「何もできなかった」松山智一が最短距離で世界的アーティストになれた理由

2020.11.13

前編の続き(前編は関連リンクへ)

リニューアルした新宿東口の駅前広場に、新アイコンとしてそびえ立つオブジェ『花尾』。この巨大パブリックアートを手掛けた松山智一は、ニューヨークで活躍する気鋭のアーティストだ。

スノーボーダーとしてのキャリアを積みながら、大怪我を機に「ものづくり」の道へ転向。単身、ニューヨークへ渡った。

しかし、デザインの素人だった松山にとって、それは25歳にしてゼロからの挑戦。アートのイロハを学ぶなかで、メトロポリタン美術館で日本美術と運命の出合いを果たした。

キース・ヘリングやバンクシーが描いた「伝説の壁」

思い切って作品に浮世絵の要素を加え始めた松山は、すでに30歳になっていた。作風はまだない。

そんななか、ストリートアーティストとして活動し始めるようになる。

「ずっとベッドルームで絵を描いていたんですが、それだったら別にニューヨークじゃなくてもいいじゃないですか。どんなにいい絵を描いたとしても、作品は寝室から一歩も出てくれない。誰かに見てもらうにはどうしたらいいかと考えて、選択肢として外に描くしかなかったんです」。

その頃、コミュニティではブルックリンのウィリアムズバーグが話題だった。

「みんな『ウィリアムズバーグにウォールアートを観に行こうよ』って誘い合って出かけていたんです。そこで気付いたんです。あそこででかいものを描けば、絶対承認されるんじゃないかって」。

そこからは毎日、描かせてもらえる場所を探し続けた。そして、ようやくOKが出たのが、とある一軒のバーだった。

「せっかくバーに描くなら、動線も作りたいって思ったんです。壁を見て、なんだろう?って中に入っていくとバーなんだけど、壁にも絵が書いてあって、DJブースもライトボックスも僕の作品になっている」。

このアイデアが受けて、なんとスポンサーまでついた。

「だけど壁画にブランドロゴ入れて欲しいって言われちゃって(笑)。それってアートじゃなくて広告じゃないですか。それはできないって断ったんです」。

代わりに松山が提案したのは、コースターだった。何の店だろうと入ってきた客にバーテンダーがバーであることを告げ、飲み物を勧める。買った客には片面に松山の作品、片面にブランドロゴが記されたコースターを持って帰ってもらう。

「これがちょっとバズって。そうしたら、突然、雑誌が15ページぐらい特集してくれたんです」。

その特集に目を留めたのがナイキだった。アーカイブの商品をアーティストにリデザインしてもらうというプロジェクトで松山に声がかかったのだ。アーティストと職業がやっと連動した瞬間だった。

感じ始めた絵画の限界とモニュメントへの希望

「ただ、その頃の僕の作品はグラフィカルでポップだった。アーティストになるには、もっと作品性を高めないといけないと思ったんです」。

浮世絵や日本美術の要素を加えつつ、頭に浮かんでいたのは「サラダボウルみたいな人種の坩堝」だった。ニューヨークで受けたさまざまな経験や感動をパッチワークしていくことで、移ろうアイデンティティを表現する。徐々に松山はその作風を作り上げていった。

ダウンタウンの小さなセレクトショップに作品が展示され、小さな画集を出版した。それが有名なギャラリーの目に留まり、アート・バーゼルへの出品を勧められ、ニューヨークで作品を売ることができるまでになった。

そして2019年9月、松山はついにニューヨークにある伝説の壁「バワリー・ミューラル」に壁画を描くことを実現。高さ約6m、幅約26mの巨大な壁には、これまで、キース・ヘリングバンクシーなど、世界の名だたるアーティストが壁画を描いてきた。

松山のこの快挙は日本でも大きな話題を呼んだが、一方で、次第に新たな表現に挑戦したいという衝動も感じ始めていた。

「絵って壁に掛けるしかないじゃないですか。立体ならば、さらに自分の強度と個性を出せるんじゃないか。でかい壁画を描いて認められるなら、巨大なモニュメントを作れば目立つはずだって思ったんです」。

もちろん立体をどうやって作るかなんて知らない。

「だったら作ってみればいい。やらなかったら、ここ止まり。結局はやるか、やらないかしかないんです。僕の強みは“画家であること”だと思いました」。

つまり、どういうことか。

「キース・ヘリングの彫刻を見るとね、決して上手とは言えないんですよ(笑)。でも、あそこには彼のチャームさと強さ、一発でわかる爽快感がある。なぜかって考えたときに僕たちは色を知っているからだと気付いた。普通、彫刻には色がない。だから彫刻家は素材にこだわっていく。でも、画家は色や図案でも立体を捉えられる。だったら画家にしかできない立体物を作ろうと決意しました」。

「何もできないから、できることを見つけるしかなかった」

©木村辰郎
©木村辰郎

現代において、巨大なモニュメントはアーティストがひとりで作るものではない。アーティストは完成の絵図を描く。それを設計士や工房が素材や安全性を確保した設計図などにして提案していく。構造が複雑すぎる場合は、さらに構造建築家が加わって、工作物の安全性と建築基準がクリアになると、工房が制作を始める。

チーム全体で作品を作り上げていくのだ。

だから、いい作品を作りたいと思ったら、いいメンバーを揃える必要がある。良い職人は引く手あまた。ほかのアーティストに取られないように、自分が使っている工房をひた隠しにする人も多い。

「そんな環境下で、立体を知らない僕が何をできるかって言ったら、飛び込んでいくしかない。ベトナムに優秀な工房があるらしい、中国の山奥に世界有数の職人を抱える工房があるらしいと噂を聞きつけたら、すぐにひとりで現地に飛んで行って交渉しました」。

何も知らなかった青年は、38歳で香港のハーバーシティに高さ7mの彫刻を含むパブリックアートを建てるまでになった。そして44歳の今、新宿に新たなランドマークを生みだし、世界から注目を集めるアーティストとなっている。

「僕の年齢とキャリアで、どうやってあんな仕事を、あんな巨大なものをできるのかってよく言われるんですよ」。

それほどに多くの称賛を浴び、華々しい成功をした今でも、絵の描き方を知らないというコンプレックスはあるという。

「でもね、転化しないといけない、描けないことを長所にしないといけないと思っているんです。若い頃からデッサンをやって、美術教育をきちんと受けていたら、いろいろなものを吸収しているから、捨てる作業をしながら、自分の作風を決めていったでしょう。捨てられないものだって、いっぱいあったと思います。でも僕は何もできないから、できることを見つけるしかなかった。できないって知っているから、無駄な失敗をすることもなかった。だから最短距離でここまでたどり着けたんじゃないかなって」。

できないことを嘆くのではなく、できることを突き詰めていく。これからは新宿のモニュメントを見るたびに、そんな思いの結実を実感することになりそうだ。

text by 林田順子

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(この記事はOCEANS:連載 37.5歳の人生スナップ より転載)
元記事は関連リンクへ↓

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