“WAKA” YUYA WAKABAYASHI
【インタビュー/FINEPLAY】Red Bull Athlete であった故 佐藤英吾により生み出され、日本でほぼ唯一のコンテスト形式の大会で日本のFMXシーンの進化、拡大に多大な影響を与えている「GO BIG」10周年を記念し、FINEPLAYでは出場ライダーにインタビューを行った。
若林祐哉(ワカバヤシ ユウヤ)選手
ニックネーム:WAKA(ワカ)
1991年生まれ、26歳。愛知県出身。マシンはSUZUKI RMーZ450。
幼少よりモトクロスを始め、2013年にZantetuCrew(斬鉄クルー)に加入。短い距離だがFMXを始める。2015年からプロ向けの23mでの練習を重ね、長身を生かした見ごたえのあるトリックを見せるようになる。ショーに出場する機会も増えている要チェックライダーだ。

—GO BIG参戦は何年目ですか
WAKA:2年目です。2015年が初参戦だったんですけど、2016年は怪我で出られなかったんで。
—あなたにとってGO BIGはどういうものですか
WAKA:普段一緒に乗れないライダーとセッションできる、それが面白いです。色々な人と一緒に飛ぶと刺激になります。2015年に始めて出た時は、自分はまだまだだと思ったのと同時に、とてもやる気が出ました。
—今までのGO BIGで印象に残っていることがあれば教えて下さい
WAKA:スラムパーク瀬戸でやった時ですね。FINDクラス(15mの入門クラス)で参加した、2014年の最終戦です。大雨でコンテストは中止になっちゃったんですけど、そんな中でも皆でお客さんの為に飛んだのが、凄く楽しかったです。
—今年からマッチメイク方式になることについてどう思いますか?
WAKA:僕はまだ経験も浅いので、自分の出来ることをやり切るだけです。
—目標は何位ですか?
WAKA:順位の目標よりも、自分が今どれくらいの実力なのかが分からないので、それを知ることが出来たらいいと思っています。でも予選は通過したいです。
—皆様に一言お願いします。
WAKA:頑張ります。応援よろしくお願いします!!

GO BIG 2017 開催概要
名称:GO BIG 2017【全日本フリースタイルモトクロス(FMX)選手権】
主催:GO BIG 実行委員会
開催日時:2016年 11月 4日(土) 10:00 開場 10:30 開演 ウエストポイント・オフロードヴィレッジ [埼玉県川越市中老袋 150-1]
後援:バンザイマガジン
チケット:4,000 円(前売) 4,500 円(当日)※特別観覧席(スタンド)40 席限定もあります
※9月29日(金)18 時~ローソンチケットで発売開始(L コード:31932)
SPECIAL EDITION
FINEPLAYはアクションスポーツ・ストリートカルチャーに特化した総合ニュースメディアです。2013年9月より運営を開始し、世界中のサーフィン、ダンス、ウェイクボード、スケートボード、スノーボード、クライミング、パルクール、フリースタイルなどストリート・アクションスポーツを中心としたアスリート・プロダクト・イベント・カルチャー情報を提供しています。
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●今日 ○イベント開催日
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culture430/Fourthirty 30周年記念連載:第3弾~「DECADE TOKYO」始動と30年変わらない信念「 Everything is fuel to our energy」~2026.04.30日本国内のストリートカルチャーシーンにおいて、BMXライダーを中心に深く愛され続けているアパレルブランド「430/Fourthirty(フォーサーティー)」が、今年でブランド設立30周年を迎える。 1996年に5名のプロBMXライダーによって発足し、その一員である上原洋を中心に歩みを進めてきた同ブランド。彼らが長年にわたるBMXとの関わりや数々の旅を通じて得た経験、そして機能性を追求した素材選びや時代ごとのテーマを反映したグラフィックなど、周囲のアーティストたちと共創したエッセンスがアパレルに落とし込まれている。現在ではBMXライダーをはじめ、ストリートカルチャーを生きる多くの人々に寄り添うデザインを展開し、シーンから絶大な支持を集めるブランドだ。 そして5月2日(土)にFourthirtyの創業30周年を記念するイベント「みどりな夜 2026 – 430 30th ANNIVERSARY」が開催される。この度、FINEPLAYでは当イベントに先駆けて、Fourthirty創立メンバーである上原洋氏に行ったインタビューを全4回の連載企画としてお届けする。 続く今回の第3弾では、ブランドの拠点である原宿のショップ「DECADE TOKYO」が誕生した意外な舞台裏や、30年間変わらずに掲げ続けてきたブランドスローガン「Everything is fuel to our energy」に込められた真意を深掘りしていく。ストリートの最前線で「ハブ」として機能し続ける上原氏のコミュニティ哲学、そしてチームとしての新たな挑戦に注目してほしい。 仲間達の「ハブ」が店舗へ。「DECADE TOKYO」誕生秘話 旧 DECADE TOKYO 財満:前回は香港での生活から日本に帰国するまでを伺いましたが、いよいよ原宿に「DECADE TOKYO」が誕生するまでの経緯を教えてもらえますか? 上原:香港にいた頃は、台湾、シンガポール、韓国など、アジア圏を中心に世界中の人々が行き来する環境にいたので、自然とフットワークが軽くなっていました。そうして世界中に仲間ができたタイミングで、日本に帰ってきました。帰国後は、自分のブランド(Fourthirty)やBMXをもっと真剣に突き詰めたいと考え、ストリートカルチャーの中心である原宿に古いアパートを借りて住み始めたんです。 香港時代もそうでしたが、街中に身を置いていると、仲間が遊びに来て、さらに新しい仲間を連れてくる。そこから常に新鮮な情報が入ってくる、というスタイルが自分には合っているなと思っていました。案の定、原宿の自宅もメンバーや様々な友人が絶えず集まる「ハブ」のような場所になりました。 旧 DECADE TOKYO 財満:そこから、どうやって「ショップ」へと発展していったのですか? 上原:当時、キャットストリートに「DBA」というお店があったんです。老舗スケートショップの「arktz(アークティーズ)」の姉妹店で、Fourthirtyを主力ブランドとして扱ってくれていました。Fourthirtyのメンバーも働かせてもらっていた縁もあり、家族のような付き合いをしていたんです。 ところがある時、渋谷の区画整理による立ち退きが決まってしまい、「Fourthirtyを置く場所がなってしまう!」という状況になりました。 財満:それはかなりのピンチですね。 上原:急いで原宿界隈で物件を探しましたが、立地も賃料も条件に合う場所がなかなか見つからなくて。その時、「じゃあ、いっそここ(自宅)でやろう」と決めたのが、以前のDECADEなんです。 財満:あそこは元々ヒロシくんの家だったんですね! 上原:そうなんです(笑)。1階の柱を抜いて店舗風に改装して、後から2階や目の前の建物も借り増していきました。大家さんに「ショールームのように使いたい」と相談したら快諾してくださって。結局、あの場所では15〜16年ほど活動しましたね。 30年間揺るがない信念「Everything is fuel to our energy」 財満:2010年頃はストリートシーンも激動の時代でしたよね。 上原:帰国したのが2006年頃。まだiPhoneすら普及していない時代でした。当時の原宿は同世代のストリートブランドが活気に溢れていましたし、20代半ばの動ける若手ライダーも増えてきて、本当にエネルギッシュで楽しい時期でした。 VICE撮影時の様子 / 左:新田 右:上原 並行して、雑誌『VICE』の小池ゆきおさんという日本の代表の方とも交流があり、イベントの運営をお手伝いしたりしていました。そこでテリー・リチャードソンや新田桂一さんのような世界的なフォトグラファーとも繋がりができて、可愛がってもらいました。 財満:現在のFourthirtyは、多彩なブランドとのコラボやアーティストサポートでも知られていますが、そういった動きはいつ頃から始まったのですか? 上原:今も昔も変わらないのですが、「このアーティストが旬だからコラボしよう」というビジネスライクな考えではないです。昔からの付き合いがあったり、展示会に遊びに来てくれた仲間と「これ、いいね」「着たいんだけど」といった自然なやり取りから始まることが多いです。金銭的なサポートというよりは、仲間内で「良いもの」を共有している感覚に近いですね。 2000年代後半~2010年当時のスナップ 財満:30年続く活動の中で、ここだけは「ブレさせていない」という430の信念はありますか? 上原:ブランド創設時にメンバーの伊東高志が決めた「Everything is fuel to our energy(周囲のモノ、事柄、人、すべてが僕らの原動力)」というスローガンです。結局、僕一人では何も成し遂げられていません。支えてくれる皆への感謝だけは、一瞬たりとも忘れたことがないですね。 財満:そのマインドがあるからこそ、自然と人が集まってくるんですね。 上原:若い世代が「何かをやりたい」と言ってきたとき、否定するのではなく「こういうやり方もあるんじゃない?」と建設的に対話したいと思ってます。それが僕らのモードですし、チーム全員が共通して持っている想いです。 BMXというバックボーンを超えて。誰もが楽しめるファッションブランドの強み 財満:ブランドの30周年を振り返ってみて、今どのようなフェーズにいると感じていますか? 上原:自分自身、まだそこを客観的に俯瞰できるほど大人にはなりきれていないというか(笑)。ただ、ブランドの在り方には多様な形があるんだなと実感しています。 例えば、大手商社と提携して流通を拡大し、自分たちはデザインに専念する、といった海外で主流の「ブランドを成長させて売却し、また新しいことを始める」というスタイルも日本で増えてきました。 でも、僕にはそのやり方は合っていなくて。この「泥臭い継続」こそが、430のチャームポイントだと思っています。 財満:実際に(買収などの)話があったわけではなく? 上原:全くなかったわけではないですが、あまりないです。僕がそういうモードを出していないからだと思いますし、出すつもりもありません。今ある形を絶やさないよう30年間走り続けてきましたし、これからもそうありたいです。 変化した部分もあって。今はチームで動かしているので、メンバーから自分では思いもよらないアイデアが出て、それが形になる。最初は違和感を覚えることもありましたが、今はそれを純粋に楽しめています。「こういうアイテムを出すなら、こんな要素を足してみたら?」と、自分からも新しいアイデアを乗せていく。そんな化学反応が起きています。 制作時の様子 財満:毎シーズンのコレクションも、チーム全員で意見を出し合っているのですね。 上原:基本的には制作チームがベースを作り、そこにみんなでアイデアを加えていく形です。モデルを務めてくれる子たちも何年も一緒にやってくれている仲間ばかりで、そうした「繋がり」は年々深まっていると感じますね。 財満:展示会にも、ジャンルの垣根を超えて多様なカルチャーの人たちが訪れています。 上原:先輩や仲間たちも、展示会という場を通じて生まれる「横の繋がり」に期待して来てくれている部分があって、それはすごく嬉しいですね。430という場所が、面白い人たちが交差するプラットフォームになればいいなと願っています。 展示会の様子 バックボーンにBMXがあることは周知の事実ですが、「自転車に乗っていないから関係ない」ではなく、誰もが楽しめる。それこそが、ファッションブランドとしてのFourthirtyの強みだと思っています。 今回のインタビューはPodcast「SESSIONS Presented by FINEPLAY」でも! FINEPLAYがスタートした新音声メディア「SESSIONS Presented by FINEPLAY」にて今回のインタビューもお聴きできます。 上原洋プロフィール 元プロBMXライダー。現在はアパレルを中心に、BMX、関連商品を販売する430 co.,Ltd の代表。2021年の東京オリンピック組織委員会でBMXの技術マネージャーを担当。またUCI BMX FREESTYLE 国際大会審査員も務める。2010年に原宿キャットストリートに430のヘッドショップであるDECADE TOKYOをオープンさせ、2024年に同じキャットストリートにDECADE TOKYOがリニューアルオープンした。 「みどりな夜 2026 – 430 30th ANNIVERSARY」 イベント概要 430 30th ANNIVERSARY “みどりな夜 2026”今回は430の30周年も重なる、特別な一夜。 クラブエイジアのフロアをフルに使い、BMX、LIVE、DJが交差するお祭り的な一夜。“みどりな夜”名物、BMXフラットランドのジャムセッションも開催。クラブという異空間で繰り広げられるライディングは、ここでしか見れない景色です。今回集まってくれたのは、これまで430と共にシーンを作ってきた仲間たち。長年ステージを共にしてきた太華くん、岡山の繋がりも深いレゲエアーティストJ-REXXX、ミクスチャーバンドのGAS MARIA、大分からはケンチンミン、金沢からはVUE DU MONDE、そしてさすがのパフォーマンスで魅せるK&K。それぞれのスタイルで、この夜を彩ってくれます。 DJ陣も特別なラインナップ。長年共にイベントを作ってきたDJ BAKU、高校時代からの仲間であるホームメイド家族のDJ U-ICHI、みどりな夜を支え続けてきたDJ DAI-5、DJ TOYODA。岡山からはDJ ZEEK、名古屋からはコースケ。現場を共にしてきたDJ PONY。田中光太郎の平成チューンもあります。そして新たな出会いから参加するDJ TIMESLIP GOなど、それぞれのバックグラウンドが混ざり合う一夜になります。 さらにスペシャルゲストも控えていますが、こちらは当日までのお楽しみ。30周年を祝うために集まってくれた、本当に大切な仲間たちです。このメンバーで迎えられることに感謝。当日が楽しみです。— Text by Hiroshi Uehara/上原洋 DATE:5.2 (Sat) 23:00 STARTTICKET:ADV ¥3000 / DOOR ¥4000(430枚に達すると終了します )430/Fourthirty 30周年記念連載:第1弾 〜Fourthirty代表 上原洋が語る創業秘話〜チケットはDECADE TOKYO & ONLINEにて販売中です。記事最下部のリンクより購入できます。VENUE:CLUB ASIA(渋谷)東京都渋谷区円山町1-8STARRING:430 BMX LIVE SESSIONJ-REXXX,太華,GAS MARIA,KEN TIN MIN,VUE DU MONDE,K&K,DJ BAKU,DJ U-ICHI.,DJ DAI-5,DJ TOYODA,DJ TIME SLIPPER GO,DJ ZEEKDJ PONY,DJ KOTARO TANAKA…and more
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othersX Games発のプロリーグ「X Games League」の見どころと各クラブチームメンバーを徹底紹介!2026.04.24世界最大のアクションスポーツの祭典として長い歴史を持ち、夏季ではBMXやスケートボード、冬季ではスノーボードやスキーなどといったアクションスポーツを生業とする選手たちにとってはいつも目標とする舞台であり、夢が詰まったアクションスポーツ界で最も権威のある大会「X Games」。アクションスポーツシーンを常にアップデートし続ける「X Games」が今年の2026シーズンから始動するのが、X Games発のプロリーグ「X Games League(XGL)/ X ゲームズリーグ」。このプロリーグでは、個人競技であるアクションスポーツを各アスリートが個人としてだけではなく、所属するチームの一員としてシーズン優勝を目指して各大会を戦う、X Gamesが提供する新たな競技フォーマットであり観戦体験となる。本記事ではプロリーグである「X Games League」の概要と、このリーグで戦う選手たちが選ばれた「X Games League Summer Draft」について、そして各クラブチームの紹介を含めたX Games Leagueの見どころを紹介する。 X Games League/Xゲームズリーグとは ©︎X Games 「X Games League(XGL)」はドラフトを通して選出された選手たちが各クラブチームに所属して戦うプロリーグ。このリーグでは毎年開催されているX Gamesの各大会にて選手たちが個人でのメダルを目指して戦う従来のシステムと並行し、所属チームとしてもポイントを稼ぎチームでの年間優勝を目指す。 なお当リーグはアクションスポーツ界で初となる年間制、チーム制、男女混合のリーグであり、クラブに所属した選手には金銭面でのサポートも受けられるなど、選手側としても賞金やスポンサーフィーだけではない、大きなメリットが得られる体制が敷かれアクションスポーツシーンのさらなる可能性を見出すことがこのリーグの目的とされている。 ただ、全ての選手がこれらのクラブに所属できるわけではなく、ドラフトにて選出された選手だけが対象となり、それ以外のドラフトで選出されなかった選手は今までと同様に個人(フリーエージェント)として大会への招待を受けて出場することとなる。ただ何らかの理由で各クラブチームから欠員が出た場合はフリーエージェントへのオファーを通して充填されることが決まっている。 「Xゲームズリーグ・サマードラフト」にて4つのクラブチームに所属するアスリートたちが決定! ©︎X Games そしてXGLの幕開けとして、第1回となる2026年MoonPay X ゲームズリーグ (XGL) サマードラフトが、2026年3月13日にカリフォルニア州ハリウッドパークのCosm Los Angelesで開催された。 今回のドラフトでは、夏季シーズンを争う4つのX ゲームズクラブ(XC ニューヨーク、XCサンパウロ、XCロサンゼルス、XC東京)から、各クラブのゼネラルマネージャー(GM)が、XGLへ参加表明した180名ほどのスケートボードおよびBMXのアスリートの中から国籍問わず男女各5名づつ計10名を指名し、4クラブで合計40名を選出した。なお各クラブは2026年6月26日〜28日にアメリカ・カリフォルニア州サクラメントで開催される「X Games Sacramento 2026」にて今シーズン初戦に臨み、その後、翌週7月4日〜7月5日に千葉県で開催される「X Games Chiba 2026」へ、そして最終戦としてアメリカ・ルイジアナ州ニューオリーンズで行われる「X Games New Orleans 2026」といった全3戦を通してシーズンチャンピオンを目指すこととなる。 ©︎X Games 下記ではドラフトで各クラブチームに選出されたメンバーの紹介と、それぞれのクラブが持つ特色を含めて編集部が独自の目線でラベリング。合わせて今シーズンの見どころも紹介していく。クラブごとに四者四様全く異なる雰囲気を持つため、是非本記事を通してアスリート個人だけではなくクラブとしての「推し」を見つけて今シーズンの観戦をより楽しんでもらえたら幸いだ。 とにかくカッコいい!スタイルが光るアクションスポーツの原点を提示する「XCロサンゼルス」 ©︎X Games 【チームメンバー】トム・シャー(アメリカ合衆国)、赤間凛音(日本)、フェリペ・モタ(ブラジル)、ペリス・ベネガス(アメリカ合衆国)、リリー・エリックソン(アメリカ合衆国)、マーカス・クリストファー(アメリカ合衆国)、ブレイディ・ベイカー(アメリカ合衆国)、開心那(日本)、ダショーン・ジョーダン(アメリカ合衆国)、ミア・クレッツァー(オーストラリア) このクラブの印象は一言で言えば「スタイリッシュ」。世界トップの唯一無二のスタイラーが集まっているチームでまさにストリートカルチャーの発信地ロサンゼルスを象徴するクラブだ。もちろん実力は言うまでもなく折り紙つきでX Gamesや世界大会で多くのメダルを獲得しているメンバーが若手からベテランまで幅広く所属。編集部としては、派手な大技よりも玄人好みの高難度トリックでカッコいいライディングを魅せるライダーが多いイメージがあり、その代名詞としてスケートボードのトム・シャーやフェリペ・モタ、BMXのペリス・ベネガスがいることも納得できる。日本からは赤間凛音と開心那が選出されたが、彼女たちもグラインドトリックを得意とし、どこを切り抜いてもシルエットが映えるスタイリッシュなライディングが特徴的な2名。スタイルが光るこのクラブがX Gamesで提示するアクションスポーツのカッコよさを会場で見るのが楽しみだ。 【こんな人にオススメ!】とにかく何よりもカッコよさやスタイルを重視している人たちにピッタリハマるクラブで、それぞれのアスリートが見せる洗練された唯一無二のスタイルやカッコよさに美学を感じるファンにオススメ。勝ち負けはもちろんのこと、アクションスポーツそのもののカッコよさを純粋に楽しみたい玄人好みのファンにもってこい。 XCロサンゼルス ゼネラルマネージャー:シェラリー “ヘイズ” ヘイゼンのコメント Q. 今回選手たちをドラフトする上で予め決めていたコンセプトや指標があれば聞かせてください。A. XCロサンゼルスが求めていたのは、疑いようのない実力と唯一無二の個性を兼ね備えたチーム。そのためスケートボードとBMX、両方のファンが心から共感できるメンバーを集めることが目標でした。ドラフトを終えて、それぞれ異なるストーリーを持つ10名のアスリートが集まり、XCロサンゼルスの初代チームが誕生しました。本当に素敵なことで嬉しく思います。 Q. 今後どのようなクラブにしていきたいか、展望や目標を聞かせてください。「選手を最優先すること。」これはこのクラブが掲げる永遠に変わらない一番の目標です。より多くのファンへとリーチを広げていく中で、若い世代にポジティブな体験を届け、アクションスポーツへの関心を高め続けたいと考えています。このメンバーたちは、プロアスリートの従来の常識をことごとく塗り替えていける存在です。彼らが最高のパフォーマンスを発揮できるよう支え、その周りにポジティブなエネルギーを生み出していくこと。それが私たちの使命です。 X Games界のゲームチェンジャーが集合。南米のパッションで会場の空気をロックする「XCサンパウロ」 ©︎X Games 【チームメンバー】ギー・クーリー(ブラジル)、スカイ・ブラウン(イギリス)、ライアン・ウィリアムズ(オーストラリア)、松本雪聖(日本)、クイーン・サライ(コロンビア)、ギャレット・レイノルズ(アメリカ合衆国)、ジオバンニ・ヴィアンナ(ブラジル)、ガブリエラ・マゼット(ブラジル)、ルイジ・チーニ(ブラジル)、ライカ・ヴェンチュラ(ブラジル) このクラブの印象は一言で言えば「ゲームチェンジャー」。どんな戦況でも一発でひっくり返せるような最高難度トリックとそのムードを自分たちに引き寄せることができるアスリートたちが集まっている。その代表としてスケートボードから若手スター選手であるギー・クーリーやスカイ・ブラウン、BMXからは長年圧倒的な強さでX Gamesを牽引してきたライアン・ウィリアムズやギャレット・レイノルズがいる。そして何より南米の大都市サンパウロを象徴するようにブラジルを代表するトップライダーが半分を占め、南米のファンたちが歓喜するチーム編成だ。日本からはスケートボード女子ストリートの若手新エースとも言える松本雪聖が選出。直近の国際大会では既にゲームチェンジャーとしての強さも見せている彼女の今シーズンの活躍も期待したい。 【こんな人にオススメ!】超高難度のトリックで一気に流れを変える逆転劇やドラマチックな展開が好きな人にピッタリなクラブ。試合の流れをひっくり返すような爆発力と、その熱狂を会場ごと自分たちに引き寄せるムードメーカーとしての強さがこのクラブの魅力だ。南米のエネルギーを体現するようなブラジル勢の存在感も独特の雰囲気を生み出しているので、情熱的な南米カルチャーの熱気を感じたい人にもオススメ。 進化し続ける大都市東京を象徴する、アクションスポーツ界の新時代を作り出す「XC東京」 ©︎X Games 【チームメンバー】アリサ・トルー(オーストラリア)、白井空良(日本)、ケビン・ペラザ(メキシコ)、長谷川瑞穂(日本)、中村輪夢(日本)、吉沢恋(日本)、芝田モト(日本)、小澤美晴(日本)、佐々木音憧(日本)、織田夢海(日本) このクラブは一言で言えば「アクションスポーツ界のパワーハウス」。大都市東京を象徴するような、日本が世界に誇るトップオブトップの日本人選手を中心に構成するチーム。各メンバーが数々の世界大会で優勝経験を持っているだけでなく、いつでも安定的に高いパフォーマンスを披露でき、さらにそのレベルを常にネクストレベルへ引き上げている面々であるところが特徴だ。その正確無比な卓越したスキルの数々は日本人メンバーを見れば言うまでもないが、日本ともゆかりがありX Gamesで圧倒的なプレゼンスを持つアリサ・トルーとケビン・ペラザの存在がさらにXC東京の強さを物語っている。どこを見ても全く抜け目がないパワーハウスである彼らは、今シーズンの第2戦には「X Games Chiba 2026」という日本開催のホームゲームも控えている。地元の観客のエネルギーを力に変えて初年度からシーズンチャンピオンの座を掴み取るのかにも注目だ。 【こんな人にオススメ!】東京という名がつくクラブであることと日本で大人気なアスリートが多く所属することから、日本のファンにオススメなクラブであることは間違いないが、世界的にも人気の高い日本人メンバーと日本にゆかりのある海外選手によるこのドリームチームの結成が引き起こす化学反応と、今後の彼らの進化を一緒に歩みたいファンには国籍関係なくオススメしたい。 XC東京 ゼネラルマネージャー:鈴木はるみのコメント Q. 今回選手たちをドラフトする上で予め決めていたコンセプトや指標があれば聞かせてください。A. X Games Club Tokyoは「東京」がその名前につくクラブなので、日本を代表するトップアスリートはもちろんのこと、常に進化し続けている大都市東京を体現できるような世界最高峰のアスリートを集めたいと思っていました。東京は「ファッション」、「音楽」、「最新のテクノロジー」などの様々な要素がたくさん詰まっていて、世界中から人が集まる都市です。様々なバックグラウンドを持つ多様なメンバーが、お互いに刺激しあい、学びあい、高めあえるチームにしたいと思いました。すでに経験豊富でシーンを牽引するような影響力の強いアスリートから、若さ溢れる新進気鋭のアスリートまで、まさに東京らしいクラブができたと思っています。 Q. 今後どのようなクラブにしていきたいか、展望や目標を聞かせてください。チームメイトという概念が非常に限定的だったアクションスポーツで、複数競技の多種目の選手たちが一つのチームとして競うという新しい試みなので、アスリート同士の関係性にどういった化学反応が生まれてくるのか、非常に楽しみです。このクラブに所属してよかったとアスリートに思ってもらえることが第一なので、アスリートファーストでクラブを運営していきたいです。クラブとしては、3戦あるリーグ戦のチャンピオンを十分に狙えるメンバーが揃っていると自負していますが、そのためにはファンの方々の応援というのが大きな後押しになります。日本の方はもちろん、世界中のたくさんの方に応援してもらえるようなクラブに成長させていくことも、大切な目標の一つです。 世界のトレンドセッターとしての圧倒的な影響力で、アクションスポーツシーンを牽引する「XCニューヨーク」 ©︎X Games 【チームメンバー】クロエ・コベル(オーストラリア)、ナイジャ・ヒューストン(アメリカ合衆国)、ハンナ・ロバーツ(アメリカ合衆国)、ローガン・マーティン(オーストラリア)、小野寺吟雲(日本)、西矢椛(日本)、ダニエル・サンドバル(アメリカ合衆国)、ブライス・ウェットスタイン(アメリカ合衆国)、テイト・カリュー(アメリカ合衆国)、ヘイリ・シルヴィオ(フィンランド) このクラブの印象は一言で言えば「アクションスポーツ界の銀河系軍団」。本チームは現在のアクションスポーツシーンで大きな影響力を持ち、実力と名声共に世界一とも言えるメンバーを多く揃え、まさに世界のトレンドセッターであるニューヨークという都市にふさわしい面々で構成されている。実際にPICK 1とPICK2ではスケートボードからは若手の女子トップスケーターのクロエ・コベルと揺るがぬスケートボードのスーパースターであるナイジャ・ヒューストンというトップライダーを選出し、PICK 3とPICK4ではBMXからはフリースタイルパーク種目で幾度も世界一を獲得したハンナ・ロバーツやローガン・マーティンを選出。そして日本からは小野寺吟雲と西矢椛の2名が選ばれたが、他のメンバーと肩を並べるほどスケートボードのコンペティションとストリートの両シーンで影響力を示している彼らの選出はさらに XCニューヨークの力強さを倍々にしていると考える。その他のメンバーも含めて個性と影響力を兼ね備え、とにかく超火力を持つこのチーム。X Games Leagueの台風の目になり得るクラブであることは間違いないだろう。 【こんな人にオススメ!】アクションスポーツの世界で今最も名前が知られ、実力も折り紙つきのスター選手たちが1チームに多く所属しているのがこのクラブの圧倒的な魅力。競技の枠を超えてシーン全体に影響を与えるトレンドセッターたちのパフォーマンスは、試合の勝負以上に「今のアクションスポーツの最前線」をそのまま体感できる機会になるので、今のトレンドを逃したくないファンにはオススメのクラブ。 XCニューヨーク ゼネラルマネージャー:スティーブ・ロドリゲスのコメント Q. 今回選手たちをドラフトする上で予め決めていたコンセプトや指標があれば聞かせてください。A. ドラフトへ臨むにあたり、単純に知名度の高い選手を集めることだけを考えていたわけではありません。全種目で戦えるだけの総合力を持ちながらも、ニューヨークのスピリットを体現できる真のチームを作ることを目指しました。その中で多様な種目への対応力、プレッシャーのかかる場面での安定感、そしてシーズンを通じて複数種目でポイントを積み重ねられる選手を優先的に選びました。 また男女の割合はもちろんのこと、スケートボードとBMXのバランスにも細心の注意を払いました。すべてのカテゴリーで勝負できる構成が求められるこのフォーマットでは、どこかに穴があると致命的だからです。同時にメンタリティも重要な選考基準でした。大舞台でも物怖じせず、個性とスタイルをしっかり持っている選手であることは外せないポイントです。最終的には、数字の上でも競争力があり、かつ一体感のあるチームを作ること。それがすべての判断軸でした。 Q. 今後どのようなクラブにしていきたいか、展望や目標を聞かせてください。私たちが目指しているのは、ニューヨークが世界に向けて体現している「多様性」、「たくましさ」、そして文化を形づくる「影響力」をそのまま映し出すクラブを作ることです。ニューヨークはいつの時代も、人々が公共の場で自分のスタイルを磨いてきた場所。そのエネルギーをチームのアイデンティティにしたいと思っています。私たちは単純に大会で勝つことを目指しているのではありません。アクションスポーツのチームとして体現できることの基準を押し上げたいのです。それは選手のサポート、ファンの心に響く瞬間を生み出すこと、そして競技の枠を超えて長くシーンに残るものを築くことだと考えています。初日からXCニューヨークには、確固たるアイデンティティを持つグローバルなチームであってほしい。選手が誇りを持って所属でき、世界中のファンがそのカルチャーへの本物のつながりを感じられる存在としてあり続けたいです。 X Games Leagueの見どころ ©︎X Games 今シーズンから新しく始まる「X Games League」。今までは大会ごとで選手個人の勝利を応援するスタイルであったが、今回のプロリーグには従来の形にプラスして、シーズンを通してチームとしての戦いも応援できるスタイルになる。チーム側の目線で言うとシーズンチャンピオン争いをしていく中で、例えば複数種目に出場する選手であれば、彼らをどう出場させてポイントを獲得していくのか、また所属選手たちのコンディションや現状のチームのランキングに応じてどういった戦略を組んでいくのかなど、様々な視点から観戦を楽しむことが可能になる。なお大会中は各クラブのチームウェアやチームカラーを身につけることが決められたため、どの選手がどのチームに所属しているのかが一目で分かり、より観戦時での戦況の移り変わりが楽しめるようになっている。また編集部としては、上記に加えて各選手たちのチーム内でのコミュニケーションという観点で、競技外でのコースサイドや会場内でのメンバー同士のやりとりにも注目してもらえると面白いのではと考える。そういった競技コンテンツ以外の各クラブが選手たちと紡ぐストーリーやドラマ的な部分もチェックすることでさらにこのプロリーグの面白さを感じてもらえると思うので、会場に足を運ぶファンの方々には新たな目線でも楽しんで欲しい。なお本記事では各クラブメンバーと見どころを編集部の目線で簡単に紹介させてもらった。そのため今回紹介した各クラブの選手たちのそれぞれの魅力は網羅できていないため、是非気になったクラブがあればクラブのオフィシャルインスタグラムアカウントをフォローしてチェックしてみてほしい。今後の展望として、チーム数もシーズン内の大会数も増えていくことが予想されている「X Games League」。今シーズンはアクションスポーツの新時代の幕開けを一緒に楽しんでもらえたらと思う。 X Games League(XGL)について 今年からスタートするXゲームズリーグ(XGL)は、アクションスポーツ界で初となる年間制、チーム制、男女混合を用いた新リーグとして、象徴的なXゲームズブランドに革新的なアップデートをもたらしていく。 このリーグには冬季と夏季それぞれ4クラブずつ、計8つのXゲームズクラブが参加。地理的アイデンティティと世界最高峰のアスリートたちが融合し、チーム同士が競い合う。 クラブに所属するのはアクションスポーツ界のトップアスリートたち。彼らはチームとして、この業界で最も権威ある優勝の座を目指して戦う。 これによりシーズンを通じたストーリー展開が可能となり、テレビ放送、ストリーミング、ライブイベント、デジタルプラットフォームを通じて、より深くアスリートとファンがつながる体験が実現するのだ。 この新たなリーグモデルは、アクションスポーツ界における大きな転換点であり、アスリート、チーム、ファン、スポンサー間のグローバルな存在感と地域的な結びつきの強化を目指している。 また、XGLの誕生により、アスリートたちにとっては賞金だけに頼らない報酬を獲得できる機会となり、チームの一員としてさらなる収入のチャンスが広がることとなる。
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culture430/Fourthirty 30周年記念連載:第2弾 〜Fourthirty創業初期の様々な転機とアイデンティティの葛藤〜2026.04.22日本国内のストリートカルチャーシーンにおいて、BMXライダーを中心に深く愛され続けているアパレルブランド「430/Fourthirty(フォーサーティー)」が、今年でブランド設立30周年を迎える。 1996年に5名のプロBMXライダーによって発足し、その一員である上原洋を中心に歩みを進めてきた同ブランド。彼らが長年にわたるBMXとの関わりや数々の旅を通じて得た経験、そして機能性を追求した素材選びや時代ごとのテーマを反映したグラフィックなど、周囲のアーティストたちと共創したエッセンスがアパレルに落とし込まれている。現在ではBMXライダーをはじめ、ストリートカルチャーを生きる多くの人々に寄り添うデザインを展開し、シーンから絶大な支持を集めるブランドだ。 そして5月2日(土)にFourthirtyの創業30周年を記念するイベント「みどりな夜 2026 - 430 30th ANNIVERSARY」が開催される。この度、FINEPLAYでは当イベントに先駆けて、Fourthirty創立メンバーである上原洋氏に行ったインタビューを全4回の連載企画としてお届けする。 第1弾ではFourthirtyの創業秘話というテーマの下、上原氏のBMXとの出会いや「Fourthirty」というブランド名の由来、立ち上げの裏側に迫った。第1弾をまだ読んでない方は是非本記事の前に一読してほしい。今回の第2弾もFINEPLAY財満栄治の進行の下、「Fourthirty」というブランド立ち上げ初期の出来事から、次々と起こる転機の中で上原自身が経験したアイデンティティへの葛藤などを語ってもらった。 初めての「織りネームタグ」と展示会出店が生んだアパレルブランドとしての自覚 財満:Fourthirtyを立ち上げて今年で30年という長い期間がありましたが、アパレルブランドとして最初の転機と感じたことはありますか? 上原:最初は自分が働いていたプログラムという洋服屋でFourthirtyブランドとして制作したTシャツを売らせてもらいましたが、自分たちのストリートカルチャーを通じて感じてきたモノの魅力を、BMXを全くやっていない一般のお客さんに対して洋服の良さやストーリーを伝えて、アパレルを売るということの難しさを一番痛感しました。ただ、BMXと直接関係がない仲間やその先で繋がったお客さんがTシャツを買ってくれた時に、自分の作ったものが初めて金銭化し、今までは「ただのBMXチーム」だったところから一つのレーベルやブランドになったのだと強く実感しました。またアパレル自体のデザインもプリントだけでなく、織りネームのタグを作ってTシャツに付け始めた時も、モノづくりにおいて自分たちの意識が変わったタイミングでした。 財満:岡山から上京してきてからの活動はどうでしたか? 上原:岡山から東京へ出てくると、周りのスケーターやBMXライダーたちのレベルが一気に上がって、雑誌で見るようなトップクラスの人たちばかりで、映像や洋服を作って生計を立てている人たちと出会うようになっていきました。そういった方々の事務所にも行かせてもらう中で、ストリートカルチャーが生業として成り立つことを肌で感じました。それがきっかけで自分たちでもTシャツだけでなくアパレル全般を作ろうというアイデアも生まれました。それから、当時「STAY UP LATE」という1990〜2000年代を代表するストリートブランドの先輩に可愛がっていただき、服作りの方法を間近で見て学ばせてもらいました。その中である時、先輩が「Tシャツ作ってるんだったら、次の展示会でうちの1ブース使って出店してみる?」と声をかけてもらいました。その展示会を機にTシャツだけでなく、初めて春物のジップアップジャケットや薄手のデニムパンツと財布、そして形から作った帽子などを作り出店しました。今まではお店でお客さんを待つスタイルでしたが、展示会を通して実際にバイヤーさんやお客さんに営業してお店に来てもらう経験をしたことは大きな転機でした。それが確か2000年頃のことだったと思います。初めてTシャツを作ったのが1996年だったので、それまで4年ほど経っていますが、その4年間はBMXプロライダーとしてとにかく自転車に乗ることを意識して頑張っていた期間でもありました。ただその中で自分の強みやオリジナリティを発揮できるのが、他にも上手いライダーがたくさんいる中で世界チャンピオンを目指すことではなく、BMXシーンにまだ根付いていないファッション文化を広めることだと分かったのでシフトチェンジした感じでした。 プロBMXライダー活動当時の写真 財満:当時東京に来てよく関わっていた人にはどんな方がいましたか?上原:よくお世話になっていたブランドに「HOMLESS」と「FRESHJIVE」っていうこの2つがあったのですが、そこに今みんなが知っている人で言えば、スケートボードメディア「VHS MAGAZINE」の江口勲二郎さんっていうスケーターがいたんですが、僕より少し年上でものすごい頭がいい人でありながら、リアルストリートカルチャーをすごい分かっている人だったので話していて面白かったですし今でも仲良くさせてもらっています。あと「CHALLENGER」というブランドの代表をしている田口悟さんも当時同じチームにいて特にスケーターの人が仲良かったです。あとその「HOMLESS」っていうブランドは他にはスノーボーダーやレゲエアーティストなどを幅広くサポートしていたこともあり、クラブイベントを開催しては色々な人を紹介してくれました。そこで雑誌関係の人ともたくさん繋がりました。当時は雑誌を作っている人がその時代の情報を作っていたこともあって、彼らとよく一緒に動いていたことがFourthirtyとしても展示会の情報や音楽、ファッションを周りより早くキャッチできた理由かもしれません。 法人化を経て直面した目標の喪失と、香港での新たな出会い 独立した当初の写真 財満: その状態からどのように独立して、法人化へと進んでいったのでしょうか? 上原: 展示会を初めてやらせていただいた約2年後の2003年頃に独立を決めました。服作りを一から教えてくれた先輩のことが大好きで尊敬していましたし、その先輩から「うちを法人化するから1ブランドとして一緒に入ってやっていかないか?」というお誘いもあったのですが、心のどこかで「自分たちでやりたい」という強い気持ちがありました。そのため先輩からのお誘いには「自分でやります!」とお断りして、 新宿の中央公園近くにオフィスを構え、まずは自分たちのお店の開店資金である300万円を貯めるため、独立して最初の1年間はメンバー全員でギリギリの生活をしながら必死に頑張りました。そして無事に資金が貯まり、法人化できたのが24歳頃のことです。 財満: 法人化という目標を達成したわけですね。 上原: そうなんです。ただBMXのプロライダーになり、自分たちのブランドを作り、独立して法人化するという子どもの頃からの夢をすべてクリアしてしまったことで、「次は何を目標にして走ればいいのか」が分からなくなってしまったんです。 そんなタイミングで、FourthirtyメンバーでBMXのデモンストレーションを香港で行う機会がありました。そこで現地の洋服屋をやっているプロスケーターのフランキーと出会い、彼を通じて香港での仕事が増えていって、その中で香港という国のガツガツしたエネルギーやスピード感に触れたんです。 当時の東京ではスポンサーを受けて生活しているライダーも多く、その生活の仕方に僕自身未来を感じていなかったこともあり、もっとワクワクできる環境を求め、かつ上原洋というキャラクターを確立するために、日本人ではないですが同世代たちがガツガツ頑張っている香港へ約2年半渡ることに決めました。Skypeなどの技術革新の登場で、遠隔でも香港からでも海外の人たちとコミュニケーションが取れるようになっていたことも香港へ挑戦する大きな後押しになっていましたね。 「BMXの〜」という形容詞への葛藤を乗り越え、心に決めたのはシーンへの恩返し 香港での活動の写真 財満: 香港ではどのような活動をしていたのですか? 上原: エリック・コットさんという、現地のファッションのトレンドセッターであり、俳優の方と繋がり息が合ったので、彼のオフィスに毎日通って作業をして様々なプロジェクトを行いました。その中の「4Aプロジェクト」では、毎週発売されるファッション誌で隔週2ページのコラムを連載したりもしていました。ただ、エリックと一緒に活動する中で著名人も含めて色々な人を紹介してもらう時には、必ず「日本のBMXバカのヒロシ」といった感じで「BMXの〜」という形容詞をつけられて紹介されることに葛藤を感じていました。 4Aプロジェクトの写真 財満: どうして葛藤を感じ始めたのでしょうか? 上原: 僕たちのFourthirtyはBMXライダーが立ち上げたブランドではあったものの、BMXライダーに向けた服ではなく、ライフスタイルとしてのストリートブランドを作っていきたいという思いが強かったんです。また、僕自身は当時、昔に比べてBMXに乗れていなかったのに対し、毎日血を流しながら死ぬほど練習している現役のライダーたちに対して「まるで自分がBMXプロライダーのように形容されるのは彼らに対してどうなんだろう?」という思いがありました。そういった背景もあり、エリックやその他の「BMXの〜」という形容詞をつけて紹介してくれる人たちが、紹介先に僕の唯一無二感を与えるためにポジティブな意味で言ってくれていたことに当時の僕は気づけなかったんですよね。 財満: なるほど。そこからどのように意識が変わっていったのですか? 上原: 何をしても「BMXの〜」という肩書きがどうしても付いてくるのなら、その肩書きを付けられた時に恥ずかしくないよう、BMXシーンやカルチャー自体をカッコよくするために自分が貢献すべきだと気づいたんです。 そこから、大会の審査員を務めたり、G-SHOCKと一緒に「REAL TOUGHNESS」というイベントを2010年頃からオーガナイズしたりして、シーンの裏側から貢献する道を選びました。そういう形で自分がBMXに対して真摯に向き合い、できることを通じてしっかりやろうと決意して日本に帰国したんです。その流れで東京オリンピックの組織委員会での活動やUCIの世界戦の審査員をはじめたんです。 UCI世界選手権大会の審査員の写真 次回の第3弾では、日本へ帰国後に立ち上げた原宿のヘッドショップ「DECADE TOKYO」の設立秘話や、現在のFourthirtyについてさらに深く伺っていきます。 今回のインタビューはPodcast「SESSIONS Presented by FINEPLAY」でも! FINEPLAYがスタートした新音声メディア「SESSIONS Presented by FINEPLAY」にて今回のインタビューもお聴きできます。 上原洋プロフィール 元プロBMXライダー。現在はアパレルを中心に、BMX、関連商品を販売する430 co.,Ltd の代表。2021年の東京オリンピック組織委員会でBMXの技術マネージャーを担当。またUCI BMX FREESTYLE 国際大会審査員も務める。2010年に原宿キャットストリートに430のヘッドショップであるDECADE TOKYOをオープンさせ、2024年に同じキャットストリートにDECADE TOKYOがリニューアルオープンした。 「みどりな夜 2026 - 430 30th ANNIVERSARY」 イベント概要 430 30th ANNIVERSARY “みどりな夜 2026”今回は430の30周年も重なる、特別な一夜。 クラブエイジアのフロアをフルに使い、BMX、LIVE、DJが交差するお祭り的な一夜。“みどりな夜”名物、BMXフラットランドのジャムセッションも開催。クラブという異空間で繰り広げられるライディングは、ここでしか見れない景色です。今回集まってくれたのは、これまで430と共にシーンを作ってきた仲間たち。長年ステージを共にしてきた太華くん、岡山の繋がりも深いレゲエアーティストJ-REXXX、ミクスチャーバンドのGAS MARIA、大分からはケンチンミン、金沢からはVUE DU MONDE、そしてさすがのパフォーマンスで魅せるK&K。それぞれのスタイルで、この夜を彩ってくれます。 DJ陣も特別なラインナップ。長年共にイベントを作ってきたDJ BAKU、高校時代からの仲間であるホームメイド家族のDJ U-ICHI、みどりな夜を支え続けてきたDJ DAI-5、DJ TOYODA。岡山からはDJ ZEEK、名古屋からはコースケ。現場を共にしてきたDJ PONY。田中光太郎の平成チューンもあります。そして新たな出会いから参加するDJ TIMESLIP GOなど、それぞれのバックグラウンドが混ざり合う一夜になります。 さらにスペシャルゲストも控えていますが、こちらは当日までのお楽しみ。30周年を祝うために集まってくれた、本当に大切な仲間たちです。このメンバーで迎えられることに感謝。当日が楽しみです。— Text by Hiroshi Uehara/上原洋 DATE:5.2 (Sat) 23:00 STARTTICKET:ADV ¥3000 / DOOR ¥4000(430枚に達すると終了します )チケットはDECADE TOKYO & ONLINEにて販売中です。記事最下部のリンクより購入できます。VENUE:CLUB ASIA(渋谷)東京都渋谷区円山町1-8STARRING:430 BMX LIVE SESSIONJ-REXXX,太華,GAS MARIA,KEN TIN MIN,VUE DU MONDE,K&K,DJ BAKU,DJ U-ICHI.,DJ DAI-5,DJ TOYODA,DJ TIME SLIPPER GO,DJ ZEEKDJ PONY,DJ KOTARO TANAKA, YASSAN…and more
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danceメジャーとアングラ|両面で共存する理由。ダンサーTATSUKI 独占インタビュー2026.04.16日本最大規模のダンスバトルイベント「マイナビDANCEALIVE」のプロデューサーに25歳という異例の若さで抜擢され、現在就任3年目を迎えたダンサーTATSUKI。5歳の時にスイミングスクールの待ち時間でダンスと出会って以降、キッズ時代から「Beat Soldier」のメンバーとして頭角を現した彼は、現在も現役プレイヤーとして第一線で活躍をしながら同時にイベントの裏方も務めるなど、メジャーとアンダーグラウンドの垣根を越えて挑戦をし続けている。今回はその多彩な顔を持ち、現役ダンサーとしてハイブリッドな活動を自ら体現するTATSUKIに、裏方と表舞台を行き来する柔軟性と、現在進行形で進めるマイナビDANCEALIVEの改革、そしてそれらの幅広い活動をなぜ行っているのかを迫る。ダンスシーンの次世代を担うひとりであるTATSUKIが見据える未来について、話を訊いた。 5歳の出会いと、運に導かれたキッズ時代 ➖ まず最初にダンスの経歴について教えてください。 僕は埼玉出身で、地元のスポーツクラブのスイミングに5歳の時に通っていました。親が送り迎えをしてくれていたのですが、迎えに来るまでに1時間くらい時間が空いていて、その間、毎回ダンスレッスンをしている場所にいて、見ていたらしいんですよ。それで親から「興味あるの?」と聞かれて、「やりたい!」と言い始めたみたいです。5歳の時なので、自分ではもう記憶がないんです。 ➖ そこからどのようにして本格的なストリートダンスの道へと進んでいったのでしょうか? 中学生の頃からYASSさんのレッスンを受け始めました。当時通っていたダンススタジオは、僕以外は先生も含めて女性ばかりで、男性インストラクターから学ぶ機会がほとんどありませんでした。そんな中、先生が「YASSくんのところに行ってみたら」と背中を押してくれたんです。キッズの頃、NHKの『みんなのうた』に出演するため全国から集まった子どもたちの中に、僕とKAI→がいました。KAI→とは当時から繋がりがあり、彼がLEOたちと活動していたこともあって、YASSさんのことも以前から知っていました。だから、僕にとってYASSさんはどこか身近な存在だったんです。 周りのキッズダンサーたちは小学校低学年くらいからバトルにガンガン出て活躍していたんですが、僕は結構ビビリでその当時はバトルが怖かったんですよ。でも、中学生になった頃からバトルに挑戦し始めてハマっていって、そのタイミングでLEOたちと仲良くなり彼らと「Beat Soldier」というチームを組みチームとして結構活動していました。 ©︎anomaly inc 25歳で大抜擢|マイナビDANCEALIVEプロデューサーへの挑戦 ➖ 現在はショーやジャッジといったプレイヤーとしての活動に加え、D.LEAGUEではList::Xのリーダーを務め、さらにマイナビDANCEALIVEのプロデューサーもされていますが経緯を教えていただけますか? 大きな転機は「コロナ禍」でした。それまでは、とにかく目先の目標をこなす生活を送っていたのですが、プツンと仕事が途絶えて暇になりました。生活とか、今後について考えざる得ない時間が突然できたんですよね。それまでは、平日のレッスンや土日のワークショップくらいしか仕事がなくて日中は暇でした。 「この時間に何かできないかな」と思っていた時に、アライブを運営しているアノマリーに「何か自分が手伝えることはないですか?」と連絡してアルバイトとして働かせてもらうことになりました。運営を手伝う中で、会社の動きやイベント運営の裏側が見えてきて、運営陣に対して「こういうところをもっとこうしたらダンサーから信用されますよ」「ダンサーたちのためにこれはやらない方がいい」と、ガッツリ意見を伝えていました。 運営陣の方々とは昔から知り合いでしたし、これまでお世話になってきた側面もあるので関係値があるが故に、ストレートに意見を言えましたし彼らも訊いてくれました。僕もアライブにはバトラーとして挑戦してきたし、ずっとプレイヤー目線で見ていたので、そういう現場のリアルな意見を言えたし説得力もあったんだと思うんですよね。 ©︎anomaly inc ➖ アルバイトながら前プロデューサーのカリスマカンタローさんたちと意見交換を重ねていたということですね。 そうですね。たぶん、そういうのを見て「こいつに任せたい」と判断してもらえたんだと思います。カンタローさんからは、自分がアライブを始めた若い頃のカウンターカルチャーの尖った感覚みたいなものを、世代交代してカタチにして欲しいということを言われました。事業を継承していくタイミングはずっと考えていたみたいです。 ➖ 日本最大級のイベントを突然任されることになって、プレッシャーはありませんでしたか? 最初はさすがに持ち帰って考えました。それまでイベント主催の経験もゼロでしたから。でも、僕は昔から「運に生かされている」という感覚があるんです。最初の先生との出会いも、YASSさんとの出会いも、Beat Soldierに入れたのも、運が先行して頑張ってこれた。だから、こんな話が来るなんて人生で二度とないし「どうせいつか死ぬんだから、やれることは全部やりたい」と思って、1日考えて引き受ける決意をしました。 ➖ 初年度から手探りでイベントを動かしていくのは大変だったのではないでしょうか? 正直、初年度はわけがわからないまま終わりました。扱ったことのない金額の予算を動かしたり、今まで見ているだけだった先輩方とやり取りするようになったり、全然違う世界に飛び込んだ感覚でした。初年度のアライブのファイナルでは、時間が想定より1時間も押してしまったんです。進行が想像以上にうまくいかず結構ショックで悔しい出来事でした。 僕は基本的に落ち込んでもすぐ回復するタイプの人間なんですが、さすがに1ヶ月くらい引きずって「もうできないかも」と挫折しかけましたが、主催であるアノマリーの人たちが上手く僕をコントロールしてサポートしてくれました。ダンサーの先輩たちも「お前がやってるなら協力するよ」と言ってくれて、それはめちゃくちゃ励みになりました。 ©︎anomaly inc メジャーとアングラの共存を体現する ➖ そんな中、D.LEAGUEにもList::Xのリーダーとして参画されたと思うのですが、どのような経緯だったのでしょうか? それも「求められたから」というのが一番の理由です。最初は顔を出さずにList::Xは裏方で入っていました。でも、SPダンサーとして単発で出演したタイミングで、List::Xの会社の方から「どうしても入ってほしい」と熱烈にお声がけいただき、カンタローさんからも背中を押してもらい、表に出ることを決めました。「自分にできることがあるなら、やれるうちにやります」というスタンスで、実務が追いつくかとか現実的なことはあまり深く考えずにガッツリ関わることを選びました。 ➖ D.LEAGUEのリーダーとマイナビDANCEALIVEのプロデューサーとの兼任は非常に過酷な印象がありますが、どのようなマインドで過ごされているのでしょうか? 僕は結構楽観主義なので、基本的にはハッピーな感じでやっています。D.LEAGUEは審査基準がストリートのバトルとは違いますが、メンバーには「負けても世に出して恥ずかしくないダンスをしよう。意味のあるものにしよう。」と伝えています。それができていれば、負けても落ち込みすぎることはないと思っています。もちろん、勝つことが前提にある中での話なんですけどね。 ➖ アングラとメジャーを行き来することに対して意識することはありますか? ある人にとっては、メジャーな活動を「ダサい」と言う風潮がまだあるかなと感じます。でも、僕は「じゃあ、僕がメジャー的な活動をしていてもダサいですか?」と、胸を張って言えるように体現していきたいんです。そのためにも両面にしっかり抜かりなく向き合っていきたいと思って動いています。どんなスケジュールでも今までと変わらず、出たいと思うバトルに出て優勝したり、またD.LEAGUEに出れば選手としてしっかり立ち振る舞う。それが今の若さだからできることだと思っています。だからこそ、今でもアングラストリートの現場には必ず行くし、結果を出すために僕自身もダンスを追求し続ける。僕がハイブリッドに活動して見せることで、下の世代の子たちが「こういう可能性もあるんだ」と希望を持てるようになれば、シーンはもっと可能性が拡がって選択肢が増えるし純粋にそれでダンサーという職業が今よりももっと成立するようになると思っています。 ➖ そのバランスは非常に難しいと思うのですが、なぜ両立ができるのでしょうか? 結局、気の持ちようだと思っています。アングラのこだわりはすごく分かるけど、それをキープしたままお金を稼ぎに行くことはできる。もっと色んなコミュニティに顔を出してシェアすればいい。僕は今でもメジャーアーティストの方々にレッスンをさせていただくなど交流があります。一方で、バトルシーンにも自分がバトラーとしても挑戦するし、アライブのような規模のバトルイベントの主催もする。僕みたいに全部やれというわけではなく「僕がここまでやってるんだから、みんなも少し考え方を変えて行動してみたらもっと生きやすくなるよ」と気付いて欲しいんです。やってみなきゃ分からないことだらけですからね。 パイを広げ、ダンサーの森を豊かにする ➖ マイナビDANCEALIVEやD.LEAGUEを通して、TATSUKIさんが目指すビジョンや原動力を教えてください。 根本にあるのは、今までお世話になった先輩や仲間への「恩返し」です。今はいろんなダンスの形があって選択肢が増えましたが、全員が同じ方向を向くタイミングがない気がしています。みんなが狭い森の中で餌を探して奪い合っているような状態なんですよね。僕は今まで芸能事務所にいたこともあるし、D.LEAGUEもアングラのバトルも経験してきたからこそ、「ダンスが好きという共通認識の人たちなのだから一旦みんなで合流して、ダンスシーンという森をでかくしよう」と伝えていきたいんです。 森を大きくしてしまえば、あとは自由に生きられるじゃないですか。不自由なくダンスができたり、自分の個性や趣味嗜好を心置きなく出せる場所やパーティー・イベントを作れる作業が、僕なりの恩返しだと思っています。意外と僕は自己犠牲になっても「人が喜んでくれること」が嬉しいタイプなんだと、アライブの運営を経験する中で気が付きました。自分が世界で羽ばたくダンサーになるよりも、周りの人が不自由なくダンスを楽しめる環境を作ることの方が「自分の幸せなのかも」と、思ったりしています。 ➖ 昔からそのようなスタンスだったのですか? いえ、昔は「バトルで優勝したい」といった目先の目標しかなかったです。でもコロナ禍で考える時間ができて、とにかくこの先も楽しくダンスをして生きていきたいと思うようになりました。そのタイミングでアライブの仕事が入ってきて、プレッシャーの中で誰かの為に尽くす喜びに気付かされたんです。自分でゴリゴリ引っ張る勇気はないですが、求められたら全力で応えるタイプなんでしょうね。ちなみに僕は完全に無趣味で、ほぼダンスのことしか考えていません。最近やっとビート作りを始めましたが、これもいつまで続くかわからないという感じで(笑)。飽き性なのですが、ダンスだけはずっと続けられているので、これありきで今後の人生も考えていきたいと思っています。 ©︎anomaly inc マイナビDANCEALIVE 2026 FINALの見どころ ➖ 今期は様々な改革を行っていると伺いましたが、具体的にどのようなポイントがありますか? まず、バトルの部門に「POPPING」を増やしたことです。これは僕が個人的にPOPPINGのバトルを見るのが好きだというのもあります。これまではALL STYLES部門でPOPPINGのバトルを見ることが出来ましたが、ALL STYLESは様々なダンスのジャンルを踊る人が入り乱れるのでそれが楽しさでもあり、同時に難しさでもあるかなと感じていました。POPPINGはバトラーの数も多いですし、わかりやすく盛り上がるジャンルでもあるので、別枠を作りたいという想いがありました。ダンサーたちからも「ポップサイドを作ってほしい」とずっと言われていたので、その声に応えました。賞金100万円が出るPOPPINGのバトルは珍しいと思うので、新しい名誉の場になればと思っています。 ➖ セネガル代表とガーナ代表のバトルも話題になっていますね。 はい、今期からアライブワールドの取り組みとして、セネガル対ガーナの代表バトルを組みました。アフリカンならではの本場のエネルギーが見られると思います。ダンサー陣の中でも「セネガルやばい!」と話題がよく上がっていて、あの異国の面白さと爆発力は、うちの会社くらいしかわざわざ呼んで実現できない企画だと思いますね(笑)。 ➖ さらに、今回は初めての試みで当日予選があると伺いました。 そうですね。今回、朝一番のアンダーグラウンドステージで「当日予選サイファー」を初開催することになりました。今まで、年間を通じて全国で行われる各予選の準優勝のダンサーたちに対して何も報われないのが心残りでした。なので、その実力者たちを集めてM-1の敗者復活戦みたいなテンションでサイファーをしてもらいたいなと。しかも、ジャッジはおらずダンサー同士が踊り合って、自分以外の誰かを指差して、一番票が多かった人がメインステージのトーナメントにシードとして加わるシステムを導入しました。 ➖ ジャッジなしでダンサー同士がファイナルに進む最後の1名を決めるとは激アツですね。 ヨーロッパのイベントなどではあるシステムなんですが、日本では珍しいと思います。アライブはどうしても形式張ってしまう部分があるので、生感やサプライズ感を出して、概念をぶっ壊したかったんです。恨みっこなしのバチバチのドラマが見られるはずですよ。 ➖ 最近のバトルシーン全体について、TATSUKIさんはどう見ていますか?キッズダンサーのレベルアップなども著しいと思うのですが。 環境は間違いなく良くなりましたし、ルールの公平性や進行のスムーズさも向上しました。ただ、今のキッズたちは大人顔負けのスキルを持っていて「下手な子がいない」くらい底上げされている反面「うますぎて引いちゃう」部分もあるんです。昔のキッズみたいに「何がなんでも勝ちたい!」という泥臭さや、子どもならではのあざとさみたいなものも、もっと踊りで表現して欲しいし見たいなとは思いますね。 ©︎anomaly inc 死ぬまでダンスと関わり続ける ➖ TATSUKIさん自身の今後の展望をお聞かせください。 とにかく、動けるうちはプレイヤーとして表の活動も大事にしていたいし、裏の活動も回せる状態をずっと保ちたいです。今後ビジネスとしてイベントをやっていくことになっても、ビジネスに100%振り切ることは絶対に無いですね。死ぬまでダンスと関わっていくことは確定しているので、どんな形であれ、ダンスシーンにいる人が「ダンスをやっていて良かった」と思えるように動きたいです。自分が幸せになることよりも、ダンスシーン全体が幸せになったらいいなと本気で思っています。 ➖ 最後に、読者やマイナビDANCEALIVEに興味がある方へメッセージをお願いします。 バトルイベントって初見の人にはハードルが高いと思われがちですが、アライブのファイナルは両国国技館で1対1で戦うという、お相撲さんのような分かりやすい構図です。ダンサーだけでなく、ダンスや音楽がちょっとでも好きな人にぜひ来てほしいです。今回は生配信もありますが、著作権の都合で「バトラーは完全に初耳のオリジナル楽曲で踊る」というルールになります。 バトルシーンにいる人たちからすれば、ネガティブに捉えていた部分もあると思うのですが、逆に言えば「初めて聞く音で、即興でこれだけ凄いバトルをしている」というダンサーの真のスキルを見てもらえるチャンスでもあります。バトル以外にも、1日中、4つのステージでキッズから大人まで様々なショーケースを見ることが出来ますし、フェスっぽい空気感を感じるだけでも絶対に楽しいので、ぜひ「ダンス好き」の皆さんに集まってほしいですね。あと、全国、いや世界 からもこれだけのトップレベルのダンサーを一同に見ることができる機会もなかなか無いと思うので、ぜひ自分の好きなダンサーを見つけていただきたいと思います。会場でお待ちしています! TATSUKI|プロフィール "Tatsuki"GRAYSOURCE / Bixbite / kophy / List::X5歳からダンスを始め、ダンスに没頭する日々を送る。現在は各地でのゲストショーや国内外のWSを行いながら活動している。2018 JusteDebout HIPHOP SIDE 日本予選 優勝2019 DANCE@LIVE HIPHOP SIDE 前日予選 優勝2025 WDC HIPHOP SIDE優勝2025 SELLOUT FINAL 優勝2026 SELLOUT FINAL準優勝などバトルシーンにおいても輝かしい成績を残す。また、2025年からD.LEAGUEのList::Xのリーダーとして参戦。アングラからメジャーまで幅広く活動する。2023年6月からは『DANCEALIVE』のプロデューサー兼オーガナイザーを引き継ぎ、ストリートダンスシーンの更なる成長と繁栄のために働きかけている。 マイナビDANCEALIVE 2026 FINAL|開催概要 【開催日】2026年4月19日(日)【会場】両国国技館(〒130-0015 東京都墨田区横網1丁目3番28号)【開催時間】OPEN 10:30 / START 11:30【主催】株式会社アノマリー【特別協賛】株式会社マイナビ 2005年に「DANCE@LIVE(ダンスアライブ)」として日本で誕生した、1on1形式の世界最大規模のストリートダンスバトルの決勝戦。ダンサーが1対1の対面でDJのかける音楽に合わせ、即興で1ムーヴずつ踊り合う。もちろん流れる曲はDJのみが知る。より多くのJUDGEの票を獲得した方が勝利するシンプルなルール。予選は北海道・東北・北陸・関東・中部・関西・九州・中国地方の全国8地区で開催、熾烈な戦いを勝ち進めた猛者達が集い、日本国技の殿堂「両国国技館」で優勝を競い合う。カテゴリーは6つ。HOUSE・BREAKING・HIPHOP・POPPING・ALL STYLESの「GENERAL」。中学生以下のオールスタイルズバトル「KIDS」。全カテゴリーのダンスバトル賞金総額は『510万円』。毎年ストリートダンス界の日本最強ヒーローを生み出し続けている。ダンスバトルの他、コレオグラファー/ダンススタジオ/大学生・社会人ダンスサークルによるショーケースなどがすべてのエリアで同時開催されるモンスターイベント。毎年10,000人以上の動員を記録、年に一度のストリートダンスのビッグフェスとして老若男女に親しまれ、ストリートダンス界の現状を象徴するイベントとなっている。
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culture430/Fourthirty 30周年記念連載:第1弾 〜Fourthirty代表 上原洋が語る創業秘話〜日本国内のストリートカルチャーシーンにおいて、BMXライダーを中心に深く愛され続けているアパレルブランド「430/Fourthirty(フォーサーティー)」が、今年でブランド設立30周年を迎える。 1996年に5名のプロBMXライダーによって発足し、その一員である上原洋を中心に歩みを進めてきた同ブランド。彼らが長年にわたるBMXとの関わりや数々の旅を通じて得た経験、そして機能性を追求した素材選びや時代ごとのテーマを反映したグラフィックなど、周囲のアーティストたちと共創したエッセンスがアパレルに落とし込まれている。現在はBMXライダーをはじめ、ストリートカルチャーを生きる多くの人々に寄り添うデザインを展開し、シーンから絶大な支持を集めるブランドとなっている。 そして5月2日(土)にFourthirtyの創業30周年を記念するイベント「みどりな夜 2026 - 430 30th ANNIVERSARY」が開催される。この度、FINEPLAYでは当イベントに先駆けて、Fourthirty創立メンバーである上原洋氏に行ったインタビューを全4回の連載企画としてお届けする。 第1弾となる今回はFINEPLAY財満栄治の進行の下、上原氏のBMXとの出会いや「Fourthirty」というブランド名の由来、創業メンバー集結の裏側など、立ち上げ当初の貴重なエピソードをざっくばらんに語ってもらった。 Fourthirty代表・上原洋が語る、ブランド誕生の裏側とBMXとの出会い 2003年香港:上原洋のライディング 財満:Fourthirtyの30周年、誠におめでとうございます。改めて30年前にFourthirtyを立ち上げるに至ったきっかけを聞かせてもらえますか? 上原:立ち上げ前の背景からお話しすると、当時のスケートボーダーやBMXライダーなら誰もが経験していると思いますが、30年前はBMXライダーの数が非常に少なく、私の地元である岡山でもほんの数名しかいませんでした。 今ではSNS等も普及し、遠方にいるライダーとも身近に繋がれる環境になりましたが、当時はSNSのようなツールもないですし、近場で競技をしている人も少なかったので、どこでどんな大会やイベントが開催されているのか全く情報が入ってこない状況だったんです。 BMXを始めて数年が経った頃、大阪で大会が行われているという情報を耳にしました。さらに地元の先輩を通じて大阪の岡村旭という同世代のライダーを紹介してもらっていたこともあり、高校3年生の夏休みにその大会へ出場したんです。その大会の帰り際、会場で出会った神戸の小谷明生(通称:アキ)というライダーから「帰りの方向一緒だから車乗って帰る?」と声をかけてもらいました。 当時の僕は大阪や神戸の地理も全然分からなかったのですが、地図で見ると神戸は岡山寄りでしたし行きはバスだったこともあり、「一緒に乗ってきなよ!」と誘われたので同乗させてもらうことになりました。アキのBMXのスキルは自分と同じくらいのレベルでしたが、神戸出身ということもあってか服装を含めてスタイルが洗練されていてオシャレだったんです。 一方で、僕は昔から洋服が大好きで、岡山でも洋服屋で働いていたため、彼に出会って「神戸のライダーはなんてオシャレなんだ!」と強く惹かれました。それがきっかけで仲良くなり、一緒に車で帰ったんですよね。 財満:なるほど。 上原:その後、翌年の4月末に広島で大会が開催されるという話を聞きました。でも出場するにはエントリーシートをFAXで出さなきゃいけなかったんです(笑) 財満:当時はFAXでの申し込みが主流だったんですね。 上原:はい。そのエントリーシートの中には名前や住所を記入する欄の後に、「スポンサー」という項目がありました。当時の僕は何のことかよく分かっていなかったので、アキや神戸のライダーたちに聞くと「なんか上手いやつはここに書くらしいよ」と。(笑) 財満:当時はまだ、上原さんも神戸のライダー仲間もスポンサーの意味もあまり分かってなかったんですね(笑) 上原:はい。当時「FINE」という雑誌があり、巻末にサーファーやプロライダーが紹介されているページがあったのですが、そこにスポンサーとして「ムラサキスポーツ」とか「DCシューズ」といったブランド名が書いてあるのを目にしました。それから「上手いやつはエントリーシートのスポンサー欄に何か書けるらしい」という話になり純粋に「かっこいいな」と憧れを抱いたんです。当時はもちろん僕たちにスポンサーなどついていませんでしたが、でも「何か書きたいよね」っていう話で盛り上がりました。FAXを送る日がちょうど4月30日だったため、小谷明生と一緒に仮のチーム名として「Team 430」とスポンサー欄に記入してエントリーしました。 財満:当時はまだ430(フォーサーティー)という呼び方ではなかったんですか? 上原:違いますね。確か「ヨンサンゼロ」と読んでいたと思います。 エントリーシートの「スポンサー欄」から生まれた「チーム430」 430創業の立役者となった上原洋と岡村旭 上原:広島の大会当日、少し前に知り合っていて、後々共にFourthirtyを創業するメンバーになる田中光太郎も出場しに来ていて、そこで彼に神戸の仲間を紹介し、エントリーシートの話をしたんです。光太郎は当時から圧倒的に上手く、すでにスポンサーのようなものもついていたのですが、「実は俺たち、スポンサー欄にこう書いたんだよね」と伝えると、「マジ?それかっこいいじゃん。俺も書きたい」と賛同し、彼も「Team 430」と記入して大会に出場しました。すると、大会MCが「東京から来た田中光太郎、スポンサーはフォーサーティー!」と読み上げたんですよ。その後の僕たちも同じようにチーム名を「フォーサーティー」と読み上げてくれて。その「フォーサーティー」という響きがとてもかっこよかったので、帰りがけに「俺たちのチーム名の、あの『フォーサーティー』って響きかっこよかったよね。そっちにしよう」と話して意見が一致し、正式な呼び名が「フォーサーティー」になりました。これが後のFourthirty創業の最初のきっかけになります。 オーストラリア留学で受けた「BMX」の衝撃 財満:少し話を遡りますが、上原さんがBMXを始めたきっかけは何だったのでしょうか? 上原:高校1年生の時にスケートボードをやりたくて、最初は同じ学年でスケートボードをやっている友達と一緒に、岡山市内の中心部にある「汽車公園」と呼ばれるストリートスポットでちょっとやらせてもらっていました。また僕が通っていた高校には、1年生の夏休みにオーストラリアへの交換留学できるプログラムがあり、スケートボードをやりたいと思っていた僕は、中学生の時からそこを目指して進学したんです。当時、「オーストラリアだったら半額ぐらいでスケートボードが買える」という噂も聞いていましたし、留学先がベルズビーチという「クイックシルバー」の本店がある町で、ホストファミリーにも同じぐらいの年の子がいたこともあり、「スケートボードやりたいんだ。」と伝えると「いいじゃん、俺もちょっと滑れるよ」と言ってクイックシルバーの本店の横にあるミニランプへ連れていってくれたんです。たまたまホストファミリーは移動手段としてBMXを2台持っていたので、僕たちは2人でスケートボードを抱えながらBMXで向かいました。そこで現地に着くやいなや、彼がBMXでミニランプを乗り出したんです。それまで僕にとってのBMXは、ダートコースをジャンプしたりレースをしたりする競技というイメージでした。しかし、そこで初めてスケートボードやサーフィンのような「横乗りカルチャー」との接点があることを知り、興味を持ち始めたのが最初のきっかけです。僕自身、未開拓の新しい場所へ行くのが好きな性格でしたが、夏休みを利用した留学だったため参加しやすかったのも大きかったです。単に夏休みを過ごすくらいなら、せっかくならオーストラリアへ行きたいという強い思いがありました。 財満:そうなんですね。当時の日本ではストリートカルチャーに触れられる環境は少なかったと思うのですが、地元の岡山では流行ってたのですか? 上原:私の高校は街の中心部にあったため、オシャレ好きな人はいたかもしれません。その後、スケートボーダーたちとどんどん繋がっていきましたが、彼らはやはり飛び抜けてオシャレでした。みんな自宅にターンテーブルを持っていましたし。 財満:当時はターンテーブルとかもすごい流行っていましたよね。 上原:そうですね。スケートボードをして、ターンテーブルを回し、決まったショップで洋服を買うようなおしゃれな人のテンプレートみたいなものはありましたね。僕はオーストラリアから帰国後、スケーターの友達に「BMXって知ってる?あれでスケートっぽく遊べるスタイルがあるんだよ」って話したところ「うちの近所のスーパーの駐車場でやってる先輩がいるよ」と教えられました。「岡山にそんな人いる?」と半信半疑で会いに行くと本当にいたんです。2つ年上の先輩だったのですが、『スラムダンク』の三井君のようなロン毛スタイルで、とにかくカッコよくてBMXも凄く上手でした。僕は昔から「周りの人がやっていないことをやりたい」という思いが強かったので、先輩から教わりながら半年ほどBMXを続けるうちに、「こっちの方が好きかもしれない」と感じて、近所の自転車屋さんで初めて自分のBMXを買いました。その先輩にも頻繁に会える環境ではなく、SNSもない時代でしたから、その頃から勝手に「先輩や大会で出会ったライバルたちは、今も絶対死ぬほど練習しているはずだ」って思い込んで、彼らを意識して猛練習していました。 財満:BMXを始めた当時から、岡山から各地に遠征していたんですね。 上原:はい。長期休みに入ると、大会で仲良くなった友人から「今度俺の地元に遊びに来いよ」と声をかけられるのですが、社交辞令だとは微塵も思わず、本当にBMXを担いで遊びに行っていました。遠征先ではローカルライダーたちと遊び、彼らが行きつけの洋服屋を巡ったり、色々なご飯を食べたりと、自転車をきっかけに様々な街を訪れるのが子どもの頃から大好きだったのだと思います。 Fourthirtyの創業は、10枚のTシャツから始まった 創業初期の430チームメンバーの写真 財満:アパレルとして一番最初のアイテムを作ったのはいつ頃でしたか? 上原:「Team 430」として活動を始めた頃、私はまだ洋服屋でアルバイトをしていました。その洋服屋をはじめ、たまたま周囲にTシャツ工場にツテがある人や、イラストレーターがいる恵まれた環境だったんです。また、働いていたその洋服屋が販売に対して非常にシビアだったため、18〜19歳の頃にはすでに「こういうデザインが売れる」「こういうスタイリングがカッコいい」という肌感覚が身についていました。そこで最初のアイテムとして「カレッジロゴ」デザインのTシャツを作りました。そのTシャツをアルバイト先の洋服屋で販売させてもらったのですが、先輩がとても厳しい方だったので、しっかり卸値(6掛け)での取引になりました。当時は一度に10枚程度しか作れず、原価が1枚約2000円かかっていたのですが、それを「430」にちなんで4300円で店頭に並べていました。お店が買い取ってくれる価格は6割の約2500円になり、自分は2000円で作っていたので、「友人に1枚タダであげてしまったら、その原価を回収するために4枚売らなければならない」という商売の厳しさを実地で学びました。そこでの経験からモノを大切にすることや、正しい売り方を若いうちから学べたのは大きな財産です。「430(フォーサーティー)」という名前が誕生した広島の大会から帰宅後、すぐにTシャツを作り、初めて販売したのが19歳の時でした。 財満:当時のデザインは今のロゴと同じですか? 上原: 違いますね。元々は先輩が手がけていた「STAY UP LATE」というブランドの兄弟ブランドとして、先輩のオフィスの片隅を借りてスタートしました。その後、自身で法人として独立するタイミングで、現在ではカメラマンや映像作家として著名なケイタくんに、今の430ロゴをデザインしてもらいました。もう20年以上前の話になりますね。 財満: ちなみに創業メンバーはどのように固まっていったんでしょうか。 上原: 一番の始まりは、神戸の小谷明生(アキ)と「もし将来、自転車に乗れなくなったとしても、俺たちは仲間でいようぜ」と誓い合って「Team 430」を作ったところからです。ただ先ほどお話しした通り、このチームを作った話を田中光太郎にしたところ「やりたい」と彼が加わり、さらに現在沖縄にいるライダーの伊東高志を誘った際も「俺も入りたい」と賛同してくれました。また、私が高校時代に大阪へ訪ねて以来ずっと遊んでいた岡村旭にも声をかけました。ただ、高志や旭は当時から既にスター選手で、バイクやアパレルなど様々なスポンサーがついていたので、「自分たちのチームにスター選手を巻き込んでしまっていいのだろうか」という話になりました。でもアキが「仲が良いんだから、それでいいんじゃない?」と話してくれて、まずはこのメンバーを創業メンバーとして固めてブランドスタートを切りました。でもそれ以降もやはり仲間はどんどん増えていって、現在のNOBやTamaoのような弟分や下の世代も加わり、クルーとして「Fourthirty」は多岐のジャンルにわたって大きく活動していく形になっていきましたね。 430創業メンバーの写真 次回の第2弾では、30年間の中での印象的なエピソードなど、これまでの30年を振り返ります。 今回のインタビューはPodcast「SESSIONS Presented by FINEPLAY」でも! FINEPLAYがスタートした新音声メディア「SESSIONS Presented by FINEPLAY」にて今回のインタビューもお聴きできます。 上原洋プロフィール 元プロBMXライダー。現在はアパレルを中心に、BMX、関連商品を販売する430 co.,Ltd の代表。2021年の東京オリンピック組織委員会でBMXの技術マネージャーを担当。またUCI BMX FREESTYLE 国際大会審査員も務める。2010年に原宿キャットストリートに430のヘッドショップであるDECADE TOKYOをオープンさせ、2024年に同じキャットストリートにDECADE TOKYOがリニューアルオープンした。 「みどりな夜 2026 - 430 30th ANNIVERSARY」 イベント概要 430 30th ANNIVERSARY “みどりな夜 2026”今回は430の30周年も重なる、特別な一夜。 クラブエイジアのフロアをフルに使い、BMX、LIVE、DJが交差するお祭り的な一夜。“みどりな夜”名物、BMXフラットランドのジャムセッションも開催。クラブという異空間で繰り広げられるライディングは、ここでしか見れない景色です。今回集まってくれたのは、これまで430と共にシーンを作ってきた仲間たち。長年ステージを共にしてきた太華くん、岡山の繋がりも深いレゲエアーティストJ-REXXX、ミクスチャーバンドのGAS MARIA、大分からはケンチンミン、金沢からはVUE DU MONDE、そしてさすがのパフォーマンスで魅せるK&K。それぞれのスタイルで、この夜を彩ってくれます。 DJ陣も特別なラインナップ。長年共にイベントを作ってきたDJ BAKU、高校時代からの仲間であるホームメイド家族のDJ U-ICHI、みどりな夜を支え続けてきたDJ DAI-5、DJ TOYODA。岡山からはDJ ZEEK、名古屋からはコースケ。現場を共にしてきたDJ PONY。田中光太郎の平成チューンもあります。そして新たな出会いから参加するDJ TIMESLIP GOなど、それぞれのバックグラウンドが混ざり合う一夜になります。 さらにスペシャルゲストも控えていますが、こちらは当日までのお楽しみ。30周年を祝うために集まってくれた、本当に大切な仲間たちです。このメンバーで迎えられることに感謝。当日が楽しみです。— Text by Hiroshi Uehara/上原洋 DATE:5.2 (Sat) 23:00 STARTTICKET:ADV ¥3000 / DOOR ¥4000(430枚に達すると終了します )チケットはDECADE TOKYO & ONLINEにて販売中です。記事最下部のリンクより購入できます。VENUE:CLUB ASIA(渋谷)東京都渋谷区円山町1-8STARRING:430 BMX LIVE SESSIONJ-REXXX,太華,GAS MARIA,KEN TIN MIN,VUE DU MONDE,K&K,DJ BAKU,DJ U-ICHI.,DJ DAI-5,DJ TOYODA,DJ TIME SLIPPER GO,DJ ZEEKDJ PONY,DJ KOTARO TANAKA…and more






