Skateboarding Unveiled vol.5 ~Map’s Tokyoからムラサキパーク東京へ~

2023.08.30
2009年に経営権がムラサキスポーツに移ってから、Map’s Tokyoは多くのスケートボードコンテストが開催されるようになった。
text and photography / Yoshio Yoshida

今、最も旬なスケートパークは?

ムラサキパーク立川立飛のオープニングイベントのひとつとして開催された
「AJSA 2023 JAPAN PRO TOUR MURASAKI PRO」より、池田大亮のスイッチバックサイド180

現在、国内で最もホットなスケートパークといえば何処になるだろうか?

そこに先月東京都立川市にオープンした「ムラサキパーク立川立飛」という答えがあっても、決して大げさな表現ではないだろう。

実際にこけら落としイベントのひとつとして、40年以上の歴史を誇るAJSAのプロサーキットが、コロナ禍を経て4年振りに再開したり、Red Bullチームがデモに訪れたりと、待望だった首都圏の空調付き屋内コンクリートパークは、連日多くのスケーターで賑わっている。

「AJSA 2023 JAPAN PRO TOUR MURASAKI PRO」を制した
佐々木音憧のバックサイド・ノーズブラントスライド

そんな経緯もあり、今回は「ムラサキパーク東京」という場所の歴史を、自分の写真で振り返っていきたい。

そもそもこの場所は、足立区千住関屋町の施設、アメージングスクエア内にあったものであり、そこが移転リニューアルしたパークである事は、すでに愛好者の皆さんならばご存知だろう。 

ただ「ムラサキパーク」という名称が使われるようになったのは2013年からであり、それ以前はMap’s Tokyoと呼ばれていたことを知っている人間となると数は少なくなるだろう。さらに経営母体がムラサキスポーツへと変わったところまで遡るとなると、2009年まで時を戻すことになる。

そこを境に、スケートボードのコンテストがいくつも開催されるようになり、シーンに欠かせない場所へと成長していったので、当時国内最大手の専門誌、トランスワールドにいた自分も現場に足を運ぶようになったわけだ。

新世代の到来を告げるひとつの答え

当時わずか9歳で優勝した岸 海。ただ世に出てくるのがあまりにも早すぎたのか

そこで自分の持っているこの場所の写真を振り返ると、最も古いものが2010年6月に行われた「éS Game of S.K.A.T.E.」になる。

ただこの写真を見ただけでは、「本当にMap’s Tokyoなの⁉︎」と思う方もいるかもしれないので、念のため補足しておくと、正確にはパークの真横にあるミズノフットサルプラザ千住で行われたイベントになる。ただ同じアメージングスクエア内にある施設であり、大きなイベントを開催する時は、合わせて利用されていた場所でもあるので多くの人の認識はMap’s Tokyoで間違いないだろう。

そしてこの時に優勝した人物だが、現April Skateboardsの岸 海になる。弱冠9歳のキッズが並いる大人の猛者達を抑えて優勝した事実は、今思えば新時代の訪れを告げるひとつの前兆であったと思うが、「出る杭は打たれる」という言葉があるように、コンテストよりもストリート全盛の時代(今でもそのような傾向はあるが)にあっては、好意的な言葉はまだ少なかったように記憶している。

それもあってか、この後彼は一旦シーンから姿を消すことになってしまうのだが、見事なカムバックを果たし、現在は日本を代表するテクニカルスケーターのひとりとして活躍しているのは周知の事実。ともすれば、彼が13年前にS.K.A.T.E. Gamesというフラットトリックの猛者が一堂に会したコンテストで優勝したのは、必然だったと言えるのかもしれない。

普段はコンテストに出ないような当時の国内トップテクニカルスケーターが一堂に介した

2011年のバートコンテストのメンツが凄すぎる

当時はバート界の新星と言われていた堀米雄斗

次に紹介したい写真が、現在自分もスタッフとして関わらせていただいているAJSAの、2011年7月に開催された一戦なのだが、注目していただきたい部分は、ストリートではなくバートになる。若年層からしたら、バートが競技種目のひとつとして行われていただけでも驚きかもしれないが、優勝したのが世界のバートシーンのトップに立つ芝田モトで、2位がストリートで世界のトップに立った堀米雄斗だということを知ったらどう思うだろうか!?

「ストリートも滑れなきゃパークスタイルは勝てない」これは現在日本の男子パークシーンでトップに立つ永原悠路が、つい最近自分に対して放った言葉なのだが、それ以前にパークスタイルはバートができなければ滑れないと言われている。

いわば種目の壁を超えてオールラウンドに滑れなければ勝てないということの裏返しなのだが、それはアマクラスの顔ぶれを見ても明らかで、なんと池田大亮(優勝)や白井空良(6位)といった、現在はストリートを主戦場とするトップスケーターもバートのコンテスト出ていた事実には、驚きを持つ人もいるはずだ。

プロアマオープンの表彰台。右から2番目が優勝した芝田モト、
3番目が準優勝の堀米雄斗、4番目が3位の佐野誠哉

アマクラスの入賞者。右端が優勝した池田大亮。白井空良は左から3番目。
他にも渡辺雄斗(左から2番目)や本橋暸(左端)らの姿も

今度はストリートに出場!?

優勝した桑本透伍(右)と、AJSAバートに続き同年同月に行われた
GATEのストリートに出場した堀米雄斗(左)
堀米雄斗と同じく同月にストリートとバートの両種目に出場した
池田大亮(右)と、性別の壁を超えて出場していた西村碧莉(左)

また、当時はAJSA以外にもGATEと呼ばれるコンテストがあったのだが、振り返ると実に面白いデータが浮かび上がってくる。

これは前述のAJSAと同じ2011年7月に開催されたものになるのだが、当時の優勝は圧倒的なハイエアーを武器に活躍していた桑本透伍。彼の実力からしたら、そこには何の驚きもないのだが、注目すべきは堀米雄斗が今度はストリートの方に出ていることではないかと思う。同年同月の、しかも同パークで開催されたコンテストで、全く違う種目に出ているのだ。しかもどちらも入賞を果たしているのだから恐れ入る。

ただこれはアマクラスに出場していた池田大亮にも同じことが言えるし、西村碧莉も性別の壁を作らずに、男子に交じり果敢にチャレンジしていたので、種目や性別が違うからといって無意識に壁を作るのではなく、貪欲にチャレンジすることが、いかに大切であるかがおわかりいただけると思う。後にトップライダーとなる人物の幼少期は、皆がこのような道を通ってきたのだ。

GATEにて入賞した面々。堀米雄斗は両種目で入賞している。

ガールズシーンの底上げに貢献したカラフルプロジェクト

今や業界のレジェンド姉妹といっても差し支えないのではないだろうか?
西村碧莉(左)と詞音(右)
女子パークの先駆者だけあって、当時からトランジションを果敢に攻めていた中村貴咲

またムラサキパーク東京(当時は Map’s Tokyo)は、協会の主催するもの以外にも、実に様々なコンテストを開催している。これは2011年11月に行われた「SHOE GOO GIRLS CUP」というイベントになるのだが、キッズクラスの表彰台を見ると、 1位 伊佐風椰、2位 中村貴咲、3位 西村碧莉という、後のX Games日本人初の覇者、日本チャンピオン、オリンピアンが、種目の垣根を越えて並んでいるのだから面白い。

今でこそガールズシーンも確立してきて、ガールズオンリーのイベントも増えたが、当時としては非常に画期的な試みだったのではないかと思う。集合写真には前述の西村碧莉、詞音姉妹や、現日本代表コーチを務める風間美保(現在は宮本)らに加え、ゲスト枠で韓国から参戦したミニなどの姿も見られた。

当時、業界最大の展示会であるインタースタイルで何度もイベントを催したり、海外のコンテストにも積極的に参加するなどして、シーンの底上げをしてきたColorful Projectのこういった活動は、今のガールズシーンを見ると、着実に身を結んでいるのではないかと思う。

(左)左から1位 伊佐風椰、2位 中村貴咲、3位 西村碧莉。(右)
景品を受け取る幼い頃の西村碧莉
カラフルプロジェクトの呼びかけで全国から集まったガールズスケーター

新世代の540マスターの出現

R to バンクでマックツイストをメイクした池田大亮

次は540というトリックに絞って見ていきたい。今やパークスタイルの世界では当たり前になってきたトリックともいえるが、日本でファーストインプレッションを与えたスケーターと言えば、自分は池田大亮だと思っている。

これは2012年11月に開催されたGATEでのひとコマなのだが、彼がメイクしたのは通常の540ではなく、縦回転が入る軸のズレたマックツイストである。しかもセクションがバーチカルや大きなクォーターではなく、R to バンクだったのだから、自分も目の前でシャッターを切りながら度肝を抜かれたことを覚えている。

この日の彼はミドルクラスとエキスパートクラスにWエントリーしており、どちらも優勝しただけでなく、S.S.S.という部門でベストトリック賞も受賞しているので見事に3冠を達成したのだが、このマックツイストがその際たる要因となったのは間違いないだろう。

聞けば、彼は記憶もない2~3歳頃からスノーボードもやっており、固定概念みたいなものがない年齢だったからこそ「スノーボードの延長線上の感覚でやったらできるんじゃないか!?」とトライしたら出来たのだそう。

またそのきっかけは同年6月に新横浜で開催されたElementのMAKE IT COUNT。その時はできなくてめちゃくちゃ悔しい思いをしたことで”絶対に乗ってやる!”と次の日も新横浜に足を運んでトライし続けた末の初メイク。その嬉しさは忘れられないと後に語っていた。

ノービスクラスの表彰台。真ん中に立っているので2位に輝いた幼少期の青木勇貴斗

そんなGATEなのだが、特徴のひとつにノービス、ミドル、エキスパートという細かなクラス分けがある。だからこそ選手側からしたら「出やすい」のだろう。今となっては各クラス共にこんなライダーが出てたんだ! という発見もあるだろう。この時は後のオリンピアンであり、TAMPA AMの覇者となる青木勇貴斗がノービス(ビギナーの意味)クラスに出ていたのだから面白い。

今となっては国内有数のスキルを誇る選手たちも、皆が初心者の頃から積極的にコンテストに出場していたことがわかる一枚だ。

S.S.S.にてテクニカル賞を受賞した増田竜万(左)、
ハイエアー賞を受賞した堀米雄斗(中)、ベストトリック賞を受賞した池田大亮(右)

Go Skateboarding Day 2013

資材を用いた特設フラットバンクで披露した小島 優斗(左)の
ノーリー・バックサイドヒールフリップと、北村 ”ZIZOW” 浩一のトレフリップ

続いてはまたも「本当にMap’s Tokyoなの⁉︎」という写真を紹介しよう。

だが、撮影されたのが2013年の6月21日だと知ったら、勘の鋭い人ならすでにお気付きだろう。

そう、「Go Skateboarding Day」に合わせて行われたイベントでのひとコマだ。

この日は一般社団法人のJASA(JAPAN ACTION SPORTS ASSOCIATION)が音頭を取り、渋谷周辺のデモ行進と共に提携パークの無料開放を行ったのだが、その提携パークのひとつが Map’s Tokyo だったのだ。

だが、あいにくこの時期の日本は梅雨のど真ん中に当たるので、雨天中止となってしまうケースが多い。

この年もその例に漏れず雨天となってしまったので、当然屋外のパークは使えない。

そこで施設内のインドアスペースを活用し、即席のフラットバンクやレール、マニュアルボックスを用いてムラサキスポーツのライダー達とのセッションを楽しんだという、かなり稀なケースの写真であると言えるかと思う。

ところでこのインドアスペース、もしかしたらお気付きの方もいるかもしれないが、後のムラサキスポーツ東京のショップとなる場所で行われている。ちなみにムラサキスポーツ東京という名称に変更されたのはちょうどこの頃で、徐々にその名前が周囲に浸透していくことになるのだが、なぜこの倉庫スペースだったコンテナの中にショップが出来たのだろう!?

それは次の写真を見れば、ごく自然な成り行きであったことがわかる。

このイベントのために集まったライダー達。
左から戸枝 義明、小島 優斗、中島 壮一朗、清水 葵、北村 ”ZIZOW” 浩一、瀬尻 稜

本格的なムラパー時代の幕開け

全天候型、待望の屋内パークが完成したことで「ムラサキパーク東京」は更なる飛躍を遂げた

そう、多くの人の記憶に新しいであろう、2014年10月にオープンした屋内パークだ。

現在のムラサキパーク立川立飛と比べると、木製ではあるのだが、当時としては最先端のプラザ型と呼ばれるストリートライクなパークは大きな話題となり、後の日本のスケートシーンの発展に多大な貢献をしたことは間違いない。

なぜなら、ココで育ったスケーターが堀米雄斗や西村碧莉なのだから、それ以上説得力のある言葉はないだろう。

ムラサキパーク東京は、部分的リニューアルでこのパーク中央部のセクションを変更している。
この当初のセクションに懐かしさを覚える人もいるだろう。

同時にこんな素晴らしいパークが出来るのであれば、当然ショップの必要性も出てくる。

前述したようなコンテストだけでなく、当時活況を見せ始めていたスクールや体験会といった日常的なイベントを行うにも重要な存在になるので、パークの価値や意味合いもさらに増すことになり、相乗効果でブランド価値が高まっていくからだ。

こうして「ムラサキパーク東京」は、国内最高峰の新たな屋内パークに加え、充実した品揃えのショップも完備。

そしてこの後は五輪競技への採用と共に、更なる飛躍を遂げていくことになるのだが、その模様は、また次回のコラムでお届けしたいと思う。

吉田佳央 / Yoshio Yoshida@yoshio_y_
1982年生まれ。静岡県焼津市出身。
高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。
大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。
2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本の監修や講座講師等も務める。
ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている

執筆者について
FINEPLAY編集部
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