畑を持ち、サーフだけでなく農ライフも始めた三浦理志さん。それによって“食”への熱が高まり、ついには料理本まで出版してしまった。
究極の食のスタイル「自産自消」を目指す彼に、農ライフの魅力と続けるコツを教えてくれた。
海も畑も無邪気に楽しむ。失敗さえもポジティブに!

今から約10年前に始まった三浦さんの農ライフ。しかし、現実は甘くなかった。畑を整えてから植えたきゅうり、なす、ピーマン、ミニトマトなどの夏野菜がまったくと言っていいほど育たなかったのだ。
「手をかけなかったのがいけないんですけどね。農業に興味のある人が増えてるみたいだけれど『畑をナメてはいけません!』って言いたい(笑)。『今日も行かなきゃいけないのか……』ってたまに億劫になるんですよ。
夏場は作物がよく育つし、雑草も生えるからまめに行かなきゃいけない。蚊と暑さとの戦いだし。冬場は寒いしね。でも収穫できると楽しくなる。自分が育てた野菜ってかわいいんです。
で、食べておいしい。お裾分けして『ありがとう』と言われて。そういう喜びを知って、やりがいを持つようになりました」。

つらさもつきまとうからこそ、うまく野菜ができたときには喜びもひとしおだと話す三浦さん。
農業を趣味として楽しく続けるコツは、仲間と一緒にやることだとおすすめする。

「ひとりではくじけそうなときも、仲間がいれば続けられるんです。うちは奥さんも畑が好き。夫婦共通の趣味があるのはいいなと。
でも喧嘩にもなります。『畑に行かなきゃいけないんだから、海なんか入ってる場合じゃないでしょ!』とか言われちゃったりね(笑)」。
サーフかノーフか、選ぶとしたら?

サーフィンと農業どちらが楽しいかをたずねると「サーフィンのほうが全然楽しい! 比べものにならない」と即答したものの、畑には畑の楽しさがあるという。
「土からのエネルギーもすごい。ガキの頃、泥んこになったり砂場で遊んで楽しかったのと同じような感じです。砂できれいな山を作れたらうれしかったのが、今は畝がまっすぐできたらうれしい。
あとは虫とか生き物が好きだったから、バッタがいたりアマガエルがいたりするのを見るのも楽しいんです」。

三浦さんが畑に行くペースは、冬は週1回、春からは週2回ほど。家に畑がない以上、それくらいの緩さも続けるための秘訣だそう。
また野菜をうまく育てるために大切なポイントを次のように教えてくれた。

「種まきや苗植えは時季を外すとうまく育たなくなるから、そこだけは守らなくちゃいけない。それでもダメなときはダメ。
不思議なんだけれど、例えば自分の畑のなすがダメだったときは周りの畑もダメだったりするんです。逆に『今年はきゅうりが良かった』というときはだいたい周りも一緒。当たりはずれが年によって違います。
結局はサーフィンと同じように、自然の流れに身をまかせるしかない。そんなところも楽しんだほうがいいんじゃないかな」。
自産自消のおいしい生活。好きが高じて本まで上梓!

自分の手で野菜を作る、作った野菜を料理する、その料理をおいしくいただくという究極の食の楽しみを実践する三浦さん。想い溢れてついに料理の本を出版するにいたった。
「料理の純粋な楽しみって、自分が『食べたい!』と思ったものを作って味わえること」。そう話す三浦さんが考案した自信を持っておすすめする51のレシピ、そして料理や「SURF&NORF」への想いが詰まった永久保存版の一冊。「SURF&NORF」を目指すなら、まずはこれを読むことから始めるのもあり。
photo by 熊野淳司、高橋賢勇、朴 玉順(CUBE)
styling by 松平浩市
text・styling by 高橋 淳
text by 菅 明美、増山直樹

(この記事はOCEANS:特集 欲求不満はファッションで全解放せよ!! 「感動の服」 より転載)
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FINEPLAYはアクションスポーツ・ストリートカルチャーに特化した総合ニュースメディアです。2013年9月より運営を開始し、世界中のサーフィン、ダンス、ウェイクボード、スケートボード、スノーボード、クライミング、パルクール、フリースタイルなどストリート・アクションスポーツを中心としたアスリート・プロダクト・イベント・カルチャー情報を提供しています。
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others「トリッキングで食べていく」独学から世界制覇、そして『極限武術』へ。トリッキングパフォーマー・Daisuke Takahashiインタビュー2026.08.13バイオハザードの主人公に憧れ、バク転を真似たのがすべての始まりだった。教えてくれる人はおらず、動画を見て覚える完全な独学。土手の砂場を練習場所に、弟のReijiと切磋琢磨してきた彼は、高校卒業と同時に「トリッキングで食べていく」と決め、2016年には世界大会で優勝を果たした。 現在はスタジオ3店舗を運営しながら、パフォーマンスチーム「TOK¥O TRICKING MOB」を主宰。レッドブルクリエイターとしての活動や、Dリーグ選手への指導も手がける一方で、自ら5年前に立ち上げた大会「極限武術」を主催し、8月22日・23日には有明アリーナで開催を控えている。オリンピック競技化を見据えたスコア制度の導入など、競技としての新しい試みにも積極的だ。 武術とストリート、その狭間で独自のスタイルを築き上げてきた彼に、トリッキングとの出会いから今後の展望まで、じっくりと語ってもらった。 Daisuke Takahashi(以下:D) 「この主人公になりたい」——バイオハザードから始まったトリッキング人生 ―まずは直近の活動についてお伺いします。第一線でのパフォーマンスや大会に加え、メディア出演など幅広く活動されていますが、手応えを感じている部分はありますか? D:最近はレッドブルクリエイターとして色々な企画に参加していて、トリッキングだけにとどまらない方面に露出できているかなという感覚があります。ランニングやフィットネスといった領域にも参加させてもらいながら、トリッキングの選手としてのキャリアや経歴を残し、「こういう人がいるんだ」というのを見せられていると感じますね。 ―トリッキングが浸透してきている、という実感が湧く瞬間はありますか? D:結構ありますね。スタジオを3店舗運営しているのですが、プライベートレッスンの依頼が増えていたり、アーティストの方やDリーグの選手たちから「トリッキングを習いたい」という声がすごく多くなっています。エンターテインメントとしてアクロバットをやるならトリッキングが強い、という認識が本当に広がっていると感じます。 ―トリッキングを始めたきっかけを教えてください。 D:始めたきっかけは10歳の頃、「バイオハザード」というゲームが大好きで。主人公がゾンビの攻撃をバク転で避けたり、隙があれば回転蹴りで応戦したりする姿を見て、「この主人公になりたい」と思ったのがすべての始まりです。真似をしたのがスタートでしたね。 ―最初からトリッキングという競技だという認識はあったんですか? D:最初はパルクールやアクロバットというイメージでした。その後YouTubeで「乱舞」という動画を見つけて、その内容がトリッキングだったんです。「これだ」と思ってやり始めました。 当時はパルクールの方がずっと有名でしたし、自分でもパルクールだと思っていたのですが、パルクールは障害物を登ったりする要素が必須で、「そこはちょっと違うな、蹴りとかやりたいんだよな」という気持ちがありました。 ―蹴り技にもトリッキングのルーツがありますよね。 D:そうですね。トリッキングはもともと武術なので、蹴りや武術がベースになっているんです。パルクールは軍のトレーニングにルーツがあるという話もあるので、そのあたりでも二つの競技の違いが生まれているのだと思います。 独学で掴んだ世界の頂点。弟・Reijiと築いた唯一無二のスタイル ―そこからどのように競技にのめり込んでいったのでしょうか? D:10歳、小学5年生の頃からですね。今で言うと始めるのが遅い方かもしれません。小学校の頃から中学に上がっても、5、6人の仲間とずっと一緒に練習していました。 練習環境と呼べるようなものはなくて、陸上トラックのそばにある土手の砂場や、五反田にあった児童館のマットを使って練習していました。教えてくれる人はいなかったので、動画を見て覚える完全な独学でした。当時のチーム名は「我流」といって、Tシャツを作って土手を自転車で走り回ったりしていていました(笑)。 ―高校卒業後は、大学ではなくすぐにトリッキングの道に進まれたんですね。 D:高校を卒業する時点で「トリッキングで食べていく」と決めていたので、大学には行かず、すぐにバク転教室で働き始めました。当時はトリッキング教室というもの自体がそもそも存在しなかったんです。当時は大阪で大会が開催されるだけで、大阪と関東にそれぞれ同年代のトップ選手が1人ずついる、という状況でした。パルクールで生計を立てている人がいたので「トリッキングでもできるはず」という自信があり、練習と仕事を両立しながら地道に力をつけていきました。 ―弟のReijiさんと共に、2016年に世界大会で優勝したというお話がありますが、その時の様子を聞かせてください。 D:アメリカで開催された世界大会でした。「2人で一旦勝ってやろうぜ」というくらいの気持ちで出場したんです。当時働いていたバク転教室が新体操をやっている教室で、男子新体操には技を揃えて演技をする文化があり、そのイメージが強く残っていて。「シンクロさせた方がいいんじゃないか」と考えて演技を組み、当時のトリッキング界にはまだシンクロという文化自体がなかったこともあって、そのまま優勝することができました。兄弟なので技の系統も近く、綺麗に揃えられていたのが強みでしたね。 ―Reijiさんから受ける影響、あるいは競技上のスタイルの違いについて教えてください。 D:得意な技が似ている部分もあれば、まったく違う部分もあります。同じスタイルだと勝てないので、「自分はこの技をやる」というふうに差別化しながら練習してきました。弟は技をどんどん加算していって総合点が高くなるスタイルですが、僕は短く大きなつなぎを2つか3つ決めるスタイルで。手数で勝負するか、1つの大技で勝負するか、という違いがありますね。ソロで動く時にはそのスタイルの違いが強みになっていると思います。 ―オリジナルのトリックもお持ちだとか。 D:「Daisukeサイドフリップ」という、自分の名前をつけたかっただけの技があります(笑)。ただ、アクロバットというもの自体がすでに世の中にありふれているので、新しい単体の技を生み出すのは難しく、オリジナルの技を持っている選手はシーンの中でも少ないです。難易度はひねりの回数などを基準に判断されますが、オリジナリティやクオリティの部分はジャッジ次第で評価が大きく変わる部分でもあります。 この投稿をInstagramで見る Daisuke Takahashi 高梁 大典(@daisuke_takahashi_ttm)がシェアした投稿 「TOK¥O TRICKING MOB」始動の経緯と、パフォーマーとして譲れない軸 ―パフォーマンスチーム「TOK¥O TRICKING MOB」はどういった経緯で結成されたのでしょうか? D:トリッキングで仕事をするならパフォーマンスを持っていないとダメだと思っていたので、地元で一緒にやってきたメンバーや弟を誘って作ったチームです。 人数が違うと技の形や滞空時間が変わってくるので、動きを揃えるのは簡単ではありませんが、体力的にもかなりハードな中で鍛えてきました。 ―チームとして見せ方にこだわっているポイントはありますか? D:ピュアなトリッキングで見せる場面を多くすることを大切にしています。アクロバット系のパフォーマンスグループは数多くありますが、その中でも小細工をせず、ありのままのトリッキングを見せることにこだわっています。そもそもそんなに分かりにくい競技ではないので、飛んで、ひねって、回る、というシンプルな部分を丁寧に見せることを意識していますね。 ―SNSでの発信も意識している部分はありますか? D:下の世代が「仕事してるな、この人たち」と思えるような見え方を意識しています。技の動画やキャリアの記録として発信することで、次に続く選手たちに「これで食べていけるんだ」という背中を見せたい、という思いがあります。 武術とストリートの"間"にある美学。トリッキングというカルチャーの可能性 ―音楽やファッションなど様々な仕事につながっていく中で、トリッキングというカルチャーの良さやかっこよさをどう感じていますか? D:トリッキングという一つの軸を持っておくと、他のジャンルとすごく融合できるんです。ブレイクダンスの中に入れてもいいし、コンテンポラリーやアクションの中に入れてもいい。武術とストリートの間にあるという立ち位置自体がかっこいいなと思っています。 大会でも道着を着て出場する選手もいれば、ガムを噛みながら指輪をつけて出場するような選手もいます。国によっても色合いが違って、韓国では道着で出場する選手や、ブラジルではカポエラを彷彿とさせる装いの選手もいました。 ヨーロッパは武術のルーツが薄いこともあり、比較的ストリート寄りな雰囲気を感じます。一方で日本はやや競技的、アスリート寄りな傾向があると感じていて、そういった多様性もまたトリッキングというカルチャーの良さの一つだと捉えています。 次世代へ伝えたいこと、そして「極限武術」に懸ける想い ―後進の指導で大切にしている軸やマインドはありますか? D:チャレンジすることを何より大切にしています。日本は基礎を重視する国だと思いますが、発展の姿を見せないまま基礎だけを練習させても、何のための基礎か分からなくなってしまう。その先に何があるのかを見せながら、チャレンジと基礎の両方を大事に教えています。技術面だけでなく、楽しんでやってもらうことも大切にしていて、生徒同士が互いを盛り上げ合うカルチャーづくりを心がけています。 ―Daisukeさんが主催する大会「極限武術」について教えてください。 D:今年で5年目になります。都内でトリッキングの大会を開催すること自体が簡単ではなく、これまで3年連続で八王子の会場を使ってきましたが、少し都心から離れているという課題もありました。元々はオリンピックにつなげたいという思いで始めた大会なので、来場した方に「すごい大会だった」と思ってもらえるものにしたいという気持ちで取り組んでいます。 メインとなるバトルの魅力は、選手それぞれのスタイルの違いが色濃く出るところにあります。技の種類自体はそれほど多くないため、工夫を凝らしてスタイルを差別化した選手がトップに上がってくる。普段の練習が記録的な意味合いを持つのに対し、バトルではそのスタイルがぐっと際立って面白いんです。 バトル以外にも体験ブースなどを設けていて、トリッキングというフィルターを通して、それぞれが自分に合った道を見つけてもらえればという思いを込めています。競技として突き詰めるのも良いし、パフォーマンスとしてエンタメの世界で生きていくのも良い。トリッキングを通じて何かを得てもらえたら、というのが毎年の願いです。 ―スコア制度の導入など、競技面での新しい取り組みについて聞かせてください。 D:オリンピックを見据えた大会である以上、明確なスコアが出る仕組みが必要だと考えました。従来は「右か左か」という判定が中心でしたが、スコア制にすることで、1本目の出来が2本目、3本目にも合計点として反映される、よりスポーツらしい競技性を持たせることができています。 また、靴を履いて出場する部門も新設しました。トリッキングは「床がないとできない」という前提を超えて、単独のカテゴリーとして一人歩きできるようにしたいという試みです。安全面の配慮から技には一定の制限を設けつつ、クリエイティビティやスタイルで加点していく仕組みにしています。パフォーマンスとして持ち運びやすいコンテンツになるという点でも、選手たちが今後仕事にしていく上で重要な要素になると考えています。 プレイヤーとしての目標——「トリッキングだけで武道館を埋めたい」 ―今後のトリッキングの競技化や、日本のシーンについて描いている未来はありますか? D:ストリートスポーツとしてのカルチャーは自然に育っていくと思っています。競技人口が増えれば、何十年か先にオリンピックというのも十分にあり得る話です。僕個人がどうこうというより、そこに少しでも貢献できる動きを続けていきたい。ストリートシーンと競技としてのシーンの両方が、綺麗に育っていくといいなと思いながら活動しています。 ―Daisukeさん自身のプレイヤーとしての直近の目標は何ですか? D:直近ではアメリカのプロ団体の大会でチャンピオンになりたいという思いがありますが、そこまで強く固執しているわけではありません。個人的な目標としては、トリッキングの選手だけで武道館を埋めれるようなものを作っていきたいですね。決して遠い未来の話ではなく、2、3年くらいのスパンで実現できると思って取り組んでいます。 ―最後に、この記事を読んでいる読者や「極限武術」に興味を持っている方へメッセージをお願いします。 D:僕自身、他のカルチャーの大会にも足を運んできましたが、本気でオーガナイズされた大会を生で見ることで得られるものは、映像や情報だけでは得られないものだと感じています。この記事を読んで実際に会場に足を運ぶというのは一つのハードルかもしれませんが、それを超えて来場した時には、必ず食らわせるような大会になっていると思います。時間があって興味があれば、ぜひ会場に来てください。 「極限武術」イベント概要 日時:2026年8月22日(土)・23日(日)場所:八王子エスフォルタアリーナ メインアリーナ(東京都八王子市狭間町1453-1)内容:トリッキングを中心とした、武術・アクロバット・ストリートカルチャー・パフォーマンスを融合した2Daysイベント 【実施予定コンテンツ】・Hero Cup・Kids Battle Under15・Female Open・Open Rizing Battle・Asia Tournament Battle・Kick Hop・スタジオ対抗チームバトル・2on2 Battle・バスケ3on3・Daisuke ワークショップ・キッズルーム・フォトスペース・Jam MVP部門・各決勝前パフォーマンス Daisuke Takahashiプロフィール トリッキング選手、スタジオ経営者、パフォーマンスチーム「TOK¥O TRICKING MOB」主宰。10歳でトリッキングを始め、独学で競技を磨く。2016年、弟・Reijiとのシンクロパフォーマンスで世界大会優勝。現在は都内でスタジオを3店舗展開しながら、レッドブルクリエイターとしても活動。2022年より、トリッキングの祭典「極限武術」を主催しており、2026年大会は8月22日・23日に有明アリーナにて開催予定。
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dance2026年、新たなストリートダンスの競技化が決定! KATSU ONE×NOBUOスペシャルインタビュー【前編】2026.08.12ブレイキンがダンススポーツとして歩み始めてから、およそ10年。その間、世界大会や全日本選手権が整備され、選手たちの競技への向き合い方や、社会からの映り方も大きく変化してきた。そして今、その経験を受け継ぐように、ブレイキンをはじめとするストリートダンス全域にもダンススポーツとしての新しい道が拓れようとしている。先日、公益社団法人日本ダンススポーツ連盟(以下、JDSF)によって「ストリートダンス部門」が新設されることが発表された。これにより、ブレイキンだけに留まらず、ストリートダンス全域のジャンルがスポーツ、いわゆる競技化される。これはストリートダンスシーンからすると歴史的な快挙である一方で、シーンへの理解を醸成することは必須だ。スポーツ競技の側面を持つことで、ストリートダンスは何を得られるのか。長い時間をかけて育まれてきたカルチャーやコミュニティとは、どのように向き合っていくのか。JDSF「ストリートダンスカテゴリー」のスポーツマネージャーに就任したNOBUOと、ブレイキン日本代表のナショナルコーチを務めるKATSU ONEが、ブレイキンの10年を振り返りながら、ストリートダンススポーツのこれからについて語り合う。【前編】 想像を超える時代へ|ブレイキンが拓いた道 KATSU ONE: ブレイキンがオリンピック競技になったことで、ダンスそのものに対する世界のアンテナが、かなり高くなったと思うんです。ブレイキンも、ダンススポーツの一つのカテゴリーです。そこからストリートダンスにも目が向けられるようになって、WDSF(世界ダンススポーツ連盟)でもストリートダンスを扱う流れが生まれました。僕としては、「やっと、この流れになったんだな」と感じています。NOBUOさんはブレイキンを外側から見ていて、どう感じていましたか? NOBUO: 率直に「すごい時代になったな」と思っていました。僕は仕事柄、昔からブレイキンをやっている人たちが周りにいたので、そういう人たちが大きく取り上げられているのを見ると純粋に嬉しかったですね。他ジャンルのダンサーと話していても、みんな「ブレイキンはすごいね」と言っていました。実家に帰ると「おじいちゃんやおばあちゃんが、テレビでブレイキンの大会を見ていた」という話も聞くようになりました。それまでダンスに触れてこなかった人にも届いている。そこは本当に大きな変化だと思います。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 KATSU ONE: やっぱり、そう見えていたんですね。僕たちが活動を始めた頃は、こういう未来を実現したいという想いはあっても、現実にはかなり難しかった。でも、いつか実現できるようにと取り組んできました。世界中でブレイキンをする人が増えて、様々な国で世界大会が開催されるようになった。そして2018年のユースオリンピックで採用されたときは、もちろん驚きましたが、心のどこかでは「やっと気づいてもらえた」という感覚もあったんです。今回、ストリートダンス全域がダンススポーツの中に入っていくのも、同じようなタイミングなのかもしれません。 NOBUO: ブレイキンが先にその道をつくってくれたことは、ストリートダンスにとって本当に大きいと思います。10年前であれば「ストリートダンスがスポーツになる」と聞いたとき、もっと強い違和感があったかもしれません。でも、ブレイキンが歩んできた道をみんなが見てきたからこそ、「ついにストリートダンスにも、そういう時代が来たんだ」と受け止める人が多いのではないかと感じます。 スポーツ化により、ダンサーはどう変わったのか KATSU ONE: 一番大きく変わったのは、ブレイキンに明確な目標ができたことです。以前は、何のために取り組むのか、どこに焦点を当てて活動していくのかを、一般の人にも分かる形で示すことが難しかった。正式にスポーツとして認められたことで、社会からの見られ方が変わりました。挑戦する選手たちの意識も変わっています。大会に出る以上は勝利を目指しますが、ただ練習して技術を高めるだけではありません。目標に向けて計画を立て、自身の栄養管理やコンディショニングまで考えるようになりました。自分たちが踊っていることの意味が、社会に対して伝わりやすくなった。それは大きな変化だったと思います。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 NOBUO: 特に若い世代にとって、目指す場所が見えるようになったことは大きいですよね。地方でダンスをしている子たちは、以前なら、映像やSNSなどで世界の舞台を見ても、自分からは遠い世界のように感じていたと思います。でも今は、ブレイキンをしている子どもたちの中に「自分もそこへ行きたい」と本気で頑張る子がいる。そういう環境があることを、うらやましく感じるほどです。 KATSU ONE: 全日本選手権のような公式大会も生まれました。その結果を学校に示せるようになり、強化選手として活動したことが大学進学に繋がった例もあります。僕たちが若い頃は、ダンスの実績が進学に繋がるなんて考えられませんでした。そこにも、ブレイキンが社会に認められるようになったことの価値を感じます。それと、僕自身、最初の頃は「なぜメダルを取らなければいけないんだろう」と感じていたんです。でも、日本を背負って世界大会に出て、金メダルを獲得したときに国歌が流れる。その光景を目の当たりにしたときは、本当に感動しました。国を背負って挑戦すること、そのためのプロセスを考えること、そして結果が公のものとして多くの人に届くこと。それも、スポーツとして取り組む中で得た大きな経験でした。 スポーツか、カルチャーか NOBUO: ブレイキンでは、世界選手権や強化選手という言葉が、今では浸透していると感じています。でも、これから始まるストリートダンスでは、「強化選手とは何だろう」「どの大会を目指せば、どこに繋がるんだろう」というところから説明していかなければなりません。 ストリートダンスはジャンルも幅広いですし、「何をストリートダンスとするのか」という議論も出てくると思います。ブレイキンの10年を経験してきたKATSU ONEさんが、最初から大切にしてきたことは何ですか? KATSU ONE: ひとつは、ブレイキンとは一体何なのかを理解し、伝えることです。どのように生まれ、なぜ40年以上に渡り世界中の若者に支持されてきたのか。ブレイキンやヒップホップの歴史、背景、そこにある価値を大切にしてきました。もう一つは、スポーツの側面を理解することです。僕たちにとってはゼロからのスタートで、スポーツの世界では当たり前のことも分からなかった。一方で、スポーツに携わる方々は、僕たちのカルチャーを知らないこともあります。正直、最初は「ブレイキンはスポーツじゃない」と反発する気持ちもありました。でも、スポーツにはスポーツの素晴らしさや、積み重ねてきた仕組みがあります。そこに入っていくのであれば、僕たちのカルチャーが持つ素晴らしさと、スポーツが持つ素晴らしさの両方を理解する必要があると思ったんです。「スポーツなのか、カルチャーなのか。」と聞かれたら、僕の答えは「どちらも」です。ブレイキンはブレイキンだから、どちらの形でもできる。その考えはずっと大切にしています。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 NOBUO: その考え方は、ストリートダンスでも大切にしたいです。ストリートダンスはとても幅が広いので、最初から「これがストリートダンスです」と狭く定義するのは難しい。僕自身、まだ知らないジャンルがありますし、地方と都市部では考え方に違いがあるかもしれません。だからこそ、様々な人の意見を聞き、自分も学びながら進めたいと思っています。日本のストリートダンスには、世界から見ても独自の文化がある。その文化を大切にしながら、ダンススポーツとしてのストリートダンスを、社会と繋がるきっかけの一つにしたいんです。 KATSU ONE: ストリートダンスはブレイキン以上に複雑で、形にしていくのは大変だと思います。でも、ブレイキンが先に経験したことを生かしながら、スポーツとしての道をきちんとつくることができれば、社会に向けて新しい可能性を拓くことができると思います。大切なのは、ストリートの部分を忘れないことですよね。それを忘れて、ダンススポーツをつくることはできないと思います。 バトルとコレオグラフィー|具体的な種目について KATSU ONE: ブレイキンは1対1のバトルを中心に進んできましたが、最初のユースオリンピックでは、男女混合の2対2も行われました。今では2対2や3対3もあり、ブレイキンだけを見ても、ひとつの形式に限られなくなっています。ストリートダンスでは、バトルと、複数人で作品を見せるコンテスト形式が考えられているんですよね。 NOBUO: はい。大きく分けると、ダンスバトルとコレオグラフィーの2つです。バトルについては、様々なジャンルを最初からひとつに混ぜてしまうことに、僕自身は少し抵抗があります。それぞれのジャンルに対するリスペクトを持ちたいからです。まずはジャンルごとの1対1のバトルを入り口にしたいと考えています。ただし、一度決めた形をずっと変えないということではありません。実施しながら意見を聞き、時代やシーンの変化に合わせて育てていくものだと思っています。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 KATSU ONE: コレオグラフィー部門のほうは、チームで作品をつくり参加する形式ですか? NOBUO: そうです。チームや団体など、複数人でひとつの作品をつくり、コンテスト形式で参加してもらうことを考えています。こちらは幅広い表現を受け入れられるものにしたいです。小中高のダンス部や同好会で活動している子たちにも、ぜひ参加してもらいたいと思っています。 KATSU ONE: 学校でダンスをしている子たちにとって、甲子園のような目標になる可能性もありますね。 NOBUO: 本当に、そうなってほしいです。僕自身が地方で育ったからこそ、地域で活動する子たちが目指せる大会にしたいという想いがあります。自分の学校や地域、都道府県を背負って全国に出ていく。そして、地域のみんなが熱量を持って応援できる。そこまで育っていったら素晴らしいと思います。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 世界へ繋がる明確な道に NOBUO: 元々、僕自身岩手出身で、大学時代にストリートダンスに出会いました。最初から「ダンスをやりたい」と思って始めたわけではありませんでした。大学の仲間に誘われて、何となくやってみた。でも、そこから夢中になった。ダンスを通して先輩や友達と繋がり、後輩もできました。県外のイベントに参加すれば、そこでも仲間が増えていった。どこへ行っても、自分の中には「青森の弘前でダンスをしている」という軸がありました。卒業して東京で就職することも考えましたが、そのとき、ダンスとの向き合い方だけでなく、ダンスを通して出会った人たちとの関係も変わってしまうような気がしたんです。それほど、僕にとってコミュニティは大きな存在になっていました。だから今回の取り組みでも、全国のどこにいても「自分も本気で頑張っていいんだ」「日本一を目指していいんだ」と思える環境をつくりたいと思っています。学生だけではありません。社会人になってからも、自分の地域を背負って挑戦できる。競技を離れた後には、後輩を育てたり、地域で大会を運営したりすることもできる。そうやって経験を地域に還元する流れが広がってほしいと思います。 KATSU ONE: ブレイキンも10年取り組んできて、同じことを考えています。競技の仕組みについては、僕たちが経験した事例を伝えたり、助言したりできる。でも、根本にある想いは、ブレイキンもストリートダンスも一緒なんだと思います。NOBUOさんにとって、ストリートダンスの一番大きな価値は何ですか? Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 NOBUO: たくさんありますが、ひとつを挙げるならコミュニティです。大会に出なくても良いし、体を動かすことが楽しいというだけでも良い。ダンスを通して友達ができたり、誰かを応援したり、誰かに教えたりする。人によって、ダンスとの向き合い方は色々あります。でも、ストリートダンスが持つコミュニティは、本当に素晴らしいものだと思うんです。一度やってみれば、人生が変わるかもしれない。それくらいの力があると思っています。今、ストリートダンスに関わっている人たちは、それぞれ信念を持って活動しています。その姿や価値を、ダンスを知らない人たちにも伝えたい。そして、踊る人だけでなく、応援する人も含めて、何らかの形でこのコミュニティに関わる人が増えてほしいと思っています。 KATSU ONE: 僕たちも、ブレイキンをライフスタイルにすることを大切にしてきました。生活の中に当たり前にブレイキンがあることで、仲間との関わり方や、様々な学びが生まれる。そこはストリートダンスも同じですね。スポーツでは、ときに「結果が全て」という見方をされることがあります。でも、僕たちはその考え方を変えたい。勝ち負けではないところにも素晴らしさがあり、取り組んでいること自体に意味がある。そこにも光が当たるようにしたいと思っています。 NOBUO: 今のダンスシーンでも、バトルに出て、予選で負けたらすぐにその場を後にするという姿を見かけます。でも、ストリートダンスの魅力は、結果だけではありません。「なぜ自分は踊っているんだろう」と一度立ち止まって考えれば、ダンスを通して友達ができたことや、人を応援する楽しさに気づくかもしれない。ダンススポーツという新しい道をつくることが、ストリートダンス本来の魅力を改めて考えるきっかけにもなれば良いと思っています。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 選手だけではない|ダンスから広がるキャリア網 NOBUO: ブレイキンはダンススポーツとして取り組むことで、競技者にはどのようなキャリアが生まれましたか? KATSU ONE: 競技者としてナショナルチームに入り、プレイヤーとして活動する道があります。でも、それだけではありません。公式の審査員や指導者、地域の選手を育てるコーチ、さらにナショナルチームの指導に携わる道もあります。大会ではMCやDJとして出演する人もいれば、運営スタッフとして支える人もいる。連盟の仕事や大会運営に加えて、スポーツビジネスやスポーツマネジメントを学ぶきっかけにもなります。ブレイキンがダンススポーツになったことで、新しいキャリアの選択肢は確実に増えたと思います。ただ、僕は、ヒップホップを心の底から経験した人は、どの業界に行っても通用すると思っているんです。人と向き合い、自分で考え、挑戦を続ける。その中で培われる人間力は、ダンス以外の世界でも生きてきます。 NOBUO: ストリートダンスでも、学生から社会人になるときに、踊ることをやめなくていい環境をつくりたいです。競技を続けてもいいし、地域で指導者や運営側になってもいい。Dリーグのようなプロの舞台を目指す道もあれば、自分の生活に合った形で踊り続ける道もあります。ダンススポーツが、長くストリートダンスに関わるためのプラットフォームのひとつになれば良いなと感じています。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 新たな歴史を、全員で創っていく KATSU ONE: カルチャーとして取り組むことと、ダンススポーツに挑戦することは、別々の世界に見えるかもしれません。でも、どちらかをやめなければいけないわけではありません。ダンススポーツとして挑戦することで、新しい価値や、まだ知らない世界に出会える可能性があります。それはキャリアの中でのひとつの大きなチャンスです。少しでも挑戦してみたいという気持ちがあるなら、ぜひ一歩を踏み出してほしい。一緒に戦いながら、新しい世界を創っていきたいと思います。 NOBUO: ダンススポーツとしてのブレイキンが歩んできた10年があったからこそ、今、ストリートダンスにも新しい部門が生まれようとしています。道を創ってきてくださった皆さんへの感謝を忘れず、僕自身ももっと勉強しなければならないと思っています。この取り組みが、ストリートダンスに関わるすべての人と社会が、よりよく繋がるきっかけになってほしい。そして、これからもっとダンスを頑張りたいと思う子たちにとって、目指せる環境のひとつになってほしいです。ダンススポーツとしてのストリートダンスに一歩足を踏み入れて、ここからまた新しい歴史を、みんなで一緒に創っていきましょう。 プロフィール KATSU ONE(石川 勝之)ブレイクダンス本部長として2018年に就任。国内外の大会での優勝経験と豊富なワークショップ実績を持ち、世界のブレイキンシーンに大きな影響を与え続けてきたBBOY。現在は公益社団法人日本ダンススポーツ連盟(JDSF)ブレイクダンス本部長として、日本における競技ブレイキンの発展と国際競技力向上を牽引している。 ブレイキンがユースオリンピック、そして2024年パリオリンピックの正式追加種目へと発展していく過程においては、日本国内の体制構築や競技化の推進、選手強化・サポート体制の整備を主導。パリオリンピックではブレイキン種目のコーチとして日本代表選手を支え、女子種目において金メダル獲得という成果に貢献した。カルチャーとスポーツの両立という難題に向き合いながら、日本の取り組みは国際的なモデルケースとして評価されている。 自身の活動の根底には、ストリート文化が「人々の間での共通言語」であり、「グローバル人材を育てる機会」であり、「人格形成のための教育」であるという信念がある。その思想のもと、ストリートダンスおよびストリート文化の発展と、次世代の育成に力を注ぎ続けている。 2018年には川崎市にて「WDSF世界ユースブレイキン最終予選」の招致と2025年久留米市にてWDSF世界ブレイキン選手権を実現し成功へ導いたほか、同年のブエノスアイレスユースオリンピックではブレイキン日本代表監督として金メダル2つ、銅メダル1つを獲得。以降も日本代表の強化・育成に深く関わり、世界トップレベルの競技力を支える体制づくりに貢献している。 また、教育的視点からのアプローチにも力を入れており、体育教員免許を背景に、ダンスを通じた人間力の育成や国際的視野の醸成を重視。ブレイキンの持つ文化的価値とスポーツとしての可能性を融合させ、日本と世界をつなぐ存在として活動を続けている。 NOBUO(岩渕 伸雄)岩手県出身。弘前大学ストリートダンスサークルA.C.T.に所属し、ダンスを始める。大学院修了後、2008年にダンススタジオ「FUNKY STADIUM」をオープン。2012年、弘前市で芸術舞踊に関する活動を発展させるため、「ひろさき芸術舞踊実行委員会」を設立。2016年、弘前城本丸にて大規模野外フェスティバルSHIROFES.を開催。2021年、国が主催する「スポーツ文化ツーリズムアワード2021」で SHIROFES.が国内最高賞「スポーツ文化ツーリズム賞」を受賞。自身もダンサーとして活動し続け、更には育成などにも力を注いでいる。ダンススタジオ事業・イベント事業、レッドブルジャパン(株)のダンスコンテンツプロジェクトディレクターも務める。2023年10月より弘前大学大学院博士課程に進学。「カルチャーに対する熱量が及ぼす影響について」をテーマに研究も行っている。
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[PR] bmx「一歩踏み出してみることが可能性を広げる」BMXレーサーからプロボートレーサーへ転身。上田龍星が体現する挑戦の軌跡2026.07.17BMXレーシングというフィールドで培った技術と経験を武器に、12年前にまったく異なる世界へ飛び込んだアスリートがいる。それが現在プロボートレーサーとして第一線で活躍する上田龍星(うえだ・りゅうせい)選手だ。 幼い頃からBMXレーシングに打ち込み、国内トップクラスの大会で経験を積んできた上田。しかし競技を続ける中で、自身の将来やキャリアについて真剣に考えるようになり、新たな挑戦として高校卒業を機にボートレースの世界を選んだ。 競技は変わっても、勝負に向き合う姿勢は変わらない。コンマ数秒を争うスタート、一瞬の判断が左右するレース展開、極限まで研ぎ澄まされた集中力。BMXレーシングで培った身体能力や技術、そしてプレッシャー下での決断力は、ボートレースという全く異なる競技でも確かな武器となっている。 2015年にボートレーサーとしてデビューすると、着実に実績を積み重ね、現在は大阪支部所属のA1級レーサーとしてSG・G1の舞台へも活躍の場を広げ、トップレベルの戦いに身を投じている。 競技人生は一つの道だけではない。上田龍星の歩みは、競技を続けることに悩み、セカンドキャリアを模索するアーバンスポーツ選手に新たな可能性を示している。競技が変わっても、アスリートとして培った力は新しいステージで必ず活きる――。自らのキャリアでそれを証明し続ける上田選手に、今回FINEPLAYは特別インタビューを行った。 上田龍星 (以下:U) 「かっこいい!」に魅了された青春時代。成長を追い求めたBMXレーサーとしての原点 ― 上田選手が幼少時にBMXレーシングを始めたきっかけを教えてください。 U:元々、父がBMXをやっていた影響で、初めて大阪府堺市の大泉緑地公園のBMXコースへ連れて行ってもらいました。その時ちょうど開催されていたレースで、選手たちがセクションをジャンプする姿に「すごいな!かっこいいな!」と目を奪われ、「僕もBMXレースをやりたい!」と父に伝えたのが始めたきっかけです。小さい頃からとにかくBMXでジャンプすることが大好きで、少しずつセクションを飛べるようになってくると「次はこの大きいセクションを飛んでみよう!」みたいな感じで、楽しみながら無心で成長を追い求め、レースをしていた小学生時代でした。一方で、同年代の仲間と切磋琢磨するうちに、「上達していく周りの選手に負けたくない」という気持ちが芽生え、自然と中学、高校でも競技を続けていました。当時はとにかくBMXレーシングが楽しくて、周囲もBMXライダーばかりの環境だったこともあり、ほかの道を選ぶことなんて全く考えていませんでした。 ― 上田選手の学生時代は、プロを目指してアメリカへ渡るトップ選手が増えてきたり、BMXレーシングがオリンピック競技に採用され始めたタイミングだと思います。将来はどうなりたいと思っていましたか? U: 当時は国内最高峰カテゴリーのエリートクラスへの昇格を目標にしており、「国内外で活躍する先輩選手たちのように色々な大会で勝てるようになりたい」とずっと思っていました。ただ、明確にプロになることを目指していたわけではなかったので、将来についてそこまで深く考えていなかったのが正直なところです。部活や趣味の延長のような感じで、学生時代の僕はただBMXレーシングが楽しくて、「もっと上手くなりたい!もっと速くなってレースで勝てるようになりたい!」という思いで競技を続けていたのが第一でした。 「BMXレーシング一本で食べていくのは厳しい」18歳の決断と、未知なるボートレース界への挑戦 ― BMXレーシングからボートレースへ挑戦することを決めた経緯を聞かせてください。 U:高校卒業のタイミングで今後どうしていくかを考えていた時、BMXレーシング一本で食べていくのは、僕の実力では少し厳しいと感じていました。もしこのままBMXを続けるにしても、まずは仕事をしないといけないと思っていたんです。先輩選手たちがBMXレーシングから競輪へ転向し、セカンドキャリアへ進む姿を見てきましたが、自分は先輩方に比べて体格が華奢で、脚力・体力ともに劣るため、競輪の世界は厳しいと考えていました。そんな時に、偶然ボートレースを勧めてもらう機会があったんです。当時は正直、ボートレースのことは全く知りませんでした。ただ、それまでBMXレーシング一筋で他にやりたいこともなかったため、「まずは一度受けてみよう」と思ったのが挑戦することを決めたきっかけです。 退路を断って臨んだ養成所時代。厳しい規律の中で鍛えられたプロボートレーサーとしての土台 ― ボートレーサー養成所時代を振り返るとどういう日々を過ごされましたか?U:BMXレーシング業界やストリートカルチャーの良さでもありますが、最低限の礼節は重んじつつも、年齢を問わずフランクに接する環境で過ごしてきました。そのため、ボートレーサー養成所の入所当初は、教官に怒られっぱなしの厳しい日々に圧倒され、「すごいところに来てしまった。これを1年間も耐え抜けるのだろうか」と戸惑うばかりでした。初期はボートに乗ることはほとんどなく、礼儀作法や集団行動の規律を叩き込まれる「教練」から始まります。そこから水上での操縦訓練、モーター整備といった専門実技に至るまで、プロボートレーサーに不可欠なスキルを段階的に習得する期間がありました。例えば、具体的には毎朝きっちり6時に起きて3分以内に外に出ることや、布団の畳み方といった日常の礼節など、様々な形で一人の人間としての素養を鍛えられました。厳しい環境ではあったのですが、「ここをクビになったら他にやることがない」くらいに思っていたので、まずは養成所を絶対卒業するという一心で、とにかく頑張りました。振り返ってみると、プロボートレーサーとしてだけではなく社会人としても成長させていただいた期間であり、忍耐力もついたので、自分の人生においても非常に大事な経験でした。 ― その厳しい環境の中で、普段どういうことを意識して過ごしていましたか? U:さまざまな訓練や準備は正直しんどいことも多かったのですが、基本的にはボートに乗っている時間が一番長いんですよね。だから普段の生活でも「どうすればもっと上手く乗れるのか」を考えて、その上達していく過程を一番の楽しみにしようと、気持ちを切り替えていました。ボートに乗っている時間は唯一1人になれるので、純粋に自分の成長にフォーカスできます。そこではBMXがとにかく上手くなりたくて頑張っていた幼少期の感覚を思い出せましたし、このキャリアの先に広がるプロとしての成功に思いを馳せながら日々練習に励んでいました。 ― 養成所を卒業してからプロボートレーサーとしてレースに出るまでのプロセスを教えてください。 U:卒業後1〜2ヶ月は地元のレース場で練習しながら、本番レースの1日の流れを先輩方に教えてもらう研修期間でした。ボートレーサーは、レースに出場する以外にもたくさんの仕事があるんです。当時は新人だったため、さまざまな庶務をはじめ、先輩のボートの水抜きやモーターの組み立てなど、レース外の仕事を実地で学ばせてもらいました。また、モーターをボートに乗せる作業も一人で行ってはいけない決まりなので、自分のことばかりに集中しすぎないよう、広い視野を持つことを意識しました。先輩の動きを見て「自分がどう動くべきか」を考えたり、レース以前の社会人としての集団行動や、仕事としての1日の流れなどを色々と教えてもらいました。 その期間を経て迎えたデビュー戦ですが、なんと終盤のレースで初めての1着を獲ることができました。宿舎の同部屋の先輩方にプロペラの調整方法や乗り方のアドバイスを頂いて、その通りにしたら上手く展開が向いてくれたんです。デビューまでの研修期間でしっかり先輩方から学ばせてもらったことが活かされたなと感じました。 ― いちボートレーサーである以前に社会人として成長させてもらえる環境なのだと感じました。 U:そうですね。プロボートレーサーも、社会人として働くという意味では一般的な職種と変わりません。覚えるべき業務は数多くありますし、色々な人と関わりながら働く以上、いかに周りを見てその場その場で必要な仕事をできるかが大前提になります。その上で、プロのボートレーサーとしてレースに出場させていただき、応援してくれる方やレーサーを夢見る次世代に夢を与える立場にあるのだと感じています。そうして経験を重ねるうちに、多くの人間関係が生まれ、自分という存在を知ってもらえるようになりました。今では様々なレースの機会に恵まれ、オフの日には気兼ねなく話せる同期や先輩、後輩も増えています。そうした繋がりや機会を得るためにも、この新人時代にどれだけ努力できるかが、のちのキャリアを大きく左右するのだと実感しています。 BMXレーシングの技術が活かされる水上の駆け引き。上田龍星の代名詞「思い切りのあるターン」が誕生した2つの競技の共通点 ― ちなみに競技面でも深掘りさせていただきたいのですが、ボートレースで結果を残すために重要なのはどのような点でしょうか? U:前提としてBMXレーシングと異なる部分でいうと、ボートレースでは自分専用の機材を使えないという点です。レースの1節ごとに使用するボートとモーターが抽選で決まるので、毎回異なる機材の性能を見極める能力が不可欠です。モーターも全くパフォーマンスが良くないものから反則級に良いものまで様々なので、引いた機材の特性に合わせて、自分の乗り方を変えたり、プロペラ等の機材調整を工夫したりすることが勝利への絶対条件となります。また常にトップの成績を残す選手は、単に機材の調整能力やボート操作の技術力が高いだけでなく「レース展開を組み立てる能力」に長けています。ボートレースは予選勝ち上がり方式で行われるのですが、常に1着を狙うようなリスクの高い走り方をすると、逆に最下位の6着になってしまう確率も上がります。そのため「ここは最低でも3着を確保する」といった着順のコントロールと戦略的なポイント獲得が、予選を着実に勝ち抜くために非常に重要なのだろうと、トップ選手を見ていて思います。僕もまだコンスタントではありませんが、優勝を重ねるうちにレース感覚は掴んできました。BMXレーシングの大会でも同じように競い合ってきたので、その過去の経験が活きていると感じています。 ― 技術面では、BMXレーシングとボートレースの共通点を感じますか? U:どちらも不安定なマシンを操ってレースをする点は共通しています。ボートレースもターン中は座らないので、BMXで培ったバランス感覚が活かされていると感じます。あとはレース中の駆け引きですね。BMXレーシングでいうコーナーでの「インアウト」や、「ハイロー」といったアウトからインに入っていくライン取りの判断が、ボートレースの「差し」に近い部分がありますし、BMXレーシングの一瞬の判断で戦ってきた感覚は、現在のレースにそのまま直結していると思います。 ― ボートレースでは体重移動やスタートも重要かと思います。この点でもBMXレーシングと共通する感覚はありますか? U:体重移動でボートを少し浮かせてウイリーで引き波を越える時は、BMXレースでセクションを越える時に前輪をあげる「ピックアップ」みたいな感覚に感じることがあります。バランスを崩して転倒しそうになった時にも、BMXのジャンプの時に空中で体が勝手に耐えようとする能力がいきているのか、周りから「龍星って転びにくいよな」と言われることもあります。 スタートの面でも、待機行動からピットアウトする際のタイミングが、BMXのスタートゲートに近い感じはします。後ろで係留機に掴まれている状態でシグナルが3つ光って離れる瞬間にタイミングを合わせるんですが、そういうリズム感や体の動かし方はBMXレーシングの技術を活かせていると思います。 ― ご自身のボートレーサーとしての強みはなんだと思いますか?U:唯一自信を持って言えるのは「思い切りのあるターン」ですかね。レースデビューしてすぐの頃に「速いターンをする方が絶対に勝ちやすい」と思い始めたんです。最初はなかなか上手くできずによく転覆していたのですが、土やアスファルトの上を走るBMXレースに比べたらボートレースは水上ですし、変な転び方さえしなければそこまで怪我もしないと考えました。そうやって、思い切りスピードのあるターンを徹底して練習してきたことが、今では自分の強みになっていると感じています。また、そういう意味でも、今では最上級のランクであるA1級で戦わせてもらっているので、このようなBMXレーシングで培った技術や感覚が活きて、ここまで来れているのかなとも思います。 最上級ランク「A1」レーサーの上田龍星が目指すさらなる高み。次なる目標はボートレース最高グレードのレース「SG」でのタイトル獲得 ― 今年で11年目を迎える上田選手ですが、今後プロボートレーサーとして実現したい目標はありますか? U:僕の同期や後輩でもSGやG1などの大きい記念レースでタイトルを獲っている選手がたくさんいるんですけど、僕はまだタイトルを獲れていないので、まずそういった記念レースで勝てるように努力しないといけないと思っています。特に最高峰のSGレースに出るためには明確な条件があるのですが、僕はたまにクリアして出場できることがあっても、コンスタントに毎回出られているわけではありません。そのため、しっかり条件を満たして毎年出場できるようになることを目標とし、取り組んでいきたいです。そして最終的にはSGレースでタイトルを獲得できるように、今後も挑戦し続けたいと思っています。 ― 改めて、BMXレーシングの背景を持つ上田選手が感じるボートレースの魅力を聞かせてください。 U:BMXレーシングをはじめとするアクションスポーツやアーバンスポーツとも共通しますが、「会場だからこそ肌で感じられる臨場感」こそがボートレースの魅力です。レース場には、エンジン音や水しぶきなど、映像では分からないその場限りの感覚があります。それも含めて観戦することで、競技の迫力や緊張感を心から楽しんでいただけると思うので、他のスポーツと同様にぜひ会場に足を運んでほしいです。 「失敗を恐れず、一度思い切って挑戦してみてほしい」セカンドキャリアに悩む若手アスリートへ伝えたいこと ― 上田選手の経験からセカンドキャリアに悩むアーバンスポーツ選手へ伝えたいことはありますか? U:今までずっとやってきたスポーツを急に辞める決断は考えづらいことだとは思いますが、別にもう1個挑戦したいことがあるのなら、思い切って一歩を踏み出してみるのも一つの道だと思います。 ― 挑戦しようと思ってもなかなか一歩踏み出せない時の指針はありますか? U:「失敗したらどうしよう」と考え出すと体が止まってしまうじゃないですか。僕はある意味何も考えていなかったくらいだったので、それがちょうど良かったと思うのですが、もし少しでも挑戦したいことがあるのなら、まずはトライしてみて欲しいと僕は思います。その選択肢がボートレースであれば、養成所に応募できる年齢には30歳未満という制限もあります。もし若いうちに挑戦できるタイミングがあって悩んでいるなら、たとえその道が上手くいかなくても人生はまだまだ長いので、一度挑戦してみるのがいいのかなと思います。 ― 最後に、上田選手にとって「挑戦」とは? U:僕自身もまだまだ次の目標に向けて挑戦している最中で、皆さんと同じ立場です。綺麗な回答にはならず申し訳ないのですが、僕にとって挑戦とは「まずは一歩踏み出してやってみる」ことだと思っています。ぜひ一緒に夢を持って挑戦していければと思いますし、ボートレースの世界で共に戦う仲間に出会えれば嬉しく思います。 上田龍星 プロフィール 1995年7月15日生まれ。大阪府出身のボートレーサー。117期生として養成所を卒業し、2015年にボートレース住之江でデビュー。着実に経験を積み重ね、現在は大阪支部所属のA1級レーサーとして全国各地のレースに出場し、あらゆる舞台で活躍を続けている。鋭いスタート力と冷静なレース運び、卓越したターン技術を武器に、トップレーサーが集う舞台でも存在感を発揮。安定した成績を残しながらさらなる飛躍が期待される選手の一人である。2025年の獲得賞金は約4,800万円、生涯獲得賞金は3億円を超えている。(2026年7月16日時点) なおボートレーサーになる以前はBMXレーサーとして活動しており、同競技で培った高い身体能力や瞬時の判断力、勝負強さは現在のレーススタイルにも生かされている。異競技から転身を果たし、第一線で戦い続けるキャリアは、ボートレース界でも注目を集めている。
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others日本人だから強い、を証明しにいく。 TATSUYA / SOME≡LINEZインタビュー2026.07.12津軽三味線、ヒューマンビートボックス、ストリートダンス——一見まったく異なる3つのジャンルを掛け合わせたパフォーマンスチーム「SOME≡LINEZ(サムライン)」が、結成からわずか2年半で世界の注目を集めている。ニューヨークのHip-Hop Museum(THHM)にコンテンツが寄贈され、日本国内では演歌の大舞台でのコラボレーションも記憶に新しい。TikTokでは半年でフォロワー10万人を突破し、現在のSNS総フォロワー数は90万人を超え、その勢いは止まらない。 しかしその台頭は、決して偶然ではない。そこには周到な戦略と、20年を超えるキャリアが生み出した深い哲学がある。チームの中核を担うビートボックスプレイヤー・TATSUYAに、結成の経緯から「和」という武器の可能性、そして次世代へのメッセージまで、余すことなく語ってもらった。 TATSUYA(以下:T) 「何か残さなきゃいけない」という衝動が、SOME≡LINEZの原点にある。 ―まずはSOME≡LINEZについて教えてください。どのようなチームで、どのようにして結成に至ったのでしょうか。 T:津軽三味線とヒューマンビートボックス、そしてストリートダンスの3つのジャンルを掛け合わせた、唯一無二のスタイルで活動しているパフォーマーチームです。僕目線で言うと、ビートボックスをずっと20年ほど続けてきて、いろんな世界に挑戦してきたんですけど、「日本人として生まれ育ったルーツや自分自身のアイデンティティをいかに表現に取り込むか」で評価されるんだなっていう感覚がずっとあって。そこが出発点になっています。 T:今から11年前、僕が30歳のときに、津軽三味線の柴田雅人と共通の知り合いを通して知り合いました。一緒に演奏する前からすごくフィーリングが合っている感じがして。音を出し合いながらお互いのすごさを感じる関係になって行きました。 そこから2人でちょくちょく活動していましたが、コロナで演奏する場所が一気に失われてしまって。その時に、ダンサーのFLAVAという僕の後輩がいて、「新しいことを始めたいんですけど、一緒にできませんか」って相談してきたんです。じゃあ三味線の柴田も巻き込んで3人でやろうかってなったのが、SOME≡LINEZの結成のきっかけです。今から2年半ぐらい前ですね。 左から柴田雅人、TATSUYA、FLAVA ―TATSUYAさん個人として、なぜそこまでビートボックスや表現活動に情熱を注いでこられたのか、そのルーツを聞かせていただけますか。 T:高校生ぐらいのとき、自分が死ぬ夢を見たんですよ。それがめちゃくちゃ怖くて、学校に行けなくなるんじゃないかくらいまで精神的に追い込まれた時期がありました。自分なりになぜこう感じるのか分析していたときに、死ぬこと自体は意外とあっさり受け入れられました。ですが100年後に自分のことを覚えてくれてる人が世の中にいなくなった時に、自分の存在証明みたいなものはどこにあるんだろうなと思って。それが失われることがすごく怖くなったんですよね。 だから「何か残さなきゃいけない」っていう衝動に駆られました。映画監督になって作品を残すとか、アパレルブランドを作るとか、いろいろ探したんですけど見つからなくて。デザインの専門学校に入った20歳のときに、たまたまビートボックスに出会ったんです。当時、全国でまだ30人ぐらいしかやってなかったですね。 「これは今からならワンチャン有名になれるかも」と思って、音楽経験ゼロで始めたのがきっかけです。そこから24歳の時に世界大会に出て、帰国してすぐに一般社団法人・日本ヒューマンビートボックス協会を設立して、「ジャパンビートボックスチャンピオンシップ」という全国大会を主催するようになっていきました。そういう積み重ねが今に繋がっています。 ―「SOME≡LINEZ」という名前には、どんな意味が込められているんですか? T:「いくつかのライン」という意味で、それぞれ違う道で極めた3人が一つになるっていう意味でつけました。しかも真ん中に3本線の記号があるんですけど、あれは数学で「合同」を表す記号なんですよ。いくつかのラインを合わせた時に、自分たちにしかできない一つの表現があるっていう意味も込めていて。それともちろん、「サムライ」ともかけています(笑)。 ―TikTokでは半年でフォロワー10万人を突破したとのことですが、この反響についてはどのように感じていましたか? T:正直、プレッシャーはあまりなかったです。TikTokとInstagramの2つから同時にスタートしたのですが、どちらかが10万フォロワーを超えるまでは個人のアカウントで活動しているとは言わないって方向で進めていて。 目標値は10万だったので、「せめて10万はいかないと」という感覚でしたけど、プレッシャーというよりは「もっと早くもっと多く行くだろう」っていう期待値の方が高かったです。SOME≡LINEZというチームへの自信はかなりありましたね。 ―当初、メンバーが誰なのかを公表せずに活動されていたんですよね。そこにはどういった意図があったんでしょうか。 T:半分はかなり実験的な挑戦な部分があって、半分は計画的というところがあります。僕らが今まで各ジャンルで積み上げてきたスキルや実績、例えばヒューマンビートボックスのTATSUYAっていうだけで評価されてしまうような部分も一度フラットにして、3人の技術や見せ方、表現方法だけでどれぐらい世間に評価されるのかを見てみたいよねという部分。もう一つは、これで伸びなかったら恥ずかしいよねっていうのも、正直ありました(笑)。 ―業界内では、音を聞けばすぐ誰かわかるものなんですよね。 T:そうなんですよ。ビートボックスのシーンは狭いので、聴けばわかる人にはすぐわかったみたいで。公表してから「やっぱりお前がやってたんか!」となったりとか(笑)。でも大々的に表明するのは10万人フォロワーを超えてからにしようと決めていたので、それまではひたすら実力だけで評価してもらえたのかなという感じはありますね。 3人が追求する、かっこよさと分かりやすさの「極限のバランス」。 ―グループ内では明確にリーダーを決めていないというのも特徴的ですが、それはなぜですか? T:それぞれが、いろんな側面でリーダーシップを発揮する部分があって。演歌や和楽器業界のフィールドに関しては柴田雅人が動いたり、SNSの発信ではFLAVAが動いたり、その他の業務は僕が請け負ったりと、バランスがあるんですよね。あえてリーダーを決めずに、3人がSOME≡LINEZのために、っていう共通認識で同等のポジションでいることを大事にしています。 あとはそれぞれのカルチャーにリスペクトをもって優劣をつけないという側面もあります。 ―異なるバックグラウンドを持つメンバー同士で、チームとしてのマインドをどうやって統一していったのでしょうか。 T:正直、マインドを「統一する」っていう作業はほとんどしていないんですよ。それぞれが自分のジャンルで最前線に立ってきたプライドがあるから、お互いの専門分野に対するリスペクトは自然に生まれていて。むしろ「SOME≡LINEZのために」という目的が一致してるから、細かいすり合わせをしなくてもそれぞれが動ける。その関係性が心地よいんだと思います。 ―津軽三味線、ビートボックス、ストリートダンスという異なるジャンルを融合させる上で、一番意識していることは何ですか? T:常に大事にしなきゃいけないなと思ってるのが、「かっこよさ」と「分かりやすさ」のバランスですね。かっこよさに振りすぎると伝わらなくなって逆にダサくなる。でも分かりやすすぎると、今度はキャッチーになりすぎてしまう。サッカーみたいにメジャーな競技ではないので、知っている層と知らない層がいて、その両立を目指すってなるとすごく難しいラインなんですけど、そこのバランス感にはかなり気を使っています。 ―練習や制作の段階で苦労したことはありますか? T:一番大事にしなきゃいけないなと思ったのが、楽曲がオリジナルで作れるかどうかというところでした。多くのパフォーマーって有名アーティストの曲でパフォーマンスするのが基本じゃないですか。でも、音自体もオリジナルでどこまで追求できるかをパフォーマンスと融合しないと、パフォーマー業界の次がないなっていうイメージがあって。視覚的にもそうだし、音楽的にも、クオリティよりもオリジナルかどうかをすごく大事にしてます。 ―パフォーマンスや映像にはアートやデザインの要素も組み込まれています。そのあたりのこだわりを聞かせてください。 T:「余白を残すパフォーマンスをしないといけない」ってことは常に考えています。それはビートボックスをやってた時もそうなんですけど、コラボしやすい状態、誰かと何かやりやすい状態を常に保つっていうのがすごく重要で。完成されちゃうとダメなんですよ。ラッパーとコラボしたり、シンガーとコラボしたり、他のダンサーとコラボしたりと、いろんなのとコラボしやすいパッケージを常に保つっていう意識でいます。そこも含めてバランスの良い3人の編成になっていると思いますね。 ビジュアルで言うと、和をテーマにしたコスプレ的に見られることもあるとは思うんですけど、その懸念はあえて飛び込んでいるというところもあります。本質的に僕らが何をしていきたいかと言ったら、日本人であることの強みや、津軽三味線という武器を世界に知ってもらうためにどうすればいいかというのが根幹にあります。より伝えたい人たちに伝わりやすい形を取った結果が、今のスタイルなんです。 ヒップホップの聖地が認めた「和の力」。本場からの反響と、SOME≡LINEZが譲らない軸。 ―先日、ヒップホップの聖地・ニューヨークのHip-Hop Museum(THHM)とのコラボレーションが大きな話題になりました。現地での反応はどうでしたか? T:まず、ヒップホップカルチャーとして僕らが大事にしてきたアートや音楽、ファッションを新しいスタイルで発信していくという部分が、しっかり評価されたという認識がかなり強くなりましたね。 例えば、Wu-Tang ClanのMethod Manが「日本に新しいヒップホップの風が吹いている」みたいな感じで、もう7回ぐらい動画を投稿してくれていて。それに加えて、Hip-Hop Museumに僕らのコンテンツが寄贈されて飾られることになって。やってきたことがヒップホップの芯の部分に伝わったんだなっていうのが立証されて、一安心というか、めちゃくちゃ嬉しかったですね。 ―そうした海外での反響と、日本国内での反応には違いがありますか? T:日本では最初、コンサートやフェスに出させてもらう時に、なんか色物的な扱いというか、「変わったやつが出てきた」みたいな感じもあったんですよ(笑)。でも、パフォーマンスを見てもらうと結構衝撃みたいで、ファンの方が日本でも少しずつ増えているという印象があります。 直近では、MUSIC AWARDS JAPAN2026の演歌歌謡曲部門で細川たかしさんとコラボレーションさせていただいたのですが、普段のヒップホップ文脈とは違う、かなり異色な組み合わせで。今後のSOME≡LINEZの活動の中でも記憶に残るものになったと思います。 ―ライブでの反響も、また独特のものがあると聞きましたが。 T:SNS向けに作ったコンテンツでは仮面とか傘をつけているんですが、ライブだと邪魔すぎて途中で取っちゃうんですよ(笑)。僕はマスクをつけたままじゃビートボックスしづらいし。で、外した後のMCトークがめちゃくちゃ喋るんで、お客さんが「こんなに面白い人たちなんですね!」ってなって(笑)。MCも含めて評判をいただくことが増えていて、日本ならではのライブができてるなって感じています。 ―ヒップホップなどのアンダーグラウンドカルチャーから熱く支持されつつ、日本の地上波をはじめとするマスへのアプローチも視野に入れている。その中でSOME≡LINEZとして絶対に譲らない軸はありますか? T:本質的に僕らがやりたいのは、日本人であることの強みや、津軽三味線という武器を世界に知ってもらうことです。そこの軸はブラさずに行きたいですね。外国人に寄せていくのではなくて、「伝えたい人たちに伝わりやすい形を取る」というのが今のスタイルに行き着いた理由で。その軸さえブレなければ、形をいろいろ変えられると思っています。 ―日本らしさを導入することで生まれる唯一無二のオリジナリティについて、海外のプレイヤーやオーディエンスと向き合う中でこの「和の要素」が持つ破壊力や可能性をどのように感じていますか? T:最近SNSを見ると、甲冑を着たパフォーマーとか、テクノロジーを使ったものとか、いろいろ出てきてるんですけど、本質がつかめてないなっていう印象が全体的にあって。ライブとして見せられるのか、SNSの映えだけなのか。本当に海外が求める日本の姿なのか、それとも自分たちが日本だと思って見せているものなのか。そこが計算されていないことが多いなという感覚です。僕らはそこを分析し尽くしてやってますし、だからこそここまで来れていると思っています。 「カルチャーとは、社会とリンクして初めて生まれる。」SOME≡LINEZとして次世代に見せたい景色。 ―プロフィールには「パフォーマーの新たな可能性を広げる」「地域や社会と向き合い、新たな仕組み作りを目指す」とあります。具体的にはどのような活動を考えていますか? T:まず知名度をしっかり上げて、影響力をしっかり持たなきゃいけないなと思って今の活動を続けているのですが、最終的に社会に何ができるか、どんな影響を与えられるかというところにリンクしないとカルチャーだとは思えなくて。社会を切り離してかっこいいもんだけ作ってればいいっていう考えが、僕にはあんまりないです。 例えば、障害を持たれている方が僕らみたいなことを実現できる世界にしたりとか、和楽器の魅力を伝えたりとか、日本人らしさの魅力を伝えたりとか、常に何か自分たちにできるんだろうみたいなのを考えながら行動していきたいなと思っています。 ―三味線をはじめとする和楽器の文化をSOME≡LINEZを通じてどう伝え、広めていきたいですか? T:津軽三味線をはじめ、世界における和楽器の認知度はまだまだ高くない印象です。僕らも他国の民族楽器に詳しいかと聞かれたら「Yes!」とは答えられないのと同じですね(笑)。でも、僕らにもできることがあるなと思っていて。ビートボックスと一緒にやることで、津軽三味線に興味がなかった層の人たちに急に刺さるっていうのが、SOME≡LINEZの可能性の一つだと思っています。 文化を守るっていう意味でも、国籍・年齢・言語などあらゆる境界線を超えて新しくかっこいい形で伝えていく方法として、SOME≡LINEZはすごく機能すると思っています。 実はかなり緻密な計画があるんですけど、今回はまだお話できない部分もあって(笑)。でもまずは、世界中の人に「和を取り入れたパフォーマーといえばSOME≡LINEZ」と言ってもらえるぐらい、5本の指に入る知名度をつけていきたい。それがないと、実現したいことが難しくなってくるので、今はひたすら影響力をつけていきたいですね。 ―メンバーそれぞれが世界で活躍してきたバックグラウンドを持っていますが、SOME≡LINEZを通じて、次世代のプレイヤーたちにどんな景色を見せていきたいですか? T:社会とどう共存していくかみたいなのを常に模索しながら、和楽器の魅力や日本人らしさの魅力を伝えていく。そういう形のパフォーマーのあり方を見せていきたいなと思っていて。ビートボックスだって、かつては日本に30人しかいなかったのが、今は本当に広がっているじゃないですか。同じことを、今の和楽器業界でもできると思っていますし、それを実際に体現してみせることが、次の世代へのメッセージになると思っています。 ―最後に、この記事を読んでいるFINEPLAYの読者、国内外のストリートプレイヤーたちへメッセージをお願いします。 T:まずは、自分にしかできないこと、自分にしかやれないポジションを、誰よりも早く見つけてほしいなと思っています。それを続けていく上で自分の居場所にもなるし、やりがいにも繋がっていく。どんな業界でも、誰にでもそのポジションはあるはずで。大きいとか小さいとかは関係なくまずはそれを探すっていうことが、とても重要なことだと思います。 TATSUYAプロフィール ヒューマンビートボックス日本&国際チャンピオン 20歳でBEATBOXを始め、2009年にはロンドン、ドイツ、そしてニューヨークのApolloTheaterに出演する等、世界的に活動。 ヒューマンビートボックス日本一決定戦 JapanBeatboxChampionshipではソロ、 チームを合わせて日本で唯一の4年連続優勝を果たし、 2014年フランスで行われたLA CUPにて日本人初の世界4位を獲得。2016年にはシンガポールで開催された国際大会にて日本人初の優勝を獲得。ももいろクローバーZのコンサートやディズニー・オン・クラシックにスペシャルゲストとして出演。 また世界で活動する中で、日本のBEATBOXシーンを盛り上げたいという思いを持ち、2010年6 月に一般社団法人日本ヒューマンビートボックス協会を設立。現在は福島県郡山市に株式会社tentoTenを設立し、東京、福島、静岡を中心に活動中。 SOME≡LINEZプロフィール 日本の伝統楽器「津軽三味線」ストリートカルチャーから「HUMAN BEATBOX」、「STREET DANCE」世界観を視覚的に表現する「ART & DESIGN」異なるいくつもの要素を掛け合わせた世界“唯一無二”のパフォーマンスチーム。結成約2年半でSNS総フォロワー数90万人を突破。日本の伝統と現代ストリートカルチャーが交差する、新時代のアート・エンターテインメント。
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skate日本勢が17個のメダルを奪取!小野寺吟雲の2大会連続金、長谷川瑞穂の3メダル獲得など数々の快挙をプレイバック「X Games Chiba 2026」2026.07.102026年7月4日から5日にかけて、千葉・幕張メッセで開催された「X Games Chiba 2026」。日本勢が金5、銀5、銅7の計17個のメダルを獲得と大健闘。世界トップクラスのアスリートが集う舞台で、日本人選手たちは各種目で存在感を発揮した。小野寺吟雲の2大会連続優勝、長谷川瑞穂の日本人初となる1大会3メダル、河上恵蒔の史上最年少男子金メダルなど、数々の記録と名場面が生まれた。 さらに、今年から始動したプロリーグ「X Games League (XGL)」の導入が、この熱狂をさらに加速させた。 スケートボード競技では、ストリート、パーク、バートの計3種目を実施。本記事では各種目の入賞者にフォーカスした大会レポートとしてご紹介。 男子ストリートは小野寺吟雲が2大会連続優勝。女子ストリートはクロエ・コベルが雪辱を果たす 小野寺吟雲 ©Jason Halayko / X Games 女子ストリート クロエ・コベル ©Jason Halayko / X Games 前週のサクラメント大会で銀メダルに留まった悔しさを胸に秘めたクロエ・コベル(オーストラリア / XCニューヨーク)のランは、序盤から気迫に満ちていた。しかし、ランの途中でフィールドカメラマンが進路を塞いでしまうというアクシデントが発生。再走を余儀なくされ、集中力が途切れてもおかしくない場面だったが、彼女は落ち着いていた。 レールでの「フロントサイド・ブラントスライド・ビッグスピンアウト」は、トラックがレールを捉える際のわずかなズレも許さない完璧な精度。さらにロングレールで見せた「フロントサイド・50-50グラインドtoボードスライド」など、彼女しかチョイスしていないコンボトリックが高得点の要因の1つとなった。練習で苦戦していたステップアップでの「スイッチキックフリップ」も本番では完璧にメイク。アクシデントを力に変え、唯一の90点台を叩き出した精神力は、まさに次世代の女王の風格であった。 XC東京の看板を背負う吉沢恋(XC東京)。中央のロングレールに対し、初手から得意の「バックサイド・ビッグスピン・ボードスライド」をメイクし、ジャッジと観客に強烈なインパクトを与えた。彼女の魅力は、ライディングの「カジュアルさ」だ。レールでの「フロントサイド・フィーブルグラインド」や「フロントサイド・ブラントスライド」を、危なげなく次々とメイク。終盤、得点アップのために狙った「バックサイドテールスライド・ビッグスピンアウト」を惜しくも失敗し、金メダルは逃したものの、その安定感はXC東京に貴重なポイントをもたらした。 スピード、高さ、そしてパワー。松本雪聖(XCサンパウロ)のランは、女子スケートボードの枠を押し広げる力強さを感じさせる。レールでの「キックフリップ・バックサイドリップスライド」や、ダウンレッジでの「キックフリップ・フロントサイド50-50グラインド」など、当たり前のように「フリップイン」を組み込んでくる構成は男子のトッププロでも高難易度だ。ランの前にスタンドを大きく煽り、会場のボルテージを最高潮に持っていくセルフプロデュース能力も際立っていた。今大会は惜しくも3位となったが、日本のファンを味方につけるそのスター性は、今後のXGLにおいても大きな武器となっていくだろう。 男子ストリート 小野寺吟雲 ©Jason Halayko / X Games 前週に行われたサクラメントに続く金メダルを手にした小野寺吟雲(XCニューヨーク)。2週連続で世界の頂点に立つという快挙を、この16歳は淡々と成し遂げた。解説者が「大技をこれほど失敗しないライダーは見たことがない」と評した通り、技の完成度とメイク率には目を見張るものがある。中央レッジで見せた「スイッチバックサイドヒールフリップ・ノーズスライド」、そして「キックフリップ・バックサイドテールスライド・ビッグスピンアウト」は、ボードの回転、キャッチの瞬間、アウトの着地までが一点のズレもない完璧な軌道。そして彼のランは、通過するほとんどすべてのセクションがトリックで埋め尽くされている。Rでの「バックサイドキックフリップ360」や「キャバレリアルキックフリップ」に見られる地肩の強さは、スケーターとしての分厚さの表れだ。 1本目をノーミスで終えた直後に見せた力強い雄叫びは、XCニューヨークのエースとしての凄まじい覚悟ではなかろうか。 インタビューでは「スケボーを楽しみながら自分らしく攻めることができ、結果に繋がっている。一戦一戦やることは変わらない。」と謙虚に語ったが、その裏側にある凄まじい反復練習の跡が、すべての動きから滲み出ていた。 韓国・梁山からの刺客、ジュニ・カン(韓国)は今大会でもまたその名を世界に刻みつけた。ラインのスタートに「レーザーフリップ」を選択する大胆なアプローチは、彼のスキルの高さを提示するには十分だった。 ラストトリックには、2大会連続オリンピック金メダリスト、堀米雄斗の代名詞である「ノーリー270イン・バックサイドノーズスライド270アウト(通称:ユウトルネード)」を完璧にメイクし2位フィニッシュ。会場はパニックに近い興奮と歓声に包まれた。現在フリーエージェントである彼は、来シーズンのドラフトにおいて間違いなく各チームの争奪戦の目玉となるだろう。彼の台頭は、アジアのスケートボードシーンのレベルアップを示唆している。 そして、会場から最も大きな声援を受けた一人が、白井空良(XC 東京)だ。「フェイキーフロントサイドビッグスピン・ボードスライド」や、高さを誇る「スイッチキックフリップ」など、他の選手が取り入れていないトリックを散りばめたラン構成こそが、彼の真骨頂。ミスがあっても常に笑顔を絶やさず、パーク内を縦横無尽に駆け回る姿は、コンテストを「競争」ではなく「セッション」として楽しんでいるかのようだった。今回は惜しくも銅メダルとなったが、試合後のインタビューで「会場の歓声が本当に力になった。楽しかったに尽きる。」と笑顔で語った。 女子パークはスカイ・ブラウンが長谷川瑞穂を制し金メダル!男子パークはエゴイツ・ビフエスカが躍動 スカイ・ブラウン ©Jason Halayko / X Games 女子パーク スカイ・ブラウン ©Jason Halayko / X Games 女子パークを制したのは、日本とイギリスにルーツを持つスカイ・ブラウン(XCサンパウロ)。さながらバックフリップを彷彿とさせる、特大の「フロントサイド360」をラン3本すべてでミスなく決めるという安定感が彼女の実力の表れだろう。「ハンドブラント」や「フロントサイド・マドンナ・リーントゥテール」など、一つひとつのトリックに彼女にしか出せない「華」があり、空中での姿勢の美しさは他の追随を許さない。 解説者が「女子のパークでこれほどのエアーを見られるとは」と舌を巻くほどの高さを維持しながら、全セクションを流れるように繋ぐそのランは、スケートボードが芸術であることを再認識させた。 優勝が決まった瞬間、2位の長谷川瑞穂とリスペクトを込めて抱きしめ合うシーンは、今大会屈指の感動的な場面だった。ライバルでありながら、互いの進化を認め合う。その精神性こそが、このカルチャーが守り続けてきた伝統である。 バートで金メダル獲得、バートベストトリックで銀メダル獲得の長谷川瑞穂(XC 東京) はパークでも驚異的な滑りを見せた。「トランスファー・バックサイドキックフリップ・インディエアー」や「バックサイド360バリアル」といった、高さと難易度が両立したトリックを連発。 特筆すべきは、セクション間のトランスファーの飛距離だ。男勝りのスピードとパワーでコースを最大限に活用し、XC 東京のポイント獲得に大きく貢献した。ラストトリックに持ってきたディープエンドでの「バックサイド540」をもし決め切っていれば、スカイ・ブラウンを脅かす金メダルの可能性も十分にあったが一歩届かず。しかし、彼女が見せた挑戦的な姿勢はオーディエンスの心を鷲掴みにしていたことは確かだ。 女子パークで銅メダルとなったのはフィンランド出身のヘイリ・シルビオ(XCニューヨーク)だ。「トランスファー・フロントサイドディザスタースライド」や、エクステンションでの「フロントサイドクレイルスライド」など、多種多様なRトリックを巧みに組み合わせる構成力は、将来のトップライダーとしての資質を十分に示していた。ディープエンドでの「バックサイド540」を軽々とメイクする姿には余裕すら感じられ、今後のフリップ系トリックの強化次第では、表彰台の常連になっていくことも想像に難くない。 男子パーク エゴイツ・ビフエスカ ©Jason Halayko / X Games 男子パーク種目で、栄えある金メダルを手にしたのは若干15歳の新星エゴイツ・ビフエスカ(スペイン)だ。百戦錬磨のベテランたちを抑えて1本目から首位を独走した彼の勝因は、徹底したセクション活用術にある。 中央のエクステンションを乗り越える形の「5-0グラインド」や、誰も取り入れていない「スイッチバックサイド180メロングラブ」をルーティーンに組み込んだ。ジャッジが評価する「オリジナリティ」を完全に計算に入れたライン取りは、15歳とは思えない戦術眼の高さを証明していた。1本目で高スコアをマークした後も、守りに入らず攻め続け、見事金メダルを首にかけた。 「まるでF1レースを見ているようだ」と称された圧倒的なスピードと、バートで培われたハイエアーの技術をパークに持ち込み、3〜4メートル級の特大「マックツイスト540」を連発し、銀メダルに輝いたのはトム・シャー(アメリカ合衆国 / XCロサンゼルス)だ。転ぶ気配を微塵も感じさせない安定感は「レジェンドの貫禄」そのもの。後がない3本目に集中力を研ぎ澄ませて2位に滑り込む勝負強さは、若手への高い壁として立ちはだかった。 東京五輪金メダリストのキーガン・パーマー(オーストラリア)は、持ち前のスピードに卓越した技のバリエーションを織り交ぜた。「フロントサイドキックフリップ・メロングラブエアー」や、スタイルの効いた「フロントサイド360」など、ビッグトリックを難なくメイク。さらにエクステンションでの「フロントサイドブラント」や「バックサイドノーズブラント」をアクセントとして加え、完成度の高い構成で3位フィニッシュ。23歳という若さにして、すでに絶対的な安定感を手に入れている彼から今後も目が離せない。 バート種目では長谷川瑞穂、河上恵蒔の日本人2人が快挙を達成! 河上恵蒔 ©Jason Halayko / X Games 女子バート 長谷川瑞穂 ©Jason Halayko / X Games 前週開催のサクラメントでの銀メダル。その悔しさを晴らす最高の舞台となった長谷川瑞穂(XC 東京)のバートでのランは、技術の多様性という点で群を抜いていた。 「ボディバリアル540」や「バリアルキックフリップ・インディグラブ」といった、回転とフリップを組み合わせた高難度技を次々と成功させた。バックサイド、フロントサイド、さらにはアーリーウープといったライン取りの工夫に加え、キックフリップとヒールフリップの両方をルーティーンに組み込むという「持ち技の多さ」が、ジャッジの心を掴み得点を伸ばした。 優勝後のインタビューで「憧れだった選手たちと肩を並べられて嬉しい。ライバルとして負けないように練習していきたい。」と力強く語ったその目には、すでに次なる目標を見据えているように感じた。この金メダルが、今大会の歴史的3冠(金1、銀2)という偉業の記念すべき第一歩となったのだ。 小柄な体躯からは想像もつかないような、ダイナミックで高さのある「バックサイド540」を2連発し準優勝を飾ったミア・クレッツァー(オーストラリア / XCロサンゼルス)。レジェンドスケーターのクリスチャン・ホソイのシグネチャートリック「クリストエアー」という、女子では極めて珍しいトリックを披露するなど観客と審査員の意表を突いた。後がない3本目でパーフェクトランを決め切るその集中力は、アスリートとしての高い矜持を感じさせた。 リザーバーからの出場、さらには前日の脱臼という絶望的な状況を跳ね除けた松岡樹ノが銅メダルを獲得。前半のダイナミックなエアトリックから、後半の「バックサイド360バリアル」を含むテクニカルな3連発メイクへの流れは、今大会で最もエモーショナルな瞬間の一つであった。自身の成長を証明した彼女の笑顔は、会場にいたすべての人々の心に刻まれたであろう。 男子バート 河上恵蒔 ©Jason Halayko / X Games 絶対王者ギー・クーリーの4連覇を阻み、若干11歳の河上恵蒔が世界の頂点に立った。そのライディングは、もはや「若さ」という言葉では説明がつかないほどの完成度を誇る。 特筆すべきは、高難度トリック「ボディバリアル900」だ。11歳という軽量かつしなやかな体を活かした、鋭く美しい回転軸。さらに「フェイキー720」を流れるように成功させた瞬間、スタンドのファンは総立ちとなった。絶対王者を破った11歳の少年の快挙は、アクションスポーツが持つ無限の可能性と、世代交代の冷徹なまでの現実を世界に突きつけた。夏冬を通じた最年少金メダリストの誕生は、千葉大会において最も盛り上がった瞬間の1つであった。 河上に続き、銀メダルを手にしたのはXCサンパウロ所属のギー・クーリー(ブラジル)「シンプルな540には興味がない」と言わんばかりの超次元のランを披露。「バックサイドフリップ・インディ540」や「フロントサイドヒールフリップ・インディエアー」など、息を吸うようにフリップ系を織り交ぜ、空中で2回転する「バックサイド900」も軽々と乗ってくる。敗れはしたものの、バーチカルのデフォルトを書き換えるその存在感は、今もなお唯一無二の王者であった。 そして惜しくも銅メダルとなったのは、日本が世界に誇るバーチカルの第一人者、芝田元(XC 東京) 。ファーストトリックで放ったシグネチャートリック「カミカゼ(フロントサイドインポッシブル540)」の衝撃は、今も網膜に焼き付いている。スイッチスタンスでの「カミカゼ」や、「バックサイドキックフリップ・ボディバリアル」など、彼のライディングには「オリジナリティへのこだわり」が宿っていた。XC東京にとって、彼のパフォーマンスが貴重なポイント源となったことは言うまでもない。 X Games League ランキング 今大会の結果を受け、XGL(X Games League)のランキングは激戦の様相を呈した。 ▼千葉大会終了時の各チームポイント 1位タイ XC東京[1,770pt]1位タイ XC ニューヨーク[1,770pt]3位 XC サンパウロ[1,610pt]4位 XC ロサンゼルス[1,510pt] 開催地である千葉でメダルラッシュを見せたXC東京に、小野寺吟雲を擁するXCニューヨークが猛追し、完全に並ぶ形で首位タイに立った。ポイントを奪い合う、まさにデッドヒート。初代クラブ王者の称号をかけた最終決戦の舞台は、7月24日から26日にかけて開催される「X Games New Orleans 2026」へと引き継がれる。この1770ポイントで並んだ状況は、リーグ始動の年にふさわしい、前代未聞のドラマであるといえる。 総括 「X Games Chiba 2026」は、日本勢が17個のメダルを獲得する活躍を見せただけでなく、アクションスポーツの現在地と今後の可能性を示した大会となった。今季から始動したX Games League(XGL)は、個人競技にチームという新たな価値を加え、順位だけでなくクラブの威信を懸けた戦いにも注目が集まった。 また、10代の若手選手が世界のトップライダーと互角以上に渡り合い、高難度トリックを高い成功率で決める姿からは、競技レベルの進化を強く感じさせられた。小野寺吟雲の2大会連続優勝、長谷川瑞穂の日本人初となる1大会3メダル、河上恵蒔の史上最年少男子金メダルなど、数々の名場面が生まれた千葉大会。 最後の舞台は7月24日から26日に開催される「X Games New Orleans 2026」へと移る。日本勢の勢いは続くのか。それとも世界の強豪が巻き返すのか。リーグ初代王者を懸けた戦いは、いよいよ佳境を迎える。 大会結果 ©Jason Halayko / X Games 【女子スケートボード ストリート】1. クロエ・コベル(オーストラリア / XC ニューヨーク) [93.33pt]2. 吉沢恋(日本 / XC 東京) [85.00pt]3. 松本雪聖(日本 / XC サンパウロ) [80.00pt] ©Jason Halayko / X Games 【男子スケートボード ストリート】1. 小野寺吟雲(日本 / XCニューヨーク) [91.33pt]2. ジュニ・カン(韓国) [90.00pt]3. 白井空良(日本 / XC東京) [88.33pt] ©Jason Halayko / X Games 【女子スケートボード パーク】1. スカイ・ブラウン(イギリス / XCサンパウロ) [91.00pt]2. 長谷川瑞穂(日本 / XC東京) [87.66pt]3. ヘイリ・シルビオ(フィンランド / XCニューヨーク) [78.66pt] ©Jason Halayko / X Games 【男子スケートボード パーク】1. エゴイツ・ビフエスカ(スペイン) [92.66pt]2. トム・シャー(アメリカ合衆国 / XCロサンゼルス) [91.33pt]3. キーガン・パーマー(オーストラリア) [91.00pt] ©Jason Halayko / X Games 【女子スケートボード バート】1. 長谷川瑞穂(日本 / XC東京) [94.33pt]2. ミア・クレッツァー(オーストラリア / XCロサンゼルス) [90.66pt]3. 松岡樹ノ(日本) [85.00pt] ©Jason Halayko / X Games 【男子スケートボード バート】1. 河上恵蒔(日本) [93.66pt]2. ギー・クーリー(ブラジル / XCサンパウロ) [92.66pt]3. 芝田モト(日本 / XC東京) [91.33pt]






