「夢を絶対に諦めないこと」を伝えたい。スケートボードとアートで自分の可能性を表現し続けるメキシカンプロスケーター、オスカー・メサ

2023.07.22
Interviewed by CURRENT編集部, text by 畠山大樹

先日、国内で開催された国際大会で日本人選手たちの大活躍がまだ記憶に新しい「UPRISING TOKYO Supported by Rakuten」。堀米雄斗や中山楓奈など東京オリンピックメダリストを始めとした国内トップスケーターたちの出場はもちろんのこと、世界各国から男女ともにトッププロスケーターたちが招待されたこの大会。そんな出場招待選手の中でスケートボードの枠を超えて活躍し、一際異彩を放っているメキシコ人プロスケーターがいる。

それがプロスケーター兼ペイントアーティストオスカー・メサ(Oscar Meza)だ。日本ではそこまで聞き馴染みのないスケーターかもしれないが、現在2024年パリオリンピックメキシコ代表候補選手で世界トッププロスケーターの1人だ。またペイントアーティストとしての一面を持つ彼は、スケートボードシーンはもちろんのこと多方面で高い評価を受ける新進気鋭のアーティストでもある。

今回はCURRENT編集部として彼に独占インタビューを敢行。スケートボードを始めたきっかけから最近の活動状況について、そしてオスカーが声を大にして伝える「夢を絶対に諦めないこと」という言葉の背景にある彼が経験してきた過去に迫った。

オスカー・メサ (以下: O)

メキシコ出身のトップスケーターが感じる日本のスケートボードシーン

今回快くインタビューに答えてくれたオスカー

今回、日本に来るのは何回目ですか?

O:今回が初めてだったよ。ずっと前から日本には来たいと思っていたんだけど、怪我をしたり、スケジュールが合わなかったりでなかなか来れなかったんだ。でも今回に日本に来てみて感じたのは、日本の全てが綺麗でそれでいて日本人みんながとても礼儀正しいってことさ。初めての滞在だったけど終始とても良い時間を過ごさせてもらったよ。

日本のスケートボードシーンについてはどう思いますか?

O:日本のスケーターはみんなバケモノ級に上手くて、全体的にレベルが高いんだ。もちろん、日本のレベルの高さは前から動画等でチェックしていたから知っていたんだけど、実際にこの目で彼らの滑りを見て確信したよ。

その中でも特に印象的だった日本人スケーターは、今回の大会(UPRISING TOKYO)の決勝で「180 to スイッチ フィーブルグラインド」をメイクした佐々木音憧(ササキ・トア)だね。彼の滑りはとてもパワフルでスタイルがあるんだけど、実はパワフルに滑りながらスタイルを見せることって難しいんだ。彼はそれに加えて難しいトリックをいくつも決めていたから本当に素晴らしいスケーターだと思うよ。

スケートボードを本格的に始めるきっかけに。レジェンドスケーターたちとの出会い。

オスカーのレールトリック

スケートボードを始めたきっかけを聞かせてください。

O:実の兄がきっかけだね。僕がメキシコに生まれ育った一方で、兄はロサンゼルスに育ったこともあって先にスケートボードを始めていたんだ。僕は8歳の時にロサンゼルスへ渡ったんだけど、その時に彼から「キッドロック」や「リンプビズキット」の音楽が流行った2000年初めのロサンゼルスの暮らしを教わってその中でスケートボードのことも教えてもらったよ。

ちなみにロサンゼルスへ来るまでの幼少期はメキシコの田舎に住んでいたんだけど、当時は山の中で馬に乗ったり、パチンコで石を飛ばしたりして遊んでいたよ(笑)

ロサンゼルスのスケートボードシーンについて教えてください。

O:最初の3年間はスケートボードを遊び感覚でやっていて、その時はスケートボード業界が存在することすら知らなかったんだ。本当に現地でよくいるただのスケートボード好きな子どもだったよ。

でもロサンゼルスはスケートボードの聖地で、当時からトッププロスケーターがたくさんいたこともあって運よく彼らと友達になれる機会があったんだ。その時にチャド・ムスカ*と出会って仲良くなって、まだ15歳の近所のそこらで滑ってるような若手スケーターだった僕に、彼が「スケートボードとは何か」そして「スケートボードシーン」について教えてくれたんだ。

それから彼の仲間であるパウロ・ディアス*を紹介してくれたりと、彼らのコミュニティの中に迎え入れてくれたよ。まだ15歳だった僕には彼らの滑りや色々な活動が衝撃的だったし、今でもすごいインスパイアされているよ。

ちなみにロサンゼルスと日本のスケートボードシーンの違いはありますか?

O:今回はあまり日本のストリートシーンに触れる機会がなかったからなんとも言えないな。でもスケートボードはどこでも同じスケートボードであって、それは世界中どこへ行っても一緒だと思うんだ。だから僕にとってスケートボードをしている人はみんなファミリーって感じだよ。

そういう意味では今回リアルなスケートボードをしている日本人スケーターにたくさん出会えたし、彼らのスタイルにインスピレーションをもらったよ。


*チャド・ムスカ(Chad Muska) : 特に90年代のスケートボードシーンに絶大な影響を与えたプロスケーター兼アーティスト。彼のイケイケなスケートスタイルやファッションセンスで多くのスケーターのアイコンとなったレジェンド。アーティストとしての一面を持ちスケートボードシーンに留まらず幅広い分野で活躍している。

*パウロ・ディアス(Paulo Diaz) : 90年代のスケートボードシーンの中心人物でロサンゼルスでは最高のストリートスケーターのひとりと言われたレジェンド。ある日突然スケートボードから離れた彼はアートや音楽の道へ進んだ。スケートやその他の活動を通して自己表現を続けるアーティスト。

アメリカをルーツに持つメキシコ人として感じた人種差別と反骨精神

自身の経験した様々な葛藤を話してくれた。

アメリカで活躍するメキシコ人スケーターとして、プロキャリアの中で困難に直面したことがあれば教えてください。

O:僕がロサンゼルスでスケートボードを本格的に始めた当時は、まだスケートボード自体が白人金髪の子どもたちがベニスでやる遊びみたいなイメージもあったから、時には差別的な印象を受けたし、色々な困難に直面することもあったよ。

当時はスケートボード関連の企業も今みたいに多人種的なマーケティングが進んでいなかったし、僕みたいなヒスパニックの多いゲットーな地域出身のスケーターをあまり広告宣伝で使いたがらなかったんだ。だから当時は自分がどんなスタイルや才能を持っているのかというよりも、どんな見た目をしているかが彼らにとって大事な要素だったみたい。

でもそういう困難なことがたくさんあったからこそ、僕はもっと必死にスケートボードに取り組めるようになったんだと思う。僕を含めアメリカに住むメキシコ人が持つ印象は悪いかもしれないけど、僕のスケートボードのスキルやスタイルで認めさせて、スケーターとしてのオスカー・メサは否定させないように見返してやるという思いになったよ。

オスカーのライディング

また、その困難の経験から学んだことや感じたことがあれば教えてください。

O:大前提として、スケートボードのコミュニティは一つの家族みたいなものだから人種による差別は関係無いよ。でも競技者として企業のスポンサーや広告宣伝を受けようと思ったときに、企業のイメージやブランディングの観点から人種や国籍に関連したハンディキャップが出てくることもあるんだ。今後も色々な国からアメリカンドリームを掴みにくる若手スケーターが現れてくると思うけど、みんなこのチャレンジは乗り越えなければならないことの一つになりうると思うね。

でも個人的にはその困難があるからこそ、それでもスポンサーを獲得するためにもっとスケートボードを頑張れるという反骨精神が湧くからポジティブに捉えているよ。まあ正直もちろん同じくらいの実力の他のスケーターが僕より簡単にスポンサーを獲得したりすることには不思議に思うこともよくあったけどね。

そして特に僕の中で変な感じがするのは、自分のルーツとしてロサンゼルスはもう僕の一部になっているけど僕がアメリカ人として受け入れられることはないし、一方でずっとロサンゼルスで育ったきたこともあってメキシコに戻っても、どこかメキシコ人として認められていない気もしているということさ。アメリカ人で無ければメキシコ人でも無いように感じる自分のアイデンティティをどう捉えるかは今でも難しいよ。

スケートボードと同じように自分を表現できるのがアート制作

オスカーのアート作品

ペイント等のアーティスト活動もされているみたいですが、いつから始めましたか?

O:子どもの頃は学校でいつも紙に絵を描くような子だったけど、今みたいに大きなペイントはしたことなかったね。あと実はアートの道に進んだのもチャドの影響なんだ。昔、彼がガレージで絵を描いていたときに掃除を頼まれたりと手伝うことが多くて、そこで彼の作品を触れていくうちに興味を持ち始めたよ。

そして本格的にアートを始めたのは2014年になってからさ。当時ニューヨークで友人たちと暮らしていたんだけど、チャドもよく来るハリフ・グズマン*のアートスタジオに行く機会が結構あったんだ。そこにはハリフの友人のダニー・ミニック*も来ていたんだけど、僕はみんなが絵を描いているところをただ座って見ていたんだ。

でも徐々に僕も自分のスタイルを探してみたくなってきちゃってアートを始めることにしたんだ。始めたばかりの頃は右も左も分からずキャンバスをどこで買うかをチャドに聞くくらいだったけど、スタジオを用意したりと徐々に活動を本格化して、自分のスタイルをペイントアートの中で探求していくようになったよ。

またそのアートでの作品を作り上げる工程が、まるでスケートボードでトリックを磨き上げていく行程と同じものを強く感じるんだ。この共通点があることが、スケートボードと同じくらいパッションや愛を持って僕がアートに取り組める理由さ。


*ハリフ・グズマン(Harif Guzman) : スケートボードシーン出身の著名アーティストの一人。90年代にサンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨークのスケートボードシーンを行き来しながらアートの技術を磨きいた後にアーティストとして活動。現在はスケートカルチャーをアートに落とし込み、デザイン、ビデオ、キュレーション、出版など様々な分野で活躍する世界的に有名な現代アーティストである。

*ダニー・ミニック(Danny Minnick) : アメリカの新表現主義の画家兼プロスケーター。プロスケーターというスキルを生かし俳優として数々の映画にも出演経験を持つ彼はスケートボードをうまくキャリアへ転換させた人物として尊敬されている。またアーティストとしての彼の画風はストリートアートであるがその作品は各方面から高い評価を受けている。

具体的にアートとスケートボードの似ているところを聞かせてもらえますか?

オスカーのアート作品

O:僕が思うアートが持つスケートボードとの共通点は、取り組んでいる間はその作業だけに集中できて普段自分を取り巻く現実世界を忘れて無になれることだね。

もう一つスケートボードに似ているところはリスクを取って挑戦できること。作品の完成間近になると自分の描く1本1本が出来映えを左右するから、その感覚がスケートボードで最後の1本に挑戦する時の感じと似ているんだよ。そんなスリルに似た感覚を持てるからアートが好きなんだ。

メキシコ代表としてパリオリンピックを目指すことに秘められた背景

メキシコ代表としてパリオリンピックへの出場を目指すことは、オスカーにとってどのような意味を持っていますか?

O:僕にとってかけがえのないことだね。僕は今ロサンゼルスに住んでいるけど、祖父母や父など家族のほとんどが今もメキシコに住んでいる。そんな彼らに僕のことを誇りに思って欲しいからメキシコの国旗を背負う事にしたんだ。

実際ロサンゼルスで育ったからアメリカ代表として出るチャンスもあったかもしれないけど、アメリカ代表としてだったらオリンピックは目指さなかったと思う。だってメキシコにいる家族にテレビの前で自分が他の国旗を背負っている姿を見せたくないからね。それに今の自分があるのは幼少期に生まれ育って、多くの時間を過ごしていたメキシコの地元のストリートのおかげだから。

その決断のきっかけになった出来事があったそうですね?

O:またオリンピックを目指すきっかけとなったのは、ダニー・ウェイ*と僕の妻からのアドバイスだったんだ。2018年の1月だったと思うんだけど、ダニーの家に遊びに行ったときにまだ代表になろうと思ってもいなかった僕に、彼が「もし俺がお前の年齢で、その丈夫な膝を持ってスケートし続ける力があったら、メキシコに戻ってオリンピック代表選手になるよ。」って説得されたんだ。正直ダニーに言われちゃったら逆らえないよねって感じだったよ(笑)

あと実はダニーにアドバイスされる前の2016年から2017年の2年間は全くスケートしていなかったんだ。でもその話をきっかけにメキシコへ戻って、また本格的に滑り始めたんだけどその道のりは楽じゃなかったよ。やっぱり2年間のブランクは大きくて、周りのみんなは2014年の古いビデオの滑りを見て僕に話しかけてくるんだけど、そのレベルに戻るまでは時間がかかっちゃったね。でも今では新しいトリックにも挑戦しているし過去最高のレベルになっているよ。

正直、今も自分の身体がそのレベルについてこれていることに感謝しているし、今後も常に自分の出来るベストを尽くして、大会で勝つことよりも自分がどこまでレベルアップできるかを追求していくよ。自分ができることを突き詰めて限界を引き上げていくことが僕のミッションさ。


*ダニー・ウェイ(Danny Way):プロスケートボーダー兼ラリークロスドライバー。1989年に世界スケートボード協会が主催したプロ・ヴァート・コンテストにて当時15歳で大会最年少優勝を達成。その後 X Gamesでもハイエアーとビックエアーで計5個の金メダルを獲得している。また「DC Shoes」や「Plan B Skateboard」などスケートボード業界の大手ブランドの設立にも携わり、プレイヤーだけではなく会社経営者としてもスケートボードシーンに多大な影響を及ぼしているレジェンドスケーター。

世界中のスケーターたちと生まれ故郷であるメキシコの架け橋に

オスカーがメキシコの地元にオープンしたスケートパーク

どうしてメキシコの地元にスケートパークを作ったんですか?

O:ロサンゼルスで生活する一方で自分がメキシコで過ごした幼少時代を振り返ることがよくあったんだ。当時の地元は全く舗装路が無かったり、まだみんな馬に乗って生活しているような状況だった。そこでもしメキシコの地元に戻ってスケートパークを作れたら、家族にも会えるし、何より地元の子どもたちへスケートボードに触れられる機会を与えられて最高じゃんといつも思っていたよ。

そう思い描いてから、かれこれ15年が経つけどなんとか自分の夢を叶えることができたんだ。今年の7月にオープンしたんだけど、現地の子どもたちは待ちきれなくてオープンする前にもう滑っていたよ(笑)

オスカーがメキシコの地元にオープンしたスケートパーク

5月中旬にパークを完成させたんだけど、その時に現地の子どもにインタビューしたら「スケートボードのランプを生で見るのが人生で初めて!」って言ってすごい目を輝かせていたんだ。その姿を見て、これが僕の求めていたことでミッションの一つだなって確信したよ。

今後、メキシコのスケートボードシーンにどのように貢献しようと考えていますか?

O:最近メキシコシティは急成長していて、スケートボードシーンとしてもホットスポットになってきているよ。たくさんのトッププロたちが来ることも増えてきたからね。僕もここ5年間くらい特に力を入れていることなんだけど世界中のスケーターとメキシコの架け橋になれるように活動しているんだ。

残念ながらメキシコはまだ治安が悪いイメージが先行しがちだけど「オスカーがいるし、楽しいところだよな!」ってみんなが思えて、安心してメキシコに来てもらえるようにしたいと思っているよ。実際この前もダショーン・ジョーダンが「メキシコシティって安全?行っても大丈夫?」ってメールくれたから「全然大丈夫だから来いよ」って言ったんだ。

最終的にはメキシコに住む現地のスケーターたちが世界中のプロスケーターの技術を生で見られる環境を作ることで、彼らが世界のレベルについて行けるようにサポートしていきたいね。

今後の目標と自身の活動で伝えたいこと

今後の活動について聞かせてもらえますか?
O:アート活動の方は今後直近だと8月に展示会がテキサス州のダラスであるよ。Riskってグラフィティアーティスト含めた約15名が作品を展示するんだけど、そこに僕も参加しているんだ。

あとスケートボードの大会は今後も出場できるものがあればたくさん出ていくつもりだよ。今年はローマ、アムステルダム、ドバイ、中国と回るんだけど、あいにく年内では日本で出る大会はもうないんだ。でもアート関係で日本で行われる展示会に招待してもらえるなら喜んで参加したいと思っているよ。

自身のスケートボード活動を通じて人々に伝えたいメッセージはありますか?

O:とにかく諦めないということを伝えたいね。もしこれを読んでくれているみんなが本気でスケートボードをしたいと思っているのであれば、自分に正直になってプロになることに対しても心から自分を信じて諦めないで欲しい。

僕も子どもの頃は家族から反対されたけど、それでも自分の感覚と思いを信じて諦めなかったから今がある。だから本当に心から成し遂げたい思うことに対しては自分に忠実であってほしいし、夢は絶対諦めないで欲しい

最後に日本のファンへメッセージをお願いします。

O:またすぐ日本に戻りたいと思っているから、その時はみんなと会って一緒にスケートできることをとても楽しみにしているよ!またね!

最後に

今回のインタビューでオスカー自身がプロキャリアを歩む中で経験した葛藤、そしてその逆境をどう跳ね返してきたのかを赤裸々に語ってくれた。そんな彼の話の中で感じたのは、自分に関わってくれている人への感謝と、自分に正直になって夢を諦めず行動していくことの重要性。これらがきっとどんな環境下でも彼が自分の道を切り開いてこれた大事な要素なのだろう。我々CURRENT編集部は、今後も彼がミッションとして掲げている「自分ができることを突き詰めて限界を引き上げる」ことをスケートボードとアート活動を通して表現しながら、次世代に「夢を絶対に諦めないことの大切さ」を伝えていく姿を引き続き注目していきたい。

オスカー・メサ (Oscar Meza) プロフィール

1991年1月1日生まれ。メキシコのハリスコ・テコロトラン出身。ロサンゼルスのストリートで育ったプロスケーター。2024年パリオリンピックメキシコ代表候補選手。
オスカーはダニー・ミニック、チャド・ムスカ、ハリフ・グズマンといったスケーター兼アーティストのOBたちに影響を受けた。プロスケーターからアーティストになった彼らはオスカーがアートの世界に興味を持つきっかけとなった人物で、彼自身の芸術的な表現方法を見つけ出すことに大きく貢献した。オスカーは、今もなお進化し続ける自身の作品を「幾何学的で象徴的」と表現している。彼は国際的に高く評価されるプロスケーターのキャリアと同様に、自身のアートにも情熱と鍛錬を注ぎ尊敬される新進気鋭のアーティストとしての地位も確立している。

提供:CURRENT

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