2024年7月、神奈川県川崎市にて開催された『アジアジャンプロープ選手権』そして『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』。
今回、そのジャンプロープの異なるジャンルの2大会のステージに日本代表選手として立った REG☆STYLE・KAI を独占取材。
なぜ苦しみながらもKAIは“両方に出る”ことを選択したのか。破竹の勢いを見せ、“ダブルダッチシーンの主人公だった”と多くの人々に言わしめた彼が、その栄光の裏にあった試練の道のりと、そこで見た景色についてを赤裸々に語ってくれたロングインタビューを、ぜひご覧いただきたい。
■KAI
所属:REG☆STYLE / CAPLIORE / HEARTS / FOR
日本から世界のシーンを牽引するプロチーム『REG☆STYLE』のメンバーとして、2017〜2019年には世界3連覇。メディアへも多数出演するほか、近年は神奈川県川崎市のダブルダッチスクール『JUMPS KAWASAKI』において次世代育成も担う。
2024年夏、アジアジャンプロープ選手権には『FOR』として、DOUBLE DUTCH CONTESTには『HEARTS』として異なるチームに所属し大会へ出場。どちらもアジア一・世界一のタイトルを獲得し、選手という立場からシーン内外に多大なる影響を与えた。

【参考】今回2つのチームを兼任したKAIが、それぞれ挑んだ国内予選・決勝大会までの道のり

#1 挑戦のはじまり
“両立”を決意した瞬間
ジャンプロープ、そしてストリートカルチャーの聖地である神奈川県川崎市で、2024年にジャンプロープの『アジアジャンプロープ選手権』が、2025年には世界選手権が開催されることが決定。日本初開催となる大規模なスポーツ種目のコンペティションに加え、フュージョン種目の世界大会である『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』も同時開催が決定した。
それは世界のシーンや行政から、日本が“ジャンプロープ大国”としての認知が形となった瞬間。そこにシーンを牽引する日本初のダブルダッチチームであるREG☆STYLEのKAIも、思いを馳せていた。
・・・
KAI
このまたとない機会に、いちダブルダッチプレイヤーとして何をすべきか?ということをすごく考えました。「ダブルダッチ」というものを見てもらい、それが市や企業の方々をはじめ“世の中”を繋ぐパイプにもなれるし、学生たちにとっては興味の薄いジャンルにも関心を持ってもらえる機会にもなる。子供たちの夢にもなるかもしれない。
裏方や指導側に回ろうかなどと色んな選択を考えましたが、結局今の自分にできることはいち選手として出ることだな、そして2つともいこう、ってなりました。

Photo by YAMADAI
──そうなんですね。それはどちらもチームメイトを見つける前に。
そうだね。どちらも全員は決まっていなかったかなと。
日本だと僕らが元々やっていたフュージョン(音楽と動きを合わせるパフォーマンス)形式と、純粋に回数や技の難易度を競い合う形式のスポーツジャンルのダブルダッチは、その壁をあまりまたがないというか。同じジャンプロープ、同じダブルダッチなのに別物かというくらい、カルチャー的にも壁がある。
『FOR』では、スポーツジャンルのダブルダッチも更に浸透させて“文化”にしたいと考えて、自分と近い年齢層で固まるのではなく、年齢・性別をバラバラにして、色んな世代や層に刺さるチームでありたいという思いがあったんです。だからメンバーへの声の掛け方は特殊かもしれない。
一方の『HEARTS』は、最終的に2022年に『アメリカズ・ゴット・タレント』に出場したメンバーが軸になりましたね。AGTが終わって、このメンバーでまた何か出たいよね、じゃあやっぱり大会じゃないですかーと。あと互いに信頼を置けていたのでやりやすかったですし。

中央のKAIを含む4人が『HEARTS』としてチームを再結成する
ただ仕事の関係でAGTメンバー全員は揃わず、最終的に残った4人に誰を加えたらヤバいショーを作れるかなって考えたとき、クボユウトとKO-SEIを加えるという結論に至ったんです。
特にKO-SEIは大学4年生(声をかけた当時は3年生)で、彼が次のシーンを引っ張っていく存在になってほしいなという思いもあって。
──そうなんですね。『FOR』でも似たような話題が挙がってましたけど、KAIさんの根底にその思いはありそうですね。業界のためにとか、次世代をとか。
そうだね(笑)。まあでも若い頃は自分がそうしてもらっていた側だったから。繋いでいって何倍にもしていく作業というのは、心の中で常に考えていることなのかもしれない。
──ちなみに、どちらもREG☆STYLEとして大会には出ていないと思うのですが、そこには何か理由があるんでしょうか。
今REG☆STYLEって、真ん中に“☆”が入ってるじゃん。この5つの角はメンバー5人を表しているんです。
角度を変えて誰を真ん中にしてもチームが成立するのがREGで、1人1人がそれぞれの方向性を模索し育てて大きくしてくのがREG。
僕らは世界大会の3連覇を経て、メンバーは今それぞれ指導者だったりプレイヤーだったり、メディア露出だったり裏方だったり、このダブルダッチというものを本気で広げていくために各々が考えて、別の大会や、全く別の軸のことでも選手並みに活動している。
で、その“各々”を強くするからREGとして結集したときもパワーアップするという考えのもと、自分の中では大会に出場して、自分の方向性にある先のものを大きくしていこう、というのがミッションだったと結論付けました。

直球で戦いたかった
そうして『DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN』に向けHEARTSが、『ALL JAPAN』に向けFORが始動する。それぞれのチームは、2024年3月に控える国内予選大会に向け練習に励んでいった。

後列左から Elina Mizuno / TAISUKE / TATSUYA
クボユウト / KAI / KO-SEI
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KAI
『HEARTS』のメンバー自体は2023年12月には固まって、正直そっちは国内予選までは特別難しいことはなかった。5人とも素晴らしいチームメンバーだから。
驚いたのは、最初の曲候補が挙がってきたから自分が軽く曲編集をしてグループLINEに送ったら、全員から「じゃあこれは?」と再編集された音源が送られてきて(笑)。1投げたら10返ってくるような、メンバーからの熱意を強く感じたんです。びっくりしました。
──KAIさんのみならず、メンバー全員が強い思いで臨んでいたと。
そうそう。自分がコンテスト出場を決めたときの思いに立ち返ったとき、HEARTSは「圧倒的に勝つ」こと、そしてキラキラしているスターチームになっていてほしかった。
先輩も中堅も若手も頑張っている、それが色んな人に刺さっていてほしい。
だから、中途半端なものを出すことは許されないなという意識はありましたし、奇をてらい過ぎることより、直球で、ストレートで戦いたかったという感じ。
あと、あくまで自分は─という話ですが、HEARTSは世界大会優勝を見据えていたから日本予選は少し引き算で臨んだと思っています。むしろリラックスして臨めていたんじゃないかな。メンバーによって色々捉え方の違いはあったかもしれないけど。

──そうなんですね。KAIさんは“緊張しない”という話をよく聞きますが、そういう部分が如実に露わになったエピソードですね(笑)。
でも普通チャレンジする側って必死だし、まずは“目の前の勝負を勝とう!”って思うじゃないですか。そこを世界大会まで見据えて臨めていたというのは、やっぱりビジョンがあったから。
そうだね。それもあるし、あとこの活動って「自分が勝ちたい」という思いより、シーンにいる仲間や後輩たち・川崎の方々・世の中とか、色んなものに対して影響を与えたいというのが原点だったから。そこが原動力でしたね。
──国内予選に立ち向かって、HEARTSは3位で世界大会への切符を掴むことになります。その時の心境はいかがでしたか。
予想通りっていう感じでしたね。正直なところ、1位通過したい!とはそこまで思っていなくて(笑)。3位くらいで通過できた方が気楽に臨めるかなとすら思っていたから、よしよし、まずは1つクリア、みたいな感じでした。
フュージョンとスポーツは「全っ然違う!」

──少し時間軸を遡ります。HEARTSと並行して、FORとしての日々もあったと思うのですが、そちらはいかがでしたか。
KAI
さっき「同じダブルダッチなのに…」とは言ったけど、本当に全っ然違う(笑)。
フュージョン種目は簡単そうなことでも難しく見せたり、あるいは別の角度から新鮮な見せ方をすることが評価につながるけど、今回はまず技の難易度が高くないとお話にならない。だから普段のパフォーマンスでは良いとされていることが、こっちだと全く評価されないこともあるのさ。
「同じダブルダッチ」ではあるんだけど、例えるなら同じ球技なのに野球とサッカーくらい違う。「俺ってこんな下手くそなんだ」ってことをもう一度思い知らされたんだよね。
──分かりやすい(笑)。でも確かに、スポーツジャンルの方はレギュレーションが本当に細かく設定されていて、ルールブックの文量も膨大ですよね。一方“曖昧性”を許容するフュージョンはそれに比べると、はるかにその文量は少ない気がします。
右も左も分からないし、よく経験者のERIや、FORをコーチングしてくれたDAIKIに「そこ違います」って否定されて、自分はそう思わないんだけどな…とたまに反抗してみるものの、やればやるほど彼らの言ってることが正しいんですよ(笑)。
そっか、凄いなって思いながら、一つ一つ未知を潰していった感じですね。楽しかったけどね。

スポーツジャンルに精通し、FORを“コーチ的存在”として支えた (本人提供)
あとALL JAPANでは、ダブルダッチは4種目やらないといけないんですよ。フリースタイルシングル / ペア、スピード / スピードリレーと4種目やらないといけなくて、しかも自分とERIはその4つ全てに出る選手。その全ての技術を日本代表レベルにまで持っていく必要があったから、とても苦労しました。身体も心もボロボロになって。
──そうですよね。HEARTSの時とは対照的に、上手くビジョンを描けなかったと。
そうだね。通ったことのなかった道だったから。“模索”って言葉が一番しっくりくるかな。
でも、とはいえ自分に全くダブルダッチの経験がないわけではなかったから、ゴールから逆算するように点を打っていたのが『HEARTS』だったとしたら、『FOR』では今見えている少し先に向けて点を打つように向き合っている感覚だった。

──なるほど。じゃあもうフュージョンの臨み方と、スポーツのそれとは全く異なるし、慣れているか否かということも大きく影響していたのですね。
そして大会当日を迎えたわけですが、振り返っていかがでしたか。
予選当日はフリースタイルが特にボコボコで(笑)、かなりミスがあったけどギリギリ持ち堪えて2位通過。あと、全ての種目に出場したチームが「総合」というカテゴリで入賞することがあるんだけど、そこで僕らはなんとか総合2位通過。
この予選の日、僕らはやっと勝負の土俵に立つことができたんだなと思いました。“アスリート”としての自分がやっと確立されたし、上には上がいることも改めて痛感しました。

・・・
こうして『HEARTS』そして『FOR』で、どちらも決勝大会への進出を決めたKAI。慣れないスポーツジャンルのダブルダッチと格闘しながら、一方で自分の“主戦場”としていたフュージョンジャンルのダブルダッチでも世界一を目指し、戦いは続いていく。
着々と壁を越え、その走り出しは順風満帆にも見えたが、ここからが正念場だったことを当時の彼らは知る由もなかった。
#2 決勝大会に向けて
6人の“心”
KAI
『HEARTS』では難なくショーも完成して、ここから決勝トーナメントのチームバトル* の準備に取り掛かろうと練習をしていたんだけど…
*編集部注:DOUBLE DUTCH CONTEST WORLDではショーケース披露後、その得点の上位4チームが、DJの流す音楽に即興で合わせ相手チームと1対1で戦う「チームバトル」に進出。バトルトーナメント優勝チームが“世界一”となる
KAI
その途中である日、5月ごろだったかな─ Elinaが負傷してしまった。最初は捻挫くらいだと思っていたんだけど、病院で診断されたら骨折していた。まあ一言で言うなら大怪我。
残りのメンバーはElinaの復活を信じて練習を重ねていた。でも、Elinaは正直出場できるかどうか分からない状態で練習をすること自体が迷惑になってしまうと感じて、「私以外の5人で出てほしい」と。そういう思いを各々が抱えていたんだけど、ある時にそれをぶつける、本気の話し合いがあったんですよ。
でもそこで最終的に、改めて一人一人が「Elinaが出ないなら出ない」という選択をしたんです。それは変にElinaにプレッシャーを与えたいという意図ではなくて、Elinaを含め6人で『HEARTS』だから、それが今年難しいなら、6人揃ったときにまた改めて出ようよ!って。
ユートとかカッコよかった。「1週間前とか3日前まで待ちます」って。「それでダメだったらダメで良いっすよ、だから大船に乗ったつもりで、なんでも無理そうなことでも言ってください」って。
素晴らしいなこのチームは、って思った。

あと、これは過ぎたことだから好きに言えてしまうかもしれないけど…。最初に病院で診断を受けたあと、Elinaから連絡をもらってすぐに電話したとき、声を聴いて「こいつは絶対に帰ってくる」って確信があったんです。その電話の時に、もう完全にHEARTSは勝ったわって確信が。
──凄まじいエピソードでした。きっとKAIさんの意図されてることとは違うのかもしれませんが… ただただ、信じる力って凄まじいなと感じました。
Elinaからも並々ならぬ思いとパワーを感じたけど、それ以外のメンバーからも強い思いを感じた瞬間でした。
そこからはもう、駆け上がるだけ。怪我というすごくマイナスなことはあったけど、それを機にHEARTSはより団結して、よりパワーが生まれた。本当、随所に“人間力”を見ましたね。人間力の塊(笑)。
例えば練習が13時スタートだったとして、自分がFORの練習で先にスタジオに行ったら、11時とかにはみんなも揃い始めて時間になるまで自主練していて。
あとElinaも、自分が跳べない時の練習にもいるんです。ストレッチしながら自分はどう立ち回るのかを考えながら練習に参加している。俺らもプロパフォーマーとして活動しているけど、彼女からはまた別の“プロフェッショナル”を教えてもらったような感じだった。
──名は体を表すとは言ったもので、まさしく“HEARTS”というチーム名の通り、各々の気持ちがぐっと固まって、試練を乗り越えていこうとしていたんですね。
あとはそこから、俺の奥さんであるMaykaが衣装を徹夜で作ってくれたり、ゴット・タレントへ一緒に出場したメンバーで、残念ながら今回は出場できなかったDAICHIさんに練習に来てもらったり、あとは同期で今も最前線で切磋琢磨してるt.taishiとか、REG☆STYLEのKO-YAやKEITAが来てくれたり。
周囲の色々な人たちに助けられて直前期に突入していきました。

生まれた“ポジティブ休暇”
KAI
でも、FORも同じ。相変わらずそっちも大変で、みんなで団結してやっていくことには変わりなかったね。
3月の国内予選でやっと右左くらいは分かるようになってきた感覚があって、自分がどこへ向かい、何を目指すべきなのかがハッキリしてきたから、それを元に練習を進めていきました。ただ、何より大事なのはフィジカルとメンタル。
──そうですよね、本当に。
練習はもちろん、それ以外の時間にめっちゃくちゃ走り込んだりシャドー(ロープ無しで駆け足跳びの練習)をやったりしていた。
そして模索する日々を送りつつも、6月のイベントでゲストとしてフリースタイルを披露させてもらった機会があって、そこでやっと手応えを掴めた感じがしました。
──FORとしても“峠”を越えて、やっとの思いで向かっていこうとしていると。
いや、でもやっぱり色々あった。unnoとMAHOROは『ブリテンズ・ゴット・タレント』があったでしょ。MIREIも別のチームで学生大会が控えていた。で、ERIはさっきも言ったけど会社員で、そうやって各々がハードな生活を送るなか、わずかな時間も惜しんで練習時間を作って進めていた。なんだけど… ERIがアジア選手権の1週間前くらいに救急搬送されちゃって。
確かにその日の練習、顔面蒼白だったんだよね。気をつけて帰りなよーなんて言ったら夜に点滴の写真が送られてきて(笑)。
──ええっ。
でも、それでまたFORの一人ひとりと電話して「このERIの件をどうポジティブに考えるかが大事だよね」って話をしたんです。元々みんなタイトなスケジュールだったから、これはじゃあ“ポジティブ休暇”ってことにしよう!と。
みんなで「ERIのおかげでちょっと休めるわ!」って考え方にしてしまって、練習から戻ってきた時にはもちろんERIの体調に気遣いながら、時折それをいじったりもして(笑)。逆にすごい明るい方向に持っていくことができたのが結果として良かったなと思ったんです。

──なるほど。今お話を伺っていて、KAIさん流のチームメイクとして、“ポジティブに捉えよう”というところが大きいなと思いました。
そうだね。Elinaの件もERIの件も、変な意味じゃなくむしろ「こういうことがあって良かった」って思えて臨めたのは大きかった。
やっぱり気持ちを上げていかないと意味がないし、どんな出来事も衝突も、チームとして一丸となって戦うなら、結果それが右肩上がりになっていかないと意味がないと思っている。常にポジティブに捉えようという意識はしているね。
──逆境のさなかだからこそ、逆転の発想を持とうという考えは非常に学びになりました。でも、結局チームメイトがそういう状況になるというのは、自分の力だけでは乗り越えられるものではないじゃないですか。どうしてそこまでポジティブに居られるのかなと。
人が好きなのかな(笑)。でもだからこそ、一緒にやる人って大事ですよね。チームメイトは大切な存在。中途半端にはしちゃいけないし、1人じゃないからこそ何でもできるということは、自分の体験談として学んできたことです。
良いも悪いも、自分自身の向き合い方次第
──少し各チームの話題から脱線しますが、KAIさんと話すといつもポジティブな視点を持てるなと思っていて、私は勝手に歩くパワースポットだなって思うんですよ(笑)。
そうやってKAIさんが人をポジティブにしているのは想像に難くないのですが、そう思うに至った原体験に迫りたいなというか。KAIさんがポジティブにさせられたな、ってことはありましたか?
KAI
ありますね。やっぱりREG☆STYLEの存在なんじゃないかな。
学生時代からダブルダッチをやってきて、その後2014年に『シルク・ドゥ・ソレイユ』で活動していた『CAPLIORE』というプロチームに入れてもらったんです。ここまでは割と順調に、とんとん拍子で進んで行きました。

ただそのあと、2016年くらいかな。ショーの期間が終わって自分は日本に帰る選択をして、日本で活動していたREG☆STYLEに入ったんだけど、正直その時期はめちゃくちゃ天狗だったし、当時のREGはお世辞にも“プロ”とは言える状態ではないと思っていた。かたや自分はCAPLIOREとして先輩たちとステージを踏んできたから、自分が引っ張らなきゃ!と思っていたんだけど、今思えばどの目線で言っとんじゃって言葉ばかりだった。
REGの一員としての言葉がなかなか出なくてどこかずっと他人事… そうこうしているうちに、アキレス腱を断裂してしまったんだよね。確か2018年くらいのことだったかな。
──確か2度目の世界大会出場後、3連覇に向けて動いていた矢先の出来事だったと記憶しています。
自分がカマさないとと思っていた矢先に怪我で動けなくなって、本当に根暗になった瞬間だった。でもその時期に一緒になって引き上げてくれたのが、REG☆STYLEだったんだよね。
──じゃあKAIさんにとって、この大怪我は人生観を変える大きな出来事だったと。
そうだね。相当大きかったし、結果相当ハッピーを呼んでくれた事件だった(笑)。むしろ怪我してなかったらどうなっていたんだろう…とすら思う。自分を正しい方向に変えてくれたきっかけだった。
本当、リハビリとか地獄のように痛いの。リハビリの後は筋トレもしないといけなくて、いつ完治するかもハッキリしないまま、心の中ではシーンやREG☆STYLE、事務所のみんなに迷惑をかけてしまっているなとモヤモヤしていて。でも表に立つ身として、明るく振る舞わないといけないじゃん。
夜も寝付けない、むしろ目覚めてしまったらまた辛いルーティンが待っている。そこで地の底まで落ちた経験と、周囲で支えてくれた人の存在が、今の自分を作っているなと思います。

──だからこそ、同じような境遇にいるElinaさんのような仲間や出来事に対しても、ポジティブに向き合うことができたのかもしれませんね。
そうかもしれないね。怪我やリハビリの辛さとか、そこからどうしたら這い上がれるか…ということも何となく分かるし、「こいつは戻ってくるな」ってElinaに感じたのも、似た経験があったからなのかもしれない。
──軽い言葉でまとめるのも憚られますけど、やっぱり傷ついた経験というのは人を大きく変えますよね。本当に経験だな、というか。
良いも悪いも自分自身の向き合いようでプラスに変えられるんだなと改めて感じました。
・・・
降りかかる幾多の試練をなんとか乗り越え、なんと両チームとも無事にフルメンバーで大会のステージに立てることが決まった。奇跡か必然だったのか─それは神のみぞ知る話であるが、いずれにしても、彼らの血の滲むような努力が呼び起こした成果だったに違いない。
そうして2024年7月、アジア各国の選手が川崎に集結し、戦いの火蓋が切って落とされる。
日本選手団として迎える決戦の日々。しかし安堵するのも束の間、まだまだそこには壁が立ち塞がっていた。

#3 迎えた決戦の日々
笑顔で「頑張ろうぜ!」

──私もアジア選手権大会というのは初めての経験、1週間という長期の大会も初経験で、これは選手は相当大変だったんじゃないかな… と思っていたんです。出場されていた立場から当時を振り返って、いかがでしたか。
KAI
オモロ3:キツい7だったね(笑)。
今まではその一日に全身全霊をかけて臨めば良かったけど、そうはいかないから大変だった。FORとしては4種目あるし、そこにHEARTSとして最終日に世界大会があるから、出場しない日にも練習はあったし、詰め詰めのスケジュールの中でなんとかやっていました。
しかも本戦がある種目もあって、ありがたいことに予選を突破したら一度で終わらないものもあったり、アンチ・ドーピングの観点から自宅には帰れず、日本選手団も近くのホテルに泊まらないといけなくて、心も休まりきらない日々。
最終日のコンテストは正直、今まで出た大会で一番ぼっとしてしまってたなと思う。
──大会やってまた次の大会って、今までからすると考えられない話です。
でも、だからこそ他のスポーツジャンルの選手たちって凄いなって改めて思いました。
それこそ僕らはダブルダッチ種目だけだったけど、選手によってはシングルロープ(単縄のこと。一般的な“なわとび”)種目と掛け持ちして出ている人もいて、1種目終わったら脚を引きずりながらまた別の競技へ向かっている人とか、裏でぶっ倒れてる人たちをたくさん見た。
そういう人たちをたくさん目の当たりにして、俺らは少なくとも、笑顔で戦わなきゃいけないよねって。色んな国の選手たちに笑顔で「頑張ろうぜ!」って声をかけていました。

多くのアスリートたちがしのぎを削った (本人提供)
それで最後、TEAM SHOWという種目で各国の選手がパフォーマンスを披露する種目があるんですけど、見ているともう涙が止まらなくなるんです。一人一人怪我していく姿とか見て、その選手から命懸けで向き合っている姿から溢れるパワーというか、パッションというか… 強く刺激を受けました。
あとは、運営陣やスタッフなどの裏方の人たちも選手と同様に、あの日々がハードだったのを目の当たりにしていました。みんながいてあの空間、あの日々があったから、俺はへこたれちゃいけないなって。色んなことを考えたとき、確かに苦しかったけど、それでも笑って過ごそうと思っていました。
──ここでもなお、KAIさんは“ポジティブ”だったと。
FORの方は思っていたより成績が良くて、正直まさかあんなにメダルを獲れると思ってもいませんでした。表彰台の一番上から『君が代』を聴いたときは涙が出たな。チームメイトとハグして喜んだ瞬間とか、たまんないよね。

──苦しい日々を乗り越えてきたからこそ、得られた喜びとか、そこで見て感じるものも大きくなりますよね。素敵な経験です。
このステージに“選手”として立つ意味
KAI
それで、その期間の最終日に、HEARTSとしてコンテストワールド(世界大会)があった。
たださっきも言ったけど本当にぼーっとしてしまっていたし、目覚めたら脚も上がらない、肩も上がらない。身体のコンディションは相当悪かったけど、とりあえず風呂に入って「笑顔で会場に入ろう」と決めて向かったことは覚えている。
それこそ裏方の人たちもアジア選手権から地続き、ほぼ同じメンバーで運営していたのもあったし、大会にはアジア選手権で出会った選手たちも大勢いたから、いつも以上にこのステージで“選手”としている意味を考えながら全力で戦おうと思ったんだけど、改めてショーの映像を見ると軽くフラついてるんだよね。
どうなっちゃってもおかしくなかったと思うけど、最後まで動かしてくれたのは色んな人たちの支えだったなって思います。色んな人の顔が浮かんだショーだったな。

──限界の状態で迎えていたんですね。正直、見ていてそうは思えないくらいパワーがありました。
そしてショーケースを終え、HEARTSは1位で続く決勝トーナメントのチームバトルへ駒を進めることになります。
ショーケースが終わってやっと本調子になった感じでした。身体の感覚も戻ってきて、頭も冴えてきて、もう大丈夫だなって。
初戦の相手は同じ事務所で、お互いプロチームとして切磋琢磨してきた『NEWTRAD』。彼らも色んな葛藤のもとここまで戦ってきたのを知っているから、全力で迎え撃ちました。REG☆STYLEとしての経験もあるから、あそこまで登り詰めるのは並大抵のことじゃないのも知っている。お前ら凄えな、ありがとう、って気持ちで戦いました。

無事に突破し残すところは決勝戦のみだったんだけど、その後、同時に開催されていたソロバトルの大会『DOUBLE DUTCH ONE’S』で、ユートが決勝戦で負けてしまったんだよね。ユートも二足の草鞋を履いて、そっちにも全力で取り組んでいるのを知っていたから。
控室から出てこれないくらい気持ちが沈みきってるユートを支えようと向き合うHEARTSの姿と、一緒にもう一度戦うぞっていうユートのパワーに心を打たれて、決勝のSAMURAI DRIVEとのバトルに向かっていきました。
──あの決勝戦は凄まじかったですね。文句なしにチームバトルの最高峰の勝負だったと思いますし、“スタイルウォーズ”の極致だったと思います。
これまた相手はRYO-TAやMochasとか、付き合いの深いメンバーたちで。目の前で完璧なムーブをカマされて、お前らやるな、凄えなって。
ワクワクと負けないぜってたぎる気持ちがどんどん湧いてきて、めちゃくちゃ白熱したバトルだったかなと思う。REG☆STYLEのときとはまた違う感情になったな。
でも万全の練習を重ねてきたと思うんだけど、やっぱり本番だと見たことないミスが出てくるんだよね。
──個人的に、SAMURAI DRIVEはミスを抑えて手堅く戦っていたのに対し、HEARTSはオリジナリティという点では優れていたように思います。ただどちらも本当に甲乙つけ難い、ハイレベルな名勝負でした。見ている側も、最後どちらに軍配が上がるか分からなかったです。
SAMURAI DRIVEの圧倒的な火力に対して、HEARTSは“NEW”をぶつけてきた。この戦い方の違いも面白かったし、全員がここに懸けてきた情熱も感じた。
ただ終わった瞬間の正直な気持ちとしては、ミスも目立ったからダメだったかな…と思っていました。
──そうなんですね。優勝はできなかったかな、と。
だから結果発表でHEARTSの側に腕が上がって、驚きもした。もちろん凄く嬉しかったんだけどね。でもやっぱり、全体的にフワっと時間が過ぎていった感覚はどうしてもあったな。

KAIが思う“勝利までの道のり”

──ここまで凄まじいお話を聞かせていただきましたが、いくつか気になったことを伺わせてください。
まず大会期間中、ベストなコンディションで臨めていなかったというお話もありましたが、(長期の大会でなくても)そもそも大会当日をベストな状態で臨めないことも少なくないと聞きます。
振り返って今回、そういった状況でもどうして勝利を手繰り寄せられたのかと思われますか?
KAI
準備だけは完璧にこなせたなと自信を持って言える状態まで持っていくことができたからかな、と思っています。徹底的に練習もしたし、大会期間中や直前期にしんどくなったり、過密なスケジュールになることも想定していたから、「それでも100を出せる自分」を事前にチームとして創り上げていけたことが理由かなと。
──それが絶対的な答えですね(笑)。
そうそう。準備が全て。当日はやっぱり手元が狂うこともあるから。
──その「準備」というのはどういったことをされていたんでしょうか?
フュージョン(HEARTS)に関しては、ありとあらゆるミスを想定して潰していきました。冒頭にもお話しましたが、経験もあったからゴールは見えていて、そこから逆算することもできたので、自分以外のミスも含め「今これがこうだったから、ミスの原因はここだね」っていうのをトライ&エラーでやり続けていきました。
どういう感情のときにどういうミスが出るとか、この縄のときにこういうミスが起こるとか、それを理解すること、解決しようと試みることを当たり前にし続けることが大事。
例えば順番が繰り上がっちゃったりとか、音が小さくて聴こえづらいこととか、照明が暗くて見えづらいこととか、当日右手が満足に上がらなくなるとか、色んなシチュエーションをイメージして向き合っていたから、何の心配もなかった。
ただ、チームバトルは心配要素もあった。DJがどんな音楽を流すか分からないし、ムーブ自体は準備できてもあとは即興で対応するしかない。でも対応力の部分は鍛えておくことはできると、来てくれたtaishiやKO-YA・KEITAとバトルしたり、DAICHIさんや奥さんのMaykaに真正面に立ってもらったりとか(笑)。
それでも本番ミスは出てしまったんだけどね。

──でも「ベストを出せるような準備をする」という根底の部分は共通していますね。かつこれまでの豊富な経験から、シミュレーションを重ねられていたような印象を受けました。
ただ一方で、FORとしては初のスポーツジャンルの大会への挑戦ということで、そのシミュレーションもフュージョンほど効かなかったのではないかなと思うのですが、いかがでしたか。
フュージョンでミスの要因の120%くらいを理解できているとしたら、スポーツジャンルに関しては70%くらいだったかな。なぜミスして、なぜ上手くいっているのかがハッキリ分かっていない状態で本番を迎えざるを得なかったというのはあります。
根本的に、例えばショーだと1エイトの間に注意点が2箇所くらいあるとしたら、こっちは1カウントに16個くらいあるパートもあるんです。それを同時に捌かないといけないんだけど、どれだけシミュレーションしても処理速度が追いつかない。だからそれを考えなくても上手くいくくらい、とにかく身体に染み込ませて練習を重ねるしかなかったです。
本番当日までミスの全容は掴みきれなかったけど、成功率はちゃんと上がっていく。不安はあるけど、これくらい出来るようになったから、あとはもう本番は覇気だし、なるようになる。このメンバーで頑張ってきたから、俺らなら大丈夫と。そういう意味で、そう思えるくらい練習してきました。

#4 激動の日々を振り返り、思うこと
こうして幕を下ろした激動の日々。本気で戦い抜いたKAIが感じたのは、思わぬ感情だった。
・・・
──最後に伺いたいのですが、あの激動の日々を振り返っていかがでしたか。終えてみて思ったことや得たものってありましたか?
KAI
“燃え尽き症候群”みたいなものは無いなと思ってたんだけど、とりあえず次の日はベッドから起き上がれなかったね。川崎のホテルに泊まっていたけど、身体中が軋んで動けない。あっ、でも最終日の次の日にはワークショップがあったから、満身創痍だったけどそれを見に行った。
でも終わった直後も世界を獲ったんだとかって実感は湧かなくて、とりあえず「この日々を終えた」ってことだけ感じた。なんか燃え尽きたかもなー、って。
でも一回、不安にはなった。今回の俺の挑戦は誰かのためになったのだろうか、みたいなことを考えた。自分のやったことは合っていたのか、他にやるべきことは無かったのか…。今でもちょっと考えるときがある。
──そうなんですか。正直意外でした。
あんまり不安に思うことはないけど、誰かにいつか聞いてみたいなって思った。「俺、これで良いんすかね」って先輩とかに。

──それは手応えがなかったから、ということですか?
いや、手応えがないというか、手応えがあっても思うんだろうなと。
でもこうして“誰かの、何かのために”という思いで整えながらやっていかないと自己満で終わってしまうだろうし、色んな人の意見に耳を傾けながら、自分がどうあるべきかを決めていきたい。
でも何だか良い不安を持てたなって思うし、その上で今進もうと思えているから大丈夫だと思う。
──最後はやっぱりポジティブですね。
あと、どうやら「自分のために頑張れない」人らしいんだよね(笑)。誰かのために、誰かと一緒にやりたい。思い返すと、REG☆STYLEに加入したごろの時期は自分中心の日々だった。自分を守る行動や言い訳が多かったけど、怪我をきっかけに、誰かのためにというマインドになった。
これからもダブルダッチ、そしてジャンプロープを広げるために命を燃やして、最期は1抜けしながら死ねたら本望だなとか思ってる(笑)。
あとは先人たちが紡いできてくれたものへの感謝も伝えたいなとか、自分としてはコンテストを4回優勝したから、キリよくいつか5回目も達成したい。
でも大それたことを言うつもりもなくて、誰かが次の日、「明日俺も頑張ろうかな」って思ってくれさえすればそれでオッケーだなとも思う。
どれも簡単なことじゃないと思うけど、これからも心が燃え続ける限り跳び続けていたいなって。そう思います。
・・・
彼のもとに、全く不安が訪れないということではないのだろう。しかし、逆境に立ち向かうKAIはいつも“ポジティブ”だった。
不安や痛みを感じないことではなく、それを全身に受け止めながらも前を向くことが真の「強さ」なのだと教えてくれた。そしてその強さは、ジャンプロープというカルチャーと、その周囲にいる人々の存在があったからだと口にする。
これからもKAIは、誰かのために跳び続ける。その心が、力が、命が、彼の中で燃え続ける限り。

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[PR] bmx「一歩踏み出してみることが可能性を広げる」BMXレーサーからプロボートレーサーへ転身。上田龍星が体現する挑戦の軌跡2026.07.17BMXレーシングというフィールドで培った技術と経験を武器に、12年前にまったく異なる世界へ飛び込んだアスリートがいる。それが現在プロボートレーサーとして第一線で活躍する上田龍星(うえだ・りゅうせい)選手だ。 幼い頃からBMXレーシングに打ち込み、国内トップクラスの大会で経験を積んできた上田。しかし競技を続ける中で、自身の将来やキャリアについて真剣に考えるようになり、新たな挑戦として高校卒業を機にボートレースの世界を選んだ。 競技は変わっても、勝負に向き合う姿勢は変わらない。コンマ数秒を争うスタート、一瞬の判断が左右するレース展開、極限まで研ぎ澄まされた集中力。BMXレーシングで培った身体能力や技術、そしてプレッシャー下での決断力は、ボートレースという全く異なる競技でも確かな武器となっている。 2015年にボートレーサーとしてデビューすると、着実に実績を積み重ね、現在は大阪支部所属のA1級レーサーとしてSG・G1の舞台へも活躍の場を広げ、トップレベルの戦いに身を投じている。 競技人生は一つの道だけではない。上田龍星の歩みは、競技を続けることに悩み、セカンドキャリアを模索するアーバンスポーツ選手に新たな可能性を示している。競技が変わっても、アスリートとして培った力は新しいステージで必ず活きる――。自らのキャリアでそれを証明し続ける上田選手に、今回FINEPLAYは特別インタビューを行った。 上田龍星 (以下:U) 「かっこいい!」に魅了された青春時代。成長を追い求めたBMXレーサーとしての原点 ― 上田選手が幼少時にBMXレーシングを始めたきっかけを教えてください。 U:元々、父がBMXをやっていた影響で、初めて大阪府堺市の大泉緑地公園のBMXコースへ連れて行ってもらいました。その時ちょうど開催されていたレースで、選手たちがセクションをジャンプする姿に「すごいな!かっこいいな!」と目を奪われ、「僕もBMXレースをやりたい!」と父に伝えたのが始めたきっかけです。小さい頃からとにかくBMXでジャンプすることが大好きで、少しずつセクションを飛べるようになってくると「次はこの大きいセクションを飛んでみよう!」みたいな感じで、楽しみながら無心で成長を追い求め、レースをしていた小学生時代でした。一方で、同年代の仲間と切磋琢磨するうちに、「上達していく周りの選手に負けたくない」という気持ちが芽生え、自然と中学、高校でも競技を続けていました。当時はとにかくBMXレーシングが楽しくて、周囲もBMXライダーばかりの環境だったこともあり、ほかの道を選ぶことなんて全く考えていませんでした。 ― 上田選手の学生時代は、プロを目指してアメリカへ渡るトップ選手が増えてきたり、BMXレーシングがオリンピック競技に採用され始めたタイミングだと思います。将来はどうなりたいと思っていましたか? U: 当時は国内最高峰カテゴリーのエリートクラスへの昇格を目標にしており、「国内外で活躍する先輩選手たちのように色々な大会で勝てるようになりたい」とずっと思っていました。ただ、明確にプロになることを目指していたわけではなかったので、将来についてそこまで深く考えていなかったのが正直なところです。部活や趣味の延長のような感じで、学生時代の僕はただBMXレーシングが楽しくて、「もっと上手くなりたい!もっと速くなってレースで勝てるようになりたい!」という思いで競技を続けていたのが第一でした。 「BMXレーシング一本で食べていくのは厳しい」18歳の決断と、未知なるボートレース界への挑戦 ― BMXレーシングからボートレースへ挑戦することを決めた経緯を聞かせてください。 U:高校卒業のタイミングで今後どうしていくかを考えていた時、BMXレーシング一本で食べていくのは、僕の実力では少し厳しいと感じていました。もしこのままBMXを続けるにしても、まずは仕事をしないといけないと思っていたんです。先輩選手たちがBMXレーシングから競輪へ転向し、セカンドキャリアへ進む姿を見てきましたが、自分は先輩方に比べて体格が華奢で、脚力・体力ともに劣るため、競輪の世界は厳しいと考えていました。そんな時に、偶然ボートレースを勧めてもらう機会があったんです。当時は正直、ボートレースのことは全く知りませんでした。ただ、それまでBMXレーシング一筋で他にやりたいこともなかったため、「まずは一度受けてみよう」と思ったのが挑戦することを決めたきっかけです。 退路を断って臨んだ養成所時代。厳しい規律の中で鍛えられたプロボートレーサーとしての土台 ― ボートレーサー養成所時代を振り返るとどういう日々を過ごされましたか?U:BMXレーシング業界やストリートカルチャーの良さでもありますが、最低限の礼節は重んじつつも、年齢を問わずフランクに接する環境で過ごしてきました。そのため、ボートレーサー養成所の入所当初は、教官に怒られっぱなしの厳しい日々に圧倒され、「すごいところに来てしまった。これを1年間も耐え抜けるのだろうか」と戸惑うばかりでした。初期はボートに乗ることはほとんどなく、礼儀作法や集団行動の規律を叩き込まれる「教練」から始まります。そこから水上での操縦訓練、モーター整備といった専門実技に至るまで、プロボートレーサーに不可欠なスキルを段階的に習得する期間がありました。例えば、具体的には毎朝きっちり6時に起きて3分以内に外に出ることや、布団の畳み方といった日常の礼節など、様々な形で一人の人間としての素養を鍛えられました。厳しい環境ではあったのですが、「ここをクビになったら他にやることがない」くらいに思っていたので、まずは養成所を絶対卒業するという一心で、とにかく頑張りました。振り返ってみると、プロボートレーサーとしてだけではなく社会人としても成長させていただいた期間であり、忍耐力もついたので、自分の人生においても非常に大事な経験でした。 ― その厳しい環境の中で、普段どういうことを意識して過ごしていましたか? U:さまざまな訓練や準備は正直しんどいことも多かったのですが、基本的にはボートに乗っている時間が一番長いんですよね。だから普段の生活でも「どうすればもっと上手く乗れるのか」を考えて、その上達していく過程を一番の楽しみにしようと、気持ちを切り替えていました。ボートに乗っている時間は唯一1人になれるので、純粋に自分の成長にフォーカスできます。そこではBMXがとにかく上手くなりたくて頑張っていた幼少期の感覚を思い出せましたし、このキャリアの先に広がるプロとしての成功に思いを馳せながら日々練習に励んでいました。 ― 養成所を卒業してからプロボートレーサーとしてレースに出るまでのプロセスを教えてください。 U:卒業後1〜2ヶ月は地元のレース場で練習しながら、本番レースの1日の流れを先輩方に教えてもらう研修期間でした。ボートレーサーは、レースに出場する以外にもたくさんの仕事があるんです。当時は新人だったため、さまざまな庶務をはじめ、先輩のボートの水抜きやモーターの組み立てなど、レース外の仕事を実地で学ばせてもらいました。また、モーターをボートに乗せる作業も一人で行ってはいけない決まりなので、自分のことばかりに集中しすぎないよう、広い視野を持つことを意識しました。先輩の動きを見て「自分がどう動くべきか」を考えたり、レース以前の社会人としての集団行動や、仕事としての1日の流れなどを色々と教えてもらいました。 その期間を経て迎えたデビュー戦ですが、なんと終盤のレースで初めての1着を獲ることができました。宿舎の同部屋の先輩方にプロペラの調整方法や乗り方のアドバイスを頂いて、その通りにしたら上手く展開が向いてくれたんです。デビューまでの研修期間でしっかり先輩方から学ばせてもらったことが活かされたなと感じました。 ― いちボートレーサーである以前に社会人として成長させてもらえる環境なのだと感じました。 U:そうですね。プロボートレーサーも、社会人として働くという意味では一般的な職種と変わりません。覚えるべき業務は数多くありますし、色々な人と関わりながら働く以上、いかに周りを見てその場その場で必要な仕事をできるかが大前提になります。その上で、プロのボートレーサーとしてレースに出場させていただき、応援してくれる方やレーサーを夢見る次世代に夢を与える立場にあるのだと感じています。そうして経験を重ねるうちに、多くの人間関係が生まれ、自分という存在を知ってもらえるようになりました。今では様々なレースの機会に恵まれ、オフの日には気兼ねなく話せる同期や先輩、後輩も増えています。そうした繋がりや機会を得るためにも、この新人時代にどれだけ努力できるかが、のちのキャリアを大きく左右するのだと実感しています。 BMXレーシングの技術が活かされる水上の駆け引き。上田龍星の代名詞「思い切りのあるターン」が誕生した2つの競技の共通点 ― ちなみに競技面でも深掘りさせていただきたいのですが、ボートレースで結果を残すために重要なのはどのような点でしょうか? U:前提としてBMXレーシングと異なる部分でいうと、ボートレースでは自分専用の機材を使えないという点です。レースの1節ごとに使用するボートとモーターが抽選で決まるので、毎回異なる機材の性能を見極める能力が不可欠です。モーターも全くパフォーマンスが良くないものから反則級に良いものまで様々なので、引いた機材の特性に合わせて、自分の乗り方を変えたり、プロペラ等の機材調整を工夫したりすることが勝利への絶対条件となります。また常にトップの成績を残す選手は、単に機材の調整能力やボート操作の技術力が高いだけでなく「レース展開を組み立てる能力」に長けています。ボートレースは予選勝ち上がり方式で行われるのですが、常に1着を狙うようなリスクの高い走り方をすると、逆に最下位の6着になってしまう確率も上がります。そのため「ここは最低でも3着を確保する」といった着順のコントロールと戦略的なポイント獲得が、予選を着実に勝ち抜くために非常に重要なのだろうと、トップ選手を見ていて思います。僕もまだコンスタントではありませんが、優勝を重ねるうちにレース感覚は掴んできました。BMXレーシングの大会でも同じように競い合ってきたので、その過去の経験が活きていると感じています。 ― 技術面では、BMXレーシングとボートレースの共通点を感じますか? U:どちらも不安定なマシンを操ってレースをする点は共通しています。ボートレースもターン中は座らないので、BMXで培ったバランス感覚が活かされていると感じます。あとはレース中の駆け引きですね。BMXレーシングでいうコーナーでの「インアウト」や、「ハイロー」といったアウトからインに入っていくライン取りの判断が、ボートレースの「差し」に近い部分がありますし、BMXレーシングの一瞬の判断で戦ってきた感覚は、現在のレースにそのまま直結していると思います。 ― ボートレースでは体重移動やスタートも重要かと思います。この点でもBMXレーシングと共通する感覚はありますか? U:体重移動でボートを少し浮かせてウイリーで引き波を越える時は、BMXレースでセクションを越える時に前輪をあげる「ピックアップ」みたいな感覚に感じることがあります。バランスを崩して転倒しそうになった時にも、BMXのジャンプの時に空中で体が勝手に耐えようとする能力がいきているのか、周りから「龍星って転びにくいよな」と言われることもあります。 スタートの面でも、待機行動からピットアウトする際のタイミングが、BMXのスタートゲートに近い感じはします。後ろで係留機に掴まれている状態でシグナルが3つ光って離れる瞬間にタイミングを合わせるんですが、そういうリズム感や体の動かし方はBMXレーシングの技術を活かせていると思います。 ― ご自身のボートレーサーとしての強みはなんだと思いますか?U:唯一自信を持って言えるのは「思い切りのあるターン」ですかね。レースデビューしてすぐの頃に「速いターンをする方が絶対に勝ちやすい」と思い始めたんです。最初はなかなか上手くできずによく転覆していたのですが、土やアスファルトの上を走るBMXレースに比べたらボートレースは水上ですし、変な転び方さえしなければそこまで怪我もしないと考えました。そうやって、思い切りスピードのあるターンを徹底して練習してきたことが、今では自分の強みになっていると感じています。また、そういう意味でも、今では最上級のランクであるA1級で戦わせてもらっているので、このようなBMXレーシングで培った技術や感覚が活きて、ここまで来れているのかなとも思います。 最上級ランク「A1」レーサーの上田龍星が目指すさらなる高み。次なる目標はボートレース最高グレードのレース「SG」でのタイトル獲得 ― 今年で11年目を迎える上田選手ですが、今後プロボートレーサーとして実現したい目標はありますか? U:僕の同期や後輩でもSGやG1などの大きい記念レースでタイトルを獲っている選手がたくさんいるんですけど、僕はまだタイトルを獲れていないので、まずそういった記念レースで勝てるように努力しないといけないと思っています。特に最高峰のSGレースに出るためには明確な条件があるのですが、僕はたまにクリアして出場できることがあっても、コンスタントに毎回出られているわけではありません。そのため、しっかり条件を満たして毎年出場できるようになることを目標とし、取り組んでいきたいです。そして最終的にはSGレースでタイトルを獲得できるように、今後も挑戦し続けたいと思っています。 ― 改めて、BMXレーシングの背景を持つ上田選手が感じるボートレースの魅力を聞かせてください。 U:BMXレーシングをはじめとするアクションスポーツやアーバンスポーツとも共通しますが、「会場だからこそ肌で感じられる臨場感」こそがボートレースの魅力です。レース場には、エンジン音や水しぶきなど、映像では分からないその場限りの感覚があります。それも含めて観戦することで、競技の迫力や緊張感を心から楽しんでいただけると思うので、他のスポーツと同様にぜひ会場に足を運んでほしいです。 「失敗を恐れず、一度思い切って挑戦してみてほしい」セカンドキャリアに悩む若手アスリートへ伝えたいこと ― 上田選手の経験からセカンドキャリアに悩むアーバンスポーツ選手へ伝えたいことはありますか? U:今までずっとやってきたスポーツを急に辞める決断は考えづらいことだとは思いますが、別にもう1個挑戦したいことがあるのなら、思い切って一歩を踏み出してみるのも一つの道だと思います。 ― 挑戦しようと思ってもなかなか一歩踏み出せない時の指針はありますか? U:「失敗したらどうしよう」と考え出すと体が止まってしまうじゃないですか。僕はある意味何も考えていなかったくらいだったので、それがちょうど良かったと思うのですが、もし少しでも挑戦したいことがあるのなら、まずはトライしてみて欲しいと僕は思います。その選択肢がボートレースであれば、養成所に応募できる年齢には30歳未満という制限もあります。もし若いうちに挑戦できるタイミングがあって悩んでいるなら、たとえその道が上手くいかなくても人生はまだまだ長いので、一度挑戦してみるのがいいのかなと思います。 ― 最後に、上田選手にとって「挑戦」とは? U:僕自身もまだまだ次の目標に向けて挑戦している最中で、皆さんと同じ立場です。綺麗な回答にはならず申し訳ないのですが、僕にとって挑戦とは「まずは一歩踏み出してやってみる」ことだと思っています。ぜひ一緒に夢を持って挑戦していければと思いますし、ボートレースの世界で共に戦う仲間に出会えれば嬉しく思います。 上田龍星 プロフィール 1995年7月15日生まれ。大阪府出身のボートレーサー。117期生として養成所を卒業し、2015年にボートレース住之江でデビュー。着実に経験を積み重ね、現在は大阪支部所属のA1級レーサーとして全国各地のレースに出場し、あらゆる舞台で活躍を続けている。鋭いスタート力と冷静なレース運び、卓越したターン技術を武器に、トップレーサーが集う舞台でも存在感を発揮。安定した成績を残しながらさらなる飛躍が期待される選手の一人である。2025年の獲得賞金は約4,800万円、生涯獲得賞金は3億円を超えている。(2026年7月16日時点) なおボートレーサーになる以前はBMXレーサーとして活動しており、同競技で培った高い身体能力や瞬時の判断力、勝負強さは現在のレーススタイルにも生かされている。異競技から転身を果たし、第一線で戦い続けるキャリアは、ボートレース界でも注目を集めている。
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others日本人だから強い、を証明しにいく。 TATSUYA / SOME≡LINEZインタビュー2026.07.12津軽三味線、ヒューマンビートボックス、ストリートダンス——一見まったく異なる3つのジャンルを掛け合わせたパフォーマンスチーム「SOME≡LINEZ(サムライン)」が、結成からわずか2年半で世界の注目を集めている。ニューヨークのHip-Hop Museum(THHM)にコンテンツが寄贈され、日本国内では演歌の大舞台でのコラボレーションも記憶に新しい。TikTokでは半年でフォロワー10万人を突破し、現在のSNS総フォロワー数は90万人を超え、その勢いは止まらない。 しかしその台頭は、決して偶然ではない。そこには周到な戦略と、20年を超えるキャリアが生み出した深い哲学がある。チームの中核を担うビートボックスプレイヤー・TATSUYAに、結成の経緯から「和」という武器の可能性、そして次世代へのメッセージまで、余すことなく語ってもらった。 TATSUYA(以下:T) 「何か残さなきゃいけない」という衝動が、SOME≡LINEZの原点にある。 ―まずはSOME≡LINEZについて教えてください。どのようなチームで、どのようにして結成に至ったのでしょうか。 T:津軽三味線とヒューマンビートボックス、そしてストリートダンスの3つのジャンルを掛け合わせた、唯一無二のスタイルで活動しているパフォーマーチームです。僕目線で言うと、ビートボックスをずっと20年ほど続けてきて、いろんな世界に挑戦してきたんですけど、「日本人として生まれ育ったルーツや自分自身のアイデンティティをいかに表現に取り込むか」で評価されるんだなっていう感覚がずっとあって。そこが出発点になっています。 T:今から11年前、僕が30歳のときに、津軽三味線の柴田雅人と共通の知り合いを通して知り合いました。一緒に演奏する前からすごくフィーリングが合っている感じがして。音を出し合いながらお互いのすごさを感じる関係になって行きました。 そこから2人でちょくちょく活動していましたが、コロナで演奏する場所が一気に失われてしまって。その時に、ダンサーのFLAVAという僕の後輩がいて、「新しいことを始めたいんですけど、一緒にできませんか」って相談してきたんです。じゃあ三味線の柴田も巻き込んで3人でやろうかってなったのが、SOME≡LINEZの結成のきっかけです。今から2年半ぐらい前ですね。 左から柴田雅人、TATSUYA、FLAVA ―TATSUYAさん個人として、なぜそこまでビートボックスや表現活動に情熱を注いでこられたのか、そのルーツを聞かせていただけますか。 T:高校生ぐらいのとき、自分が死ぬ夢を見たんですよ。それがめちゃくちゃ怖くて、学校に行けなくなるんじゃないかくらいまで精神的に追い込まれた時期がありました。自分なりになぜこう感じるのか分析していたときに、死ぬこと自体は意外とあっさり受け入れられました。ですが100年後に自分のことを覚えてくれてる人が世の中にいなくなった時に、自分の存在証明みたいなものはどこにあるんだろうなと思って。それが失われることがすごく怖くなったんですよね。 だから「何か残さなきゃいけない」っていう衝動に駆られました。映画監督になって作品を残すとか、アパレルブランドを作るとか、いろいろ探したんですけど見つからなくて。デザインの専門学校に入った20歳のときに、たまたまビートボックスに出会ったんです。当時、全国でまだ30人ぐらいしかやってなかったですね。 「これは今からならワンチャン有名になれるかも」と思って、音楽経験ゼロで始めたのがきっかけです。そこから24歳の時に世界大会に出て、帰国してすぐに一般社団法人・日本ヒューマンビートボックス協会を設立して、「ジャパンビートボックスチャンピオンシップ」という全国大会を主催するようになっていきました。そういう積み重ねが今に繋がっています。 ―「SOME≡LINEZ」という名前には、どんな意味が込められているんですか? T:「いくつかのライン」という意味で、それぞれ違う道で極めた3人が一つになるっていう意味でつけました。しかも真ん中に3本線の記号があるんですけど、あれは数学で「合同」を表す記号なんですよ。いくつかのラインを合わせた時に、自分たちにしかできない一つの表現があるっていう意味も込めていて。それともちろん、「サムライ」ともかけています(笑)。 ―TikTokでは半年でフォロワー10万人を突破したとのことですが、この反響についてはどのように感じていましたか? T:正直、プレッシャーはあまりなかったです。TikTokとInstagramの2つから同時にスタートしたのですが、どちらかが10万フォロワーを超えるまでは個人のアカウントで活動しているとは言わないって方向で進めていて。 目標値は10万だったので、「せめて10万はいかないと」という感覚でしたけど、プレッシャーというよりは「もっと早くもっと多く行くだろう」っていう期待値の方が高かったです。SOME≡LINEZというチームへの自信はかなりありましたね。 ―当初、メンバーが誰なのかを公表せずに活動されていたんですよね。そこにはどういった意図があったんでしょうか。 T:半分はかなり実験的な挑戦な部分があって、半分は計画的というところがあります。僕らが今まで各ジャンルで積み上げてきたスキルや実績、例えばヒューマンビートボックスのTATSUYAっていうだけで評価されてしまうような部分も一度フラットにして、3人の技術や見せ方、表現方法だけでどれぐらい世間に評価されるのかを見てみたいよねという部分。もう一つは、これで伸びなかったら恥ずかしいよねっていうのも、正直ありました(笑)。 ―業界内では、音を聞けばすぐ誰かわかるものなんですよね。 T:そうなんですよ。ビートボックスのシーンは狭いので、聴けばわかる人にはすぐわかったみたいで。公表してから「やっぱりお前がやってたんか!」となったりとか(笑)。でも大々的に表明するのは10万人フォロワーを超えてからにしようと決めていたので、それまではひたすら実力だけで評価してもらえたのかなという感じはありますね。 3人が追求する、かっこよさと分かりやすさの「極限のバランス」。 ―グループ内では明確にリーダーを決めていないというのも特徴的ですが、それはなぜですか? T:それぞれが、いろんな側面でリーダーシップを発揮する部分があって。演歌や和楽器業界のフィールドに関しては柴田雅人が動いたり、SNSの発信ではFLAVAが動いたり、その他の業務は僕が請け負ったりと、バランスがあるんですよね。あえてリーダーを決めずに、3人がSOME≡LINEZのために、っていう共通認識で同等のポジションでいることを大事にしています。 あとはそれぞれのカルチャーにリスペクトをもって優劣をつけないという側面もあります。 ―異なるバックグラウンドを持つメンバー同士で、チームとしてのマインドをどうやって統一していったのでしょうか。 T:正直、マインドを「統一する」っていう作業はほとんどしていないんですよ。それぞれが自分のジャンルで最前線に立ってきたプライドがあるから、お互いの専門分野に対するリスペクトは自然に生まれていて。むしろ「SOME≡LINEZのために」という目的が一致してるから、細かいすり合わせをしなくてもそれぞれが動ける。その関係性が心地よいんだと思います。 ―津軽三味線、ビートボックス、ストリートダンスという異なるジャンルを融合させる上で、一番意識していることは何ですか? T:常に大事にしなきゃいけないなと思ってるのが、「かっこよさ」と「分かりやすさ」のバランスですね。かっこよさに振りすぎると伝わらなくなって逆にダサくなる。でも分かりやすすぎると、今度はキャッチーになりすぎてしまう。サッカーみたいにメジャーな競技ではないので、知っている層と知らない層がいて、その両立を目指すってなるとすごく難しいラインなんですけど、そこのバランス感にはかなり気を使っています。 ―練習や制作の段階で苦労したことはありますか? T:一番大事にしなきゃいけないなと思ったのが、楽曲がオリジナルで作れるかどうかというところでした。多くのパフォーマーって有名アーティストの曲でパフォーマンスするのが基本じゃないですか。でも、音自体もオリジナルでどこまで追求できるかをパフォーマンスと融合しないと、パフォーマー業界の次がないなっていうイメージがあって。視覚的にもそうだし、音楽的にも、クオリティよりもオリジナルかどうかをすごく大事にしてます。 ―パフォーマンスや映像にはアートやデザインの要素も組み込まれています。そのあたりのこだわりを聞かせてください。 T:「余白を残すパフォーマンスをしないといけない」ってことは常に考えています。それはビートボックスをやってた時もそうなんですけど、コラボしやすい状態、誰かと何かやりやすい状態を常に保つっていうのがすごく重要で。完成されちゃうとダメなんですよ。ラッパーとコラボしたり、シンガーとコラボしたり、他のダンサーとコラボしたりと、いろんなのとコラボしやすいパッケージを常に保つっていう意識でいます。そこも含めてバランスの良い3人の編成になっていると思いますね。 ビジュアルで言うと、和をテーマにしたコスプレ的に見られることもあるとは思うんですけど、その懸念はあえて飛び込んでいるというところもあります。本質的に僕らが何をしていきたいかと言ったら、日本人であることの強みや、津軽三味線という武器を世界に知ってもらうためにどうすればいいかというのが根幹にあります。より伝えたい人たちに伝わりやすい形を取った結果が、今のスタイルなんです。 ヒップホップの聖地が認めた「和の力」。本場からの反響と、SOME≡LINEZが譲らない軸。 ―先日、ヒップホップの聖地・ニューヨークのHip-Hop Museum(THHM)とのコラボレーションが大きな話題になりました。現地での反応はどうでしたか? T:まず、ヒップホップカルチャーとして僕らが大事にしてきたアートや音楽、ファッションを新しいスタイルで発信していくという部分が、しっかり評価されたという認識がかなり強くなりましたね。 例えば、Wu-Tang ClanのMethod Manが「日本に新しいヒップホップの風が吹いている」みたいな感じで、もう7回ぐらい動画を投稿してくれていて。それに加えて、Hip-Hop Museumに僕らのコンテンツが寄贈されて飾られることになって。やってきたことがヒップホップの芯の部分に伝わったんだなっていうのが立証されて、一安心というか、めちゃくちゃ嬉しかったですね。 ―そうした海外での反響と、日本国内での反応には違いがありますか? T:日本では最初、コンサートやフェスに出させてもらう時に、なんか色物的な扱いというか、「変わったやつが出てきた」みたいな感じもあったんですよ(笑)。でも、パフォーマンスを見てもらうと結構衝撃みたいで、ファンの方が日本でも少しずつ増えているという印象があります。 直近では、MUSIC AWARDS JAPAN2026の演歌歌謡曲部門で細川たかしさんとコラボレーションさせていただいたのですが、普段のヒップホップ文脈とは違う、かなり異色な組み合わせで。今後のSOME≡LINEZの活動の中でも記憶に残るものになったと思います。 ―ライブでの反響も、また独特のものがあると聞きましたが。 T:SNS向けに作ったコンテンツでは仮面とか傘をつけているんですが、ライブだと邪魔すぎて途中で取っちゃうんですよ(笑)。僕はマスクをつけたままじゃビートボックスしづらいし。で、外した後のMCトークがめちゃくちゃ喋るんで、お客さんが「こんなに面白い人たちなんですね!」ってなって(笑)。MCも含めて評判をいただくことが増えていて、日本ならではのライブができてるなって感じています。 ―ヒップホップなどのアンダーグラウンドカルチャーから熱く支持されつつ、日本の地上波をはじめとするマスへのアプローチも視野に入れている。その中でSOME≡LINEZとして絶対に譲らない軸はありますか? T:本質的に僕らがやりたいのは、日本人であることの強みや、津軽三味線という武器を世界に知ってもらうことです。そこの軸はブラさずに行きたいですね。外国人に寄せていくのではなくて、「伝えたい人たちに伝わりやすい形を取る」というのが今のスタイルに行き着いた理由で。その軸さえブレなければ、形をいろいろ変えられると思っています。 ―日本らしさを導入することで生まれる唯一無二のオリジナリティについて、海外のプレイヤーやオーディエンスと向き合う中でこの「和の要素」が持つ破壊力や可能性をどのように感じていますか? T:最近SNSを見ると、甲冑を着たパフォーマーとか、テクノロジーを使ったものとか、いろいろ出てきてるんですけど、本質がつかめてないなっていう印象が全体的にあって。ライブとして見せられるのか、SNSの映えだけなのか。本当に海外が求める日本の姿なのか、それとも自分たちが日本だと思って見せているものなのか。そこが計算されていないことが多いなという感覚です。僕らはそこを分析し尽くしてやってますし、だからこそここまで来れていると思っています。 「カルチャーとは、社会とリンクして初めて生まれる。」SOME≡LINEZとして次世代に見せたい景色。 ―プロフィールには「パフォーマーの新たな可能性を広げる」「地域や社会と向き合い、新たな仕組み作りを目指す」とあります。具体的にはどのような活動を考えていますか? T:まず知名度をしっかり上げて、影響力をしっかり持たなきゃいけないなと思って今の活動を続けているのですが、最終的に社会に何ができるか、どんな影響を与えられるかというところにリンクしないとカルチャーだとは思えなくて。社会を切り離してかっこいいもんだけ作ってればいいっていう考えが、僕にはあんまりないです。 例えば、障害を持たれている方が僕らみたいなことを実現できる世界にしたりとか、和楽器の魅力を伝えたりとか、日本人らしさの魅力を伝えたりとか、常に何か自分たちにできるんだろうみたいなのを考えながら行動していきたいなと思っています。 ―三味線をはじめとする和楽器の文化をSOME≡LINEZを通じてどう伝え、広めていきたいですか? T:津軽三味線をはじめ、世界における和楽器の認知度はまだまだ高くない印象です。僕らも他国の民族楽器に詳しいかと聞かれたら「Yes!」とは答えられないのと同じですね(笑)。でも、僕らにもできることがあるなと思っていて。ビートボックスと一緒にやることで、津軽三味線に興味がなかった層の人たちに急に刺さるっていうのが、SOME≡LINEZの可能性の一つだと思っています。 文化を守るっていう意味でも、国籍・年齢・言語などあらゆる境界線を超えて新しくかっこいい形で伝えていく方法として、SOME≡LINEZはすごく機能すると思っています。 実はかなり緻密な計画があるんですけど、今回はまだお話できない部分もあって(笑)。でもまずは、世界中の人に「和を取り入れたパフォーマーといえばSOME≡LINEZ」と言ってもらえるぐらい、5本の指に入る知名度をつけていきたい。それがないと、実現したいことが難しくなってくるので、今はひたすら影響力をつけていきたいですね。 ―メンバーそれぞれが世界で活躍してきたバックグラウンドを持っていますが、SOME≡LINEZを通じて、次世代のプレイヤーたちにどんな景色を見せていきたいですか? T:社会とどう共存していくかみたいなのを常に模索しながら、和楽器の魅力や日本人らしさの魅力を伝えていく。そういう形のパフォーマーのあり方を見せていきたいなと思っていて。ビートボックスだって、かつては日本に30人しかいなかったのが、今は本当に広がっているじゃないですか。同じことを、今の和楽器業界でもできると思っていますし、それを実際に体現してみせることが、次の世代へのメッセージになると思っています。 ―最後に、この記事を読んでいるFINEPLAYの読者、国内外のストリートプレイヤーたちへメッセージをお願いします。 T:まずは、自分にしかできないこと、自分にしかやれないポジションを、誰よりも早く見つけてほしいなと思っています。それを続けていく上で自分の居場所にもなるし、やりがいにも繋がっていく。どんな業界でも、誰にでもそのポジションはあるはずで。大きいとか小さいとかは関係なくまずはそれを探すっていうことが、とても重要なことだと思います。 TATSUYAプロフィール ヒューマンビートボックス日本&国際チャンピオン 20歳でBEATBOXを始め、2009年にはロンドン、ドイツ、そしてニューヨークのApolloTheaterに出演する等、世界的に活動。 ヒューマンビートボックス日本一決定戦 JapanBeatboxChampionshipではソロ、 チームを合わせて日本で唯一の4年連続優勝を果たし、 2014年フランスで行われたLA CUPにて日本人初の世界4位を獲得。2016年にはシンガポールで開催された国際大会にて日本人初の優勝を獲得。ももいろクローバーZのコンサートやディズニー・オン・クラシックにスペシャルゲストとして出演。 また世界で活動する中で、日本のBEATBOXシーンを盛り上げたいという思いを持ち、2010年6 月に一般社団法人日本ヒューマンビートボックス協会を設立。現在は福島県郡山市に株式会社tentoTenを設立し、東京、福島、静岡を中心に活動中。 SOME≡LINEZプロフィール 日本の伝統楽器「津軽三味線」ストリートカルチャーから「HUMAN BEATBOX」、「STREET DANCE」世界観を視覚的に表現する「ART & DESIGN」異なるいくつもの要素を掛け合わせた世界“唯一無二”のパフォーマンスチーム。結成約2年半でSNS総フォロワー数90万人を突破。日本の伝統と現代ストリートカルチャーが交差する、新時代のアート・エンターテインメント。
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skate日本勢が17個のメダルを奪取!小野寺吟雲の2大会連続金、長谷川瑞穂の3メダル獲得など数々の快挙をプレイバック「X Games Chiba 2026」2026.07.102026年7月4日から5日にかけて、千葉・幕張メッセで開催された「X Games Chiba 2026」。日本勢が金5、銀5、銅7の計17個のメダルを獲得と大健闘。世界トップクラスのアスリートが集う舞台で、日本人選手たちは各種目で存在感を発揮した。小野寺吟雲の2大会連続優勝、長谷川瑞穂の日本人初となる1大会3メダル、河上恵蒔の史上最年少男子金メダルなど、数々の記録と名場面が生まれた。 さらに、今年から始動したプロリーグ「X Games League (XGL)」の導入が、この熱狂をさらに加速させた。 スケートボード競技では、ストリート、パーク、バートの計3種目を実施。本記事では各種目の入賞者にフォーカスした大会レポートとしてご紹介。 男子ストリートは小野寺吟雲が2大会連続優勝。女子ストリートはクロエ・コベルが雪辱を果たす 小野寺吟雲 ©Jason Halayko / X Games 女子ストリート クロエ・コベル ©Jason Halayko / X Games 前週のサクラメント大会で銀メダルに留まった悔しさを胸に秘めたクロエ・コベル(オーストラリア / XCニューヨーク)のランは、序盤から気迫に満ちていた。しかし、ランの途中でフィールドカメラマンが進路を塞いでしまうというアクシデントが発生。再走を余儀なくされ、集中力が途切れてもおかしくない場面だったが、彼女は落ち着いていた。 レールでの「フロントサイド・ブラントスライド・ビッグスピンアウト」は、トラックがレールを捉える際のわずかなズレも許さない完璧な精度。さらにロングレールで見せた「フロントサイド・50-50グラインドtoボードスライド」など、彼女しかチョイスしていないコンボトリックが高得点の要因の1つとなった。練習で苦戦していたステップアップでの「スイッチキックフリップ」も本番では完璧にメイク。アクシデントを力に変え、唯一の90点台を叩き出した精神力は、まさに次世代の女王の風格であった。 XC東京の看板を背負う吉沢恋(XC東京)。中央のロングレールに対し、初手から得意の「バックサイド・ビッグスピン・ボードスライド」をメイクし、ジャッジと観客に強烈なインパクトを与えた。彼女の魅力は、ライディングの「カジュアルさ」だ。レールでの「フロントサイド・フィーブルグラインド」や「フロントサイド・ブラントスライド」を、危なげなく次々とメイク。終盤、得点アップのために狙った「バックサイドテールスライド・ビッグスピンアウト」を惜しくも失敗し、金メダルは逃したものの、その安定感はXC東京に貴重なポイントをもたらした。 スピード、高さ、そしてパワー。松本雪聖(XCサンパウロ)のランは、女子スケートボードの枠を押し広げる力強さを感じさせる。レールでの「キックフリップ・バックサイドリップスライド」や、ダウンレッジでの「キックフリップ・フロントサイド50-50グラインド」など、当たり前のように「フリップイン」を組み込んでくる構成は男子のトッププロでも高難易度だ。ランの前にスタンドを大きく煽り、会場のボルテージを最高潮に持っていくセルフプロデュース能力も際立っていた。今大会は惜しくも3位となったが、日本のファンを味方につけるそのスター性は、今後のXGLにおいても大きな武器となっていくだろう。 男子ストリート 小野寺吟雲 ©Jason Halayko / X Games 前週に行われたサクラメントに続く金メダルを手にした小野寺吟雲(XCニューヨーク)。2週連続で世界の頂点に立つという快挙を、この16歳は淡々と成し遂げた。解説者が「大技をこれほど失敗しないライダーは見たことがない」と評した通り、技の完成度とメイク率には目を見張るものがある。中央レッジで見せた「スイッチバックサイドヒールフリップ・ノーズスライド」、そして「キックフリップ・バックサイドテールスライド・ビッグスピンアウト」は、ボードの回転、キャッチの瞬間、アウトの着地までが一点のズレもない完璧な軌道。そして彼のランは、通過するほとんどすべてのセクションがトリックで埋め尽くされている。Rでの「バックサイドキックフリップ360」や「キャバレリアルキックフリップ」に見られる地肩の強さは、スケーターとしての分厚さの表れだ。 1本目をノーミスで終えた直後に見せた力強い雄叫びは、XCニューヨークのエースとしての凄まじい覚悟ではなかろうか。 インタビューでは「スケボーを楽しみながら自分らしく攻めることができ、結果に繋がっている。一戦一戦やることは変わらない。」と謙虚に語ったが、その裏側にある凄まじい反復練習の跡が、すべての動きから滲み出ていた。 韓国・梁山からの刺客、ジュニ・カン(韓国)は今大会でもまたその名を世界に刻みつけた。ラインのスタートに「レーザーフリップ」を選択する大胆なアプローチは、彼のスキルの高さを提示するには十分だった。 ラストトリックには、2大会連続オリンピック金メダリスト、堀米雄斗の代名詞である「ノーリー270イン・バックサイドノーズスライド270アウト(通称:ユウトルネード)」を完璧にメイクし2位フィニッシュ。会場はパニックに近い興奮と歓声に包まれた。現在フリーエージェントである彼は、来シーズンのドラフトにおいて間違いなく各チームの争奪戦の目玉となるだろう。彼の台頭は、アジアのスケートボードシーンのレベルアップを示唆している。 そして、会場から最も大きな声援を受けた一人が、白井空良(XC 東京)だ。「フェイキーフロントサイドビッグスピン・ボードスライド」や、高さを誇る「スイッチキックフリップ」など、他の選手が取り入れていないトリックを散りばめたラン構成こそが、彼の真骨頂。ミスがあっても常に笑顔を絶やさず、パーク内を縦横無尽に駆け回る姿は、コンテストを「競争」ではなく「セッション」として楽しんでいるかのようだった。今回は惜しくも銅メダルとなったが、試合後のインタビューで「会場の歓声が本当に力になった。楽しかったに尽きる。」と笑顔で語った。 女子パークはスカイ・ブラウンが長谷川瑞穂を制し金メダル!男子パークはエゴイツ・ビフエスカが躍動 スカイ・ブラウン ©Jason Halayko / X Games 女子パーク スカイ・ブラウン ©Jason Halayko / X Games 女子パークを制したのは、日本とイギリスにルーツを持つスカイ・ブラウン(XCサンパウロ)。さながらバックフリップを彷彿とさせる、特大の「フロントサイド360」をラン3本すべてでミスなく決めるという安定感が彼女の実力の表れだろう。「ハンドブラント」や「フロントサイド・マドンナ・リーントゥテール」など、一つひとつのトリックに彼女にしか出せない「華」があり、空中での姿勢の美しさは他の追随を許さない。 解説者が「女子のパークでこれほどのエアーを見られるとは」と舌を巻くほどの高さを維持しながら、全セクションを流れるように繋ぐそのランは、スケートボードが芸術であることを再認識させた。 優勝が決まった瞬間、2位の長谷川瑞穂とリスペクトを込めて抱きしめ合うシーンは、今大会屈指の感動的な場面だった。ライバルでありながら、互いの進化を認め合う。その精神性こそが、このカルチャーが守り続けてきた伝統である。 バートで金メダル獲得、バートベストトリックで銀メダル獲得の長谷川瑞穂(XC 東京) はパークでも驚異的な滑りを見せた。「トランスファー・バックサイドキックフリップ・インディエアー」や「バックサイド360バリアル」といった、高さと難易度が両立したトリックを連発。 特筆すべきは、セクション間のトランスファーの飛距離だ。男勝りのスピードとパワーでコースを最大限に活用し、XC 東京のポイント獲得に大きく貢献した。ラストトリックに持ってきたディープエンドでの「バックサイド540」をもし決め切っていれば、スカイ・ブラウンを脅かす金メダルの可能性も十分にあったが一歩届かず。しかし、彼女が見せた挑戦的な姿勢はオーディエンスの心を鷲掴みにしていたことは確かだ。 女子パークで銅メダルとなったのはフィンランド出身のヘイリ・シルビオ(XCニューヨーク)だ。「トランスファー・フロントサイドディザスタースライド」や、エクステンションでの「フロントサイドクレイルスライド」など、多種多様なRトリックを巧みに組み合わせる構成力は、将来のトップライダーとしての資質を十分に示していた。ディープエンドでの「バックサイド540」を軽々とメイクする姿には余裕すら感じられ、今後のフリップ系トリックの強化次第では、表彰台の常連になっていくことも想像に難くない。 男子パーク エゴイツ・ビフエスカ ©Jason Halayko / X Games 男子パーク種目で、栄えある金メダルを手にしたのは若干15歳の新星エゴイツ・ビフエスカ(スペイン)だ。百戦錬磨のベテランたちを抑えて1本目から首位を独走した彼の勝因は、徹底したセクション活用術にある。 中央のエクステンションを乗り越える形の「5-0グラインド」や、誰も取り入れていない「スイッチバックサイド180メロングラブ」をルーティーンに組み込んだ。ジャッジが評価する「オリジナリティ」を完全に計算に入れたライン取りは、15歳とは思えない戦術眼の高さを証明していた。1本目で高スコアをマークした後も、守りに入らず攻め続け、見事金メダルを首にかけた。 「まるでF1レースを見ているようだ」と称された圧倒的なスピードと、バートで培われたハイエアーの技術をパークに持ち込み、3〜4メートル級の特大「マックツイスト540」を連発し、銀メダルに輝いたのはトム・シャー(アメリカ合衆国 / XCロサンゼルス)だ。転ぶ気配を微塵も感じさせない安定感は「レジェンドの貫禄」そのもの。後がない3本目に集中力を研ぎ澄ませて2位に滑り込む勝負強さは、若手への高い壁として立ちはだかった。 東京五輪金メダリストのキーガン・パーマー(オーストラリア)は、持ち前のスピードに卓越した技のバリエーションを織り交ぜた。「フロントサイドキックフリップ・メロングラブエアー」や、スタイルの効いた「フロントサイド360」など、ビッグトリックを難なくメイク。さらにエクステンションでの「フロントサイドブラント」や「バックサイドノーズブラント」をアクセントとして加え、完成度の高い構成で3位フィニッシュ。23歳という若さにして、すでに絶対的な安定感を手に入れている彼から今後も目が離せない。 バート種目では長谷川瑞穂、河上恵蒔の日本人2人が快挙を達成! 河上恵蒔 ©Jason Halayko / X Games 女子バート 長谷川瑞穂 ©Jason Halayko / X Games 前週開催のサクラメントでの銀メダル。その悔しさを晴らす最高の舞台となった長谷川瑞穂(XC 東京)のバートでのランは、技術の多様性という点で群を抜いていた。 「ボディバリアル540」や「バリアルキックフリップ・インディグラブ」といった、回転とフリップを組み合わせた高難度技を次々と成功させた。バックサイド、フロントサイド、さらにはアーリーウープといったライン取りの工夫に加え、キックフリップとヒールフリップの両方をルーティーンに組み込むという「持ち技の多さ」が、ジャッジの心を掴み得点を伸ばした。 優勝後のインタビューで「憧れだった選手たちと肩を並べられて嬉しい。ライバルとして負けないように練習していきたい。」と力強く語ったその目には、すでに次なる目標を見据えているように感じた。この金メダルが、今大会の歴史的3冠(金1、銀2)という偉業の記念すべき第一歩となったのだ。 小柄な体躯からは想像もつかないような、ダイナミックで高さのある「バックサイド540」を2連発し準優勝を飾ったミア・クレッツァー(オーストラリア / XCロサンゼルス)。レジェンドスケーターのクリスチャン・ホソイのシグネチャートリック「クリストエアー」という、女子では極めて珍しいトリックを披露するなど観客と審査員の意表を突いた。後がない3本目でパーフェクトランを決め切るその集中力は、アスリートとしての高い矜持を感じさせた。 リザーバーからの出場、さらには前日の脱臼という絶望的な状況を跳ね除けた松岡樹ノが銅メダルを獲得。前半のダイナミックなエアトリックから、後半の「バックサイド360バリアル」を含むテクニカルな3連発メイクへの流れは、今大会で最もエモーショナルな瞬間の一つであった。自身の成長を証明した彼女の笑顔は、会場にいたすべての人々の心に刻まれたであろう。 男子バート 河上恵蒔 ©Jason Halayko / X Games 絶対王者ギー・クーリーの4連覇を阻み、若干11歳の河上恵蒔が世界の頂点に立った。そのライディングは、もはや「若さ」という言葉では説明がつかないほどの完成度を誇る。 特筆すべきは、高難度トリック「ボディバリアル900」だ。11歳という軽量かつしなやかな体を活かした、鋭く美しい回転軸。さらに「フェイキー720」を流れるように成功させた瞬間、スタンドのファンは総立ちとなった。絶対王者を破った11歳の少年の快挙は、アクションスポーツが持つ無限の可能性と、世代交代の冷徹なまでの現実を世界に突きつけた。夏冬を通じた最年少金メダリストの誕生は、千葉大会において最も盛り上がった瞬間の1つであった。 河上に続き、銀メダルを手にしたのはXCサンパウロ所属のギー・クーリー(ブラジル)「シンプルな540には興味がない」と言わんばかりの超次元のランを披露。「バックサイドフリップ・インディ540」や「フロントサイドヒールフリップ・インディエアー」など、息を吸うようにフリップ系を織り交ぜ、空中で2回転する「バックサイド900」も軽々と乗ってくる。敗れはしたものの、バーチカルのデフォルトを書き換えるその存在感は、今もなお唯一無二の王者であった。 そして惜しくも銅メダルとなったのは、日本が世界に誇るバーチカルの第一人者、芝田元(XC 東京) 。ファーストトリックで放ったシグネチャートリック「カミカゼ(フロントサイドインポッシブル540)」の衝撃は、今も網膜に焼き付いている。スイッチスタンスでの「カミカゼ」や、「バックサイドキックフリップ・ボディバリアル」など、彼のライディングには「オリジナリティへのこだわり」が宿っていた。XC東京にとって、彼のパフォーマンスが貴重なポイント源となったことは言うまでもない。 X Games League ランキング 今大会の結果を受け、XGL(X Games League)のランキングは激戦の様相を呈した。 ▼千葉大会終了時の各チームポイント 1位タイ XC東京[1,770pt]1位タイ XC ニューヨーク[1,770pt]3位 XC サンパウロ[1,610pt]4位 XC ロサンゼルス[1,510pt] 開催地である千葉でメダルラッシュを見せたXC東京に、小野寺吟雲を擁するXCニューヨークが猛追し、完全に並ぶ形で首位タイに立った。ポイントを奪い合う、まさにデッドヒート。初代クラブ王者の称号をかけた最終決戦の舞台は、7月24日から26日にかけて開催される「X Games New Orleans 2026」へと引き継がれる。この1770ポイントで並んだ状況は、リーグ始動の年にふさわしい、前代未聞のドラマであるといえる。 総括 「X Games Chiba 2026」は、日本勢が17個のメダルを獲得する活躍を見せただけでなく、アクションスポーツの現在地と今後の可能性を示した大会となった。今季から始動したX Games League(XGL)は、個人競技にチームという新たな価値を加え、順位だけでなくクラブの威信を懸けた戦いにも注目が集まった。 また、10代の若手選手が世界のトップライダーと互角以上に渡り合い、高難度トリックを高い成功率で決める姿からは、競技レベルの進化を強く感じさせられた。小野寺吟雲の2大会連続優勝、長谷川瑞穂の日本人初となる1大会3メダル、河上恵蒔の史上最年少男子金メダルなど、数々の名場面が生まれた千葉大会。 最後の舞台は7月24日から26日に開催される「X Games New Orleans 2026」へと移る。日本勢の勢いは続くのか。それとも世界の強豪が巻き返すのか。リーグ初代王者を懸けた戦いは、いよいよ佳境を迎える。 大会結果 ©Jason Halayko / X Games 【女子スケートボード ストリート】1. クロエ・コベル(オーストラリア / XC ニューヨーク) [93.33pt]2. 吉沢恋(日本 / XC 東京) [85.00pt]3. 松本雪聖(日本 / XC サンパウロ) [80.00pt] ©Jason Halayko / X Games 【男子スケートボード ストリート】1. 小野寺吟雲(日本 / XCニューヨーク) [91.33pt]2. ジュニ・カン(韓国) [90.00pt]3. 白井空良(日本 / XC東京) [88.33pt] ©Jason Halayko / X Games 【女子スケートボード パーク】1. スカイ・ブラウン(イギリス / XCサンパウロ) [91.00pt]2. 長谷川瑞穂(日本 / XC東京) [87.66pt]3. ヘイリ・シルビオ(フィンランド / XCニューヨーク) [78.66pt] ©Jason Halayko / X Games 【男子スケートボード パーク】1. エゴイツ・ビフエスカ(スペイン) [92.66pt]2. トム・シャー(アメリカ合衆国 / XCロサンゼルス) [91.33pt]3. キーガン・パーマー(オーストラリア) [91.00pt] ©Jason Halayko / X Games 【女子スケートボード バート】1. 長谷川瑞穂(日本 / XC東京) [94.33pt]2. ミア・クレッツァー(オーストラリア / XCロサンゼルス) [90.66pt]3. 松岡樹ノ(日本) [85.00pt] ©Jason Halayko / X Games 【男子スケートボード バート】1. 河上恵蒔(日本) [93.66pt]2. ギー・クーリー(ブラジル / XCサンパウロ) [92.66pt]3. 芝田モト(日本 / XC東京) [91.33pt]
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others幕張メッセが熱狂の渦に!「X Games Chiba 2026」Moto X&豪華コンテンツレポート2026.07.092026年7月4日(土)・5日(日)の2日間、千葉・幕張メッセにて世界最高峰のアクションスポーツ国際競技大会「X Games Chiba 2026」が開催された。今大会からアクションスポーツ史上初となるチーム制リーグ「X Games League(XGL)」がスタートし、「XCロサンゼルス」「XCニューヨーク」「XCサンパウロ」「XC東京」という4都市を象徴する4チームが、個人成績とは別に賞金総額50万ドルと初代王者の座を懸けて激突する新時代の幕開けとなった。 大会初日には恒例の花形コンテンツ「Moto X(フリースタイルモトクロス)・ベストトリック」が行われ、世界トップライダーたちによる接戦の末、ロブ・アデルバーグ(オーストラリア)が金メダルを獲得。会場を沸かせたのは競技だけではなく、大会2日目には人気アーティスト「ちゃんみな」が登場し大盛り上がりを見せたほか、音楽ライブ直前にはBMXフラットランド界トップの内野洋平・佐々木元による特別パフォーマンス、FLAKE CUPと連携したBMX・スケートボード体験会ブースなど、スポーツと音楽・カルチャーが融合するX Gamesならではのフェスティバル体験が2日間にわたり展開された。本記事ではMoto Xの熱戦と、会場を彩った豪華コンテンツの数々をまとめて紹介する。 Moto X・ベストトリックはロブ・アデルバーグが接戦を制覇 大会初日に行われたMoto X・ベストトリックは、世界トップライダーたちがそれぞれの大技をぶつけ合う一戦となった。 ロブ・アデルバーグ ©Jason Halayko / X Games 優勝を飾ったのはロブ・アデルバーグ(オーストラリア)。「ポーティエア・フロントフリップ」を決め切り、97.00ptをマークして頂点に立った。数々の大会でX Gamesの歴史を塗り替えてきた実績の持ち主だが、今大会もその強さを証明する形となった。 ホセ・カノサ ©Jason Halayko / X Games 準優勝はホセ・カノサ(スペイン)。「レイジーボーイ・フロントフリップ to ノーフッター」という大技をメイクし、96.00ptをマーク。アデルバーグにわずか1.00pt差まで迫る見事なライディングで銀メダルを獲得した。 ベン・リチャーズ ©Jason Halayko / X Games 3位はベン・リチャーズ(オーストラリア)。「バックフリップ・ボディバリアル to ダブルグラブ」を決め切り、93.33ptで表彰台入り。上位2名に食らいつく安定したライディングを見せた。 大会結果 ©Jason Halayko / X Games 【Moto X・ベストトリック】 1位:ロブ・アデルバーグ(オーストラリア)[97.00pt]2位:ホセ・カノサ(スペイン)[96.00pt]3位:ベン・リチャーズ(オーストラリア)[93.33pt] 音楽ライブ&DJタイムが競技会場をひとつのライブ空間に 観客は大いに歓声を挙げており、朝早くから競技が始まってからもその盛り上がりを保ったまま、むしろここから盛り上がっていくような熱気を終始感じることができた。2日目には人気アーティスト「ちゃんみな」の登場で会場は大盛り上がりを見せた。 DJタイムには、イベント中ずっと会場を回し続けていたDJ Mar Skiが登場。誰もが知っているようなポップな曲から、競技中のシリアスな雰囲気に合わせた、バトルのような選曲まで、会場の空気を的確に読んだ極上のセレクトと、スキルフルなスクラッチがアクセントとなり、現場ならではの最高のMixを楽しむことができた。 ©Hikaru Funyu / X Games 会場の照明演出にも触れておきたい。競技本番が始まる直前、あえて会場を少し暗転させ、期待感を煽るような演出が施されるなど、セクションの規模感はもちろん、こうした細部の演出まで含めて「X Games」というイベントそのもののクオリティの高さが際立っていた。 FLAKE CUPと連携したBMX・スケートボード体験会ブースに親子連れが殺到 会場にはFLAKE CUPと連携して設置された体験会ブースも登場し、BMX・スケートボードの体験会が実施された。 今年はプロスケーターの上田豪氏がMCで登場。 競技の魅力に魅せられた子供たちが積極的に参加し、ブースは終始人が途切れることのない盛り上がりを見せた。 ©Yoshio Yoshida / X Games 競技にじかに触れてみることで大会観戦への理解度が深まり、より一層楽しめるようになるはずだ。子供、大人関係なく、ぜひ一度体感してみてほしいコンテンツだった。 BMXフラットランド界トップ2人による特別パフォーマンスが音楽ライブ前を彩る DAY2の音楽ライブ前には、BMXフラットランドのスペシャルパフォーマンスが実施された。登場したのは、日本を代表するBMXフラットランドライダーの内野洋平(X Games Osaka 2025優勝)と佐々木元(X Games Osaka 2025準優勝)。MCにはおなじみのISSYが参戦。世界大会で数々の実績を誇る2人が、高度なバランス感覚と卓越したテクニックを駆使した迫力のパフォーマンスを披露した。 BMXフラットランド界トップの2人が繰り出す圧巻のショーケースは、BMXフラットランドの魅力を存分に表現するステージとなった。 現代アーティスト・山口歴によるライブペインティングが会場に登場 ©Hikaru Funyu / X Games 会場では、現代アーティスト・山口歴(Meguru Yamaguchi)によるライブペインティングも実施された。1984年東京都生まれの山口は、「筆跡(ブラシストローク)」そのものを立体作品へと昇華させる独創的な表現で国際的な評価を獲得しているアーティスト。 ©Yoshio Yoshida / X Games 山口は、国内大会のアートワークを初開催から5年連続で担当している。世界最高峰のアクションスポーツと、目の前で作品が生まれていくアートのエネルギーが同じ空間で共存する。競技の合間にライブペインティングエリアをのぞいてみると、会場でしか見られない特別な光景に出会えるのもX Gamesならではの魅力だ。 フードエリアはモスバーガー、千葉ブラックバーガーなど人気キッチンカーが集結 ©Hikaru Funyu / X Games Moto X会場横のフードエリアには、モスバーガーや千葉ブラックバーガーをはじめとする多くのキッチンカーが出店。観戦のおともに最適なフード・ドリンクが提供され、観客の休憩スポットとしても機能していた。 物販エリアにはXGL各チームグッズも登場 ©Hikaru Funyu / X Games MUSIC STAGE横の物販エリアではX Gamesグッズが販売されたほか、今回から始まった「X Games League(XGL)」の各チームグッズも並んだ。推しのチームグッズを手に入れ、応援する観客の姿もちらほらと見られ、個人戦だけでなくチーム単位でも会場を盛り上げる新たな楽しみ方が生まれていた。 ©Yoshio Yoshida / X Games これまでスケーター、ライダーたちの目指す最高の舞台として年々規模を拡大しながら実施されてきたX Games。今年からX Games Leagueという新フォーマットが導入されたことで、観客の楽しみ方がより広がった。そして観客だけでなく、チームメイトを応援する姿、チームを背負って戦う姿など、選手たちにもこれまでにない一体感が生まれていた。 ©Jason Halayko / X Games サクラメント、千葉、そして最終戦はニューオリンズ。初のリーグ戦制覇という栄光を手にするのはどのチームになるのか。今後のX Gamesからも目が離せない。 大会概要 大会名称:X Games Chiba 2026(エックスゲームズ千葉2026)開催期間:2026年7月3日(金)公式練習・記者会見日2026年7月4日(土)開場9:00/開始9:30〜終了21:002026年7月5日(日)開場9:00/開始9:15〜終了19:00※金曜は公式練習日のため関係者・招待客・取材媒体のみ入場予定。一般入場は土曜・日曜の2日間。 会場:幕張メッセ(千葉県千葉市美浜区中瀬2-1)実施競技:3競技15種目(スケートボード10種目、BMX4種目、Moto X 1種目)出場選手:世界17ヵ国・77名新形式:X Games League(XGL)第2戦(第1戦:米国サクラメント、第3戦:米国ニューオーリンズ) 主催:X Games Japan 組織委員会主管:千葉市 共催:公益財団法人 千葉市スポーツ協会後援:一般社団法人ワールドスケートジャパン、一般社団法人日本スケートボーディング連盟、一般社団法人全日本フリースタイルBMX連盟、一般財団法人日本モーターサイクルスポーツ協会、一般社団法人TEAM JAPAN MX PROJECT、J-WAVE(81.3FM)、読売新聞社 Global Partners:MoonPay、Stake協賛:Monster Energy、ムラサキスポーツ、モスフードサービス、自重堂協力:X Games Japan 千葉後援会、FLAKE CUP、プレミアムウォーター、モトクロスインターナショナル
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bmx絶対王者と新王者、そして国内初開催の女子BMXパーク。歴史が動いた2日間「X Games Chiba 2026」2026.07.072026年7月4日(土)・5日(日)の2日間、千葉・幕張メッセにて世界最高峰のアクションスポーツ国際競技大会「X Games Chiba 2026」が開催された。今大会からアクションスポーツ史上初となるチーム制リーグ「X Games League(XGL)」がスタートし、「XCロサンゼルス」「XCニューヨーク」「XCサンパウロ」「XC東京」という4都市を象徴する4チームが、個人成績とは別に賞金総額50万ドルと初代王者の座を懸けて激突する新時代の幕開けとなった。 ©Hikaru Funyu / X Games BMX競技からは、男子ストリート、男子パーク、男子パーク・ベストトリック、そして国内大会史上初となる女子パークの計4種目を実施。絶対王者ギャレット・レイノルズの貫禄の優勝、XGL開幕戦の米国サクラメント大会から勢いそのままに2連覇を果たした小澤美晴、そして世界初トリックが連発したパーク種目の熾烈な争いなど、この2日間だけでいくつもの歴史が刻まれる大会となった。 本記事ではBMX各種目のハイライトをまとめて紹介する。 男子BMXストリートはギャレット・レイノルズが貫禄の優勝。最年少・早田颯助も存在感を発揮 ギャレット・レイノルズ ©Jason Halayko / X Games 今大会の男子BMXストリートは、BMXストリート界において通算16個の金メダルを誇る絶対王者ギャレット・レイノルズ(アメリカ合衆国 / XCサンパウロ)が優勝を飾った。2本目のランで94.00ptをマーク。「360バースピン」などの高難易度トリックをいとも簡単にコンボへとつなげてしまうそのライディングは、まさに絶対王者の風格そのものだった。 ジョーダン・ゴドウィン ©Hikaru Funyu / X Games 準優勝はジョーダン・ゴドウィン(イギリス)。豊富なレールトリックを難なくこなしフルメイクでランをまとめた。特筆すべきは、トリック後のランディングをことごとく「180アウト」でつなげてしまうスタイルで、フローの隅々までこだわり抜かれたライディングが際立った一本だった。 デボン・スマイリー ©Jason Halayko / X Games 3位はデボン・スマイリー(アメリカ合衆国)。「バースピン to マニュアル to スミスグラインド」という大技をメイクすると、その後も流れを切らさずフルメイクでまとめ上げ、表彰台の座を掴んだ。 そして触れておきたいのが、日本人最年少で出場した早田颯助(15歳・兵庫)のライディングだ。2024年の千葉大会で当時14歳としてBMXストリート史上最年少出場記録を樹立した早田は、今大会も存在感のあるライディングを披露。確実に日本のこれからを背負っていける実力を見せてくれた。 女子BMXパークは国内大会史上初開催。小澤美晴がサクラメントに続く2連覇を達成 今大会最大のトピックのひとつが、国内大会では史上初開催となった女子BMXパークだ。歴史的な一戦とあって、誰が最初の優勝者に名を刻むのかが大きな注目を集めた。 小澤美晴 ©Jason Halayko / X Games 見事に金メダルを獲得したのは、XGL開幕戦の米国サクラメント大会に続き、千葉でも頂点に立った小澤美晴(16歳・岐阜 / XC東京)。1本目で90pt、2本目で91ptと着実にスコアを伸ばすと、迎えた3本目では「バックフリップテールウィップ」「360テールウィップ」「ダブルバースピン」など、それまでよりもさらにアップデートされたトリックをランに組み込み、93.33ptをマーク。僅差でハナ・ロバーツを上回り、見事2連覇を成し遂げた。なお今シーズンからX Gamesデビューを果たした小澤の2大会連続は女子BMXパークの歴史を刻む前代未聞の快挙となった。 ハナ・ロバーツ ©Jason Halayko / X Games 2位はハナ・ロバーツ(アメリカ合衆国 / XCニューヨーク)。2本目のランで「フレア」や「バックフリップバースピン」といった高難度トリックを難なくこなし、1本目からのバリエーションの豊富さも見せつける完璧なランで93ptをマーク。小澤との直接対決を最後まで演じた。 キム・レア・ミュラー ©Jason Halayko / X Games 3位はキム・レア・ミュラー(ドイツ)。表彰台に上がった3名は、ランの中に組み込まれたトリックの多さ、フローのスムーズさ、そしてトリックの難易度のすべてにおいて頭ひとつ抜けた内容で、特にロバーツと小澤は一つのトリックに複数の要素を組み込む構成力が際立っていた。 表彰台には届かなかったものの、東京五輪銅メダリストのニキタ・デュカロズ(スイス)やパリ五輪銀メダリストのペリス・ベネガス(アメリカ合衆国 / XCロサンゼルス)も奮闘。「540」にトライしたり、片手でハンドルを切る「ワンハンドX-UP」というスタイルの光るトリックを披露するなど、それぞれが確かな違いを見せつけた。国内初開催にして非常にハイレベルな戦いとなったことは、今後の女子BMXパーク人気を占う上でも大きな意味を持つだろう。 男子BMXパークは大混戦を制してマーカス・クリストファーが優勝。中村輪夢は世界初トリックで会場を沸かせる マーカス・クリストファー ©Jason Halayko / X Games 前回の「X Games Osaka 2025」で悲願の初優勝を果たした中村輪夢(日本 / XC東京)、東京五輪金メダリストのローガン・マーティン(オーストラリア / XCニューヨーク)、そしてパリ五輪金メダリストのホセ・トーレス(アルゼンチン)とタレントぞろいの布陣となった男子BMXパーク。優勝の行方が最後まで読めない大混戦となった。 ローガン・マーティン ©Hikaru Funyu / X Games 1本目から中村輪夢、マーカス・クリストファー(アメリカ合衆国 / XCロサンゼルス)、ローガン・マーティンが高得点をマーク。2本目はそのスコアを超えるべく各選手のトリックレベルがさらに引き上げられる展開に。 キーラン・ライリー(イギリス)とマーカス・クリストファーが最高難易度のトリック「ダブルフレア」を組み込んだランをフルメイクし、一気に会場のボルテージを引き上げた。ジャスティン・ダウェル(アメリカ合衆国)の「フロントフリップ」や、中村輪夢による世界初メイクのトリックへの挑戦も続いた。 中村輪夢 ©Hikaru Funyu / X Games そして迎えた注目の3本目、中村輪夢が「540クアッドバースピン」を世界初メイク。ジャスティン・ダウェルも「アリーウープ」からの「540バックフリップ・フレア」という大技をメイクしたが、惜しくも中村のスコアには届かなかった。ローガン・マーティンはラストランで、もはや基礎トリックのようにさまざまなアレンジを加えた「フレア」を披露。逆軸へ向かうフレアには会場がどよめき、91.00ptをマークした。 マーカス・クリストファー ©Hikaru Funyu / X Games 最終的には、1本目に記録した93.00ptを最後まで守り切ったマーカス・クリストファーが優勝。ローガン・マーティンが91.00ptで準優勝となり、そして世界初の「540クアッドバースピン」を引っさげた中村輪夢が89.00ptで見事3位に食い込んだ。最後まで目が離せない大接戦を制する結果となった。 BMXパーク・ベストトリックは世界初トリックの応酬に。マイク・バーガが金メダルを獲得 世界初のトリックがいくつも飛び出す、まさに世界最高峰の戦いとなったのがBMXパーク・ベストトリックだ。序盤にトップへ躍り出たのはブライス・トライオン(アメリカ合衆国)。「540フレア」を完璧にメイクし、序盤からハイレベルな展開になることを予感させた。 マイク・バーガ ©Jason Halayko / X Games 次いで大技を決めて会場をロックしたのは、マイク・バーガ(カナダ)。「ディケイド900」を世界初メイクし、一気に流れを引き寄せた。自転車を固定してライダー自身がハンドルを軸に空中で1回転する「ディケイド」に、さらに車体と体で2回転半(900度)のスピンを組み合わせた超高難度の複合技。 ローガン・マーティン ©Hikaru Funyu / X Games 続いてトリックを更新してきたのはローガン・マーティン。「540ダブルダウンサイドテールウィップ」をメイク。体を宙で2回転させながら、車体はその回転とは逆方向に2回転させるという大技だ。 マーカス・クリストファー ©Jason Halayko / X Games さらにそれに続いたのは、パーク種目で金メダルを獲得しているマーカス・クリストファー。「フレアトリプルダウンサイドテールウィップ」をこちらも世界初メイクし、順位を押し上げた。 ライアン・ウィリアムス ©Hikaru Funyu / X Games ラストランで衝撃のトリックを披露したのは、ベストトリックではおなじみのライアン・ウィリアムス(オーストラリア / XCサンパウロ)。「ダブルフロントバイクフリップ」というとんでもない大技に、ファーストランからトライを続け、ラストランでついにメイク。わずかに足がついてしまい、惜しくも表彰台とはならなかったが、最後まであきらめずトライし続ける姿勢は見る者を魅了した。 ライアン・ウィリアムス ©Hikaru Funyu / X Games どのトリックもメイクさえすれば表彰台確実というような、とんでもないトリックしか見られない見応え十分のコンテンツとなった。 大会結果 ©Jason Halayko / X Games 【男子BMXストリート】 1位:ギャレット・レイノルズ(アメリカ合衆国 / XCサンパウロ)[94.00pt]2位:ジョーダン・ゴドウィン(イギリス) [91.33pt]3位:デボン・スマイリー(アメリカ合衆国)[90.33pt] ©Jason Halayko / X Games 【女子BMXパーク】1位:小澤美晴(日本 / XC東京)[93.33p]2位:ハナ・ロバーツ(アメリカ合衆国 / XCニューヨーク)[93.00pt]3位:キム・レア・ミュラー(ドイツ)[88.33pt] ©Jason Halayko / X Games 【男子BMXパーク】 1位:マーカス・クリストファー(アメリカ合衆国 / XCロサンゼルス)[93.00pt] 2位:ローガン・マーティン(オーストラリア / XCニューヨーク)[91.00pt]3位:中村輪夢(日本 / XC東京)[89.00pt] ©Jason Halayko / X Games 【BMXパーク・ベストトリック】 1位:マイク・バーガ(カナダ) 2位:マーカス・クリストファー(アメリカ合衆国 / XCロサンゼルス) 3位:ローガン・マーティン(オーストラリア / XCニューヨーク) 大会概要 大会名称:X Games Chiba 2026(エックスゲームズ千葉2026) 開催期間: 2026年7月3日(金)公式練習・記者会見日 2026年7月4日(土)開場9:00/開始9:30〜終了21:002026年7月5日(日)開場9:00/開始9:15〜終了19:00※金曜は公式練習日のため関係者・招待客・取材媒体のみ入場予定。一般入場は土曜・日曜の2日間。 会場:幕張メッセ(千葉県千葉市美浜区中瀬2-1) 実施競技:3競技15種目(スケートボード10種目、BMX4種目、Moto X 1種目) 出場選手:世界17ヵ国・77名 新形式:X Games League(XGL)第2戦(第1戦:米国サクラメント、第3戦:米国ニューオーリンズ) 主催:X Games Japan 組織委員会 主管:千葉市 共催:公益財団法人 千葉市スポーツ協会 後援:一般社団法人ワールドスケートジャパン、一般社団法人日本スケートボーディング連盟、一般社団法人全日本フリースタイルBMX連盟、一般財団法人日本モーターサイクルスポーツ協会、一般社団法人TEAM JAPAN MX PROJECT、J-WAVE(81.3FM)、読売新聞社 Global Partners:MoonPay、Stake 協賛:Monster Energy、ムラサキスポーツ、モスフードサービス、自重堂 協力:X Games Japan 千葉後援会、FLAKE CUP、プレミアムウォーター、モトクロスインターナショナル






