Skateboarding Unveiled VOL.1 My name is……

2023.04.07
text & photograph by Yoshio Yoshida

「この写真見たことある!」
「この記事も読んだことある!」

もしあなたがスケートボードをしていたり、仮にしていなくても興味・関心がある人ならば、どこかで一度は、わたし、吉田佳央の写真や記事を見たことがある人が多いのではないかと思う。
現在自分はフリーのフォトグラファー、ジャーナリストとして、主にメディアを中心に活動しているのだが、よほどのマニアでもない限り、雑誌やウェブ媒体で書き手にまで注目して見ることはないだろう。

そこで初回となる今回は、自分のキャリアを辿りながら過去の様々な作品を紹介すると共に、撮影の裏側や時代背景といったプラスαも交えることで、より楽しんでもらえたら幸いだ。
次回以降様々なテーマを題材に、膨大な写真ストックを公開しながら、社会への提案をしてみたり、タイムリーなトピックを取り上げながら過去も掘り下げていきたいと思っている。

人生初のスケートボード写真

まず最初に紹介する写真だが、人生初の作品を挙げたい。自分は高校生の時に偶然入った写真部が現在のルーツとなっているのだが、1999年の文化祭で飾った写真がそれに当たる。

1999年の高校の文化祭で展示した人生初のライディング写真

スケーターは小学校の時からの同級生で、今も連絡をとっている親友なのだが、90年代後半はストリートカルチャーのブームが押し寄せていた頃。
当然SNSなんてものはなく、雑誌がもっとも繁栄していた時代で、ヒットチャートにもヒップホップやパンクなどが上位にランクインしていたり、ミックスカルチャーという名のもと、プロスケーターが様々な業界の著名人と、誌面で共有していたように思う。自分もそのブームが無ければスケートボードを始めていないし、ストリートスケートの最盛期と言える時代だった。

1990~2000年代は、このようなお手製セクションでスポット化させていた場所が多くみられた

同時にスケートパークもまだまだ少なく、このように空き地や公園にお手製のセクションを作ってはスポット化させている場所が全国各地に点在していたのも特徴のひとつ。

現在公共の場では至るところでスケートボードが禁止されているので、ほとんど見ることのなくなった光景だ。

と、ココで余談を挟ませていただきたい。それなら初めて撮影したプロスケーターは誰なのか!? というマニアックな人もいるかもしれないので、ご紹介。それは2000年にうみかぜ公園で撮影したNEIGHBOR HOODと、今は無き新宿のEDITパークで撮影したMNKEY BIZのデモになる。

とはいえ、当時高校生の自分が今みたいにビシバシ撮れる訳はなく、柵の外からこちょこちょと撮っていただけなのだが、運良く中に入れて撮れたのがこの一枚。といってもなんの変哲もないドロップインの写真なのだが、そこからのストーリーを軽くご紹介。
この人は今でも現役のレジェンド、米坂淳之介プロになるのだが、実は昨年にリリースされた自身監修のハウツー本、『伝説のプロスケーター米坂淳之介監修 スケートボード入門』にて、自分はメインフォトグラファーを担当させていただいた。

当時の自分が知ったら、さぞやビックリすることだろう。もし今カメラマンを目指している若者がいたら、自分からは「どんなに大失敗をしても、辞めずにコツコツ続けること」というアドバイスを送りたい。

2000年代前半。日本を代表する屋内パーク

2001年の来日したTUM YETOライダーのデモにて、エド・テンプルトンのフロントサイドノーズグラインド

続いては2000年代初頭に繁栄を極めたWicked’zというスケートパークにて、2001年に来日したエド・テンプルトン。この人は今も現存するブランド、TOY MACHINEの設立者であり、セクトアイなど同ブランドのキャラクターは全て彼のアートワークによるもの。ライダーとしても90年代のスケートシーンの発展に多大な貢献をしたレジェンドだ。
当時Wicked’zは日本を代表するパークとして、様々なコンテストやデモツアーが行われており、来日した海外のプロはTAMPA(歴史と伝統ある世界的なコンテストが開催される著名なスケートパーク)のようだと話していたのを、自分は現場で聞いている。

世界のGo Skateboarding Day

道路を埋め尽くすスケートボーダー達。これがNYという大都会であることに”自由”な雰囲気を感じる

次は2009年にプライベートで訪れたNYのGo Skateboarding Day。
6/21は世界的にスケートボードの日と定められており、世界各地で様々なイベントが催されている。日本はあいにく梅雨のド真ん中にあたるため、雨天中止になるケースが大半なのが残念ではあるのだが、このように道路をスケーターが埋め尽くす光景は、スケートボード本来のカルチャー性や、自由な雰囲気を示すには最も適した一枚なのではないかと思っている。
道路交通法がある日本でこれをやるのは極めて高いハードルではあるが、2021年には岩手県花巻市で『HILLBOMB SUNDAY』という公道を解放したイベントも行われているだけに、今後首都圏で開催することがあるのであれば、話題性はかなりのものになるのではないだろうか。
今後日本でもこういった新たな形で街おこしにストリートスケートボードが活用される事例が増えることを願っている。

一時代を築いた業界最大手のメディア

その後、キャリアの大きな転機となったのが、2010年の当時国内最大手の専門誌だったTRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部への入社。これを機にライターのキャリアもスタートしたし、何よりここ十数年のスケートボードシーンの重要な一瞬をいくつも撮影させてもらうことができたのは、この経験があったからに他ならない。

そのため見ていただきたい写真は数多くあるのだが、ここではタイプ別に厳選してお届けしたいと思う。

国内最大手の専門誌として一時代を築いたメディア、TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN

まずはわかりやすく表紙に選ばれたこの一枚。同い年のプロスケーター、安田哲也のフロントフリップのカット。これは東日本大震災から3年後をテーマに東北シーンを取材した中の一コマ。伸ばした前足の勢いそのままに飛び出したシューレースが、”スタイル”とはなんたるかを物語っているのではないかと思う。
この一瞬のインパクトは動画にはない静止画の魅力だと思っている。

今となってはとても貴重な一枚。当時のひたむきな姿が、今の子供達に夢を与え、彼の素晴らしさを知ってもらう一助になれたら幸いだ。

そして今や日本スポーツ界の国民的ヒーローのひとりにまで上り詰めた堀米雄斗の小学生時代。

自分にとって彼は写真の価値観を良い意味で変えてくれた存在。なぜならこれを撮影した当時、こんなに注目を浴びる写真に価値が変化するとは想像できなかったので、その経験が今でも様々なコンテストを取り続けている理由のひとつになっているし、現在パリ五輪の予選を戦っている将来のスター候補生たちも、気付いたら幼少期の写真を持っていたというケースが大半となっている。

当時はアメリカ国内で活躍するプロスケーターしか出場できなかった設立2年目、2011年ののSLS。五輪のストリート種目で採用されているルールを構築した世界最高峰のコンテストだ

そしてもうひとつは2011年に足を運んだシアトルにて、長らくシーンのトップに君臨し続け、近年は堀米雄斗との二強時代を築き上げてきたナイジャ・ヒューストンのドレッド時代の若かりし一枚。

こちらは初期のSLSで優勝した時の1枚であり、隣にいるメンツの豪華さは、スケートボード好きなら説明するまでもないレジェンドたち。
この時代の世界トップのコンテストを撮影できた興奮は今でも決して忘れていない。

上海で撮影した夕暮れに写るシルエットのスケートボーダー。こういった美術的要素はコンテストにはないストリートの魅力だ

他にも当時の国内トッププロの皆と様々な場所へツアーに出かけたり、セッション出来たことは、間違いなく今の自分の血となり、肉となっている。
この写真も大学生当時の奥野健也らと行った上海ツアーの一コマ。この写真にはストリートスケートボードのアートの側面が性が詰まっていると思うので、ココで挙げさせていただきたい。

これらの写真もほんの一部でしかないくらい、トランスワールドには貴重な経験をさせてもらったし、間違いなく一時代を築いたメディアだったと思う。
それでも時代の流れには逆らえず、SNSの盛り上がりと同時に下火となっていき、2016年いっぱいで休刊になってしまったのだが、この年に起こった出来事が、その後の自分の方向性を決定づけることになった。

オリンピックが変えた運命

2015年の東京五輪追加種目候補決定会見に出席した堀米雄斗(左)と瀬尻稜(右)

2016年の東京オリンピック追加種目決定会見にて。上段左から堀米雄斗、池田大亮、中村貴咲、西村碧莉。

そう、オリンピック種目への採用だ。

自分は縁あって前年の追加種目候補決定会見も、正式種目決定会見も足を運ぶことができたのだが、当時は世間的にスケートボードがあまりにも新しかったためか、多くのマスメディアがどう扱えば良いのかわからないといった感じで摩訶不思議そうに見つめていたと思う。
その姿を見たことで、自分なら一般社会と業界の橋渡し役になれるのではないかという想いが芽生え、それが今日に繋がる活動目標のひとつになっている。
どちらもスケートボードの歴史という意味では、ものすごく貴重な一枚ではないかと思う。

写真が持つ”価値”の変化

今後国内のアマチュア競技大会で、五輪の金メダリストが2人も同じ表彰台に立つことはあるのだろうか!? そう考えると写真の価値というものは、いつ、どう変化するのか全く予想がつかない。

そして独立後のこの6年間だが、継続的なところではAJSAでオフィシャルカメラマンを務めさせてもらっていることが大きいと思っている。
2017年のAJSA全日本アマチュア選手権のガールズクラスの表彰式の顔触れを見れば一目瞭然。この写真は左から若かりし頃の織田夢海、四十住さくら、西矢椛、中山楓奈になるのだが、なんと未来の東京五輪の金メダリストが2人、銅メダリストが1人が同じ表彰台に立っているのだ。

もともとアートの要素が強いストリートスケートボードの写真に惹かれて撮るようになった自分ではあるのだが、コンテストも長年撮影しているとコンテストにしかないドラマが見えてくるし、過去を振り返ると、このように今ではあり得ない組み合わせのメンバーが集まっていることも多い。 そのため今も現在進行形で撮影しているコンテスト写真も、今後どう価値が変化していくのかを、個人的にはすごく楽しみにしている。

2020年にメイクしたキックフリップ・フロントサイドボードスライド。ここまでのメイクの過程が、とても小学生とは思えない分析力で驚かされた。

そういった価値の変化という意味では、このライダーの写真もここで紹介しておきたい。2月にドバイで開催されたWORLDSKATEの世界選手権にて、史上最年少で銅メダルを獲得し、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの小野寺吟雲、通称ギンちゃんだ。彼とは9歳の頃からコンテストで幾度となく顔を合わせているのだが、実は約2年半前に撮影セッションをさせてもらったことがある。この年齢でストリートをどう攻略していくのかを記録したくなり、コロナ禍真っ只中の3年前にオファーして撮り下ろさせてもらったのがこちらの写真だ。

そこで驚いたのが、とても10歳とは思えない賢さでスポットの癖を分析して基礎トリックから徐々に身体を合わせていき、最終的にここまではと話していたキックフリップ F/Sボードスライドを宣言通りにメイクしてしまったことだ。

こういったら語弊があるかもしれないが、彼の滑りを見ていると、時にゲームのように見えてしまうことがある。
まるでコントローラーをこう動かせばこの必殺技ができるのと同じように、こう身体を動かせばこのトリックができるといった感覚でスケートボードをしているのではないかと思えるほどだ。
もちろんスケートボードがそんなにいうほど簡単ではないことは百も承知なのだが、そう思っても仕方ないほど彼の安定感は抜きん出ているので、この例えは彼に対する最高の褒め言葉として捉えていただけたら幸いだ。

もちろんその裏には尋常じゃない努力や苦労、多くのケガがあったことも知っている。だからこそ得ることのできた類い稀な自己分析能力とボードを扱う繊細な感覚ではないかと思うし、実際に相対すると、時に年齢以上に大人びた対応を見せてくれる時があるので、こちらが感心してしまうこともあったほどだ。今後は外野の声も以前より大きくなっていくだろうが、彼にはそんなことを一切気にせず、自分のスケートボードを追求していってもらいたい。

そうして今後も順調に成長を続けていけば、コンテストというフォーマットでは、この先誰も彼に敵わなくなるのではないか!?
と思えるほどの領域に、彼はすでに達しているのではないかと思うし、今後もその成長し続ける姿を写真に収めていけたら幸いだ。

近況とこれから

そのためにも、まだまだ自分の写真と文章を追求しなけらばいけないと思っている。東京オリンピックで自分の記事を非常に多くの人に読んでいただくことができて、昨年も多くのコンテストでオフィシャルとして入らせてもらうこともできた。

さらにラジオ番組出演や社会講座の講師など喋る仕事の話もいただけるようになってきたし、今月には自分のカメラマンとジャーナリスト人生を振り返ることのできる「ジブン未来図鑑」という本も、プロサッカー選手さんやプロ野球の監督さんなど創造たるメンバーに交じりリリースされる。

記憶に新しい昨年日本初開催となったX Games。バーチカルのリップの上から撮影した芝田モトのフロントフットインポッシブルのミュートグラブ。今年はどんなドラマが起こるのだろうか!? / photo by Yoshio Yoshida / ESPN Images

徐々に仕事の幅も広がってきているのかもしれないが、それは今までシャッターを切らせてくれて、取材に応じてくれた多くのスケーターがいたからこそ。
だから今後もライダーへの感謝と敬意を忘れずに仕事を進めていきたいし、これを読んでくれた皆さんにもお礼の言葉を伝えることで、初回のコラムを締めくくりたいと思う。

吉田佳央 / Yoshio Yoshida@yoshio_y_
1982年生まれ。静岡県焼津市出身。
高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。
大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。
2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本の監修や講座講師等も務める。
ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている

執筆者について
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