東京オリンピックでの女子日本代表選手たちのメダル獲得による大活躍で認知度と人気を更に引き上げた「スケートボード・パーク種目」。日本国内では女子選手に注目が集まりがちのこの種目だが、今大注目すべきは男子選手なのだ。そんな日本のスケートボード・パークシーンをネクストレベルに引き上げるべく世界最高峰の舞台へ挑戦を続けながら、日本人男子初の快挙を次々と打ち立て今世界一に一番近い日本人若手スケーターがいる。
それが現在国内大会3連勝中の17歳、永原悠路選手(所属:太陽ホールディングス)だ。日本での圧倒的な強さはさることながら世界の名だたるトップ選手たちにも引けを取らないライディングで、世界が今大注目している彼は、東京オリンピックへの出場を逃した悔しさからパリオリンピック出場に向け、現在新技の習得と自身が得意とする豪快なトリックを日々極め続けている。
今回はそんな日本の成長株の永原選手をインタビュー。彼がスケートボードを始めたきっかけから直近の活動状況について、そして今後の目標と彼が話す「スケートボードは楽しいもの」という言葉に込められた真意に迫った。
永原悠路(ながはら・ゆうろ) 以下: Y
国内大会3連勝の実績と最高難度の新技を引っさげ挑む2023シーズン

先日は日本OPEN優勝おめでとうございました。今大会で国内大会3連勝という事ですが今の心境を聞かせてください。
Y:前回の日本OPENと去年の11月にあった日本選手権でも1位を獲り続けてきていたので、ここで負けたくないという気持ちが強かったです。今回の大会は個人的には不完全燃焼だったのですが、しっかり1位を獲ることができてほっとしています。
今大会は決勝が雨天で1日延期となったイレギュラーな大会でもありましたが、準備や調整は上手くいきましたか?
Y:この大会間近まで、パークで滑る技術をさらに上げるためにアメリカで練習をしていました。会場となった笠間のパークで乗っていたわけではないので現地での練習は少なかったのですが、みんなと対等に戦えたので今回は良かったかなと思います。

photograph by Yoshio Yoshida
ちなみに不完全燃焼だったと仰られましたが、何がやり切れなかったのでしょうか?
Y:決勝ラン3本目の最後にトライした「バックサイドキックフリップ・リップスライド」という新しいトリックでミスしてしまったことです。準決勝でもやろうとしたんですがそこでも乗れませんでした。今回は結局一度も乗れずに終わってしまったことが不完全燃焼でしたね。
新しいトリックといえば、最近「バックサイドキックフリップ・ボディバリアル・540(以後”フリップ540”)」という大技を習得されたとのことですが、習得を決めた経緯はどういったものでしたか?
Y:個人的にパリオリンピックでは絶対必要になってくるトリックだなと感じていたので、早い段階で習得しておきたかった感じでしたね。
他にもたくさんの高難度トリックがある中で、どうして「フリップ540」を習得しようと思ったのでしょうか?
Y:仰る通り、スケートボードにはトリックが山ほどあるので、もちろん「フリップ540」だけに限らず色々な技にこれからもチャレンジしていきたいです。
ただ今回このトリックを選んだ理由としては、僕が憧れている海外のトップ選手はほぼ全員がこのトリックを大会でメイクしているので、それを見ていてカッコいいなと思いましたし、他のトリックと比べた時に自分もこのトリックをやってみたいという気持ちは強かったので習得することにしました。
このトリックを習得するまでに苦労したことがあれば教えてください。
Y:苦労したことは本当に恐怖心との戦いだったのですが、アメリカのサンディエゴに行って練習している間はトップスケーターたちと滑る機会が結構ありました。
彼らと一緒に滑っている毎日は気分が上がってすごい楽しく練習が出来ていて、そういう練習の中では怖さも忘れてこのトリックにトライできることも多かったので、格上のトップスケーターたちと一緒に滑って刺激を受けながら練習できたことがこのトリックの習得の早さに繋がったのかなと思います。
最近、いきなりこのトリックをメイクできるようになったのですが、海外でトップ選手たちと一緒に滑っている時も、彼らが常に難しいトリックに取り組んでいるところを見てきて「自分もやらなきゃ」っていう気持ちになったので、彼らが挑戦し続けている姿も自分の後押しになったのかなと思っています。
スケートボードが大好きでとにかく上手くなりたいと思った幼少時代

改めてスケートボードを始めたきっかけを聞かせてください。
Y:お父さんが元々スノーボーダーで、そのオフトレのような感じでスケートボードも昔からやっていました。僕が小さい頃近くの公園へよく散歩に行くことがあったのですが、その道中もお父さんはスケートボードに乗って行くことも多くて、お父さんが滑っているところはよく見ていました。
それからある時自分もスケートボードに乗ってみたいと思うようになって、お父さんのボードを乗らせてもらったのが僕がスケートボードに乗り始めた一番最初のキッカケです。

スケートボードを本格的に競技として取り組み始めたのはいつからですか?
Y:競技としてやるようになったのは小学3年生の時に初めて出場した大会がキッカケです。僕はその大会に出るために初めての県外遠征で三重県にあるスケートパークまでお父さんと車で行きました。そこで自分より年下でも上手い子たちを間近で見て、こんなに上手いスケーターがいたんだっていうのを初めて知ったんです。
それまでは週に1回、2回とかスケートパークに行って練習するような感じだったんですけど、その大会に出てからはスケートボードを毎日やりたいっていうスイッチが入って毎日練習に行くようになりました。なので大会に出場したことで凄い刺激されてもっとスケートボードが上手くなりたいって思うようになったことが本格的に始めたキッカケですね。

そんな永原選手が思うスケートボードの魅力ってどんなところですか?
Y:スケートパークには色々な年齢の人がいて、下は幼稚園生とか小学生から上は社会人まで幅広い年齢層のコミュニティみたいなものがこのスケートボードにはあります。
このような場所で経験する他人とのコミュニケーションは学校に行ってるだけでは覚えられないものがあると思いますし、スケートボードの技術だけじゃなくて人間性も磨けると思うので、そういうところもスケートボードの魅力だと思います。
あとは色々なスポットやスケートパークに滑りに行く中で、日本全国どこでも友達が作れることもスケートボードの魅力の一つかなって思いますね。
勝利の秘訣はどんな状況でも「悔いがないようにやり切る」こと

普段は基本的にどこで練習をされていますか?
Y:最近は色々な大会があるので、国内外本当に色々な場所で滑ってるという感じですが、基本的には地元の長野県白馬村にある「TRUE PLAYERS」というスケートパークで滑って練習することが多いです。
その普段の練習で意識していることはありますか?
Y:最近は大会に向けた勝ちに行くためのトリックの練習が多いですが、アメリカにいた時は新しいトリックをやりたいという気持ちになって、実際にいくつか新しいトリックが出来るようになりました。アメリカにいる時は周りからたくさん刺激を受けるので色々なことに挑戦している感じです。

一方で大会では普段どういうことを意識して臨んでいますか?
Y:国内外関係なく、どんな大会でも毎回悔いがない状態で終わりたいと思って臨んでいます。
基本的には自分のやりたいことだったり、抑えた滑りをしないように攻め切ることが自分の中でやり切ったなと思える状態なので、時には抑えることも必要だとは思いますが、毎回やり切ったという感情になれるように滑ることを意識しています。
大会中に挑戦してミスしてしまったら仕方ないと思いますが、それよりも挑戦もせずに終わることが一番嫌だなって思っています。
「ここで決めなきゃいけない」という状況が大会では結構あると思います。そういう状況下で自分のメンタルの整え方や意識していることはありますか?
Y:先ほど話した「やり切る」ということと重なる部分はありますが、もちろん時には「ミスしてしまうんじゃないか」と思うこともあります。そういう時の対処法としては、その思いが頭をよぎった時こそミスしても良いから全力で突っ込むようにしていて、その迷いを捨てるように心がけています。
やっぱり気持ちで負けていられないので、とりあえずミスっても良いから攻め切ろうと心に決めて毎回ドロップインしています。

今までの競技活動で苦労したことや、強くなったターニングポイントはありますか?
Y:大腿骨の骨折もそうですが、東京オリンピック予選を回っていた時も全然結果を残せなかったので苦労も悔しい思いもしてきました。当時、中学生という年齢で単身海外に行って大会へ出場したことを振り返ると苦労した思い出がたくさんあります。
またこの競技をやっている中でたまたま自分の同世代がいなく、気の合う人もいなかった環境の中で東京オリンピック予選を転戦してきた経験は今にすごく活かされているなと感じています。その経験があったからこそ、ようやくその苦労を今乗り越えられているんだと思います。
色々な経験を経て永原選手が思う自分の強みってどんなところだと思いますか?
Y:僕は大会の時にランが3本ある中でいつも最後の3本目でメイクすることが多いのですが、本当に追い込まれた時にメイクできるのは自分の強みかなという気はしています。ドバイの世界選手権の時も、先日の日本OPENの時も結局最後の最後で決めたので。。でもこれは強みとは言えない気もしますけどね(笑)
世界最高峰の戦いで感じたことと、経験から見えてきた勝ち筋

現在世界を舞台に戦っている中でトップ選手たちと対峙して感じたことはありますか?
Y:トップ選手たちは本当にラン1本目から高難度のトリックをメイクしてくるんです。トリックの難易度自体は僕と海外のトップ選手たちとで大差はないと思いますが、彼らの方がメイクする能力が高いのでそういったメイク率の差は凄く感じています。
これからそんなトップ選手たちに世界で勝っていくためにはどんなことが永原選手に必要だと思いますか?
Y:やっぱりパリオリンピックに向けて、まだまだトップ選手たちがメイクするトリックの難易度は上がってくると思うので、まずそこで差がつけられないようにすることと、トリックの成功率を上げることが必要になると思います。パリオリンピックでトップ選手たちに負けないようにしっかり準備していきたいです。

トリックの難易度とメイク率が世界との差ということですが、彼らに追いつくために具体的に意識していることはありますか?
Y:大会ごとで毎回コースが違うので、大会練習時間中にいち早くそのコースに順応することが大事だと思っています。X Gamesもそうですが、特に国際大会は少ない練習時間でコースに合わせていかないといけない中で今はまだ僕もその時間の中ではコースに適応しきれないことが多いです。
最近は海外等の初めて滑りに行くパークで、大会の時のことを意識しながら最初の1~2時間で自分の持っている技をどこまで出せるのかという練習をよくしています。
ちなみに先日の日本OPENを含め、最近はハイエアーが大きな加点対象になっている印象がありますが、実際に世界大会ではどういうポイントが評価対象になっていると感じますか?
Y:確かにハイエアーなど技のデカさは得点に大きく評価されていると感じています。他には他選手が使っていないセクションで飛ぶということも加点対象の一つだと思います。特にトランスファー系のトリックが該当するのですが、誰も飛んでないところを飛ぶことが実は技の難易度よりも見られているのかなと感じますね。

永原選手もそういったポイントは結構意識されていますか?
Y:そうですね。前回の日本OPENもドバイの世界選手権の時も、誰も飛んでないようなセクションを飛ぶとか、とにかく技の難易度だけじゃないクリエイティビティや表現の仕方は意識しています。そこが自分の一つの武器でもあるので。
もう少し踏み込んで聞いてみたいのですが、実際そういったライディングを世界大会でやってみて手応えはどうですか?
Y:ドバイの時はパークの真ん中のセクションからディープエンドのほとんど垂直の着地面まで「バックサイド・インディー」で飛びました。ちなみに自分以外でそのセクションをしっかり飛んでるのはキーガン・パーマーだけでしたね。
自分の肌感としてもそのセクションを飛んでから、その後のエアーでデカい540が入っただけで得点の出方は違ったような気がするので、本当に技の難易度だけでジャッジは評価しているわけじゃないというのは感じています。

そのような気付きから世界を獲るための活路は見出せそうでしょうか?
Y:はい。ただ技の難易度が高いだけでなく、技をメイクする場所も難易度が高くないといけないというのは感じたので、今後は誰も飛んでないセクションで高難度のトリックを決めていきたいと思います。
また個人的には誰も飛んでないセクションを上手く使えるのがこのパーク種目の魅力だと思ってます。バーチカルの場合は同じ面だけしかないですが、パークは色々なセクションがあるので技の難易度だけではなく、そこでトリックしたらやばいよねっていう部分はパークの魅力だと思うのでそういったところも今後は皆さんに見せていけたらなって思います。
そんな2023年、今シーズンの目標を聞かせてください。
Y:今年の目標は、来月にある「X Games Chiba 2023」で表彰台に立つことと、国際大会もまだあと何戦かあるのでそこでしっかり結果を残し続けることです。前回のドバイの世界大会の成績が23位だったのですが、今後の大会はその成績を越えられるように頑張りたいですし、毎回成績を更新していき結果を残しながらパリオリンピックに向けて準備していきたいと思っています。
直前に迫った国内開催の「X Games Chiba 2023」について
昨年は他選手とは違った永原選手のセクションの使い方が注目されましたが、今回も「 永原悠路のこれを見てくれ!」というような周りを驚かせるライディングを考えていますか?
Y:もちろんやるつもりです!何をするかは当日までのお楽しみということで、是非期待しておいてください(笑)
そういうサプライズを考えているときって楽しいですか?
Y:楽しいですね。本当に小さい頃からみんなが予想していないようなことをするのが好きなんです。多分もうクセなんですけどね。そういうことができるのもスケートボードの楽しいところですね。
永原悠路が目指す今後の目標と将来の姿

来年に迫ったパリオリンピック出場に向けて挑戦していることや、取り組んでいることはありますか?
Y:やっぱり「バックサイド・キックフリップ・ボディバリアル・540」は完成度は完璧なところまで上げていきたいですし、一つ一つの技のデカさもまだまだパリオリンピックまでに磨いていかないといけないと思います。
自分の魅力は誰も飛ばないセクションを飛ぶことや技のデカさ、またクリーンな技をメイクできることだと思っているので、そこは絶対パリオリンピックまでにもっと極めていきたいです。そこに加えて、今いくつか取り組んでいる新しい技もしっかりパリオリンピックに向けて完成度を上げていきたいです。
最近スケートボードの注目度が高まって、スケートボードをやっていない人も観戦する機会が増えてきたと思いますが、永原悠路のここを見て欲しいっていうのがあれば教えてください。
Y:スケートボードを「楽しんでやってるぞ」っていうところですかね。大会に出ていると辛いこともありますが、それも含めてスケートボードは楽しいということを伝えたいです。スケートボードをやっているかどうかに関わらず、観ている人たち全員にこの楽しさが伝わってくれたら嬉しいです。

永原選手にとってスケートボードはどんなものですか?
Y:スケートボードは競技関係なく自分の人生になくてはならないものだと思っています。元々公園での遊びで始めたところから、今では競技としてオリンピックを目指すようになっている中で、昔遊びでやってた頃の楽しさや当時の感覚はずっと忘れてはいけないと思っています。その「遊びとして楽しんできた感覚」を忘れずにこれからもスケートボードをやっていきたいです。
最後に永原選手が目指している理想のスケーター像を聞かせてください。
Y:やっぱり「スケートボードは楽しいもの」ということを皆さんが自分を見ていて伝わるスケーターになりたいですね。あとは大会で勝ち続けて色々なスケーターから憧れられるようなしっかりしたスケーターになれればと思っています。
永原悠路プロフィール

2005年6月10日生まれ。長野県白馬村出身のスケーター。太陽ホールディングス所属。スノーボーダーとして活動をする父の影響で、小学校一年生の時にスケートボードと出会う。小学校3年生の頃から大会に出場し始めると、小学6年生の時には世界から36名しか招待されない「Vans Amateur CombiPool Classic」の14歳以下の部で日本人として初招集される。その後、東京オリンピック出場を目指していたが夢を叶えることができず。さらに2021年6月には大腿骨開放骨折の大怪我を経験。それでも見事復活を果たすと、2022年4月に行われた日本オープンでは初優勝し日本一に輝く。さらにその後、日本初開催の「X Games Chiba 2022」では日本人過去最高位の4位に入り一躍世界トップ選手の仲間入りを果たした。「世界一を取る」と意気込む永原は、2024年パリオリンピックで日本人初の男子パーク種目メダル獲得を目指す。
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I : 僕が一番の魅力と感じているのはフリースタイルフットボールを通して「世界中で出会った人たちと楽しくコミュニケーションが取れるところ」です。本当に国内外に友達がめちゃくちゃ増えました。またフリースタイルフットボールで繋がれるコミュニティは普通に生活していると、中々出会えないタイプのコミュニティなので、スポーツを楽しみながらそういう環境にも触れ合えることは大きな魅力の一つだと思います。 海外で出会ったインフルエンサーたち 魅力のもう一つは「フリースタイルに正解はない」ということです。やっぱりフリースタイルというだけあって終わりもないですし、一生追求できちゃう「沼」のような側面があると思います。なので何かを追求することを楽しめる人はずっとフリースタイルフットボールを楽しめると思います。ちなみに完全は僕はその沼にハマっています(笑) また身体とボール1個あればできるので趣味としても楽しめる生涯スポーツだと思いますし、このカルチャーの中で蹴っているうちに色々な出会いがあるので、人生の一部としてずっと付き合っていける遊びという部分は魅力的だと思います。 Ibukiさんのプレースタイルの特徴についても聞かせてください。 Ibukiが得意とするクリッパーストール I : 自分のスタイルを言語化するのは恥ずかしいのですが、「クリッパーストール」というボールを交差した足のインサイドで止める技を起点とした色々なトリックやコンボを得意としていて、この技に関しては僕が誰よりも上手いと自負しています。 今まではボールの跨ぎ技は体の前でやることが多かったのですが、僕が体の横でやり出したところから注目されて、「クロスボディ」という名前で体の横で跨ぎ技をするジャンルが確立されていったので、そういう意味でもこのスタイルを通じてフリースタイルフットボール界に貢献してきたかなと思います。 現在はその技に身体の柔軟性と色々なトリックを組み合わせて、バトルでは自分にしかできない技や構成だけで戦うことを意識しています。そのため僕のプレースタイルはオールマイティではなく得意なところを急激に特化させた上で派生したトリックを用いてパフォーマンスするところが特徴だと思います。 言わずと知れた世界が認めるその実力 世界大会でのバトルの様子 自分のプレースタイルが実際に大会で評価されるようになった時の感覚を聞かせてください。 I : このプレースタイルが世界で評価されるようになったのは2015年に初めて出場したオープン制の世界大会の時でした。結果としては予選敗退で、まだ力不足ということは分かっていながら挑戦したのですが、現地でのインパクトはかなり強かったみたいで大会のハイライトに色々載せてもらえました。 実際に世界大会で自分の特化した技をメイクしてみた感覚としてはすごいウケたなという印象で、バトル相手と会場も「何だあいつは?」みたいな感じになっていました。 どうして評価してもらえたのかというと「まず今まで見たことがない技でありながら、高い技術が折り込まれていたこと」だと感じています。僕自身もスキルを一番重要視しているので、自分のオリジナル技にもたくさんの技術を詰め込んで戦いたかったという思いは元々ありました。 また世界的にもスキルの部分は大きな評価対象なので、そのスキルに今まで見たことがないというオリジナリティの要素が合わさって高い評価がもらえたんだと個人的に感じています。 バトルを終えて相手とハグを交わす様子 主要大会での過去最高成績とそのベストパフォーマンスを出した時の周りの空気感も気になります。 I : 主要大会の最高成績としては日本選手権やアジア選手権での優勝で、加えて年間の世界ランキングでは2位になったことがあります。このような良い成績を残せた年が2019年~2020年だったのですが、その頃は自分が初めて評価された2015年からしばらく時間が経っていたこともあり、もう世界中のフリースタイルフットボーラーたちに僕のことは大体知ってもらえていました。 そのため、逆に周りから「こんな技を僕にやって欲しい」みたいな期待感も感じる中でバトルに勝った時の会場の雰囲気は、動画で載せていた技も生でやるんだという驚きや盛り上がりもある一方で、全てを決め切れば僕がこのバトルに勝つという絶対的な自信をバトル相手やオーディエンスも空気感として感じ取ってくれたと思います。 この頃の僕はどんな状況でも自分が出したいパフォーマンスが確実に出せるように準備できていましたし、そのまま現場でそのパフォーマンスを出せればどの試合でも勝てる状態までに仕上げていたので、確実にパフォーマンスを出すという自信はありました。 優勝した国際大会「KILL THAT BALL」 世界最高峰で結果を残したことで新たに見えてきたことはありますか? I : 実は主要な世界大会のバトルトーナメントでは勝ったことがないので、まだ世界一は獲れていないんです。もちろん色々な国際大会や日本選手権での優勝経験も嬉しいことですが、僕がフリースタイルフットボールを始めた当初から持ち続けている世界一を獲るという熱い思いは10年経った今も変わっていません。 現在はフリースタイルフットボールでも別の活動に注力しているので、バトルから少し距離を置いていますが1~2年後にはもう一度カムバックしようと思っています。また実際にこの業界で今一番盛り上がっているはバトルのカルチャーでもあるので、その場所で世界一を獲りたいですし、僕もしかりですが常に日本人が世界チャンピオンであって欲しいというマインドも強く持っています。 プロキャリアへの昇華。業界の枠を超えたアーティストとしての一面 ショーケースでのパフォーマンス いつからプロキャリアをスタートしましたか? I : このフリースタイルフットボールでプロキャリアを目指すようになったのは、初めて世界選手権に出場した2015年です。その年はG-SHOCKが主催していた招待制の全国大会で優勝して初めて日本一になった年で、その頃から将来の選択肢を全てフリースタイルフットボールに振り切ることを決めました。当時はまだ大学生でしたが、そう決めてからすぐバイトも辞め、まだ右も左も分からないながらもプロとして食べていくためにひたすら行動しました。 それから1~2年間がむしゃらに動いていく中で色々な支えや協力があり、現場でのパフォーマンスがメインでしたが、もう仕事と言って良いくらいまで確立することができました。その時はアスリートとして大会に出場しながら、イベントでのパフォーマンス、そして若手育成のためのスクール運営という形でまさにアスリートならではのプロキャリアの形を構築しました。 そのプロキャリアを進めていく中で、今に繋がる気持ちの変化が生まれたのでしょうか? バトルの様子 I : はい。しばらくプロとして活動していく中で、一人の選手としてだけではなくフリースタイルフットボールをもっとたくさんの人に知ってもらい、この一般社会の中でこのカルチャーが市民権を得られるようにしたいと思うようになりました。 なぜなら、たくさんの価値を持っているプレイヤーたちがいるにも関わらず、現実的な問題からこの業界から離れないといけない人がいたり、僕自身ももっとこういうことできたらなと悔しい思いをたくさんしてきたからです。 この経験から自分も含めこの業界のプレイヤーたちの活動の幅を広げていくため、20年代前半からはプレイヤーというよりもカルチャーづくりの視点から、イベントを開催したり、映像クリエイターとしての活動にも力を入れるようになっていきました。 数々のハイブランドとのコラボレーションやメディア出演など業界の枠を越えた活動もされていますよね。 TIFFANY&Co.とのコラボレーション I : 実はコロナ禍がこの活動につながる大きな転換期でした。僕自身も必然的に家にいる時間が多くなったことで色々な活動について考えるようになりましたし、オフラインのイベントができなくなりパフォーマンスの機会を失ったので、他の収入源を作っていかないとプロとして生きていけない状況下に置かれました。 そんな中でどんな場所でどういう風にフリースタイルフットボールを届けることが出来たら仕事になったり、おもしろいムーブメントになるのかを調べたり勉強しました。そしてチームメンバーと一緒に片っ端からアイデアを出してはとにかく動き続けました。それが功を奏して色々な出会いやご縁が掛け合わさって、ジャンルの垣根を越えて多種多様なコミュニティや色々なブランド様とお仕事ができるようになりました。 ここにたどり着くまでも険しい道のりでしたが、ずっと動き続けることができたのは自分たちが動いた分だけフリースタイルフットボールを多くの人に知ってもらえるという思いがあったからです。この経験から今でも常にフリースタイルフットボールをプレゼンできるように、たくさんの引き出しを持つことを意識しています。 コラボレーションでは具体的にどういうお仕事をしていますか? チームと一緒にKANGOLとのコラボレーション I : クライアントによって様々なコラボレーションの形があります。自らプレイヤーとしてイベントに出ることはもちろんですが、出演が決まったイベントのプロデュースも担わせてもらったりとか、一緒に出演する他のプレイヤーをキャスティングするディレクターとしての役回りもあります。 これはSNSや映像を活用したブランドとのコラボレーションでも一緒で、僕自身がプレイヤーとして参加することもできれば、僕の所属チームで映像を撮られることも、逆に自分たちで撮ることもできますし、外部からプレイヤーも呼んでくることも可能です。 クライアントが一番欲しい画を提供するためのベストな形で、かつフリースタイルフットボールとしても自分たちが一番おもしろいと思う企画作りができるように包括的な提案をさせていただく事が多いです。 高級ブランドショップとのコラボレーション 一方でモデルやパフォーマーとしてPR案件などを引き受ける場合も、自分のこだわりはしっかり相手に伝えるようにしています。やっぱりフリースタイルフットボールを背負う者としてこだわりを持つことは大事だと思いますし、何より自分たちが一番魅せ方を知っています。またその完成したコンテンツを見るエンドユーザーの方にとっても、おもしろくて魅力的な方が良いと思うので、それを実現させるために自分のこだわりを伝えることを常に意識しています。 これらの活動を通してフリースタイルフットボールのさらなる可能性を感じられましたか? 業界の枠を越えたお仕事の繋がり I : 自分たちの可能性はもちろんですが、フリースタイルフットボール業界全体の可能性も大きく感じています。なぜなら「大会出場・パフォーマンス・スクール運営」というようないわゆるフリースタイルフットボールの活動とは全然違う形で、色々な関わりを通じて業界の枠を越えた仕事ができるようになってきたからです。 僕自身も活動していく中で「やろうと思えばいろんなことができる」という自信が少しずつ付いてきました。もちろんクライアントと企画を一緒に作り上げていく中で、いち演者の枠を越えた関わり方で生まれる責任感やプレッシャーもどんどん強くなっていきますが、そのような壁を一つ一つ乗り越えていくことで生まれる自信が多くあると感じています。 今は僕だけではなくチームのみんなも一緒に活動しながら自信をつけているところなので、この先もっともっと大きなプロジェクトを動かしていけるチームになると思っています。まだ漠然とはしていながらも明確に見えている部分もあるのでこれからもっとおもしろいことをしていくのが楽しみです。 フリースタイルフットボールシーンを牽引する者としての新たな挑戦 MONSTER BALLAZ - モンスターボーラーズ 個人やチームとして今後挑戦していきたいことを聞かせてください。 I : 挑戦したいことは山盛りですが、身体が思うように動く限りはステージで身体も精神もギリギリのところまで突き詰めるバトルにもっと出ていきたいですし、その舞台で戦える期間ももっと伸ばしていけるように頑張りたいです。 そんな思いもある一方で、今一番自分のコアに置いて取り組んでいることがチームメイトとのパフォーマンスと映像制作になります。バトルは去年の世界選手権まで集中して取り組み自分の現状として一旦ケジメをつけました。そして今は一度バトルから離れてチームメンバーと一緒に個人ではできないチームならではの挑戦を決めて現在活動しています。 実際にチームとしてどんなことに取り組まれていますか? I : その取り組みとして「MONSTER BALLAZ - モンスターボーラーズ」というフリースタイルフットボーラーとフリースタイルバスケットボーラーの混合チームを発足し、自分たちのカルチャーの外に出た場所で戦うという方針の下で活動しています。今はチームメンバー全員がここでの活動に一番時間を割いて全力で動いています。 World of Dance 日本予選で準優勝 そして直近のチームの活動としては「World of Dance」という世界的に有名なダンスコンテストの日本予選に出場しました。もちろんダンスコンテストなので僕たちのチームもダンサーとしてみなされるのですが、ボールを持ってゲリラで殴り込むような形で参加しました。しっかり勝つための準備をしたものの、ダンスという土俵でジャッジがいて得点がつけられるのでシビアな戦いでした。でも結果として準優勝することができて日本の著名なダンスコンテストでも評価してもらえました。 次は8月に同大会の世界大会があるので絶賛練習中ですが、フリースタイルフットボールとフリースタイルバスケットボールのパフォーマーたちで世界を相手にダンスの土俵で本気で戦いに挑んできます。 もちろんチームをまとめることは簡単ではないのですが、全員が同じ方向を向いた時の火力は個人レベルとは比較にならないと思っているので、今はこのチームを通じて誰もが想像できないようなステージで戦って輝いていきたいという思いが一番強いです。 プロキャリアを考えるプレイヤーたちに伝えたいこと イベントでのパフォーマンス 自身の経験から若手のプレイヤーたちへのアドバイスはありますか? I : まずはフリースタイルフットボーラーとして自分がどんな人間で、何がしたくて何ができるのかを自分の中で明確にして、それをきちんと相手にプレゼンできるようになっておくことが大事だと思います。 今の時代は日本中に限らず、世界中に意味が分からないくらいすごい才能がSNSや映像を通じてゴロゴロ現れている中で、自分たちのカルチャーを引き上げていくことや自分個人をさらに高いところへ引き上げていく作業って簡単ではないと思います。 今まではストリートカルチャーのフリースタイルフットボールというだけで差別化できていましたが、今となっては映像クリエイターや凄技ができる人みたいな形でも括られてしまうので、突き抜けて目立つことが難しくなっていると感じます。 でもその中で世間から自分やチームをフリースタイルフットボーラーとして認知してもらい、この業界を使ってもらいたいと強く思うのであれば、必要なスキルを備えた上で自分のことをしっかり伝える力はめちゃくちゃ大事な要素になると思います。 Ibukiが目指す自身の姿とフリースタイルフットボールシーン 今後のフリースタイルフットボールシーンを盛り上げるために求められていることは何でしょうか? 所属チームで企画したイベント I : まず業界外からの見られ方でいえば、厳しめにいうとまだまだ認知度が低い現状です。僕たちはこのような状況が続いてきてしまったことへの逆襲として、個人やチームで「やってやろうぜ!」という思いで動いています。今は僕たちの熱意に触発されて付いてきてくれる人たちや、違うやり方で戦う人たちもこの業界にたくさんいるので、そういう人たちが率先してこのシーンを引っ張って、業界外の人々にその熱を伝えて巻き込んでいくしかないと思います。 また一方でこのシーンを広げていきたいこれからの若手たちは、今後どう勝負を仕掛けていくかが大事だと思います。熱量が高い彼らにはそのエネルギーを絶やさずに自分の殻をどんどん突き破って、常に自分にとって居心地が悪く成長できるところに身を置き続けて欲しいです。 僕やチームもそういう意識は常に高く持っているので、同じように挑戦していきたいと思う若手にはガンガン前進して欲しいです。そして最終的に各々のムーブメントをお互いにリスペクトし合えるカルチャーになったら最高だなと思います。 自分にとってフリースタイルフットボールとは何でしょうか? I : フリースタイルフットボールは自分の全てですね。冗談抜きで自分の人生において四六時中どんな時でもフリースタイルフットボールが関わっています。こういう時間の過ごし方はきっとこれからもずっとそうだと思います。本当にもうフリースタイルフットボールと歩む時間が僕の人生そのものなので、一生フリースタイルフットボールを楽しんでいきながら、一緒に関わってくれている人たちも楽しんでもらえるようにしていきたいです。 最終的にどんなフリースタイルフットボーラーになりたいですか? I : フリースタイルフットボール自体が僕の人生なので、フリースタイルフットボールでめちゃくちゃ満足して死ねたらそれ以上のものはないですね(笑)そのために自分たちがやりたいことや挑戦したいことに対してとにかく行動し続けるだけです。 Ibuki (吉田伊吹/よしだ・いぶき) プロフィール 1996年7月4日生まれ。兵庫県加古川市出身のフリースタイルフットボーラー。2015年にわずか競技歴3年で日本一の座を獲得したことを皮切りに現在に至るまで国内外数多くの大会でタイトルを獲得し世界に名を広げ続けている。現在は東京を拠点に国際大会へ参戦しながら、イベント・メディアへのパフォーマンス出演、スクールや大会の運営など業界内外へ向けた多岐に渡る活動を見せている。近年では写真や映像、XRコンテンツ等クリエイティブの制作にも広く取り組みモデル・クリエイターとしても活躍。フリースタイルフットボールの持つ可能性を世界に提示し続けるアスリートでありアーティストである。
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bmx雨天に振り回された厳しい戦い。フラットランド種目で荘司ゆうが大会初優勝。パーク種目は中村輪夢が6位【FISE Montpellier】BMXフリースタイルパーク/フラットランド2023.05.23「FISE WORLD SERIES MONTPELLIER 2023(通称 FISE Montpellier)」における「UCI BMX FREESTYLE WORLD CUP」がフランス・モンペリエにて2023年5月17日(水)~21日(日)に開催された。BMXフラットランド種目で男子は荘司ゆう選手が大会初優勝を成し遂げ、荘司に続いた早川起生選手が準優勝。 女子は中川きらら選手が準優勝、そして川口朔来選手が3位入賞を収めた。またBMXフリースタイルパーク種目では中村輪夢選手(所属:ウィングアーク1st)の6位が日本人最高位となった。 大会全体を通して雨天の影響により、度重なるスケジュール変更で厳しい戦いを余儀なくされる中、今回は今大会の1週間前に開催された「X Games Chiba 2023」にも出場した中村輪夢、佐々木元、早川起生をはじめ、ワールドカップ常連選手や強化指定選手など両種目とも世界を舞台に活躍する選りすぐりの日本人選手たちがこの「FISE Montpellier」に出場した。 フリースタイルパーク種目は雨天により大会スケジュールが大きく変更された難しい戦い。そんな中で攻め切った中村輪夢が6位に。 中村輪夢のライディング / ©︎UCI BMXフリースタイル・パーク種目は世界中から男子100名、女子38名のライダーが集まり今シーズン2戦目となるワールドカップシリーズ戦が開催。 日本からは中村輪夢、溝垣丈司、小澤楓、寺林昌輝、内藤寧々の5名が代表選手として派遣された。 大会は生憎の雨天により、度重なるスケジュール変更を行いながらイレギュラーな状況の中で行われた。 溝垣丈司のライディング / ©︎UCI 特に男子は、急遽準決勝が決勝に変更となる中で、中村・溝垣・小澤の3名を含む計24名で競われた。ジャンプランプのない特徴的なパークに苦戦しながらも、決勝では中村輪夢が攻め切り見事6位。一方、女子では内藤寧々が予選で7位と検討したものの、惜しくも準決勝敗退となり全体15位で大会を終えた。 ライディング前の内藤寧々 / ©︎UCI また、強化育成指定選手で、 昨年国際大会ジュニアクラスで優勝経験のある松本翔海と小澤美晴も「FISE Montpellier」に参戦。今回はジュニアよりレベルが高いアマチュアクラスにエントリーしていたが、天候不良のため全日程がキャンセルとなり惜しくも一度もランを魅せることができなかった。 フラットランド種目は世界チャンピオン経験者たちを大きく引き離し、荘司ゆうが堂々の大会初優勝。 一方、BMXフラットランド種目では強化指定選手の佐々木元、早川起生、荘司ゆう、伊藤真人、中川きらら、川口 朔来の6名に加えて、個人参加である伊藤聖真と工藤渓涼が参戦。男女共に予選から全員が活躍を見せる中、男子決勝では荘司ゆうが力を発揮し、大会初優勝を飾った。 大会初優勝を果たした荘司 / ©︎UCI 荘司はフロントタイヤをベースにしたスピンで加速をつけていき、その中にジャンプしながらフロントタイヤとリアタイヤを行き来して軸を変える「トランスファー」をメイク。 ライディング中盤はリアタイヤからルーティンをスタートさせてフロントタイヤにスイッチする逆の「トランスファー」、そして終盤には「ブーメラン」という高難度スピントリックをメイクし、最近のルーティン構成をブラッシュアップしたランを魅せ94.33ptをマークし、大会初優勝を収めた。 喜びが隠しきれない荘司 / ©︎UCI 優勝後にUCIから求められたコメントに、荘司は「(FISE)モンペリエはとても良い大会。また来年この場所に戻って来たいですし、今大会はグラスゴーである世界選手権に向けても良いチャレンジになりました。またチャンピオンの座を取りたいので、ひとまず世界選手権に向けてもっと練習したいと思います。」と英語で答えた。 準優勝した早川起生 / ©︎UCI さらに男子は荘司に続いた早川起生が準優勝。そして女子では中川きららが準優勝、川口 朔来が3位と、4名の日本人選手が表彰台に上がり、改めてフラットランド種目での日本の強さとレベルの高さを示す大会となった。 3位入賞した川口朔来 / ©︎UCI 大会結果 フラットランド種目 【男子】優勝 荘司 ゆう (しょうじ・ゆう) / 日本準優勝 早川 起生 (はやかわ・きお) / 日本3位 ジーン・ウィリアム・プレボースト/ カナダ 5位 佐々木 元 (ささき・もと) / 日本 (所属:鎌ヶ谷巧業)16位 工藤渓涼 (くどう・けいりょう) / 日本 (準決勝時*)18位 伊藤真人 (いとう・まさと) / 日本 (予選時*) 【女子】優勝 オード・カサーニュ / フランス準優勝 中川きらら (なかがわ・きらら) / 日本3位 川口朔来 (かわぐち・さくら)/ 日本7位 伊藤聖真(いとう・せいま)/ 日本 フリースタイルパーク種目 【男子】優勝 ローガン・マーティン / オーストラリア準優勝 アンソニー・ジャンジャン / フランス3位 マーカス・クリストファー / アメリカ合衆国6位 中村 輪夢(なかむら・りむ) / 日本 (所属:ウィングアーク1st)18位 溝垣 丈司(みぞがき・じょうじ) / 日本 (所属:湘南工科大学附属高等学校)20位 小澤 楓(おざわ・かえで) / 日本 (所属:岐阜第一高等学校)プレ予選敗退 寺林 昌輝(てらばやし・まさき) / 日本 (所属:第一学院高等学校) 【女子】優勝 周慧敏 / 中国準優勝 ハンナ・ロバーツ / アメリカ合衆国3位 ローリー・ペレス / フランス 15位 内藤 寧々(ないとう・ねね) / 日本 (所属:第一学院高等学校) 大会概要 大会名称: FISE WORLD SERIES MONTPELLIER 2023(通称 FISE Montpellier)※コンテスト名: UCI BMX FREESTYLE WORLD CUP大会期間: 2023年5月17日(水)~ 5月21日(日)開催場所: フランス・モンペリエ
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skateSkateboarding Unveiled VOL.2 「街中のスケボーって本当に犯罪?」今までスケートボードと接点はありましたか? 最近都市部では当たり前のように見るスケートボード禁止の看板。 「なんでわざわざ街中で練習するの⁉︎ 全く理解できない!」 「見るからに危険。わざわざ人がいるところでやらないで!!」 ごもっともな意見でしょう。 禁止にしたい気持ちもわかります。 一昨年の東京オリンピックに端を発したブーム、それに伴い飛躍的に増加したスケートパーク。競技としての環境が整ってきた今は、多くの人がこのように考えるのも仕方のないことだと思います。 でも、多くの愛好者が、なぜ街中(ストリート)でスケートボードをするのかを”真剣に”考えたことはありますか? 街中で滑る愛好者の方々と、真面目に”話し合って”解決しようとしたことはありますか? おそらく冒頭のように思う方の大半は、今までスケートボードにほとんど触れたことがなく、イメージや見た目、またはそれに伴ったマスメディアの報道などを通して、自然とマイナスな印象をもっているのではないでしょうか。 確かにまだまだスケートボードはマイノリティな存在かもしれません。興味のない方からすれば理解し難いのもわかります。でも社会的に存在が認知された今だからこそ、多様化の進む現代だからこそ、必要なのは相互理解ではないでしょうか。 愛好者から見た「ストリート観」 昨年講師として登壇させていただいた目黒区教育委員会と行った社会教育講座「スケートボードの魅力と今後どうなっていくのか?」写真提供:ポプラ社 そういった時代背景もあってか、最近は「スケートボードと社会」といったテーマで、有識者の方を招いたトークショーや講演が増えてきました。かくいう筆者自身も、スケートボードのフォトグラファー、ジャーナリストとして登壇させてもらったことがありますし、逆に取材をさせてもらったこともあります。そこではストリートへの否定よりも「そんな目線があったんだ!」という感想が大多数を占めていた印象で、愛好者から見れば当たり前なことでも、立場が変われば、ものすごく新鮮に映ることもあるという事実を知ったのです。それは大きな発見でした。 そこで、今回は自分の立場から見た「ストリート観」をお伝えすることで、新たなモノの見方を、少しでも知るきっかけになってくれたら幸いです。 では本題の「なぜ街中で滑るのか⁉︎」ですが、端的にいうと、自分は「作品」として写真に(人によっては映像に)収めているからです。 というのも、私がスケートボードに出会った20年以上前は、スケートパークの数が今よりも圧倒的に少なかったので、できる場所を探して、もしくは作り出して滑るしかありませんでした。ですので、空き地や公園の一角にこういったお手製のセクション(障害物)を設置して練習するという光景はよく見かけたものです。 街がさらに魅力的な存在になる 以前は高架下や川沿いなど人目につきにくい場所で、このようなお手製のスケートボードセクション(障害物)を置いて練習する姿がよく見られた。 そういった環境で育つと、街の見方が今までとは180度変わってきます。 「僕はこの技が得意だから、あの場所でやってみたいな」 「自分達のチームのTシャツを作ったから、それを着て撮影しよう」 そうやって自分らしいファッションに身を包み、自分らしい技を、自分らしい場所で、映像や写真に収めたくなるのは、ごくごく自然な成長といえます。 一般の方からすれば想像もつかないことかと思いますが、中にはストリートこそ本番、スケートパークは練習、そのように捉える人もいるくらいです。 そうして撮り溜めた映像を繋いで編集し、音楽を載せてひとつの作品に仕上げる。さらに出来上がったものを皆でシェアして、喜びを分かち合う。スケートボードはそうしたストリート文化の中で発展してきました。 今はオリンピック種目の一つになりましたが、ルーツはここにあるのです。 ではそんな文化において、フォトグラファー的観点でストリートを見るとどう映るのでしょうか?これからいくつかのサンプルを紹介していきましょう。 自然現象が上げてくれる芸術価値 満開の桜の下で撮ると、不思議とアート性が増す。 まず紹介するのはこの写真。 もうおわかりですね。桜が満開のタイミングを狙って撮り下ろした1枚です。 桜はわずかな期間しか咲かない、儚なく美しいものです。多くの人が撮影した経験をお持ちではないでしょうか。ではスケートボードのトリックというアクションが加わるとどうなるでしょうか。風景写真やポートレートももの凄く魅力的に写ることと同じように、与える印象はより強烈なものになり、さらに作品性が増すと私は思っています。 噴水にキレイに浮かび上がった虹。偶然発見して思わず撮影した1枚。 同じように自然現象という意味ではコレも良いサンプルです。 とある公園(もちろん撮影時スケートボード禁止看板はありませんでした)の噴水に現れた虹です。もちろんいつも見れるものではありません。そんな条件が目の前にあれば、カメラマンなら撮りたくなりますよね⁉︎ そこに一捻り加えて作品性をプラスするなら、スケートボードはものすごく相性が良いと思います。 水面反射もさる事ながら、万が一落下した時のリスクも考えるとトリックとしての見栄えも一級品だ さらにこんな条件の場所があれば、より面白い画が撮れると思いませんか⁉︎ そう、水面反射です。 これもスケートボードに芸術性をもたらしてくれるひとつの要素だと思いますし、いつも同じ環境で、練習しやすいように造られたスケートパークでは、決して撮ることのできない画でしょう。 しかもこれらはスケートボードが滑走できる路面と、特定の自然条件があれば、ある程度どの地域でも撮影することができるので、探してみるのも面白いかもしれません。単純に夕暮れやマジックアワーのタイミングを狙うだけでも、印象はガラッと変わりますよ。 風景写真の要素も取り込める 右奥に見える富士山。しかもこの形状だと、どの県から撮影したのかもわかる。この場所だからこそ撮れる一枚といえる 次に、より作品性を上げてくれる他の条件を挙げてみましょう。それは「地域性」です。 この写真に写り込んでいるのは、もちろん富士山。それだけで風景写真の要素も足されますし、特定の地域でしか撮影できないものになります。 スケートボードの世界では、よくブランドやチームで各国、各地域を巡る撮影ツアーが行われているのですが、そこで訪れた地の特性が現れた写真や映像が撮影され、後日ビデオ作品や広告として世に出ることは、実は長年行われている当たり前のことなのです。 すると、その映像や写真を見た人が、今度は「自分もここでスケボーしたい!」となり、撮影に訪れるようになるのです。そんな形で地域の活性化に役立っているという事は、愛好者でなければ知る由もないでしょう。 国や気候で、乗りこなす街並みは変わる 年季の入った重厚感ある骨組みや、レンガ造りのレトロ感ある建物は、いかにもNYらしい街並み では今度はそれを世界に広げてみます。 この写真にチラッと写り込んだイエローキャブや、趣ある建築を見れば、アメリカ東海岸、しかもNYであることがおわかりいただけるのではないでしょうか。 当然日本とは雰囲気がガラッと変わりますし、都市構造も気候も別物です。すると、乗りこなさなければいけない街の障害物も、全然違うものになってきます。 LAはNYと比べても広大で開放的な街並みが広がっている 対してこちらは西海岸のLAの写真。燦々と照りつける太陽と広大な空、道路沿いに並ぶヤシの木が、いかにもカルフォルニアっぽいなと思った方も多いのではないでしょうか。 こちらはより開放的な雰囲気になっていますが、そういう条件なら、当然日本ともNYとも乗りこなす障害物(街並み)が違ってきます。 ではこれらから何がいえるでしょうか⁉︎ 各地域で違う建築を乗りこなしているだけだと思うかもしれませんが、見方を変えると、生まれ育った地域の街並みが、スケートボーダーのスタイルに大きな影響を与えることになると捉えることもできると思いませんか。 地元で育まれたスキルが自らの個性となり、その個性を集約した映像作品を皆で讃えあう。そんな文化が昔から成り立っているのです。 ですので、東京五輪で話題になった岡本碧優選手の滑走後に抱き抱えられたあの一幕などは、根本にそんな文化があるからで、愛好者からみればごく自然、当たり前な行動でもあったのです。 そう考えると、街とスケートボードはとても密接な関係にあるといえるのではないでしょうか。 普段は撮影できない有名な場所だから良い 横浜の赤レンガ倉庫にて。奥の建物で雰囲気がガラッと変わる 普段から多くの人が行き交う新宿のコマ劇場前の広場。明らかにスケートパークとは異なる雰囲気だ。 ただ現在の日本は、多くの人が行き交う公共の場でのスケートボードは大半が禁止されています。 だからこそカメラマンとしては、多くの人が知る場所で、許可を得て行うイベントが、より特別感のある画になって好きなのです。 これは新宿のコマ劇場前の広場と、横浜の赤レンガ倉庫で行われたイベントになりますが、背景に特徴ある街並みや建物が写り込むだけで、与える印象はガラッと変わりますし、私はそれだけで写真に惹き込まれてしまいます。その度に、やっぱりストリートは最高に魅力的だなと思ってしまうのです。 以上がスケートボードを専門的に撮ってきた自分からみた「ストリート感」になります。もちろんストリートで滑走する全ての人が作品作りをしているわけではないですし、いくら魅力的だからといって、どこでも自由に撮影していいだろうというつもりもありません。 ストリートだから起こった心温まる話 隣で真剣にスケートボードを見つめる子供たち。その後どうなったのかというと……。 でも、最後にストリートだからこそ起こった心温まる話をして締めたいと思います。 とある住宅地の公園の滑り台で撮影したライディングカットになるのですが、隣の子供達の真剣な眼差しを見てほしいです。この時、突如現れたスケートボーダーのお兄さんに興味津々になった子供たちは、トライする姿を目を丸くして見学。そして成功した瞬間に大興奮! 皆で一斉にサインを求め始め、記念撮影もお願いし、即興のスクールまで行うことに。 その時の「俺、絶対お母さんにスケボー買ってもらおー!」と興奮しながら嬉しそうに話していた子供の顔は、10年以上経った今でも忘れられません。 サインを求め、スケートボードに乗せてもらい、笑顔でピース! スケートボードには人を笑顔にする力がある 現在はスケートボードをすることで、公共物に傷がつくことが問題視されているが、市民が平等に使うために造られたものが多少傷つくという理由で禁止にするよりも、こうした子供の笑顔がたくさん見れることの方が、よっぽど大切なのではないかと思うことがある。規則に縛られすぎたら、子供本来の自由な発想にまで影響を与えることにならないだろうか。 「スケートボードを前提にした街づくりが出来れば良いのにな」次回はそんな未来について、もう少し深く切り込んでいきたいと思っている。 吉田佳央 / Yoshio Yoshida(@yoshio_y_)1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本の監修や講座講師等も務める。ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている