS ──そうなんですね。KAIさんは“緊張しない”という話をよく聞きますが、そういう部分が如実に露わになったエピソードですね(笑)。でも普通チャレンジする側って必死だし、まずは“目の前の勝負を勝とう!”って思うじゃないですか。そこを世界大会まで見据えて臨めていたというのは、やっぱりビジョンがあったから。 そうだね。それもあるし、あとこの活動って「自分が勝ちたい」という思いより、シーンにいる仲間や後輩たち・川崎の方々・世の中とか、色んなものに対して影響を与えたいというのが原点だったから。そこが原動力でしたね。 ──国内予選に立ち向かって、HEARTSは3位で世界大会への切符を掴むことになります。その時の心境はいかがでしたか。 予想通りっていう感じでしたね。正直なところ、1位通過したい!とはそこまで思っていなくて(笑)。3位くらいで通過できた方が気楽に臨めるかなとすら思っていたから、よしよし、まずは1つクリア、みたいな感じでした。 フュージョンとスポーツは「全っ然違う!」 『FOR』左からunno / MIREI / KAI / ERI / MAHORO (本人提供) ──少し時間軸を遡ります。HEARTSと並行して、FORとしての日々もあったと思うのですが、そちらはいかがでしたか。 KAIさっき「同じダブルダッチなのに…」とは言ったけど、本当に全っ然違う(笑)。フュージョン種目は簡単そうなことでも難しく見せたり、あるいは別の角度から新鮮な見せ方をすることが評価につながるけど、今回はまず技の難易度が高くないとお話にならない。だから普段のパフォーマンスでは良いとされていることが、こっちだと全く評価されないこともあるのさ。「同じダブルダッチ」ではあるんだけど、例えるなら同じ球技なのに野球とサッカーくらい違う。「俺ってこんな下手くそなんだ」ってことをもう一度思い知らされたんだよね。 ──分かりやすい(笑)。でも確かに、スポーツジャンルの方はレギュレーションが本当に細かく設定されていて、ルールブックの文量も膨大ですよね。一方“曖昧性”を許容するフュージョンはそれに比べると、はるかにその文量は少ない気がします。 右も左も分からないし、よく経験者のERIや、FORをコーチングしてくれたDAIKIに「そこ違います」って否定されて、自分はそう思わないんだけどな…とたまに反抗してみるものの、やればやるほど彼らの言ってることが正しいんですよ(笑)。そっか、凄いなって思いながら、一つ一つ未知を潰していった感じですね。楽しかったけどね。 KAIの左にいる『マイケル』DAIKIは業界屈指のトッププレイヤー。スポーツジャンルに精通し、FORを“コーチ的存在”として支えた (本人提供) あとALL JAPANでは、ダブルダッチは4種目やらないといけないんですよ。フリースタイルシングル / ペア、スピード / スピードリレーと4種目やらないといけなくて、しかも自分とERIはその4つ全てに出る選手。その全ての技術を日本代表レベルにまで持っていく必要があったから、とても苦労しました。身体も心もボロボロになって。 ──そうですよね。HEARTSの時とは対照的に、上手くビジョンを描けなかったと。 そうだね。通ったことのなかった道だったから。“模索”って言葉が一番しっくりくるかな。でも、とはいえ自分に全くダブルダッチの経験がないわけではなかったから、ゴールから逆算するように点を打っていたのが『HEARTS』だったとしたら、『FOR』では今見えている少し先に向けて点を打つように向き合っている感覚だった。 練習風景。左側のジャンパーがKAI (本人提供) ──なるほど。じゃあもうフュージョンの臨み方と、スポーツのそれとは全く異なるし、慣れているか否かということも大きく影響していたのですね。そして大会当日を迎えたわけですが、振り返っていかがでしたか。 予選当日はフリースタイルが特にボコボコで(笑)、かなりミスがあったけどギリギリ持ち堪えて2位通過。あと、全ての種目に出場したチームが「総合」というカテゴリで入賞することがあるんだけど、そこで僕らはなんとか総合2位通過。この予選の日、僕らはやっと勝負の土俵に立つことができたんだなと思いました。“アスリート”としての自分がやっと確立されたし、上には上がいることも改めて痛感しました。 2024年3月、国内予選『ALL JAPAN TEAM』でのFOR ・・・ こうして『HEARTS』そして『FOR』で、どちらも決勝大会への進出を決めたKAI。慣れないスポーツジャンルのダブルダッチと格闘しながら、一方で自分の“主戦場”としていたフュージョンジャンルのダブルダッチでも世界一を目指し、戦いは続いていく。着々と壁を越え、その走り出しは順風満帆にも見えたが、ここからが正念場だったことを当時の彼らは知る由もなかった。 #2 決勝大会に向けて 6人の“心” KAI『HEARTS』では難なくショーも完成して、ここから決勝トーナメントのチームバトル* の準備に取り掛かろうと練習をしていたんだけど… *編集部注:DOUBLE DUTCH CONTEST WORLDではショーケース披露後、その得点の上位4チームが、DJの流す音楽に即興で合わせ相手チームと1対1で戦う「チームバトル」に進出。バトルトーナメント優勝チームが“世界一”となる KAIその途中である日、5月ごろだったかな─ Elinaが負傷してしまった。最初は捻挫くらいだと思っていたんだけど、病院で診断されたら骨折していた。まあ一言で言うなら大怪我。 残りのメンバーはElinaの復活を信じて練習を重ねていた。でも、Elinaは正直出場できるかどうか分からない状態で練習をすること自体が迷惑になってしまうと感じて、「私以外の5人で出てほしい」と。そういう思いを各々が抱えていたんだけど、ある時にそれをぶつける、本気の話し合いがあったんですよ。 でもそこで最終的に、改めて一人一人が「Elinaが出ないなら出ない」という選択をしたんです。それは変にElinaにプレッシャーを与えたいという意図ではなくて、Elinaを含め6人で『HEARTS』だから、それが今年難しいなら、6人揃ったときにまた改めて出ようよ!って。ユートとかカッコよかった。「1週間前とか3日前まで待ちます」って。「それでダメだったらダメで良いっすよ、だから大船に乗ったつもりで、なんでも無理そうなことでも言ってください」って。素晴らしいなこのチームは、って思った。 車いすの状態でも、Elinaは練習に姿を現した (本人提供) あと、これは過ぎたことだから好きに言えてしまうかもしれないけど…。最初に病院で診断を受けたあと、Elinaから連絡をもらってすぐに電話したとき、声を聴いて「こいつは絶対に帰ってくる」って確信があったんです。その電話の時に、もう完全にHEARTSは勝ったわって確信が。 ──凄まじいエピソードでした。きっとKAIさんの意図されてることとは違うのかもしれませんが… ただただ、信じる力って凄まじいなと感じました。 Elinaからも並々ならぬ思いとパワーを感じたけど、それ以外のメンバーからも強い思いを感じた瞬間でした。そこからはもう、駆け上がるだけ。怪我というすごくマイナスなことはあったけど、それを機にHEARTSはより団結して、よりパワーが生まれた。本当、随所に“人間力”を見ましたね。人間力の塊(笑)。 例えば練習が13時スタートだったとして、自分がFORの練習で先にスタジオに行ったら、11時とかにはみんなも揃い始めて時間になるまで自主練していて。あとElinaも、自分が跳べない時の練習にもいるんです。ストレッチしながら自分はどう立ち回るのかを考えながら練習に参加している。俺らもプロパフォーマーとして活動しているけど、彼女からはまた別の“プロフェッショナル”を教えてもらったような感じだった。 ──名は体を表すとは言ったもので、まさしく“HEARTS”というチーム名の通り、各々の気持ちがぐっと固まって、試練を乗り越えていこうとしていたんですね。 あとはそこから、俺の奥さんであるMaykaが衣装を徹夜で作ってくれたり、ゴット・タレントへ一緒に出場したメンバーで、残念ながら今回は出場できなかったDAICHIさんに練習に来てもらったり、あとは同期で今も最前線で切磋琢磨してるt.taishiとか、REG☆STYLEのKO-YAやKEITAが来てくれたり。周囲の色々な人たちに助けられて直前期に突入していきました。 妻・Maykaと (本人提供) 生まれた“ポジティブ休暇” KAIでも、FORも同じ。相変わらずそっちも大変で、みんなで団結してやっていくことには変わりなかったね。3月の国内予選でやっと右左くらいは分かるようになってきた感覚があって、自分がどこへ向かい、何を目指すべきなのかがハッキリしてきたから、それを元に練習を進めていきました。ただ、何より大事なのはフィジカルとメンタル。 ──そうですよね、本当に。 練習はもちろん、それ以外の時間にめっちゃくちゃ走り込んだりシャドー(ロープ無しで駆け足跳びの練習)をやったりしていた。そして模索する日々を送りつつも、6月のイベントでゲストとしてフリースタイルを披露させてもらった機会があって、そこでやっと手応えを掴めた感じがしました。 ──FORとしても“峠”を越えて、やっとの思いで向かっていこうとしていると。 いや、でもやっぱり色々あった。unnoとMAHOROは『ブリテンズ・ゴット・タレント』があったでしょ。MIREIも別のチームで学生大会が控えていた。で、ERIはさっきも言ったけど会社員で、そうやって各々がハードな生活を送るなか、わずかな時間も惜しんで練習時間を作って進めていた。なんだけど… ERIがアジア選手権の1週間前くらいに救急搬送されちゃって。確かにその日の練習、顔面蒼白だったんだよね。気をつけて帰りなよーなんて言ったら夜に点滴の写真が送られてきて(笑)。 ──ええっ。 でも、それでまたFORの一人ひとりと電話して「このERIの件をどうポジティブに考えるかが大事だよね」って話をしたんです。元々みんなタイトなスケジュールだったから、これはじゃあ“ポジティブ休暇”ってことにしよう!と。 みんなで「ERIのおかげでちょっと休めるわ!」って考え方にしてしまって、練習から戻ってきた時にはもちろんERIの体調に気遣いながら、時折それをいじったりもして(笑)。逆にすごい明るい方向に持っていくことができたのが結果として良かったなと思ったんです。 Photo by YAMADAI ──なるほど。今お話を伺っていて、KAIさん流のチームメイクとして、“ポジティブに捉えよう”というところが大きいなと思いました。 そうだね。Elinaの件もERIの件も、変な意味じゃなくむしろ「こういうことがあって良かった」って思えて臨めたのは大きかった。やっぱり気持ちを上げていかないと意味がないし、どんな出来事も衝突も、チームとして一丸となって戦うなら、結果それが右肩上がりになっていかないと意味がないと思っている。常にポジティブに捉えようという意識はしているね。 ──逆境のさなかだからこそ、逆転の発想を持とうという考えは非常に学びになりました。でも、結局チームメイトがそういう状況になるというのは、自分の力だけでは乗り越えられるものではないじゃないですか。どうしてそこまでポジティブに居られるのかなと。 人が好きなのかな(笑)。でもだからこそ、一緒にやる人って大事ですよね。チームメイトは大切な存在。中途半端にはしちゃいけないし、1人じゃないからこそ何でもできるということは、自分の体験談として学んできたことです。 良いも悪いも、自分自身の向き合い方次第 ──少し各チームの話題から脱線しますが、KAIさんと話すといつもポジティブな視点を持てるなと思っていて、私は勝手に歩くパワースポットだなって思うんですよ(笑)。そうやってKAIさんが人をポジティブにしているのは想像に難くないのですが、そう思うに至った原体験に迫りたいなというか。KAIさんがポジティブにさせられたな、ってことはありましたか? KAIありますね。やっぱりREG☆STYLEの存在なんじゃないかな。学生時代からダブルダッチをやってきて、その後2014年に『シルク・ドゥ・ソレイユ』で活動していた『CAPLIORE』というプロチームに入れてもらったんです。ここまでは割と順調に、とんとん拍子で進んで行きました。 REG☆STYLE 加入当初 (本人提供) ただそのあと、2016年くらいかな。ショーの期間が終わって自分は日本に帰る選択をして、日本で活動していたREG☆STYLEに入ったんだけど、正直その時期はめちゃくちゃ天狗だったし、当時のREGはお世辞にも“プロ”とは言える状態ではないと思っていた。かたや自分はCAPLIOREとして先輩たちとステージを踏んできたから、自分が引っ張らなきゃ!と思っていたんだけど、今思えばどの目線で言っとんじゃって言葉ばかりだった。REGの一員としての言葉がなかなか出なくてどこかずっと他人事… そうこうしているうちに、アキレス腱を断裂してしまったんだよね。確か2018年くらいのことだったかな。 ──確か2度目の世界大会出場後、3連覇に向けて動いていた矢先の出来事だったと記憶しています。 自分がカマさないとと思っていた矢先に怪我で動けなくなって、本当に根暗になった瞬間だった。でもその時期に一緒になって引き上げてくれたのが、REG☆STYLEだったんだよね。 ──じゃあKAIさんにとって、この大怪我は人生観を変える大きな出来事だったと。 そうだね。相当大きかったし、結果相当ハッピーを呼んでくれた事件だった(笑)。むしろ怪我してなかったらどうなっていたんだろう…とすら思う。自分を正しい方向に変えてくれたきっかけだった。 本当、リハビリとか地獄のように痛いの。リハビリの後は筋トレもしないといけなくて、いつ完治するかもハッキリしないまま、心の中ではシーンやREG☆STYLE、事務所のみんなに迷惑をかけてしまっているなとモヤモヤしていて。でも表に立つ身として、明るく振る舞わないといけないじゃん。夜も寝付けない、むしろ目覚めてしまったらまた辛いルーティンが待っている。そこで地の底まで落ちた経験と、周囲で支えてくれた人の存在が、今の自分を作っているなと思います。 負傷した当時 (本人提供) ──だからこそ、同じような境遇にいるElinaさんのような仲間や出来事に対しても、ポジティブに向き合うことができたのかもしれませんね。 そうかもしれないね。怪我やリハビリの辛さとか、そこからどうしたら這い上がれるか…ということも何となく分かるし、「こいつは戻ってくるな」ってElinaに感じたのも、似た経験があったからなのかもしれない。 ──軽い言葉でまとめるのも憚られますけど、やっぱり傷ついた経験というのは人を大きく変えますよね。本当に経験だな、というか。 良いも悪いも自分自身の向き合いようでプラスに変えられるんだなと改めて感じました。 ・・・ 降りかかる幾多の試練をなんとか乗り越え、なんと両チームとも無事にフルメンバーで大会のステージに立てることが決まった。奇跡か必然だったのか─それは神のみぞ知る話であるが、いずれにしても、彼らの血の滲むような努力が呼び起こした成果だったに違いない。 そうして2024年7月、アジア各国の選手が川崎に集結し、戦いの火蓋が切って落とされる。日本選手団として迎える決戦の日々。しかし安堵するのも束の間、まだまだそこには壁が立ち塞がっていた。 アジアジャンプロープ選手権、開会式のようす #3 迎えた決戦の日々 笑顔で「頑張ろうぜ!」 Photo by YAMADAI ──私もアジア選手権大会というのは初めての経験、1週間という長期の大会も初経験で、これは選手は相当大変だったんじゃないかな… と思っていたんです。出場されていた立場から当時を振り返って、いかがでしたか。 KAIオモロ3:キツい7だったね(笑)。今まではその一日に全身全霊をかけて臨めば良かったけど、そうはいかないから大変だった。FORとしては4種目あるし、そこにHEARTSとして最終日に世界大会があるから、出場しない日にも練習はあったし、詰め詰めのスケジュールの中でなんとかやっていました。しかも本戦がある種目もあって、ありがたいことに予選を突破したら一度で終わらないものもあったり、アンチ・ドーピングの観点から自宅には帰れず、日本選手団も近くのホテルに泊まらないといけなくて、心も休まりきらない日々。最終日のコンテストは正直、今まで出た大会で一番ぼっとしてしまってたなと思う。 ──大会やってまた次の大会って、今までからすると考えられない話です。 でも、だからこそ他のスポーツジャンルの選手たちって凄いなって改めて思いました。それこそ僕らはダブルダッチ種目だけだったけど、選手によってはシングルロープ(単縄のこと。一般的な“なわとび”)種目と掛け持ちして出ている人もいて、1種目終わったら脚を引きずりながらまた別の競技へ向かっている人とか、裏でぶっ倒れてる人たちをたくさん見た。そういう人たちをたくさん目の当たりにして、俺らは少なくとも、笑顔で戦わなきゃいけないよねって。色んな国の選手たちに笑顔で「頑張ろうぜ!」って声をかけていました。 アジア選手権大会『ASIAN JUMP ROPE CHAMPIONSHIPS』多くのアスリートたちがしのぎを削った (本人提供) それで最後、TEAM SHOWという種目で各国の選手がパフォーマンスを披露する種目があるんですけど、見ているともう涙が止まらなくなるんです。一人一人怪我していく姿とか見て、その選手から命懸けで向き合っている姿から溢れるパワーというか、パッションというか… 強く刺激を受けました。 あとは、運営陣やスタッフなどの裏方の人たちも選手と同様に、あの日々がハードだったのを目の当たりにしていました。みんながいてあの空間、あの日々があったから、俺はへこたれちゃいけないなって。色んなことを考えたとき、確かに苦しかったけど、それでも笑って過ごそうと思っていました。 ──ここでもなお、KAIさんは“ポジティブ”だったと。 FORの方は思っていたより成績が良くて、正直まさかあんなにメダルを獲れると思ってもいませんでした。表彰台の一番上から『君が代』を聴いたときは涙が出たな。チームメイトとハグして喜んだ瞬間とか、たまんないよね。 表彰台の最上段に立った (本人提供) ──苦しい日々を乗り越えてきたからこそ、得られた喜びとか、そこで見て感じるものも大きくなりますよね。素敵な経験です。 このステージに“選手”として立つ意味 KAIそれで、その期間の最終日に、HEARTSとしてコンテストワールド(世界大会)があった。たださっきも言ったけど本当にぼーっとしてしまっていたし、目覚めたら脚も上がらない、肩も上がらない。身体のコンディションは相当悪かったけど、とりあえず風呂に入って「笑顔で会場に入ろう」と決めて向かったことは覚えている。 それこそ裏方の人たちもアジア選手権から地続き、ほぼ同じメンバーで運営していたのもあったし、大会にはアジア選手権で出会った選手たちも大勢いたから、いつも以上にこのステージで“選手”としている意味を考えながら全力で戦おうと思ったんだけど、改めてショーの映像を見ると軽くフラついてるんだよね。どうなっちゃってもおかしくなかったと思うけど、最後まで動かしてくれたのは色んな人たちの支えだったなって思います。色んな人の顔が浮かんだショーだったな。 世界大会『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』にて、ショーケースのようす ──限界の状態で迎えていたんですね。正直、見ていてそうは思えないくらいパワーがありました。そしてショーケースを終え、HEARTSは1位で続く決勝トーナメントのチームバトルへ駒を進めることになります。 ショーケースが終わってやっと本調子になった感じでした。身体の感覚も戻ってきて、頭も冴えてきて、もう大丈夫だなって。 初戦の相手は同じ事務所で、お互いプロチームとして切磋琢磨してきた『NEWTRAD』。彼らも色んな葛藤のもとここまで戦ってきたのを知っているから、全力で迎え撃ちました。REG☆STYLEとしての経験もあるから、あそこまで登り詰めるのは並大抵のことじゃないのも知っている。お前ら凄えな、ありがとう、って気持ちで戦いました。 世界大会『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』にて、チームバトルのようす 無事に突破し残すところは決勝戦のみだったんだけど、その後、同時に開催されていたソロバトルの大会『DOUBLE DUTCH ONE’S』で、ユートが決勝戦で負けてしまったんだよね。ユートも二足の草鞋を履いて、そっちにも全力で取り組んでいるのを知っていたから。控室から出てこれないくらい気持ちが沈みきってるユートを支えようと向き合うHEARTSの姿と、一緒にもう一度戦うぞっていうユートのパワーに心を打たれて、決勝のSAMURAI DRIVEとのバトルに向かっていきました。 ──あの決勝戦は凄まじかったですね。文句なしにチームバトルの最高峰の勝負だったと思いますし、“スタイルウォーズ”の極致だったと思います。 これまた相手はRYO-TAやMochasとか、付き合いの深いメンバーたちで。目の前で完璧なムーブをカマされて、お前らやるな、凄えなって。ワクワクと負けないぜってたぎる気持ちがどんどん湧いてきて、めちゃくちゃ白熱したバトルだったかなと思う。REG☆STYLEのときとはまた違う感情になったな。でも万全の練習を重ねてきたと思うんだけど、やっぱり本番だと見たことないミスが出てくるんだよね。 ──個人的に、SAMURAI DRIVEはミスを抑えて手堅く戦っていたのに対し、HEARTSはオリジナリティという点では優れていたように思います。ただどちらも本当に甲乙つけ難い、ハイレベルな名勝負でした。見ている側も、最後どちらに軍配が上がるか分からなかったです。 SAMURAI DRIVEの圧倒的な火力に対して、HEARTSは“NEW”をぶつけてきた。この戦い方の違いも面白かったし、全員がここに懸けてきた情熱も感じた。ただ終わった瞬間の正直な気持ちとしては、ミスも目立ったからダメだったかな…と思っていました。 ──そうなんですね。優勝はできなかったかな、と。 だから結果発表でHEARTSの側に腕が上がって、驚きもした。もちろん凄く嬉しかったんだけどね。でもやっぱり、全体的にフワっと時間が過ぎていった感覚はどうしてもあったな。 優勝の瞬間 KAIが思う“勝利までの道のり” Photo by YAMADAI ──ここまで凄まじいお話を聞かせていただきましたが、いくつか気になったことを伺わせてください。まず大会期間中、ベストなコンディションで臨めていなかったというお話もありましたが、(長期の大会でなくても)そもそも大会当日をベストな状態で臨めないことも少なくないと聞きます。振り返って今回、そういった状況でもどうして勝利を手繰り寄せられたのかと思われますか? KAI準備だけは完璧にこなせたなと自信を持って言える状態まで持っていくことができたからかな、と思っています。徹底的に練習もしたし、大会期間中や直前期にしんどくなったり、過密なスケジュールになることも想定していたから、「それでも100を出せる自分」を事前にチームとして創り上げていけたことが理由かなと。 ──それが絶対的な答えですね(笑)。 そうそう。準備が全て。当日はやっぱり手元が狂うこともあるから。 ──その「準備」というのはどういったことをされていたんでしょうか? フュージョン(HEARTS)に関しては、ありとあらゆるミスを想定して潰していきました。冒頭にもお話しましたが、経験もあったからゴールは見えていて、そこから逆算することもできたので、自分以外のミスも含め「今これがこうだったから、ミスの原因はここだね」っていうのをトライ&エラーでやり続けていきました。どういう感情のときにどういうミスが出るとか、この縄のときにこういうミスが起こるとか、それを理解すること、解決しようと試みることを当たり前にし続けることが大事。例えば順番が繰り上がっちゃったりとか、音が小さくて聴こえづらいこととか、照明が暗くて見えづらいこととか、当日右手が満足に上がらなくなるとか、色んなシチュエーションをイメージして向き合っていたから、何の心配もなかった。 ただ、チームバトルは心配要素もあった。DJがどんな音楽を流すか分からないし、ムーブ自体は準備できてもあとは即興で対応するしかない。でも対応力の部分は鍛えておくことはできると、来てくれたtaishiやKO-YA・KEITAとバトルしたり、DAICHIさんや奥さんのMaykaに真正面に立ってもらったりとか(笑)。それでも本番ミスは出てしまったんだけどね。 HEARTS (本人提供) ──でも「ベストを出せるような準備をする」という根底の部分は共通していますね。かつこれまでの豊富な経験から、シミュレーションを重ねられていたような印象を受けました。ただ一方で、FORとしては初のスポーツジャンルの大会への挑戦ということで、そのシミュレーションもフュージョンほど効かなかったのではないかなと思うのですが、いかがでしたか。 フュージョンでミスの要因の120%くらいを理解できているとしたら、スポーツジャンルに関しては70%くらいだったかな。なぜミスして、なぜ上手くいっているのかがハッキリ分かっていない状態で本番を迎えざるを得なかったというのはあります。 根本的に、例えばショーだと1エイトの間に注意点が2箇所くらいあるとしたら、こっちは1カウントに16個くらいあるパートもあるんです。それを同時に捌かないといけないんだけど、どれだけシミュレーションしても処理速度が追いつかない。だからそれを考えなくても上手くいくくらい、とにかく身体に染み込ませて練習を重ねるしかなかったです。 本番当日までミスの全容は掴みきれなかったけど、成功率はちゃんと上がっていく。不安はあるけど、これくらい出来るようになったから、あとはもう本番は覇気だし、なるようになる。このメンバーで頑張ってきたから、俺らなら大丈夫と。そういう意味で、そう思えるくらい練習してきました。 FOR (本人提供) #4 激動の日々を振り返り、思うこと こうして幕を下ろした激動の日々。本気で戦い抜いたKAIが感じたのは、思わぬ感情だった。 ・・・ ──最後に伺いたいのですが、あの激動の日々を振り返っていかがでしたか。終えてみて思ったことや得たものってありましたか? KAI“燃え尽き症候群”みたいなものは無いなと思ってたんだけど、とりあえず次の日はベッドから起き上がれなかったね。川崎のホテルに泊まっていたけど、身体中が軋んで動けない。あっ、でも最終日の次の日にはワークショップがあったから、満身創痍だったけどそれを見に行った。でも終わった直後も世界を獲ったんだとかって実感は湧かなくて、とりあえず「この日々を終えた」ってことだけ感じた。なんか燃え尽きたかもなー、って。 でも一回、不安にはなった。今回の俺の挑戦は誰かのためになったのだろうか、みたいなことを考えた。自分のやったことは合っていたのか、他にやるべきことは無かったのか…。今でもちょっと考えるときがある。 ──そうなんですか。正直意外でした。 あんまり不安に思うことはないけど、誰かにいつか聞いてみたいなって思った。「俺、これで良いんすかね」って先輩とかに。 Photo by YAMADAI ──それは手応えがなかったから、ということですか? いや、手応えがないというか、手応えがあっても思うんだろうなと。でもこうして“誰かの、何かのために”という思いで整えながらやっていかないと自己満で終わってしまうだろうし、色んな人の意見に耳を傾けながら、自分がどうあるべきかを決めていきたい。でも何だか良い不安を持てたなって思うし、その上で今進もうと思えているから大丈夫だと思う。 ──最後はやっぱりポジティブですね。 あと、どうやら「自分のために頑張れない」人らしいんだよね(笑)。誰かのために、誰かと一緒にやりたい。思い返すと、REG☆STYLEに加入したごろの時期は自分中心の日々だった。自分を守る行動や言い訳が多かったけど、怪我をきっかけに、誰かのためにというマインドになった。 これからもダブルダッチ、そしてジャンプロープを広げるために命を燃やして、最期は1抜けしながら死ねたら本望だなとか思ってる(笑)。あとは先人たちが紡いできてくれたものへの感謝も伝えたいなとか、自分としてはコンテストを4回優勝したから、キリよくいつか5回目も達成したい。 でも大それたことを言うつもりもなくて、誰かが次の日、「明日俺も頑張ろうかな」って思ってくれさえすればそれでオッケーだなとも思う。どれも簡単なことじゃないと思うけど、これからも心が燃え続ける限り跳び続けていたいなって。そう思います。 ・・・ 彼のもとに、全く不安が訪れないということではないのだろう。しかし、逆境に立ち向かうKAIはいつも“ポジティブ”だった。不安や痛みを感じないことではなく、それを全身に受け止めながらも前を向くことが真の「強さ」なのだと教えてくれた。そしてその強さは、ジャンプロープというカルチャーと、その周囲にいる人々の存在があったからだと口にする。 これからもKAIは、誰かのために跳び続ける。その心が、力が、命が、彼の中で燃え続ける限り。
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dance新木場がヒップホップの熱狂に染まる!? ヒップホップカルチャーの魅力すべてが詰まった1日限りのフリーパーティー「Red Bull BC One World Final Kick Off Jam Tokyo」2025.02.14今年11月、東京‧両国国技館で9年ぶりに開催される世界レベルの1on1ブレイキンバトル「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」。今大会のシーズン幕開けを祝して、2025年3月8日(土) GARDEN新木場FACTORYにて、ヒップホップカルチャーの魅力を詰め込んだ1日限りのスペシャルパーティー「Red Bull BC One World Final Kick Off Jam Tokyo」(入場無料)が開催決定! 当日は、DJやビートメイカーによる音楽ライブが鳴り響き、ヒップホップカルチャーの自由な精神を象徴するグラフィティアート。そして、世界トップクラスのB-Boy & B-Girlたちが、この熱狂の空間で白熱のバトルを繰り広げる。 “Stones Throw”のKnxwledge、グラミー受賞後 初来日! Knxwledge(Stones Throw)|Photo by Jack McKain アンダーソン・パークとのデュオNxWorries(ノーウォーリーズ)として、2025年の米グラミー賞「最優秀プログレッシブR&Bアルバム部門」を受賞した“Stones Throw”レーベルのKnxwledge (ノレッジ)が、受賞後すぐという絶好のタイミングで来日決定! ケンドリック・ラマーの楽曲プロデュースを手掛けるほか、彼自身も愛好する人気格闘ゲーム 「ストリートファイター6」にオフィシャル音源を提供するなど、インターネット、ゲーム、そし てヒップホップを融合させた唯一無二のスタイルで世界中から注目を集めるアーティストが日本にやってくる。 DLiP Records x DOGEAR Recordsによるライブパフォーマンス 神奈川県藤沢、通称MOSS VILLAGE(モス‧ヴィレッジ)を拠点とする、日本屈指のインディペンデント・レーベル“DLiP RECORDS”から、レーベル主宰でありDINARY DELTA FORCEのフロントマンでもあるDUSTY HUSKYが登場。さらに藤沢のラップデュオBLAHRMY(MILES WORD & SHEEF THE 3RD)、DMC日本チャンピオンの称号を持つDJ BUNTA、そして日本を代表するヒップホップダンサーYASSが登場。 一方、ISSUGI、仙人掌、KID FRESINOら個性派アーティストを擁し、東京アンダーグラウンドシーンを牽引する最重要レーベル“DOGEAR RECORDS”からも強力なラインナップが参戦。ラッパー兼ビートメーカーとしてシーンを牽引するISSUGI、SCARS / SWANKY SWIPEのメンバーとしても知られる実力派ラッパーBES、そして数々のプロジェクトでビートメイカーとして確固たる地位を築き上げたBUDAMUNKが、今回ライブパフォーマンスを繰り広げる。 ヒップホップカルチャーのすべてがここに。入場無料! © James Newman / Red Bull Content Pool 近年、スポーツとしての地位も確立されたブレイキンだが、そのルーツは1970年代ニューヨーク、ヒップホップカルチャーの黎明期に遡る。DJの音楽がブレイクに差し掛かると、若者たちはダイナミックなムーブを繰り出し、自己表現のために踊ることから生まれた。それがブレイキンの始まりであり、このカルチャーの本質である。 今回のキックオフパーティーでは、そんなブレイキンの原点に立ち返り、ヒップホップカルチャーの4大要素(音楽、ラップ、グラフィティ、ダンス)を凝縮してお届け。ヒップホップの真髄を全身で体感する、1日限りのスペシャルイベントをお見逃しなく! 若手×ベテランのエキシビション、東⻄プライドを懸けたバトル、 1対1の戦い、そして一般参加OK! 限定80組が激突するダンスバトル 今回世界トップクラスの実力を誇るB-Boy & B-Girlたちが集結!レッドブルの精鋭ダンサーで構成されたSHIGEKIXら「Red Bull BC One All Stars」と、TSUKKI、RA1ONをはじめとする若手実力派チーム「Young Gunz All Stars」によるエキシビションバトルが実現。 さらに、今や世界トップレベルのB-Boyへと成⻑したHarutoと、Red Bull BC One All Starsのメンバーとしても活躍するオランダのLEEによる「1on1 Exhibition Battle」も開催。 © Marcelo Maragni / Red Bull Content Pool また、ヒップホップシーンを代表する東⻄のダンサーが、それぞれの地域のプライドを懸けてぶつかる「Hip Hop Exhibition East vs West」など、多彩なスタイルのダンスバトルが繰り広げられる。 バトルコンテンツの中でも、一般参加OKの「4on4 Crew Battle」は、総勢80チームによる熾烈な戦いが繰り広げられる大混戦必至のバトル。現在、一般参加者を募集中。ヒップホップカルチャーの祝祭に、ぜひそのスキルをぶつけて欲しい!「4on4 Crew Battle」のエントリーは記事最下部のフォームから。 今回のキックオフパーティのほか、今年11月に開催される「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」に向け、ブレイキンの魅力を体感できるコンテンツも続々登場! 日本全国のブレイキンシーンに翼をさずけるツアー実施決定 今年3月の日本全国を巡る「Red Bull BC One All Star Tour」では、世界の舞台で活躍するレッドブルのB-Boy & B-Girlたちが、東京‧神奈川‧大阪‧京都‧岡山‧⻘森で、ブレイキンのワークショップやバトルコンテンツを開催。日本各地にブレイキンの熱狂とカルチャーのスピリットを届ける! ツアーの模様は、「Red Bull BC One」公式Instagramで随時発信。ぜひフォローして、世界トップレベルのムーブをチェックしよう! 今年11月、東京‧両国国技館にワールドファイナルを観に行こう! 「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」のチケットを絶賛販売中。世界レベルの1on1ブレイキンバトルを生で観戦するチャンスをお見逃しなく。詳細はレッドブルのイベントページ(記事最下部)をご確認ください。 開催概要 名称:Red Bull BC One World Final Kick Off Jam Tokyo日時: 2025年3月8日(土)11:00〜21:00会場:GARDEN新木場FACTORY 住所: 東京都江東区新木場2丁目8−2料金:入場無料(ドリンク代別途 600円) ※会場キャパシティの都合で入場制限する場合がございます。 タイムテーブル 11:00-12:00 DJ12:00-14:00 4on4 Crew Battle (限定80組 予選) 14:00-14:40 DJ15:00-17:00 4on4 Crew Battle (Top16 / Top 8 / Top 4) 17:00-18:00 Beat Live by Knxwledge18:00-18:20 1on1 Exhibition Battle18:20-18:40 Red Bull BC One All Stars vs Young Gunz All Stars 18:40-19:00 Hip Hop Exhibition East vs West19:00-19:20 4on4 Crew Battle (Final)19:20-20:00 Live: DLiP Records x DOGEAR Records 20:00-21:00 DJ 実施コンテンツ Beat Live by KnxwledgeLive: DLiP Records x DOGEAR Records4on4 Crew BattleRed Bull BC One All Stars vs Young Gunz All Stars 1on1 Exhibition BattleHip Hop Exhibition East vs WestDJ&MCGraffiti Writers 出演者 Beat Live: Knxwledge (Stones Throw)Live:DUSTY HUSKY (DLiP Records)、 BLAHRMY (DLiP Records)、DJ BUNTA (DLiP Records) 、YASS (DLiP Records)、ISSUGI (DOGEAR Records) 、BES (DOGEAR Records)、 BUDAMUNK (DOGEAR Records)Red Bull BC One All Stars:SHIGEKIX、ISSIN、KIMIE、ALVIN、Hong10Young Gunz All Starts:TSUKKI、RA1ON、COCOA、FUMA、RYOGA1on1 Exhibition Battle:Haruto、LEEHip Hop Exhibition:YASS (East) TAKUYA (East) The Retro (East) LEO (East)YU-SEI (West) SORA (West) ASATO (West) JUN (West)Hip Hop Exhibition (DJ): DJ MINOYAMAHip Hop Exhibition (MC): SUV 4on4 Crew Battle (Guests):knuckle (Student All Stars)、Ouki (Student All Stars)、Sora (Student All Stars)、NONESKI (Student All Stars)NANAMU (Nagoya)、SHOWSKI (Nagoya)、YAMATO (Nagoya)、KOOLSPIKE (Nagoya)Shoya (Osaka)、TOGO (Osaka)、Daiki (Osaka)、yoo (Osaka)AMANE (Fukuoka)、Shonosuke (Fukuoka)、SO-TA (Fukuoka)、Yuta (Fukuoka)4on4 Crew Battle (Judge): Haruhiko aka Watchm3n、LEE、Perninha4on4 Crew Battle (DJ): SPRAY (Korea)、SPELL (New Zealand)4on4 Crew Battle (MC): KENTARAW、CRUDE Graffiti Writers: WOOD、GOSPEL、MSY & DISE
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others大阪初上陸!世界最高峰のアクションスポーツの国際競技会「X Games Osaka 2025」が6月20日〜22日にて京セラドーム大阪で開催決定!!2025.02.10アクションスポーツ界で最も注目される国際競技大会「X Games」が、ついに大阪にやってくる。2025年6月20日(金)〜22日(日)の3日間、世界中からスケートボードやBMX、Moto Xのトップアスリートたちが「京セラドーム大阪」に集結。 アクションスポーツファンが待ち望んだ瞬間がここに。 「X Games」は1995年に米国で誕生した今年で30周年を迎える歴史ある大会。アクションスポーツのアスリートにとってはまさに夢の舞台で、これまで世界13ヵ国で累計600万人以上の観客を魅了し、スポーツ専門チャンネルESPNを通じて世界192ヵ国・5億世帯に映像が配信されるなど、世界中から熱い注目を集め続けている。 X Games Osaka 2025ではスケートボード、BMX、Moto Xの3競技11種目をひとつの大会ですべて体感できる! X Games Ventura 2024のスケートボード バート|©Chris Tedesco / X Games 「X Games Osaka 2025」では3競技11種目を実施予定。オリンピック競技としても注目を集める「スケートボード・ストリート男女」「スケートボード・パーク男女」「BMXパーク男子」はもちろんのこと、さらに、スケートボード競技の中でも根強い人気と伝統を持つ「スケートボード バート男子」、 高度なバランス感覚で華麗な技を披露する「BMXフラットランド」、街中の障害物を模したコースを使って技を競う「BMXストリート」、そしてフリースタイルモトクロスバイクによる圧巻のトリックが繰り広げられる「Moto X」が実施される予定となっている。※6月20日は予選のため関係者招待日。 これだけの競技を、ひとつのイベントですべて目撃できるのは「X Games」ならでは。アクションスポーツの魅力が凝縮された3日間をお楽しみあれ。ここでしか味わえない興奮と感動をぜひ会場で体感してみてほしい! 大阪初上陸!大阪ならではの魅力が満載!関⻄万博とのシナジー効果で、大阪の魅力を国内外に発信。 大阪といえば、活気あふれる街並みや人々の温かさ、そして何といってもその食文化。たこ焼き、お好み焼き、串カツなど、日本が誇るストリートフードを堪能しながら「X Games」の熱気とともに大阪のグルメも満喫できる。 また、大阪城や道頓堀といった歴史と文化が息づく観光名所はもちろん、近年大規模な都市開発が進む梅田や難波エリアも必見。新たに生まれ変わった商業施設や観光スポットが集まり、見どころ満載の都市を訪れる絶好の機会だ。 さらに2025年は「大阪‧関⻄万博」が開催され、大阪が世界からの注目を浴びる年。このタイミングで開催される「X Games Osaka 2025」は大阪の魅力を国内外に発信し、スポーツと都市のエネルギーが融合した特別なイベントとなることだろう。 2025年、アクションスポーツの新たな歴史が大阪で刻まれる。「京セラドーム大阪」は大阪の中心部からアクセスも良く、世界レベルの競技を間近で体感できる最高の舞台。屋内会場だから天候の影響を受けることなく快適な環境で観戦可能。観客を巻き込む興奮のトリックやハイレベルなパフォーマンスに加え、「Xゲームズ」ならではの音楽ライブやフードフェス、アートイベントなど多彩なコンテンツが予定されている。スポーツ、カルチャー、都市の魅力が一体となったこのイベントに世界中のアクションスポーツファンが集結すること間違いなし。ぜひスポーツ観戦だけでは終わらない特別な体験をこの機会に大阪で! 出場アスリート、音楽ライブ、チケット情報などの詳細は、近日中に公開予定です。続報をお待ちください。 X Games Chiba 2024のBMXパーク|©Hikaru Funyu / X Games 吉村洋文(大阪府知事)のメッセージ 『世界最高峰のアクションスポーツの国際競技大会であるX Gamesを、⻄日本で初めて大阪で開催できることを大変嬉しく思います。世界のトップアスリートのパフォーマンスを間近で観ることができるこの機会に、その迫力を直接体感いただきたいと考えています。 大会期間中に開催されている大阪‧関⻄万博では、約160もの国の展示や食など世界を五感で感じられるほか、「大阪ヘルスケアパビリオン」では、25年後の「ミライの自分」との遭遇を体験できます。ぜひ万博という非日常空間でドキドキ‧ワクワクする楽しさを感じてください。X Games Osaka 2025、大阪‧関⻄万博へのご来場を心よりお待ちしております。』 ジェレミー‧ブルーム(X Games CEO)のメッセージ 『過去3年間の日本でのX Gamesは、アクションスポーツの国際的な需要の高まりを示す素晴らしい例となりました。世界のトップアスリートの中には日本出身の選手も多く、日本のファンはアスリートや競技に対して非常に強い情熱を持っています。今年6月、大阪‧関⻄万博の熱気とともにX Gamesを大阪で開催できることを心から楽しみにしています。このイベントを通じて、日本におけるアクションスポーツのさらなる発展を目指し、今後も取り組みを強化していきます。』 X Games California 2023のMoto Xベストトリック|©Dave Camara/X Games X Gamesとは? 1995年に米国で始まった「X Games」は、これまでに世界192ヶ国‧5億世帯への映像配信、世界13カ国で累計来場者600万人以上を熱狂させてきた世界最大のアクションスポーツの国際競技会。 夏季はスケートボード、BMX、Moto X。冬季はスキーとスノーボードのトップアスリートたちが活躍し、30年にわたってアクションスポーツのシーンで絶大なる影響を与え続けてきました。 開催概要 名 称(英 語): X Games Osaka 2025名 称(日本語): Xゲームズ大阪2025名 称(読み方): エックスゲームズ オオサカ ニセンニジュウゴ日程: 2025年6月20日(金)予選‧練習 2025年6月21日(土)決勝2025年6月22日(日)決勝 ※金曜は予選日のため(一部チケットを除き)関係者‧招待客‧取材媒体のみ入場予定。 ※一般入場は土曜と日曜の2日間を予定。会場:京セラドーム大阪(KYOCERA DOME OSAKA) 大阪府大阪市⻄区千代崎3丁目中2−1料金: チケット料金、座席等は大会オフィシャルサイトおよびSNSで近日お知らせします。主催: X Games Osaka 2025組織委員会主管: 大阪府、大阪市 実施競技(3競技‧11種目):男子スケートボード ストリート 女子スケートボード ストリート 男子スケートボード パーク 女子スケートボード パーク 男子スケートボード バート 男子スケートボード バート ベストトリック BMX ストリートBMX パークBMX パーク ベストトリックBMX フラットランドMoto X ベストトリック ※実施競技は変更になる可能性があります