2020年10月、ダブルダッチシーンに新たなプロチームが誕生した。その名も『FLY DIGGERZ (フライ ディガーズ)』。若手6人が肩を並べ華々しくデビューを飾り、2021年3月の DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN 2021 では見事優勝しチーム日本一を達成。
今回FINEPLAY取材班は、そんな“躍進中”の彼らを独占インタビュー。華々しく見えた彼らだが、その裏には様々な思いがあった。彼らはこれからどこを目指すのか? どう進んでいくのか? 手探りで未来を切り開こうとする彼らの、言葉から零れだす熱意とダブルダッチへの思いを感じて頂きたい。
《 ABOUT “FLY DIGGERZ” 》
最前線で競い合った業界のルーキー達が集結し2021年10月に結成。誰よりも跳び(FLY)、誰よりも探求(DIG)し続け、全世界各地で多くの人に出会い、一緒にダブルダッチを楽しめる空間を作り出したいという思いから名付けられた。
今年3月の国内大会「DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN 2021」では見事優勝し、現在続く世界大会「~CONTEST WORLD 2021」の優勝に向けて奮闘中。その傍らCM・TV番組などメディアへの出演も果たし、ダブルダッチの認知向上に大きく寄与している。

“AROUND THE BASIC”
——まずは DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN 2021 優勝おめでとうございます。皆さんの今の心境を教えてください。
一同: ありがとうございます!
タカオ: ひとまず、FLY DIGGERZとしてやっと動き出せたな、と思います。今回の優勝もそうですし、メディア露出も増えてきていよいよ本格始動という気がしています。ただ、僕らはCONTEST WORLD* で優勝することが目標なので、次なる目標に切り替えて始動しています。

*:国内大会「DOUBLE DUTCH CONTEST JAPAN」の上位数チームが、同世界大会「~WORLD」への出場権を獲得。2021年はFLY DIGGERZを含む3チームがCONTEST WORLDへ進出。
——やはり照準はもうCONTEST WORLDにあるのですね。
ケンゴ: タカオの言った通りですね。僕らは最初から「世界一になる」ことを目標に出場したので、国内予選となるCONTEST JAPANは絶対に優勝しようと思いました。事務所の先輩にも「優勝しないとヤバいでしょ」とプレッシャーを掛けられていたので(笑)。
パフォーマンスを作る過程でも「これで優勝できる?」とメンバー同士が逐一聞き合っていました。そういう意味で、今回はしっかり狙って1位を獲れたことが素直に嬉しいですね。
——“狙っていった”と。これはどういったことをしたのでしょうか。
ケンゴ: それこそ逐一聞いたこともそうですが、僕らはチーム結成前から各々ダブルダッチに対して真剣に取り組んでいたので、それぞれが得意とする分野があって、しかもかなり秀でていたと思うんです。だから、僕らがお互いに得手不得手を補って、最終的に1つのパフォーマンスにまとめれば、自ずと良いものは出来上がってくるだろうと自信を持っていました。
ただそう言いつつも、最初にCONTEST JAPANに臨む上で出来たパフォーマンスは、決して人様にお見せ出来るようなものではなくて…。
カスヤ: とにかくカッコいい!と思うものを組み合わせて作ったところ、結果として歪なものになってしまいました。なのでパフォーマンスの「テーマ」を決めようとなったのですが、まずこれが相当な時間を要しましたね。
——なるほど。その“テーマ”というのは何でしょうか。
カスヤ: 悩みに悩んだ結果、「AROUND THE BASIC」—“原点に立ち返る”というテーマになりました。最初は技術寄りなケンゴ・トーマ・僕と、表現寄りなアユカ・ケイスケ・タカオの3人ずつで行程を分担して作っていたのですが、途中で「そうじゃないな」と思ったんです。FLY DIGGERZは6人で1つだし、と(笑)。
そこから奇をてらうことなく、原点に立ち返って「一番イイよね!」と思うものをみんなで擦り合わせていくよう意識しました。

トーマ: この間CONTEST JAPANのパフォーマンスを見返した時、“6人で闘っている感”が出ていたと感じたんですよね。そういう意味でも、原点に立ち返るテーマを据えたことは間違いではなかったと思います。
カスヤ: 今思うと最初の3人3人の時は寂しかったですね。「どう?」「出来たよ」みたいな(笑)。
六身一体になる瞬間
誇らしげにしながらも、CONTEST WORLDに向けて気を引き締めなければと語ってくれた6人。しかし大きな転機となったCONTEST JAPANも、最初は出場するつもりが無かったのだという。
タカオ: 実はもともと、CONTEST出場は考えていなくて。出場することをチームで決めたのが、昨年末ぐらいだったのです。
——ということは… あの完成度を3カ月ほどで叩き出したことになりますね。
タカオ: そうなります。でも我ながら凄いと思ったのは、制作速度がとてつもなく早い。普通であれば長い時間かかることが一瞬なんですよね。技術もそうですが、決めたことに対する全員のがっつき具合も高くて驚きました。ケンゴさんも仰ってましたが、各々が培ってきたものの強さを感じました。
カスヤ: 最初は少し奇をてらいすぎていたんです(笑)。先輩にあたるチームの「REGSTYLE」が過去に同じ大会で世界三連覇したので、「それなら俺たちが同じことをする必要はないのでは」と思っていたんです。当初は、オンラインのダンスのコンペティションに応募したり、そういうこともしていました。
ケンゴ: でも僕らはダブルダッチのパフォーマンスを生業としていて、活動の軸はダブルダッチ。それならダブルダッチの大会に出て、結果を残さないでどうする? となったわけです。まさに原点に立ち返る、ということですね。そういうことを気づくのが少し遅かったのかも知れないです(笑)。
CONTESTに臨んでから6人がグッとまとまって、嬉しいことに結果も出ました。大会に参加することが絶対に正解だとは思っていませんが、この選択は間違っていなかったと振り返って思います。

カスヤ: 僕らのデビューの場は昨年開催された学生の大会で、その際のゲストショーは6人一人ひとりの自己紹介のようなものでしたが、今回は完全に「闘う」ためのパフォーマンスだったので、いかに6人で強力なものを作れるかを大切にしましたね。
——まさに「六身一体」となったわけですね。
カスヤ: そう、六身一体になれて、6人が1つになって掴みたいものを掴めた経験は自信に繋がりました。
アユカ: 今カスヤさんが言っていた、デビュー時のゲストショーケースを作っている時とは、全く違った楽しさがありましたね。
カスヤ: まあ最初は大変だったな(笑)。
ケンゴ: 少しピリついていたね(笑)。僕は2019年からREGSTYLEというチームで活動をしていたので、みんなより1年早くプロとして活動をスタートしました。なので最初は少し「先輩として」なんて思っていましたが、僕自身もCONTEST JAPANで意識が変わりました。
その大会の日、みんなが今までで一番喋っていたんですよね。その光景が以前シルク・ドゥ・ソレイユのステージに立った時の、ダブルダッチの先輩や周りの演者の方たちがコミュニケーションをとっている様子に重なって見えて。
そこで「あ、こいつらイイ」って思いました(笑)。
——FLY DIGGERZにとって、今回のCONTEST JAPANは大きいきっかけだったんですね。
ケンゴ: あとは練習時間以外も”練習“していましたね。自宅に帰っても練習動画を見返して反省点を洗い出したり、ここを失敗したから明日はこうしてみようとか、そういうことをちゃんと出来るメンバーでした。
タカオ: 先ほども言いましたが、目標が決まった瞬間のがっつき方は凄まじかったです。本当にチームメイトに恵まれたなと。
——みなさんのその“がっつく”力と言いますか、原動力というのはどこに秘密があるのでしょうか。
カスヤ: ダブルダッチが好きだから、という根本的な部分にあると思います。僕らは結成前から、ダブルダッチに触れている時間以外もダブルダッチのことを考えて、ダブルダッチに費やしてきたメンバーなので、目標が決まった時、それに向かうエネルギーはある意味当然と言えば当然かも知れません。
ケンゴ: それぞれに事情や人生や個性があるけど、「ダブルダッチが好き」「ダブルダッチに懸けている」という共通している部分が重なったと知った瞬間、チームとして強くなったなと思いましたね。

心境の変化
順風満帆に見えて、デビューしてからの半年間に紆余曲折を経験していたという彼ら。目標の一つを達成し、次なるステージに進もうとする彼らに話を訊くと、そこにはデビュー当時から大きな心境の変化があったようだ。
トーマ: 一時期は本当に活動が無く、どうなるのかとフワフワしてしまった時期もあったので、まずはCONTEST JAPANを経てチームは一つ上のレベルへ上がれたことに安堵しています。WORLDもありますし、もちろんそれ以外の活動もあるので、気を引き締めながらも、FLY DIGGERZとして自信を持って取り組むことが出来そうです。
あとは、「プロ」「FLY DIGGERZ」という看板を背負った時、ダブルダッチ以外の方にも目がいくようになりましたね。今までは身内からの見られ方を過剰に気にしていましたが、生業にする上でそれではダメだと。どんどんダブルダッチを通して、ダブルダッチ以外を知っていきたいと感じました。

——そういった心境の変化があったのですね。他の皆さんはいかがでしょうか。
カスヤ: 僕の場合は、関西からプロを目指して上京し4年目になりますが、まずはやっとスタートラインに立てたことが心底嬉しいです。最初は別のプロチームのメンバーとして活動したり、その後は仲の良いメンバーで活動したりしていたのですが、どれも今一つ上手くいかず、スタートに立てている実感すらも湧いてこなくて。ひとまず「プロ」という看板を背負えたことに喜びを感じています。
ただ、個人的には心境の変化はあまりないです。一貫してずっと「ダブルダッチが好き」という気持ちでやってきていましたし、今もそうです。ただこれからはプロとして「ダブルダッチを好きになってもらう」ことが僕らの仕事になってくるので、そのために何が出来るかを模索したいです。
アユカ: 私は10歳のころにダンスに出会って、そこからパフォーマンスをすることがずっと好きでした。だから今の活動に生き甲斐を感じます。ただプロとして、私たちは自分たちのことを好きになってもらわないといけないので、より「チームを」「ダブルダッチを」という意識が強まりました。
あと、先日Instagramに投稿したリールの動画で、ダブルダッチを知らない方が「ダンスもダブルダッチも知らないけど楽しめることが凄い」とコメントしてくださったことが嬉しくて。ダブルダッチを知っている方へも、知らない方へも、もっとダブルダッチを好きになってもらえる機会を増やせたらなと思います。

ケイスケ: ダブルダッチを生業にすることへの迷いや不安はあったのですが、教育実習に行ったとき、ダブルダッチがない時間がかなりあって。そこでダブルダッチから離れることを想像出来なかったんです。
今デビューして活動して、大小色々なお仕事をやっていますが、とても楽しいです。プロとしてやっていくのなら、僕はこの人生で良かったと自分でも納得しています。FLY DIGGERZというチームなら、これからの人生も楽しそうだなって(笑)。
カスヤ: …照れますね(笑)。
タカオ: 他の皆さんが言ってくださったことが全てですが、でも本当にCONTESTを経てチームとして一気に固まってきたかなと思っています。なのでこれからが更にワクワクしていますし、楽しみです。
ケンゴ: 悪いことは割って、楽しいことは掛け算していく。FLY DIGGERZは6人なので、不安は「÷6」、ワクワクは「×6」。そう思えるチームになったことは、僕らにとって大きな変化だと思いました。

彼らが見据えるこれから
——FLY DIGGERZの皆さんの、これからの目標があれば教えてください。
ケンゴ: チームとしては、まずはダブルダッチの方々に認められたいです。やはりダブルダッチプレイヤーなので。だからこそCONTEST WORLDは勝たなければいけません。「世界一」という称号を獲って、次があるかなと感じています。
要は、世界一を獲ることは僕らにとってあくまで通過点でしかなくて、その先のために獲るものだと思っています。今はその“先”に何があるかは分かりませんが、逆に言えば世界一を獲れば見えてくるだろうと。
カスヤ: ケンゴの言った通り、CONTEST WORLDを獲って、僕らがやりたいことをようやく出来るようになるかなと思います。あとはチームとして他にどんなことを目指すのかというのは、よくミーティングなどを開いて話し合っていますね。
例えばフレッシュな僕らは学生とも年齢が近いので、もっと接点を作って業界の若い層を刺激したい。他にもやりたいことがあって、そのためのプランもあるのですが… これはまだ秘密です。
ケンゴ: 正確に言うと、ちょっと忙しくて動けていないのですが(笑)。
カスヤ: 言い訳はダメなんですけどね(笑)。
ケイスケ: 最終的には「ダブルダッチといえばFLY DIGGERZ」と、名前が挙がるような存在になりたいです。
——それは今後が楽しみです。個人としては皆さんいかがでしょうか。
ケイスケ: プロとして活動してから“これから”を考えるようになりましたが、正直「これを目指す!」という確固たるものは決まり切っていません。ただ、ショーケースを見せたときにその人に感動してもらえるか、人の心を動かせるか… いちパフォーマーとして原点に返ってそこを突き詰めたいですし、そのための“何か”を迷いながらも模索し続けたいと思います。

アユカ: 私もどういう存在になるかは模索中ですが、ひとつは“人間力”を磨きたいです。パフォーマンスにしてもInstagramの動画にしても、100人のうちの1人でも強く刺さってくれたらいいと思っています。数に目を向けることも大事だけど、一人ひとりの見てくださる方の思いも大切にしたい。そしてそのためのパフォーマンスが出来る人間でありたいし、自分の中から溢れるものをもっと磨いて、外に発信していきたいです。
それこそ「なぜダブルダッチ始めたのか」とか、原点に立ち返って考える機会も増えました。まさにパフォーマンスのテーマにもあった、“AROUND THE BASIC”です。
ケンゴ: 一個人としては、家庭を持って子どもを養っていきたいという目標があって、そこに向かって意識して、どういうことをしないといけないか、どういうJUMPをしないといけないかと考えているのですが、やはり人を幸せにするにはまず自分がある程度満たされている必要があるなと、つくづく思います。自分が満たされていないと、人のことを気に掛ける余裕が出来ないというか。余裕がない状態で人のことを見ても、勝手に見えたつもりになっているだけで、それは“嘘”ではないかと思うんです。
プロとして多くの人に幸せや元気を与える存在として、そこは見誤らないようにしたいと思っています。
カスヤ: 僕は子供たちの“ヒーロー”になりたいですね。レッスンや講習会で子供と接するとき、例えば「昨日先生が出ているあの番組見たよ」って言われたら、子供たちに夢を与えることが出来ると思うんです。彼らがやっているダブルダッチに無限の可能性があることを、背中で伝えたいですね。子供たちが僕らの背中を追いかけてきてくれて、その過程で更なる成長の機会を作れたら最高です。
トーマ: “甲斐性のある人生を送る”ことを意識しています。8歳のころからずっとダブルダッチと一緒に成長してきたのですが、だからこそいつか自分の体が動かなくなる時のことをよく考えてしまうんです。その時に、自分が家族や周囲の人に支えてもらったように、自分も家族や仲間を支えられる存在でありたいです。
そのためにFLY DIGGERZとして、まずはガンガン動こうと思います。
タカオ: とにかく多くの人たちを幸せな気持ちにしたいですね。自分はパフォーマンスやダブルダッチを通して、幸せを提供できる存在でありたいです。「明日死ぬとしたら」とよく考えるのですが、悔いのないよう、まだ見えないこの先のことにもワクワクしながら、プロとして活動していきたいと思います。
ケンゴ: 僕含め、メンバーの中には「想いの“種”」みたいなものを共通して持っていると思っています。誰かに見て欲しい、誰かにダブルダッチを面白いと思って欲しい、とか。その共通したものがどんどん成長して“花”になったとき、どんなことを達成していて、どんな目標を追いかけられているのか…。
一つひとつの小さいことを大切にしていくことで、その先のものを目指していきます。なので僕らは世界一にならなければいけません。引き続き、応援よろしくお願い致します!

“プロ”としての肩書や矜持を背負い、ステージで華々しく躍動する彼らも人間だ。そして人間である以上、等しく迷い、苦しみ、悩むものだ。しかし彼らはそれをエネルギーに変換して進み続けていた。多くの人に愛される彼らの魅力は、そこにあった。
迷いを力に、悩みを武器に。彼らはこれからも臆さず跳び続けることだろう。未来を見据える彼らの目は、これからどんな景色を見ていくのだろうか——。
TEXT & INTAVIEW: YAMADAI
PHOTO: Yassy
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私の両親は、私に楽しんでボディボードをして欲しいというよりも、競技として取り組んでほしいという想いがありました。小池葵さんに誘ってもらって訪れたボディボードのお店も、「楽しむ」というより、「試合に勝つ」ことを目指してボディボードをしている人が多かったんです。みんな試合に勝つために海に入り、練習をしているような環境が最初から整っていて、私も自然と試合に出るようになりました。小学校5年生の春にボディボードを真剣にやるようになって、6年生になる冬に、葵ちゃんが「沙莉をハワイに連れて行きたい」って言ってくれたんです。両親も競技としてボディボードをやってほしいという考えだったので、「ぜひ連れて行ってください。」と後押ししてくれて、ボディボードを始めてすぐに、海外を経験することができました。実際にハワイへ行って、間近で自分の師匠である葵ちゃんがパイプラインで試合をしている姿を見たり、自分も海外の試合に出て外国人の選手と戦ったことで、「試合に勝ちたい!」という想いが強くなっていきました。 海外を経験する中ですぐに海外を目指そうと思いましたか 正直、私がやりたくてやっているというより、ついここ数年前までは、周りの声を聞いて自分の進路を決めていました。ボディボードを始めたのも、両親の影響や、師匠の小池葵さんとの出会いがあったからです。試合に出るようになったのも、「まずは地元の試合に出てみよう」「次はNSAに出てみよう」「NSAでチャンピオンを取ったら、プロの大会に出て、世界の試合を目指そう」みたいな感じで、「自分がこの試合に出たい」「こうなりたい」と強く決めたというよりは、周りの影響がとても大きかったです。 世界チャンピオンになるためのレールが引かれていたのですね はい。でも、それが全く嫌だったわけではなくて。ボディボードは楽しかったし、私自身、すごく負けず嫌いな性格だったので、「やるからには絶対に勝ちたい」という想いがありました。もし試合に負けてしまっても、答えもちゃんと用意されていたんです。たとえば、「次勝つためには、朝練をしよう。学校に行く前に早朝、海に入って練習をすれば、もっと上手くなる」といったように、常にレールが敷かれている環境でした。 自分の意思で行動しようと切り替えた瞬間はありましたか 今までは、海外のツアーも日本人選手と一緒に回っていて、「みんなが行くから私も行く」といった感覚の部分もありました。でも、2016年に外国人選手とツアーを回るようになってからは、自分で選択し、進路を決めていかなければならないと強く思い始めました。外国人選手と過ごす機会が増え、誰も自分の代わりに決断をしてくれない。だからこそ、自分で決断していかなくてはいけないタイミングが増えていき、そこからは自分で目標を立てて、その目標に向かって少しずつですが進んで行けるようになっていきました。 自分の意思で行動するようになって、変わった部分はありましたか 外国人選手と海外のツアーを回るようになったことで、「自分で責任を負うこと」や「自分の環境を自分で作ること」を学びました。当時、一緒に試合を回っていた外国人選手たちは、そんな私の姿勢を尊重してくれていて、そのあたりから試合への向き合い方も少しづつ変わっていった気がします。そして2018年、日本人として初めてワールドチャンピオンを鈴木彩加選手が獲得した姿を見て、「自分も変わらなきゃ」という思いがより一層強くなりました。それが私にとって1番のターニングポイントになったと思います。2019年、すべてを変えて挑んだシーズンで、日本人で2人目だけれど、初めてワールドチャンピオンを獲ることができました。振り返ってみると、この3、4年はいろんなことに向き合い、自分を変えるきっかけになった時期だったと思います。 日本人が世界で戦い、活躍していくための課題はどのように感じていますか 私は、「海外に寄せつつ、日本人でいること」を大切にしています。海外で戦うためには、海外の波の経験が必ず必要で、海外トレンドを取り入れることも欠かせません。さらに、ジャッジクライテリア(評価基準)の理解を踏まえたうえで、外国人選手と戦うためのメンタルや戦術も身につけなければいけません。海外ツアーでは大きな波で試合をすることが多いため、それに対応できるスキルも必要になります。海外で戦う以上、海外のスタンダードに合わせる努力は絶対的に必要です。私自身、大きい波は得意ではありませんでしたが、少しずつ克服していきました。でも、性格やボディボードのスタイルまでを完全に外国人に合わせる必要はないと思っています。むしろ、日本人の良さを持っていたからこそ、海外で成功できる要素になったと思っています。たとえば、日本人特有の繊細さや、 ライディングのラインの丁寧さは、ボディボードにおいて大きな武器になります。外国人選手は技がダイナミックだけれど、クオリティがやや雑になってしまうこともあり、その雑さを整える作業を外国人選手たちは行っています。その中で、日本人のボディボードスタイルが海外ツアーで大きな武器になるタイミングがたくさんあると感じています。だから、それを捨てる必要はないと思っています。性格の面でも、日本人の謙虚さや感謝の気持ちといった部分は、とても大切な要素です。だからこそ、「海外に寄せつつ、日本人でいること」を大切にしてほしいと思います。 ボディボードは日本と海外で審査基準が異なると聞きましたが、実際はどうなのですか はい。実際にボディボードの試合では、日本と海外で波の大きさや質などの規模感がまったく違うので、日本の波でできることと、海外の波でできることは大きく異なります。海外のジャッジ基準に合わせたいけれど、日本ではその基準となるような波がほとんど無いため、日本独自のジャッジクライテリアが自然と生まれます。この部分が日本人選手が海外の試合に出た時に大変な点だと思います。私も、日本の評価基準に合わせて子どもの頃から練習をしていたので、自分では「決めた!」と思ったライディングでも、海外の基準ではあまり点数が伸びなかった経験をしてきました。その擦り合わせはとても大変な作業ではありましたが、適応力を養ううえではすごく良い経験になったと思っています。 引退を考え始めた時期、そしてそのきっかけを教えてください 以前から、30歳ぐらいで引退をしようと考えていたのですが、本格的に引退を考え始めたのは、2度目のワールドキャンピオンを獲った2023年の夏頃でした。「もう、来年の1年で終わりにしよう」って決めました。ワールドチャンピオンを絶対に2回獲るという目標は自分の中で決めていて、2023年のワールドツアーで1戦目、2戦目と優勝し、世界ランキングでもその時点でぶっちぎり1位になったんです。そこで、ワールドチャンピオンが取れると確信し、もう引退しようと決めました。 引退後の不安はありましたか 不安は大きかったです。11歳から選手として活動して、15 歳でプロボディボーダーになり、そこから 29 歳までプロ選手としてやってきたので、これからの生き方がガラっと変わることに対する不安が大きかったです。2023年に2度目のワールドチャンピンを取ったので、その年に引退してもよかったのですが、2024年のシーズンもツアーに出ることを決めたのは、その1年間でセカンドキャリアに繋がる活動も一緒に進めていきたいと思い、試合を回りました。その間に自分のやりたいことも増えていき、試合を回りながらいろんな人とコミニュケーションを取ることができて、とても良い1年間になりました。 選手とは違った自分で過ごすようになって、いかがですか 1番感じるのは、闘争心がなくなったことです。海に入る頻度は選手時代に比べて減りましたが、現役時代よりボディボードが好きかもしれません。初めてワールドチャンピオンを取った年から、ボードを変えたり、環境を変えたりしたことで、まだまだボディボードが上手くなれる自分の可能性を感じています。選手時代はその可能性を少しずつ現実化していき、試合に勝つことだけを考えていましたが、今は理想のボディボードを追い求めることができ、とても楽しいです。また、選手をやめる理由の1つに、業界を盛り上げたいという気持ちが強くありました。ボディボード業界が縮小してしまっている今の状況を、どうにかしなくてはという思いはずっと持っていました。選手として業界を盛り上げることも考えましたが、難しい部分もあると感じていたので、これからは業界を盛り上げられるように、与える側の人間になりたいと思っています。そのために、私は何ができるのか、何を与えられるのか、いろんな可能性を膨らませて考える時間がとても楽しいです。 ボディボード業界を盛り上げたいと思うようになったきっかけは 若い頃から、師匠の小池葵さんやその世代の先輩にお世話になってきました。先輩たちが現役だった時代はボディボードブームで、選手としても金銭的に潤っていたという話を聞いて、「どうして今は違うのだろう?」とシンプルな疑問が自分の中で湧いてきました。私は現役時代、スポンサーにも恵まれ、親のサポートもあり、不自由なく選手生活を送ることができましたが、それでも今のボディボード業界は、ブームだった時代に比べると明らかに衰退していると感じます。サーフィンはショートボードがオリンピック種目になったことで、認知度も高まり、サーフィン人口も増えてきています。でも、ボディボードは一時のブームで止まってしまい、そのまま業界全体が縮小してしまった。その理由の1つに、「誰も続けて来なかったからではないか」と思うことがあります。ブームを経験した先輩が業界から離れてしまっていて、もちろん離れる事情も理解できますが、誰かが続けていかないと、本当にこの競技がなくなってしまうのではという危機感を持つようになりました。もし、自分が最後の世代だったら絶望的でしたが、後輩たちが頑張っている姿を見て、「私が繋げなきゃ」と強い使命感を持つようになりました。だから私は、ワールドチャンピオン2回獲ったし、もうボディボード業界から離れよう。ということは出来なかったです。 業界の課題について、どのように感じていますか ボディボードの魅力を発信していくことが、とても重要だと感じています。競技そのものや選手の魅力をしっかりと発信して、価値を見出していかないと、競技を続けていくことが難しくなり、選手が離れていってしまうという悪循環が生まれてしまうと思っています。そういった発信の仕組みづくりや環境作りも私が担っていけたらいいなと感じています。また、ボディボーダーがサーフィン業界に入っていくケースは少なく、ボディボード業界の中で何かやろうと思っても、出来ることが限られてしまうのが現状です。私は、弟や多くのサーファーの友達が居るので、サーフィン業界の知識をボディボード業界に取り入れたり、他のスポーツ業界の仕組みを参考にして、ボディボード業界に新しい価値や仕組みをもたらすことができたらと考えています。今までの経験や知識を、少しずつでもボディボード業界に還元していけたらと思っています。 今後ボディボード業界や社会に貢献していきたいことはありますか 選手だった頃は、どうしても自分が1番で、自分の成功を最優先に考えていましたが、引退してからは「人に影響を与えられる存在になりたい」という気持ちが強くなりました。数年前から環境問題に触れることが増えて、サーファーである自分が、肌で感じていることを伝えていかなければ、という思いがあるのですが、環境問題は少しハードルが高く感じる場面もあって、なかなか行動に移せない分野でもありました。だからこそ、堅苦しくならずに、自分が海で感じていることや学んだことを素直に伝えて、共に学んでいける仲間を増やしていきたいと思っています。ここ数年、世界でも日本でも「いい波」が減ってきているように感じます。それによって、海の中で言い争いが起きてしまうことが、私が住んでいる千葉県一宮町の大きな問題のひとつになってしまっていると感じています。サーフィン人口が増えて、一宮町に来てくれるのはとても嬉しいことですが、良い波に乗れないと不満が溜まってしまいます。さらに、プロサーファーも多い地域なので、彼らは仕事として練習が必要です。でも、一般の人から見ると、プロサーファーばかりが良い波に乗っていると感じてしまうこともあります。けれど、プロサーファーはそれが仕事。もし、いい波が豊富にあれば、こういった不満はきっと生まれにくいのではないかと思うのです。その「いい波が減っている」根本的な原因のひとつは、環境問題ではないかと感じています。だからこそ、もっと多くの人に、わかりやすく伝えていける発信ができたらと思っています。 また、私はボディボーダーとしてのコンプレックスのようなものを長年感じてきました。ボディボーダーってマイノリティですし、海外に行けば日本人やアジア人であること自体がマイノリティになることもあります。たとえば、ハワイのパイプラインで練習していると、アジア人女性でボディボーダーだから前乗りしてもいいみたいに扱われることもありました。アジア人だから、女性だから、ボディボーダーだから、うまくいかないこともあるし、相手にされないと思ってしまう人も多いと思います。でも私は、もっと自分を誇ってほしいし、ボディボーダーとしての自分自身を、自分の活動を、胸を張って誇ってほしい。大げさに聞こえるかもしれませんが、「自分を誇れる空気」を作っていきたい、それが本音かもしれません。弟のことを見て、羨ましいと思ったことは一度もありません。でも、サーフィンをやっているからこそ注目されているな、と感じる瞬間は少なからずあります。ボディーボードの業界とは全然違うなと。誰より劣っているとか、誰より優れているとかではなく、「ボディボーダーは、ボディボーダーらしくていい」と認めてあげられる場所を作っていきたいです。そのためにも、ボディボーダーとしていろんなことに挑戦していきたいです。だからこそ、たくさんの人に声をかけてもらって、選手時代にはできなかったさまざまな経験をたくさん積んでいきたいです。 プロフィール 大原 沙莉(おおはら さり)1995年4月21日生まれ。千葉県一宮町在住。2012年、ISAワールドボディボード選手権で日本代表として出場し、日本人初となる金メダルを獲得。2019年にはAPBワールドチャンピオン、2023年にはIBC年間ランキングでグランドチャンピオンと2度世界チャンピオンに輝き、世界トップレベルの実力で長年にわたりボディボード界を牽引。JPBAでは4度の年間グランドチャンピオンに輝き、国内外で数多くの優勝実績を残す。2024年に競技生活を引退。現在は、自身の経験を生かし、ボディボード業界に恩返しするため、団体に貢献できる事を探しつつ若手育成・普及活動も始めている。また、大会で解説・ビーチMCも務め、環境問題の重要性をサーファーに伝える手段を模索中しながら、多方面で活動中。競技を離れてもなお、ボディボードの魅力と文化を次世代へつなぐ存在として、精力的に活動を続けている。
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others高輪ゲートウェイにアーバンスポーツのトッププレイヤーたちが大集結!「URBAN SPORTS & MUSIC FESTIVAL」で圧巻のパフォーマンスを体感しよう!2025.04.302025年3月にTAKANAWA GATEWAY CITYに誕生した、期間限定のナイトミュージアムバー&クラブ「ZERO-SITE Takanawa Gateway」。このたび、2025年5月3日(土・祝)に期間限定のこの会場にて「URBAN SPORTS & MUSIC FESTIVAL - USMF -」が開催される。日本の音楽シーンを牽引するDJ・アーティストと、同じく日本のアーバンスポーツシーンを牽引するトッププレイヤーたちが一堂に会するのがこのUSMF。“動き”と“音”が交差するこの特別な一日に、彼らの卓越したテクニックと情熱を間近で体感できる絶好の機会が、ここ東京の新名所となった高輪ゲートウェイで観られる! 各ジャンルの国内最高峰のパフォーマンスが目の前で一気に観られる貴重なチャンス! USMFには、多岐にわたるアーバンスポーツの国内トッププレイヤーやダンサーたちが集結。今回はショーケースやエキシビションサイファーといった形でその驚愕のパフォーマンスを披露する。普段なかなか目にすることのできない国内最高峰のテクニックを間近で体感しよう。 そしてなんと今回来場するのは各ジャンルにて世界を舞台に大活躍するトッププレイヤーの面々。おそらくどのイベントでもこのレベルのプレイヤーたちを一度に見られる機会はほとんどないと言える。SNSで見かけたことのあるあのプレイヤーから、世界大会で何度も優勝した経験を持つプレイヤーまで豪華なラインナップになっているので、アーバンスポーツ好きな方は是非足を運んで欲しい!なお下記が気になる豪華プレイヤー勢の面々だ。 出演パフォーマー一覧 BREAKIN:TSUKKI / Lón / AYANE / NANOHA / LEONA / nate / Stich / YUINA / Closeears / HARUYA / YUMETO / HINATA / Yasmin / RAM / SHOSEI / Kanamu HIPHOP:SEIYA / RINKAAA / karim /LUCCI / yuya / SAKIRA / AKIHIRO / SHUN / MIYU / hal / MAYUKA / WXX / Sakira / AKO / Nils / Mayuka / ユウタロウ / KUYA / れんた / マグナム / Hal WAACKING:Mizuki Flamingo / JUNKOO / 小幸 / CHIHIRO PARKOUR:ZEN BMX:430 (大森文隆 / 河内 銀成 / RHYME HOMMURA / CARIN HOMMURA / 山本 悠) DOUBLE DUTCH : REG☆STYLE / TATSUYA / new / IWANESS / t.taishi / daichi / KENTO / YUN FREESTYLE BASKETBALL : Zinez / Lee / KENGO / RIKU / lee / NESS FREESTYLE FOOTBALL : Yu-ri / Kazane / Ibuki / Yu-to / Shohei SHOWCASE : Valuence INFINITIES / INFINITY TWIGGZ + A.R.M.Y(FULLCAST RAISERZ) / List::X TRICKING:Tok¥o Tricking Mob(高梁 大典 / 川邊 一生 / 高梁 玲次 / 松岡 歩武) KIDS SHOWCASE : $hun,Haruto & Ryutaro / Street Drive / LIVE FOR REAL 体験型セッションではトッププレイヤーからアーバンスポーツを直接学べるチャンスも! さらに「USMF」では子どもから大人まで楽しめる体験型セッションも開催 。親子でアーバンスポーツを体験できる貴重な機会であり、もしかしたら憧れのトッププレイヤーから直接指導を受けられるかもしれない。気軽に身体を動かせるワークショップを通じて、アーバンスポーツの楽しさを肌で感じよう。 なおパルクール体験会に関しては事前予約が必要となり、今回は15:15-16:00と16:45-17:30の2枠にて開催。 定員は各12名となっているが6歳以上であれば参加可能で必要なものは動きやすい格好とタオルと室内運動靴だけ!興味がある方は是非記事最下部の予約リンクを確認して欲しい。 昼夜を通してアーバンスポーツと音楽を満喫しよう! 本イベントは昼の部と夜の部の二部構成となっており、昼の部(12:00~17:30)は入場無料。トッププレイヤーたちのパフォーマンスを気軽に観覧し、体験型セッションに参加することができる。なお会場にはSunday Food Serviceと愛子サンドウィッチのキッチンカーも設置されている。アーバンスポーツを体験した後は空かしたお腹を美味しいフードで満たそう。また夜の部(17:30~23:00)では、ドリンクを片手に豪華DJ陣による音楽とともに、アーバンスポーツとミュージックが融合したさらに熱い空間を楽しむことができ一日を通してアーバンスポーツを楽しめる空間となっている。 夜は音楽を盛り上げる豪華DJ陣とライブアクトも そして夜の部には、トッププレイヤーたちのパフォーマンスと共に日本の音楽カルチャーを代表する屈指のDJたちが集結。「音楽、ダンス、スポーツが一体化」するこの日限りの祝祭空間で楽しむ時間はひとしお! 出演アーティスト一覧 DJ:石野卓球、SHINICHI OSAWA、☆Taku Takahashi(m-flo, block.fm)、オカモトレイジ(OKAMOTO'S、DJ HOKUTO、MAR SKI(MIGHTY ZULU KINGZ)、DJ WATARAI、JOMMY、矢部ユウナ、kaikan boy、RILLライブアクト:vividboooy、UKIMPC PLAYER:KO-ney 会場をアートで彩るライブペイントとVJ演出 さらに会場では、アートパフォーマンスとしてGospelとKBによるライブペイント、そしてJACKSON kakiによるVJ演出が行われ、音楽とパフォーマンスに加えて視覚的にもイベントを盛り上げる。 最後に 今回の「USMF」では、国内外を股にかけて音楽、ダンス、スポーツ、アートといった様々な分野で大活躍する豪華な出演者たちが一堂に会し、来場者に忘れられない一日を提供!アーバンスポーツ好きな方こそ是非この貴重なチャンスを見逃さず、会場でその熱気を体感して欲しい! イベント概要 イベント名: ZERO-SITE Takanawa Gateway URBAN SPORTS & MUSIC FESTIVAL - USMF -開催日: 2025年5月3日(土・祝)時間:昼の部|12:00~17:30(入場無料)夜の部|17:30~23:00(¥2,000/2ドリンク付き)会場: ZERO-SITE Takanawa Gateway & 店舗前特設ステージ(東京都港区高輪2丁目21番2 ZERO-SITE 2F / 3F)
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culture福岡のストリートカルチャーを繋ぐ架け橋【DECADE FUKUOKA店長 和田裕司インタビュー】2025.04.28福岡のストリートカルチャーシーンにおいて、長年にわたり重要な役割を果たしてきた「DECADE FUKUOKA」。単なるストリートアパレルショップという枠を超え、ローカルコミュニティと多様なカルチャーを繋ぐ架け橋として、多くの人々にとってかけがえのない場所となっている。 今回、その舵取りを担う店長、和田裕司氏にインタビューを実施。お店の誕生から、目まぐるしく変化してきた福岡のストリートシーンの変遷、そして未来への熱い想いを語っていただいた。 立ち上げ当初からDECADE FUKUOKAを見つめ、その成長に深く関わってきた和田氏の言葉を通して、福岡のストリートカルチャーの過去・現在・未来を紐解く。 DECADE FUKUOKAのルーツと情熱 DECADE FUKUOKA DECADE FUKUOKAを立ち上げた経緯を教えてください。 今年で14年目を迎える DECADE FUKUOKAですが、実は僕は立ち上げメンバーではなかったんです。当時、近所の別の洋服店に勤務しており、そこでストリートアパレルブランド「430」を取り扱っていました。 その縁もあり、DECADE FUKUOKAがオープンした当初から近い距離で見てきました。 自分がDECADE FUKUOKAに加入したのはオープンから3年後で、6年前に現在の店舗に移転しました。立ち上げに携わったわけではないですが、この店をどう育てていくかをずっと考えてきて、移転の際には主導的な役割を担いました。単なる服屋というよりはいろんなシーンが自然に繋がれる場所になればという思いがずっとありました。 立ち上げ当初の福岡のストリートシーンはどのような雰囲気でしたか? それぞれの分野で強い個性を持つ人々がおり、先輩世代が多い時代でした。その濃い人たち同士で仲はいいんですけど、当初はがっつり手を組んでいる印象ではなかったです。 自分もシーンの中心にいるわけではないですが、近くで見させてもらう中で現在ではBMX、ダンス、スケボー、音楽をやっている若い子たちが多く出てきたりと変化を感じています。 DECADE FUKUOKAで販売している430の商品 ストリートアパレルブランド「430」に対する想いを聞かせてください。 僕は430と出会ってもう20年近くになります。単なるブランドというより、「生き様」や「姿勢」を表しているようなブランドのイメージを持っています。 僕自身はBMXライダーだったわけではないものの、ブランドに関わる先輩たちの動きに憧れてきて自分も背筋がピンとするという430はそんな存在です。 福岡としてもそのような芯のある空気感を伝えていけたらと思います。 シーンとの関わり・カルチャーへ向けて これまで10年以上、福岡のストリートシーンを見てきてどのような変化を感じていますか? DECADE FUKUOKAができて10年以上が経ち、本当に大きく変わったなと思います。以前はストリートにリアルに生きているような雰囲気が重視されていた印象があったのに対し、現在ではもっとオープンで多くの人が気軽に飛び込める環境になっていると感じています。 ライダーやダンサーなど、どのようなジャンルの人たちがDECADE FUKUOKAに集まってきますか?また彼らにとってDECADE FUKUOKAがどのような場所になっていると感じますか? DECADE FUKUOKAに来店される方は、BMXライダーやスケーター、ダンサーだけでなく、絵を描かれているアーティストの方や飲食店をされている方など本当にさまざまですね。 近年では、洋服だけでなくコーヒーやアルコールも提供しているため、服を買いに来るだけじゃなくて、ちょっと話したくて寄ってくれるとか。みんなにとっていろんなジャンルの人が気楽に入ってこれる場所になっていれば嬉しいです。 お店を通して、ストリートカルチャーと地域がどのように交差してきていると感じますか? この形を作った6年前からするとDECADE FUKUOKA自体が公民館のような一つの交差点になっていると感じるようになってきました。 特に、移転の際に併設したコーヒースタンド「ARCH」を通じて、これまで繋がりのなかった人々が服やコーヒーだけでなくそれが入り口になってつながる大切な場所になってきました。 カルチャー醸成の後押しとコミュニティ形成 DECADE FUKUOKAに併設されているARCH DECADE FUKUOKAとしてイベントやコラボなど、これまでに行ってきたカルチャー支援があれば教えてください。 ARCHというコーヒースタンドを併設していて、店の外にちょっとした休憩スペースのようなのも用意しています。そこで飲食の出店をやったり地元や県外のアーティストとのコラボアイテムの作成、展示会をさせてもらったりしています。 そういったことでつながった方から声をかけてもらって、外部のイベントに僕たちがコーヒーを入れに行ったり洋服を売りに行ったりできるようになってきました。 店舗を続ける中で生まれる「人とのつながり」で大切にしていることはありますか?またどのような「コミュニティ」づくりを目指していますか? プライドは大事なんですけど、余計なプライドは持たないようにしています。僕自身がそのBMXもスケボーも触れてはいるけど、しっかりとプレーヤーとしてやってきているわけではないので、僕自身上から目線で語れるような立場じゃないと思っています。 だからこそ、どんな人とでもどんなカルチャーやシーンに携わってきた方でも対等でいたいと思っています。親しき中にも礼儀ありじゃないですけど、礼儀礼節などをちゃんと持った関係からコミュニティは生まれていくのかなと思っているので、そこはすごく大事にしています。 お店に通われている若手世代のライダー・ダンサーたちに対して、どんな想いを持って日々接していますか? 僕自身も子供を持つ親なので子供たちがこういうカルチャーに自然と触れられるのがいい時代だなと実感しつつも、カルチャーにいた人間の価値観で、子供たちの選択肢を狭めたくはないなという思いも同時に持っています。 僕たちがかっこいいと思ってきたものや憧れてきたものをちゃんと伝えつつ、新しい世代のやり方にも耳を傾けていきたいです。 今後の展望 和田 裕司 DECADE FUKUOKAの今後の展望や挑戦したいことがあれば教えてください。 地域貢献だったりと地元にもっと根付く動きって何だろう?とすごく考えています。保育園や小学校とつながって、福岡のストリートカルチャーの若手になっていくであろう子供たちがもっと早い段階でこのシーンに触れることができる架け橋的な存在になっていきたいです。ARCHとDECADEはニコイチの店なのでもっと人が交わる空間としての幅は広げていきたいと思っています。 福岡のストリートシーンがこれからさらに盛り上がっていくためにはどのようなことが必要だと思いますか? 福岡はこだわりを持っている方が多く、ローカル同士の横のつながりが広いようで狭い街なのでプライドがぶつかることが多く、ちょっとしたピリ付き合いとかが多いんですよね。そのバランスをとりながらジャンルを飛び越えて気軽にコラボしたり面白いイベントなどを気軽にできる雰囲気は必要だと思います。 かっこつけすぎずに、それでもちゃんとこだわりがあるというのを見せられるのが福岡かな思っています。 430の商品 最後に、430やストリートカルチャーを愛する人たちへ一言お願いします! 誰かに認めてもらうとかではなくて、自分がこれかっこいいなって思えたらそれが正解かなと思っているのでそのためには続けること、ブレないことが大事だと思います。それは結構難しいことなんですけど、430はブラさずに続けてきたブランドだからこそ30年って続いてきたんだろうなと思っています。 430の福岡という大切な街のブランドを背負っているのでお店として、これからも皆さんとシーンを作っていきたいです。 インタビューを終えて インタビューを通して、和田氏のDECADE FUKUOKAと福岡のストリートカルチャーへの深い愛情と、開かれた場所であり続けたいという強い想いが伝わってきた。 多様な人々が集い、新しいカルチャーが生まれるDECADE FUKUOKAは、これからも福岡のストリートシーンにとって重要な存在であり続けるだろう。 和田裕司プロフィール 和田 裕司 和田 裕司(ワダ ユウジ) 430FLAGSHIP SHOP「DECADE FUKUOKA」店長。株式会社BEN(ベン)代表取締役。 11年前にDECADE FUKUOKAに加入。現在の福岡市の今泉の店舗には6年前に移転し、同時に「ARCH」を併設。コーヒー、アパレル、アート等、その企画・運営を通じて、ストリートカルチャーとローカルコミュニティの橋渡し役として日々奮闘中。福岡のBMXやスケート、ダンスなどのカルチャーを近くで見つめ続けながらも、自身は「好きな人たちを応援する立場」としてシーンに関わっている。 DECADE FUKUOKA〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-7-6092-716-2430
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surf満点ライドから涙の初優勝までドラマが生まれたS.LEAGUE最終戦2025.04.242025年4月16日から19日の4日間、さわかみS.LEAGUE24-25 最終戦GRAND FINALSが東京五輪の会場にもなった千葉県長生郡一宮町釣ヶ崎海岸(通称:志田下ポイント)で開催された。今大会は、ショートボード、ロングボード、マスターズに加え、ボディーボードの特別戦も実施され、多彩なカテゴリーが繰り広げられる豪華な舞台となった。 ショートボード女子は、今大会を待たずして中塩佳那が初代S.LEAGUE チャンピオンに決定。ロングボードは浜瀬海と田岡なつみがすでにS.LEAGUEチャンピオンに確定しており、GRAND FINALSではショートボード男子とマスターズクラスのS.LESGUE初代チャンピオンが確定する。さらに、来季からS.LEAGUEは、「S1(1部)」と「S2(2部)」の2部制に移行。今シーズンのランキングで翌シーズンの所属リーグを左右する重要な1戦になる。 波の方は大会初日は肩から頭サイズの波が押し寄せていたが、日が進むにつれて徐々に落ち着き、波数の少ないコンディションへ。選手たちはその変化に対応すべく、小波用のサーフボードに切り替えるなど細やかな調整を重ねながら熱戦を繰り広げた。 悲願の優勝を勝ち取った塚本勇太 塚本勇太 ©︎S.LEAGUE ショートメンズのファイナルは塚本勇太と古川海夕の対決に。塚本勇太はこれまでのヒート、点数が狙える良い波をじっくり待つスタイルで試合に挑み、残り時間がわずかという場面で見事な演技を披露し、逆転で決勝まで勝ち上がってきた。ファイナルでも、古川海夕が積極的に波に乗ってスコアを重ねるのに対し、塚本勇太は波を厳選する戦法を貫く。後半に入ったところで、塚本勇太がエクセレントスコアとなる8.00ポイントをマークし逆転。古川海夕は優勝に必要な9.00ポイントを追い求める展開に。そのまま試合は終了し、塚本勇太が悲願の初優勝。試合終了後には感極まって男泣きを見せた。 稲葉玲王と喜びを分かち合う塚本勇太 ©︎S.LEAGUE 古川海夕 ©︎S.LEAGUE 安定した試合運びで野中美波が優勝 野中美波 ©︎S.LEAGUE ショートウィメンズのファイナルは野中美波と川合美乃里の戦いに。川合美乃里は1本目に6.00ポイントをマークし、バックアップを4.60ポイントと揃える。一方の、野中美波は徐々にスコアを伸ばす試合運びで、5本目に6.75ポイントをスコア。さらに終盤には7.25ポイントを叩き出し、自らのハイスコアを塗り替え、見事優勝を飾った。 野中美波 ©︎S.LEAGUE 川合美乃里 ©︎S.LEAGUE マスターズ優勝とS.LEAGUEチャンピオンを手に入れた牛越峰統 牛越峰統 ©︎S.LEAGUE マスターズ決勝は牛越峰統、今村厚、佐藤千尋、山田桂司の4名によるヒートとなった。この決勝で2位以上に入ればS.LEAGUEチャンピオンが確定する今村厚は序盤から積極的にスコアを重ねリードを広げる。しかし、牛越峰統が8.50ポイントをスコアし一気にトップへ浮上。そのままリードを守り切り、見事GRAND FINALS優勝とS.LEAGUE初代チャンピオンの座を手に入れた。 牛越峰統 ©︎S.LEAGUE 森大騎が圧巻の“満点”パフォーマンス! 森大騎 ©︎S.LEAGUE ロングボードメンズファイナルは森大騎と初ファイナル進出を果たした西崎公彦の戦いとなった。ファイナル序盤、西崎公彦が積極的に波にアプローチをしていく。 一方の森大騎は波をじっくり見極めながらチャンスを待つ展開に。そして迎えた2本目、完璧なラインディングでパーフェクトスコアの10.00ポイントを叩き出す。勢いに乗った森大騎は、3本目に掴んだ波でも再びパーフェクト10.00ポイントをスコアし、なんと満点の20ポイントをスコアする。西崎公彦も、9.00ポイントをスコアし健闘を見せるが、試合は終了。見事、森大騎が最高の形で優勝を飾った。 西崎公彦 ©︎S.LEAGUE 森大騎 ©︎S.LEAGUE 吉川広夏が涙の優勝 吉川広夏 ©︎S.LEAGUE ロングボードウィメンズのファイナルは吉川広夏と田岡なつみのマッチアップとなった。吉川広夏が序盤にエクセレントスコアとなる8.25ポイントをマーク。一方、田岡なつみは小波ながら形の良い波をキャッチし6.75ポイントをスコア。さらに後半には9.00ポイントを叩き出し、逆転を狙う。しかし吉川広夏も終盤に8.15ポイントを出し、バックアップを塗り替え、田岡なつみが逆転するために必要なスコアが7.4ポイントに差を広げる。田岡なつみは残りわずかのところで波をキャッチしたが、6.65ポイントとわずかに届かず。吉川広夏が見事、S.LEAGUE最終戦で優勝を果たした。 田岡なつみ ©︎S.LEAGUE 吉川広夏 ©︎S.LEAGUE ボディーボード特別戦も白熱した戦いに 粂総一郎 ©︎S.LEAGUE ボディーボードの特別戦はJPBAランキング上位7名とアマチュア1名で行われた。メンズは2024年度のグランドチャンピオンに輝いた、粂総一郎が最後の1本で逆転し優勝に輝いた。一方、ウィメンズは我孫子咲良がプロ初優勝を飾った。 我孫子咲良 ©︎S.LEAGUE 粂総一郎 ©︎S.LEAGUE ショートボード男子初代S.LEAGUEチャンピオンは稲葉玲王 稲葉玲王 ©︎S.LEAGUE S.LEAGUEチャンピオン争いをしていた小林桂がR2で敗退し、残るは稲葉玲王と西優司に。稲葉玲王はR3で敗退し、西優司が優勝すればS.LEAGUEチャンピオンの可能性が残る状況。しかし、西優司はQFで塚本勇太に敗れ、稲葉玲王が見事初代S.LEAGUEチャンピオンを獲得した。 来シーズンは6月からスタート! ©︎S.LEAGUE S.LEAGUE25-26ツアーは2部リーグ制に分かれて開催。S2 TOURは6月19日から21日にS.LEAGUE 井戸野浜海岸でスタート。マスターズのトライアルも同時開催で行われる予定。S1 TOURの開幕戦は7月10日から13日に北海道勇払郡厚真町の浜厚真ポイントで開催。来シーズンのS.LEAGUEにも注目! GRAND FINALS結果 《ショートボード男子》優勝:塚本勇太2位:古川海夕3位:和氣匠太朗、大原洋人 《ショートボード女子》優勝:野中美波2位:川合美乃里3位:中塩佳那、川瀬心那《ショートボードマスターズ》優勝:牛越峰統2位:今村厚3位:山田桂司4位:佐藤千尋《ロングボード男子》優勝:森大騎2位:西崎公彦3位:堀井哲、中山祐樹 《ロングボード女子》優勝:吉川広夏2位:田岡なつみ3位:菅谷裕美、小林恵理子《ボディーボード男子》優勝:粂総一郎2位:加藤優来3位:近藤義忠4位:蛭間拓斗 《ボディーボード女子》優勝:我孫子咲良2位:山下海果3位:相田桃4位:大木咲桜
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skateイレギュラーな厳しい条件下で優勝を勝ち取ったのは池田大暉「第3回マイナビスケートボード日本OPEN supported by Murasaki Sports」ストリート男子決勝2025.04.142025年4月12日(土)に「第3回マイナビスケートボード日本OPEN supported by Murasaki Sports」ストリート種目 が松阪市総合運動公園スケートパークにて開催された。3年後に開催されるロサンゼルスオリンピックを見据えた新たなシーズンのスタートとなる、2025年シーズン最初の公式開幕戦。今大会は国際大会派遣選手の選出や2025年強化指定選手の選考に関わる重要な大会ということもあり新世代も含めた実力者が全国からエントリー。大会当日は翌日の13日に予定されていた決勝のスケジュールが雨天予想されたことから、本来予定されていた準決勝を取り止め、予選の結果から上位8名が決勝に進出、予選同日の12日中に決勝も実施する展開に。そんな本決勝は全46名の出場者の中、予選を勝ち上がった合計8名で競われ、スタートリストは宮本浬央、竹下煌輝、八島璃央、酒井太陽、渡辺星那、安倍来夢、池慧野巨、池田大暉。 ラン1本目 強風や明るさが変化し、見え方が変わっていく変則的な環境の中非常に苦戦することが予想される決勝。最初のフルメイク者となったのが、世界レベルのライダーを輩出し続ける静岡の新世代期待の竹下。スピードに乗ってメインのハンドレールに入っていくと「キックフリップフロントサイドボードスライド」でスタートしていくと、バンクトゥオーバーのダウンレールで「バックサイドテールスライド」、ギャップ状のバンクトゥバンクでの「フロントサイド360」からバンク飛び出しで「ノーリーインワードヒールフリップ」、ラストはメインのハンドレールで「フロントサイドテールスライド」と非常に正確なデッキコントロールを見せフルメイクし最後はジャッジに小さく手を合わせてお辞儀するなどその丁寧さが人柄にも表れており、69.65とまずまずの滑り出しだ。 @WSJ 続いてスコアメイクを見せたのが。昨年の日本選手権3位で福島の雄、八島だ。メインのハンドレールで「キックフリップフロントサイドリップスライド」という高難易度トリックからスタートしていくとギャップ状のバンクトゥバンクでは「ノーリーヒールフリップ」、スロープレールアップを「バックサイドビッグスピンフロントサイドボードスライド」と繋ぎ、ダウンレールで「スイッチフロントサイド270フロントサイドリップスライド」を決め、ラストのダウンレッジでの「バックサイドクルックドグラインドノーリーフリップアウト」をミスするも72.03をマーク。フルメイクとはならなかったがポテンシャルでハイスコアを叩き出したのが優勝候補の池田。バンクトゥのフラットレールで「キャバレリアルインバックサイドテールスライド」でスタートしていくと、返しのダウンレールでは「バックサイド270リップスライド」から「バックサイド270アウト」を完璧に繋いでいき、着地後すぐにボディバリアルし体勢を整えると会場は少しざわつかせ、そのままメインのハンドレールで「フロントサイドノーズブラントスライド」、ギャップ状バンクトゥバンクでは高さのある「360フリップ」、カーブで「バックサイドクルックドグラインド」から掛け替えを狙ったが少し浅かったか、ラストはダウンレッジで「バックサイドノーズスライドノーリーフリップアウト」を決め、そのままボルケーノでスピンするスコアとは関係ないがサービス精神も忘れない池田の真骨頂を見せ、会場を盛り上げ77.69と暫定首位に立った。 @WSJ ラン2本目 中々スコアを伸ばせない中、1本目から修正してきたのが渡辺。メインのハンドレールを「ヒールフリップフロントサイドボードスライド」でスタートすると、アールでは「アーリーウープのバックサイドリップスライド」、バンクトゥのカーブでは「ヒールフリップノーズグラインド」、バンクトゥのフラットレールで「バックサイドビッグスピンフロントサイドブラントスライド」を1本目から見事リカバリー、ラストはステアからフラット面まで全越えの「バックサイドヒールフリップ」を決め74.07と暫定2位に浮上。1本目と同じく1ミスながらスコアを伸ばしてきたのが池だ。ギャップ状のバンクトゥバンクを「スイッチフロントサイド180キックフリップ」で越えていくと、バンクを使った「ノーリーハーフキャブヒールフリップ」、メインのハンドレールで「フロントサイドフィーブルグラインドフロントサイド180アウト」、バンクを使ってステアを「インポッシブル」で登ると真ん中のバンクトゥバンクについたレールで「フロントサイド270リップスライド」から返しのダウンレールで「キャバレリアルバックサイドテールスライド」をミス。このセクションは練習中から各ライダーが「照明の関係で見えづらい」と言っていたがその影響が出たか。フルメイクではないが繰り出していたトリック難易度もあり72.10と暫定3位でトリックセクションに望みを繋いだ。 @WSJ トリック1本目 1本目でまずハイスコアを出したのが優勝候補の一人、八島。メインのハンドレールで正確なデッキコントロールを見せ、「キックフリップフロントサイドスミスグラインド」を1発で仕留め、87.43。これに続いたのが福岡の新鋭、酒井だ。スイッチスタンスでメインのハンドレールへ向かうと、「スイッチフロントサイドスイッチオーバークルックドグラインド」を決め、会場をどよめかせた。スコアも85.31とハイスコアを叩き出した。トリックセクションを得意とする池がこの流れを凌駕する。フェイキースタンスでメインのハンドレールに向かうと「フェイキーキャバレリアルバックサイドテールスライド」を決め、ここまでの最高スコア89.13をマークした。 @WSJ ランを終え暫定首位の池田は1本目を決めきれず、池を追いかける形になった。 トリック2本目 1本目の成功者もここでスコアを揃え勢いに乗りたいところだが誰も決められない流れが続いた。2本目もスコアメイクに各ライダーが苦戦する中、唯一のスコアメイク者となったのが勢いに乗る池のみだった。得意のスイッチスタンスでメインのハンドレールに向かうと、「スイッチフロントサイドフィーブルグラインドスイッチフロントサイド180アウト」をこれまた一発で仕留め、今大会初の90点台となる92.68。 @WSJ 優勝争いにはここで離されたくない「池田も1本目同様、メインのハンドレールでシュガーケーングラインド」を狙うもこれもミスし流れは完全に池に向いているか。 トリック3本目 予選1ヒート目のトップバッターから決勝に残った大阪の新星、宮本がここでようやくスコアをマーク。メインのハンドレールで「バックサイドフィーブルグラインドキックフリップアウト」を決め87.54とハイスコア。ランセクションで好位置につけた渡辺もようやくスコアメイクする。ロールインから勢いよくスタートするとバンクトゥオーバーのダウンレールで「ヒールフリップバックサイドリップスライド」を着地で少し態勢を崩したがなんとか成功させ、80.82と優勝争いに望みを繋いだ。愛知のテクニカルライダー、安倍もこの流れに続いた。1本目からトライしているメインのハンドレールで「フロントサイド180スイッチバックサイドフィーブルグラインドスイッチフロントサイド180」、通称グレープフルーツグラインドからのリバースアウトという超高難易度を決めここまで3番目のハイスコア88.75とこちらも優勝争いに踏みとどまった。ここまでスコアメイクに苦戦していた池田は何か閃いたようにメインのステアからかなり幅のあるトランスファーでのダウンレッジでフロントサイド50-50にトライするも惜しくもミスとなったが本人は何か手応えを掴んだ様子にも見えた。 トリック4本目 何かを感じ取った不気味な池田を突き放しておきたい池はメインのハンドレールで「バックサイドフィーブルグラインドフロントサイドビッグスピンアウト」を狙うも決まらず。 ここで3本目に何かを感じ取った池田がついに目を覚ましたか。3本目同様メインのステアからかなり幅のあるトランスファーでのダウンレッジで「フロントサイド50-50グラインド」を見事2回目の挑戦で成功、これは練習でも一切やっていなかったという圧巻の発想力とスキルで90.64と暫定首位の池を射程距離に捉えた。 @WSJ 暫定首位は唯一スコアをフルマークしている池、2位に池田、3位安倍となり、最終トライまで混戦模様となった。 トリック5本目 全ライダーに表彰台のチャンス残った最終トライ。宮本はメインのハンドレールで「バックサイドテールスライドビッグスピンフリップアウト」を狙ったが惜しくもアウトが合わず、6位で終えた。竹下はバンクトゥオーバーの「ダウンレールでキックフリップバックサイドリップスライド」を見事に決め81.77とスコアを揃えることに成功し暫定3位に浮上した。 @WSJ 優勝候補の八島もメインのハンドレールで「キックフリップフロントサイドノーズグラインド」を狙うも決めきれずに5位。酒井もメインのハンドレールで「スイッチオーバークルックドグラインドからビッグスピンショービットアウト」を狙ったが決まらず8位。渡辺はメインのハンドレールで「ヒールフリップフロントサイドブラントスライド」に挑んだがうまくハマらず、7位。逆転表彰台を狙った安倍はバンクトゥバンクで全越えの「バックサイド360」を狙ったが惜しくも決まらず4位で今大会を終えた。猛追を見せる池田を引き離したい池もメインの「バックサイドフィーブルグラインドフロントサイドビッグスピンアウト」に再度挑むも回転が合わず池田の結果を待つ形に。 @WSJ こうなると流れは完全に池田に傾いたか、メインのステアからかなり幅のあるトランスファーでのダウンレッジで今度は「フロントサイド5-0グラインド」を一発で決め、92.26をマークし逆転優勝となった。 @WSJ 大会結果 優勝 : 池田大暉 260.59pt2位 : 池慧野巨 253.91pt3位 : 竹下煌輝 220.73pt4位 : 安倍来夢 160.29pt5位 : 八島璃央 159.46pt6位 : 宮本浬央 156.55pt7位 : 渡辺星那 154.89pt8位 : 酒井太陽 148.54pt 最後に 天候によるスケジュール変更や、男子の予選の時間に強風や照度の変化など非常に難しい環境の中開催された今大会。優勝した池田大暉は世界レベルのスキルを保持していることは周知の事実だが、それ以上に自分のペースに引き込む上手さは天性のものだと今回改めて確信した。2年前に笠間で開催された第2回大会の同大会でもスコアメイクできるセクションと見るや否や、徹底的にそこを攻め2位になった過去と今大会が非常に重なって感じた。世界で戦う上で、高難易度を実行できるトリックスキルは当然必要だがその場でこういったポイントにアンテナを張り、いち早くキャッチすることも非常に重要な要素だ。池田のもう一つの魅力は、本人が狙ってかどうかはわからないが会場を自分の空気に変えてしまうパーソナリティだ。ただ底抜けに明るい人間性だけでなく、裏付けされた実力と相まってその場のオーディエンスを完全に引き込んでいる。筆者が昔から魅了されてきたスケートボーダーの要素だと感じた。その上でコンテストも勝ち切るあたりスター性としか言いようがない。型にハマらないそのスケートボードスタイルは今後も世界各地を引っ掻きまわすことが楽しみだ。今大会、苦手のランセクションでも強さを見せた池慧野巨。苦手克服と元々の強みであるスイッチスタンスでの高難易度トリックに独特のトリックチョイスとその脱力スタイルから繰り出される確かな技術と内に秘めた力強いライディングスタイルは世界でも評価が高いことをコンテストでも証明しつつある。今後世界トップのコンペディターにどんな戦い方で応戦し、またそれらを優っていく姿を想像するだけで非常にワクワクした気持ちが止まらない。これは初めてSLSに日本人として出場し世界を切り拓いてきたパイオニア、瀬尻稜を初めて見た時の感情に非常に類似している。 これまで日本のトップ争い常連となった八島璃央、安倍来夢、渡辺星那らも今後まだまだ伸びしろしかなく、このまま終わるような実力者たちではない。一方、歴代日本王者である佐々木来夢、海外経験も豊富な松本浬璃、日本のトップ争い常連の甲斐穂積、繁延亜周らが予選で敗退する波乱も起こった。注目はこの常連組に変わって決勝に入った新世代の台頭だ。決勝に残った宮本浬央、酒井太陽、そして見事3位で表彰台に登った竹下煌輝の13歳トリオをはじめとして世代だ。このメンツを見てもストリート日本男子の層の厚さがより一層増したことを意味している。日本が世界に誇る筆頭格、堀米雄斗、白井空良、小野寺吟雲、根附海龍、青木勇貴斗らが頭一つ抜けていることは現時点では変わりはないが間違いなくその距離が少しずつ縮まってきてはいると感じる。女子同様、ワールドスケートの「年齢制限」の規定は非常に気になるが、ロサンゼルスオリンピック2028の戦いは開幕したので今後の代表争いに一戦一戦目が離せなくなりそうだ。最後に、今大会も日本強化指定選手選考会という位置付けの大会であることから、みんな同じ条件とはいえ天候やコースコンディション、明るさなどに左右されない本当にスキル勝負のできる環境での開催を心から望む。実際予選では1ヒート目と5ヒート目ではコースの照度や風の強さ気温などが全く異なる環境となっていたように感じる。さらにはライダーから「このセクション暗くて見えづらい」などの意見も多数聞こえてきた。これでは自然環境に依存することのない競技スケートボードとは違い、ストリートシューティングのような環境に思えてしまう。これだけスケートボードパークが建設され、屋内全天候型のパークも多数出来ているのに、スケジュールを圧縮してまでやらなければならない状況は勿体無いと感じている。やはりスキルを競い合うフォーマットであれば筆者は純粋にスキルや発想で勝負できる環境での戦いを見たいと強く願う。