「ローレウス世界スポーツ賞 2022」アクションスポーツ選手部門にノミネート、日本が世界に誇るスケートボーダー堀米雄斗選手・西矢椛選手について語る。
40 を超える国と地域でスポーツを通じた社会貢献活動に取り組んでいるローレウス(本部:ロンドン、 設立:2000 年)は、今年 4 月に開催予定の「ローレウス世界スポーツ賞 2022」を前に、ローレウス・ アカデミーメンバーであるトニー・ホークのインタビューを実施した。
トニー・ホークは、1968 年生まれ、アメリカ出身のスケートボーダーで、14 歳でプロスケートボーダーとなり、1999 年 X ゲームのハーフパイプにおいて史上初 900°(2 回転半)を成功させ、その名を世に轟かせた。その後、2009 年、史上初となるスケートボードの殿堂入りを果たし、“スケートボード界の神”と呼ばれるようにもなった。2003 年にローレウス・アカデミーメンバーに就任。自身のライフワークとして、アメリカ国内の 600 以上あるスケートパークに寄付を行うトニー・ホーク財団も設立し、 スポーツを通した社会貢献活動を積極的に行っている。今回、4 月に受賞発表を控える「ローレウス世界スポーツ賞 2022」を前に、「アクションスポーツ選手部門」にノミネートされた選手や、念願叶ってオ リンピック正式種目となったスケートボードについて話しを聞いた。
※トニー・ホーク(以下:T)
ローレウスアクションスポーツ選手部門ノミネート選手について
Q)「ローレウスアクションスポーツ選手部門」に、日本から堀米雄斗選手と西矢椛選手の 2 選手が選出さ れました。二人の印象を教えてください。
T)雄斗には何度か会ったことがあります。彼は素晴らしい才能を持った安定したスケーターです。多くの人が、オリンピックでナイジャ・ヒューストン(アメリカ)と互角に戦えるのは彼しかいないと思っていたと思います。ナイジャは(オリンピックで)本来彼が持っているパフォーマンスを十分に発揮できていなかったので、雄斗の実力が確実にナイジャを上回っているかどうかは判断できませんが、優勝候補を聞かれれば誰もがナイジャと雄斗と答えたでしょう。雄斗はトリックの選択がとてもうまく、スタイルは素晴らしく、とても安定し、パワフルです。オリンピックの決勝戦では、そのすべてが発揮されました。
オリンピックで初めて椛の滑りを見ましたが、彼女の安定感と大きな障害物への恐れのなさには感心しま した。彼女がオリンピックを制した理由は、大きなレールや大きなギャップに勇気をもって向かっていったからです。そして、彼女はゆっくりと着実なアプローチを行っていました。難しいことを行うのではなく、挑戦するたびに少しずつ難易度を上げていき、最終的にはスコアでトップに立っていたのです。 そして、最後のトリックで勝利を引き寄せ、金メダルを獲得したのです。あまり簡単には言いたくありませんが、彼女の優勝は一目瞭然でした。また、彼女には、周囲の雑音やプレッシャーをシャットアウトする才能があったと思います。レイサ・リール(ブラジル)が注目を浴び、絶大な人気を誇るなかで、ライバルの存在に心が左右されないように保つことは容易ではありません。でも、彼女はそんな中で優勝を勝ち取りました。
Q)堀米選手や西矢選手の成功が、日本のスケートボード界に何をもたらすと思いますか。
T)すでに多くの新しい可能性が広がっています。新しい施設の建設も進んでいると思います。スケートボードは、日本では常にアンダーグラウンドな存在でした。80 年代の全盛期から 2000 年代初頭にかけて、目新しい存在とされていました。ただ、今回世界チャンピオンが誕生したことで、そのポジションは変わり、世の中に広く受け入れられたのだと思います。
Q)「ローレウス復活選手部門」では、頭蓋骨を骨折したにもかかわらず、オリンピックで銅メダルを獲得したスカイ・ブラウン選手がノミネートされています。彼女の印象を教えてください。
T)スカイは、スケートに対して非常にユニークなアプローチをしていると思います。彼女は、周囲が怖くなるくらい大胆不敵で、大きなものや危険なものにも挑戦しますからね。そして、彼女は多くの選手がキャリアを終えてしまうような本当に恐ろしいクラッシュを経験しました。私は、彼女が入院中にも関わらず、 大きな決意を持って「私は戻ってくるつもりだ」と宣言しているのを見ていました。そして彼女は予定より 1 週間も早く退院し、スケートボードに戻ってきました。そして、9 月にソルトレイクシティで開催された大会に復帰し、見事に優勝したのです。オリンピックでは銅メダルを獲得し、大成功への道を歩んでいます。
スケートボードとオリンピックについて
Q)オリンピックという舞台で、初めてスケートボードを観戦した時の感想を教えてください。
T)この瞬間を長い間待ち望んでいました。スケートボードは十分な歴史を持っているので、少なくとも スノーボードが冬季オリンピック競技として加わった時点で、スケートボードも加わっているべきだったとは思いますが、ようやく加わることができ、さらに、実際にその場に立ち会うことができたのはとても光栄なことです。選手の家族でさえ、その場に行くことはできなかったので、自分がどれほど幸運だったか分かります。私は誰よりも早くパークコースに入るという喜びを味わわせてもらいました。許可を得たわけではないですが、思わず手にしていたスケートボードに飛び乗ってしまいました。
Q)長年にわたり、「スケートボードがオリンピックに貢献しうるポジティブな競技である」と発言されてきました。その発言がついに認められたと感じましたか。
T)各国がパークを建設したり、その地域でスケートボードをサポートするようになったりしているという点で、スケートボードの国際的な発展には大きく貢献できたと思います。2 年後のパリ大会では、さらに素晴らしく、よりエキサイティングなものが見られると思います。
Q)今後のスケートボードに対するビジョンを教えてください。パリ大会でも引き続きスケートボードが実施されることは素晴らしいことですが、次のステップは何でしょうか。
T)バーチカルがオリンピックの正式種目となることを願っています。バーチカルはとてもユニークで、他の種目にはない魅力があり、多くのスケーターが 80 年代にはスケートビデオで目にし、90 年代には X-Games で目にし、いまだにその人気が衰えない種目です。正式種目に加わる方向に進んでいるように感じますが、東京で 2 種目採用され、それが定着しているということは、3 つ目の種目の採用に向けては 一筋縄ではいかないとも思っています。
Q) スケートボードがオリンピック種目になりましたが、ルールや慣習のないストリートで生まれたもののロマンティシズムは失われていませんか。どのような影響があると思いますか。
T)ロマンティシズムは失われていないと思います。むしろ、スケートボートの存在を知らなかった、理解できなかった子どもたちの目を開かせることになるかもしれません。オリンピックの種目になったり、報道されるようになったりしたことで、子どもたちがスケートボードに興味を持つきっかけになるかもしれません。本当に興味のあるものを見つけたときは、フェンスを飛び越えたり、手すりに乗ったりしたくなるのです。それは今でも私たちの文化の大きな部分を占めていて、スケートボードという傘の下にそのすべてがあることは、今でも象徴的なことです。70 年代から 80 年代は競技大会が中心で、80 年代から 90 年 代にかけては、ビデオスケーターやソウルスケーターに注目が集まりました。しかし、それでも競技的要素は常に存在していました。そして、それが X-Games で強くなり、さらにオリンピックでも実現しまし た。オリンピックでは新たなことをしているわけではなく、私たちが何十年もやってきたことと同じフォ ーマットを、より大きな会場でやっているだけなのです。
これからのスケートボードについて
Q)2022 年に活躍すると思うスケートボーダーのトップ 5 を教えてください。
T)ナイジャは必ず入ってくるでしょう。先にも述べたように、オリンピックに向けて、彼は最も注目されていた選手です。彼は今でも私たちが見た中で最も素晴らしい技術を持つスケーターの一人です。だから、彼は間違いなく上位にいます。ジミー・ウィルキンス(アメリカ)は、ここ最近ではおそらくトップバーチカルスケーターです。彼は、バーチカルを知らない人やその楽しみ方を知らない人の考えを変えてしまうような選手です。四十住さくら(日本)は、非常に難しいトリックを次々と披露し、女子スケートパー クを牽引しています。彼女の新しい映像を見るたびに、トップ 10 に入る難易度のトリックをやっていることに感動しています。私自身は、リジー・アマント(アメリカ)の大ファンです。私のチームに所属しているからという身内の理由もありますが、彼女は女性にとって、スケートボードの最高のアンバサダーの一人でもあると思います。
Q)スケートボードがこの人気や熱を継続し、成長を続けるためには何ができると思いますか。
T)まずは公園を作ることです。これこそが、観客を増やし、子どもたちにスケートボードを提供するための基盤だと思います。そのためには、より多くの施設が必要です。私の財団や Skateistan(アフガニスタン) が行っていることはこうした活動です。
Q) スケートボードを志す人のためのどのようなことができるか。あなたのゴールはどのように変わりまし たか?
T)スケートパークは、創造性とコミュニティの拠点であり、スケートをすることを認めてもらえなかったり、 周囲から敬遠されている子どもたちに安全な場所を提供するものなのです。このようなことは、地域社会にとって非常に重要なことだと思っています。だからこそ、私はスケートボードの世界に何かを還元したいという情熱を持っていますし、自分自身の感覚やコミュニティを見つけた場所でもあります。スケート ボードは私にとって第二の故郷であり、決して失われることのない場所でした。
Q) スケートボードを通して子どもたちが学べることは何ですか。
T)忍耐力の大切さ、自分を信じること、自分の声で自分のペースで何かをすること、そして、個々が自分の夢を追いかけながらも、コミュニティとして活動することの大切さも体感できます。
Q)あなたは、14 歳でプロのスケートボード選手となりましたが、その後スケートボード界が前進してこのような位置に到達することを想像していましたか。また、今のスケートボードは正当に評価されているのでしょうか。
T)今では日常的に行なわれていることのほとんどは、私が 14 歳だった当時は突拍子もないものと思われていました。あるいは、みんな一度だけ挑戦して終わりというようなものだったかもしれません。これは、若い世代がベテランや先駆者に刺激を受け、それが出発点であることを理解していることと関係があります。例えば、キックフリップは、今の子どもたちが最初に学びたいと思っているトリックの一つです。でも、キックフリップが発明されたのは私が 15 歳の時で、ロドニー・ミューレン(アメリカ)しかできませ んでした。それが今は当たり前になっているということは、スケートボードがいかに進化しているかということを示しています。スケートボードは、ボールやスティックを使ったスポーツと同じように、メインストリームのスポーツとして受け入れられていくと思います。
冬季オリンピックについて
Q) ショーン・ホワイトがキャリアの最後となるオリンピック出場を果たしました。ショーンがアクションスポーツやボードスポーツに与えた影響、またこれからのショーンに何かアドバイスはありますか?
T)これだけ長い間、高いレベルで競技を続けていることはとても大変なことです。そして、突然それを辞めることも同じくらいハードなことです。彼へビデオメッセージを送ったのですが、私から彼への唯一のアドバイスは、「(ボードに)乗り続けなさい、でも楽しむためにやりなさい。自分自身のために。それがあなたの原動力になります」でした。勝つことが目的ではありません。勝利のためではなく、自分の延長線上にあるもの、そしてその出口が大事なのです。私は、彼が何歳までそれを続けることができるかの生き証人になるのだと思います。でも、正気を保つためにも、スノーボードに乗り続ける必要があると思います。そして、もし彼がスケートボードに戻りたいのなら、彼は私がどこにいるのかを知っているはずです。
自身について
Q)1999 年 6 月、あなたは 12 回の挑戦の後、スケートボーダーとして初めてトリック 900 を達成しました。その時のことを、あなたは「人生最高の日」と表現しました。これまでに達成したすべてのことを考慮しても、今でも人生最高の日だと思いますか。
T)私の“キャリア”の中で最高の日でした。私の人生で最高の日は、自分の子どもたちと過ごしてきたので、過去にそのようなコメントをしたことは子どもたちに謝らなければなりませんね。しかし、私の競技人生の中で最高の日であったことは間違いありません。そのおかげで、競技から、大きなアリーナツアー、 他の大会での成功、テレビ出演など、様々な機会に恵まれることになりました。あれは間違いなく私の足がかりとなりました。
Q)52 歳のあなたは、540°と 720°を再び成し遂げました。53 歳になったあなたは 900°に挑戦しますか。
T)膝は大丈夫だと思います。首には問題があるかもしれません。というのも、900°のクラッシュはいつも激しいむち打ちになってしまい、私はそれをたくさん経験してきました。回転させることはできると思うし、調子が良ければ 2,3 回は成功させることができるでしょう。しかし、私には(900°に)挑戦することのリスクとリターンのバランスがとれていません。もし挑戦することで世界平和がもたらされるとか、 パンデミックがなくなるとかいうのであれば、挑戦してもいいかもしれません。
■Laureus(ローレウス)とは
「スポーツの力を持って社会問題に立ち向かい、スポーツの素晴らしさを世の中に広めること」を目的に、スポーツを通じた社会貢献活動に取り組んでいる国際組織です。各国のトップアスリート、レジェンドアスリートから成るローレウス・アンバサダーやローレウス・アカデミーメンバーなどともに、 現在は 40 を超える国と地域にて 200 以上のプロジェクトの支援を行っている。
SPECIAL EDITION

FINEPLAYはアクションスポーツ・ストリートカルチャーに特化した総合ニュースメディアです。2013年9月より運営を開始し、世界中のサーフィン、ダンス、ウェイクボード、スケートボード、スノーボード、クライミング、パルクール、フリースタイルなどストリート・アクションスポーツを中心としたアスリート・プロダクト・イベント・カルチャー情報を提供しています。
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dance「全日本ブレイキン選手権」が開幕!FINEPLAY編集部が注目する4人のBBOY2023.02.01来る 2月18日(土)・19日(日)ブレイキン日本一を決める頂上決戦、「第4回全日本ブレイキン選手権(以下:全日本)」が、国立代々木競技場 第二体育館にて開催される。本大会のオープンカテゴリーでは、前年度の全日本オープンカテゴリー / ユースカテゴリーの優勝・準優勝選手に加えて、全日本出場ポイントランキング上位25名が出場する。 FINEPLAYでは今大会に出場する選手の中から注目のベテランBBOYを紹介。彼らの長年の経験に裏付けされたスキル・経験値など、注目すべき点をFINEPLAYが一足先に解説!大会当日までに様々なスタイルのBBOY / BGIRLを知ることで、より「ブレイキン」を楽しんでみては。 NORI NORI / Suguru Saito / Red Bull Content Pool まず紹介するのはBBOY NORI(THE FLOORRIORZ / TAKE NOTICE)だ。長きにわたり日本のブレイキンシーンの先頭を走り、今もなお現役として前線で進化を続けている。 昨年の11月に行われた「マイナビ JDSF ブレイキン ジャパン オープン 2022」では惜しくもShigekixに敗れたものの、見事準優勝で一気にランキング上位に踊り出たNORI。これまでNORIは一度もオリンピックフォーマットのバトルには出ていなかったが、スキルやBBOYとしての経験値を武器に好成績を叩き出した。 昨今のブレイキンのシーンでは若い世代が勢いを見せているが、常にフレッシュかつハイレベルなムーヴから見える「これぞBBOY!」っといった立ち振る舞い、一つひとつの動きのシルエットは是非とも注目して欲しいポイントだ。 WINGZERO WINGZERO / Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 WINGZERO(FOUND NATION)も今大会に出場する注目BBOYの一人だ。ソロ・クルーバトルともに世界の舞台で輝かしい成績を残し、今もなお第一線で活躍するWINGZEROが全日本の舞台にも登場する。 WINGZEROの特徴は、スピード感とオリジナリティを兼ね備えた唯一無二のフットワークだ。足首・膝など足の関節を自在に操り、様々なバリエーションで多彩な組み立てを見せていく。しかしその中には細かな体重移動や足裏の使い方など、確かなスキルが裏付けされている。もちろん全日本でも彼にしかできないオリジナルの動き、そしてそこから見える細かいスキルにも、是非注目して欲しい。 HAYATO1 HAYATO1 / ©︎harugraphics HAYATO1(Strugglez)は大阪を拠点とするBBOYである。もしかしたら皆さんも一度はInstagramで、彼を一目見たことがあるのではないだろうか。#breakour のハッシュタグと共に、公園や街中で「ブレイキン×パルクール」の動きを掛け合わせた動画を投稿。動画は100万回再生を越え、海外からも多くの評価を得ている。 フットワーク、フリーズ、パワームーヴ、全てがハイレベルであるのは間違いないが、#breakour でも見せるような途切れることのないフローはHAYATO1の強みである。HAYATO1の卓越したスキルとフローで全日本でも勝ち上がっていくことができるのか、注目である。 SHADE SHADE / Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 SHADE(ARIYA)はJDSF強化選手でもあり、昨年の第3回全日本ブレイキン選手権では3位で表彰台に上がっている。パワームーヴもハイレベルであるが、クラシックバレエで培った柔軟性を活かしたオリジナリティあふれるフリーズやフットワークが特徴的である。 ソロ・クルーバトルでも世界大会で多くの実績を残しているSHADEは、15歳からブレイキンを始め、30代の今も勢力的に国内外のバトルで活躍している。我々の想像を越えてくる、腕や脚の角度から繰り出されるムーヴは注目していただきたいポイントだ。また昨年から表彰台の順位を上げることができるのか、その点でも大いに期待できるBBOYだ。 昨年の入賞者たち / Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 昨年まではShigekixやTOAを中心に若い世代が実績を残している中、いよいよ今大会ではキャリア・実績を兼ね備えたBBOYたちが全日本に出場する。 昨年までとはまた一味違った「バトル感」や「スタイルのぶつかり合い」を見ることができるのは間違いないだろう。しかしそれがまたブレイキンの醍醐味でもあり、そこを楽しみに今大会に注目していきたい。 また本日より、e+(イープラス)にてチケットの発売が開始された。購入はページ下部の関連リンクよりお買い求め下さい。 第四回全日本ブレイキン選手権 シード選手 半井 重幸SHIGEKIX神奈川県オープン男子 優勝俣野 斗亜TOA京都府オープン男子 準優勝福島 あゆみAYUMI京都府オープン女子 優勝湯浅 亜実AMI神奈川県オープン女子 準優勝米澤 脩斗Haruto石川県ユース男子 優勝菱川 一心ISSIN岡山県ユース男子 準優勝津波古 梨心RIKO沖縄県ユース女子 優勝小手川 結翔YUIKA千葉県ユース女子 準優勝倉井 湧都Wato栃木県ジュニア男子 優勝堀之口 こうたろうKo-taro大阪府ジュニア男子 準優勝川瀬 心晴KOHARU大阪府ジュニア女子 優勝竹中 千遥haru東京都ジュニア女子 準優勝 ※前年度全日本 オープンカテゴリー / ユースカテゴリー / ジュニアカテゴリーの優勝・準優勝選手 ■各カテゴリー出場者数 オープンカテゴリー:・シード選手(前年度全日本 オープンカテゴリー / ユースカテゴリー 優勝・準優勝選手)・今年度全日本出場ポイントランキング上位25名ジュニアカテゴリー:・シード選手(前年度全日本 ジュニアカテゴリー 優勝・準優勝選手)・今年度全日本出場ポイントランキング上位20名 ■備考※ポイントランキングにシード選手がいる場合は、その選手を除いたランキング上位者が対象。※同率25位又は20位がいる場合も対象者に出場権利を付与する※ポイントランキング上位2名及び、シード選手は全日本でのプレセレクション(予選1回目)が免除となる。プレセレクション以降の予選への出場は必要です。
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dance「第4回全日本ブレイキン選手権」開催発表!日本一のBBOY・BGIRLが決定する!2023.01.28公益社団法人日本ダンススポーツ連盟は、1月27日(金)都内にて「JDSF 第4回全日本ブレイキン選手権」の開催発表会見を行った。日程は2月18日(土)、19日(日)の2日間で行われ、会場は日本のストリートダンス発祥の地と言われる、代々木公園内の「国立代々木競技場 第2体育館」で開催される。またオープン部門男女の決勝が開催される19日(日)には、NHK総合で決勝の様子が生中継で放送される。 会見には日本ダンススポーツ連盟 ブレイクダンス本部長 石川 勝之(Katsu One)をはじめ、JDSF強化選手のShigekix、TOA、Ayumi、AMI、Lil’BOM、SHADE、Yuika の計7名が登場し、全日本選手権への意気込みを語った。 石川 勝之(Katsu One)/ Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 代表挨拶の石川 勝之氏(Katsu One)は、「日本No.1決定戦ともいえる「第4回全日本ブレイキン選手権」を開催させて頂けることに、大きな喜びを感じています。さらに2月19日、16時よりNHK総合で生放送が決まっており、日本の皆様にテレビを通して『ブレイキン』を披露することができるのが今はとてもワクワクしています。」と語った。 概要を説明するマーロック氏 / Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 そして今大会の概要について、ブレイキンナショナルチームディレクターである渡邊マーロック氏から、昨年とは違った形式での競技フォーマットや、強化選手についての選定方法にも説明があった。 今回の全日本選手権を勝ち上がり、優秀な成績を残した選手は次年度の「強化選手」に指定され、ダンススポーツ ブレイキンの国際大会へ日本代表・強化選手として海外で戦う事や、ダンス競技力向上のプログラムに参加することが出来るため、パリ五輪出場に向けての大事な一歩となる。 また、オープン部門の決勝戦が行われる19日には、ジュニア部門の「男女混合戦」が初めて行われる。これは男性:1名、女性:1名の2人一組のペアで、2 on 2のバトルを実施する。男女混合戦は、2018年のブエノスアイレス・ユースオリンピックでも採用された競技フォーマットであり、「結果至上主義ではなく、ブレイキンをもっと楽しんで、ダンスをやる目的・目標を明確に立てていって欲しいため、男女混合戦を開催する運びとなりました。」とマーロック氏も会見で語った。 全日本へ意気込みを語る強化選手たち / Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 パリ五輪も翌年に迫る中、今大会は日本一のBBOY / BGIRLを決める位置づけでもあり、選手にとっては2022年度の集大成の場でもある。オープン・ジュニアの2部門で、総勢100名を超えるBBOY / BGIRLが日本一の称号をかけて争う中、様々な個性やスキルを感じながら、「ブレイキン」の魅力に触れていきたい。 尚、チケットは2月1日より各種プレイガイドにて販売開始される。詳細はJDSF BREAKINGのオフィシャルWEBサイトよりご確認ください。
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doubledutch繋いだ思いの先にあった、ダブルダッチの未来への希望。THE GOLD 15th Anniversary2023.01.192023年 1月15日(日)、ダブルダッチのクルーバトルの頂上決戦『THE GOLD -king of double dutch- 15th anniversary』が、京都府・京都市東部文化会館で開催された。 THE GOLD (ザ ゴールド) は、2008年に関西発のプロチーム alttype (オルトタイプ) が立ち上げたイベント。例年70チームほどが参加する、クルーバトル・ショーケースの祭典だ。 alttypeがシルク・ドゥ・ソレイユ アーティストとなり海外に渡ってからは、同じく関西のプロチーム NEWTRADをはじめ、彼らの薫陶を受けた仲間が運営を引き継いできた。 年に一度開催される“お祭り”のような一日。白熱したバトルに様々見せるショーケースと、ダブルダッチの様々な表情を垣間見ることが出来るこのイベントは、15年に渡って多くのプレイヤーに愛されてきた。 CREW BATTLE COLLEGE部門 今回からCREW BATTLEは2つの部門に分かれて構成。“団体対抗戦”であるCOLLEGE部門には、9つのCREWが出場。 昨年 ショーケースの大会を征し、優勝候補と目された「MIYAKO JUMP ROPE CLUB」の “JAMBUDDY” が初戦で敗退するなど波乱の展開となったなか、決勝で相対したのは、そのJAMBUDDYを撃破した 京都産業大学「ダッチゃ」“壱馬力”と、同じ所属団体となる「MIYAKO JUMP ROPE CLUB」“高校生STRクラス”。 MIYAKO JUMP ROPE CLUB vs. ダッチゃ 奇しくも因縁となったこの対決は、ダッチゃが大技を繰り出そうとするも、疲れもあってかミスを連発。安定した練習の成果を発揮した MIYAKO JUMP ROPE CLUB が部門優勝を勝ち取り、見事に仲間たちの敵を打つかたちとなった。 OPEN部門 もう1つの部門である、OPEN部門。こちらはこれまで同様、COLLEGE部門とは異なりチーム編成において特に制約は存在しない部門だ。 学生から社会人まで入り乱れる、まさに“バトルロイヤル”。決勝戦に勝ち進んだのは、東西の学生が徒党を組んだ「witness us」と、東海地方の選手を中心に結成された「KETTA MACHINE」。 witness us vs. KETTA MACHINE 異なるバックグラウンドを持つ2チームの対決は、審査員 5名が全員 witness usに軍配を上げ、圧倒的な力量で優勝を果たした!同チームは前週に開催された招待制のクルーバトルイベントでも優勝。若手世代の勢いを印象付けた。 豪華なコンテンツが盛りだくさん! THE GOLDの魅力は、“GOLD”という名に劣らぬ豪華コンテンツが盛りだくさんであること。一つ一つを語り尽くしたいところであるが、ダイジェスト方式でご紹介していこう。大会オフィシャルフォトグラファー・春菊による迫力満点の写真にもご注目。 “Lusty Nail 14th” 関西学生の女性選抜・Lusty Nail(ラスティネイル)。女性らしさを武器にした唯一無二のショーケースを披露 “APOLLO 15th” 関西学生の男性選抜・APOLLO(アポロ)。THE GOLDと同じ歴史を歩む彼らのパフォーマンスは、力強くスキルフルでオーディエンスを沸き立たせた 15年の歴史で史上初となるAPOLLO・Lusty Nailのコラボパフォーマンス。サプライズで披露されたこのコラボレーションは、多くの驚きと感動を与えた “ALL APOLLO” THE GOLDと同じ歴史を持つ「APOLLO」の歴代メンバーが集結。オープニングを飾る彼らの衰えないショーは、マニアのみならず多くのプレイヤーを興奮の渦に 国際大会 王者によるSHOWCASE 名だたる大学生たちを差し置いて優勝に輝いた「JAMBUDDY」。折り紙付きの身体能力の高さは圧倒的だ 別部門 優勝の「トンデミーヤ」。小学生とは思えない表現力とパッションで会場を“トンデミーヤ”色に染め上げた CREW BATTLE「King of Double Dutch」決定戦 COLLEGE・OPEN 両部門の優勝クルーが出揃ったが、まだ戦いは終わらない。各チームが最終決戦を行い、真のNO.1—— “King of Double Dutch”の称号を懸けて戦う。 2008年の開催当初からサブタイトルとして付されていた、この“King of Double Dutch”というフレーズ。今回ついに15年の時を経て、初めてその“King”が決定することに! COLLEGE部門の「MIYAKO JUMP ROPE CLUB」“高校生STRクラス”、そしてOPEN部門の「witness us」の頂点を懸けた戦いは、まさにダブルダッチシーンの過去と未来を繋ぐバトルとなった。 witness us witness us には、MIYAKO JUMP ROPE CLUBで育ったプレイヤーをはじめ、キッズ時代からダブルダッチに親しんでいるプレイヤーで構成。経験値で攻めるwitness usに対し、MIYAKO JUMP ROPE CLUBも肉薄した戦いを見せた。 「MIYAKO JUMP ROPE CLUB」“高校生STRクラス” 未来を担う世代同士の注目の一戦は、witness us が勝利!ダブルダッチシーンに育まれた6人の勝利は、対戦相手となるMIYAKO JUMP ROPE CLUBの生徒たちにも影響を与えたことだろう。近く偉大な先輩たちの背中を見た彼らが、witness usのようにこれからも活躍していってほしいと切に願う。 THE GOLDが紡いできた“歴史の年輪” さてwitness usの6人にしかり、このイベントにしかり、感じたことがあった。「継続」によって華々しい結果を手にした彼らだが、しかしそれは決して容易いことではない。派手さや華やかさとは無縁な道をひたすら突き進むことでもあり、悩み向き合い、苦しむことでもあるからだ。 MCを務めていたalttypeのメンバー・FUKUは終演直前、ついに抑えきれない感情がこみ上げた。涙ながらに15年分の感謝を述べると、会場はあたたかな拍手に包まれた。彼がステージの上から目の当たりにした光景は、私たちが見るものよりもずっと輝いていた。 THE GOLDが紡いできた歴史の年輪。駆け抜けて迎えた15年という節目、そこにあったのは、たくさんの笑顔と感動と、ダブルダッチの未来への希望だった。 優勝クルー「witness us」にインタビュー! 左から NAO, ASUKI, SHU, ikkyon, SEIYA, shu ――優勝おめでとう! まずは率直な気持ちを教えてください。 NAO最高です!ほっとしましたね。 ――「witness us」はどのような経緯で結成されたチームなんでしょうか。 NAO去年の「Out Hedge」というイベントであった招待制のクルーバトル企画で、僕が主催の人に「フレッシュなやつを集めて出て欲しい」と言われたことがキッカケでした。最初は僕が MIYAKO JUMP ROPE CLUB 時代の仲間である SHU・SEIYA・ASUKI を誘って、そのあとにASUKIが同じ関東のチームメイトだった ikkyon・shu を誘って、今のかたちになりました。 ――つまり東西の学生が混合してチームを組んでいるわけですか。その当時から継続して活動するイメージはあったの? ikkyonそれはあまりなかったですね。ですが、その呼んでもらったOut Hedgeで勝利したことで今年も呼んで頂いて、思った以上にモチベーションが高くなりました(笑)。同じタイミングでTHE GOLDでもルールが改定されて、部門優勝だけでなく“King of Double Dutch”が決まることになって。それに目掛けて頑張ろう!とまとまった感じです。 NAO今年はちょうど1週間前にOut Hedgeがあって、今日THE GOLDがあったので、“2冠”が目標でした。達成できてよかったです。 ――どちらも観ていたのですが、凄まじい勢いで勝利をもぎ取っていましたね。これからが楽しみな6人ですが、次なる目標は? ikkyon“バトルのwitness us”と呼ばれるようなクルーになりたいです。これからもクルーバトルがあったら、全国どこでも飛んでいきます!あとは世界規模で開催されている国際動画コンテスト「Meets Your Artist」にも参加していて、僕たちが世界トップ100に選ばれて予選に残りました。今日もこれから提出する動画の撮影をします(笑)。 ――それもまた凄い! 今から撮影するのも凄いなぁ(笑)。 ikkyonあとはwitness usとしてだけではなくて、それぞれまた別のチームに所属しているので、そこでも各々しっかり頑張りたいと思っています。 ――最後に、この記事を読んでいる人に伝えたいことがあればお願いします! ikkyonまずはおこがましいですが、もっと皆とクルーバトルで戦ってみたいです。パフォーマンス、ソロバトルは割と盛んですが、もっとクルーバトルという文化が広がればいいなと思います。 そしてもう1つ、僕らにとってもクルーバトルという文化は最初馴染みはなかったわけですが、それは関西のシーンに育てられたと振り返って思います。僕個人としては「Brilliant Night」という、THE GOLDと同じ方々がオーガナイズしているイベントがあったのですが、そこで敗退してしまって悔しい思いをしたことがキッカケで、バトルに対する熱が高まりました。あとは東西のメンバーで結成しているので、頻繁に関西に足を運んだりもしたこともあって、関西にいる多くのプレイヤーの方々に支えてもらいました。 そもそもメンバーのうち半数以上は関西の出身ですし、関西のダブルダッチシーンなくして今の僕らはありません。関西のダブルダッチシーンを続けてきてくれた方々に感謝して、来年も再来年も、またトロフィーを獲りに行こうと思います! イベント結果 ●King of Double Dutch / OPEN部門 優勝「witness us」 ●COLLEGE 部門 優勝「MIYAKO JUMP ROPE CLUB」“高校生STRクラス” ●MEN'S BEST BATTLERNAO / witness us ●WOMEN'S BEST BATTLERAME / 「ダッチゃ」“壱馬力” イベント概要 「THE GOLD -king of double dutch- 15th anniversary」主催: THE GOLD 実行委員会企画: OVER THUMPZ 関西支社協力: 特定非営利活動法人 日本ジャンプロープ連合京都府支部協賛: SCHOLE / HELLO-O MY NAME IS… / hotel kanra kyoto / 株式会社COFFEE BASE / 新渡月 / 一瞬
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dance日本から世界へ!今年度、最強のBBOY / BGIRLが決まる!【THE JAM FINAL by SEIKO】国内最高峰のブレイキンバトルイベント「THE JAM FINAL by SEIKO」が2022年 2月4日、5日の2日間に渡って兵庫県西宮市の市立塩瀬体育館で開催される。OVER15 SIDE、UNDER15 SIDE、BGIRL SIDE に新たに 3on3 SIDEを加え、4コンテンツでお送りする今回のTHE JAM FINAL! THE JAM FINAL では、最終予選からのシードに各地で開催されてきたTHE JAMの優勝者、準優勝者が出場。更に大会からの招待BBOY & BGIRLが加わり、トーナメントを開催する。 2月4日(土)にOVER15、UNDER15、BGIRL、各部門の最終予選大会を実施。予選の上位は、翌日2月5日に開催されるTHE JAM FINALトーナメントに進出することができる。さらに2月5日(日)には 3on3 の予選・決勝が同会場にて行われる。 昨年のFINALの様子 / ©haru_graphics THE JAM FINALの2週間後には東京・国立代々木競技場 第2体育館で開催されるJDSF全日本ブレイキン選手権も控え、まさに前哨戦としてもヒートアップすることは間違いなし。 注目BBOYは、なんと言ってもBBOY ISSIN。昨年のRed Bull BC Oneでは国内予選を制し、ニューヨークで行われた世界大会ではベスト4まで進むなど現在最も勢いのあるBBOYだ。 ISSIN Little Shao / Red Bull Content Pool さらには昨年のTHE JAM FINALの覇者・BBOY TOAや今シーズンからDリーグ「KOSE 8 ROCKS」でディレクターを務めるBBOY KAKUなど錚々たる顔ぶれが集った。BGIRLも、AYUやAYANE、ERi FeNeSiS、YURIEなど日本が誇るBGIRL達が揃った。 1年に一度、ブレイキン最高峰の舞台でBBOY・BGIRLが日本一の称号をかけて、熱い戦いが繰り広げられる。 ※2月5日の決勝はスポーツナビにてLIVE配信も行われます BBOY / BGIRL 主な出場者 AYU AYANE ERi FeNeSiS YURIE KAKU TOA 大会概要 ▶︎大会名THE JAM FINAL by SEIKO ▶︎日時 2月4日(土)OPEN 13:00 / CLOSE 18:00 2月5日(日)OPEN 11:00 / CLOSE 18:00 ▶︎場所 西宮市立塩瀬体育館 〒669-1133 兵庫県西宮市東山台5丁10-1 ▶︎JUDGENORIKOSSYYosh is stoic. sowaTenpachi ▶︎MCTK317 ▶︎DJBOSANOBUTEE ▶︎LIVE配信2月5日決勝の模様をスポーツナビにて14時からLIVE配信 ▶︎観覧について予選・決勝 2日間通し4,000円チケットプレイガイドZAIKOにて販売中※チケット販売12/26 18:00〜2/3 23:59※定員に余裕があれば当日券5,000円(当日現金のみ)を購入可能です※未就学児無料 ▶︎エントリーについてENTER THE STAGEにて受付中!※エントリーフォームはページ下部の関連リンクから※事前エントリー期間12/26 18:00~2/2 20:59
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race「プロBMXレーサーとして世界一を目指す覚悟」中井飛馬が見据えるパリ五輪とプロキャリアを通して追い求める自身の姿。2023.01.18オリンピックの正式種目にもなりアクションスポーツの中で最近注目が集まっている自転車競技「BMX」。BMXはバイシクルモトクロスの略称で現在ではBMXレーシング種目を皮切りに、フリースタイル種目としても「パーク」「フラットランド」「ストリート」などと様々な競技が広まっている。 そして今回注目するのはBMX最初の種目であり「自転車の格闘技」とも呼ばれる、選手が8人一斉にスタートしゴールまでの順位を競う中でコース上にあるジャンプやコーナーセクションでの攻防が観客の目を惹く「BMXレーシング」。この競技の世界最高峰クラスにて世界一を目指し、世界各国のレースに参戦しながら日々トレーニングに励む日本人選手がいる。 それがプロBMXレーサーの中井飛馬(なかい・あすま=22歳) だ。今回はパリオリンピック出場選考もすでに始まっている一方で、来年3月には日本体育大学を卒業し新生活をスタートする彼に来シーズンに向けての意気込みと今後の活動への想い、そして彼にとっての「BMXレーシングとは何か?」を聞いた。 中井 飛馬(以下:A) 東京オリンピックと2021年U23ワールドカップシリーズを振り返って 東京五輪の出場選考を通して感じたことを聞かせてください。 A:東京五輪の開催が決まった時から、年齢的に出場可能なのが分かっていたのでずっと目標にしてきました。そして15歳の頃に全て逆算して、2020年の時点でどのレベルに達していれば東京五輪に出場できてメダルが取れるのかを細かく自己分析し書き出しました。当時立てた目標は15歳~18歳くらいまで自分のプラン通りに順調に達成できていましたが、19歳の時に世界最高峰クラスであるエリートカテゴリーで戦うようになってから実力が全く通用しなくなり、東京五輪でメダル獲得を目指していたのに大会への出場すら叶いませんでした。 この現実が自分の中で結構大きな「挫折」になっていて、小さい頃は生意気な性格で「俺が(東京五輪で)勝つから!」みたいなことを言っていましたが、その自分の言葉と現実とのギャップに直面しました。ただ着実に自分がレベルアップはしている実感はありますし、東京五輪にも補欠選手として選手村に入って大会の雰囲気を感じることが出来たのでこの経験はポジティブに受け止めたいと思っています。 同時期にコロナウイルス大流行によって色んな事があったと思います。その変化の中で自分にどんな影響がありましたか? A:僕は今まで駆け足で生きているような感じでBMXに全力で打ち込んできました。それがコロナ禍で一旦ストップになり、練習はしっかりできていた一方で大会はかなり減ったので自分のモチベーションが落ちることもありました。でも逆にそのおかげでBMX以外の事にも時間を割くことができて、今までのトレーニング方法や自分の生活習慣などを見つめ直す良いキッカケになりました。また今までBMXしかしてこなかった人生だったので、「BMX以外にもこんなに素晴らしい世界が広がっているんだ」と確認できてBMXライダー中井飛馬としてだけではなく、一人の人間として大きなステップアップができたかなと思っています。 コロナ禍でもトレーニングを続けた結果が2021年U23ワールドカップシリーズチャンピオンの達成だと思います。どんな努力を積み重ねてきましたか? A:今まではパワーやスピードが自分の課題でした。そのためトレーニングに関してはコロナ禍で日本にいる間、そういった弱点を重点的に強化することができましたし、コロナウイルスが少し収まった2021年の2~3月頃からアメリカに行き今のコーチに変えて練習環境も大きく変わったことがこの大きなレベルアップに繋がったと思っています。 そして東京五輪でモチベーションを貰って、「この舞台で俺も戦いたい!俺の目指している舞台はここで間違いない!」と再確認できました。過去のオリンピックは全てテレビの画面上で観ていたので、今回生でオリンピックを観れたことが一番モチベーションになりましたし、それからシーズンの残りの大会も集中して臨むことができました。 またアメリカにいる間、リオ五輪金メダリストである元アメリカ代表のカーナー・フィールド(以下: カーナー)と1シーズン通して一緒に練習しながら大会を回る機会があり、彼から練習や大会に対する取り組み方や私生活のオンオフの切り換え方など本当に色々教えてもらいました。彼との出会いは自分の中で大きなターニングポイントになり、今でもお世話になっていますが本当に僕のメンターのような存在です(笑) U23ワールドカップシリーズチャンピオンになった2021年シーズンがあって、今年の2022年シーズンは振り返るとどんなシーズンでしたか? A:今シーズンは自分にとって実力的にレベルアップすることができたすごく良い年だったと思っています。ただ結果がついてこなかったのは悔しい部分ではありますが、それ以上に今までのように運が良くて結果が出るのではなく、しっかり実力がついてきたことで自分の中で足りなかったパズルのピースが揃ってきているような感覚があります。あとは自分の詰めが甘い部分やちょっとした失敗を減らしていけばエリートクラスでも全然通用することを実感できた年だったので、自分としてはすごい実りのある年になったと振り返ってみて感じます。特にアメリカの国内シリーズ戦でエリート選手と戦って表彰台に乗れたことは僕にとって大きなことで自信にも繋がりました。 世界最高峰クラスの日本人選手を生み出したこのBMXレーシングとの出会い 中井選手がBMXレーシングを始めたきっかけを聞かせてください。 A:僕は新潟県の上越市出身なのですが、地元で父親がアパレルのお店をやっています。そのお店のお客さんに「息子さんにBMXレースどうですか?」と紹介して頂いたことがきっかけで、家から車で10分ほどのところに当時日本国内でも珍しい大型のBMXレースコースがあったので少しずつ遊びに行きながらBMXに乗るようになりました。僕が物心ついた頃には既にBMXにハマっていて大会にも出始めていましたね。また本格的にBMXレースをやるようになったのは全国各地に練習に行くようになってからです。特に冬の時期だと新潟は雪が降ってしまってコースに乗れないので、関東や関西に行って練習するうちに国内の色々な大会にも出るようになりました。そして行く先々でいろんなライダーと繋がりが増えていくうちに上を目指すようになっていきました。 国内から世界を舞台に戦うようになったのはいつからですか? A:海外に行くようになったのも父親の影響です。父親のお店ではアメリカンなアパレルを取り扱っているので父親がアメリカ出張の時に僕も一緒に連れて行ってくれて、仕事の後や合間に現地のレースに出たりしていたのでアメリカのレースカルチャーには小さいころから触れていました。僕は物心ついた頃からBMXをやっているので、そもそもBMX以外の選択肢を考えたことが無かったですし、幼少から海外に行く経験させてもらった上に負けず嫌いな性格も相まって、昔から本格的にやるからには世界の頂点を目指すという感じでした。 幼少から世界選手権へ毎年出場されてきたと思いますが、何歳から世界のトップレベルで戦える自信や実感が生まれましたか? A:元々生意気な子どもだったので、良い意味で勘違いしていて何の根拠も無く「いけるでしょ!」と思っていました。高校卒業するくらいまでは本気で世界を取れるという自信があったんですが、大人になってエリートクラスで戦ってなかなか通用しなかったり、東京五輪出場を逃した挫折も味わって現実的な難しさを痛感しましたね。今では毎年、少しずつ結果・実力ともに上がってきているのでどんどん自信が付いてきています。 来春、大学を卒業しプロBMXレーサーを本業とする覚悟 来年大学を卒業して今後はBMXレーサーを職業として活動する上で、何が自分を突き動かす原動力になっていますか? A:僕は幼少からBMXでやっていくと決めていたので、自分がBMXを本業としてやっていけるかどうかを疑問視したことは無いです。また大会で良い結果が出た時はめちゃくちゃ嬉しいですし、日常生活でも絶対に味わう事のない高揚感がなんとも言えないです。負けた時の悔しさもそうですけど、勝つことで得られるこの感覚をまた味わいたいというのが大きな原動力になっています。またBMXには色んな関わり方があると思っているので、将来的にはライダーとしてだけではなく、BMXができるフィールド作りや、イベントを開催してBMXを広める活動だったり、BMXと他のカルチャーを繋げることなどいろんな事をやっていきたいです。自分の人生を通して様々な形でBMXに関わっていきたいと思っていますが、今の自分にできる事はまず結果を追い求めることだと思います。そういう意味ではレーサーとしてのキャリアを終えた後に見据えている自分の理想像に辿り着きたいという思いも大きな原動力です。 BMXレーサーを職業にする中で周りからは何が求められると思いますか? A:やっぱり周りから求められるのは結果ですね。選手であるからには結果が大事だと思います。カルチャーの中にはカッコよければいいみたいな風潮もあったりしますが、スポンサーさんからお金をもらったり協会から強化費等も出してもらっている以上結果は一番求められるべきだと考えています。その上で自分の持ち味やスタイルが評価されると思うので、まず周りからは結果が一番、その次にSNS等での発信が求められてくると思っています。 中井選手はプロBMXレーサーとしてどんなプロ意識を持っていますか? A:僕の中では「常に一番良いものを追い求める姿勢」を持つことがプロだと思うので、自分がやっているBMXレーシングに関しては世界一を目指して追い続けるのが当然のことだと思っています。また僕はインタビュー時の振る舞いや大会以外のSNSでの発信についても同様で、一番良いものを追い求めるという意味で何事においてもこだわりを持ってやるようにしています。 プロBMXレーサーとして活動していく中で自身の活動を通してこんなBMX業界にしたいという想いはありますか? A:サーフィンとかスケボーも同じ類いだと思いますが、BMXもスポーツでありながらライフスタイルそのものなんです。僕自身も小さいころから朝起きて学校行く前に近くのコースでダートジャンプしたり、学校が終わったらレースコースに乗りに行ったり、常に自分の生活の一部にBMXがあってまさにライフスタイルだったのでスポーツとしてだけではなくライフスタイルとして楽しめる環境を作っていきたいですね。ここで言うライフスタイルはBMXでライディングするだけでも楽しい、でもBMXを通じて人生が形成されていくということです。ただBMXレースって勝負事なのでしっかり勝負する大会もあれば、一方で他の様々なアクションスポーツにも触れられる楽しいイベントもあったりします。 そういったイベントのおかげで僕も他競技のライダーたちとの交流も多いですし、仲間のスケーターやスノーボーダーがイベントに遊びに来たり、逆にBMXライダーたちでスノーボードしに行ったりもします。みんながBMXを人生のライフスタイルの一部として捉えてくれるような業界作りをしていきたいです。 ちなみに他のアクションスポーツの選手たちとの繋がりもあるのでしょうか? A:そうですね。同世代ですと、スケートボード男子ストリート種目の堀米雄斗はマネジメント事務所が同じという繋がりから、アメリカで一緒にNBA観戦をしたり食事をしたこともあります。また別種目ですがBMXフリースタイル・パークの中村輪夢は仲良いですね。大体みんな同年代なので彼らの活躍している姿にはとても刺激を受けています。みんなカッコいいので自分もそういう風になりたいって目標にもなりますし、このまま負けていられないっていうモチベーションにもなりますね。 BMXを降りた中井飛馬のオフの姿 BMXがライフスタイルである中、中井選手はSNSを活用して私生活の姿を発信されていますが、オフの時は主に何をしていますか? A:家でゆっくりするのも好きだし、外に出かけるのも好きです(笑)特に友達とキャンプに行ったりして、自然に触れ合う時間が大好きです。またお酒を飲むことも好きなので休日などは友達と飲んだりもしますし、音楽も好きなのでアーティストのライブに行ったり、、あとは雪国で育ったこともありスノーボードも大好きなので冬の時期には滑りに行ったりしています。本当に多趣味なんですが、コーヒーも写真も大好きなのでカメラ持って散歩して写真撮ったりと色々楽しんでいますね。 オフの時にリラックスや気分転換のために意識していることはBMXレーシングにどう活かされていますか? A:オフの過ごし方はカーナーと一緒にいた時に学んだことの一つです。例えば、練習が終わったら気持ちを切り換えてBMXの事を全く考えないとか。カーナーは特に工夫していて自分がゆっくり過ごす家の一階の部屋にはBMXやそのパーツ、ましてやBMXの写真すら置かないように徹底していました。彼からBMXのものが目に入ることで無意識のうちにBMXのことを考えてしまうことを避けるためと聞いてからは僕も空間を分ける技術を得ることができました。そういう意味では僕は何でも熱中しやすく写真やコーヒーなど全部ハマったらガッツリやるタイプなので、今ではオフの時は時間もBMXも気にせずとことん集中して色々できるようになっていますね。BMXのことを考えすぎるのも自分のパフォーマンスに良くないのでオフの時の切り替えは意識するようにしています。 オフの姿も載せているInstagramは最近グンとフォロワーも増えてきましたが、コンテンツ作りや発信方法で意識していることはありますか? A:難しい質問ですね(笑) やっぱりBMX関係のフォロワーが多いのでBMXのことを上げた時と、自分自身のことを上げた時とではかなり反応に差があります。だからといってフォロワーのためにBMXのことを上げ続けるのではなくて、BMX以外の自分のことを上げることで人間らしさも見せたいという思いもあります。先ほどBMXはライフスタイルということを話させてもらいましたが「こうやって俺は人生楽しんでるよ」「俺はこういうことをして普段遊んでるよ」っていうのは伝えたいです。特にキッズライダーたちは練習のことについてたくさん聞いてくれることが多いので「練習だけじゃなくて気持ちを切り替えてたくさん遊んでね」っていうメッセージでもあったりしますね。 この投稿をInstagramで見る asumanakai(@asuma_nakai)がシェアした投稿 そういう意味では中井選手の人間としての魅力もSNS上では意識して発信しているんですね。 A:はい。特に写真の見せ方はこだわりますね。また「自分とBMXがある人生」は意識して見せるようにしています。必ずしもBMXを写したいわけではないのですが、BMXライダーとしての日常。その中で自分の見ている風景だったり、感じた事が自然に伝わればいいなと思っています。それでもまだまだ理想的な自分の見せ方はできていなくて、他のBMXライダーを始めスノーボーダーやスケーターたちの映像や写真を見てると憧れる部分も多いので、参考にしながらこれからもっと積極的に発信していきたいです。 2年後に迎えるパリオリンピックに向けて 既にパリ五輪の選考は始まっている中、現在力を入れて取り組んでいる事やこれまでのシーズンを踏まえて改善点はありますか? A:現在は、まだ今シーズン終盤の大会で負ったケガの治療中なので思ったようにトレーニングが出来ておらずムズムズしています。ただ今シーズンの課題は自分の実力が付いてきているのにもかかわらずレースで決めきれないことでした。例えばスタートが決まってもその後のセクションで失敗してしまったり、予選から準決勝まで完璧だったのに決勝で失敗してしまうといった細かいミスが多かったんです。正直経験不足なだけだと思うのであまり考えすぎずにこのままの調子でやり続けて色んな経験を積みたいと思っています。あとは海外選手との体格差によるパワー不足も大きな課題ですが今まで3年ほどフォーカスして取り組んできたので少しずつ海外のトップ選手のスピードに近づいてきたかなと肌で感じています。 自分たちでパリ五輪の出場枠を取りに行くために意識していることや準備していることはありますか? A:自分の環境を整えることですね。ワールドカップや世界選手権に出ている選手って当たり前ですけどみんな並々ならぬ努力をしているので、その中でどうして差がつくのかなって考えた時に、周りのサポートしてくれる人たちや一緒にトレーニングする選手など、どれだけ自分の練習環境が整えられているかが関係してくると思っています。このような環境面はケガしてる今だからこそ特に整えているところです。資金的な部分を含めてですがしっかり整えて何も心配事が無くただBMXに集中できるようにするため日々頑張っています。 ちなみに来シーズンはどういった目標なのでしょうか? A:2021年から今までは22歳までが参加可能なカテゴリーのU-23で戦ってきましたが来シーズンから一番上のエリートクラスに上がりカテゴリーが変わります。ただ今シーズンでも既にエリートの選手たちとはレースしているので自分がどれくらいの位置にいるかは分かっています。来年はエリートでもワールドカップで決勝に勝ち上がり表彰台に乗ることが目標です! 中井飛馬にとってのBMXレーシングとは 改めてBMXは中井選手にとってどんな存在ですか? A:僕の場合は少し特殊だと思いますが、物心付く前からBMXを始めそれからずっとBMXだけをやってきました。そしてBMXを通じて色んな友達ができましたし、BMXを通じて人との関わり方や物事に対する向き合い方を学びました。BMXを通じて海外に行くようになって世界が広がり、色んな文化や街を見るようになって英語も話せるようになりました。更に悔しい想いや嬉しい想いも全部BMXを通じて経験してきているので本当に僕の人生をリードしてくれているものですし、真剣にBMXと向き合ってきたからこそ色んな大事なことを学べたと思っています。今後は自分で工夫しながらこの経験を色んな事に繋げていけたらベストだなと思います。本当にBMXは僕にとって「人生」です。 中井選手みたいになりたいと思っている子どもたちに向けてアドバイスはありますか? A:振り返ってみると大変なこともいろいろありましたが、どうやって乗り越えたかを考えた時にやっぱり根本にあったのはBMXに夢中になって楽しんできたということだと思います。僕は本当にこの競技を遊びの延長線でやってきたのでBMXを嫌いになったこともないですし。だから本当にみんなにはBMXを純粋に楽しんで欲しいですね。そういう意味であえてレースコースだけでなくパークに行ってみたり、少し思考を変えてマウンテンバイクに乗ってみたり、駐車場でも工夫して遊んでみたり、サイクリングで遠出してみるとかなんでも良いんですけど自分次第でBMXの楽しみ方ってどこまでも広がるし、それがBMXの良いところだと思います。遊んで楽しんでいった先に気づけば自分の目標が達成していることもあると思うので本当に楽しんでもらいたいです。 BMXレーサー中井飛馬としての最終的なゴールは何ですか? A:やっぱりオリンピックで金メダルですね! 今後BMXを広めていく存在にもなると思います。どんなスポーツカルチャーにしていきたいですか? A:BMXレースって他のアクションスポーツと違ってまだまだ一般の人たちと分断されているというか、BMXレースのことは知られていても近所ですぐ体験できるような場所がなかなか無いんです。またレースコースに関しては作るのにお金も土地も必要なので国内のコースの大半が街から離れた郊外ですし。今後は東京近郊含めて色んな場所にレースコースを始めBMXを体験できる場所ができるように、そしてコミュニティを作っていきながら日本国内のBMXレースのカルチャーを発展させていきたいです。 最後に来シーズンに向けて意気込みを聞かせてください。 A:今シーズンは結果も良かったですし、それ以上に自分のライディングが成長した一年だったので、来年はこれまで以上にレベルアップしていくので結果を楽しみに待っていてください!!あとはSNSやYouTubeももっと発信していきたいと思っています。BMXレースってライブ配信や大会結果でしか見ることがないと思うので、僕たち選手の活動の裏側みたいなところもみなさんに届けていきたいと思っていますので楽しみにしていて欲しいです。 中井飛馬プロフィール 2000年6月24日生まれ。新潟県上越市出身のプロBMXレーサー。5歳のとき新潟県上越市金谷山にてBMXレースと出会う。11歳の夏、世界選手権で初めて決勝進出を決め念願であったワールドゼッケンを獲得した。その後、12歳で本場アメリカの強豪チームにスカウトされ海外へ転戦を始める。2019年にはエリートクラス1年目ながら全日本選手権で優勝。2021年には日本人で初めてUCIワールドカップシリーズのU23シリーズチャンピオンに輝く。