東京オリンピックから正式種目となったことを皮切りに注目を浴び、現在人気急上昇中である「BMXフリースタイル・パーク」。近年では性別や年齢問わず子どもから大人まで幅広い年代が楽しめるスポーツとしても人気があるこの種目だが、BMXも元々はカルチャーから生まれた遊びであり、このBMXが持つストリートカルチャーも魅力のひとつとして知られている。
今回はそんなBMXフリースタイル・パーク種目の日本最高峰で活躍する傍ら、BMXライダーとしての新たなスタイルを開拓し続け、他の日本人選手とは一線を画すオリジナリティに溢れたトップBMXライダーがいる。
それが神奈川県横須賀市出身の大和晴彦選手だ。BMXやスケートボードなどのストリートスポーツの聖地でもある横須賀市の「うみかぜ公園」をホームとする彼は、物心がついた頃からストリートカルチャーに触れる生活を送ってきたBMX界の申し子。現在はBMXエリートライダーとして世界一を目指し努力を続ける一方でモデルや映像クリエイターとしても活動している。
今回はそんな自分だけのオリジナリティを世の中に提示し続ける大和選手にインタビュー。彼自身が持つBMXスタイルを始め、多分野での活動を通じて追い求める彼のオリジナリティ、そしてその様々な活動がBMXキャリアに与える相乗効果についてを今後の目標も含めて語ってもらった。
大和晴彦(おわ・はるひこ) 以下: H
BMXで表現できるスタイルはライディングだけじゃない。ファッションやバイクデザイン、自分だけのこだわり全てを持ち込む。

特徴的なスタイルを持つ大和選手ですが、最初に自分の「BMXでのスタイル」とは何か聞かせてください。
H:BMXでのスタイルというのは自分の魅せ方だと思っています。僕のスタイルとしてはライディングだけではなく、その時着る洋服や使用するバイク等も全部ひっくるめて、自分のスタイルを持ち込むことをモットーにしています。
また大会によっても、毎回できるだけ違う色のバイクで出場することや、他のライダーが着ないようなファッションをしたり、まだ他のライダーがやっていないトリックをライディングに取り入れるなど、周りとは違うスタイルを魅せるところが自分のポイントなのかなと思います。
ファッションにもこだわりがあるとのことですが、BMXに乗るときの服装で意識していることはありますか?
H:周りがまだやっていないことを先にやるのが僕のスタイルだと思っています。服装に関しても今では迷彩パンツとかカラー系のパンツを穿いているライダーを大会で目にすることもあると思いますが、昔にこういったパンツを僕が穿き始めてからBMX界隈で広まったような印象があります。
服の機能性ももちろん大事ではあるんですが、僕は周りの人とは被らないスタイルで自分がカッコいいと思うファッションをライディングの時にも取り入れるようにしています。

確かに競技として発展する上で服装の機能性も求められていますが、大和選手は特にファッションに気を遣われているのを感じます。ちなみにバイクはどういう風に変えることが多いですか?
H:今回、僕の新しいスポンサーになって頂いた(デサント社の)「MOVESPORT」さんや「Monster Energy」さん等のブランドロゴをバイクに貼らせてもらう中で、そのロゴが映えるようにバイクを塗装したり細かいこだわりを持っています。
また以前はヘルメットに色々な絵を書いてみたり、普通の人があまりやらないことをやって、とにかく人の目に映る部分はカッコよくしようっていうスタンスでやっています。
そんな自分の魅せ方にこだわりを持つ大和選手ですが、ライディングで意識していることはありますか?
H:ライディング中、僕はコンボトリックを多く入れることを重視していますね。どのジャンプでも一つでも多くのコンボを入れられるようにトリックをチョイスしていますし、他のライダーと比べた時に自分の方が少しでも高く飛んでスタイルを出すことで、周りの人より目立てるようなライディングができるように意識しています。

大会では得点も重視されますが、技の難易度だけではなく魅せ方も意識されているということでしょうか?
H:はい。大会は競技の場である一方で、個人的には1分間のショーだと思っています。そのためその1分間の中で見せる自分の仕草だったり、トリック中にバイクを回す角度、人からのあらゆる視線を意識した上で「どれだけ観客を楽しませられるか」を重視したライディングをしています。
僕はいくら上手でメイクするトリックが凄くても、人目につかなかったりカッコよくなかったらダメだと思っているので、自分のスタイルとしては目立つこととカッコよさをずっと追求していきたいと思っています。
たとえ大技がすごくて技術が高くても、スタイルがカッコよくないライダーには絶対なりたくないので、どんなトリックでもメイクする時のスタイルは特にこだわりを持っています。

ストリートカルチャーが身近にある生活の中で、ある海外BMXライダーのライディングが彼のBMXライフに火を付けた。
改めて大和選手がBMXを始めたきっかけを聞かせてください。
H:僕はお父さんの影響でスケートボードを最初に始めました。お母さんもこういうストリートカルチャーが好きでしたし、特にお父さんが結構クレイジーな感じだったので、僕をベビーカーに乗せたままうみかぜ公園のパークに連れて行ったと聞いています(笑)

そんな感じの環境で育ったので1〜2歳頃にはもうスケートボードに乗っていました。子どもながらに覚えているのですが、スケートボードは自分にとっては当たり前にある遊びだったので何の抵抗もなく楽しんでいました。
BMXもスケートボードと同じストリートカルチャーの発祥で身近なものでした。小学校3年生くらいの時にたまたまお父さんとうみかぜ公園に行った時にプロBMXライダーのライディングを見てから、無性に自分のBMXが欲しくなって誕生日に買ってもらったんです。これが僕のBMXライフの始まりでした。
それからBMXに乗り始めて、遊びから競技へどのように本格的にシフトしていったのですか?
H:僕が最初に出場したのは「ペルージャカップ」という大きな大会だったのですが、その大会に知り合いみんなが出るというノリの中で僕も誘われました。本当は出たくなかったんですけど、みんなに「出たら絶対面白いよ」って言われてほぼ強制的に出ることになりました。
その後も当時の僕は本気で競技をやるつもりはなかったのですが、周りが僕のことを本気でプッシュしてくれたことで徐々に大会へ出ていくようになりました。今本格的に取り組んでいるパーク種目にガッツリハマったのは小学6年生〜中学1年生の頃だったと思います。
パークにハマり出したのも友達や周りのライダーが後押ししてくれたことがきっかけですか?
H:実は違うんです。僕自身あまり人に憧れることはないのですが、初めて心からカッコいいなと思ったのがHarry Main(ハリー・メイン)という海外のBMXライダーでした。たまたま知り合いから彼の動画を見せられた時に凄く衝撃を受けて、「本当にパークでこんなトリックをするライダーがいるんだ!」って思いました。それまではストリートしか知らなかったんですけどそこで初めて「パーク種目」の存在を知りましたね。
それから四六時中、彼の動画を見るようになって「俺もパークで乗りたい!」って思い始めて色々なパークへ親に連れて行ってもらったり、友達にも「パーク行こうよ!」って言って一緒に各地のパークを回るようになりました。トリックも海外ライダーたちの動画を見て、見よう見まねでずっと独学でやってきました。
そういう意味では本当にハリー・メインの動画がターニングポイントです。その動画に出会ったのが小学校5年生くらいだったのですが、そのタイミングで今では親友になっているフクシマ シュンとコウスケの二人に出会ってさらに僕のBMXライフに火が付きましたね。

火付け役になった友達は大和選手のスタイルや感覚に似ていたんですか?
H:おもしろいことにそれが全然似てないんです!最初は自分とのモチベーションの違いに「なんだよこいつら」ってずっと思っていたんですけど、だんだんお互いを理解し合って受け入れることでその環境が今度は楽しくて仕方なくなっちゃって。
俺がこの技をメイクしたら誰かが喜ぶんじゃないかとか、あいつがこの技やるなら俺もやろうとか、そういった相乗効果が友達と一緒にいる中で生まれてきたんです。そのおかげで僕はドップリBMX沼にハマっていって今がある感じですね。
自分の原動力はどんなことでもオリジナルを追求し没頭すること

お話を聞いていると、大和選手の原動力は周りがまだやっていない新しいことを開拓することなんだろうと感じます。
H:そんな感じですね。周りを気にせずにとにかく自分のスタイルでずっと楽しんでいることが良かったのかなと思っています。
ちなみに大会で結果を残すために練習中に意識して取り組んでいることがあれば教えてください。
H:練習に行く時は必ず自分の中でその日の目標を決めるようにしています。例えば、大会でやりたい技やまだ完成度が低い技のメイク率を上げることを目標に入れて「このトリックを自分のものにするまで帰らない」と決めて練習したりしています。
その中でも「決めた回数をメイクするまで絶対に帰らないというルール」を自分に課して、毎回なんとか達成するということを繰り返して続けていたら、大会でも表彰台付近までは行けるようになっていました。
また僕は長時間練習することが苦手なのでパークに行ったら1~2時間だけ集中して、その自分ルールの中で同じトリックや大会をイメージしたルーティーンを練習しています。

自分に合ったやり方を見つけて突き詰めている大和選手ですが、自分の強みは何だと思いますか?
H:やっぱり僕は誰からも教わらずにここまで来たことが、自分の強みの一つなのかなと思っています。昔から他の人と違うことが好きで、むしろ同じことが嫌だったので、絶対周りと同じようなライダーにはならないと決めていましたし、これからも自分自身のオリジナルのスタイルを貫いていこうと強く思っています。
一方で、BMXから降りた私生活の中で趣味はありますか?
H:僕はBMXを降りても何か他に没頭できるものが欲しくなるタイプなので、その時ハマっているものが自分の支えになることが多いです。ファッションも好きなのですが、今は車をいじるのがすごく好きでハマっています。BMX以外でも常に何かに没頭していたいんです。

ちなみにその自分の愛車にはどんなこだわりを持っていますか?
H:男心をくすぐるような男の子なら絶対好きな車を作っています(笑)その中でも僕は絶対に車屋さんに出さないと決めていて、自分の理想の車を自分の手で作り上げるというこだわりをブレさせずにやっています。

洋服から車へと創作技術のレベルがどんどん進化していますね。やっぱり自分で作っていくうちに新しいアイデアが次々に湧いてくる感じでしょうか?
H:はい。やっぱり僕は自分で作ることが好きなんですね。創作活動を通じてどの業界にも魅力はあるんだなと感じる一方で、周りと一緒は絶対嫌なので他の人がしていないことを僕はすると決めています。「オリジナル」という言葉が自分に一番しっくりくるなと感じています。
BMX業界だけに止まらず、多分野でも発信し続ける自分のオリジナリティ

そのオリジナリティを発信する場としてSNSがあると思います。どのように活用されていますか?
H:常に自分が納得できるカッコいいものをインスタグラムに投稿するようにしています。それはライディング動画や自分の写真を含めてですが、ダサいものは絶対投稿したくないので素材選定は常に意識しています。個人的にはインスタグラムに投稿することは大きいイベントなので、そこで自分のカッコよさを引き出せるような写真選びと映像作りは常に大事にしています。
なぜならインスタグラムも自分を表現する一つの作品だと捉えているので、投稿一つ一つにエンターテイメントとスタイルを詰め込んで自分だけのカッコいいものを作り上げることを意識しています。

また大和選手はモデルや映像クリエイターとしても活動されていますが、モデルとしてはどんな魅せ方を意識していますか?
H:自分の一番カッコいい表情はもちろんですが、ありのままの自分をカメラマンさんに撮っていただけるように心がけています。たとえTシャツ一枚であっても自分が着ればこれだけカッコよくなれるんだよということを心から思うようにしています。またどんなに小さい仕事でもいかに自分をアピールできるのかを考えたり、常に頂いた仕事に対して全力で臨んでいます。
映像クリエイターとしてはどういったことを意識して活動していますか?
H:常に退屈しないような映像を作ることを意識しています。例えば1分間の映像であっても、そのうち3秒くらい無駄な映像が流れているだけでつまらないと思っちゃうんです。なので、たかが1分なんですけど「あ、もう1分たったの?」って思われるくらい視聴者を退屈させない映像編集をして一つの作品として作り上げるようにしています。
僕が作る映像はBMXはもちろんのこと、最近は車の映像も作りましたし、以前は一度洋服の映像を撮って外部提供した経験もあります。僕は何かの映像を専門で撮るっていうより、色々な映像を自分の色に作り上げることが得意ですね。今後は映像を通して自分をよりカッコよく見せることと、独創性にあふれた自分らしい映像を作っていきたいと思っています。
今後はモデルや映像クリエイターなど多分野でどんな活躍をしていきたいですか?
H:もう何でもしますし、とにかく自分の生きているこの人生に後悔がないようにしたいです。今後も枠にはまらない活動をどんどんしていきたいですね。

このような多分野での活動は、自身のBMX活動にどう活かされていますか?
H:BMX活動だけではなく、僕の全ての活動が土台となって自分自身を支えているような感じがします。なぜなら必ずしも「BMXやりたい」という気持ちだけではライダーとして上手くなれないですし、趣味や友達の存在が「BMXもっと頑張ろう」という意味を与えてくれることもあるからです。
例えば、大会で優勝して友達が喜んでくれることが僕のBMXをやる意味にもなりますし、大会の優勝賞金が車を改造する資金となり自分の趣味が充実することでさらにBMXのやる気にも繋がります。もちろんBMX単体でもすごい技をメイクできた時に周りから「超カッコいいじゃん!」と言われることがモチベーションにもなります。
このように自分を取り巻く全てのものがお互いに支え合うことで大和晴彦が成り立ってるんだと思います。どれかが欠けてしまうだけで、もう僕ではなくなるので本当に一つ一つが僕にとって大切な存在です。
大和晴彦が目指す今後の目標と理想のBMXライダー像

BMXライダーとしての今後の目標を聞かせてください。
H:とりあえず大会で世界一になりたいです。世界一になれば「この時は自分が世界で一番上手かった!」と言えるのでその揺るがない称号が欲しいですね。この称号は僕がBMXを引退してからも話せることですし、周りからも認められる文句なしの成績なので引退後の話題作りとしても最高だと思います。
将来自分が父親になった時にお酒の席で、子どもとこの話ができたらお酒も進むんじゃないかなと思ったりもします(笑)
やっぱり僕の根本的な思いとして、自分が没頭して取り組んでいることでは何でも一番を取りたいですし、今一番その座に近いのはBMXだと思うので引き続き頑張っていきたいと思います。
大和選手にとってBMXはどんな存在ですか?
H:大和晴彦の人生を切り拓いてくれた存在ですかね。BMXがなければ僕が今こうやってインタビューを受けることもなかったですし、色々な人たちに知ってもらうこともなかったと思います。BMXがあって僕がいるっていうのは事実なので、BMXは僕を常に高みに引き上げてくれる大切な存在です。

最後に大和選手が目指している理想のBMXライダー像を教えてください。
H:いわゆるBMXライダーっぽくないBMXライダーになりたいですね。。僕が一番輝けるこのBMXというステージで「ストリート」「パーク」「フラットランド」「レース」といったジャンルに縛られず、全く別の自分だけのオリジナリティを作っていきます。今後も自分だけのスタイルを世間にぶつけていきたいと思います。
大和晴彦プロフィール

2002年7月26日生まれ。神奈川県横須賀市出身のBMXライダー。8歳の時に父の影響でBMXを始める。13歳で「ペルージャカップ」に最年少で出場し表彰台2位を獲得した。2020年東京オリンピック強化選手に選抜され、2021年にChimera a-sideで優勝を飾るなど数々の主要大会で頭角を現す。現在はファッションモデルや映像クリエイターとしても活躍しBMXライダーの新たな可能性を切り拓いているBMXフリースタイル界の若きパイオニア。スポンサーはMOVESPORT、Monster Energy、モトクロスインターナショナル、CounterAttractionなど。
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surf歴史あるガールズサーファーのコンテスト“第19回 TAHARA おいでん GIRL’S CUP”が愛知県赤羽根海岸で3年ぶりの開催2023.09.272023年9月24日(日)に愛知県田原市赤羽根海岸ロコポイントにて『第19回 TAHARA おいでん GIRL’S CUP』が開催された。ここロコポイントは遠州灘に面し、広いビーチや広場が併設された珍しい立地で、大会やイベントなどが度々開催されている。浜辺から向かって右奥にある沖へと伸びた長い堤防に沿って砂がつきやすく、ウネリが入ればAフレームのブレイクが現れ、初心者からエキスパートまで楽しめる遠浅で綺麗な砂のビーチである。 『 TAHARA おいでん GIRL’S CUP 』とは2003年に伊良湖を代表するウィメンズプロサーファーの大沢裕子氏・三浦麻美氏・バッカー麻里衣氏の有志3名により、コンペ思考だけでなく、誰でも楽しめるフェスのような大会を目指し立ち上げられた。 長くサーフィンを続けていく上で、女性のライフスタイルの変化と共に進学・就職・結婚・出産それぞれの年代のサーファーが、それぞれのライフスタイルの中でサーフィンを続けていくことを応援することも目的としている。 この歴史ある大会は、現在プロとして世界で活躍をしている選手たちも過去に出場実績がある。ガールズサーファーの登竜門的立ち位置となるこの大会は、東海地方のみならず全国から多くの選手達がエントリーしており、10代から60代と選手層にも幅があることが特徴だ。 今大会は総勢125名の選手がエントリーし、当日はAM6時より開会式とルール説明が始まった。海に向かって西側がAポイント・東側がBポイントと2バンクで1ヒート12分、日本サーフィン連盟(NSA)のジャッジレギュレーションに則り、各クラスの演技レベルにあった採点方法で進行された。 スペシャルクラスを制したのはツインズガールズサーファーの姉、清水ひなた選手 優勝した清水ひなた選手、セミファイナルでのライディング 大会当日の朝は前週までの蒸し暑い夏の日差しとは打って変わり、秋の涼しい風に包まれたが、昼にかけて徐々に気温が上がり東風が強く吹き始めた。昼前まではオフショアで海面もクリーンな状態を保っていたが、各クラスのファイナルが始まる頃には東風のサイドオンショアとなり、沖の強風からの東うねりで波のサイズは上がり1.5m程に。時には2m近い波も見られた。 スペシャルクラスのファイナルリストは、馬場心選手、ハナ・バッカー選手、清水ひなた選手、石井有沙選手の4名が出揃い、風波な上にインサイドのカレント、ワイドでクセのある難しい波に各選手は苦戦するも、清水ひなた選手がクリーンな波をつかみファーストターンで大きく板を返し6.33pt、難しいセクションへ2ターンと安定したライディングで5.50ptとトータル11.83ptで優勝を決めた。 石井有沙選手。ファーストターンで大きくスプレーを飛ばし7.50ptを出すもバックアップが伸ばせず惜しくも2位。 3位の馬場心選手。難しい風波にバックハンドで大きくマニューバーを描く。 ハナ・バッカー選手はフロントサイドで際どいターンで攻め込む。 エキシビジョンはCS・QS・IBCと世界を転戦中のプロサーファーが参加し会場を盛り上げた 左から山下海果、相田桃、都築虹帆、川瀬心那 エキシビジョンに参加した、日本を代表する選手たち。ショートボードからは都築虹帆選手・川瀬心那選手、ボディーボードは相田桃選手・山下海果選手、そしてロングボードは榊原寄子選手、の5名が参加。風波のハードコンディションの中、素晴らしい技で会場を沸かせた。中でも、都築虹帆選手・川瀬心那選手・山下海果選手の3名は世界大会で結果を残すほどのトップコンペティターで認知度も高く、多くの観客から注目を集めた。 CS:Challenger SeriesQS:Qualify SeriesIBC:International Bodyboarding Corporation サーフィン体験会や地元小学生が参加する和太鼓の演奏、子供向けワークショップなども盛り沢山! 地元の子供達や、選手・スタッフもみんなでビーチクリーンタイム 障がい児童を中心としたサーフィン体験の様子 素晴らしい和太鼓演奏を披露してくれた地元和太鼓団体と小学生和太鼓チームの皆さん 子供向けワークショップ 新実行委員長となった、プロボディーボーダー片山綾子氏のコメント 片山綾子氏 今大会より、実行委員長はプロサーファーの金子藍氏からプロボディーボーダーの片山綾子氏へと引き継がれ、閉会式の挨拶では「選手やスタッフの皆さま、今日は遅くまで本当にありがとうございました。波がハードな中で、初めての大会だった方や、スペシャリストの方などレベルは様々でしたが、皆さんに楽しんで頂けたんじゃないかなと思います。運営面でたくさん反省点はありましたが、皆さんの頑張っている姿がとても印象的でした。私自身コンテストが好きなように皆さんもコンテストを楽しんで、これからも波乗りを楽しんでいってくれたら嬉しいです。今回の経験を活かして来年はもっと良い大会にできるように成長してここに帰ってきますので、皆さんもロコのいい波を堪能できるようにもっと腕を磨いて、楽しんで波乗りをしてください。」と、涙と共に感謝の気持ちを伝えた。 今回は “TAHARA おいでん GIRL’S CUP” 20周年ということで、閉会式には愛知のガールズサーフィン文化を牽引してきた大沢裕子氏・三浦麻美氏・バッカー麻里衣氏に実行委員からサプライズでお祝いが贈られた。 行政との連携や、地元の小学校和太鼓チームや飲食店など地域の協力のもと、伊良湖のプロ・アマガールズサーファーらが中心となり運営されている ”TAHARA おいでん GIRL’S CUP” 。来年の記念すべき第20回大会もとても楽しみである。 大会結果 ショートボード・スペシャルクラス優 勝:清水 ひなた準優勝:石井 有沙第3位:馬場 心第4位:ハナ バッカー ショートボード・オープンクラス優 勝:川瀬 煌渚準優勝:田中 亜矢第3位:前田 はるき第4位:木村 咲葵 ショートボード・ビギナークラス優 勝:福嶋 悠紀準優勝:山中 真穂第3位:天野 にこ第4位:野口 絹子 ショートボード・ママさん&シニアクラス優 勝:中原 由未準優勝:杉浦 知江第3位:神谷 真理子第4位:松浦 優 ロングボード・スペシャルクラス優 勝:川崎 智子準優勝:市川 恵里香第3位:松原 純恵第4位:大塚 海音 ロングボード・オープンクラス優 勝:磯部 有紀準優勝:村松 優第3位:阿隅 香奈第4位:あさ ゆうこ ロングボード・ビギナークラス優 勝:井山 志津恵準優勝:川原 美奈子第3位:川合 真紀第4位:村上 仁美 ボディーボード・スペシャルクラス優 勝:井島 真紀準優勝:瀬田 七海第3位:源馬 鮎海第4位:野村 美也子 ボディーボード・オープンクラス優 勝:山本 孝江準優勝:藤岡 みり第3位:上村 有加第4位:岸川 恵理子 ボディーボード・ビギナークラス優 勝:阿部 みゅう準優勝:松原 磨優美第3位:佐久間 早希子第4位:宮本 麻紀 大会概要 タイトル :第19回TAHARAおいでんGIRLSʼCUP 開催日 :2023年 9月24日(日) 予備日 なし 開催場所 :愛知県田原市赤羽根(ロコポイントまたはロングビーチ) 主催 :おいでんガールズカップ実行委員会 賞典 :各クラス入賞者に景品 後援 :田原市 田原市教育委員会・渥美半島観光ビューロー NSA日本サーフィン連盟愛知支部・ティーズ・ヤシの実FM CBC未来つなぐPROJECT x ダイドー株式会社協力 :一般社団法人スマイルビーチプロジェクト CBC未来つなぐproject・田原市商工会内容 :ウイメンズのみのサーフィンコンテスト 障がいを持つ子供たちのサーフィン体験教室 (一般社団法人スマイルビーチプロジェクト主催コラボイベント) 参加資格 :アマチュアレディース お問合せ先 :〒441-3424 愛知県田原市南神戸町仲北81-1 シーク内 おいでんカップ実行委員会事務局 TEL 0531-27-1334(10:00〜18:00) mail@seeksurfshop.com
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others宇部市が街をアーバンスポーツの舞台に変えた。「UBE URBAN SPORTS FES 2023」イベントレポート2023年9月23日(土)24日(日)に山口県宇部市の国道190号特設会場にて「UBE URBAN SPORTS FES 2023」と「第4回パルクール日本選手権」が同時開催された。 「UBE URBAN SPORTS FES 2023」は都市の風景を舞台に、自分の身体や技術を自由に表現するアーバンスポーツの魅力を身近に感じて楽しむことができるイベントとして、BMX SHOWCASEやBMX体験会、3人制バスケットボール市民大会「3x3 ENJOY II」などが実施された。またパルクール日本一が決まる「第4回パルクール日本選手権」も同時開催され、通行止めとなった国道190号線には多くの観客が来場した。※第4回パルクール日本選手権記事はこちら 本記事では「UBE URBAN SPORTS FES 2023」当日のレポートをお届けする。 BMX SHOWCASE 地元のライダーである中務 泰法 © Jason Halayko 会場内に設置された特設のセクションに6名の国内トップライダーと、MCの米田大輔が集結。ライダーには日本が誇るBMX界のエース 中村 輪夢選手をはじめ、地元・山口県のローカルヒーロー 中務 泰法選手、ジュニア部門の世界チャンピオンである松本 翔海選手、福岡出身でアメリカでも活動の幅を広げる上田 崇人選手、名古屋を拠点に活躍するBMX兄弟 伊藤 大空・伊藤 蒼空 が名を連ね、本イベント限定のスペシャルショーケースを披露した。 多くのスマートフォンやカメラが向けられ大注目のコンテンツとなったBMX SHOWCASE。それぞれのライダーが自身のトリックを惜しげもなく披露し、空中でのアクロバティックな動きに対してはどよめきも起こるほどであった。 宇部市長、山口県知事のはるか上を飛び越える中村 輪夢 © Jason Halayko SHOWCASE 時には宇部市長の篠﨑 圭二氏、山口県知事の村岡 嗣政氏も来場。途中にはMCの米田大輔が、「市長と県知事の上をBMXで飛び越える」という台本なしの“フリースタイル”なパフォーマンスを提案。会場は大盛り上がりの中で見事パフォーマンスは成功し、前代未聞のコラボレーションは大きなインパクトを残した。 ハイタッチの様子 © Jason Halayko 最後にはライダーと観客とのハイタッチ、そして写真撮影やサイン会も行われ、大盛況のうちに幕を閉じた。23日の実施のみとなった本コンテンツだが、BMXの魅力を余すことなく伝えてくれた6名のライダーとMCの米田大輔には観客から惜しみない拍手が送られた。 3x3 ENJOY II エキシビジョンマッチの様子 © Jason Halayko また同日には、3人制バスケットボール市民大会「3x3 ENJOY II」が行われた。イベントのゲストには 3人制バスケットボールのプロチームである、スリストム広島(広島)、SOLVIENTO KAMAKURA ZUSHI.EXE(神奈川)の2チームが参加し、クリニックやエキシビジョンマッチを実施した。 注目の市民大会ではU12部門や女子部門が行われる中、一般部門では地元のチームである「仁」が優勝。イベントの最後には優勝した仁と、プロチームであるスリストム広島・SOLVIENTO KAMAKURA ZUSHI.EXEの連合チームによる10分間のエキシビジョンマッチが行われた。序盤から確実にシュートを決めていく仁に対して、プロ連合チームはスピードやフィジカルで上回ったがボールがリングに嫌われてリードを許していた。 試合終盤ではプロ連合チームもギアを上げて点差を縮めたが、アウトサイドから攻めるプロ連合チームに対して確実にディフェンスリバウンドを押さえ、シュートを決め切った仁が逃げ切って勝利。まさかのプロ連合チームに勝利するというジャイアントキリングを巻き起こした。 エキシビジョンゲームで何本ものシュートを沈めた「仁」の森本選手© Jason Halayko 仁の代表である斎坂 稜選手は優勝コメントにて「普段なかなか外でプレーする機会が少ない中で、初めて組んだチームでしたが凄くフィットして良いゲームになったと思います。まさかエキシビジョンでプロチームに勝てるとは思いませんでしたが、チームメイトの森本選手がたくさんシュートを決めてくれたし、追い付かれても諦めずにチーム一丸となって頑張ったことが勝利に繋がったと思います!」と語ってくれた。 © Jason Halayko イベントを通して © Jason Halayko 初開催となった「UBE URBAN SPORTS FES 2023」は来場者数もさることながら、想像以上の話題性と熱狂を生みだした。BMX SHOWCASEや3x3のほかにもスケートボード体験会や、宇部市のグルメ品が揃ったフードエリアなど、全年齢が楽しめるフェスとしてのコンテンツも充実していた。イベントには子ども連れの家族、学生たちも多く見られ、イベント開催の本来の目的でもある「中心市街の活性化」「若者世代の獲得」に向けて大きな足掛かりとなったことは間違いないだろう。 様々な課題を抱える地方都市が「アーバンスポーツ」の力で活性化を図る―。来年以降も本イベントが開催されること、そして今後の宇部市の更なる発展に期待していきたい。 イベント概要 名称:UBE URBAN SPORTS FES 2023会場:宇部市役所前から松山町一丁目交差点までの国道190号特設会場約600m日程:2023年9月23日(土祝)24日(日)入場料:無料主催:宇部市後援:(一社)日本アーバンスポーツ支援協議会協力:(公財)日本体操協会メディア協力:FINEPLAY主管:UBE URBAN SPORTS FES 2023実行委員会問い合わせ先:宇部市観光スポーツ文化部スポーツ振興課Email:info@ubeusfes.jp
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parkour山口県・宇部市で「第4回パルクール日本選手権」が開催!女子は絶対王者が連覇2023.09.262023年9月23日・24日に山口県 宇部市の国道190号の特設会場にて、パルクールの日本一決定戦である「第4回パルクール日本選手権」が開催された。本大会は宇部市主催の「UBE URBAN SPORTS FES 2023」と同時開催となり、会場には多くの観客が詰めかけた。 23日(土)に実施された「スピード女子」では泉 ひかり(TOKIOインカラミ)が優勝。24日(日)に実施された「スピード男子」は本居 一輝、「フリースタイル女子」では永井 音寧(TOKIOインカラミ)、「フリースタイル男子」では関 雅仁(TOKIOインカラミ)が優勝に輝いた。また、女子の泉ひかりはスピード種目で大会3連覇、永井音寧はフリースタイル種目で大会4連覇を飾った。 第4回パルクール日本選手権 開会式© Jason Halayko 【スピード】女子・泉 ひかりが大会3連覇! 泉 ひかり © Jason Halayko 23日に実施された「スピード女子」では泉 ひかりが優勝に輝き、大会3連覇を飾った。今大会の出場者は泉ひかり・山本 華歩の2名のみであったが、ワールドカップでの優勝経験もある泉 ひかりは38.645秒のタイムで見事、優勝を勝ち取った。 本居 一輝 © Jason Halayko 24日に実施されたスピード男子では20歳の本居 一輝が初優勝となった。タンクトップにバンダナなどウェッサイスタイルで登場した本居 一輝は、予選を5位で通過。決勝には昨年の世界選手権に日本代表として出場した大西 隼人や勝乗 志音が名を連ねる中、本居は予選からタイムを2秒近く縮めてフィニッシュ。大きな歓声と共に大会初優勝を飾った。 【フリースタイル】永井音寧・怪我を押して勝ち取った大会4連覇 永井 音寧 © Jason Halayko 女子フリースタイルでは絶対王者である永井 音寧が圧巻のランで大会4連覇を飾った。優勝後のインタビューでは「両足首を怪我していて心配だった」と語っていたが、怪我を全く感じさせないほどのスピード感とトリックの完成度で、まさに「国内敵なし」といった強さを見せつけた。直近では国際大会での活躍も多く、今後も彼女が世界の舞台で活躍していく姿に目が離せない。 関 雅仁 © Jason Halayko 大会のトリを飾った「フリースタイル男子」では関 雅仁が優勝に輝いた。決勝では大貫海斗や宮崎裕来、前回大会チャンピオンの朝倉 聖などの強豪が決勝に顔を揃える中、得意の鉄棒を使ったトリックなどパワフル且つハードな演技で会場を沸かせた関 雅仁。30点満点中28点という高得点で堂々の初優勝となった。 男子フリースタイル決勝進出者 © Jason Halayko 宇部市で開催された本大会は、未来のメダリストを一目見ようと宇部市内外からも多くの観客や来賓の関係者も詰め掛け、大盛況で幕を閉じた。2024年 パリ五輪の正式種目としては不採用だったパルクールだが、今後のオリンピック種目の候補として大きく注目されている。 オリンピック競技採用に向けて、より「競技」としての見方も強くなるパルクールだが、今回のような公道(国道190号線)で大会が実施されることで「ストリートカルチャー」の面もクローズアップされた形となった。特にスピード男子で優勝した本居 一輝や、フリースタイル男子で決勝に進出した松本 蛍など、競技のスキルだけでなくファッションや普段の活動スタイルからストリート色を感じる、華のあるプレイヤーが活躍していたのも印象的であった。今後も引き続きパルクールのカルチャー面、そして競技としての発展に期待して注目していきたい。 優勝者コメント © Jason Halayko スピード女子 優勝:泉 ひかり(※大会3連覇) 「まずは走り切れてホッとしています。でもプランしていた通りの走りが出来なかったので悔しいです。そして今回もたくさんの方に大会を見に来ていただき、本当にありがとうございました。パルクールは一見難しそうに見えますが、どなたでも何歳でも始められるので、興味を持った方は是非パルクールを体験してみてください!」 © Jason Halayko スピード男子 優勝:本居 一輝「シンプルに優勝できて嬉しいです!僕は競技とストリートの2つの面でパルクールをやっています。街中でのパルクールもとても魅力的でめちゃめちゃ楽しいので、競技だけでなくストリートの面も見てもらえたら嬉しいです!」 © Jason Halayko フリースタイル女子 優勝:永井 音寧(※大会4連覇)「今回は両足首を怪我していて心配だったんですけど、まずは全部やり切れたことに安心しています。パルクールって一つのセットでもみんな使い方が全然違うし、その人オリジナルの技もあるので、そういったところをどんどん注目していただきたいです!」 © Jason Halayko フリースタイル男子 優勝:関 雅仁「自分は12年くらいパルクールをやっていて、日本にパルクールの大会がなかった時からやっていました。その後大きな怪我をし、ブランクの期間に日本にも大会ができてきました。なかなか大会に出れない時期が続きましたが、ちょうどカムバックした2年前の「第2回パルクール日本選手権」では3位、昨年の大会では準優勝、そしてこの4回目の今大会で優勝ができたのでとても嬉しいです!」 大会結果 © Jason Halayko スピード女子1位:泉 ひかり(TOKIO インカラミ) 38.645秒2位:山本 華歩 41.682秒 © Jason Halayko スピード男子1位:本居 一輝 23.636秒2位:勝乗 志音 (MISSION HIROSHIMA) 23.799秒3位:永田 悠真 24.029秒 © Jason Halayko フリースタイル女子1位:永井音寧 (TOKIO インカラミ) 25点2位:山本華歩 24点3位:近藤凪紗 23点 © Jason Halayko フリースタイル男子1位:関 雅仁 (TOKIO インカラミ) 28点2位:大貫 海斗 (TOKIO インカラミ) 27.5点3位:勝乗 志音 (MISSION HIROSHIMA) 26点 大会概要 タイトル :『第4回パルクール日本選手権』会期 : 2023年9月23日(土祝) ~24日(日)会場 : 山口県 宇部市 国道190号 特設会場主催 : (公財)日本体操協会後援 : (一社)日本アーバンスポーツ支援協議会協力 : 宇部市競技種目 : スピード(男子・女子)、フリースタイル(男子・女子)観戦 : 無料参加体験 : パルクール一般参加体験コーナー同時開催 : 「UBE URBAN SPORTS FES 2023」(BMX, 3X3, スケートボード など)
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skateSkateboarding Unveiled vol.6 ~ムラサキパーク東京の軌跡を辿る~「想い出が詰まった場所です」「青春時代を共に過ごしました」「私たちの憩いの場所でした」 無くなってみて、初めて当たり前にあった場所の大切さに気付く人も多い。 “伝説のスケートパーク”と捉えている人もいるだろう。『ムラサキパーク東京』のことだ。 前回のコラムでは2009年にムラサキスポーツに経営権が移り、Map’s Tokyoからムラサキパーク東京へ名称変更、2014年に全天候型の屋内パークが完成したところまでをお届けしたが、今回は今年5月7日の営業終了までに行われたコンテストやイベントの写真から、一時代を築いたスケートパークの軌跡を辿っていきたいと思う。 未来の金メダリストの一日 ムラサキパーク東京をホームとしていた当時16歳の堀米雄斗 といったところで、いきなり変化球から入らせてもらうのだが、まずは「The Days Inn」という、トップスケーターの1日を追う企画から紹介していきたい。 これはかつて自分が在籍していた専門誌、「TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN」の人気コーナーで、2015年2月に撮影したもの。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで国内シーンのトップに上り詰めていった堀米雄斗に密着させてもらったのだが、後のオリンピック金メダリストを育てたという事実は、ムラサキパーク東京がどれだけシーンに貢献をしてきたのかがわかる重要な証拠となるだろう。 メジャーブランドも次々にコンテストを開催 MAKE IT COUNT 2015で優勝した田中陽 次は同年5月に開催されたElementによる「MAKE IT COUNT」。 もともとElementは、この前年に富山の「NIXSスポーツアカデミー」で同イベントを開催するなど、国内で話題性あるパークがオープンしたら真っ先にコンテストを行ったり、映像作品をリリースしてきた。この年の会場にムラサキパーク東京を選んだのも自然な流れだろう。 当時は並いる若手有望株を抑え田中陽が優勝。瀬尻稜や松尾裕幸といった、同社が抱える様々なブランドに所属する豪華ライダー陣によるデモも行われ、盛大な盛り上がりを見せた。 デモンストレーションで圧倒的な存在感を見せつけた瀬尻稜 そして7月にはVOLCOMが「WILD IN THE PARKS」を開催。これはアメリカ各州や世界各地で行うコンテストの日本ラウンドにあたり、“OPEN”と“14 and UNDER”の2クラスの優勝者にはThe Berricsで行われるチャンピオンシップスへの出場権が与えられ、現地までの航空券と宿泊が用意された。 優勝は堀米雄斗と池田大亮で、彼らが世界へと足を踏み出す最初の一歩となったのだが、この時は10歳以下のLIL’ MONKEYクラスも行われ、見事池田大暉が制覇している。 彼らの今の活躍を見れば、誰もが納得する結果と言えるのではないだろうか。 またこちらは余談になるのだが、このイベントからパーク中央部のセクションがリニューアルされており、以後この三角形型のセクションがパークの定番となっていった。 優勝した堀米雄斗(左)のライディングと、池田大亮(右)。このコンテストは両者の世界進出の足がかりとなった。 LIL’ MONKEYクラスで優勝した池田大暉(右端) 当然海外のプロスケーターも来日 左からユーン・サル、エリック・コストン、ショーン・マルト。彼らからの声掛けでリラックスしたポートレートが撮影できた 続いては海外から来たライダーのデモとスクールイベントを。これは同年12月にSkull Candyクルーとして来日したエリック・コストンとショーン・マルト、さらにフォトグラファーのユーン・サルという面々。 最近ではRed Bullチームの来日が記憶に新しいが、それでもブランド単位のジャパンツアーは以前と比べれば少なくなったように思う。 以前は毎月のように様々なブランドの来日ツアーが行われていた時代もあったし、筆者もその情報に心を躍らせていたひとりだ。 だがそれ以上に、今はX GamesやSLSといった国際大会が日本で開催されるようになり、あらゆるトッププロを一挙に見れるようになったのだから、時代の進歩は凄まじい。 デモでライディングを披露するエリック・コストンとショーン・マルト。写真からも彼らのスタイルが伝わる JSFによるストリートのコンテスト 2016年に入ると、今度はJSF (Japan Skateboarding Federation)がストリートのコンテストを開催している。 今はストリートがAJSA、パークスタイルがJSFというイメージを持つ人が多いと思うので、もしかしたらこの事実には驚きを持つ人もいるかもしれない。 だが優勝は池田大亮、2位に堀米雄斗という顔触れは当時の他のコンテストと変わらない。 彼らがいかに突出していた存在だったかがわかる一枚だ。 優勝した池田大亮(中)のライディングと、2位の堀米雄斗(左)、3位の根岸空。集まっているメンツも今を代表する豪華スケーターばかり。 オリンピック追加種目発表記者会見の場にも選出 そしてこの年で忘れてはいけないのが、オリンピック種目への採用が正式に決定したことだろう。 実はその記者会見場に選ばれたのもムラサキパーク東京だったのだ。これはおそらくではあるが、当時はスケートボードの社会的認知度がまだまだ低かったため、世間一般にどんなものなのかを見てもらおうと。デモンストレーションも兼ねた記者会見となったのでないかと思う。 ただ日本のスケートボードの歴史においては、ものすごく重要な一瞬であったことは間違いのない事実だ。 おそらくこの時がメディアも含め、世間がスケートボードを目にした最初のタイミングではないだろうか。それもあってか、当時はマスメディアも摩訶不思議そうなに見つめていた記憶がある。 東京五輪に向けた国内大会も多数開催 優勝した池 慧野巨と参加選手たちの面々。よく見るとあんな人やこんな人も発見できる その後はオリンピックに向けて、徐々にスケートボードシーン全体が社会からの注目を浴びるようになってくる。これは2018年5月に開催された第2回全日本選手権の写真になるなのだが、第1回と第2回の開催場所に選ばれたのもムラサキパーク東京だったのだ。 ただその後はムラサキパーク笠間や、村上市スケートパークといった、新たにオープンしたコンクリートのスケートパークへ徐々に移行していったので、ビッグコンテストの開催は減っていくのだが、東京五輪に向けた戦いの初期を支えていたのは間違いなくココだった。 当時の優勝は池 慧野巨(左)と伊佐風椰(右)。この優勝をきっかけにちょうど現在開催中のアジア大会への出場権を獲得した。 それでも2019年はまだまだ国内のコンテストシーンのど真ん中に居座っていたことがわかる。 なぜなら2月にはWORLD SKATE JAPANの全身であるJRSF(Japan Roller Sports Federation)によるJAPAN OPENが初開催されているからだ。 この年はオリンピックを翌年(その後コロナ禍により一年の延期となったのは皆さんが周知の事実)に控え、いよいよ本格的なライダー選考の始まったタイミングであり、強化選手選出を兼ねたコンテストだった。そこでAJSA(日本スケートボード協会)との共催で行われ、5月の村上での第3回日本スケートボード選手権大会と合わせて絞り込まれていった。 2019年の優勝は池田大亮(左)と、藤澤虹々可(右)。 時代には左右されないAJSAのムラサキカップ 2018年のムラサキカップは優勝が池田大亮で2位が白井空良なのだが、実はこの数ヶ月後に行われたJRSF JAPAN OPENも同じ並び。堀米雄斗がアメリカに拠点を移してからは、この2名が国内の覇権を争っていたことがわかる。 ここまでの話を聞くと、ムラサキパーク東京は見事に時代の波に乗り、次々にコンテストを開催、そして成功させていった場所だと思うかもしれない。 だがその一方で、昔から変わらないものもある。AJSAのムラサキカップだ。 これはオリンピック競技の採用が決まる前から開催されているもので、当然2018年も2019年も、もちろん今(今年はムラサキパーク立川立飛のこけら落としイベントの一環で行われた)も開催され続けている。多くの皆さんもご存知だと思うが、AJSAは日本一の、しかもぶっちぎりで長い歴史を持つ団体だ。そこには世の中の流行り廃りに左右されず、しっかりとした基盤とピラミッド型の育成システムを創り上げ、コンテストを通して業界の底上げを図っていくという意思表示の表れでもあると思っている。そんなAJSAを、自分は可能な限りずっと協力していきたいと思っている。 2019年は青木勇貴斗、山下京之助、白井空良による三つ巴の戦い。本当に僅差であったため、まさかの優勝に青木勇貴斗は驚きの表情を見せていた 近年広がりを見せるフォトセッション 撮った写真を即座に編集して当日中に本人へ渡す。撮影後は画面を食い入るように見つめていた参加者たち その後世界がコロナ禍に見舞われたことで、しばらくイベントの開催はなくなり、自分が足を運ぶことも減っていったのだが、久しぶりに訪れたのが、2021年3月に行われたJASA (ジャパン・アクション・スポーツ・アソシエーション)によるフォトセッションになる。 これは現在徐々に広がりを見せている形式のイベントで、撮影した写真データを当日中に編集し、その場でもらえるという試みだ。 というのもプロスケーターにでもならない限り、普段の生活では大判印刷できるようなカメラで、しかもプロカメラマンにライティングまでして撮ってもらう経験は、そうそうあるものではないと思う。現にこの時も多くの人が、「僕も(私も)撮ってくれ! 」声をかけてくれたし、実は今も現在進行形でこういったイベントの企画は進めているので、開催した際はぜひ皆さんにもご参加いただけたら幸いだ。お子さんの成長の記録としてもピッタリではないかと思う。 そしてこの年の7月にあったビッグイベントといえば、まだまだ記憶に新しい東京オリンピックだろう。 本番会場は有明アーバンスポーツパークだったが、これはその直前にボードライダーズ社の主催で、メディア向けの公開練習が行われた時のものだ。 同社に所属する西矢椛、中山楓奈、岡本碧優、青木勇貴斗が華麗なライディングを披露し、マスコミからの質問に答えていたのだが、中には岡本碧優が滑っているのを疑問に思う人もいるだろう。なぜなら彼女は女子パークの選手であり、ムラサキパーク東京はストリートのパークだからだ。 だが、そこにも当然理由はあって、この日は本来ならムラサキパーク笠間で行われる予定だったのだが、降雨により急遽屋内施設であるムラサキパーク東京に会場が変更されたのだ。 だからこそではあるが、ストリートのパークで滑る岡本碧優というレアな一枚を撮影することができた。 クォーターではあるが、岡本碧優(左)がストリートのパークを滑るというレアな一幕。そして西矢椛(右)はご存知の通り、この数週間後に日本史上最年少の金メダリストとなった。 継続は力なり 藤澤虹々可とPOD CorporationによるPOD Games そして次がムラサキパーク東京の営業終了前に、自分が撮影した最後のイベントになる。 POD Coporationと藤澤虹々可によるPOD Gamesだ。 ただ彼女はこのコラムにも載せた2019年のJRSF JAPAN OPENの覇者で、まだまだ現役バリバリのトップガールズスケーターだ。 しかも自分は彼女の10歳にも満たない頃の写真も撮影しているので、まさかこんなに早く彼女と裏方の立場で一緒に仕事することになるとは思っていなかった。 でも今思うと、そんな出来事もお互いスケートボードが好きで続けてきたから実現したのだと思う。 今やその数も増えたガールズイベント。今後もきっと増加の一途を辿っていくことだろう ここまでの流れを辿れば、やはり世の中は「諸行無常」であると思わざるを得ない。だがそれと同時に「継続は力なり」という言葉の意味も、時を重ねることで感じ取れるようになってきた。 残念ながら今はもう「ムラサキパーク東京」は存在しないが、そのレガシーは「ムラサキパーク立川立飛」に立派に受け継げれている。これからも『ムラサキパーク』の名はそのままに、時代の最先端をひた走っていくのだろう。 一個人が撮影した写真だけで、これほどのストーリーが出来上がってしまうのだから。 吉田佳央 / Yoshio Yoshida(@yoshio_y_)1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本の監修や講座講師等も務める。ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている