9月11日から9月14日まで宮崎県木崎浜海岸でWorld Surf League The Open Surfing Miyazaki Series QS3000 IBK宮崎プロ・WSLプロジュニア Presented by RASが開催された。
先日、静岡県御前崎市ロングビーチで行われたWhitebuffaloで優勝した松岡亜音、オリンピアの稲葉玲王、松田詩野、都筑有夢路などトップの選手も多く出場し熱い戦いを繰り広げた。
初日は腰から腹くらいのサイズとなった木崎浜海岸だが、台風の影響から徐々に波が上がり、最終日は頭オーバーのサイズとなり風が吹き海面が乱れるハードなコンディションとなった。
1日の中でもコンディションの変化に対応しなくてはならないサーフィンのコンテストだが、今大会は大会期間中の波の変化も大きく、波のサイズアップによりサーフボードを期間中に変更して試合を挑む選手も多く見られた。
台風の影響によりサイズアップした最終日

サイズアップしたことにより、初日から3日目まで行っていた岸よりのブレイクから沖のブレイクでの戦いとなった最終日。
試合時間は20分で行われていたが準決勝は25分、決勝は30分に伸び、ヒート前の沖へ向かう時間が通常の波のコンディションであれば3分のところが10分前ゲットとなった。
沖へ向かうのも3〜5分タイミングが合わなければそれ以上時間がかかるハードなコンディションのため、沖へ向かう時間を考えると試合中に波の選びをミスすることは出来るだけ避けたい波のコンディションとなった。
サーフボードも軽い素材のEPSからPUに変えて試合を挑む選手が多く、自身の体の調整以外にも自分の武器となるサーフボードの調整も入念にし挑んでいた。
ウィメンズプロジュニアの優勝は松岡亜音

ウィメンズプロジュニアの決勝は松岡亜音、松野杏利、中塩佳那、池田未来の4名での戦いとなった。
初めに動き出したのは松岡亜音。1本目5.25ポイント、2本目に5ポイントと序盤に2本しっかり揃える。松野杏利、池田未来は攻めるもスコアが伸びず。中塩佳那は試合の半分以上を波を見極める時間に使ったが、狙っていた波が来ずタイムアウト。
ハードなコンディションの中、しっかりと序盤にスコアを固めた松岡亜音が見事優勝を果たした。
メンズプロジュニアの優勝はインドネシアのBronson Meydiが優勝

メンズプロジュニアの決勝はインドネシアから、Bronson MeydiとI Made Ariyana、フィリピンからNoah Arkfeld、そして日本の小濃来波の4名となった。
Bronson Meydiが序盤にテールハイのエアーリバースを決めて7.75ポイントと大きなスコアを出す。Noah Arkfeldもトップスコアとなる6.25ポイントを出すがバックアップの波を捕まえることに苦戦する。I Made Ariyanaも自分のサーフィンを出せる波選びを見つけられず。唯一の日本人、小濃来波は5ポイントを2本とまとめたが、Bronson Meydiが最後の7本目で5.5ポイントを出し、トータルポイントを13.25ポイントとし試合終了。Bronson Meydiが優勝となった。
女子QS3000の優勝は都築虹帆

女子QS3000の決勝戦は都築虹帆と松岡亜音の2名での戦い。クローズセクションでの1マニューバーでもハイスコアを出していた2名が決勝でも見せたのは、やはり1マニューバーでの戦いとなった。
試合開始早々に都築虹帆が掴んだ波で際どいエンドセクションで仕掛けた1マニューバーにエクセレントスコアとなる8.5ポイントが付く。じっくり波を待ち2本目に乗った波で6.4ポイントをスコアし2本揃える。松岡は2本目に5ポイントをスコアし4本目には7ポイントをスコアしたがタイムアップとなり、優勝は都築虹帆となった。
松岡は惜しくもQS3000は2位となったがハードな最終日の波でプロジュニアの試合を合わせて4試合も戦い素晴らしい結果を納めた。
男子QS3000優勝は鈴木仁

決勝戦は準決勝でエアーリバースで8ポイントを出し、バックアップを7ポイントとしトータル15ポイントと圧倒的な強さを見せた鈴木仁とマニューバー、エアーとオールラウンドな強さを今大会も見せていた加藤翔平との戦いとなった。
試合開始直後に波が見えないほどの大雨が振るハードな環境下で行われた決勝戦だが、両者ともに攻めるサーフィンを披露。中盤に鈴木仁が決勝戦でのトップスコアとなる5.5ポイントを出し、加藤翔平のニードスコアは4.16ポイント。雨風の影響で会場のシチュエーションコールも聞こえづらい中、果敢に攻めるも波に恵まれず試合終了。
鈴木仁がムラサキ湘南オープン2019以来となる5年ぶりの嬉しい優勝となった。
World Surf League The Open Surfing Miyazaki Series QS3000 IBK日向プロがスタート

World Surf League The Open Surfing Miyazaki Series QS3000 IBK日向プロ・WSLプロジュニア Presented by RASHが2024年9月17日から21日まで宮崎県日向市お倉ヶ浜海岸で行われる。
試合が続く中、今大会の調子を活かして勝ち上がっていくのか。悔しい思いをバネに調子を上げていくのか。
World Surf League The Open Surfing Miyazaki Series QS3000 IBK日向プロ・WSLプロジュニア Presented by RASHも目が離せない。
ウィメンズプロジュニア結果

1位 松岡亜音(JPN)
2位 松野杏莉(JPN)
3位 中塩佳那(JPN)
4位 池田美来(JPN)
メンズプロジュニア結果

1位 ブロンソン・メイディ(IDN)
2位 小濃来波(JPN)
3位 ノア・アークフェルド(PHL)
4位 マデ・アリヤナ(IDN)
ウィメンズQS3000結果

女子
1位 都築虹帆(JPN)
2位 松岡亜音(JPN)
3位 野中美波(JPN)、中塩佳那(JPN)
メンズQS3000結果

1位 鈴木仁(JPN)
2位 加藤翔平(JPN)
3位 稲葉玲王(JPN)、安室丈(JPN)
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doubledutch「笑顔で戦おう」2024年の“主人公” REG☆STYLE・KAIが振り返る、激闘の夏。2025.02.162024年7月、神奈川県川崎市にて開催された『アジアジャンプロープ選手権』そして『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』。今回、そのジャンプロープの異なるジャンルの2大会のステージに日本代表選手として立った REG☆STYLE・KAI を独占取材。 なぜ苦しみながらもKAIは“両方に出る”ことを選択したのか。破竹の勢いを見せ、“ダブルダッチシーンの主人公だった”と多くの人々に言わしめた彼が、その栄光の裏にあった試練の道のりと、そこで見た景色についてを赤裸々に語ってくれたロングインタビューを、ぜひご覧いただきたい。 ■KAI所属:REG☆STYLE / CAPLIORE / HEARTS / FOR日本から世界のシーンを牽引するプロチーム『REG☆STYLE』のメンバーとして、2017〜2019年には世界3連覇。メディアへも多数出演するほか、近年は神奈川県川崎市のダブルダッチスクール『JUMPS KAWASAKI』において次世代育成も担う。2024年夏、アジアジャンプロープ選手権には『FOR』として、DOUBLE DUTCH CONTESTには『HEARTS』として異なるチームに所属し大会へ出場。どちらもアジア一・世界一のタイトルを獲得し、選手という立場からシーン内外に多大なる影響を与えた。 2024年夏、4度目の世界一の瞬間 (本人提供) 【参考】今回2つのチームを兼任したKAIが、それぞれ挑んだ国内予選・決勝大会までの道のり ※編集部作成 #1 挑戦のはじまり “両立”を決意した瞬間 ジャンプロープ、そしてストリートカルチャーの聖地である神奈川県川崎市で、2024年にジャンプロープの『アジアジャンプロープ選手権』が、2025年には世界選手権が開催されることが決定。日本初開催となる大規模なスポーツ種目のコンペティションに加え、フュージョン種目の世界大会である『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』も同時開催が決定した。それは世界のシーンや行政から、日本が“ジャンプロープ大国”としての認知が形となった瞬間。そこにシーンを牽引する日本初のダブルダッチチームであるREG☆STYLEのKAIも、思いを馳せていた。 ・・・ KAIこのまたとない機会に、いちダブルダッチプレイヤーとして何をすべきか?ということをすごく考えました。「ダブルダッチ」というものを見てもらい、それが市や企業の方々をはじめ“世の中”を繋ぐパイプにもなれるし、学生たちにとっては興味の薄いジャンルにも関心を持ってもらえる機会にもなる。子供たちの夢にもなるかもしれない。裏方や指導側に回ろうかなどと色んな選択を考えましたが、結局今の自分にできることはいち選手として出ることだな、そして2つともいこう、ってなりました。 この日、アジア選手権で着用した『FOR』の日本代表ウェアで姿を現したPhoto by YAMADAI ──そうなんですね。それはどちらもチームメイトを見つける前に。 そうだね。どちらも全員は決まっていなかったかなと。日本だと僕らが元々やっていたフュージョン(音楽と動きを合わせるパフォーマンス)形式と、純粋に回数や技の難易度を競い合う形式のスポーツジャンルのダブルダッチは、その壁をあまりまたがないというか。同じジャンプロープ、同じダブルダッチなのに別物かというくらい、カルチャー的にも壁がある。 『FOR』では、スポーツジャンルのダブルダッチも更に浸透させて“文化”にしたいと考えて、自分と近い年齢層で固まるのではなく、年齢・性別をバラバラにして、色んな世代や層に刺さるチームでありたいという思いがあったんです。だからメンバーへの声の掛け方は特殊かもしれない。 一方の『HEARTS』は、最終的に2022年に『アメリカズ・ゴット・タレント』に出場したメンバーが軸になりましたね。AGTが終わって、このメンバーでまた何か出たいよね、じゃあやっぱり大会じゃないですかーと。あと互いに信頼を置けていたのでやりやすかったですし。 2022年、アメリカズ・ゴット・タレントにて (本人提供)中央のKAIを含む4人が『HEARTS』としてチームを再結成する ただ仕事の関係でAGTメンバー全員は揃わず、最終的に残った4人に誰を加えたらヤバいショーを作れるかなって考えたとき、クボユウトとKO-SEIを加えるという結論に至ったんです。特にKO-SEIは大学4年生(声をかけた当時は3年生)で、彼が次のシーンを引っ張っていく存在になってほしいなという思いもあって。 ──そうなんですね。『FOR』でも似たような話題が挙がってましたけど、KAIさんの根底にその思いはありそうですね。業界のためにとか、次世代をとか。 そうだね(笑)。まあでも若い頃は自分がそうしてもらっていた側だったから。繋いでいって何倍にもしていく作業というのは、心の中で常に考えていることなのかもしれない。 ──ちなみに、どちらもREG☆STYLEとして大会には出ていないと思うのですが、そこには何か理由があるんでしょうか。 今REG☆STYLEって、真ん中に“☆”が入ってるじゃん。この5つの角はメンバー5人を表しているんです。角度を変えて誰を真ん中にしてもチームが成立するのがREGで、1人1人がそれぞれの方向性を模索し育てて大きくしてくのがREG。僕らは世界大会の3連覇を経て、メンバーは今それぞれ指導者だったりプレイヤーだったり、メディア露出だったり裏方だったり、このダブルダッチというものを本気で広げていくために各々が考えて、別の大会や、全く別の軸のことでも選手並みに活動している。で、その“各々”を強くするからREGとして結集したときもパワーアップするという考えのもと、自分の中では大会に出場して、自分の方向性にある先のものを大きくしていこう、というのがミッションだったと結論付けました。 2019年8月の世界大会『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』にて、REG☆STYLEが世界3連覇を果たした瞬間 直球で戦いたかった そうして『DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN』に向けHEARTSが、『ALL JAPAN』に向けFORが始動する。それぞれのチームは、2024年3月に控える国内予選大会に向け練習に励んでいった。 結成当初の『HEARTS』 (本人提供)後列左から Elina Mizuno / TAISUKE / TATSUYAクボユウト / KAI / KO-SEI ・・・ KAI『HEARTS』のメンバー自体は2023年12月には固まって、正直そっちは国内予選までは特別難しいことはなかった。5人とも素晴らしいチームメンバーだから。驚いたのは、最初の曲候補が挙がってきたから自分が軽く曲編集をしてグループLINEに送ったら、全員から「じゃあこれは?」と再編集された音源が送られてきて(笑)。1投げたら10返ってくるような、メンバーからの熱意を強く感じたんです。びっくりしました。 ──KAIさんのみならず、メンバー全員が強い思いで臨んでいたと。 そうそう。自分がコンテスト出場を決めたときの思いに立ち返ったとき、HEARTSは「圧倒的に勝つ」こと、そしてキラキラしているスターチームになっていてほしかった。先輩も中堅も若手も頑張っている、それが色んな人に刺さっていてほしい。だから、中途半端なものを出すことは許されないなという意識はありましたし、奇をてらい過ぎることより、直球で、ストレートで戦いたかったという感じ。 あと、あくまで自分は─という話ですが、HEARTSは世界大会優勝を見据えていたから日本予選は少し引き算で臨んだと思っています。むしろリラックスして臨めていたんじゃないかな。メンバーによって色々捉え方の違いはあったかもしれないけど。 2024年3月、国内予選『DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN』でのHEARTS ──そうなんですね。KAIさんは“緊張しない”という話をよく聞きますが、そういう部分が如実に露わになったエピソードですね(笑)。でも普通チャレンジする側って必死だし、まずは“目の前の勝負を勝とう!”って思うじゃないですか。そこを世界大会まで見据えて臨めていたというのは、やっぱりビジョンがあったから。 そうだね。それもあるし、あとこの活動って「自分が勝ちたい」という思いより、シーンにいる仲間や後輩たち・川崎の方々・世の中とか、色んなものに対して影響を与えたいというのが原点だったから。そこが原動力でしたね。 ──国内予選に立ち向かって、HEARTSは3位で世界大会への切符を掴むことになります。その時の心境はいかがでしたか。 予想通りっていう感じでしたね。正直なところ、1位通過したい!とはそこまで思っていなくて(笑)。3位くらいで通過できた方が気楽に臨めるかなとすら思っていたから、よしよし、まずは1つクリア、みたいな感じでした。 フュージョンとスポーツは「全っ然違う!」 『FOR』左からunno / MIREI / KAI / ERI / MAHORO (本人提供) ──少し時間軸を遡ります。HEARTSと並行して、FORとしての日々もあったと思うのですが、そちらはいかがでしたか。 KAIさっき「同じダブルダッチなのに…」とは言ったけど、本当に全っ然違う(笑)。フュージョン種目は簡単そうなことでも難しく見せたり、あるいは別の角度から新鮮な見せ方をすることが評価につながるけど、今回はまず技の難易度が高くないとお話にならない。だから普段のパフォーマンスでは良いとされていることが、こっちだと全く評価されないこともあるのさ。「同じダブルダッチ」ではあるんだけど、例えるなら同じ球技なのに野球とサッカーくらい違う。「俺ってこんな下手くそなんだ」ってことをもう一度思い知らされたんだよね。 ──分かりやすい(笑)。でも確かに、スポーツジャンルの方はレギュレーションが本当に細かく設定されていて、ルールブックの文量も膨大ですよね。一方“曖昧性”を許容するフュージョンはそれに比べると、はるかにその文量は少ない気がします。 右も左も分からないし、よく経験者のERIや、FORをコーチングしてくれたDAIKIに「そこ違います」って否定されて、自分はそう思わないんだけどな…とたまに反抗してみるものの、やればやるほど彼らの言ってることが正しいんですよ(笑)。そっか、凄いなって思いながら、一つ一つ未知を潰していった感じですね。楽しかったけどね。 KAIの左にいる『マイケル』DAIKIは業界屈指のトッププレイヤー。スポーツジャンルに精通し、FORを“コーチ的存在”として支えた (本人提供) あとALL JAPANでは、ダブルダッチは4種目やらないといけないんですよ。フリースタイルシングル / ペア、スピード / スピードリレーと4種目やらないといけなくて、しかも自分とERIはその4つ全てに出る選手。その全ての技術を日本代表レベルにまで持っていく必要があったから、とても苦労しました。身体も心もボロボロになって。 ──そうですよね。HEARTSの時とは対照的に、上手くビジョンを描けなかったと。 そうだね。通ったことのなかった道だったから。“模索”って言葉が一番しっくりくるかな。でも、とはいえ自分に全くダブルダッチの経験がないわけではなかったから、ゴールから逆算するように点を打っていたのが『HEARTS』だったとしたら、『FOR』では今見えている少し先に向けて点を打つように向き合っている感覚だった。 練習風景。左側のジャンパーがKAI (本人提供) ──なるほど。じゃあもうフュージョンの臨み方と、スポーツのそれとは全く異なるし、慣れているか否かということも大きく影響していたのですね。そして大会当日を迎えたわけですが、振り返っていかがでしたか。 予選当日はフリースタイルが特にボコボコで(笑)、かなりミスがあったけどギリギリ持ち堪えて2位通過。あと、全ての種目に出場したチームが「総合」というカテゴリで入賞することがあるんだけど、そこで僕らはなんとか総合2位通過。この予選の日、僕らはやっと勝負の土俵に立つことができたんだなと思いました。“アスリート”としての自分がやっと確立されたし、上には上がいることも改めて痛感しました。 2024年3月、国内予選『ALL JAPAN TEAM』でのFOR ・・・ こうして『HEARTS』そして『FOR』で、どちらも決勝大会への進出を決めたKAI。慣れないスポーツジャンルのダブルダッチと格闘しながら、一方で自分の“主戦場”としていたフュージョンジャンルのダブルダッチでも世界一を目指し、戦いは続いていく。着々と壁を越え、その走り出しは順風満帆にも見えたが、ここからが正念場だったことを当時の彼らは知る由もなかった。 #2 決勝大会に向けて 6人の“心” KAI『HEARTS』では難なくショーも完成して、ここから決勝トーナメントのチームバトル* の準備に取り掛かろうと練習をしていたんだけど… *編集部注:DOUBLE DUTCH CONTEST WORLDではショーケース披露後、その得点の上位4チームが、DJの流す音楽に即興で合わせ相手チームと1対1で戦う「チームバトル」に進出。バトルトーナメント優勝チームが“世界一”となる KAIその途中である日、5月ごろだったかな─ Elinaが負傷してしまった。最初は捻挫くらいだと思っていたんだけど、病院で診断されたら骨折していた。まあ一言で言うなら大怪我。 残りのメンバーはElinaの復活を信じて練習を重ねていた。でも、Elinaは正直出場できるかどうか分からない状態で練習をすること自体が迷惑になってしまうと感じて、「私以外の5人で出てほしい」と。そういう思いを各々が抱えていたんだけど、ある時にそれをぶつける、本気の話し合いがあったんですよ。 でもそこで最終的に、改めて一人一人が「Elinaが出ないなら出ない」という選択をしたんです。それは変にElinaにプレッシャーを与えたいという意図ではなくて、Elinaを含め6人で『HEARTS』だから、それが今年難しいなら、6人揃ったときにまた改めて出ようよ!って。ユートとかカッコよかった。「1週間前とか3日前まで待ちます」って。「それでダメだったらダメで良いっすよ、だから大船に乗ったつもりで、なんでも無理そうなことでも言ってください」って。素晴らしいなこのチームは、って思った。 車いすの状態でも、Elinaは練習に姿を現した (本人提供) あと、これは過ぎたことだから好きに言えてしまうかもしれないけど…。最初に病院で診断を受けたあと、Elinaから連絡をもらってすぐに電話したとき、声を聴いて「こいつは絶対に帰ってくる」って確信があったんです。その電話の時に、もう完全にHEARTSは勝ったわって確信が。 ──凄まじいエピソードでした。きっとKAIさんの意図されてることとは違うのかもしれませんが… ただただ、信じる力って凄まじいなと感じました。 Elinaからも並々ならぬ思いとパワーを感じたけど、それ以外のメンバーからも強い思いを感じた瞬間でした。そこからはもう、駆け上がるだけ。怪我というすごくマイナスなことはあったけど、それを機にHEARTSはより団結して、よりパワーが生まれた。本当、随所に“人間力”を見ましたね。人間力の塊(笑)。 例えば練習が13時スタートだったとして、自分がFORの練習で先にスタジオに行ったら、11時とかにはみんなも揃い始めて時間になるまで自主練していて。あとElinaも、自分が跳べない時の練習にもいるんです。ストレッチしながら自分はどう立ち回るのかを考えながら練習に参加している。俺らもプロパフォーマーとして活動しているけど、彼女からはまた別の“プロフェッショナル”を教えてもらったような感じだった。 ──名は体を表すとは言ったもので、まさしく“HEARTS”というチーム名の通り、各々の気持ちがぐっと固まって、試練を乗り越えていこうとしていたんですね。 あとはそこから、俺の奥さんであるMaykaが衣装を徹夜で作ってくれたり、ゴット・タレントへ一緒に出場したメンバーで、残念ながら今回は出場できなかったDAICHIさんに練習に来てもらったり、あとは同期で今も最前線で切磋琢磨してるt.taishiとか、REG☆STYLEのKO-YAやKEITAが来てくれたり。周囲の色々な人たちに助けられて直前期に突入していきました。 妻・Maykaと (本人提供) 生まれた“ポジティブ休暇” KAIでも、FORも同じ。相変わらずそっちも大変で、みんなで団結してやっていくことには変わりなかったね。3月の国内予選でやっと右左くらいは分かるようになってきた感覚があって、自分がどこへ向かい、何を目指すべきなのかがハッキリしてきたから、それを元に練習を進めていきました。ただ、何より大事なのはフィジカルとメンタル。 ──そうですよね、本当に。 練習はもちろん、それ以外の時間にめっちゃくちゃ走り込んだりシャドー(ロープ無しで駆け足跳びの練習)をやったりしていた。そして模索する日々を送りつつも、6月のイベントでゲストとしてフリースタイルを披露させてもらった機会があって、そこでやっと手応えを掴めた感じがしました。 ──FORとしても“峠”を越えて、やっとの思いで向かっていこうとしていると。 いや、でもやっぱり色々あった。unnoとMAHOROは『ブリテンズ・ゴット・タレント』があったでしょ。MIREIも別のチームで学生大会が控えていた。で、ERIはさっきも言ったけど会社員で、そうやって各々がハードな生活を送るなか、わずかな時間も惜しんで練習時間を作って進めていた。なんだけど… ERIがアジア選手権の1週間前くらいに救急搬送されちゃって。確かにその日の練習、顔面蒼白だったんだよね。気をつけて帰りなよーなんて言ったら夜に点滴の写真が送られてきて(笑)。 ──ええっ。 でも、それでまたFORの一人ひとりと電話して「このERIの件をどうポジティブに考えるかが大事だよね」って話をしたんです。元々みんなタイトなスケジュールだったから、これはじゃあ“ポジティブ休暇”ってことにしよう!と。 みんなで「ERIのおかげでちょっと休めるわ!」って考え方にしてしまって、練習から戻ってきた時にはもちろんERIの体調に気遣いながら、時折それをいじったりもして(笑)。逆にすごい明るい方向に持っていくことができたのが結果として良かったなと思ったんです。 Photo by YAMADAI ──なるほど。今お話を伺っていて、KAIさん流のチームメイクとして、“ポジティブに捉えよう”というところが大きいなと思いました。 そうだね。Elinaの件もERIの件も、変な意味じゃなくむしろ「こういうことがあって良かった」って思えて臨めたのは大きかった。やっぱり気持ちを上げていかないと意味がないし、どんな出来事も衝突も、チームとして一丸となって戦うなら、結果それが右肩上がりになっていかないと意味がないと思っている。常にポジティブに捉えようという意識はしているね。 ──逆境のさなかだからこそ、逆転の発想を持とうという考えは非常に学びになりました。でも、結局チームメイトがそういう状況になるというのは、自分の力だけでは乗り越えられるものではないじゃないですか。どうしてそこまでポジティブに居られるのかなと。 人が好きなのかな(笑)。でもだからこそ、一緒にやる人って大事ですよね。チームメイトは大切な存在。中途半端にはしちゃいけないし、1人じゃないからこそ何でもできるということは、自分の体験談として学んできたことです。 良いも悪いも、自分自身の向き合い方次第 ──少し各チームの話題から脱線しますが、KAIさんと話すといつもポジティブな視点を持てるなと思っていて、私は勝手に歩くパワースポットだなって思うんですよ(笑)。そうやってKAIさんが人をポジティブにしているのは想像に難くないのですが、そう思うに至った原体験に迫りたいなというか。KAIさんがポジティブにさせられたな、ってことはありましたか? KAIありますね。やっぱりREG☆STYLEの存在なんじゃないかな。学生時代からダブルダッチをやってきて、その後2014年に『シルク・ドゥ・ソレイユ』で活動していた『CAPLIORE』というプロチームに入れてもらったんです。ここまでは割と順調に、とんとん拍子で進んで行きました。 REG☆STYLE 加入当初 (本人提供) ただそのあと、2016年くらいかな。ショーの期間が終わって自分は日本に帰る選択をして、日本で活動していたREG☆STYLEに入ったんだけど、正直その時期はめちゃくちゃ天狗だったし、当時のREGはお世辞にも“プロ”とは言える状態ではないと思っていた。かたや自分はCAPLIOREとして先輩たちとステージを踏んできたから、自分が引っ張らなきゃ!と思っていたんだけど、今思えばどの目線で言っとんじゃって言葉ばかりだった。REGの一員としての言葉がなかなか出なくてどこかずっと他人事… そうこうしているうちに、アキレス腱を断裂してしまったんだよね。確か2018年くらいのことだったかな。 ──確か2度目の世界大会出場後、3連覇に向けて動いていた矢先の出来事だったと記憶しています。 自分がカマさないとと思っていた矢先に怪我で動けなくなって、本当に根暗になった瞬間だった。でもその時期に一緒になって引き上げてくれたのが、REG☆STYLEだったんだよね。 ──じゃあKAIさんにとって、この大怪我は人生観を変える大きな出来事だったと。 そうだね。相当大きかったし、結果相当ハッピーを呼んでくれた事件だった(笑)。むしろ怪我してなかったらどうなっていたんだろう…とすら思う。自分を正しい方向に変えてくれたきっかけだった。 本当、リハビリとか地獄のように痛いの。リハビリの後は筋トレもしないといけなくて、いつ完治するかもハッキリしないまま、心の中ではシーンやREG☆STYLE、事務所のみんなに迷惑をかけてしまっているなとモヤモヤしていて。でも表に立つ身として、明るく振る舞わないといけないじゃん。夜も寝付けない、むしろ目覚めてしまったらまた辛いルーティンが待っている。そこで地の底まで落ちた経験と、周囲で支えてくれた人の存在が、今の自分を作っているなと思います。 負傷した当時 (本人提供) ──だからこそ、同じような境遇にいるElinaさんのような仲間や出来事に対しても、ポジティブに向き合うことができたのかもしれませんね。 そうかもしれないね。怪我やリハビリの辛さとか、そこからどうしたら這い上がれるか…ということも何となく分かるし、「こいつは戻ってくるな」ってElinaに感じたのも、似た経験があったからなのかもしれない。 ──軽い言葉でまとめるのも憚られますけど、やっぱり傷ついた経験というのは人を大きく変えますよね。本当に経験だな、というか。 良いも悪いも自分自身の向き合いようでプラスに変えられるんだなと改めて感じました。 ・・・ 降りかかる幾多の試練をなんとか乗り越え、なんと両チームとも無事にフルメンバーで大会のステージに立てることが決まった。奇跡か必然だったのか─それは神のみぞ知る話であるが、いずれにしても、彼らの血の滲むような努力が呼び起こした成果だったに違いない。 そうして2024年7月、アジア各国の選手が川崎に集結し、戦いの火蓋が切って落とされる。日本選手団として迎える決戦の日々。しかし安堵するのも束の間、まだまだそこには壁が立ち塞がっていた。 アジアジャンプロープ選手権、開会式のようす #3 迎えた決戦の日々 笑顔で「頑張ろうぜ!」 Photo by YAMADAI ──私もアジア選手権大会というのは初めての経験、1週間という長期の大会も初経験で、これは選手は相当大変だったんじゃないかな… と思っていたんです。出場されていた立場から当時を振り返って、いかがでしたか。 KAIオモロ3:キツい7だったね(笑)。今まではその一日に全身全霊をかけて臨めば良かったけど、そうはいかないから大変だった。FORとしては4種目あるし、そこにHEARTSとして最終日に世界大会があるから、出場しない日にも練習はあったし、詰め詰めのスケジュールの中でなんとかやっていました。しかも本戦がある種目もあって、ありがたいことに予選を突破したら一度で終わらないものもあったり、アンチ・ドーピングの観点から自宅には帰れず、日本選手団も近くのホテルに泊まらないといけなくて、心も休まりきらない日々。最終日のコンテストは正直、今まで出た大会で一番ぼっとしてしまってたなと思う。 ──大会やってまた次の大会って、今までからすると考えられない話です。 でも、だからこそ他のスポーツジャンルの選手たちって凄いなって改めて思いました。それこそ僕らはダブルダッチ種目だけだったけど、選手によってはシングルロープ(単縄のこと。一般的な“なわとび”)種目と掛け持ちして出ている人もいて、1種目終わったら脚を引きずりながらまた別の競技へ向かっている人とか、裏でぶっ倒れてる人たちをたくさん見た。そういう人たちをたくさん目の当たりにして、俺らは少なくとも、笑顔で戦わなきゃいけないよねって。色んな国の選手たちに笑顔で「頑張ろうぜ!」って声をかけていました。 アジア選手権大会『ASIAN JUMP ROPE CHAMPIONSHIPS』多くのアスリートたちがしのぎを削った (本人提供) それで最後、TEAM SHOWという種目で各国の選手がパフォーマンスを披露する種目があるんですけど、見ているともう涙が止まらなくなるんです。一人一人怪我していく姿とか見て、その選手から命懸けで向き合っている姿から溢れるパワーというか、パッションというか… 強く刺激を受けました。 あとは、運営陣やスタッフなどの裏方の人たちも選手と同様に、あの日々がハードだったのを目の当たりにしていました。みんながいてあの空間、あの日々があったから、俺はへこたれちゃいけないなって。色んなことを考えたとき、確かに苦しかったけど、それでも笑って過ごそうと思っていました。 ──ここでもなお、KAIさんは“ポジティブ”だったと。 FORの方は思っていたより成績が良くて、正直まさかあんなにメダルを獲れると思ってもいませんでした。表彰台の一番上から『君が代』を聴いたときは涙が出たな。チームメイトとハグして喜んだ瞬間とか、たまんないよね。 表彰台の最上段に立った (本人提供) ──苦しい日々を乗り越えてきたからこそ、得られた喜びとか、そこで見て感じるものも大きくなりますよね。素敵な経験です。 このステージに“選手”として立つ意味 KAIそれで、その期間の最終日に、HEARTSとしてコンテストワールド(世界大会)があった。たださっきも言ったけど本当にぼーっとしてしまっていたし、目覚めたら脚も上がらない、肩も上がらない。身体のコンディションは相当悪かったけど、とりあえず風呂に入って「笑顔で会場に入ろう」と決めて向かったことは覚えている。 それこそ裏方の人たちもアジア選手権から地続き、ほぼ同じメンバーで運営していたのもあったし、大会にはアジア選手権で出会った選手たちも大勢いたから、いつも以上にこのステージで“選手”としている意味を考えながら全力で戦おうと思ったんだけど、改めてショーの映像を見ると軽くフラついてるんだよね。どうなっちゃってもおかしくなかったと思うけど、最後まで動かしてくれたのは色んな人たちの支えだったなって思います。色んな人の顔が浮かんだショーだったな。 世界大会『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』にて、ショーケースのようす ──限界の状態で迎えていたんですね。正直、見ていてそうは思えないくらいパワーがありました。そしてショーケースを終え、HEARTSは1位で続く決勝トーナメントのチームバトルへ駒を進めることになります。 ショーケースが終わってやっと本調子になった感じでした。身体の感覚も戻ってきて、頭も冴えてきて、もう大丈夫だなって。 初戦の相手は同じ事務所で、お互いプロチームとして切磋琢磨してきた『NEWTRAD』。彼らも色んな葛藤のもとここまで戦ってきたのを知っているから、全力で迎え撃ちました。REG☆STYLEとしての経験もあるから、あそこまで登り詰めるのは並大抵のことじゃないのも知っている。お前ら凄えな、ありがとう、って気持ちで戦いました。 世界大会『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』にて、チームバトルのようす 無事に突破し残すところは決勝戦のみだったんだけど、その後、同時に開催されていたソロバトルの大会『DOUBLE DUTCH ONE’S』で、ユートが決勝戦で負けてしまったんだよね。ユートも二足の草鞋を履いて、そっちにも全力で取り組んでいるのを知っていたから。控室から出てこれないくらい気持ちが沈みきってるユートを支えようと向き合うHEARTSの姿と、一緒にもう一度戦うぞっていうユートのパワーに心を打たれて、決勝のSAMURAI DRIVEとのバトルに向かっていきました。 ──あの決勝戦は凄まじかったですね。文句なしにチームバトルの最高峰の勝負だったと思いますし、“スタイルウォーズ”の極致だったと思います。 これまた相手はRYO-TAやMochasとか、付き合いの深いメンバーたちで。目の前で完璧なムーブをカマされて、お前らやるな、凄えなって。ワクワクと負けないぜってたぎる気持ちがどんどん湧いてきて、めちゃくちゃ白熱したバトルだったかなと思う。REG☆STYLEのときとはまた違う感情になったな。でも万全の練習を重ねてきたと思うんだけど、やっぱり本番だと見たことないミスが出てくるんだよね。 ──個人的に、SAMURAI DRIVEはミスを抑えて手堅く戦っていたのに対し、HEARTSはオリジナリティという点では優れていたように思います。ただどちらも本当に甲乙つけ難い、ハイレベルな名勝負でした。見ている側も、最後どちらに軍配が上がるか分からなかったです。 SAMURAI DRIVEの圧倒的な火力に対して、HEARTSは“NEW”をぶつけてきた。この戦い方の違いも面白かったし、全員がここに懸けてきた情熱も感じた。ただ終わった瞬間の正直な気持ちとしては、ミスも目立ったからダメだったかな…と思っていました。 ──そうなんですね。優勝はできなかったかな、と。 だから結果発表でHEARTSの側に腕が上がって、驚きもした。もちろん凄く嬉しかったんだけどね。でもやっぱり、全体的にフワっと時間が過ぎていった感覚はどうしてもあったな。 優勝の瞬間 KAIが思う“勝利までの道のり” Photo by YAMADAI ──ここまで凄まじいお話を聞かせていただきましたが、いくつか気になったことを伺わせてください。まず大会期間中、ベストなコンディションで臨めていなかったというお話もありましたが、(長期の大会でなくても)そもそも大会当日をベストな状態で臨めないことも少なくないと聞きます。振り返って今回、そういった状況でもどうして勝利を手繰り寄せられたのかと思われますか? KAI準備だけは完璧にこなせたなと自信を持って言える状態まで持っていくことができたからかな、と思っています。徹底的に練習もしたし、大会期間中や直前期にしんどくなったり、過密なスケジュールになることも想定していたから、「それでも100を出せる自分」を事前にチームとして創り上げていけたことが理由かなと。 ──それが絶対的な答えですね(笑)。 そうそう。準備が全て。当日はやっぱり手元が狂うこともあるから。 ──その「準備」というのはどういったことをされていたんでしょうか? フュージョン(HEARTS)に関しては、ありとあらゆるミスを想定して潰していきました。冒頭にもお話しましたが、経験もあったからゴールは見えていて、そこから逆算することもできたので、自分以外のミスも含め「今これがこうだったから、ミスの原因はここだね」っていうのをトライ&エラーでやり続けていきました。どういう感情のときにどういうミスが出るとか、この縄のときにこういうミスが起こるとか、それを理解すること、解決しようと試みることを当たり前にし続けることが大事。例えば順番が繰り上がっちゃったりとか、音が小さくて聴こえづらいこととか、照明が暗くて見えづらいこととか、当日右手が満足に上がらなくなるとか、色んなシチュエーションをイメージして向き合っていたから、何の心配もなかった。 ただ、チームバトルは心配要素もあった。DJがどんな音楽を流すか分からないし、ムーブ自体は準備できてもあとは即興で対応するしかない。でも対応力の部分は鍛えておくことはできると、来てくれたtaishiやKO-YA・KEITAとバトルしたり、DAICHIさんや奥さんのMaykaに真正面に立ってもらったりとか(笑)。それでも本番ミスは出てしまったんだけどね。 HEARTS (本人提供) ──でも「ベストを出せるような準備をする」という根底の部分は共通していますね。かつこれまでの豊富な経験から、シミュレーションを重ねられていたような印象を受けました。ただ一方で、FORとしては初のスポーツジャンルの大会への挑戦ということで、そのシミュレーションもフュージョンほど効かなかったのではないかなと思うのですが、いかがでしたか。 フュージョンでミスの要因の120%くらいを理解できているとしたら、スポーツジャンルに関しては70%くらいだったかな。なぜミスして、なぜ上手くいっているのかがハッキリ分かっていない状態で本番を迎えざるを得なかったというのはあります。 根本的に、例えばショーだと1エイトの間に注意点が2箇所くらいあるとしたら、こっちは1カウントに16個くらいあるパートもあるんです。それを同時に捌かないといけないんだけど、どれだけシミュレーションしても処理速度が追いつかない。だからそれを考えなくても上手くいくくらい、とにかく身体に染み込ませて練習を重ねるしかなかったです。 本番当日までミスの全容は掴みきれなかったけど、成功率はちゃんと上がっていく。不安はあるけど、これくらい出来るようになったから、あとはもう本番は覇気だし、なるようになる。このメンバーで頑張ってきたから、俺らなら大丈夫と。そういう意味で、そう思えるくらい練習してきました。 FOR (本人提供) #4 激動の日々を振り返り、思うこと こうして幕を下ろした激動の日々。本気で戦い抜いたKAIが感じたのは、思わぬ感情だった。 ・・・ ──最後に伺いたいのですが、あの激動の日々を振り返っていかがでしたか。終えてみて思ったことや得たものってありましたか? KAI“燃え尽き症候群”みたいなものは無いなと思ってたんだけど、とりあえず次の日はベッドから起き上がれなかったね。川崎のホテルに泊まっていたけど、身体中が軋んで動けない。あっ、でも最終日の次の日にはワークショップがあったから、満身創痍だったけどそれを見に行った。でも終わった直後も世界を獲ったんだとかって実感は湧かなくて、とりあえず「この日々を終えた」ってことだけ感じた。なんか燃え尽きたかもなー、って。 でも一回、不安にはなった。今回の俺の挑戦は誰かのためになったのだろうか、みたいなことを考えた。自分のやったことは合っていたのか、他にやるべきことは無かったのか…。今でもちょっと考えるときがある。 ──そうなんですか。正直意外でした。 あんまり不安に思うことはないけど、誰かにいつか聞いてみたいなって思った。「俺、これで良いんすかね」って先輩とかに。 Photo by YAMADAI ──それは手応えがなかったから、ということですか? いや、手応えがないというか、手応えがあっても思うんだろうなと。でもこうして“誰かの、何かのために”という思いで整えながらやっていかないと自己満で終わってしまうだろうし、色んな人の意見に耳を傾けながら、自分がどうあるべきかを決めていきたい。でも何だか良い不安を持てたなって思うし、その上で今進もうと思えているから大丈夫だと思う。 ──最後はやっぱりポジティブですね。 あと、どうやら「自分のために頑張れない」人らしいんだよね(笑)。誰かのために、誰かと一緒にやりたい。思い返すと、REG☆STYLEに加入したごろの時期は自分中心の日々だった。自分を守る行動や言い訳が多かったけど、怪我をきっかけに、誰かのためにというマインドになった。 これからもダブルダッチ、そしてジャンプロープを広げるために命を燃やして、最期は1抜けしながら死ねたら本望だなとか思ってる(笑)。あとは先人たちが紡いできてくれたものへの感謝も伝えたいなとか、自分としてはコンテストを4回優勝したから、キリよくいつか5回目も達成したい。 でも大それたことを言うつもりもなくて、誰かが次の日、「明日俺も頑張ろうかな」って思ってくれさえすればそれでオッケーだなとも思う。どれも簡単なことじゃないと思うけど、これからも心が燃え続ける限り跳び続けていたいなって。そう思います。 ・・・ 彼のもとに、全く不安が訪れないということではないのだろう。しかし、逆境に立ち向かうKAIはいつも“ポジティブ”だった。不安や痛みを感じないことではなく、それを全身に受け止めながらも前を向くことが真の「強さ」なのだと教えてくれた。そしてその強さは、ジャンプロープというカルチャーと、その周囲にいる人々の存在があったからだと口にする。 これからもKAIは、誰かのために跳び続ける。その心が、力が、命が、彼の中で燃え続ける限り。
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dance新木場がヒップホップの熱狂に染まる!? ヒップホップカルチャーの魅力すべてが詰まった1日限りのフリーパーティー「Red Bull BC One World Final Kick Off Jam Tokyo」2025.02.14今年11月、東京‧両国国技館で9年ぶりに開催される世界レベルの1on1ブレイキンバトル「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」。今大会のシーズン幕開けを祝して、2025年3月8日(土) GARDEN新木場FACTORYにて、ヒップホップカルチャーの魅力を詰め込んだ1日限りのスペシャルパーティー「Red Bull BC One World Final Kick Off Jam Tokyo」(入場無料)が開催決定! 当日は、DJやビートメイカーによる音楽ライブが鳴り響き、ヒップホップカルチャーの自由な精神を象徴するグラフィティアート。そして、世界トップクラスのB-Boy & B-Girlたちが、この熱狂の空間で白熱のバトルを繰り広げる。 “Stones Throw”のKnxwledge、グラミー受賞後 初来日! Knxwledge(Stones Throw)|Photo by Jack McKain アンダーソン・パークとのデュオNxWorries(ノーウォーリーズ)として、2025年の米グラミー賞「最優秀プログレッシブR&Bアルバム部門」を受賞した“Stones Throw”レーベルのKnxwledge (ノレッジ)が、受賞後すぐという絶好のタイミングで来日決定! ケンドリック・ラマーの楽曲プロデュースを手掛けるほか、彼自身も愛好する人気格闘ゲーム 「ストリートファイター6」にオフィシャル音源を提供するなど、インターネット、ゲーム、そし てヒップホップを融合させた唯一無二のスタイルで世界中から注目を集めるアーティストが日本にやってくる。 DLiP Records x DOGEAR Recordsによるライブパフォーマンス 神奈川県藤沢、通称MOSS VILLAGE(モス‧ヴィレッジ)を拠点とする、日本屈指のインディペンデント・レーベル“DLiP RECORDS”から、レーベル主宰でありDINARY DELTA FORCEのフロントマンでもあるDUSTY HUSKYが登場。さらに藤沢のラップデュオBLAHRMY(MILES WORD & SHEEF THE 3RD)、DMC日本チャンピオンの称号を持つDJ BUNTA、そして日本を代表するヒップホップダンサーYASSが登場。 一方、ISSUGI、仙人掌、KID FRESINOら個性派アーティストを擁し、東京アンダーグラウンドシーンを牽引する最重要レーベル“DOGEAR RECORDS”からも強力なラインナップが参戦。ラッパー兼ビートメーカーとしてシーンを牽引するISSUGI、SCARS / SWANKY SWIPEのメンバーとしても知られる実力派ラッパーBES、そして数々のプロジェクトでビートメイカーとして確固たる地位を築き上げたBUDAMUNKが、今回ライブパフォーマンスを繰り広げる。 ヒップホップカルチャーのすべてがここに。入場無料! © James Newman / Red Bull Content Pool 近年、スポーツとしての地位も確立されたブレイキンだが、そのルーツは1970年代ニューヨーク、ヒップホップカルチャーの黎明期に遡る。DJの音楽がブレイクに差し掛かると、若者たちはダイナミックなムーブを繰り出し、自己表現のために踊ることから生まれた。それがブレイキンの始まりであり、このカルチャーの本質である。 今回のキックオフパーティーでは、そんなブレイキンの原点に立ち返り、ヒップホップカルチャーの4大要素(音楽、ラップ、グラフィティ、ダンス)を凝縮してお届け。ヒップホップの真髄を全身で体感する、1日限りのスペシャルイベントをお見逃しなく! 若手×ベテランのエキシビション、東⻄プライドを懸けたバトル、 1対1の戦い、そして一般参加OK! 限定80組が激突するダンスバトル 今回世界トップクラスの実力を誇るB-Boy & B-Girlたちが集結!レッドブルの精鋭ダンサーで構成されたSHIGEKIXら「Red Bull BC One All Stars」と、TSUKKI、RA1ONをはじめとする若手実力派チーム「Young Gunz All Stars」によるエキシビションバトルが実現。 さらに、今や世界トップレベルのB-Boyへと成⻑したHarutoと、Red Bull BC One All Starsのメンバーとしても活躍するオランダのLEEによる「1on1 Exhibition Battle」も開催。 © Marcelo Maragni / Red Bull Content Pool また、ヒップホップシーンを代表する東⻄のダンサーが、それぞれの地域のプライドを懸けてぶつかる「Hip Hop Exhibition East vs West」など、多彩なスタイルのダンスバトルが繰り広げられる。 バトルコンテンツの中でも、一般参加OKの「4on4 Crew Battle」は、総勢80チームによる熾烈な戦いが繰り広げられる大混戦必至のバトル。現在、一般参加者を募集中。ヒップホップカルチャーの祝祭に、ぜひそのスキルをぶつけて欲しい!「4on4 Crew Battle」のエントリーは記事最下部のフォームから。 今回のキックオフパーティのほか、今年11月に開催される「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」に向け、ブレイキンの魅力を体感できるコンテンツも続々登場! 日本全国のブレイキンシーンに翼をさずけるツアー実施決定 今年3月の日本全国を巡る「Red Bull BC One All Star Tour」では、世界の舞台で活躍するレッドブルのB-Boy & B-Girlたちが、東京‧神奈川‧大阪‧京都‧岡山‧⻘森で、ブレイキンのワークショップやバトルコンテンツを開催。日本各地にブレイキンの熱狂とカルチャーのスピリットを届ける! ツアーの模様は、「Red Bull BC One」公式Instagramで随時発信。ぜひフォローして、世界トップレベルのムーブをチェックしよう! 今年11月、東京‧両国国技館にワールドファイナルを観に行こう! 「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」のチケットを絶賛販売中。世界レベルの1on1ブレイキンバトルを生で観戦するチャンスをお見逃しなく。詳細はレッドブルのイベントページ(記事最下部)をご確認ください。 開催概要 名称:Red Bull BC One World Final Kick Off Jam Tokyo日時: 2025年3月8日(土)11:00〜21:00会場:GARDEN新木場FACTORY 住所: 東京都江東区新木場2丁目8−2料金:入場無料(ドリンク代別途 600円) ※会場キャパシティの都合で入場制限する場合がございます。 タイムテーブル 11:00-12:00 DJ12:00-14:00 4on4 Crew Battle (限定80組 予選) 14:00-14:40 DJ15:00-17:00 4on4 Crew Battle (Top16 / Top 8 / Top 4) 17:00-18:00 Beat Live by Knxwledge18:00-18:20 1on1 Exhibition Battle18:20-18:40 Red Bull BC One All Stars vs Young Gunz All Stars 18:40-19:00 Hip Hop Exhibition East vs West19:00-19:20 4on4 Crew Battle (Final)19:20-20:00 Live: DLiP Records x DOGEAR Records 20:00-21:00 DJ 実施コンテンツ Beat Live by KnxwledgeLive: DLiP Records x DOGEAR Records4on4 Crew BattleRed Bull BC One All Stars vs Young Gunz All Stars 1on1 Exhibition BattleHip Hop Exhibition East vs WestDJ&MCGraffiti Writers 出演者 Beat Live: Knxwledge (Stones Throw)Live:DUSTY HUSKY (DLiP Records)、 BLAHRMY (DLiP Records)、DJ BUNTA (DLiP Records) 、YASS (DLiP Records)、ISSUGI (DOGEAR Records) 、BES (DOGEAR Records)、 BUDAMUNK (DOGEAR Records)Red Bull BC One All Stars:SHIGEKIX、ISSIN、KIMIE、ALVIN、Hong10Young Gunz All Starts:TSUKKI、RA1ON、COCOA、FUMA、RYOGA1on1 Exhibition Battle:Haruto、LEEHip Hop Exhibition:YASS (East) TAKUYA (East) The Retro (East) LEO (East)YU-SEI (West) SORA (West) ASATO (West) JUN (West)Hip Hop Exhibition (DJ): DJ MINOYAMAHip Hop Exhibition (MC): SUV 4on4 Crew Battle (Guests):knuckle (Student All Stars)、Ouki (Student All Stars)、Sora (Student All Stars)、NONESKI (Student All Stars)NANAMU (Nagoya)、SHOWSKI (Nagoya)、YAMATO (Nagoya)、KOOLSPIKE (Nagoya)Shoya (Osaka)、TOGO (Osaka)、Daiki (Osaka)、yoo (Osaka)AMANE (Fukuoka)、Shonosuke (Fukuoka)、SO-TA (Fukuoka)、Yuta (Fukuoka)4on4 Crew Battle (Judge): Haruhiko aka Watchm3n、LEE、Perninha4on4 Crew Battle (DJ): SPRAY (Korea)、SPELL (New Zealand)4on4 Crew Battle (MC): KENTARAW、CRUDE Graffiti Writers: WOOD、GOSPEL、MSY & DISE
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others大阪初上陸!世界最高峰のアクションスポーツの国際競技会「X Games Osaka 2025」が6月20日〜22日にて京セラドーム大阪で開催決定!!2025.02.10アクションスポーツ界で最も注目される国際競技大会「X Games」が、ついに大阪にやってくる。2025年6月20日(金)〜22日(日)の3日間、世界中からスケートボードやBMX、Moto Xのトップアスリートたちが「京セラドーム大阪」に集結。 アクションスポーツファンが待ち望んだ瞬間がここに。 「X Games」は1995年に米国で誕生した今年で30周年を迎える歴史ある大会。アクションスポーツのアスリートにとってはまさに夢の舞台で、これまで世界13ヵ国で累計600万人以上の観客を魅了し、スポーツ専門チャンネルESPNを通じて世界192ヵ国・5億世帯に映像が配信されるなど、世界中から熱い注目を集め続けている。 X Games Osaka 2025ではスケートボード、BMX、Moto Xの3競技11種目をひとつの大会ですべて体感できる! X Games Ventura 2024のスケートボード バート|©Chris Tedesco / X Games 「X Games Osaka 2025」では3競技11種目を実施予定。オリンピック競技としても注目を集める「スケートボード・ストリート男女」「スケートボード・パーク男女」「BMXパーク男子」はもちろんのこと、さらに、スケートボード競技の中でも根強い人気と伝統を持つ「スケートボード バート男子」、 高度なバランス感覚で華麗な技を披露する「BMXフラットランド」、街中の障害物を模したコースを使って技を競う「BMXストリート」、そしてフリースタイルモトクロスバイクによる圧巻のトリックが繰り広げられる「Moto X」が実施される予定となっている。※6月20日は予選のため関係者招待日。 これだけの競技を、ひとつのイベントですべて目撃できるのは「X Games」ならでは。アクションスポーツの魅力が凝縮された3日間をお楽しみあれ。ここでしか味わえない興奮と感動をぜひ会場で体感してみてほしい! 大阪初上陸!大阪ならではの魅力が満載!関⻄万博とのシナジー効果で、大阪の魅力を国内外に発信。 大阪といえば、活気あふれる街並みや人々の温かさ、そして何といってもその食文化。たこ焼き、お好み焼き、串カツなど、日本が誇るストリートフードを堪能しながら「X Games」の熱気とともに大阪のグルメも満喫できる。 また、大阪城や道頓堀といった歴史と文化が息づく観光名所はもちろん、近年大規模な都市開発が進む梅田や難波エリアも必見。新たに生まれ変わった商業施設や観光スポットが集まり、見どころ満載の都市を訪れる絶好の機会だ。 さらに2025年は「大阪‧関⻄万博」が開催され、大阪が世界からの注目を浴びる年。このタイミングで開催される「X Games Osaka 2025」は大阪の魅力を国内外に発信し、スポーツと都市のエネルギーが融合した特別なイベントとなることだろう。 2025年、アクションスポーツの新たな歴史が大阪で刻まれる。「京セラドーム大阪」は大阪の中心部からアクセスも良く、世界レベルの競技を間近で体感できる最高の舞台。屋内会場だから天候の影響を受けることなく快適な環境で観戦可能。観客を巻き込む興奮のトリックやハイレベルなパフォーマンスに加え、「Xゲームズ」ならではの音楽ライブやフードフェス、アートイベントなど多彩なコンテンツが予定されている。スポーツ、カルチャー、都市の魅力が一体となったこのイベントに世界中のアクションスポーツファンが集結すること間違いなし。ぜひスポーツ観戦だけでは終わらない特別な体験をこの機会に大阪で! 出場アスリート、音楽ライブ、チケット情報などの詳細は、近日中に公開予定です。続報をお待ちください。 X Games Chiba 2024のBMXパーク|©Hikaru Funyu / X Games 吉村洋文(大阪府知事)のメッセージ 『世界最高峰のアクションスポーツの国際競技大会であるX Gamesを、⻄日本で初めて大阪で開催できることを大変嬉しく思います。世界のトップアスリートのパフォーマンスを間近で観ることができるこの機会に、その迫力を直接体感いただきたいと考えています。 大会期間中に開催されている大阪‧関⻄万博では、約160もの国の展示や食など世界を五感で感じられるほか、「大阪ヘルスケアパビリオン」では、25年後の「ミライの自分」との遭遇を体験できます。ぜひ万博という非日常空間でドキドキ‧ワクワクする楽しさを感じてください。X Games Osaka 2025、大阪‧関⻄万博へのご来場を心よりお待ちしております。』 ジェレミー‧ブルーム(X Games CEO)のメッセージ 『過去3年間の日本でのX Gamesは、アクションスポーツの国際的な需要の高まりを示す素晴らしい例となりました。世界のトップアスリートの中には日本出身の選手も多く、日本のファンはアスリートや競技に対して非常に強い情熱を持っています。今年6月、大阪‧関⻄万博の熱気とともにX Gamesを大阪で開催できることを心から楽しみにしています。このイベントを通じて、日本におけるアクションスポーツのさらなる発展を目指し、今後も取り組みを強化していきます。』 X Games California 2023のMoto Xベストトリック|©Dave Camara/X Games X Gamesとは? 1995年に米国で始まった「X Games」は、これまでに世界192ヶ国‧5億世帯への映像配信、世界13カ国で累計来場者600万人以上を熱狂させてきた世界最大のアクションスポーツの国際競技会。 夏季はスケートボード、BMX、Moto X。冬季はスキーとスノーボードのトップアスリートたちが活躍し、30年にわたってアクションスポーツのシーンで絶大なる影響を与え続けてきました。 開催概要 名 称(英 語): X Games Osaka 2025名 称(日本語): Xゲームズ大阪2025名 称(読み方): エックスゲームズ オオサカ ニセンニジュウゴ日程: 2025年6月20日(金)予選‧練習 2025年6月21日(土)決勝2025年6月22日(日)決勝 ※金曜は予選日のため(一部チケットを除き)関係者‧招待客‧取材媒体のみ入場予定。 ※一般入場は土曜と日曜の2日間を予定。会場:京セラドーム大阪(KYOCERA DOME OSAKA) 大阪府大阪市⻄区千代崎3丁目中2−1料金: チケット料金、座席等は大会オフィシャルサイトおよびSNSで近日お知らせします。主催: X Games Osaka 2025組織委員会主管: 大阪府、大阪市 実施競技(3競技‧11種目):男子スケートボード ストリート 女子スケートボード ストリート 男子スケートボード パーク 女子スケートボード パーク 男子スケートボード バート 男子スケートボード バート ベストトリック BMX ストリートBMX パークBMX パーク ベストトリックBMX フラットランドMoto X ベストトリック ※実施競技は変更になる可能性があります
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surf【ロングボードで切り拓く新時代】田岡なつみが語る女性アスリートの挑戦2025.02.04サーフィンがオリンピック種目となったことで、ショートボードを中心に注目が集まる中、ロングボードという種目が秘める可能性に光を当てる選手たちがいます。 その1人が、2024年にWorld Surf League Longboard Tourで世界5位の快挙を成し遂げた田岡なつみ選手です。世界の舞台で輝き続ける彼女は、競技だけでなく、サーフィンの魅力を発信や活動をし、多方面でその存在感を示しています。 先日公開された田岡なつみ選手のドキュメンタリーフィルム「MAHOROBA」は、世界11カ国でノミネートされ、サーフシーンで話題になりました。彼女自身のサーフィンへの深い想い、そして日本の素晴らしさが込められている作品として、日本でも上映されました。 今回のインタビューでは、そのMAHOROBAを通じて見えた田岡なつみ選手が描く未来のビジョンやサーフィンへの情熱、競技の舞台裏、女子サーファーが直面する賞金の格差問題についてなど、率直な想いを語っていただきました。世界の波を舞台に挑み続ける彼女自身の言葉で 、その真髄に迫ります。 MAHOROBAを制作した背景とは Photo:ROXY –今回どのような経緯でMAHOROBAを制作したのですか 私はプロサーファーとして、競技を1番の中心に活動を行っている中で、何か作品を残したいという思いはずっとあったのですが、仕事もしていたので、なかなか機会がありませんでした。会社員として仕事をしていた時は、試合の時だけお休みをいただく形だったので、試合以外のクリエイティブな活動をする時間を作ることができませんでした。2年前に会社員を辞め、そのタイミングでROXYに所属することになりました。今回映像を撮影してくれたカメラマンの原直子さん(通称:ナチョス)とも、以前から映像を作りたいと話していて、作りたい映像に対する想いがリンクしたので、ROXYに旅費を全てサポートしてもらって、今回の作品を作ることができました。 –日本を作品の舞台にした理由を教えてください 今までは海外の大きい波で映像を残したいという思いが強かったのですが、コロナウィルス感染が流行したタイミングで2年程日本で過ごすなか、日本の素晴らしさを改めて感じました。ちょうどその時にカメラマンのナチョスも同じように感じていたみたいで。コロナで日本にいたからこそ、日本の波やカルチャー、景色の素晴らしさを改めて再認識することができ、日本の素晴らしさを世界に伝えたいという思いから日本で撮影することになりました。 –北海道での撮影は過酷だったように感じましたが、実際に訪れてみていかがでしたか 初めて北海道、そして雪の中でのサーフィンだったので、北海道仕様にウエットスーツなどサーフギアから揃え直しました。情報も少ないので、北海道に訪れたときに情報を収集していく中で、「雪の中で撮るのであれば利尻島がいいよ。」とおすすめされました。利尻島って島を1時間で回れるくらい小さな島なんです。私は試合の合間で撮影を行っていたので、1週間のトリップを3回北海道に行き撮影をするという流れでした。なので「ここ」とポイントを決めていってしまうと外してしまう場合もあるので、今回は波を1番の優先したいという思いもあり、利尻島だと島なので風の影響も含め、どこかしらサーフィンできるかなという考えもあり利尻島を選びました。実際に行ってみて、撮影の中でも1番印象的なのが利尻島でした。大雪の中、誰もいない海。自分たちでGoogleマップを見て、ここの地形が良さそう。と調べながら行ったりしました。その中で私が嬉しかったのが「ここの海に入ってる人見たことないよ!」って言われて。利尻島にはサーフポイントはいくつかあるのですが、ショートボードの方の方が多いみたいで、私はロングボーダーなので波を見る目線がまた少し違っていて。私が海から上がった時にサーファーの人とすれ違って、「ここで入ってたの!?」と驚かれたりしました。映像だけでは伝えきれない旅ならではの出会いが本当にたくさんありました。 –日本での上映に加え、海外でノミネートをされた今「MAHOROBA」はどのような想いがある作品ですか 以前も自分の映像を作ったことはあるんですけど、海外のフィルムコンテストに出したことはなくて。最初、「映像作品って自己満足で終わってしまうのでは?」と思っていたところが実はありました。でも、自分たちの思い描いた作品を作り、11カ国にノミネートされ全世界の人に見てもらえたことは正直、私もナチョスも驚きました。ノミネートの連絡がスペインのビルバオから始まり、次から次へと私たちの耳に入り、すごく嬉しかったです。他の作品はディレクターがいて、カメラマンも3、4人いて、時間や費用がかかっている作品がノミネートされ賞を取っている中、今回の作品は私とカメラマンのナチョスの2人だけで作り上げた作品です。逆に女の子2人が、過酷な環境で撮ってるというところを称賛してもらうことができ、見た人が日本に行ってみたいって思える作品が出来たことは、作品を作った中での想いの1つでもあったのでゴールを達成することが出来たのではないかなと感じています。 Photo:ROXY 多岐に渡る活動の中のひとつ、インビテーションの試合とは –昨シーズンは公式試合以外に招待制の試合にもかなり出場をされていたようですが、ご自身の中で振り返ってみていかがでしたか 昨年は出れる試合は全部出て自分の経験値を上げたいという思いがありました。以前、デュアルキャリア(※)をしているときは、JPSAやWSLの試合は出ることができても、インビテーションの試合は日本にもあまりないカルチャーなので、その魅力や価値を理解してもらえる場面が少なく、招待されても出場することが出来ませんでした。実際、インビテーションの試合は招待制ではあるんですけど、遠征費が実費で賞金がないこともあるので、名誉と経験のために行くのですが、私はインビテーションの試合に出場することに対して価値を感じているので、昨年はインビテーションの試合にもほとんど行きました。 WSLなどの試合とは違い、フェスティバルみたいな雰囲気で、みんなで波をシェアしたり、みんなで作り上げていくような試合が多かったので、私はそこで英語の上達にもすごく繋がりました。試合の時は集中しているので、自分の視野がすごく狭くなってしまうのですが、インビテーションの試合は、もちろん勝ちに行っていますが、お祭りみたいな雰囲気で、点数だけのライディングではなく、自分のスタイルを魅せる場所となっているのが、いいなと感じました。昨年はインビテーションの試合にも回ることが出来てよかったなと思ってます。 ※デュアルキャリアとは競技を続けながら会社員として勤務したり、現役中から将来を見据えた準備をすること。 –競技と招待制の試合を分けて考える部分はありますか どちらもちゃんとした試合ですね。ただインビテーションとJPSAやWSLの違いはプライオリティがないことです。プライオリティがない中でもフェスの要素もあるからガツガツしづらいところはあります。でも、勝ち上がるにつれて、最初はみんなワイワイしていたのに、勝ちたい欲が出て、そこで改めてコンペテターなんだなって感じました。プライオリティーが無いので、奥取り合戦のような感じになり、昔の試合をやってるみたいな感覚になります。ただ、インビテーションの試合なのでやっぱそこまでガツガツ行きたくないなって思ったりと、そのバランスが難しいです。 様々な経験通じて新たに生まれた挑戦心 –今後試合以外で、チャレンジしてみたいことはありますか 実はずっと思っていて一度も言ったことがなかったんですけど、自分主催の試合をやりたいんですよ。私は試合が大好きで。試合に出たことがない女の子や、上手くても試合にあまり興味がない女の子って居ると思うんですけど、そういう人たちにも出てもらえるような楽しいイベントの要素も含まれた試合を行いたいです。そして、そこで女の子の友達が出来たり、年に1回でも開催出来たら、「なっちゃんのイベントで会おう!」みたいな、繋がりが出来るきっかけになる試合ができたらいいなと思っています。今もリトリートは年に1回やっているんですけど、前回のリトリートに来てくれた子が今回のリトリートにも5人来てくれたんです。みんなが「また、なっちゃんのリトリートで会えた!」って私をきっかけに友達ができて、サーフィンの仲間が増えていくようなコミュニティが出来たらすごくいいなと感じています。私がサーフィンを始めた子供の頃は女の子が居なかったのでずっと女の子の友達が欲しいなって思っていた時期があったんです。年齢も経験も重ねた今、自分で楽しめる試合をいつか作りたいなって思っています。そして自分が試合を行いたいと思うもう1つの理由は、女子の賞金がすごく低いので国内で1番賞金が高い試合を行いたいという気持ちです。日本のプロの試合に10年以上回っていて、男女の賞金について納得いかないところがあります。10年以上やってるのに賞金に関しては女子は全然上がらず、男子の方が上がってる率が高い。このことは、あんまり知られていなくて「女子ってそんなに賞金低かったの?!」と驚かれることもあります。大会の設営にはお金をかけているのに、選手への還元が少ないことや、女子のエントリー費の割に賞金が低いなど、不満な部分もあるので、それなら自分にも出来ることがあるのではないかなと思っています。そして、女子の賞金の現状を沢山の人に知ってもらうきっかけにも繋がると思うので、「日本で1番高い賞金の試合を開催」することで、興味を持ってくれる人が増えて、S.LEAGUEも盛り上がっていくきっかけにもなるかもしれないですし、サーフィン業界自体を盛り上げるという意味でも、話題作りとして開催できたらと思っています。オリンピックでショートボードが種目になったことで、ロングボードの価値が下がってしまったように感じることが多くなりました。なので、ロングボードの魅力を沢山の人に伝えていきたいなっていう思いが根底にあります。 毎日のルーティン変化がより良い試合結果に繋がり始める –普段はどのような生活リズムで過ごしていますか 朝は早く起きて、毎日2ラウンドか3ラウンド海に入るようにしています。アラームをかけないで朝起きて、22時には寝るような生活をずっと続けています。デュアルキャリアを辞めて時間ができてからは、トレーニングの量を増やし、食事管理を徹底して行っています。試合の前に準備期間を設けられるようになったので、心に余裕ができたことも試合に勝てるようになった1つの理由なのかなと自分で思っています。今までは目の前のことに必死で、仕事が終わったら明日から始まる試合の準備を行ったり、常に自分の目の前には色々とやることが多すぎて1週間先のことを考える余裕さえ無かったのですが、今はちゃんと自分でスケジュールを決めて過ごすことが出来ているので、すごく良いライフスタイルを送ることが出来ています。 –トレーニングや食事管理はトレーナーをつけているのですか トレーニングはピラティスをしに東京へ通っているのと、ヨガはほぼ毎日行っています。あとはサーフィンをすることが1番のトレーニングだと思っているので、毎日同じ海で、波のコンディション関係なく入っています。サーフボードを試したり、フィンを変えたり今まで手が回っていなかった部分を調整しながら練習をしています。サーフボードは去年初めて自分のシグネチャーモデルを出させてもらい、それをメインとし、微調整を行っている形です。シェイパーさんとも親身に話しが出来ているので、自分に1番合ってるサーフボードを作れてることも、試合に勝てるようになった理由の1つかなと思ってます。 Photo:@ryohei.taoka 昨シーズンを振り返ってみて Photo:WSLⒸ/cait miers –昨シーズンWLTの第1戦Bioglan Bells Beach Longboard Classicで2位と自身最高位になりましたが改めて振り返ってみていかがですか Photo:WSLⒸ/cait miers ずっと目標にしていたファイナルに到達することができたことは本当に嬉しかったです。試合は2日間の中でヒートをこなさなくてはならないハードなスケジュールだったので、勝ちあがって、1時間後に次のヒートが始まったり、1つひとつのヒートに必死で、集中していたこともあり、気づいたらファイナルで一瞬で終わってしまった印象でした。第1戦目のオーストラリアベルズは誰よりも早く行って準備しました。今までは他の外国人選手と一緒に試合を転戦していたので、試合の1週間前に会場に向かい、レンタカーを借りて、宿に泊まってみんなで一緒に過ごしていました。でも去年の自分は、勝つ!という想いが例年以上に強かったんです。今までは会社に務めていて時間が無いことを言い訳している弱い自分がいたんですけど、もう会社も辞めて言い訳できることが何もなかったことが、より”勝ちたい”という気持ちを強くしてくれたんだと思います。それもあって、今回は2週間前に現地に入って日本の波と全然違うベルズの波を攻略しようと、毎日2、3ラウンドサーフィンをしていました。全部のタイド(潮の満ち引きなど)でサーフィンをして、「このタイドの時はここで待つ。」など、徹底してノートに書いていてインプットさせたことが、自分にとって本当に良かったなと感じています。実際、試合の時に「このタイドでこの風だから、ここで待とう。」と自信を持って試合に臨めたことが今回初めてファイナル進出することができ、自己最高位の2位に繋がったのかなと思っています。次の第2戦のハンティントンでも現地で沢山練習をして、オーストラリアと同じように臨むことができ、3位になることができました。今まではクォーターファイナルでずっと負けてたので、その壁を越えることができたのは、自分に自信をつけるために早く現地入りして、その波に慣れることが自分にとってフィットしたのかなと思ってます。 –第3戦Abu Dhabi Longboard Classicは今までと違ってウェーブプールでの試合だったので練習も限られていたと思いますが、メンタルで意識した部分はありますか 一昨年の冬にメンタルを鍛えるセミナーをスポンサーの人に紹介してもらって受けたんです。目標設定を行ったり、自分の強み弱みと向き合ったり、自分自身を振り返る時間は今まで無かったので、私にとってとても良いメンタルトレーニングの機会になりました。今まで1番で勝ち上がると自信がついて、勢いに乗れるんですけど、2位を挟んでしまうと自分の中で切り替えができず負けることが多かったのですが、メンタルトレーニングを受けてから切り替え方が以前より出来るようになった気がしています。今回、初めて自分について振り返る時間の中で自信のつけ方を学ぶことが出来て強みになった感じがしています。 –日本人で初めて上位8人しか出場できないSurf City El Salvadorにも出場しましたがいかがでしたか ファイナルシリーズに出場することが1つの目標でもあったので嬉しかったです。ファイナルシリーズに出れた時点で「この試合で優勝したらチャンピオンなんだ!」と思うと、ワクワクして「絶対なるぞ!」っていう意気込みで望みました。結果的には5位と自己ベストですが、今年は初戦から成績が良かったので、このままいけるかもしれないと思っていたので、悔しい気持ちが残りました。昨シーズンは本当に越えられない壁をいくつも越えることができ、自信に繋がりました。ファイナルシリーズは本当に勝ちたかったけど、いつもと違う独特な緊張感とプレッシャーに負けてしまい「ここで歩けば。」というところで足が出なかったりして、後悔が残る試合となりましたが、オフシーズンに全て改善して来期に挑みたいと思います。周りも実力はありますが、波のリズムを合わせることができれば誰でも勝つチャンスがあると思っています。今では自分の中で納得のいくライディングに9点(10点満点中)がついたり、世界の舞台でもハイスコアを出すことが出来るようになりました。試合では今までやってきたことを、試合の中で出せるかが勝負だなと思っています。今は自分の100%の力を出し切る練習をしているので、既に来年が楽しみです。 今だ課題となる賞金問題 –以前から課題としている賞金について、改めて現状はどのような状況ですか S.LEAGUEになって、全戦女子の優勝賞金が15万円に上がりました。ただ、エントリー費と登録費があるので、プロのツアーを回っていても厳しい状況です。そうなると試合に出る選手も少なくなると思います。プロロングボーダーは他の仕事をしながら競技に出ています。賞金の低さはあまり知られていないのですが、プロとしてやって行くんだったら大切な部分だと思います。男子と同じ努力をして、同じ交通費をかけて試合へ行っているのに、男女の賞金の差が開いてしまっているんです。海外の女性サーファーはSNSなどで発信したり、運動をしていたりするアスリートもいます。日本でも発信していかないとずっと変わらないし、誰かが何かアクションを起こさないと変わらないなと思っているので。私もより良い方向に向かうように、発信していきたいです。 Photo:@ryohei.taoka –賞金以外で何か変わったら良いなと思うことはありますか そうですね。海外の試合は観客も沢山居て盛り上がっています。海入る前に全然知らない人から「頑張れ!」とか、現地に住む日本人の方が「サーフィン見たことないけど、日本人が出てるって聞いて来ました!」って応援に来てくれたりして、選手も気持ちよく試合ができてます。一般の人を巻き込むことで、サーフィンの魅力を知ってもらい、選手1人ひとりを見てもらえるチャンスにも繋がると思うので、野球やサッカーのように見てくれる人が増えていくことも大切だなって思います。 2025年目指すのはただ1つ photo:@ryohei.taoka –ロングボードの魅力はどこにありますか ロングボードの魅力は、海の上でダンスをしているイメージなんです。手の動きなど細部まで意識して私は魅せるサーフィンを目指しています。そして、これはサーフィン全部に言えることですが、ゴールがないことがすごく面白いとなと感じています。1番スピードに乗ってるポケットでノーズをした時の浮遊感、ロングボードの良いところは、ノーズ、ハング5、ハング10した時に目の前にボードが見えないことです。波の上を自分が乗ってるみたいな独特の浮遊感とスピード感を味わうために練習をしています。技が決まっても、次はさっきより1秒長くやってみようとか、常に目の前に新しい課題が出来るのです。波も毎回違うので、今日はこれを練習してみよう、と構成から自分で考えられることがサーフィンの魅力で、面白いところだなって思います。 –今シーズンの目標を教えてください 世界一です。昨シーズンは手の届く場所にあるっていうのを実感できたので、ここからは相手ではなく自分との勝負だなと思っています。自分ができることを100%練習して、それを試合で100%出せるようにしたいです。そのためにも、体作りもしっかり行って挑みたいです。 田岡なつみプロフィール 1994 年生まれ。小学 6 年時に本格的にサーフィンを始めて、高校 2 年生で JPSA(日本プロサーフィン連盟)ロングボード部門プロ資格を獲得する。2017 年3月に桜美林大学卒業後、株式会社マイナビに新卒入社し5年間勤務。2017 年には JPSA ショートボード部門プロ資格を獲得。2024 年 ISA 世界戦3位。2024 年 WSL 世界ランキング5位。現在は世界一を目指しサーフィンの活動に専念し、海外の試合を中心に参戦している。 MAHOROBA 日本は小さな島国でありながら、未だかつてない魅力が隠されています。パンデミックの影響で自由な移動が制限される中、私たちは生まれ育った地の素晴らしさを再認識しています。この作品は、日々チャレンジに立ち向かう世界チャンピオンを目指すサーファー、田岡なつみと、冒険心溢れるフォトグラファー、ナチョスの2人の旅を追ったものです。彼女らが共鳴し、波に寄り添う旅に出る中で、どんな思いを抱き、どんな発見が待ち受けているのでしょうか。このプロジェクトには、二人だけのクルーが参加しました。舞台は未開拓の日本の北の大地に設定され、そこで繰り広げられる彼女らの冒険が、観る者の心を魅了することでしょう。
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climb【ボルダージャパンカップ2025】女子は野中生萌、男子は安楽宙斗が優勝!2025.02.022025年2⽉1⽇(⼟)〜 2⽉2⽇(⽇)、駒沢オリンピック公園総合運動場屋内球技場にてボルダージャパンカップ2025(BJC2025)が開催され、女子は野中生萌が6年ぶり2度目の優勝、男子は安楽宙斗が初優勝を果たした。 今大会は、初めて新ルールが適用された大会となった。より観客にも伝わりやすいようにポイント制で点数を可視化し、またゾーンの点数配分が多くなったことにより完登数だけでなく様々な課題を満遍なくこなすことも重要となった。 男子準決勝 安楽宙斗選手 男子準決勝では99.9点を獲得した安楽宙斗が首位で決勝進出。安楽は安定感のあるクライミングで4つの課題すべてを完登。続く2位は99.8点獲得の山口賢人、3位は99.6点の杉本侑翼となった。上位3名はいずれも準決勝の課題を全て完登し僅か0.3点差の接戦となった。 予選18位通過の佐野大輝は3つの課題を完登し4位で決勝に進出。また、すでにW杯ボルダー日本代表に内定している楢崎智亜は69.5点で5位通過。 女子準決勝 松藤藍夢選手 女子準決勝の首位通過は1課題目以外を完登し84.8点を獲得した松藤藍夢となった。続く2位は84.6点獲得の伊藤ふたば、3位は84.4点の森秋彩、4位は74.7点の野中生萌となり、いずれも3完登で決勝に進出。準決勝では特に後半の2つの課題を登り切れるかどうかが順位に大きく影響する展開となった。 女子決勝 野中⽣萌選手 女子決勝では東京オリンピック王者の野中⽣萌が今大会6年ぶり、2度目の優勝を収めた。野中は全4つのうち3つの課題を完登し、84.8点を獲得。2位は84.6を獲得した関川愛⾳、3位は84.5点を獲得した前回王者の中村真緒となった。 女子決勝では各課題を完登する選手が多く、いかにトライを少なくしてポイントを獲得できるかが勝負のカギとなった。優勝した野中は最終課題以外の3つの課題をすべて完登し、うち2つは最初のトライで完登。84.8点を獲得し、2位と僅か0.2点差で優勝を収めた。 関川愛⾳選手 2位の関川は自身のストロングポイントを生かした登りを見せ、3つの完登で84.6点を獲得。3位の中村真緒も第4課題ではゾーンを獲得し、その他の課題はすべて完登。安定感のある登りを見せた。 中村真緒選手 男子決勝 安楽宙斗選手 男子決勝では、課題の難易度が高くなかなか完登が出ない展開となった。自身のストロングポイントで完登しきる力と、苦手分野でもゾーンまでは獲得できるような対応力が求められた。 そんな中、安楽宙斗は3つの課題を一撃で完登し84点を獲得。最終課題にて、完登しなければ優勝できないという状況だったが見事最初のトライで完登し初優勝。安楽は男子最年少優勝記録(18歳2ヶ月19日)を更新した。 藤脇祐二選手 2位の藤脇祐二はすべての課題でポイントを獲得し安定したクライミングで69.1点を獲得。3位の杉本怜は、今回が最後のボルダージャパンカップと表明していた。気持ちのこもったクライミングに会場は大いに盛り上がった。杉本は2回の完登で59.9点を獲得した。 杉本怜選手 野中⽣萌コメント 野中⽣萌選手 「まず優勝できてすごい嬉しいです。大会を通して予選からいくつか修正点はありましたが、それを最終ラウンドまでに修正して臨めたのが良かったと思います。今年は引き続きやってきたことを継続していくことと、今回完登しきれなかった最終課題のように、時間内に決めきるという部分を修正していきたいと思います。また今シーズンは世界選手権もあるのでそれに向けてもしっかり調子を上げていけるようにしたいです。」 安楽宙斗コメント 安楽宙斗選手 「この8人の中で1位になることに対して、今まで決め切れない場面が多かったので優勝出来てすごく嬉しいです。シーズンオフに取り組んできたメンタル面や思考能力、一度落ちた時の落ち着きなどを色々探ってきて、それが決勝でほぼ出来ていたので何度も一撃で登り切ることができたと思います。今年はメンタル面含めてリードもスタイルを少し変えて強化していますし、全部のジャンルでクライミングが強い選手になりたいです。」 開催概要 名称:ボルダージャパンカップ 2025(BJC2025)主催:公益社団法人日本山岳・スポーツクライミング協会(JMSCA)後援:スポーツ庁/公益財団法人日本スポーツ協会/公益財団法人日本オリンピック委員会/一般財団法人上月財団主管:公益社団法人東京都山岳連盟企画・運営:BJC2025 実行委員会協賛:三井不動産株式会社/住友商事株式会社/DMG 森精機株式会社/オリエンタルバイオ株式会社/牛乳石鹼共進社株式会社/日新火災海上保険株式会社/東商アソシエート株式会社/⻄尾レントオール株式会社オフィシャルマーケティングパートナー:株式会社博報堂DY メディアパートナーズ期日:2025年2月1日(土)-2月2日(日)会場:駒沢オリンピック公園総合運動場屋内球技場(東京都世田谷区駒沢公園1-1)