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culture【日本画×ストリート】日本画をサンプリングする現代アーティスト 新埜康平インタビュー2025.02.15日本画×ストリートカルチャーを掲げ作家活動を行う新埜康平をご存知だろうか。2020年頃を皮切りに作家としての存在感を増していき、今では京都や銀座の蔦屋書店での個展をはじめ、彼の作品は渋谷を象徴するアートとして駅前の巨大柱巻きポスターにも採用されている。その他、大丸や伊勢丹、パルコなどのギャラリーからも引っ張りだこの新進気鋭の現代アーティストだ。現在の作風に行き着くきっかけは10代の頃に影響を受けた映画やストリートカルチャーにあったという。今回は、日本画家の新埜康平氏に日本画とストリートの魅力について話を訊いた。 ストリート好きが美大に進学するまで 新埜さんの作品を初めて拝見した時「そう来たか」と衝撃を受けました。まずはじめに、ご自身のバックグラウンドについて教えてください。 10代はスケボーとバンドをやっていました。中学生の時に地元の友達と遊びでスケボーをやっていて、板に絵を描くなど落書き程度のことはやっていました。その頃、エミネムが流行ったこともありヒップホップの音楽やストリートカルチャーとか、そっちに興味があり当時は同じ感覚の友達と遊んでいました。 高校でバンドを始めたのもありロックなどの音楽も好きでした。映画やヒップホップ、ロックなどの音楽やカルチャーが好きだったので本場への憧れがあり、18歳の時にバイトをしてお金を溜め、1ヶ月程カリフォルニアに行きました。今思うと、もうやりたくないって思うくらいあちこちを回りましたね。(笑)。 ただそこでの体験が、日本画を始めるきっかけになりました。元々海外の文化に憧れてその地に行ったのに、現地では日本文化について聞かれることが多かったんです。でも自分はよく知らないから、うまく答えられませんでした。それで自分なりに調べるようになり、現地で会った外国人にインプットとアウトプットを重ねていく中で「日本の文化もイケてるな。」ということに気付き、どんどんその魅力にハマって行きました。 カリフォルニア旅の1ショット 元々は日本文化に興味があり、それから日本画に入っていくわけですね。美大を卒業されたそうですが、最初から日本画専攻だったのでしょうか? そうですね。帰国後美大に行きたいと漠然に思いました。グラフィティとかストリートアートが好きだったことと、海外に行き日本について調べるうちに日本画の魅力を知ったことが大きな理由です。自分が美しいと思うものが日本文化に精通していたし、その中でも日本画の画材や色の使い方、考え方などにも感銘を受けました。第一志望は自然と日本画でしたね。 中高の学生時代に美術活動を一切せず、帰国後1年で美大に合格をするというエピソードには驚いたのですが、当時の心境について教えてください。 そうですよね(笑)。当時の僕の状況だと、デザインやファッション分野に行く考えもあったと思います。帰国後、美大に行きたいと思ったのも、第一志望として日本画を専攻したのも、もう日本画の魅力にハマったに尽きますね。純粋に学びたいと思いました。それから、僕は高校を中退しているので大検を取得し、受験に向けて1年ほど働きながら画塾に通いました。アルバイトを幾つか掛け持ちして、とにかく働きながら画塾に通う生活をしました。あの頃は美大に合格する為に集中していましたね。 日本画の魅力とは? 「a back garden」 銅箔を使用、銅箔は錆びると緑青になり葉を錆びで表現 そこまでハマった日本画の魅力について教えてください。 日本画って、膠(にかわ)という動物の骨や皮から抽出をする材料を使用したり、鉱石や植物から顔料を作ったりして、全ての材料が自然物からできています。命をいただいて描いているところに魅力を感じました。水で顔料を溶きながら和紙に筆を入れていくのですが、色の濃淡も自分で調合しながら作り出しますし、日本の春夏秋冬のある季節の中での色使いや、気温や湿度によって画材の取り扱い方が変わる点など、そういった繊細さにも惹かれました。風土や季節によって採れるものを使わせていただくことにも惹かれました。“自然に囲まれて描く”ということですよね。膠ひとつとっても、鹿や豚、牛など、動物によって表現時の特性が異なるので、実験をしながら色の発色具合などをみていきます。豚と牛を組み合わせたりもするので、結構表現幅が広いんです。 ブレンドした牛と豚の膠 それと、日本画は第三者に観られることを前提とした描き方をします。例えば、茶室に掛け軸があるように、その空間を彩るひとつの道具でもあります。なので、僕も作品を制作する時には常に客観視をするようにしています。雑誌でいう編集マンの感覚です。アーティストとしての主観性を持ちつつ、どこかで別の人間を立たせて「これで良いのか?」「伝わるか?」などを冷静に考えながら制作をしています。目の前のキャンバスと対峙をして描くスタイルというよりは、最初に構成したものを滔々と描いていきます。その辺りも、日本画ならではの魅力だと思います。 アトリエにある顔料の一部 日本画をサンプリングするという発想 新埜さんの作品は日本画をサンプリングしているとおっしゃっていました。それについて教えてください。 僕の作風はヒップホップが好きなこともあり“サンプリング”している感覚で制作をしています。日常を少し違う視点で描いたり、誰かの情景に寄り添う作品をストリートやイマ(現代)をモチーフに描くことが多いのですが、その発想をサンプリングしています。というか、やっていることは今も昔も一緒なんですよね。 「Hop in the whip#EL CAMINO 1」“車に飛び乗って!”のスラング 元々今を生きている人たちを投影して描いているのが日本画の原点にあるのですが、昔の日本画もかっこいいなと思うしリスペクトはあるけれど、僕はそれを描きたいわけじゃない。あくまでも自分が生きている中で、今生きている人たちやその周辺を描きたいと思っています。それで新しいものが作れるのではないかという希望を、美大生時代もずっと持ちながら学んでいました。自分がこの文化を継承していく上で歯車のひとつになれたらいいなと思っています。 文化は時代によって変容するもので、僕は僕なりに日本画のバトンを次の世代に渡す一手になれたらなという思いで続けています。なので、あえて面倒くさい工程を踏んで制作してたりします。日本画は本当にステップが多いし非効率なんですよね(笑)。古くから使われている技法を取り入れると結構時間がかかりますが、ただ、そういう想いもあり、手法に拘って作っています。 デッサンでモチーフを描いたものを線画にし下絵を作る 色合いの美しさを強調され、POPアートのような彩度が高い作品が特徴的だと感じます。影響を受けているのでしょうか? POPアートについては作品も好きですし、Andy Warholの映画もよく見ていました。そもそも僕が日本画の魅力に感じたことのひとつとして、色合いがありました。発色は本当に難しいです。濡れ色と乾き色は全く異なるので、乾燥した時に顔料の量を調整することもあり、地道な作業が多いです。その濃淡の調合具体は、それぞれの作家さんの頭の中にしかない。それは制作環境によっても毎回調整をする必要があります。絵画の中でも、合理性とは真逆をいくのが日本画だと思うのですが、非合理がゆえの紆余曲折をした線に魅力を感じています。色を重ねるほど画面が沈むのも日本画の良い風合いなのですが、僕の場合は彩度を保つように心がけています。 作家として思うこと 作品を作る上での苦労話について教えてください。 色々とありますが、“終わりがない”ことですね。ひとつの作品に例えると、その最後の一筆って自分で決めないと終わらないわけで。表現の世界は、正解もゴールも設定されているものではないので、終わりどころって結構悩ましいよねと他の作家仲間たちともよく話してます。あとは自分で画材を削ったり切ったりするので、手を切ってしまい和紙が血に染まることもあります(泣)。 日本画自体の苦労点としては、画面(和紙)とやりあう絵の描き方ではないため筆を入れる時点で、全ての構図を決めています。一度色付けをしたら、後には引き返せないし、色の修正もできません。色を重ねれば重ねるほど濁っていきます。和紙も一度描いた線は消せないので、後には引き返せない点も痺れるポイントですね。未だに多くの失敗を繰り返しながら、世に出せる作品に辿り着いています。 「Be Kind Rewind」「letter」渋谷マークシティ前横断歩道にて 代表作の「Be Kind Rewind」や「letter」シリーズについて教えてください。 Be Kind Rewindは、ビデオテープから着想を得ました。動きのあるモチーフを絵に描いたらどうなるんだろうと思い描いたシリーズです。スケートビデオや映画から、モチーフ探しをしています。このシリーズの「Be Kind Rewind」と言うのは、「巻き戻してご返却ください」と言う意味です。ビデオテープをレンタルした時にやる、アレです。コマ絵で動きを表現しています。 銀箔に文字のみを描いているシリーズ「letter」は、グラフィティのイメージをそのまま落とし込み、箔を載せることで日本画の特性を活かしています。和紙や画材、箔も100年以上残るのが証明されているので強い素材といえます。ただ、経年変化はします。それをネガティブに捉えずにその作品とともに流れる時間さえも作品として捉えていただきたいと思っています。経年変化をした作品も味があり渋さを増すと感じています。 「a day on planet」について教えてください。 今、銀座 蔦屋書店さんで展示させていただいている個展のテーマが「a day on planet」というのですが、これは、“今日のその日”みたいな意味合いがあります。僕の作品が誰かの生活に寄り添えるといいなという想いが込められています。時間の経過により変化する美しさを見付けることを大切にしていきたいと思っています。人間関係も何でも生きていく上で変化をしていくわけじゃないですか。その変化を恐れず、美しいものなんだと感じることの方が健やかだと思うんですよね。 「letter」銀座 蔦屋書店にて展示中柿渋をフレームに使ったシリーズ 文化が相反する中でも共通する魅力 日本画とストリートの文化は似ている部分があるとおっしゃっていましたが、それについて教えてください。 文化を継承するって、その時代を生きる人たちが下の世代にバトンを渡していく作業だと思うんですが、ヒップホップのサンプリング文化もその流れで自然発生的に生まれたんだろうなと思い、そういう意味で僕も日本画をサンプリングしていると思っています。 作家活動をして思うことは、僕の絵を通して様々な人と繋がることができることに喜びを感じます。それはストリートやヒップホップの文化と一緒かなと思うんですよね。音楽やダンス、アートにメッセージがあり、それらに人が集まりコミュニティができる。そこに集まる人たちは、年齢や性別など関係無く、友達みたいな感じで話をする雰囲気がありますよね。それを僕は日本画を通じて体験しているように思います。 あと面白いと思ったのが、昔、呉服屋に勤めていた人が、店の型紙を使いステンシルみたいに描く技法を独自に編み出したという話があります。それって趣味の延長みたいな感じで気軽に描いていたと思うんですよね。今でいうBANKSYのような技法なんですが、それが、のちに日本画の国宝となるんです(笑)。生活の中で気軽に生まれたものが、世界的評価を得てムーブメントを生み出す感じもストリートカルチャーに通じるものがあると感じます。 アトリエにて 最後に、読者の方にメッセージをお願いします。 日本画は100年以上経過しても白濁みたいなものがほぼ無く、額などにも入れずに残っているので、強い絵だと思います。今は、作家さんも道具屋さんもどんどん少なくなりつつありますが、僕はこの世界観が大好きなので、これからも技法に拘り地道に続けていきたいと思っています。もし、日本画のワークショップなども近くで開催していたら、気軽に参加してみて欲しいです。日本画をもっと気軽に、身近に感じてもらえると嬉しいです。 インタビューを通して感じたこと 日本画について、おそらく多くの日本人は語ることができない。文化を継承していく。その方法は現代を生きる私たちが実際に生活の中に落とし込み活用をすることから始まるように思う。眺めるものではなく、使われてこそ文化が繋がれ活きるのだ。 新埜さんの作品は、経年変化も愉しんでもらいたいという。和紙が呼吸をし変色をすることや、箔の剥がれや色合いが変わることは経年劣化ではなく、それは自然の摂理であり、時間と共に変化することも含めて味わって欲しいという。日本は自然豊かな国であり、その豊かな自然を身近に感じることができた所以に、私たちは日本人ならではの美徳を感じることができるのだなと改めて思った。「自分の絵が、誰かの日々の情景に寄り添えていたら嬉しい」表現のスタイルは違えど、それが日本画の魅力そのものであることに違いはない。 profile新埜康平(あらの こうへい)東京生まれ。東京を拠点に活動し、展覧会などを中心に参加している。カルチャーや映画の影響を受け、仮名の人物や情景、日々の生活に根差した等身大のイメージをモチーフに制作。余白やタギング(文字)の画面構成や、銀箔や墨、和紙を用いた古くから存在する日本画技法など様々な絵画的要素を取り入れ制作。第16回 世界絵画大賞展 協賛社賞/東京都美術館(2020)、第56回 神奈川県美術展 入選/神奈川県民ホール(2021)、第39回 上野の森美術館大賞展 入選/上野の森美術館(2021)、第1回 Idemitsu Art Award(旧シェル美術賞)入選 /国立新美術館(2022)、metasequoia2023 笹貫淳子賞/大阪メタセコイア(2023)、Independent Tokyo 2023 小山 登美夫 賞/産業貿易センター(2023)など。 銀座 蔦屋書店【展覧会】Kohei Arano Solo Exhibition「a day on the planet」2025年02月08日(土) - 02月28日(金)その他、最新情報は新埜康平 Instagramをご確認ください。
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dance那覇市のダンススクール「2Da Top Dance Studio」が世界大会に出場 〜小学生から社会人融合チームで世界へ挑戦!〜2025.01.302Da Top Dance Studio(沖縄県那覇市松川274-1 1階)のチーム「2da top dance studio」は、ニュージーランドで開催される世界的なダンス大会「WORLD DANCE CREW CHAMPIONSHIP」(以下「 WDCC」) へ出場することが決定した。小学生から社会人まで幅広い層のメンバーが一丸となり、 沖縄から世界の舞台へと挑戦する。 2Da Top Dance Studioは那覇市を拠点に子どもから大人までが共に学び合い成長できるダンススクールだ。そして今回の世界大会に出場するチームも、小学生、中学生、高校生、そして社会人といった多世代のメンバーで選抜されており、それぞれの年齢や経験が織りなす調和や沖縄ならではの情熱的な表現を強みとしている。 WDCCは北米、ヨーロッパ、オセアニア、アジアなど各国のトップダンサーが集い、その技術と表現を競い合う世界最高峰の大会。2Da Top Dance Studioは「Open Super Crew部門」でエントリーしており、オークランドで開催される予選を経た決勝進出に向けてチャレンジする。 しかし海外遠征には渡航費や宿泊費、大会参加費など多額な費用が必要となる一方、限られたリソースの中での活動を行っている当スクールにとってこれらの費用を捻出することは非常に大きな挑戦であるため、大会出場に際してクラウドファンディングに挑戦することを決めた。なおクラウドファンディングのページは記事最下部に掲載しているため要チェックだ。 また同時にこの挑戦に共感し支援いただけるスポンサーや寄付も募集している。 沖縄から世界への挑戦をぜひ応援していただきたい。 【大会概要】大会名: WORLD DANCE CREW CHAMPIONSHIP開催地: ニュージーランド オークランド Due Drop Event Centre 大会期間: 2025年4月13日~19日エントリー部門: Open Super Crew派遣人数: 26名 WDCC挑戦への意気込み 『「沖縄から世界へ」を掲げ、大きな挑戦ですが沖縄の情熱やパワーを全力で出し切って頑張ってまいります。皆様からの温かいご支援よろしくお願いいたします!』 2Da Top Dance Studioとは 「ダンスを通して人を育てる、心を育てる」をモットーに那覇市松川に2014年にオープン。ヒップホップを中心に県内外や海外で活躍しているインストラクター陣が個人のレベルに合わせた指導とアドバイスを通してスキルアップをサポート。 現在は4歳から40代まで幅広い年齢層のメンバーが自分の可能性を広げるために日々のレッスンに奮闘している。本スクールは地域の子どもたちや若者が自分の可能性を広げ、夢を追いかけられる場を提供するため、今後も地域に密着したダンススクールとして、地元の皆さまに愛されるスタジオとして活動していく。 これまでの活動・受賞歴 ・2014年6月にスタジオをオープンしてから、国内・海外からの講師を招いてのワークショップやLAへのダンス短期留学なども行ってきた。また県内外でのダンスコンテストでの入賞も多数。そしてインストラクターや生徒たちはTVCM出演・映画出演・MV出演・振付等様々な経験を積みながら日々努力を重ねている。・2015年 『Dance contest RISMS-1』1位・2016年 『CARNIVAL』LA。ハリウッドでのダンスショーケース出演・2017年 『Dance Contest RISMS-1』3位・2018年 『Dance Contest RISMS-1」1位、『GRANDPRIX Dance Contest』1位・2019年 『FEVER HIPHOP Battle』1位 『ROYAL CROWN Dance Contest』 1位とking of king受賞 ・2020年 『ROYAL CROWN Dance Contest』 1位・2021年 日本テレビ『THE DANCE DAY』 1000チームほどのエントリーの中からZIP!予選通過 ZIP!予選出場 ・2022年 日本テレビ『THE DANCE DAY』 1000チームほどのエントリーの中からZIP!予選通過 ZIP!予選出場・オープニングアクトを 務める・2023年 日本テレビ『THE DANCE DAY』 1000チームほどのエントリーの中からZIP!予選通過 ZIP!予選出場・2025年 avax youth『GRAB A DREAM Dance Contest FINAL』全国大会OPEN部門 2位 他省略 その他・2019年 東方神起/HOTHOT MV出演・2020年 Rhyan Lammarʼs/RELIFE MV出演(LAにて) ・2023年 OrangeRange/解放カーニバルMV出演 他省略 県内外でのワークショップ実績・2017年 Mary WS in 大阪・2019年 Mary WS in Philippines・2023年 NAGASAKIスリーWS in 東京・Mary WS in Philippines・2024年 NAGASAKIスリーWS in 大分・Mary WS in TAIWAN ・Mary WS in Philippines 他省略
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skate新たなスケートコンテスト「PROFESSIONAL SKATEBOARD LEAGUE」が2025年1月25日にエキシビジョンマッチとして開幕!大会の模様は2月1日にYouTubeに公開予定!2025.01.272025年1月9日、突然発表された「PROFESSIONAL SKATEBOARD LEAGUE」の発足。マイクモー・カパルディとショーン・マルトという長年世界のトップスケーターとして活躍したレジェンド二人によって設立されるという。そして現地時間2025年1月25日(土)にPROFESSIONAL SKATEBOARD LEAGUEが実施され、ナイジャ・ヒューストンやクリス・ジョスリン、マイルス・シルブスら世界のトップライダーの他にポール・ロドリゲスなどのレジェンドが参戦した模様。ただまだ大会の様子は公開されていないため全貌は明らかになっておらず、どんなコンテストになっているのかは気になるところ。これまで公式に発表されている内容としては、「ジャッジはいない」、「チーム戦」、オフィシャルホームページに少しネタバレしてる(これ通りなのかは不明だが)ところから推測するに「オフェンス」と「ディフェンス」がありそこには「6-9」と得点らしき数字も見て取れる。今回はCURRENT編集部が「PROFESSIONAL SKATEBOARD LEAGUE」(以下PSL)のボスであるマイクモー・カパルディ氏とやりとりをして送っていただいたロゴと大会の内容をトークしている配信から大会フォーマットなどをまとめてみた。 マイクモー・カパルディとショーン・マルトの会話から推測するPSL大会フォーマット A. 得点を判断するためのジャッジはいないが、トリックが成立したかなどを決めるジャッジは設置B. 2人1チーム(リザーバーにもう1人入る可能性有り)C. Game of S.K.A.T.EのようなフォーマットD. 「オフェンス」「ディフェンス」の概念E. コイントスで先攻後攻を決めるF. ポイント制G. 「オフェンス」のライダー1人がトリックを決めると「ディフェンス」チームの2人がそのトリックに 挑戦し成功すれば「オフェンス」チームのポイントを阻止、2人とも失敗すれば「オフェンス」チームが 1ポイント獲得H. 「オフェンス」は3回失敗すれば攻守交代I. GとHを5ラウンド繰り返し、ポイントを多く獲得したチームの勝利J. 基本的には「ディフェンス」チームは1人が失敗すれば2人目のライダーが挑戦しなければならないが 「リベート」というルールがあり、使用すれば1人目の失敗者がもう一度トライできる。 ただしこのルールは1ゲームにつき2回までしか行使できない。(リベートを使用しても「ディフェンス」 チームは2回しかトライできない)K. つま先やカカトは1点が地面などにつくのはトリックの成功とみなす、ただし2点以上が地面などについた場は失敗となる。 今回は「エキシビジョンだから」と彼らも再三言っているので変更などはあるかもしれないが以上のことが伺えた。トークの最後はマイクモー、ショーンがそれぞれ優勝予想などをしている。 これまである既存のコンテストとは全く異なるフォーマットだということは理解できたので非常に楽しみだ。 2025年2月1日(土)にこのエキシビジョンの様子をPSLのYouTubeチャンネルにて公開予定なので是非チェックしてみてほしい。
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surfプロサーファー・金尾玲生の公式YouTubeチャンネル「REO’s LIFE」にGENERATIONS from EXILE TRIBEの数原龍友が登場!2025.01.23プロサーファーで実業家の金尾玲生(かなおれお)が1月19日(日)に公式YouTubeチャンネルを更新。「【数原龍友再登場!!】親愛なる友へ愛を込めて×××を、、、」というタイトルで配信された本動画では、金尾玲生とプライベートでも交流のあるGENERATIONS from EXILE TRIBEのボーカル数原龍友が登場。サーフィンのほかにも2人の仲の良さが垣間見えるシーンもあり、見応えのある動画となっている。 数原龍友へサプライズ! 本動画は、「STANDARD STORE」の店内からスタート。数原の誕生日が近いこともあり、金尾と店舗が協力し、彼にサプライズプレゼントを用意。数原へプレゼントするにあたって、作られたサーフボードへのこだわりが語られている。 また動画内では、誕生日を迎えた数原が「12月なのに、めでたくないと思ってしまう」「年を取るのがどんどん苦しくなってきましたね」と、2人の同級生ならではのやり取りも見ることができる。 2人のリアルなサーフシーン! 動画後半には、さっそくプレゼントを使ってサーフィンをするため千葉へ移動。2人の貴重なサーフシーンを観ることができる。 また本動画のほかにも数原龍友のYouTubeチャンネル、STANDERD STORE公式YouTubeチャンネルでも動画を配信。2人のYouTubeならではの会話は動画内で楽しむことができる。 金尾玲生プロフィール 金尾玲生(かなお れお)1992 年6 月24 日生まれ神奈川県茅ケ崎市出身 父親の影響で幼少期からサーフィンに親しみ、10 歳から本格的にサーフィンを始める。東日本選手権、全日本選手権、世界選手権などに出場し、2010 年にはジュニアクラスで全日本を制する。高校卒業後、オーストラリアへサーフィン修行に行き、JPSA プロ公認資格を取得。サーフィンとスケートボードの総合でチャンピオンを決める「THE SURFSKATERS」を4 度制覇し、2017 年より代表を務める。サーフスケーター以外にも、サーフボードペイントや自身のアパレルブランド『SOLID』のプロデュース、モデルなどマルチに活躍している。
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[PR] otherseスポーツから本物のモータースポーツへ 19歳ルーク・ベネットの挑戦2025.01.10ルーク・ベネットは、2024年に初開催されたEsports World Cupのシムレーシング部門で優勝を果たし、一躍注目を集めました。 この若き19歳のプレイヤーは、シミュレーション技術と卓越した集中力を武器に世界の頂点に立ちましたが、その目は既に次なる挑戦に向けられています。 eスポーツでの経験を活かし本物のモータースポーツの世界で成功を掴むという夢に向かうという、オンラインでの勝利を土台にした新たな物語を紡ごうとしています。 ルーク・ベネットの軌跡 KHARKOV, UKRAINE - NOVEMBER 12, 2020: Video game controller Gamesir g3s on table with Gran Turismo 7 game on big display ルーク・ベネットのシムレーシングの旅は、純粋な興味から始まりました。彼が最初に使用したのは100ポンドのステアリングホイール。卓越した反射神経と緻密な判断力で周囲を驚かせました。 両親の支援で本格的なシミュレーターを購入すると彼の技術は飛躍的に向上し、競技の舞台へと進むきっかけを掴みます。 その後、eスポーツ界で知られる「チーム・レッドライン」に加入。レッドブルF1チームとも関連が深いこのチームは、才能あるドライバーが集まる名門です。 過酷なトレーニングを経て彼は実力を証明し、2024年のEsports World Cupでシムレーシング部門の王者を獲得。ルークの背後には日々の努力と確かな支援があり、その成功は偶然ではないことを物語っています。 シムレーシングの可能性 KATOWICE, POLAND - JANUARY 19: Unidentified players (audience) at Intel Extreme Masters 2013 - Electronic Sports World Cup on January 19, 2013 in Katowice, Silesia, Poland. シムレーシングはeスポーツの一分野として急速に成長している競技であり、実際のモータースポーツと多くの共通点を持ちます。 高度なシミュレーターで路面の状態や車両の挙動をリアルに再現し、ドライバーに正確な判断力と瞬時の反応を要求します。シムレーシングは単なるゲームを超えた競技としての地位を確立しています。 ルークもこの分野で成功を収めた一人。彼は「シムレーシングは実際のレースと同じ感覚」と語り、その価値を強調します。近年では、ヤン・マーデンボローのようにシムレーシングを経てプロのレースドライバーになる例も実際にあり、ルーク自身もその可能性を探っています。 サウジアラビア大会の背景 2024年にサウジアラビアで開催されたEsports World Cupは、多くの注目を集めた一方で、その開催地選定について議論を呼びました。 同国は人権問題で批判を受けており、「スポーツウォッシング」としての意図を指摘する声も多くありました。それでも大会は成功を収め、世界中から選手やファンが集まりました。23の種目で競技が行われ、賞金総額は数百万ポンドにも達しました。 ルークにとっても、この大会は特別なもの。彼は「サウジアラビアは素晴らしい環境だった」と振り返り、大会がもたらした経験を高く評価しています。 現実世界への挑戦 ルーク・ベネットの次なる挑戦は、eスポーツの成功を活かし、実際のモータースポーツの世界で活躍すること。近年、シムレーシングをステップにプロのレースドライバーとなる例があります。 映画「グランツーリスモ」でも描かれたヤン・マーデンボローの物語はその象徴的な例で、ルークもその道を目指しています。さらに、2025年に開催予定のオリンピックeスポーツ大会にも意欲を示しています。若干19歳という年齢にもかかわらず彼の視野は広く、次なる挑戦への準備は万全。この挑戦が実現することで、eスポーツからモータースポーツへの新たな道が切り開かれることになるでしょう。 まとめ Silhouette of race car driver celebrating the win in a race against bright stadium lights. 100 FPS slow motion shot ルーク・ベネットは、eスポーツ界での成功を土台に新たな未来を切り開こうとしています。シムレーシングで培ったスキルと経験を活かし、現実のモータースポーツの世界で成功を目指す彼の挑戦は、eスポーツとモータースポーツの交差点を象徴するものといえるでしょう。 また、サウジアラビアでの大会やオリンピックeスポーツ大会の開催は、eスポーツが国際的な舞台で評価される時代を迎えていることを示しています。 ルークのような若き才能が新たな可能性を切り開くことでこれらの競技はさらに進化し、より多くの人々に感動を与えるでしょう。 彼の挑戦はまだ始まったばかりであり、その未来から目を離せません。
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danceShigekixが4度目の優勝で王座奪還!AYANEは5年ぶりの日本一に輝く「第6回 全日本ブレイキン選手権」2025.02.16オリンピック経験者と新世代が日本一の称号をかけて激突 2月15日(土)・16日(日)の2日間、東京のNHKホールにて「第6回全日本ブレイキン選手権 (主催:公益社団法人日本ダンススポーツ連盟)」が開催された。本⼤会は、前年度の全⽇本ブレイキン選⼿権の優勝・準優勝選⼿や、2024 年に日本ダンススポーツ連盟から国際競技大会に派遣された選手、 2024 年度ブロック選手権 各ブロック大会にて TOP8 となった選手らが一堂に会し、2024 年度の頂点を決定する大会である。中学3年生以下の選手を対象としたジュニアカテゴリーが15日の土曜日、高校1年生以上の選手を対象としたオープンカテゴリーが日曜日に行われた。オープン部門にはシードで、昨年のパリオリンピック日本代表であるHIRO10、Shigekixが出場。実績のあるBBOY・BGIRLにRa1onやNanohaなどの新世代が挑む注目の大会となった。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 2026年ダカールで行われる夏季ユースオリンピック世代 ジュニアカテゴリーではLil kongが初優勝、Mireiは2連覇を達成 15日に行われたジュニアカテゴリーは、前年度全日本の優勝準優勝であるBBOY yu_shinとWATO、BGIRL MireiとHaruがシードで参戦。日本のジュニアシーンは世界的に見てもレベルが高く、シードで出場するWATOは若くして海外で活躍するダンサーの一人だ。その中、強豪を撃破し昨年は3位だったLil kongが見事リベンジを果たし優勝を掴み取った。BGIRL部門はMireiが連覇を達成し、2位がKoharu、3位がHaruとTOP3が昨年と同じ顔ぶれとなった。Mireiは「連覇の実感がまだないですが、とても嬉しいです。来年のユースオリンピックに日本代表として出場したいです。」と、2026年にダカールで開催される夏季ユースオリンピックへ向けての意気込みを話した。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 昨年のリベンジを果たしたShigekixが王座奪還、BGIRLはAYANEが優勝 BBOYは、パリオリンピック日本代表のHIRO10がTOP8で16歳のRA1ONに敗れるなど、本当にレベルの高い戦いが繰り広げられた。ただ、その中でも昨年の王者のISSINと、昨年は2位に終わったが3連覇の経験を持つShigekixの存在感は別格だった。セミファイナルをそれぞれ大差で勝利し決勝進出。この二人の決勝カードは昨年と全く一緒で、前回は当時絶対王者と言われていたShigekixをISSINが破り新王者となった。前回同様に3ラウンド全て接戦となり、最後は2-1でShigekixが勝利し、全日本選手権4度目の優勝を果たした。本日実施されたオープンカテゴリー、BGIRLは初代王者のAMI、昨年まで3連覇を果たしているAYUMIが優勝者が出場しなかったこともあり、新たなメンツで日本の女王を目指す戦いとなった。決勝では、共にRoad to Paris(2024年のパリオリンピックに向けた予選)を戦い、支え合ったAYANEとRIKOが対決。大阪出身のAYANEと沖縄出身のRIKO、それぞれの地域をレペゼンした戦いはAYANEに軍配が上がり、見事優勝を果たした。AYANEは実の弟であるShigekixと揃っての優勝を手にすることとなった。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 オープン女子 優勝 AYANE コメント Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 ― 大会を終えた率直な感想を教えてください二日間通して反省点はありつつ、楽しかったです。決勝では3ラウンドなので体力的にきつかったのですが、良いムーブを出し切ることができました。特にフリーズまで決め切れたのが良かったと思います。最後まで押し切れたことに満足しています。 ― 弟のShigekixと揃っての優勝はどう感じましたか?結果的にそうなったのは嬉しいですし、弟がずっと一位でやっと横に並べたのが特に嬉しかったです。 ― 今大会で感じたことを教えてください この5年間で(第一回大会があった5年前から)本当に多くのことが変わりました。世代も変わったし、たくさんの刺激をもらいました。この経験を通じて、自分と向き合うことの大切さを学ぶことが出来てよかったです。 ― 今後の目標や展望を教えてください 2025年の最初の大会を良い形で終えられたので、これをいいスタートとして走っていきたいと思います。ブレイキンを通じて、挑戦し続ける姿で多くの人に勇気と元気を与えたいです。違いをリスペクトできるこの文化を伝え、世の中に良いパワーを与えられたらと思っています。 オープン男子 優勝 Shigekix コメント Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 ― 大会を終えた率直な感想を教えてください 楽しかったです。パリオリンピック後に焦点を合わせて挑めた大会でした。今回はしっかりと自分でも自信を持ってぶつけられた大会だったと感じています。 ― 昨年と同じ決勝カードだったことについてどう感じましたか? 昨年は負けて本当に悔しかったですし、昨日のことのように覚えています。去年は不完全燃焼だったので、今回は再戦で去年の自分を超えられるのか?という気持ちで挑みました。強い気持ちで臨むことができました。 ― 姉のAYANEと揃っての優勝はどう感じましたか? 感慨深いです。これまで毎回どちらかが悔しい思いをしていたので、今回初めて2人で笑顔で帰れるのが本当に良かったです。 ― 今後の目標や展望を教えてください とにかくブレイキンを盛り上げることです。カルチャーで発展してきたブレイキンですが、オリンピックというスポーツ文脈での追い風もあり、大きな発展を遂げたと思います。ここからが僕たちの腕の見せ所だと思うので、カルチャーで培ってきたものとスポーツで得た知識を活かして、ブレイキンをさらに盛り上げていきたいです。 大会結果 オープンBBOY 優勝:Shigekix2位:ISSIN3位:Tsukki オープンBGIRL 優勝:AYANE2位:RIKO3位:Nanoha ジュニアBBOY 優勝:Lil kong2位:Renren3位:WATO ジュニアBGIRL 優勝:Mirei2位:koharu3位:Haru 大会概要 大会名:JDSF 第 6 回 全日本ブレイキン選手権主催:公益社団法人日本ダンススポーツ連盟(JDSF)主菅:公益社団法人日本ダンススポーツ連盟 ブレイクダンス本部共催:NHKオフィシャルパートナー:株式会社ベイエフエム / 株式会社コーセー / 東急不動産ホールディングス株式会社 / カシオ計算機株式会社 /株式会社みずほフィナンシャルグループ / ビザ・ワールドワイド・ジャパン株式会社オフィシャルウェアパートナー:株式会社 NIKE JAPANパートナー:味の素株式会社 / 西川株式会社オフィシャルサプライヤー:カラダファクトリー / RIMOWAPR パートナー:PR TIMES / FINEPLAYジャッジ:ERi FeNeSiS / KAZUHIRO / KOUSKE / Shie-Chan/ KAZUKI ROCK / RYOMA / YURIE / RYUJI / JACK / Steez / KATSUYA日程:2 月 15 日(土)・2 月 16 日(日)会場:NHK ホール
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doubledutch「笑顔で戦おう」2024年の“主人公” REG☆STYLE・KAIが振り返る、激闘の夏。2025.02.162024年7月、神奈川県川崎市にて開催された『アジアジャンプロープ選手権』そして『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』。今回、そのジャンプロープの異なるジャンルの2大会のステージに日本代表選手として立った REG☆STYLE・KAI を独占取材。 なぜ苦しみながらもKAIは“両方に出る”ことを選択したのか。破竹の勢いを見せ、“ダブルダッチシーンの主人公だった”と多くの人々に言わしめた彼が、その栄光の裏にあった試練の道のりと、そこで見た景色についてを赤裸々に語ってくれたロングインタビューを、ぜひご覧いただきたい。 ■KAI所属:REG☆STYLE / CAPLIORE / HEARTS / FOR日本から世界のシーンを牽引するプロチーム『REG☆STYLE』のメンバーとして、2017〜2019年には世界3連覇。メディアへも多数出演するほか、近年は神奈川県川崎市のダブルダッチスクール『JUMPS KAWASAKI』において次世代育成も担う。2024年夏、アジアジャンプロープ選手権には『FOR』として、DOUBLE DUTCH CONTESTには『HEARTS』として異なるチームに所属し大会へ出場。どちらもアジア一・世界一のタイトルを獲得し、選手という立場からシーン内外に多大なる影響を与えた。 2024年夏、4度目の世界一の瞬間 (本人提供) 【参考】今回2つのチームを兼任したKAIが、それぞれ挑んだ国内予選・決勝大会までの道のり ※編集部作成 #1 挑戦のはじまり “両立”を決意した瞬間 ジャンプロープ、そしてストリートカルチャーの聖地である神奈川県川崎市で、2024年にジャンプロープの『アジアジャンプロープ選手権』が、2025年には世界選手権が開催されることが決定。日本初開催となる大規模なスポーツ種目のコンペティションに加え、フュージョン種目の世界大会である『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』も同時開催が決定した。それは世界のシーンや行政から、日本が“ジャンプロープ大国”としての認知が形となった瞬間。そこにシーンを牽引する日本初のダブルダッチチームであるREG☆STYLEのKAIも、思いを馳せていた。 ・・・ KAIこのまたとない機会に、いちダブルダッチプレイヤーとして何をすべきか?ということをすごく考えました。「ダブルダッチ」というものを見てもらい、それが市や企業の方々をはじめ“世の中”を繋ぐパイプにもなれるし、学生たちにとっては興味の薄いジャンルにも関心を持ってもらえる機会にもなる。子供たちの夢にもなるかもしれない。裏方や指導側に回ろうかなどと色んな選択を考えましたが、結局今の自分にできることはいち選手として出ることだな、そして2つともいこう、ってなりました。 この日、アジア選手権で着用した『FOR』の日本代表ウェアで姿を現したPhoto by YAMADAI ──そうなんですね。それはどちらもチームメイトを見つける前に。 そうだね。どちらも全員は決まっていなかったかなと。日本だと僕らが元々やっていたフュージョン(音楽と動きを合わせるパフォーマンス)形式と、純粋に回数や技の難易度を競い合う形式のスポーツジャンルのダブルダッチは、その壁をあまりまたがないというか。同じジャンプロープ、同じダブルダッチなのに別物かというくらい、カルチャー的にも壁がある。 『FOR』では、スポーツジャンルのダブルダッチも更に浸透させて“文化”にしたいと考えて、自分と近い年齢層で固まるのではなく、年齢・性別をバラバラにして、色んな世代や層に刺さるチームでありたいという思いがあったんです。だからメンバーへの声の掛け方は特殊かもしれない。 一方の『HEARTS』は、最終的に2022年に『アメリカズ・ゴット・タレント』に出場したメンバーが軸になりましたね。AGTが終わって、このメンバーでまた何か出たいよね、じゃあやっぱり大会じゃないですかーと。あと互いに信頼を置けていたのでやりやすかったですし。 2022年、アメリカズ・ゴット・タレントにて (本人提供)中央のKAIを含む4人が『HEARTS』としてチームを再結成する ただ仕事の関係でAGTメンバー全員は揃わず、最終的に残った4人に誰を加えたらヤバいショーを作れるかなって考えたとき、クボユウトとKO-SEIを加えるという結論に至ったんです。特にKO-SEIは大学4年生(声をかけた当時は3年生)で、彼が次のシーンを引っ張っていく存在になってほしいなという思いもあって。 ──そうなんですね。『FOR』でも似たような話題が挙がってましたけど、KAIさんの根底にその思いはありそうですね。業界のためにとか、次世代をとか。 そうだね(笑)。まあでも若い頃は自分がそうしてもらっていた側だったから。繋いでいって何倍にもしていく作業というのは、心の中で常に考えていることなのかもしれない。 ──ちなみに、どちらもREG☆STYLEとして大会には出ていないと思うのですが、そこには何か理由があるんでしょうか。 今REG☆STYLEって、真ん中に“☆”が入ってるじゃん。この5つの角はメンバー5人を表しているんです。角度を変えて誰を真ん中にしてもチームが成立するのがREGで、1人1人がそれぞれの方向性を模索し育てて大きくしてくのがREG。僕らは世界大会の3連覇を経て、メンバーは今それぞれ指導者だったりプレイヤーだったり、メディア露出だったり裏方だったり、このダブルダッチというものを本気で広げていくために各々が考えて、別の大会や、全く別の軸のことでも選手並みに活動している。で、その“各々”を強くするからREGとして結集したときもパワーアップするという考えのもと、自分の中では大会に出場して、自分の方向性にある先のものを大きくしていこう、というのがミッションだったと結論付けました。 2019年8月の世界大会『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』にて、REG☆STYLEが世界3連覇を果たした瞬間 直球で戦いたかった そうして『DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN』に向けHEARTSが、『ALL JAPAN』に向けFORが始動する。それぞれのチームは、2024年3月に控える国内予選大会に向け練習に励んでいった。 結成当初の『HEARTS』 (本人提供)後列左から Elina Mizuno / TAISUKE / TATSUYAクボユウト / KAI / KO-SEI ・・・ KAI『HEARTS』のメンバー自体は2023年12月には固まって、正直そっちは国内予選までは特別難しいことはなかった。5人とも素晴らしいチームメンバーだから。驚いたのは、最初の曲候補が挙がってきたから自分が軽く曲編集をしてグループLINEに送ったら、全員から「じゃあこれは?」と再編集された音源が送られてきて(笑)。1投げたら10返ってくるような、メンバーからの熱意を強く感じたんです。びっくりしました。 ──KAIさんのみならず、メンバー全員が強い思いで臨んでいたと。 そうそう。自分がコンテスト出場を決めたときの思いに立ち返ったとき、HEARTSは「圧倒的に勝つ」こと、そしてキラキラしているスターチームになっていてほしかった。先輩も中堅も若手も頑張っている、それが色んな人に刺さっていてほしい。だから、中途半端なものを出すことは許されないなという意識はありましたし、奇をてらい過ぎることより、直球で、ストレートで戦いたかったという感じ。 あと、あくまで自分は─という話ですが、HEARTSは世界大会優勝を見据えていたから日本予選は少し引き算で臨んだと思っています。むしろリラックスして臨めていたんじゃないかな。メンバーによって色々捉え方の違いはあったかもしれないけど。 2024年3月、国内予選『DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN』でのHEARTS ──そうなんですね。KAIさんは“緊張しない”という話をよく聞きますが、そういう部分が如実に露わになったエピソードですね(笑)。でも普通チャレンジする側って必死だし、まずは“目の前の勝負を勝とう!”って思うじゃないですか。そこを世界大会まで見据えて臨めていたというのは、やっぱりビジョンがあったから。 そうだね。それもあるし、あとこの活動って「自分が勝ちたい」という思いより、シーンにいる仲間や後輩たち・川崎の方々・世の中とか、色んなものに対して影響を与えたいというのが原点だったから。そこが原動力でしたね。 ──国内予選に立ち向かって、HEARTSは3位で世界大会への切符を掴むことになります。その時の心境はいかがでしたか。 予想通りっていう感じでしたね。正直なところ、1位通過したい!とはそこまで思っていなくて(笑)。3位くらいで通過できた方が気楽に臨めるかなとすら思っていたから、よしよし、まずは1つクリア、みたいな感じでした。 フュージョンとスポーツは「全っ然違う!」 『FOR』左からunno / MIREI / KAI / ERI / MAHORO (本人提供) ──少し時間軸を遡ります。HEARTSと並行して、FORとしての日々もあったと思うのですが、そちらはいかがでしたか。 KAIさっき「同じダブルダッチなのに…」とは言ったけど、本当に全っ然違う(笑)。フュージョン種目は簡単そうなことでも難しく見せたり、あるいは別の角度から新鮮な見せ方をすることが評価につながるけど、今回はまず技の難易度が高くないとお話にならない。だから普段のパフォーマンスでは良いとされていることが、こっちだと全く評価されないこともあるのさ。「同じダブルダッチ」ではあるんだけど、例えるなら同じ球技なのに野球とサッカーくらい違う。「俺ってこんな下手くそなんだ」ってことをもう一度思い知らされたんだよね。 ──分かりやすい(笑)。でも確かに、スポーツジャンルの方はレギュレーションが本当に細かく設定されていて、ルールブックの文量も膨大ですよね。一方“曖昧性”を許容するフュージョンはそれに比べると、はるかにその文量は少ない気がします。 右も左も分からないし、よく経験者のERIや、FORをコーチングしてくれたDAIKIに「そこ違います」って否定されて、自分はそう思わないんだけどな…とたまに反抗してみるものの、やればやるほど彼らの言ってることが正しいんですよ(笑)。そっか、凄いなって思いながら、一つ一つ未知を潰していった感じですね。楽しかったけどね。 KAIの左にいる『マイケル』DAIKIは業界屈指のトッププレイヤー。スポーツジャンルに精通し、FORを“コーチ的存在”として支えた (本人提供) あとALL JAPANでは、ダブルダッチは4種目やらないといけないんですよ。フリースタイルシングル / ペア、スピード / スピードリレーと4種目やらないといけなくて、しかも自分とERIはその4つ全てに出る選手。その全ての技術を日本代表レベルにまで持っていく必要があったから、とても苦労しました。身体も心もボロボロになって。 ──そうですよね。HEARTSの時とは対照的に、上手くビジョンを描けなかったと。 そうだね。通ったことのなかった道だったから。“模索”って言葉が一番しっくりくるかな。でも、とはいえ自分に全くダブルダッチの経験がないわけではなかったから、ゴールから逆算するように点を打っていたのが『HEARTS』だったとしたら、『FOR』では今見えている少し先に向けて点を打つように向き合っている感覚だった。 練習風景。左側のジャンパーがKAI (本人提供) ──なるほど。じゃあもうフュージョンの臨み方と、スポーツのそれとは全く異なるし、慣れているか否かということも大きく影響していたのですね。そして大会当日を迎えたわけですが、振り返っていかがでしたか。 予選当日はフリースタイルが特にボコボコで(笑)、かなりミスがあったけどギリギリ持ち堪えて2位通過。あと、全ての種目に出場したチームが「総合」というカテゴリで入賞することがあるんだけど、そこで僕らはなんとか総合2位通過。この予選の日、僕らはやっと勝負の土俵に立つことができたんだなと思いました。“アスリート”としての自分がやっと確立されたし、上には上がいることも改めて痛感しました。 2024年3月、国内予選『ALL JAPAN TEAM』でのFOR ・・・ こうして『HEARTS』そして『FOR』で、どちらも決勝大会への進出を決めたKAI。慣れないスポーツジャンルのダブルダッチと格闘しながら、一方で自分の“主戦場”としていたフュージョンジャンルのダブルダッチでも世界一を目指し、戦いは続いていく。着々と壁を越え、その走り出しは順風満帆にも見えたが、ここからが正念場だったことを当時の彼らは知る由もなかった。 #2 決勝大会に向けて 6人の“心” KAI『HEARTS』では難なくショーも完成して、ここから決勝トーナメントのチームバトル* の準備に取り掛かろうと練習をしていたんだけど… *編集部注:DOUBLE DUTCH CONTEST WORLDではショーケース披露後、その得点の上位4チームが、DJの流す音楽に即興で合わせ相手チームと1対1で戦う「チームバトル」に進出。バトルトーナメント優勝チームが“世界一”となる KAIその途中である日、5月ごろだったかな─ Elinaが負傷してしまった。最初は捻挫くらいだと思っていたんだけど、病院で診断されたら骨折していた。まあ一言で言うなら大怪我。 残りのメンバーはElinaの復活を信じて練習を重ねていた。でも、Elinaは正直出場できるかどうか分からない状態で練習をすること自体が迷惑になってしまうと感じて、「私以外の5人で出てほしい」と。そういう思いを各々が抱えていたんだけど、ある時にそれをぶつける、本気の話し合いがあったんですよ。 でもそこで最終的に、改めて一人一人が「Elinaが出ないなら出ない」という選択をしたんです。それは変にElinaにプレッシャーを与えたいという意図ではなくて、Elinaを含め6人で『HEARTS』だから、それが今年難しいなら、6人揃ったときにまた改めて出ようよ!って。ユートとかカッコよかった。「1週間前とか3日前まで待ちます」って。「それでダメだったらダメで良いっすよ、だから大船に乗ったつもりで、なんでも無理そうなことでも言ってください」って。素晴らしいなこのチームは、って思った。 車いすの状態でも、Elinaは練習に姿を現した (本人提供) あと、これは過ぎたことだから好きに言えてしまうかもしれないけど…。最初に病院で診断を受けたあと、Elinaから連絡をもらってすぐに電話したとき、声を聴いて「こいつは絶対に帰ってくる」って確信があったんです。その電話の時に、もう完全にHEARTSは勝ったわって確信が。 ──凄まじいエピソードでした。きっとKAIさんの意図されてることとは違うのかもしれませんが… ただただ、信じる力って凄まじいなと感じました。 Elinaからも並々ならぬ思いとパワーを感じたけど、それ以外のメンバーからも強い思いを感じた瞬間でした。そこからはもう、駆け上がるだけ。怪我というすごくマイナスなことはあったけど、それを機にHEARTSはより団結して、よりパワーが生まれた。本当、随所に“人間力”を見ましたね。人間力の塊(笑)。 例えば練習が13時スタートだったとして、自分がFORの練習で先にスタジオに行ったら、11時とかにはみんなも揃い始めて時間になるまで自主練していて。あとElinaも、自分が跳べない時の練習にもいるんです。ストレッチしながら自分はどう立ち回るのかを考えながら練習に参加している。俺らもプロパフォーマーとして活動しているけど、彼女からはまた別の“プロフェッショナル”を教えてもらったような感じだった。 ──名は体を表すとは言ったもので、まさしく“HEARTS”というチーム名の通り、各々の気持ちがぐっと固まって、試練を乗り越えていこうとしていたんですね。 あとはそこから、俺の奥さんであるMaykaが衣装を徹夜で作ってくれたり、ゴット・タレントへ一緒に出場したメンバーで、残念ながら今回は出場できなかったDAICHIさんに練習に来てもらったり、あとは同期で今も最前線で切磋琢磨してるt.taishiとか、REG☆STYLEのKO-YAやKEITAが来てくれたり。周囲の色々な人たちに助けられて直前期に突入していきました。 妻・Maykaと (本人提供) 生まれた“ポジティブ休暇” KAIでも、FORも同じ。相変わらずそっちも大変で、みんなで団結してやっていくことには変わりなかったね。3月の国内予選でやっと右左くらいは分かるようになってきた感覚があって、自分がどこへ向かい、何を目指すべきなのかがハッキリしてきたから、それを元に練習を進めていきました。ただ、何より大事なのはフィジカルとメンタル。 ──そうですよね、本当に。 練習はもちろん、それ以外の時間にめっちゃくちゃ走り込んだりシャドー(ロープ無しで駆け足跳びの練習)をやったりしていた。そして模索する日々を送りつつも、6月のイベントでゲストとしてフリースタイルを披露させてもらった機会があって、そこでやっと手応えを掴めた感じがしました。 ──FORとしても“峠”を越えて、やっとの思いで向かっていこうとしていると。 いや、でもやっぱり色々あった。unnoとMAHOROは『ブリテンズ・ゴット・タレント』があったでしょ。MIREIも別のチームで学生大会が控えていた。で、ERIはさっきも言ったけど会社員で、そうやって各々がハードな生活を送るなか、わずかな時間も惜しんで練習時間を作って進めていた。なんだけど… ERIがアジア選手権の1週間前くらいに救急搬送されちゃって。確かにその日の練習、顔面蒼白だったんだよね。気をつけて帰りなよーなんて言ったら夜に点滴の写真が送られてきて(笑)。 ──ええっ。 でも、それでまたFORの一人ひとりと電話して「このERIの件をどうポジティブに考えるかが大事だよね」って話をしたんです。元々みんなタイトなスケジュールだったから、これはじゃあ“ポジティブ休暇”ってことにしよう!と。 みんなで「ERIのおかげでちょっと休めるわ!」って考え方にしてしまって、練習から戻ってきた時にはもちろんERIの体調に気遣いながら、時折それをいじったりもして(笑)。逆にすごい明るい方向に持っていくことができたのが結果として良かったなと思ったんです。 Photo by YAMADAI ──なるほど。今お話を伺っていて、KAIさん流のチームメイクとして、“ポジティブに捉えよう”というところが大きいなと思いました。 そうだね。Elinaの件もERIの件も、変な意味じゃなくむしろ「こういうことがあって良かった」って思えて臨めたのは大きかった。やっぱり気持ちを上げていかないと意味がないし、どんな出来事も衝突も、チームとして一丸となって戦うなら、結果それが右肩上がりになっていかないと意味がないと思っている。常にポジティブに捉えようという意識はしているね。 ──逆境のさなかだからこそ、逆転の発想を持とうという考えは非常に学びになりました。でも、結局チームメイトがそういう状況になるというのは、自分の力だけでは乗り越えられるものではないじゃないですか。どうしてそこまでポジティブに居られるのかなと。 人が好きなのかな(笑)。でもだからこそ、一緒にやる人って大事ですよね。チームメイトは大切な存在。中途半端にはしちゃいけないし、1人じゃないからこそ何でもできるということは、自分の体験談として学んできたことです。 良いも悪いも、自分自身の向き合い方次第 ──少し各チームの話題から脱線しますが、KAIさんと話すといつもポジティブな視点を持てるなと思っていて、私は勝手に歩くパワースポットだなって思うんですよ(笑)。そうやってKAIさんが人をポジティブにしているのは想像に難くないのですが、そう思うに至った原体験に迫りたいなというか。KAIさんがポジティブにさせられたな、ってことはありましたか? KAIありますね。やっぱりREG☆STYLEの存在なんじゃないかな。学生時代からダブルダッチをやってきて、その後2014年に『シルク・ドゥ・ソレイユ』で活動していた『CAPLIORE』というプロチームに入れてもらったんです。ここまでは割と順調に、とんとん拍子で進んで行きました。 REG☆STYLE 加入当初 (本人提供) ただそのあと、2016年くらいかな。ショーの期間が終わって自分は日本に帰る選択をして、日本で活動していたREG☆STYLEに入ったんだけど、正直その時期はめちゃくちゃ天狗だったし、当時のREGはお世辞にも“プロ”とは言える状態ではないと思っていた。かたや自分はCAPLIOREとして先輩たちとステージを踏んできたから、自分が引っ張らなきゃ!と思っていたんだけど、今思えばどの目線で言っとんじゃって言葉ばかりだった。REGの一員としての言葉がなかなか出なくてどこかずっと他人事… そうこうしているうちに、アキレス腱を断裂してしまったんだよね。確か2018年くらいのことだったかな。 ──確か2度目の世界大会出場後、3連覇に向けて動いていた矢先の出来事だったと記憶しています。 自分がカマさないとと思っていた矢先に怪我で動けなくなって、本当に根暗になった瞬間だった。でもその時期に一緒になって引き上げてくれたのが、REG☆STYLEだったんだよね。 ──じゃあKAIさんにとって、この大怪我は人生観を変える大きな出来事だったと。 そうだね。相当大きかったし、結果相当ハッピーを呼んでくれた事件だった(笑)。むしろ怪我してなかったらどうなっていたんだろう…とすら思う。自分を正しい方向に変えてくれたきっかけだった。 本当、リハビリとか地獄のように痛いの。リハビリの後は筋トレもしないといけなくて、いつ完治するかもハッキリしないまま、心の中ではシーンやREG☆STYLE、事務所のみんなに迷惑をかけてしまっているなとモヤモヤしていて。でも表に立つ身として、明るく振る舞わないといけないじゃん。夜も寝付けない、むしろ目覚めてしまったらまた辛いルーティンが待っている。そこで地の底まで落ちた経験と、周囲で支えてくれた人の存在が、今の自分を作っているなと思います。 負傷した当時 (本人提供) ──だからこそ、同じような境遇にいるElinaさんのような仲間や出来事に対しても、ポジティブに向き合うことができたのかもしれませんね。 そうかもしれないね。怪我やリハビリの辛さとか、そこからどうしたら這い上がれるか…ということも何となく分かるし、「こいつは戻ってくるな」ってElinaに感じたのも、似た経験があったからなのかもしれない。 ──軽い言葉でまとめるのも憚られますけど、やっぱり傷ついた経験というのは人を大きく変えますよね。本当に経験だな、というか。 良いも悪いも自分自身の向き合いようでプラスに変えられるんだなと改めて感じました。 ・・・ 降りかかる幾多の試練をなんとか乗り越え、なんと両チームとも無事にフルメンバーで大会のステージに立てることが決まった。奇跡か必然だったのか─それは神のみぞ知る話であるが、いずれにしても、彼らの血の滲むような努力が呼び起こした成果だったに違いない。 そうして2024年7月、アジア各国の選手が川崎に集結し、戦いの火蓋が切って落とされる。日本選手団として迎える決戦の日々。しかし安堵するのも束の間、まだまだそこには壁が立ち塞がっていた。 アジアジャンプロープ選手権、開会式のようす #3 迎えた決戦の日々 笑顔で「頑張ろうぜ!」 Photo by YAMADAI ──私もアジア選手権大会というのは初めての経験、1週間という長期の大会も初経験で、これは選手は相当大変だったんじゃないかな… と思っていたんです。出場されていた立場から当時を振り返って、いかがでしたか。 KAIオモロ3:キツい7だったね(笑)。今まではその一日に全身全霊をかけて臨めば良かったけど、そうはいかないから大変だった。FORとしては4種目あるし、そこにHEARTSとして最終日に世界大会があるから、出場しない日にも練習はあったし、詰め詰めのスケジュールの中でなんとかやっていました。しかも本戦がある種目もあって、ありがたいことに予選を突破したら一度で終わらないものもあったり、アンチ・ドーピングの観点から自宅には帰れず、日本選手団も近くのホテルに泊まらないといけなくて、心も休まりきらない日々。最終日のコンテストは正直、今まで出た大会で一番ぼっとしてしまってたなと思う。 ──大会やってまた次の大会って、今までからすると考えられない話です。 でも、だからこそ他のスポーツジャンルの選手たちって凄いなって改めて思いました。それこそ僕らはダブルダッチ種目だけだったけど、選手によってはシングルロープ(単縄のこと。一般的な“なわとび”)種目と掛け持ちして出ている人もいて、1種目終わったら脚を引きずりながらまた別の競技へ向かっている人とか、裏でぶっ倒れてる人たちをたくさん見た。そういう人たちをたくさん目の当たりにして、俺らは少なくとも、笑顔で戦わなきゃいけないよねって。色んな国の選手たちに笑顔で「頑張ろうぜ!」って声をかけていました。 アジア選手権大会『ASIAN JUMP ROPE CHAMPIONSHIPS』多くのアスリートたちがしのぎを削った (本人提供) それで最後、TEAM SHOWという種目で各国の選手がパフォーマンスを披露する種目があるんですけど、見ているともう涙が止まらなくなるんです。一人一人怪我していく姿とか見て、その選手から命懸けで向き合っている姿から溢れるパワーというか、パッションというか… 強く刺激を受けました。 あとは、運営陣やスタッフなどの裏方の人たちも選手と同様に、あの日々がハードだったのを目の当たりにしていました。みんながいてあの空間、あの日々があったから、俺はへこたれちゃいけないなって。色んなことを考えたとき、確かに苦しかったけど、それでも笑って過ごそうと思っていました。 ──ここでもなお、KAIさんは“ポジティブ”だったと。 FORの方は思っていたより成績が良くて、正直まさかあんなにメダルを獲れると思ってもいませんでした。表彰台の一番上から『君が代』を聴いたときは涙が出たな。チームメイトとハグして喜んだ瞬間とか、たまんないよね。 表彰台の最上段に立った (本人提供) ──苦しい日々を乗り越えてきたからこそ、得られた喜びとか、そこで見て感じるものも大きくなりますよね。素敵な経験です。 このステージに“選手”として立つ意味 KAIそれで、その期間の最終日に、HEARTSとしてコンテストワールド(世界大会)があった。たださっきも言ったけど本当にぼーっとしてしまっていたし、目覚めたら脚も上がらない、肩も上がらない。身体のコンディションは相当悪かったけど、とりあえず風呂に入って「笑顔で会場に入ろう」と決めて向かったことは覚えている。 それこそ裏方の人たちもアジア選手権から地続き、ほぼ同じメンバーで運営していたのもあったし、大会にはアジア選手権で出会った選手たちも大勢いたから、いつも以上にこのステージで“選手”としている意味を考えながら全力で戦おうと思ったんだけど、改めてショーの映像を見ると軽くフラついてるんだよね。どうなっちゃってもおかしくなかったと思うけど、最後まで動かしてくれたのは色んな人たちの支えだったなって思います。色んな人の顔が浮かんだショーだったな。 世界大会『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』にて、ショーケースのようす ──限界の状態で迎えていたんですね。正直、見ていてそうは思えないくらいパワーがありました。そしてショーケースを終え、HEARTSは1位で続く決勝トーナメントのチームバトルへ駒を進めることになります。 ショーケースが終わってやっと本調子になった感じでした。身体の感覚も戻ってきて、頭も冴えてきて、もう大丈夫だなって。 初戦の相手は同じ事務所で、お互いプロチームとして切磋琢磨してきた『NEWTRAD』。彼らも色んな葛藤のもとここまで戦ってきたのを知っているから、全力で迎え撃ちました。REG☆STYLEとしての経験もあるから、あそこまで登り詰めるのは並大抵のことじゃないのも知っている。お前ら凄えな、ありがとう、って気持ちで戦いました。 世界大会『DOUBLE DUTCH CONTEST WORLD』にて、チームバトルのようす 無事に突破し残すところは決勝戦のみだったんだけど、その後、同時に開催されていたソロバトルの大会『DOUBLE DUTCH ONE’S』で、ユートが決勝戦で負けてしまったんだよね。ユートも二足の草鞋を履いて、そっちにも全力で取り組んでいるのを知っていたから。控室から出てこれないくらい気持ちが沈みきってるユートを支えようと向き合うHEARTSの姿と、一緒にもう一度戦うぞっていうユートのパワーに心を打たれて、決勝のSAMURAI DRIVEとのバトルに向かっていきました。 ──あの決勝戦は凄まじかったですね。文句なしにチームバトルの最高峰の勝負だったと思いますし、“スタイルウォーズ”の極致だったと思います。 これまた相手はRYO-TAやMochasとか、付き合いの深いメンバーたちで。目の前で完璧なムーブをカマされて、お前らやるな、凄えなって。ワクワクと負けないぜってたぎる気持ちがどんどん湧いてきて、めちゃくちゃ白熱したバトルだったかなと思う。REG☆STYLEのときとはまた違う感情になったな。でも万全の練習を重ねてきたと思うんだけど、やっぱり本番だと見たことないミスが出てくるんだよね。 ──個人的に、SAMURAI DRIVEはミスを抑えて手堅く戦っていたのに対し、HEARTSはオリジナリティという点では優れていたように思います。ただどちらも本当に甲乙つけ難い、ハイレベルな名勝負でした。見ている側も、最後どちらに軍配が上がるか分からなかったです。 SAMURAI DRIVEの圧倒的な火力に対して、HEARTSは“NEW”をぶつけてきた。この戦い方の違いも面白かったし、全員がここに懸けてきた情熱も感じた。ただ終わった瞬間の正直な気持ちとしては、ミスも目立ったからダメだったかな…と思っていました。 ──そうなんですね。優勝はできなかったかな、と。 だから結果発表でHEARTSの側に腕が上がって、驚きもした。もちろん凄く嬉しかったんだけどね。でもやっぱり、全体的にフワっと時間が過ぎていった感覚はどうしてもあったな。 優勝の瞬間 KAIが思う“勝利までの道のり” Photo by YAMADAI ──ここまで凄まじいお話を聞かせていただきましたが、いくつか気になったことを伺わせてください。まず大会期間中、ベストなコンディションで臨めていなかったというお話もありましたが、(長期の大会でなくても)そもそも大会当日をベストな状態で臨めないことも少なくないと聞きます。振り返って今回、そういった状況でもどうして勝利を手繰り寄せられたのかと思われますか? KAI準備だけは完璧にこなせたなと自信を持って言える状態まで持っていくことができたからかな、と思っています。徹底的に練習もしたし、大会期間中や直前期にしんどくなったり、過密なスケジュールになることも想定していたから、「それでも100を出せる自分」を事前にチームとして創り上げていけたことが理由かなと。 ──それが絶対的な答えですね(笑)。 そうそう。準備が全て。当日はやっぱり手元が狂うこともあるから。 ──その「準備」というのはどういったことをされていたんでしょうか? フュージョン(HEARTS)に関しては、ありとあらゆるミスを想定して潰していきました。冒頭にもお話しましたが、経験もあったからゴールは見えていて、そこから逆算することもできたので、自分以外のミスも含め「今これがこうだったから、ミスの原因はここだね」っていうのをトライ&エラーでやり続けていきました。どういう感情のときにどういうミスが出るとか、この縄のときにこういうミスが起こるとか、それを理解すること、解決しようと試みることを当たり前にし続けることが大事。例えば順番が繰り上がっちゃったりとか、音が小さくて聴こえづらいこととか、照明が暗くて見えづらいこととか、当日右手が満足に上がらなくなるとか、色んなシチュエーションをイメージして向き合っていたから、何の心配もなかった。 ただ、チームバトルは心配要素もあった。DJがどんな音楽を流すか分からないし、ムーブ自体は準備できてもあとは即興で対応するしかない。でも対応力の部分は鍛えておくことはできると、来てくれたtaishiやKO-YA・KEITAとバトルしたり、DAICHIさんや奥さんのMaykaに真正面に立ってもらったりとか(笑)。それでも本番ミスは出てしまったんだけどね。 HEARTS (本人提供) ──でも「ベストを出せるような準備をする」という根底の部分は共通していますね。かつこれまでの豊富な経験から、シミュレーションを重ねられていたような印象を受けました。ただ一方で、FORとしては初のスポーツジャンルの大会への挑戦ということで、そのシミュレーションもフュージョンほど効かなかったのではないかなと思うのですが、いかがでしたか。 フュージョンでミスの要因の120%くらいを理解できているとしたら、スポーツジャンルに関しては70%くらいだったかな。なぜミスして、なぜ上手くいっているのかがハッキリ分かっていない状態で本番を迎えざるを得なかったというのはあります。 根本的に、例えばショーだと1エイトの間に注意点が2箇所くらいあるとしたら、こっちは1カウントに16個くらいあるパートもあるんです。それを同時に捌かないといけないんだけど、どれだけシミュレーションしても処理速度が追いつかない。だからそれを考えなくても上手くいくくらい、とにかく身体に染み込ませて練習を重ねるしかなかったです。 本番当日までミスの全容は掴みきれなかったけど、成功率はちゃんと上がっていく。不安はあるけど、これくらい出来るようになったから、あとはもう本番は覇気だし、なるようになる。このメンバーで頑張ってきたから、俺らなら大丈夫と。そういう意味で、そう思えるくらい練習してきました。 FOR (本人提供) #4 激動の日々を振り返り、思うこと こうして幕を下ろした激動の日々。本気で戦い抜いたKAIが感じたのは、思わぬ感情だった。 ・・・ ──最後に伺いたいのですが、あの激動の日々を振り返っていかがでしたか。終えてみて思ったことや得たものってありましたか? KAI“燃え尽き症候群”みたいなものは無いなと思ってたんだけど、とりあえず次の日はベッドから起き上がれなかったね。川崎のホテルに泊まっていたけど、身体中が軋んで動けない。あっ、でも最終日の次の日にはワークショップがあったから、満身創痍だったけどそれを見に行った。でも終わった直後も世界を獲ったんだとかって実感は湧かなくて、とりあえず「この日々を終えた」ってことだけ感じた。なんか燃え尽きたかもなー、って。 でも一回、不安にはなった。今回の俺の挑戦は誰かのためになったのだろうか、みたいなことを考えた。自分のやったことは合っていたのか、他にやるべきことは無かったのか…。今でもちょっと考えるときがある。 ──そうなんですか。正直意外でした。 あんまり不安に思うことはないけど、誰かにいつか聞いてみたいなって思った。「俺、これで良いんすかね」って先輩とかに。 Photo by YAMADAI ──それは手応えがなかったから、ということですか? いや、手応えがないというか、手応えがあっても思うんだろうなと。でもこうして“誰かの、何かのために”という思いで整えながらやっていかないと自己満で終わってしまうだろうし、色んな人の意見に耳を傾けながら、自分がどうあるべきかを決めていきたい。でも何だか良い不安を持てたなって思うし、その上で今進もうと思えているから大丈夫だと思う。 ──最後はやっぱりポジティブですね。 あと、どうやら「自分のために頑張れない」人らしいんだよね(笑)。誰かのために、誰かと一緒にやりたい。思い返すと、REG☆STYLEに加入したごろの時期は自分中心の日々だった。自分を守る行動や言い訳が多かったけど、怪我をきっかけに、誰かのためにというマインドになった。 これからもダブルダッチ、そしてジャンプロープを広げるために命を燃やして、最期は1抜けしながら死ねたら本望だなとか思ってる(笑)。あとは先人たちが紡いできてくれたものへの感謝も伝えたいなとか、自分としてはコンテストを4回優勝したから、キリよくいつか5回目も達成したい。 でも大それたことを言うつもりもなくて、誰かが次の日、「明日俺も頑張ろうかな」って思ってくれさえすればそれでオッケーだなとも思う。どれも簡単なことじゃないと思うけど、これからも心が燃え続ける限り跳び続けていたいなって。そう思います。 ・・・ 彼のもとに、全く不安が訪れないということではないのだろう。しかし、逆境に立ち向かうKAIはいつも“ポジティブ”だった。不安や痛みを感じないことではなく、それを全身に受け止めながらも前を向くことが真の「強さ」なのだと教えてくれた。そしてその強さは、ジャンプロープというカルチャーと、その周囲にいる人々の存在があったからだと口にする。 これからもKAIは、誰かのために跳び続ける。その心が、力が、命が、彼の中で燃え続ける限り。
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culture【日本画×ストリート】日本画をサンプリングする現代アーティスト 新埜康平インタビュー2025.02.15日本画×ストリートカルチャーを掲げ作家活動を行う新埜康平をご存知だろうか。2020年頃を皮切りに作家としての存在感を増していき、今では京都や銀座の蔦屋書店での個展をはじめ、彼の作品は渋谷を象徴するアートとして駅前の巨大柱巻きポスターにも採用されている。その他、大丸や伊勢丹、パルコなどのギャラリーからも引っ張りだこの新進気鋭の現代アーティストだ。現在の作風に行き着くきっかけは10代の頃に影響を受けた映画やストリートカルチャーにあったという。今回は、日本画家の新埜康平氏に日本画とストリートの魅力について話を訊いた。 ストリート好きが美大に進学するまで 新埜さんの作品を初めて拝見した時「そう来たか」と衝撃を受けました。まずはじめに、ご自身のバックグラウンドについて教えてください。 10代はスケボーとバンドをやっていました。中学生の時に地元の友達と遊びでスケボーをやっていて、板に絵を描くなど落書き程度のことはやっていました。その頃、エミネムが流行ったこともありヒップホップの音楽やストリートカルチャーとか、そっちに興味があり当時は同じ感覚の友達と遊んでいました。 高校でバンドを始めたのもありロックなどの音楽も好きでした。映画やヒップホップ、ロックなどの音楽やカルチャーが好きだったので本場への憧れがあり、18歳の時にバイトをしてお金を溜め、1ヶ月程カリフォルニアに行きました。今思うと、もうやりたくないって思うくらいあちこちを回りましたね。(笑)。 ただそこでの体験が、日本画を始めるきっかけになりました。元々海外の文化に憧れてその地に行ったのに、現地では日本文化について聞かれることが多かったんです。でも自分はよく知らないから、うまく答えられませんでした。それで自分なりに調べるようになり、現地で会った外国人にインプットとアウトプットを重ねていく中で「日本の文化もイケてるな。」ということに気付き、どんどんその魅力にハマって行きました。 カリフォルニア旅の1ショット 元々は日本文化に興味があり、それから日本画に入っていくわけですね。美大を卒業されたそうですが、最初から日本画専攻だったのでしょうか? そうですね。帰国後美大に行きたいと漠然に思いました。グラフィティとかストリートアートが好きだったことと、海外に行き日本について調べるうちに日本画の魅力を知ったことが大きな理由です。自分が美しいと思うものが日本文化に精通していたし、その中でも日本画の画材や色の使い方、考え方などにも感銘を受けました。第一志望は自然と日本画でしたね。 中高の学生時代に美術活動を一切せず、帰国後1年で美大に合格をするというエピソードには驚いたのですが、当時の心境について教えてください。 そうですよね(笑)。当時の僕の状況だと、デザインやファッション分野に行く考えもあったと思います。帰国後、美大に行きたいと思ったのも、第一志望として日本画を専攻したのも、もう日本画の魅力にハマったに尽きますね。純粋に学びたいと思いました。それから、僕は高校を中退しているので大検を取得し、受験に向けて1年ほど働きながら画塾に通いました。アルバイトを幾つか掛け持ちして、とにかく働きながら画塾に通う生活をしました。あの頃は美大に合格する為に集中していましたね。 日本画の魅力とは? 「a back garden」 銅箔を使用、銅箔は錆びると緑青になり葉を錆びで表現 そこまでハマった日本画の魅力について教えてください。 日本画って、膠(にかわ)という動物の骨や皮から抽出をする材料を使用したり、鉱石や植物から顔料を作ったりして、全ての材料が自然物からできています。命をいただいて描いているところに魅力を感じました。水で顔料を溶きながら和紙に筆を入れていくのですが、色の濃淡も自分で調合しながら作り出しますし、日本の春夏秋冬のある季節の中での色使いや、気温や湿度によって画材の取り扱い方が変わる点など、そういった繊細さにも惹かれました。風土や季節によって採れるものを使わせていただくことにも惹かれました。“自然に囲まれて描く”ということですよね。膠ひとつとっても、鹿や豚、牛など、動物によって表現時の特性が異なるので、実験をしながら色の発色具合などをみていきます。豚と牛を組み合わせたりもするので、結構表現幅が広いんです。 ブレンドした牛と豚の膠 それと、日本画は第三者に観られることを前提とした描き方をします。例えば、茶室に掛け軸があるように、その空間を彩るひとつの道具でもあります。なので、僕も作品を制作する時には常に客観視をするようにしています。雑誌でいう編集マンの感覚です。アーティストとしての主観性を持ちつつ、どこかで別の人間を立たせて「これで良いのか?」「伝わるか?」などを冷静に考えながら制作をしています。目の前のキャンバスと対峙をして描くスタイルというよりは、最初に構成したものを滔々と描いていきます。その辺りも、日本画ならではの魅力だと思います。 アトリエにある顔料の一部 日本画をサンプリングするという発想 新埜さんの作品は日本画をサンプリングしているとおっしゃっていました。それについて教えてください。 僕の作風はヒップホップが好きなこともあり“サンプリング”している感覚で制作をしています。日常を少し違う視点で描いたり、誰かの情景に寄り添う作品をストリートやイマ(現代)をモチーフに描くことが多いのですが、その発想をサンプリングしています。というか、やっていることは今も昔も一緒なんですよね。 「Hop in the whip#EL CAMINO 1」“車に飛び乗って!”のスラング 元々今を生きている人たちを投影して描いているのが日本画の原点にあるのですが、昔の日本画もかっこいいなと思うしリスペクトはあるけれど、僕はそれを描きたいわけじゃない。あくまでも自分が生きている中で、今生きている人たちやその周辺を描きたいと思っています。それで新しいものが作れるのではないかという希望を、美大生時代もずっと持ちながら学んでいました。自分がこの文化を継承していく上で歯車のひとつになれたらいいなと思っています。 文化は時代によって変容するもので、僕は僕なりに日本画のバトンを次の世代に渡す一手になれたらなという思いで続けています。なので、あえて面倒くさい工程を踏んで制作してたりします。日本画は本当にステップが多いし非効率なんですよね(笑)。古くから使われている技法を取り入れると結構時間がかかりますが、ただ、そういう想いもあり、手法に拘って作っています。 デッサンでモチーフを描いたものを線画にし下絵を作る 色合いの美しさを強調され、POPアートのような彩度が高い作品が特徴的だと感じます。影響を受けているのでしょうか? POPアートについては作品も好きですし、Andy Warholの映画もよく見ていました。そもそも僕が日本画の魅力に感じたことのひとつとして、色合いがありました。発色は本当に難しいです。濡れ色と乾き色は全く異なるので、乾燥した時に顔料の量を調整することもあり、地道な作業が多いです。その濃淡の調合具体は、それぞれの作家さんの頭の中にしかない。それは制作環境によっても毎回調整をする必要があります。絵画の中でも、合理性とは真逆をいくのが日本画だと思うのですが、非合理がゆえの紆余曲折をした線に魅力を感じています。色を重ねるほど画面が沈むのも日本画の良い風合いなのですが、僕の場合は彩度を保つように心がけています。 作家として思うこと 作品を作る上での苦労話について教えてください。 色々とありますが、“終わりがない”ことですね。ひとつの作品に例えると、その最後の一筆って自分で決めないと終わらないわけで。表現の世界は、正解もゴールも設定されているものではないので、終わりどころって結構悩ましいよねと他の作家仲間たちともよく話してます。あとは自分で画材を削ったり切ったりするので、手を切ってしまい和紙が血に染まることもあります(泣)。 日本画自体の苦労点としては、画面(和紙)とやりあう絵の描き方ではないため筆を入れる時点で、全ての構図を決めています。一度色付けをしたら、後には引き返せないし、色の修正もできません。色を重ねれば重ねるほど濁っていきます。和紙も一度描いた線は消せないので、後には引き返せない点も痺れるポイントですね。未だに多くの失敗を繰り返しながら、世に出せる作品に辿り着いています。 「Be Kind Rewind」「letter」渋谷マークシティ前横断歩道にて 代表作の「Be Kind Rewind」や「letter」シリーズについて教えてください。 Be Kind Rewindは、ビデオテープから着想を得ました。動きのあるモチーフを絵に描いたらどうなるんだろうと思い描いたシリーズです。スケートビデオや映画から、モチーフ探しをしています。このシリーズの「Be Kind Rewind」と言うのは、「巻き戻してご返却ください」と言う意味です。ビデオテープをレンタルした時にやる、アレです。コマ絵で動きを表現しています。 銀箔に文字のみを描いているシリーズ「letter」は、グラフィティのイメージをそのまま落とし込み、箔を載せることで日本画の特性を活かしています。和紙や画材、箔も100年以上残るのが証明されているので強い素材といえます。ただ、経年変化はします。それをネガティブに捉えずにその作品とともに流れる時間さえも作品として捉えていただきたいと思っています。経年変化をした作品も味があり渋さを増すと感じています。 「a day on planet」について教えてください。 今、銀座 蔦屋書店さんで展示させていただいている個展のテーマが「a day on planet」というのですが、これは、“今日のその日”みたいな意味合いがあります。僕の作品が誰かの生活に寄り添えるといいなという想いが込められています。時間の経過により変化する美しさを見付けることを大切にしていきたいと思っています。人間関係も何でも生きていく上で変化をしていくわけじゃないですか。その変化を恐れず、美しいものなんだと感じることの方が健やかだと思うんですよね。 「letter」銀座 蔦屋書店にて展示中柿渋をフレームに使ったシリーズ 文化が相反する中でも共通する魅力 日本画とストリートの文化は似ている部分があるとおっしゃっていましたが、それについて教えてください。 文化を継承するって、その時代を生きる人たちが下の世代にバトンを渡していく作業だと思うんですが、ヒップホップのサンプリング文化もその流れで自然発生的に生まれたんだろうなと思い、そういう意味で僕も日本画をサンプリングしていると思っています。 作家活動をして思うことは、僕の絵を通して様々な人と繋がることができることに喜びを感じます。それはストリートやヒップホップの文化と一緒かなと思うんですよね。音楽やダンス、アートにメッセージがあり、それらに人が集まりコミュニティができる。そこに集まる人たちは、年齢や性別など関係無く、友達みたいな感じで話をする雰囲気がありますよね。それを僕は日本画を通じて体験しているように思います。 あと面白いと思ったのが、昔、呉服屋に勤めていた人が、店の型紙を使いステンシルみたいに描く技法を独自に編み出したという話があります。それって趣味の延長みたいな感じで気軽に描いていたと思うんですよね。今でいうBANKSYのような技法なんですが、それが、のちに日本画の国宝となるんです(笑)。生活の中で気軽に生まれたものが、世界的評価を得てムーブメントを生み出す感じもストリートカルチャーに通じるものがあると感じます。 アトリエにて 最後に、読者の方にメッセージをお願いします。 日本画は100年以上経過しても白濁みたいなものがほぼ無く、額などにも入れずに残っているので、強い絵だと思います。今は、作家さんも道具屋さんもどんどん少なくなりつつありますが、僕はこの世界観が大好きなので、これからも技法に拘り地道に続けていきたいと思っています。もし、日本画のワークショップなども近くで開催していたら、気軽に参加してみて欲しいです。日本画をもっと気軽に、身近に感じてもらえると嬉しいです。 インタビューを通して感じたこと 日本画について、おそらく多くの日本人は語ることができない。文化を継承していく。その方法は現代を生きる私たちが実際に生活の中に落とし込み活用をすることから始まるように思う。眺めるものではなく、使われてこそ文化が繋がれ活きるのだ。 新埜さんの作品は、経年変化も愉しんでもらいたいという。和紙が呼吸をし変色をすることや、箔の剥がれや色合いが変わることは経年劣化ではなく、それは自然の摂理であり、時間と共に変化することも含めて味わって欲しいという。日本は自然豊かな国であり、その豊かな自然を身近に感じることができた所以に、私たちは日本人ならではの美徳を感じることができるのだなと改めて思った。「自分の絵が、誰かの日々の情景に寄り添えていたら嬉しい」表現のスタイルは違えど、それが日本画の魅力そのものであることに違いはない。 profile新埜康平(あらの こうへい)東京生まれ。東京を拠点に活動し、展覧会などを中心に参加している。カルチャーや映画の影響を受け、仮名の人物や情景、日々の生活に根差した等身大のイメージをモチーフに制作。余白やタギング(文字)の画面構成や、銀箔や墨、和紙を用いた古くから存在する日本画技法など様々な絵画的要素を取り入れ制作。第16回 世界絵画大賞展 協賛社賞/東京都美術館(2020)、第56回 神奈川県美術展 入選/神奈川県民ホール(2021)、第39回 上野の森美術館大賞展 入選/上野の森美術館(2021)、第1回 Idemitsu Art Award(旧シェル美術賞)入選 /国立新美術館(2022)、metasequoia2023 笹貫淳子賞/大阪メタセコイア(2023)、Independent Tokyo 2023 小山 登美夫 賞/産業貿易センター(2023)など。 銀座 蔦屋書店【展覧会】Kohei Arano Solo Exhibition「a day on the planet」2025年02月08日(土) - 02月28日(金)その他、最新情報は新埜康平 Instagramをご確認ください。
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dance新木場がヒップホップの熱狂に染まる!? ヒップホップカルチャーの魅力すべてが詰まった1日限りのフリーパーティー「Red Bull BC One World Final Kick Off Jam Tokyo」2025.02.14今年11月、東京‧両国国技館で9年ぶりに開催される世界レベルの1on1ブレイキンバトル「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」。今大会のシーズン幕開けを祝して、2025年3月8日(土) GARDEN新木場FACTORYにて、ヒップホップカルチャーの魅力を詰め込んだ1日限りのスペシャルパーティー「Red Bull BC One World Final Kick Off Jam Tokyo」(入場無料)が開催決定! 当日は、DJやビートメイカーによる音楽ライブが鳴り響き、ヒップホップカルチャーの自由な精神を象徴するグラフィティアート。そして、世界トップクラスのB-Boy & B-Girlたちが、この熱狂の空間で白熱のバトルを繰り広げる。 “Stones Throw”のKnxwledge、グラミー受賞後 初来日! Knxwledge(Stones Throw)|Photo by Jack McKain アンダーソン・パークとのデュオNxWorries(ノーウォーリーズ)として、2025年の米グラミー賞「最優秀プログレッシブR&Bアルバム部門」を受賞した“Stones Throw”レーベルのKnxwledge (ノレッジ)が、受賞後すぐという絶好のタイミングで来日決定! ケンドリック・ラマーの楽曲プロデュースを手掛けるほか、彼自身も愛好する人気格闘ゲーム 「ストリートファイター6」にオフィシャル音源を提供するなど、インターネット、ゲーム、そし てヒップホップを融合させた唯一無二のスタイルで世界中から注目を集めるアーティストが日本にやってくる。 DLiP Records x DOGEAR Recordsによるライブパフォーマンス 神奈川県藤沢、通称MOSS VILLAGE(モス‧ヴィレッジ)を拠点とする、日本屈指のインディペンデント・レーベル“DLiP RECORDS”から、レーベル主宰でありDINARY DELTA FORCEのフロントマンでもあるDUSTY HUSKYが登場。さらに藤沢のラップデュオBLAHRMY(MILES WORD & SHEEF THE 3RD)、DMC日本チャンピオンの称号を持つDJ BUNTA、そして日本を代表するヒップホップダンサーYASSが登場。 一方、ISSUGI、仙人掌、KID FRESINOら個性派アーティストを擁し、東京アンダーグラウンドシーンを牽引する最重要レーベル“DOGEAR RECORDS”からも強力なラインナップが参戦。ラッパー兼ビートメーカーとしてシーンを牽引するISSUGI、SCARS / SWANKY SWIPEのメンバーとしても知られる実力派ラッパーBES、そして数々のプロジェクトでビートメイカーとして確固たる地位を築き上げたBUDAMUNKが、今回ライブパフォーマンスを繰り広げる。 ヒップホップカルチャーのすべてがここに。入場無料! © James Newman / Red Bull Content Pool 近年、スポーツとしての地位も確立されたブレイキンだが、そのルーツは1970年代ニューヨーク、ヒップホップカルチャーの黎明期に遡る。DJの音楽がブレイクに差し掛かると、若者たちはダイナミックなムーブを繰り出し、自己表現のために踊ることから生まれた。それがブレイキンの始まりであり、このカルチャーの本質である。 今回のキックオフパーティーでは、そんなブレイキンの原点に立ち返り、ヒップホップカルチャーの4大要素(音楽、ラップ、グラフィティ、ダンス)を凝縮してお届け。ヒップホップの真髄を全身で体感する、1日限りのスペシャルイベントをお見逃しなく! 若手×ベテランのエキシビション、東⻄プライドを懸けたバトル、 1対1の戦い、そして一般参加OK! 限定80組が激突するダンスバトル 今回世界トップクラスの実力を誇るB-Boy & B-Girlたちが集結!レッドブルの精鋭ダンサーで構成されたSHIGEKIXら「Red Bull BC One All Stars」と、TSUKKI、RA1ONをはじめとする若手実力派チーム「Young Gunz All Stars」によるエキシビションバトルが実現。 さらに、今や世界トップレベルのB-Boyへと成⻑したHarutoと、Red Bull BC One All Starsのメンバーとしても活躍するオランダのLEEによる「1on1 Exhibition Battle」も開催。 © Marcelo Maragni / Red Bull Content Pool また、ヒップホップシーンを代表する東⻄のダンサーが、それぞれの地域のプライドを懸けてぶつかる「Hip Hop Exhibition East vs West」など、多彩なスタイルのダンスバトルが繰り広げられる。 バトルコンテンツの中でも、一般参加OKの「4on4 Crew Battle」は、総勢80チームによる熾烈な戦いが繰り広げられる大混戦必至のバトル。現在、一般参加者を募集中。ヒップホップカルチャーの祝祭に、ぜひそのスキルをぶつけて欲しい!「4on4 Crew Battle」のエントリーは記事最下部のフォームから。 今回のキックオフパーティのほか、今年11月に開催される「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」に向け、ブレイキンの魅力を体感できるコンテンツも続々登場! 日本全国のブレイキンシーンに翼をさずけるツアー実施決定 今年3月の日本全国を巡る「Red Bull BC One All Star Tour」では、世界の舞台で活躍するレッドブルのB-Boy & B-Girlたちが、東京‧神奈川‧大阪‧京都‧岡山‧⻘森で、ブレイキンのワークショップやバトルコンテンツを開催。日本各地にブレイキンの熱狂とカルチャーのスピリットを届ける! ツアーの模様は、「Red Bull BC One」公式Instagramで随時発信。ぜひフォローして、世界トップレベルのムーブをチェックしよう! 今年11月、東京‧両国国技館にワールドファイナルを観に行こう! 「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」のチケットを絶賛販売中。世界レベルの1on1ブレイキンバトルを生で観戦するチャンスをお見逃しなく。詳細はレッドブルのイベントページ(記事最下部)をご確認ください。 開催概要 名称:Red Bull BC One World Final Kick Off Jam Tokyo日時: 2025年3月8日(土)11:00〜21:00会場:GARDEN新木場FACTORY 住所: 東京都江東区新木場2丁目8−2料金:入場無料(ドリンク代別途 600円) ※会場キャパシティの都合で入場制限する場合がございます。 タイムテーブル 11:00-12:00 DJ12:00-14:00 4on4 Crew Battle (限定80組 予選) 14:00-14:40 DJ15:00-17:00 4on4 Crew Battle (Top16 / Top 8 / Top 4) 17:00-18:00 Beat Live by Knxwledge18:00-18:20 1on1 Exhibition Battle18:20-18:40 Red Bull BC One All Stars vs Young Gunz All Stars 18:40-19:00 Hip Hop Exhibition East vs West19:00-19:20 4on4 Crew Battle (Final)19:20-20:00 Live: DLiP Records x DOGEAR Records 20:00-21:00 DJ 実施コンテンツ Beat Live by KnxwledgeLive: DLiP Records x DOGEAR Records4on4 Crew BattleRed Bull BC One All Stars vs Young Gunz All Stars 1on1 Exhibition BattleHip Hop Exhibition East vs WestDJ&MCGraffiti Writers 出演者 Beat Live: Knxwledge (Stones Throw)Live:DUSTY HUSKY (DLiP Records)、 BLAHRMY (DLiP Records)、DJ BUNTA (DLiP Records) 、YASS (DLiP Records)、ISSUGI (DOGEAR Records) 、BES (DOGEAR Records)、 BUDAMUNK (DOGEAR Records)Red Bull BC One All Stars:SHIGEKIX、ISSIN、KIMIE、ALVIN、Hong10Young Gunz All Starts:TSUKKI、RA1ON、COCOA、FUMA、RYOGA1on1 Exhibition Battle:Haruto、LEEHip Hop Exhibition:YASS (East) TAKUYA (East) The Retro (East) LEO (East)YU-SEI (West) SORA (West) ASATO (West) JUN (West)Hip Hop Exhibition (DJ): DJ MINOYAMAHip Hop Exhibition (MC): SUV 4on4 Crew Battle (Guests):knuckle (Student All Stars)、Ouki (Student All Stars)、Sora (Student All Stars)、NONESKI (Student All Stars)NANAMU (Nagoya)、SHOWSKI (Nagoya)、YAMATO (Nagoya)、KOOLSPIKE (Nagoya)Shoya (Osaka)、TOGO (Osaka)、Daiki (Osaka)、yoo (Osaka)AMANE (Fukuoka)、Shonosuke (Fukuoka)、SO-TA (Fukuoka)、Yuta (Fukuoka)4on4 Crew Battle (Judge): Haruhiko aka Watchm3n、LEE、Perninha4on4 Crew Battle (DJ): SPRAY (Korea)、SPELL (New Zealand)4on4 Crew Battle (MC): KENTARAW、CRUDE Graffiti Writers: WOOD、GOSPEL、MSY & DISE
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freestyleフリースタイルバスケットボーラー大学生日本一を決める大会『IFBC』が今年も開催!2025.02.132025年2月22日(土)神奈川県・川崎市の川崎文化会館にて、フリースタイルバスケットボーラー大学生日本一を決める大会『IFBC 2025』が開催される。 若き世代のフリースタイルバスケットボールプレーヤーたちが学生という限られた期間での熱いバトルを繰り広げるイベントとなっている。 年に一度のフリースタイルバスケットボールのエネルギッシュな祭典にぜひご注目いただきたい。 RULE ■予選 オーディション(最大30秒 1move)・ランダムに参加者を複数グループに振り分け、最大30秒1本のオーディションを実施・ボールを動かしムーブを開始したと見なした瞬間からカウントスタート・グループ内のパフォーマンスの順番は自由。切り替わる曲を聞きながら各人のタイミングで判断・誰も飛び出さない場合はボトルスピンで順番をランダムに決定・それぞれ 10 点ずつもつジャッジ4人の持ち点の合計(MAX 40点)で前年度優勝者SENAを除く、上位15名をピックアップ・予選所属グループに関係なく、予選参加者全体の中での順位で判断・本戦トーナメントの組み合わせは順位に応じて自動的に決定・14位までに同ポイント獲得者が複数いた場合じゃんけんで組み合わせ位置を決定・15位の同ポイント獲得者が複数いた場合、該当者で30秒1本の追加オーデションを実施 ■本戦 トーナメント・1、2回戦は ”1人30秒2move” で行う・準決勝、3位決定戦、決勝は “1人60秒 2move” で行う・時間は全て使い切らなくもOK・誰も飛び出さない場合は、ボトルスピンで順番をランダムに決定 JUDGE RIKU(IFBC 2023年度 チャンピオン) 2000年生まれ東京都出身。中学時代にバスケを始め高校時にフリー スタイルバスケとダンスを始める。ダンス部時代の経験を活かしアクロバットや倒立などダイナミックな動きを取り入れたスタイルを武器としている。全てを賭けて挑んだ大学生日本一決定戦2023では、昨年のチャンピオンを破り見事日本一に輝いた。 講師としてもJordan Brandのイベントでのワークショップや、高校の授業でのワークショップなど様々な場所でフリースタイルを普及するための活動を行なっている。他にはフリースタイルバスケの活動だけにとどまらず、モデルやMVなどにも出演している。 yu-ta(IFBC 2022年度 チャンピオン) 本大会IFBCの2022年チャンピオン。高校2年生で高校生日本一を獲り、2018、2019年と2年連続北海道Championを獲得。2019年に行われた「bac to pec final 2019」にて優勝し、18歳で日本一に輝く。 同じく2019年には中国最大級のバトル「China FSBP 2019」に日本人ゲストプレイヤーとして招待され優勝。昨年度は関西No.1を決める大会「PRACE the final - 2023 season -」を優勝し関西Championに輝き、9月には福岡で行われた「FKO Grand Championship 2024」で優勝した。 プレイヤーだけでなく、「Focus on Freestyle」という'' フリースタイルバスケ '' だけにフォーカスしたメディアをwhiteaと立ち上げ、カメラマン、ディレクション、編集の全てを行い、全世界のプレイヤーの映像を残し続けている。 D.I.L(Outgraw 2023年度 チャンピオン) フリースタイルフットボーラー。Daichiまたの名をD.I.L(ディル)。サッカーの技術を中心に、パフォーマンスへと昇華したエンターテイメント、カルチャーのフリースタイルフットボールに中学1年生で出会い、4年後の高校生選手権で優勝を飾った。 その後も着々と国内外の大会で頭角を現し、2023年には「Outgraw」優勝、学生年代でチャンピオンとなった。日本、アジアでもtop16の成績をもち、現在も自身のフリースタイルフットボールを追求し続けている。 ikkyon(NDDL 2023準優勝) Millennium Collectionのリーダー、ブレイン。7歳からキャリアをスタートし、競技、パフォーマンス、バトル問わず国内数々のタイトルを獲得、9度の世界大会優勝実績を誇る。 2024年よりストリートカルチャーミックスパフォーマンスを極めるべくジャッジのRIKUも所属するF.B.D.を結成。ダブルダッチ界のみならず精力的に活動している。今回、IFBCに向けて関東学生最強クラスが集結。1日限りのSHOWCASEで会場をぶち上げる。 ■DJ・Sodai・KENTO ■MC・KOHEI(MASHDOG) ・Ryuki ■ショーケース・WASEDA BALLERS(早稲田大学)・SHAMGOD(慶應義塾大学) ・Pelusa(明治大学) ■観覧チケット料金2,500円 ■エントリー料金1年生 1,500円 ※学年・在籍年が上がるごとに+500円※観覧チケット、エントリー料金はイベント当日に受付にてお支払いいただきます TIME TABLE 13:30-14:00 受付(観覧・エントリー) 14:00-14:10オープニング 14:10-14:40オーディション 14:40-15:10 DJTIME 15:10-15:20 結果発表 15:20-15:50 best16 15:50-16:10 DJ TIME 16:10-16:20 ショーケース 16:20-16:40 best8 16:40-17:00 DJ TIME 17:00-17:15 ショーケース 17:15-17:35 best4 17:35-17:50 ジャッジショーケース 17:50-18:10 3位決定戦/決勝 18:10-18:30 表彰・写真撮影 18:30-IFBC終了›AFTER PARTY 過去の大会の様子 photograph by m_drop photograph by m_drop photograph by @chonmagebeam photograph by m_drop photograph by m_drop
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