コロラド州・ベイルマウンテンリゾートで3月5日(月)から開催されていた『THE 2018 BURTON US OPEN SNOWBOARDING CHAMPIONSHIPS(以下、BURTON US OPEN)』の最終日は、ハーフパイプのファイナルが行われ、男子では平野歩夢が、女子ではクロエ・キムが、伝統あるコンテストの歴代チャンピオンに名を刻んだ。
男子2位には片山來夢、女子3位には松本遥奈が入り、日本勢の活躍で大会は幕を閉じた。
ベイルマウンテンリゾートに設置された22フィートのハーフパイプを舞台に10名のファイナリストによって争われた男子ファイナル。
過去のBURTON US OPENでは2013年の2位(優勝・ショーン・ホワイト)、2015年の3位(優勝・平岡卓)と好成績を残しており、初優勝を狙う平野歩夢は、3本のランのうちの2本目に、フロントサイドエア→フロントサイドダブルコーク1440→キャブダブルコーク1080→フロントサイドダブルコーク1260→バックサイドダブルコーク1260というルーティーンを決めて89.62ポイントをマーク。3本目のランを待たずに勝利を決めた。
優勝した平野歩夢は、「BURTON US OPENは自分が初めて出場した国際的な大会で、今までこのイベントからたくさんのことを得ました。昨年、大怪我をしたこの大会での勝利は、間違いなく大きな意味を持っています。とても興奮しています」と喜びを語り、「オリンピックが終わって、自分の気持ちがリラックスしていたので、この大会には気合を入れて挑む、というよりも本当にスノーボードを楽しみながら望むことができましたね」と、コメント。
2位にはバックサイドメソッド→フロントサイド1080→キャブダブルコーク1080→フロントサイド900→バックサイドダブルコーク1260→フロントサイドダブルコーク1260を決めて86.75ポイントを出した片山來夢が入り、BURTON US OPENでは初めて表彰台に立った。
3位はオーストラリアのスコッティ・ジェームス。
午前中、小雪が降り、不規則な風が吹く難しいコンディションのもと行われた女子ファイナルは、クロエ・キムが強さと安定感を見せつける結果となった。
1本目、2本目とバック・トゥ・バックの1080にトライするもメイクできていなかったクロエだったが、バックサイドエア→フロントサイド1080→キャブ720→フロントサイド900→マックツイストとクリーンメイクした3本目が85.87ポイントとなり、逆転で3連覇を決めた!
平昌オリンピックで金メダルを獲得して以降、多忙な日々を送っていたクロエは、「今日は自分自身をプッシュできると感じていました。朝の練習はとてもよい感じで、バック・トゥ・バックの1080を成功させることができていました。
本番でも同じ様に望んでいましたが、少しだけ難易度を落としたルーティーンを選択しなくてはいけませんでした」とコメントし、3連覇したBURTON US OPENについては「この大会は大好きです。
たくさんの笑顔が会場にはあふれています。シーズンで一番楽しいコンテストです」と語った。
2位にはマディ・マストロ、 松本遥奈は3位となり、ハーフパイプ、スロープスタイルを通じてBURTON US OPEN史上初の日本人女性として表彰台に上がった。
最もクリエイティブでスタイルがあるトリックに贈られるthe Clif ‘Raise the Bar’賞にはベン・ファーガソンのエア・トゥ・フェイキーが、女子ではケリー・クラークのフロントサイドエア・タックニーグラブが選ばれた。
Women’s Halfpipe Finals Results
1. Chloe Kim (USA), 85.87
2. Maddie Mastro (USA), 82.99
3. Haruna Matsumoto (JPN), 78.75
4. Xuetong Cai (CHN), 78.25
5. Kelly Clark (USA), 75.25
6. Jiayu Liu (CHN), 30.37
Men’s Halfpipe Finals Results
1. Ayumu Hirano (JPN), 89.62
2. Raibu Katayama (JPN), 86.75
3. Scotty James (AUS), 83.62
4. Ben Ferguson (USA), 83.24
5. Pat Burgener (SUI), 82.62
6. Jake Pates (USA), 74.62
7. Derek Livingston, (CAN), 67.99
8. Naito Ando, (JPN), 66.50
9. Chase Josey (USA), 39.00
10. Jan Scherrer (SUI), 31.87
2018 Burton U·S·Open Men’s Halfpipe Finals – Highlights
Ayumu Hirano’s Winning Run
2018 Burton U·S·Open Women’s Halfpipe Finals – Highlights
BURTON US OPENについて
1982年から始まった世界で最も長く続いているスノーボードコンペティションで、ベイルでは6度目の開催となります。
2018年2月の冬季オリンピック後初めて開催される国際的なスノーボードイベントです。
14歳以下のジュニアジャム、スロープスタイル、ハーフパイプというワールドクラスのコンペティションに加えて、期間中はフリーコンサートなど様々なイベントが開催され、大人から子供まで楽しむことができるスノーボードイベントです。
Burton, Toyota, Town of Vail, Pacifico, Clif Bar & Company, Paul Mitchell, G-Shock, Microsoft Surface, Stoli, Rethink Water, Bose, Jack Daniels, Uber, Boa® and Vail Mountainらパートナー企業の協力の下開催されています。
BURTONについて
1977年、ジェイク・バートン・カーペンターはアメリカ・バーモント州のガレージでスノーボード作りを始め、バートンスノーボードを設立しました。以来、彼の人生はスノーボードに捧げられています。
バートンは、画期的なプロダクトライン、リゾートに対する草の根的努力、そしてトップレベルのチームライダーにより、スノーボードを裏山での遊び道具から、ワールドクラスのスポーツへと成長させることにおいて、極めて重要な役割を果たしてきました。
現在バートンは、スノーボードギアとスノーボードライフスタイルに関連する業界トップのプロダクトをデザイン、製造しています。その中にはスノーボード、バインディング、ブーツ、アウターウェア、レイヤリングなどの他に、通年で活躍するアパレル、パック、バッグやアクセサリーなども含まれています。
バートンはジェイクと妻でありCEOであるドナ・カーペンターにより所有されているプライベートカンパニーです。アメリカ・バーモント州バーリントンに本社を、オーストリア、日本、オーストラリア、カナダ、中国にオフィスを置いています。
SPECIAL EDITION
FINEPLAYはアクションスポーツ・ストリートカルチャーに特化した総合ニュースメディアです。2013年9月より運営を開始し、世界中のサーフィン、ダンス、ウェイクボード、スケートボード、スノーボード、クライミング、パルクール、フリースタイルなどストリート・アクションスポーツを中心としたアスリート・プロダクト・イベント・カルチャー情報を提供しています。
アクションスポーツ・ストリートカルチャーの映像コンテンツやニュースを通して、ストリート・アクションスポーツの魅力を沢山の人へ伝えていきます。
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bmx人生もレースも一瞬。ドキュメンタリー映画「LIFE IS SNAP」プロBMXレーサー 中井飛馬×映画監督 廣瀬“MARCO”裕平 上映会前特別インタビュー2025.01.14昨年2024年も世界的なスポーツの祭典である「オリンピック2024パリ大会」で世界から注目が集まった自転車競技「BMXレーシング」。どの競技に限らず世の中ではメダリストばかりにスポットライトが当たりがちだが、パリ大会にこのBMXレーシング種目にて並々ならぬ思いで挑んだのが同競技男子日本代表の中井飛馬(なかい・あすま)だ。実際結果だけ切り取れば、惜しくも彼のパリオリンピック出場は叶わなかったのだが、その裏側には「出場できなかった」の一言だけではまとめきれないほど多くのストーリーがあった。今回はそのオリンピック予選シーズン中に起きた出来事をまとめて映画化。それがドキュメンタリー映画「LIFE IS SNAP」である。なお本映画は2025年1月24日(金)に渋谷HUMAXシネマにてプレミア公開が行われる。今回は「LIFE IS SNAP」の上映まで残り1ヶ月を切った中、ドキュメンタリー映画制作のきっかけから制作後の現在に至るまで、また今後の展望を含め、本映画の主役であるプロBMXレーサー中井飛馬と二人三脚で制作を担当したストリートライダーでクリエイティブレーベル「MANNERS KNOWS.」のディレクターで本映画の監督を務めた廣瀬“MARCO”裕平へ特別に話を聞いた。 中井 飛馬(以下:中井)廣瀬"MARCO"裕平(以下:MARCO) 今回のドキュメンタリー映画制作に至る背景とは – 最初にお二人の出会いについてお聞かせください。 中井:遡ると結構前のことになるのですが、僕が17歳ぐらいの頃なので、7〜8年前に今回のプロジェクトのスポンサーで入ってくれているアパレルブランド「CHROME」の展示会かパーティーで「同じ新潟出身のお兄さんいるよ。」みたいな感じでMARCOくんを繋いでもらいました。 MARCO:確か展示会でしたね。僕がその時CHROMEのライダーだったこともあって、CHROMEの選手担当をやっていたマネージャーを通じて紹介してもらったのが飛馬との出会いでした。 中井:そこが最初の出会いで、それからはたまに僕がMARCOくんの展示会に行ったりとか元々働いていた自転車屋の「W-BASE」に顔を出したりとかでずっと繋がっていました。当時は共通点があるだけでそんなに深い付き合いではなかったです。 でもMARCOくんが「ALL GREEN island / alley」っていう飲食店をオープンしてから、僕もお店に行くようになって会う回数が増えていくうちに、「何かやりたいんすよね」みたいなことも会った時によく話していました。それからしばらく経ってドキュメンタリーを撮りたいと思ったので相談したら「それ俺撮るよ。」って言ってくれたのでお願いする形になりました。 MARCO:飛馬が自主制作で進める上で、実費で活動資金から各項目の概算を出してきたのですが、彼が求めていたドキュメンタリー映像のクオリティは普通の制作会社に頼むと、現実的に想定していた予算じゃ収まらないことが想像できて、また話している中で飛馬の理想の映像って尖っていて感覚が大事だなと感じたので、そうなると普通の企業だと実現するのは正直厳しいと思いました。 でも「俺だったら撮れるんじゃないか?」と思った中で、具体的に色々考えてみると、すごく大変な作業になるので腹括れるのかという部分もあったんですが、でも飛馬の人間性も踏まえた上で是非撮りたいと思ったのが一緒にこのプロジェクトを始めたきっかけでした。 – どうしてドキュメンタリーとして映像を残そうと思ったのでしょうか? 中井:理由は色々ありますが、僕が好きなスケーターやスノーボーダーは自分たちでイベントを企画したり、映像を作ってみんなに見てもらう形がある一方で、BMXレースの場合は開催される大会に出て結果を残すかどうかだけなので、自分たちでコントロールできる部分が少ないですし、僕が普段感じていることや表現していきたいことを見せていくのが今のBMXレースシーンの中では難しいと感じたんです。 その葛藤の中で、自分が好きなものをもっと詰め合わせて、僕が好きなBMXレースをもっと色々な人に広めるためにも映像を作りたいと思うようになりました。でもスケーターみたいにエディットとかビデオパートを作るのも何かが違うと感じていました。 MARCO:その話で相談された時も「自分のプロフィールになるようなものを作りたい。」ということを飛馬がよく言ってたのを覚えています。 中井:そこでBMXレースを通じて「これが自分!」みたいなものを出せる場所として思い付いたのが「ドキュメンタリー」だったんです。最初想定していたのは10分〜15分ぐらいの映像だったので、映画になるとは思っていなかったですけどね。 MARCO:現在最終調整段階なのですが、結果的には90分から100分の映画になる予定です。クオリティもすごい良いものになっているので観に来てくれる人たちも驚くと思います。多分みんなは期待値を少し下げていると思いますけど、謙遜した上でも「これ映画だな。」って思ってもらえるものになっています。 – 「LIFE IS SNAP」という題名にした理由は何でしょうか? MARCO:撮影の後半だったんですけど、この映画をどうやって世間へ発信していくかを考えないといけないタイミングで世界選手権の前だったのですが、ここからのストーリーを少しだけでもSNSを通してみんなに見せていくことで、このプロジェクトが本格的に始まっていく動きを上映会に向けて作っていこうと思いました。そしてそのためには映画の名前が必要ということに気づきました。 そこでレースにまつわる言葉やスラングっぽいワードも含めて色々な単語を出し合っていたら「SNAP」っていう言葉が引っかかったんです。 中井:そうなんです。「SNAP」というワードにいくつか意味はあるのですが、まずはBMXレースのスタートで“よーい、どん”の時にする「スナップ」。そして怪我で骨折する表現の「スナップ」。あとは人生は長く感じるけど、気づいたらもう一瞬で終わるっていう意味での「スナップ」ですね。それ以外にも僕自身、写真撮るのも好きだったりするのでそういう意味での「スナップ」みたいな形でこのワードが自分の状況に綺麗にハマったんです。ただ「SNAP」だけだとちょっと寂しいので人生を切り取るっていう意味もかけて「LIFE IS SNAP」にしました。 作品の中でこだわったのはアスリートの一面だけではない人間味溢れるリアルな姿 – 今回の作品の見どころをお聞かせください。 MARCO:見どころはやっぱり「あの怪我」ですね(笑)ネタばらしみたいになるのであまり話せないんですけど、大怪我の瞬間を偶然撮れてしまった時に、本当の意味でドキュメンタリーが始まったなって感じました。むしろその瞬間は今後の撮影も打ち切りでこのプロジェクト終わったなと思ったぐらいの出来事でした。 あとは自分が今まで色々なライダーを撮ってきて分かったことですが、どのジャンルでもトップに立つ選手たちって、オンとオフの切り替えで目が変わる瞬間があるんです。そういう瞬間は見ていると結構ゾクッとするんですけど、そのゾーンに入った時の表情の変わり様もこの映画で上手く描けていると思います。 これは自分自身、今回の制作の中でやりたかったことで、トップ選手だからこそ戦い抜いてこれた今までの経験から来るその感情の移り変わりが見られる映像になっているので、観ている側もジャンルは違えど何かしら感じられるものがあると思います。 – そういった部分を見せる上でも撮影でこだわった点はありますか? MARCO:こだわりはたくさんあるのですが、分かりやすく技法で言えばスタビライザーは使わないとかですかね。機材も20万円ぐらいでボディを買えるカメラやiPhone15 Proを使っていますが、このレベルの機材でこのクオリティの作品を感じさせることができたのは大きいと思います。何百万〜1千万みたいな機材じゃないと撮れない世界ではなくて、こういう風に超雑草で育ってきた自分たちでも作れたという実績を見せることで、今後次の世代から「俺でもできる!」って思える人たちが出てきたら面白いなと思っているのでそういう部分はこだわりですね。とはいえそれなりにお金は掛かっていますが。。 – またそんな撮影の中で大変だったところはありますか? MARCO:許可取りですね。特にワールドカップとかはUCI(国際自転車競技連盟)の規定があったりで、まずコースに撮影で入らせてもらえないですし、選手の控え室にも入らせてもらえないところからのスタートなので、どういう理由で入らせてもらうかを交渉する点はかなり骨が折れました。 中井:すごい頑張ってUCIのメディア担当の偉いおばさんと仲良くなって交渉しました。色々理由も聞かれたのでなんとか了承してもらえるように必死で説得しました(笑) MARCO:以前NHKでも飛馬のドキュメンタリー企画を放送したんですけど、それに今回の映画でも使っている素材を提供しているんです。そのため交渉の時にもNHKっていう言葉をすごい使わせてもらって、個人制作というよりは地上波のテレビ局に流れる映像を撮るという目的を兼ねたことで進めやすくなりました。 この方法にはNHKの方もすごい協力的でプロジェクトを応援したいからって色々手伝ってくれましたし、本当に色々な方々が力を貸してくれたので皆さんのおかげでこの映画が撮れています。だからこそ「絶対良いものにします!」っていう思いです。 中井:他には予算とかの資金繰りも大変で、お金もなんとか上手くセーブしながら進めてきました。 MARCO:本当に自分たちだけでやるようなプロジェクトのレベルではなかったんですけど、この映画のクオリティの高さは見てもらったら分かると思います。「この映像本当に1カメだけ?」みたいなところもあります。 – ちなみに中井選手、この作品を撮影しながら転戦したシーズンはいかがでしたか? 中井:実はこのプロジェクトのおかげで競技活動の面でもとても助かりました。これは誰にも言ったことがなかったのですが、MARCOくんはかなり先輩ですけど仲良いですし、今までの海外遠征ではレーサーとしか一緒に生活していなかったこともあって、MARCOくんと一緒に活動することですごい気分転換にもなりました。またあまりレースのことは知らないけど感覚が似ている人が「いけるいける!」と励ましてくれたことがすごい自分の力になっていて、普段のトレーニングや大会の時ともより一層パワーが出ましたね。だからとても楽しかったです。プレッシャーとかはもちろんありましたけど良い方向に働きました。 – この作品で注目して見てほしい部分があればお聞かせください。 MARCO:大体アスリートの日常が描かれる時って、超アスリートモードのカッコいいところだけピックアップされがちだと思うんですが、この映画では競技外でバカやってるシーンもリアルに描いているので「アスリートも俺らと一緒じゃん」って感じながら是非観て欲しいですし、何かに向かってコツコツ頑張ってやり続けることってアスリートに限らずみんな誰しもが一緒なんだなって撮影の中で感じました。 また作品全体としては、僕の知り合いや仲間の才能のあるアーティストが大勢協力してくれていて、フライヤーのデザイン1つから、映像内の楽曲やナレーション、また飛馬のヘルメットペイントやグッズだったり、何から何まで色々なアーティストの協力の下で出来上がっていることがこの作品の大きな魅力です。 当初からBMXレース特有の超ゴリゴリのザ・エクストリーム系で作るわけではなく、飛馬が大好きなこの街のカルチャーとBMXレースを組み合わせて作りたいと思っていました。この2つは全く対極にあるものだと思うんですけど、飛馬はレースの世界では超アスリートでありながら、中身は超ストリートでヒップホップなので、本当にその両方の要素を兼ね備えているレーサーが、この街のカルチャーと繋がることが面白いと思っています。実際に中井飛馬っていう人間もこの街でかなり認知され始めているので、自分たちのやりたかった形になっていると思います。 「LIFE IS SNAP」上映会を直前に控えた今の心境と思い – ドキュメンタリー映画の上映会間近というところで今の心境はいかがですか? 中井:この上映会が近づくにつれて、より具体的な動きが増えてきているので「ドキドキ50%、ワクワク50%」って感じです。「みんな見に来てくれるかな?」っていう不安な気持ちもありますが、これだけ大勢の方々にサポートしてもらって完成した映像なのでできるだけ大きいイベントにしたいと思っています。 僕自身はもうレースも終わって、映像に関してもMARCOくんに編集をバトンタッチしている状態なので、今は上映会に向けて自分ができることをずっとやってます。やっぱり初めての試みということもあって緊張もありますが、この映画を観てみんながどういう反応をするのか楽しみです。 – また今回の目標の一つだったパリオリンピック出場は惜しくも叶いませんでしたが、パリオリンピックからしばらく経った今どのような思いでしょうか。 中井:今はこのプロジェクトで目指しているものがあるので、まだパリオリンピックについてはあまり深く考えすぎないようにしていますが、もちろんオリンピックにはとても出たかったですし、現地で大会を観戦したことでなおさら強い悔しさを感じています。 でも個人的にはやれることは全部やりましたし、もう過ぎ去ったことを憂いても仕方ないので、アスリートとしてもこのプロジェクトにしても、今後どうすることが自分にとって一番良いのかを考えることがパリオリンピックの悔しさよりも、ちょっと高いモチベーションになっているので、このプロジェクトに自分自身救われているところが多いです。 それは競技からの現実逃避という意味ではなく、本当に普段練習やトレーニングをしている時は一人でいることが多いので、こうやって他の人と一緒にいられる時間にはすごい救われました。でもパリオリンピックに出られなかったことは今思い返しても、もう一度挑戦したいくらい悔しい思いです。 – 今回のドキュメンタリー映画を通して伝えたいことはありますか? 中井:MARCOくんも言ってたことではありますが、人間はみんな同じなんですよね。僕はアスリートという一面もあって初対面の人に「本当にすごいよね!」って言われることもよくあるんですけど、「そんなことはないんだけどな」ってずっと思っています。僕はたまたまBMXが得意なだけで、みんなと同じように苦労もしてますし、成功の喜びや失敗の悲しみも知っているので、アスリートも本質的にみんなと同じなんだというのを感じています。 MARCO:アスリートだけが特別な存在ではないということですよね。一般の人と違うところは、努力の先にそういう大舞台に立つチャンスがあってたまたま注目してもらうことができたからなんだということは飛馬とよく話しています。 中井:そうなんです。ちょっとだけ目立つ立場なだけです。この期間は怪我も多くて自分のキャリアの中で1番しんどい時期だったんですけど、そこから自分なりにうまいことポジティブに気持ちを持っていくことができました。でもそれも同じレーサー仲間のユウイチ(増田優一)とかBUGZY(島田遼)や周りのサポートしてくれた方のおかげでした。 そしてまた今回このように映像になったことで、一緒に生活してる時間で感じた仲間の大切さやサポートしてくれた方々の大切さを改めて確認させてもらえて、自分は周りにすごい救われていたんだなって強く思います。本当にアスリートうんぬんとかじゃなくて、人生の中で誰もが直面することがこの映画ではより濃く見られるのかなと思います。 – アスリートだけではなく色々な人が自分事としても捉えられるような内容になっているんですね。 中井:はい。あとは「LIFE IS SNAP」のタイトルにもあるように、「人生は一瞬だからやりたいことは本当にやった方が良い」というのを伝えたいです。自分は物事に対してあまり計画的なタイプじゃないですけど、今までやってきたことで後悔したことはないですし、このプロジェクトも「じゃあとりあえずMARCOくんの飛行機(フランス行きのチケット)取るっすね。」ってみたいな感じで、スポンサーも何も決まってない時に飛行機のチケットを取ったところから始まったんです。でもあの時に行動していなかったら今は無いので、本当にやりたいことは全力でやった方がいいと思っています。 – ちなみにどんな方にこの映画を観てもらいたいですか? MARCO:まだ何も知らない人に見てもらいたいです。このプロジェクトを通して中井飛馬やBMXレースに興味を持ってもらうことが目的なので、全く何も知らなかった人がこの映画を観ることによって少しでも興味を持ってくれて、「ちょっと大会も観に行きたいな」って思った人が1人でも多く増えてくれたら嬉しいです。 中井:僕もそう思います。逆に僕のことを知っていてもBMXレースについてよく知らない人は結構いますし、またBMXは知ってるけどBMXレースはあんまり知らないっていう人も多くいるので。そういう人たちに観てもらいたいのはもちろんですけど、目標があって今頑張っているけど、上手くいかなくて苦労してる人にも観てもらいたいです。映画の中では競技でのヘビーなシーンも多いんですけど、その分自分たちがバカやってるシーンとかを観たら、「今は辛くてもなんとかなるんじゃないかな」って思ってもらえると思うんです。ただ自分も結果的には目標達成したわけでもないので、まだまだ逆境真っ只中なのですが、同じような状況を突き進んでいる人たちに少しでも勇気が与えられたらいいなって思っています。 二人の今後の活動について – 今回のプロジェクトに続編はありますでしょうか? MARCO:まだ考えていないですけど、ドキュメンタリーって作品が決まったから撮るものではなく日々を記録していくことの積み重ねだと思っているので、撮れる時に撮りに行きますっていうスタンスでいます。 – 今後他に一緒に進めていこうと考えていることはありますか? MARCO:アパレルを作ったりとか既に色々一緒にやっていることもあります。僕は飛馬がすごい才能のある人間だと思っているので、その才能の活かし方をこのプロジェクトや一緒に取り組むことの中で学んでもらいたいなと思っています。だから今は結構色々お願いしてやってもらっていますが、既にその能力の高さを感じているので、彼となら何でもできると思っています。 オリジナルグッズはキャップからTシャツ等まで多岐に展開中 中井:とりあえずはこの映画をできるだけ色々なところで上映したいのですが、これって結構時間かかることだと思います。それでもできる時は映画祭に出展したり、上映会だったりを1つでも多くやりたいと思っています。実際周りの人たちも今回の上映会を1回だけやって終わりだと思ってる人が結構多いですし、ネット上のストリーミングで観られるようになるまではまだまだ時間もかかると思いますが、今はそこを一つの目標にしています。 ゆくゆくは全国だけじゃなくて世界各地でも上映会を開催したいですね。実はもうアメリカでは開催することが決まっているのですが、そういう動きがもっとたくさんできたら良いなと思っています。 – 中井選手はBMXレーサーとして新しいスタイルでこのストリートカルチャーに関わっていますが今後はどうしていきたいですか? 中井:僕はBMXレースで育ってきてBMXレースももちろん大好きですけど、自分がカッコいいと思う人はBMXレース以外の世界にもたくさんいて、それこそMARCOくんや今回関わって下さったアーティストの皆さんもリスペクトしているので、その姿を見てこういう風になりたいと思うことが多くあります。 今後は自分自身も同じようにBMXレース以外の世界で色々な活動ができるようになりたいですし、いちBMXレーサーとしても絶対そういう動きをしなければならない時期が来ると思っています。アスリートとしてBMXに一生乗り続けることは現実的にできないので、自分は他のこともしないといけなくなった時に、よりたくさんのことを知っていたり経験している人間でいたいんです。 そういう意味ではこのプロジェクトも自分の貴重な経験値になっていますし、今後仕事とかじゃなくても色々な人と会ったり話したり、色々なものを見て経験することが結果として自分が何かやりたいと思った時にとても役立つと思うので、今はとにかく自分が好きになったものをたくさん経験したいと思っています。 MARCO:実際に飛馬がその経験やスキルをゲットすることで、BMXレースシーンにも良い形で還元できるようになっていくんじゃないかなと僕も強く思っています。 中井:はい。BMXレースシーンへの還元の仕方については僕ももう考えていますし、そのためにこのプロジェクトを始めた部分もあります。周りからは「飛馬、BMXレースにもう興味なくなっちゃったんじゃないの?」って言われることもありますがそんなことは絶対ないです。ただBMXレースっていう小さい円の中でどれだけ大きいことをしようとしても限界があるので、その円から出て大きなことができるようになった上で、BMXレース以外の色々な円も一緒くたにしていきたいと思っています。 でもこの動きを始めてから今までBMXレースを知らなかった人もSNSを通してBMXレースを目にする回数って多分すごい増えていると思います。しかもこのカルチャーにいるカッコよくてイケてる人たちが見てくれていると思うので、これからこのBMXレースへの認知が何倍、何乗になっていって、今は目に見えた動きはないかもしれないですけど、長い目で見た時にこれがきっかけで色々できることが多くなると思います。 自分のスタイルを追求し続ける彼らが見据える未来 – 中井選手と一緒に成し遂げたいことはありますか? MARCO:これも先ほど話したことですけど、別に今回のプロジェクトで「はい完璧で最高でした!」で終わるのではなくて、今後の選手活動として資金も必要になる中で、飛馬がスポンサー獲得を進めやすくなったり、次のロスオリンピックに向けて万全な状態で挑めるような準備をするために「中井飛馬ってやばいでしょ!」を知ってもらう活動でもあります。それが実現できた時にこのプロジェクトが成功だと思うので、引き続きロスオリンピックに向けて撮りたいと思っています。 – 4年後にはロサンゼルスオリンピックもありますがアスリートとしてどのような将来像を描いていますか? 中井:オリンピックは絶対目指したいですし、その舞台でメダルを獲得するという夢は20年間、BMXを始めて早い段階からずっと目指していることなので成し遂げたいと強く思っています。でも個人的には自分がアスリートっていう感覚があまり無いんですよね。アスリートって何なんだろうって考えた時に、僕にその要素は当てはまらないと感じたので、アスリートというより自分自身のアイデンティティと夢の一つとしてBMXレースは今後もやっていきたいと思っています。 – 最終的に「中井飛馬」としてはどういう人間になりたいですか? 中井:本当に自分が「カッコいい」とか「やりたい」と思ったことをこれからも続けていきたいですし、自分がカッコいいと思うものは周りからもカッコいいと思われる自信もあるので、BMXに限らず自分が好きなものをどんどん取り入れながら、これからも尖り続けていきたいですね。 その動きの中で自分にとっての新しい何かが生まれる気がしますし、1つのことに固執しないで柔軟に興味のあるものを色々混ぜ合わせていくことで、さらに面白いと思えることにたどり着くと感じているので、今はそのプロセスも楽しんでいます。最終的にはBMXレースに自分が培ってきたものを繋げて還元してBMXレース自体もカッコいいものにしていけたらなと思っています。 でも何より自分がBMXレースをはじめ色々なことに挑戦できているのは、ライダー仲間や友人、家族そしてスポンサーと関係者の皆様のおかげなので本当に感謝しかないですし、心からありがとうございますと伝えたいです。その気持ちを改めて伝えるためにも、1月24日は会場でお会いできることを楽しみにしています。 中井飛馬 プロフィール Asuma Nakai / Pro BMX racer2000年、新潟県上越市生まれ。5歳の頃に地元上越でBMXレースと出会い、11歳の夏に世界選手権で初めて決勝進出を果たしてワールドゼッケンを獲得する。その後12歳で本場アメリカの強豪チームにスカウトされ、海外への転戦をスタート。2019年にはプロ1年目ながら全日本選手権で優勝。2021年には日本人として初めてUCIワールドカップシリーズのU23シリーズチャンピオンに輝く。2023年にはアジア大会杭州大会で金メダル獲得。 廣瀬“MARCO”裕平 プロフィール 廣瀬"MARCO"裕平10代よりFIXED GEARプロライダーとして国内外を飛び回る。同時に裏原で遊び働き街で過ごす生活を送り続ける中で見てきた自身の経験と感覚から生み出される世界観をフィルター無しで表現する場として2019年クリエイティブレーベル"MANNERS KNOWS"を設立。今この場所、この瞬間でしか切り取る事の出来ないRAWで鮮度の高い作品創りを信念に活動を続ける。 「LIFE IS SNAP」 について ”LIFE IS SNAP”カルマのように幾度となく襲い来る怪我から復帰する日本では敵無しのトップレーサー中井飛馬。オリンピックを目指しフランス、アメリカを中心に海外を拠点に生活を続ける日々。2022年10月、絶好調でパリオリンピックの選考大会初戦を終えるがその直後に悲劇が起こる。二度の大怪我を乗り越えた飛馬に残された時間はわずか7ヶ月。が、またしても悲劇が、、、裏原カルチャーに育てられた生粋のストリートライダーが初監督世界と戦う23歳の今を追ったノンフィクション青春ドキュメンタリー映画2025年1月24日(金)に 渋谷HUMAXシネマにてプレミア公開!主演: 中井飛馬監督/撮影/編集: 廣瀬”MARCO”裕平ナレーション: 高良健吾アートディレクション: GUCCIMAZE 主題歌: “Transition” Calli Stephus, BUGZY, bill marcos prod.by mee mee_ Colorist: 川崎清正Supervisor: 村上貴紀Script Supervisor: 濱田真和Flyer Design: witnessMusic: CYBERHACKSYSTEM, mee mee mee, WATTERCast: 島田遼, 増田優一, 他Production: MANNERS KNOWS Sponsor : Mongoose Bicycles, XLARGE, CHROME, Stance Socks, SHOEI
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dance金メダル獲得だけではない。BREAKING TEAM JAPANが残した功績。 〜 EP.1 ユニフォーム文化の脱却 〜2024.12.312024年を振り返るに欠かせないのがパリオリンピック2024。HIPHOPのカルチャーであるBREAKINGがオリンピック競技に採択され話題を呼んだ。 結果として、日本代表選手が金メダルを獲得しBREAKINGという競技が連日ニュースに取り上げられた。連日テレビや雑誌など多くのメディアに出演しBREAKINGを日本中にリーチした。だが、これまでの道のりは常に開拓の連続で苦悩と共に歩んできたことも多かった。そんな、日本のBREAKINGをこれまで盛り上げてきた立役者たちのRoad to Parisへの挑戦は約8年前から始まっていた。 BREAKINGが競技に採択された当時は反発や理解を得られないことも多かった。なぜならBREAKINGはカルチャーであり、スポーツではないからだ。今でも、BREAKINGが競技化したことに戸惑いや否定的な意見を持つ人も多くいるだろう。 ただ、間違いなく言えることはパリオリンピック開会式の日、セーヌ川ではShigekixが日本選手団を代表し堂々と旗手を務め、大会当日AYUMIは最年長の41歳で果敢に挑みシーンに光をみせた。HIRO10は自慢のパワームーブで会場中を沸かせ、AMIは金メダルを獲得し初代女王となった。 日本代表選手の4名はそれぞれがベストを尽くし多くの感動を与え、私たちにBREAKINGを通じて多くのメッセージを残してくれたが、それらに加えて忘れてはならない存在がいる。彼らと二人三脚で共に歩んできたJDSF ブレイクダンス部をはじめとするBREAKING TEAM JAPAN(以下、BREAKING JAPAN)の存在だ。 彼らが選手たちと一体になり歩んできたことや、その地道な活動の上に、この結果が結びついたことを多くの方に伝えたいと思い、FINEPLAYでは幾つかのエピソードにわけ、取材を敢行する。第一弾は彼らが発足時より掲げていた「ユニフォーム文化の脱却」についてJDSFブレイクダンス部の渡邊マーロック氏と千野秀行氏に話を訊いた。 BREAKING JAPANが挑んだユニフォーム文化の脱却 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟「JPN M NK DFADV LS TOP PRT OLYBを着用 BGIRL AYUMI」 そもそも、読者の皆さんはNIKEのスポーツウェアに「ブレイキン・ダンス」カテゴリがあり、現在も一般販売をされていることをご存じだろうか。そのアイテム数はシューズも合わせると60種を超える。このカテゴリが生まれたきっかけは「パリオリンピック2024」だった。NIKEを含めBREAKING JAPANのユニフォーム(フェデレーションキット)にかける熱量と本気度がとてつもなく高く、結果としてこれだけのラインナップが揃うことになる。 BREAKING BGIRL部門において金メダルを獲得したAMIは、毎試合ごとに異なる衣装チェンジで注目を集めた。一見、どの選手たちも私服のような“いつものスタイル”であり、統一性は無く、ユニフォームには見えない。男女ともに同じユニフォームを着ていた他国の選手たちもいたが、そもそも競技においてその規定は無い。なぜ、60種ものアイテムを作る必要があったのか。そこにはカルチャーとして欠かせない要素が関係する。 HIPHOPの精神は「愛・平和・団結・楽しむ」この4要素が根底にあり、表現方法として「DJ・MC・BREAKING・GRAFFITI」の4要素がある。BREAKINGはHIPHOPカルチャーとしてのルーツがあり、オリジナリティやスタイルを大切に考えるカルチャーが前提にある。この考えをリスペクトし体現をするため、今回のパリオリンピック2024でBREAKING JAPANは「ユニフォーム文化の脱却」を掲げていた。 NIKE JAPANとの取り組み BREAKING JAPANはオフィシャルユニフォーム開発先を探し奔走していた中、NIKEが手を挙げる。NIKEは誰もが知るグローバル企業であり、数々のアスリートをサポートし多くのスポーツアパレルアイテムも手掛けている。今回、オリンピックに向けてBREAKING競技に参加した国でNIKEとオフィシャル契約を結んだのは日本に加え、アメリカと韓国の3カ国だった。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟「コーディネートのバリエーションが豊富」 試行錯誤だったオフィシャルウェア JDSFマーケティング担当の千野氏はこう語る。「トータルで約3年ほど制作に時間を費やしました。逆に言うと3年でよくここまで作ってもらったなという想いです。NIKEさんとご一緒させていただき、我々のリクエストをとても的確に受け入れてもらうことができました。日本代表選手は4名ですが、その4名にそれぞれ個性があるため、セットアップなど1つのコーディネートではなく、それぞれの選手が自由に組み合わせられるファッション性のあるフェデレーションキット(ユニフォーム)を目指しました。オリジナリティがパフォーマンスにも影響を与えると思いますので。でも、そうした考えを進めていくとあれもこれも必要というようにどんどん話が膨らんでいき、付属品も含めると気がついたら60アイテムほどになっていました。それを、我々のフィードバックも反映いただきながらこの期間で作りあげていただき感謝しています。」 さらに、今回のユニフォームの制作にあたり、世界的に有名な抽象ストリートアートの先駆者である「FUTURA」がデザインを担当しており、NIKEの本気度が伝わってくる。随所に彼の代表的なキャラクターやアイコンなどが取り入れられていた。中でもスタジャンは、ファッション性の高いアイテムに仕上がっている。どれも実際に販売をするにあたり、アパレル商品としての側面も持ち合わせている。 FUTURAの象徴と「日本」のコラボが際立つスタジャン デザイン性に加えて、こだわった着心地と機能性 例えば、ブレイキンはフロアに接触する部分が「頭」「ひじ」「膝」「背中」「尻」「肩」など多岐に渡る。さらにスピン技など摩擦が生じる技については、周りやすいテクスチャーか、またその布の丈夫さや厚さなど、細かい部分を加味すると気を遣うポイントが多々ある。取材を重ねて驚いたことは「言われないと気が付かない」機能が随所に施されていることだった。 肘は厚めに作られているパンツの裾は折り返しでき、絞りもでき、さらに紐のストッパーがある JDSF理事であり、ブレイキン ディレクターの渡邊マーロック氏はこう語る。「最初に上がってきたサンプルを実際にJDSFの強化選手やスタッフたちに着て踊ってもらいました。例えば、パンツの足元は絞る紐と捲ることができるようにしたいと言うことや、フードは被りたいけど、被って絞ると紐が垂れて踊る時の妨げになるので無くしたいなど、細かくフィードバックをさせていただきました。生地の質感や、ボタンやチャックなどフロアに当たる部分の位置関係など、ファッション性の部分と機能性の部分のバランスをNIKEさんにはとても上手に表現していただきました。このフェデレーションキットはよく見るとBREAKINGならではの体裁になっているんですよ。」 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟 こうした背景により、選手たちに“着させる”ユニフォームではなく、“自ら選んで着る”ユニフォームが生まれ、その結果AMIは出場するたびにユニフォームを変更し、その模様が大きくメディアに報道されるなど本来のHIPHOPのカルチャーの側面である“個性”を表現することに寄与した。勝ち負けだけではなく、シーンを盛り上げるきっかけにも繋がった。こういった考え方そのものが、これまでのIOC率いるスポーツ競技になかったように思う。もちろん、団体競技などそれぞれスポーツ競技には歴史がありルールがある上で、ユニフォームを統一するものもあり、それらを否定するわけではない。ただ、今大会でBREAKING JAPANが、ブレイキンカルチャーをリスペクトする姿勢を新たな角度で主張し、カルチャーシーンからも応援される組織づくりやBREAKINGならではのメッセージを活かし体現したことは、スポーツシーンにおいて新たなフォーマットを提示できたように思う。 スポーツカルチャーへの風穴 ユニフォームとは「その集団の意識的統一をはかると同時に、他の集団との区別を明確化するもの」という定義がある。さらに競技により様々な規定がある上で制作をするものであるが、そもそもアスリートファーストを考えると、そのユニフォームひとつをとっても、パフォーマンスに影響が出るものと考える。 さらには、ユニフォームが話題を呼びアスリート自身の露出が増えると、BREAKINGの競技としての存在感が際立つことに加え、メーカー側にとっても喜ばしいことであり、BREAKING JAPANは他国にはない形で双方に貢献した。シーンにリスペクトを残しつつも“いつもの”スタイルで競技に参加する。こうした一つひとつのチャレンジがチームを底上げする力になったことに違いなく、シーン全体への影響をも考えた讃えるべき功績と言えるのではないだろうか。 Ⓒ公益社団法⼈⽇本ダンススポーツ連盟「BREAKING TEAM JAPAN」 【BREAKING Federation Kit】全60種+シューズ3種■Mens 23種 ※■Womens 27種 ※■その他 カバン、ユニセックスのキャップなど10種 ※■シューズ NIKE JAM 3種※カラーバリエーション含む 渡邊マーロック日本ダンススポーツ理事/ブレイキン ディレクター日本のBBOYであり、日本のブレイキン競技のハイパフォーマンスディレクターとして、2024年パリオリンピックに向けたプロジェクトマネジメントを担当。パリ大会ではブレイキンナショナルチームの監督としてチームを率い、成功に貢献した。大会後も、日本ダンススポーツ連盟の業務執行理事として、強化・普及・マーケティングの各分野でブレイキンを軸にストリートスポーツ(アーバンスポーツ)の発展に尽力している。また、ナショナルコーチアカデミーでも、豊富なマネジメント経験を活かし、日本の指導者の質を向上させるための施策を推進している。これまでに、飲料メーカーやスポーツブランドのマーケティング担当としてプロジェクトマネジメントを行い、企業のブランド力強化やスポーツとの連携を促進してきた。さらに、2020年からは渋谷未来デザインのスポーツプロデューサーとして、地域とスポーツを結びつける新たな取り組みを企画・推進している。 千野秀行日本ダンススポーツ連盟 ブレイキン マーケティングパートナー1997年にダブルダッチチームを結成。2002年と2003年には、ニューヨークのアポロシアターで開催された世界選手権で2連覇を達成し、日本ダブルダッチ界の礎を築いた。2005年には日本学生ダブルダッチ連盟を設立し、2006年には「OVER THUMPZ」を結成。以降、ダブルダッチを中心にアーバンスポーツの普及・発展を目的に、イベントプロデュースやパフォーマー育成を精力的に行っている。その後、ストリートカルチャー全般への知識と経験を活かし、日本ダンススポーツ連盟のマーケティングパートナーとして立ち上げ時から活動を開始する。現在では、スポンサーの獲得やメディアリレーションのみならず、競技の普及を目指したコミュニケーション活動を主導する。現在もブレイキン競技やストリートスポーツの認知向上と発展を目指し、多角的な活動を続けている。 日本ダンススポーツ連盟(JDSF)とは公益社団法人日本ダンススポーツ連盟 (Japan DanceSport Federation * 略称JDSF) は、日本におけるダンススポーツの統一組織。ダンススポーツの振興を図り、国民の心身の健全な発達に寄与することを目的としている。ブレイクダンス部はJDSF内のBREAKINGに関するプロジェクトに特化したチームで、主に世界ダンススポーツ連盟 (World DanceSport Federation : 略称WDSF)との連携をはじめとする日本代表選考業務や、JOCとの連携による選手強化業務、スポンサーやメディアとの連携を行うマーケティング業務を中心に活動。 JDSF 第6回全日本ブレイキン選手権オープン・ジュニアの2部門で総勢約200名のBBOY / BGIRLが、日本一の称号をかけて熱いバトルを繰り広げる。日時:2025.2.15(土) - 16(日)会場:NHKホール(東京都渋谷区神南2丁目2−1)共催:NHK■2025年2月15日(土)開場 10:15(予定)競技開始 11:00 (予定)競技終了 20:00 (予定)・ジュニアカテゴリー:プレセレクション~決勝・オープンカテゴリー:プレセレクション~TOP16 ■2025年2月16日(日)開場 10:30(予定)競技開始 11:00 (予定)競技終了 18:00 (予定)・オープンカテゴリー:TOP8~決勝 ■チケット情報・1月中旬より販売開始予定JDSFのInstagramアカウントをご確認ください。
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culture「430を通じて世界中を旅してきた。これからも430と共に新しい世界を見たい。」ストリートアパレルブランド “430(フォーサーティー)”創立メンバー上原洋の今の思い。2024.12.28今やBMXライダーたちにとっては馴染みのあるストリートアパレルブランド「430(フォーサーティー)」だが、1996年に元々5名のプロBMXライダーによって発足し、その一人である上原洋が中心となって始まったブランド。彼らがBMXやそれにまつわる旅などを通じて経験したことをアパレルに落とし込み、機能性の良い素材やその時のテーマに沿ったグラフィックを周りのアーティストと作りあげており、BMXライダーはもちろんのことストリートカルチャーに生きる多くの人に愛されているストリートアパレルブランドだ。 その430の拠点として原宿はキャットストリートに店舗を構えるのが「DECADE TOKYO」。そして今回その「DECADE TOKYO」が15年の歴史を築いた旧店舗から新店舗へ移転。同じキャットストリートエリア内ではあるが新天地でスタートを切るこのタイミングで、創立メンバーである上原洋氏にインタビュー。430を始めたきっかけからブランドの特徴、そして今後430が目指していることや新たな取り組みなど、今の思いをざっくばらんに語っていただいた。 上原洋 (以下: U) BMXをバックボーンに持つストリートアパレルブランド“430(フォーサーティー)”とは DECADE TOKYO 新店舗の様子 この度は新店舗への移転おめでとうございます。改めて430とはどのようなブランドがお聞かせいただけますか? U:ありがとうございます。430は元々5名のプロBMXライダーによって1996年に発足し、その一人である、僕、上原洋が中心となって始まったBMXをバックボーンに持つストリートアパレルブランドです。BMXを通して得た経験や人との繋がりをアパレルに落とし込んで機能性の良い素材やその時のテーマに沿ったグラフィックを周りのアーティストと一緒に作っています。 ちなみに今までのブランドの活動としては、1996年に手刷りで作ったTシャツが始まりで、2001年に本格的にアパレル製作を開始して、そこから毎年、年3回の展示会を行い、今に至っています。展示会以外でもスポットアイテムでVANSとプロモデルを開発したり、ディズニーやNew Eraなど様々なブランドともコラボレーションをしています。 DECADE TOKYO 新店舗の様子 このブランドを立ち上げたきっかけはどんなことでしたか? U:立ち上げたきっかけは本当にかなり昔に遡ります。1996年ぐらいなんですけど、元々ずっと僕は洋服屋で働いていました。当時から今で言うサーフブランドやスケートボードブランドのアパレルっていうのはあったんですけど、僕が生業にしているBMXをバックボーンに持ったようなアパレルブランドはありませんでした。もちろん周りもBMXライダーでブランドをやってる人がいなかったかのでやりたいなと思ったのがきっかけです。 このブランドとして大事にしている理念や考え方はございますか? U:大事にしている理念としては「EVERYTHING IS THE FUEL TO OUR ENERGY (周りのもの、事、全てが僕らの原動力)」というの掲げていて、僕らは皆から力をもらっているので僕らも皆に元気やパワーを与えられるブランドになっていけたら良いなと思っています。 430のアパレルの特徴は何でしょうか? U:やっぱりBMXという自転車をやっていく上で求めてきた実用性や機能性のある素材を用いていて、とにかく自分たちが活動している中で感じてきた「こうだったら良いな」という、ちょっとだけ痒いところに手が届くのようなアパレルで、かつ見た目はシンプルでもストレッチが活きるような動きやすいデザインを意識しています。 DECADE TOKYO 新店舗の様子 色々な有名ブランドとのタイアップもされているとのことですが、どんなコンセプトを元に行っていますか? U:相手先のブランドさんも僕たちにBMXだったり、そういうストリート的な要素をやっぱり期待してコラボレーションしてくるので、そこは綿密な打ち合わせを重ねる中でお互いの良さが生きるようなコラボレーションていうのを常に考えています。 また僕が担当するときは特に、他のコラボレーションにはないような新しい形の色使いや生地感だったり、やっぱり「これ430がやったんだ」ってすぐ分かるようなBMXっぽい匂いがモデルなどでコラボするようには心がけています。 以前VANSとコラボレーションした時は、ちょうどそのけん玉ブームが来た時だったので、けん玉を一緒にセットで販売したりと430とでしかできないようなコンセプトでコラボレーションで今後も行なっていきたいと思っています。 430のアパレルとしてシグネチャーアイテムやおすすめのものがあれば教えてください。 U:ジャケットやパンツだったりは、形からこだわって作っているのでシグネチャーアイテムと言えると思います。特にパンツは裾を踏まないようなデザインで作っていたりとか、足が上がりやすくカッティングしています。ジャケットも高機能素材を使っていて冬用は暖かく、夏用は通気性を重視して蒸れないようにしたりしています。どのアイテムも1つ1つにこだわった機能素材を使ったりしているので、そういうところも注目してもらえたらなと思っています。 ブランドとしてアパレル以外に力を入れて取り組んでいることはありますか? U:430のその他の活動としては、G-SHOCKとイベントを一緒にオーガナイズしたり、各地で行われているBMXイベントにプロライダーとして出演、ストリートスポーツ全般のイベント運営なんかも行っています。 DECADE TOKYO店舗移転にあたって新天地へ 15年ほど拠点を構えていた旧店舗から、今回の新店舗へ移転した理由は何でしょうか? U:「DECADE TOKYO」は、430が約15年前に原宿キャットストリートでオープンさせたヘッドショップですが、建物の老朽化が理由で今回移転することになりました。 ただ旧店舗をオープンする前も、その10年前に僕が上京してきて初めて働いた場所がここキャットストリートだったので、このエリアに特に強い思い入れがあり、移転先に関してもこのエリア内でオープンすることを決めました。新店舗ではBMXだけでなく様々なストリート文化の交わる場所として担って行けたら良いなと思っています。なので横には「HITCH HIKER」という名前のギャラリーも併設しています。 DECADE TOKYO 新店舗の様子 長年ストリートシーンを作り上げてきた親しみ深い旧店舗から新天地へ移る上でどんな思いがありますか? U:長渕剛さんの乾杯という歌の中にも『大きな喜びと少しの寂しさを』という歌詞があるのですがまさにそういう心境です。新天地へ移るワクワクと長年お世話になった場所を離れる寂しさと混じり合った気持ちです。 ただ先日新店舗のレセプションパーティーをさせてもらった時にも、多くの方が立ち寄ってくれたので、お客さんにとっても分かりやすい場所になりましたし、旧店舗よりも洋服屋っぽくなったのでネクストステップという意味でも次に繋げるための新しい一歩になったのかなと思います。 15年ほど拠点を構えていた DECADE TOKYOの旧店舗 また同時にこういう風にBMXをバックボーンに持っているブランドで、ここまでの世界観を出せているブランドは世界的に見てもまだ無いと思っています。だからこそ常にこの業界を背負って、 新しいことをどんどんやっているつもりなんですけど、でもそれが皆に伝わっているかって言ったらまだまだそうではないです。 でも今回こういうキャットストリートで人目がつきやすい場所にポンって店舗を出せたことは大きいので、今後ももっといろんな方に発見してもらったり、気づいてもらえるような活動をしていきたいと思っています。 改めて新店舗の特徴についても聞かせてください。 U:旧店舗と大きく違うのは、入口を入ると2つの部屋に分かれていて、 1つは「HITCH HIKER」というギャラリーで、もう1つが「DECADE TOKYO」としてお店になっていることですね。 「HITCH HIKER」というギャラリーはどのような場所でしょうか? DECADE TOKYO 新店舗の横にあるギャラリー「HITCH HIKER」 U:原宿って週末はもちろんのこと平日もたくさんの人が訪れる場所になっている中で、若いアーティストも多くいるんです。そういう子たちがリーズナブルな値段で使えるギャラリーになったらいいなと思っています。 それは絵を置くことだけじゃなくて、洋服のポップアップやってくれてもいいと思いますし、僕も元々小さな展示会をこの原宿で先輩にやらせてもらったことから、この場所に根付いたところもあるので、当時の僕のようにみんながこの場所を使ってくれたら嬉しいです。 430が目指す今後のストリートシーンとブランドとしてやりたいこと DECADE TOKYO 新店舗の横にあるギャラリー「HITCH HIKER」 今後このブランドを通して成し遂げたいことはございますか? U:この質問は他のメディアを含め、いろんなところで聞かれたりするんですけど、 正直常に今やりたいことをやれていると思います。多分多くの人が、今後原宿とかキャットストリートでブランド持ったり店をやりたいとか思っている中で、ありがたいことに僕たちはそれができちゃってるので、今は430とかこの活動が自体がやりたくてやってるという感じですね。 ストリートカルチャーに対して還元していきたいことや、このシーンにおいてどんな存在になっていきたいかなど想いがございましたらお聞かせください。 U:自分たちがストリートカルチャーの中にある垣根を取りたいというような気持ちはそこまではないです。BMXというバックボーンを持つブランドとしてプライドもあるので。 ただもちろん多くの人が着てくれるアパレルブランドになってくれたら嬉しいですし、やっぱりその気持ちでずっと続けてたら、ダブルダッチやスケートボート、フリースタイルフットボールだったりと若い子が多くいるBMX以外のカルチャーにいる人たちも、すごい応援してくれて気に入って着てくれたりしてるのでありがたいなと感じています。 でもこの430を通して世界中を色々旅することができているので、これからももっともっと行ったことのないたくさんの国に行ってたくさんの人と出会いたいですね。 それにこのお店がたくさんの人が来る場所になれば、もっと新しいことがまた生まれていくんじゃないかなと思いますし、そういう流れの中で自分がやりたい新しいことなんかも見つけられるんじゃないかなと思ってているので、そういう意味では自分はいつもなんか新しいことをやっている流れの中にいる気がしますし、これからもそうなんだろうなと思います。 上原洋プロフィール 元プロBMXライダー。現在はアパレルを中心に、BMX、関連商品を販売する430 co.,Ltd の代表。2021年の東京オリンピック組織委員会でBMXの技術マネージャーを担当。UCI BMX FREESTYLE 国際大会審査員も務める。2010年に原宿キャットストリートに430のヘッドショップであるDECADE TOKYOをオープンさせ、2024年に同じキャットストリートにDECADE TOKYOがリニューアルオープンさせた。
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danceブレイキン日本代表が成都で躍進。ISSINが世界選手権で金メダル獲得! Shigekixは銀メダル! 男子決勝は日本人対決。2024.12.232024年12月20日と21日に、中国 成都市(セイト)にて、「WDSF WORLD BREAKING CHAMPIONSHIPS2024」が開催された。本大会には令和6年度強化選手4名(男女各2名)の日本代表選手が出場。 4名の代表選手は危なげなくDAY2であるTOP16へ 進出し、順調に勝ち星を重ねた。男子決勝は日本人対決となり、見事ISSINが金メダル、Shigekixが銀メダルを獲得した。 女子はメダルには届かなかったものの、一般参加のRIKOが4位を獲得した。本大会はWORLD GAMES 2025への出場権付与大会も兼ねており、ISSIN、Shegekixはメダル獲得と共に、出場権を獲得した。 ISSIN©公益社団法人日本ダンススポーツ連盟 WDSF WORLD BREAKING CHAMPIONSHIPS 成都 大会結果 個人 女子 個人 男子 順位ブレイカーネーム出身都道府県順位ブレイカーネーム出身都道府県Top8 敗退AYUMI(福島あゆみ)京都府銀メダルShigekix(半井重幸)大阪府Top8 敗退AYANE(半井 彩弥)大阪府金メダルISSIN(菱川 一心)岡山県 ISSINの大会後インタビューコメント ISSIN©公益社団法人日本ダンススポーツ連盟 世界選手権での優勝おめでとうございます。今の率直な気持ちを教えてください。 ISSIN:まずは結果に安心してホッとしてます。今年は結果を出せたバトルもあるけど、五輪予選みたいに求めた結果がでなかったこともあったので、今年最後の締めくくりのバトルは「良かった」と言えるような結果が欲しかったんです。このバトルにかけてたので、勝てて嬉しいのと、安心してホッとした気持ちがあります。 パリ五輪への出場が叶わず悔しい思いをしたかと思いますが、そこからどのような準備、メンタリティでこの大会まで過ごしましたか?ISSIN:五輪でれなくて、悔しくて、自分のダンスにも自信がなくなった時期もありましたが、この五輪レースの過程で得たものを、今後のダンス人生にどう生かすか、意識を切り替えてきました。この悔しかった気持ちが、いつか「ああいうことがあったからこそ、今の自分がある」って言える様に、自分を信じて、「おれは大丈夫」って言い聞かせてこの大会までやってきました。 今回の優勝の要因はどんなことでしょうか、予選から決勝まで、特に決勝での流れ、勝利の要因を教えてください。ISSIN:予選からTOP64、TOP32とすごい緊張してました。最初から「このバトルで絶対に優勝したい、負けたくない」って思ってた気持ちが強かったので。いつも「どうにでもなれ」って気持ちの時の自分が、一番心にも余裕を持って良いムーブできて、かませるときが多かったけど。 今回は「どうにでもなれ」って気持ちでは臨みたくなくて、全て勝ち切るってシリアスなモードでやってました。 ただやっぱり自分のスタイルじゃないなって、しっくりこなくて、観ている人からも、「ISSINいつもと違うね」ってネガティブな感じで言われて、このままだと翌日のTOP16以降は良くないって思ったので、その前夜に、色々考えた結果、どうにでもなれって気持ちではなく、「自分なら大丈夫」ってメンタリティに持っていけたので、TOP16から決勝まで集中力は切らさず、自分の持つ120%の力で臨むことができました。 OQSでパリ五輪出場が叶わなかったあと、自身のブレイキンへの取り組みにどのような変化がありましたか?何か変えたもの、新しく取り組んだことがあれば教えてください。ISSIN:OQSに向けて自分の人生で一番、身体を追い込んだりしたし、全てを突っ込んだバトルだったが、それでも出場には届かなかったので、もっと改善が必要だと思いました。省いたほうがいいことや、もっとやった方が良いところに気づいて、効率の良い練習ができる様になって、良い追い込みができる様になりました。 素晴らしい締めくくりでした。2025年に向けての抱負を教えてください。ISSIN:来年に向けての抱負は、全日本選手権2連覇、ダンスアライブ2連覇、BC ONE World Final Tokyo 優勝の3つですが、来年のバトルは全部獲って自分の年にしてやります。 2024年はどのような年でしたか。ISSIN:2024年は、めちゃくちゃ悔しい年でしたが、自分のこれからのダンス人生の中でも一生忘れられない大切な一年になりました。 ブレイキンにとっては大きな変化、年だったかと思います。ブレイキンが今後国内で、そして世界でどのようになっていってほしいと思いますか?ISSIN:もっと沢山の世界中の人にブレイキンを知ってもらいたいと思ってます。まだまだ魅力を伝えきれてないと思いますし、自分のダンスで知ってもらいたいと思っているので、頑張ります。 Shigekix コメント Shigekix©公益社団法人日本ダンススポーツ連盟 まずは普段応援してくださっている皆さんありがとうございます。今回の大会では、自分の中で、コンディショニングが整わなかったり、色々なドラマがあった大会でしたが、最後まで踊り切れたことを誇りと思い、この悔しさを次に繋げていいきます!
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dance来年、9年ぶりに日本へ帰ってくる!世界最高峰ブレイキン1on1頂上決戦「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」が2025年11月9日(日)東京・両国国技館にて開催決定!2024.12.13レッドブルが主催する世界最高レベルの1on1ブレイキンバトル「Red Bull BC One World Final」 が、9年ぶりに日本‧東京で開催決定!世界トップクラスのB-Boy / B-Girlたちが、2025年11月9日(日)に日本文化の聖地である「両国国技館」に集結する。 ブレイキンシーンで20年以上の歴史を誇るレッドブルは、これまで世界30か国以上でイベントやワークショップを通じ、多くの才能あふれるダンサーを輩出してきた。2025年の東京で開催されるワールドファイナルでは、「NOTHING BEATS THE STREETS」(最強はストリートからしか生まれない)をキーメッセージに掲げ、これを体現するさまざまな施策を展開する予定だ。 Suguru Saito / Red Bull Content Pool 2004年に始まり、2010年に東京で初めて開催された「Red Bull BC One World Final」は、2016年の名古屋を経て、2025年に再び東京に戻ってくる。日本での世界決勝は3度目となり、ブレイキン強豪国として日本がこのシーンで果たしてきた重要な役割を改めて示す機会となることだろう。 誰が世界一の称号を手にするのか!? ストリートから生まれたブレイキンカルチャーが、日本の伝統的な相撲の舞台「両国国技館」で 繰り広げられる歴史的瞬間を、ぜひその目で見届けてほしい。 「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」×「ストリートファイター6」特別コラボ 来年東京で開催されるワールドファイナルでは、日本が誇る人気格闘ゲーム「ストリートファイター6 」とのコラボレーションが実現。そして東京開催に向けたキービジュアルおよびムービーが、2024年12月にブラジルのワールドファイナル会場で先行初公開。今後も「ストリートファイター6」との特別企画をはじめ、日本開催ならではの多彩なコンテンツに乞うご期待! ‧キーメッセージ「NOTHING BEATS THE STREETS」(最強はストリートからしか生まれない)──この言葉には、ブレイキンがストリートから生まれたカルチャーであること、レジェンドはストリートに存在していること、そしてヒーローはストリートから誕生するのだという想いが込められている。 Suguru Saito / Red Bull Content Pool ‧キービジュアル&ムービー今回初公開されたキービジュアルは、B-Girl Amiと「ストリートファイター6」のリュウが今にもムーブを繰り出しそうに対峙する日本ならではの特別コラボである。 さらに映像では、レッドブル‧ダンサーのB-Boy ShigekixやLee、B-Girl AmiとNickaが、「ストリートファイター6」のリュウ、ブランカ、ジェイミー、ジュリ、マノンとコラボレーションしている。日本のストリートカルチャーとゲームカルチャーが融合した、唯一無二の映像作品をご覧あれ! 「ストリートファイター6」コラボ映像公開中 View this post on Instagram A post shared by Red Bull Japan🇯🇵 (@redbulljapan) 「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」チケット好評販売中! ブレイキンバトルの熱気を目の前で体感できるステージ最前列のS席の最速先行販売分は早くもソールドアウト!その他のチケットも規定枚数に達し次第、最速先行販売は終了。こ のタイミングが最もお得なチケット料金となるため、早めに購入がオススメだ。なお次の先行販売では、全席種が新たに販売スタートとなる。観戦チケットの詳細は、レッドブル公式サイトをチェック。 開催概要 大会名称: Red Bull BC One World Final Tokyo 2025日程: 2025年11月9日(日) 開演 17:00〜(開場 15:00〜)会場: 両国国技館(東京都墨田区横網1丁目3-28)主催: レッドブル‧ジャパン株式会社オフィシャルグローバルパートナー: Reebok International Limited 料金:<最速先行販売>1F S席 6,000円、1F A席 4,800円、2F A席 3,600円、2F B席 2,400円販売期間: 2024年12月08日(日)07:30〜2025年01月31日(月)23:59 ※規定枚数に達し次第、販売終了。先行販売を開始します。 <先行販売>1F S席 6,750円、1F A席 5,400円、2F A席 4,050円、2F B席 2,700円販売期間: 2025年02月01日(火)12:00〜2025年08月31日(日)23:59 ※規定枚数に達し次第、販売終了。一般販売を開始します。 <一般販売>1F S席 7,500円、1F A席 6,000円、2F A席 4,500円、2F B席 3,000円 販売期間: 2025年09月01日(月)10:00〜 チケット購入は関連リンクから