BMXシーンにて大会MC・解説をはじめ、子ども向けのBMXスクール開催、メディア出演、大会運営ディレクターなど様々な分野で活躍しているプロBMXライダーの米田大輔(ニックネームはダニエル)。彼は今年1月には自転車用プロテクター「Ninja Pads」もリリース。BMXライダーの新たな可能性へ挑戦を続ける彼が持つキッズライダーたちへの熱い想いとセカンドキャリアとして現役BMXライダーたちにいま伝えたいこととは。
BMXフリースタイルで世界に挑戦して得た「かけがえのないもの」

-国内のBMX業界では“ダニエル”の愛称で有名な米田さん。BMXを始めた経緯を聞かせてください。
米田: 小学校低学年の時にテレビで筋肉番付の「スーパーライダー」というバイクトライアルの企画を観て「自転車でこんなことができるんだ!」って衝撃を受けたのがきっかけで、小学生高学年になった時にたまたまトライアル競技用の自転車を売ってるお店を見つけて、両親にその自転車を買ってもらい中学1年生から始めました。
-最初に始めたのはBMXではなかったんですね。
米田: はい。中学生の時はバイクトライアルにのめり込み、この鵠沼スケートパークでもたくさん練習していました。その時に出会った亀ちゃんっていうBMXの先輩ライダーがバックフリップをしているのを見て、「俺も絶対BMXやろう」って思って高校2年生の17歳の時から本格的にBMXを始めたんです。バイクトライアルの経験が役立ち、すごい速いスピードで上達できてBMXを始めてから半年後くらいにはバックフリップもできるようになっていました。
-17歳から本格的にBMXを始めたというのは選手としては比較的遅い年齢ですよね?
米田: 今だったら遅いですけど、当時はキッズライダーが全然いなかったので17歳でも早いか普通くらいでした。
今は4〜5歳から乗ってる子もいますが、僕の時代はこのフリースタイルにおいては12,14,16,18インチの小さなサイズのBMXが全然なくてほとんどが20インチばかりだったので自然と始められる年齢も比較的遅めでした。
-その年齢から始めてどのようにプロになったのか聞かせてください。
米田: 18歳くらいから大会に出始めました。初めて出たBMXの大会では初心者向けのノービスクラスに出場して2位になれました。その次の大会からエキスパートクラスで出るようになり、そのカテゴリーで年間3位もしくは大会で優勝すればプロクラスに上がれる仕組みで、20歳になるかならないかくらいの年齢の時にエキスパートクラスで年間2位になってプロクラスに昇格しました。それからバイクメーカーやDC(靴のブランド)がスポンサーしてくれるようになったのでその時から一応日本のBMX界でのプロとしてキャリアをスタートし始めました。
-そうなんですね。ちなみにプロになって最高成績を出した大会はいつでしたか?
米田: 2010年に韓国であったWorld Leisure Cup Asia Classでの3位ですかね。当時は事実上のアジア大会みたいな立ち位置の大会でした。

-当時、海外に挑戦する日本人選手があまりいない中で世界大会のSimple Sessionにも参戦されていましたよね?
米田: はい。正直本音はX GamesとかDew Tourに出たかったんですよね。でも(X GamesとかDew Tourは)招待選手しか出られない大会なので、自分たちが出られる大会を調べた時にSimple Sessionが世界中からエントリーできる世界大会の一つでエントリー人数も毎回100人超えでスタイルも全く違うライダーたちが集まって競われる大きな大会だったんです。
-Simple Sessionは世界で一番勝つのが難しいと言われる世界大会と聞きました。
米田: 今も現役で日本のトップライダーの高木聖雄選手と僕は一緒に参加したのですが、当時の自分たちが世界に挑戦できるチャンスのある大会がSimple Sessionだけでした。初めて出場した年は約100人中56位で自分の中でもこの世界の56位まで来たんだって実感していましたが、翌年出たら70位台後半、さらにその翌年は90位台となっていった時に世界の壁を感じて精神的にくらっちゃったんです。そこから海外の大会に挑戦するのは辞めました。
-それはとても辛い経験でしたね。
米田: 当時、プロとして成功するには世界で戦うしかなかったので海外に挑戦しましたが厳しい世界でした。でも海外の大会に出たおかげで世界中のたくさんのライダーと友達になれました。よく行ってたアメリカやオーストラリアではどこのパークに行っても必ず誰か友達か知り合いがいるくらいになったんです。
彼らも日本に来るときは僕を頼ってくれますし、今では日本の大会に彼らを招待する時にインスタグラムのメッセージ一つですぐ連絡が取れるくらいの関係性になっています。またオリンピアンを含め今のトップライダーたちはまだ彼らが無名だった時に僕が一緒に乗っていた仲間なんです。
-プロとしては望んだ結果にはならなかったですが、それ以上に大切なものを手に入れたんですね。
米田: はい。あの時もがきながらも海外に挑戦したことで、今では「一生ものの財産」となる人間関係を作ることができました。
自ら見出した「米田”ダニエル”大輔」としてBMX業界での本当の役割

-現在の活動について聞かせてください。
米田: 最近はもう大会には出ていないのですが、その代わりに大会MC・解説や、子ども向けのBMXスクール、メディア出演、また大会運営側でディレクターをしたりとBMXにまつわる様々な仕事をしています。また今年は以前からずっとやりたかったオリジナルのプロテクター「Ninja Pads」を作りリリースしました。
-大会に出るのを辞めてBMXシーンを大きくしていく立場へ回ったきっかけは何でしたか?
米田: 後輩のライダーたちの成長がすごくて、ある時「大会でもう勝てないな」ってふと思っちゃったので潔く大会から身を引きました。もちろん泥臭くトップを目指してチャレンジし続けることも本当にかっこいいです。でも僕自身、メディアやショーに出るパフォーマーの側面もあったりとBMXの魅力は大会だけじゃないと感じていました。
また同時期にBMXフリースタイルが東京オリンピック2020の種目に決まったこともあり、自分が何かできることをよく考えた時に大会MCとか解説ができれば今頑張ってる現役選手たちやBMXの魅力をもっと一人でも多くの人に伝えられるんじゃないかと思い、BMXシーンを支える側に回ることを決めました。
-いろんな転機が重なってポジティブな気持ちで次への新たな挑戦が始まったんですね?
米田: はい。身体的にも大会でライディングし続けることに限界を感じてしまったところもあったんですけど、だからといって「今まで自分がやってきたことは決して無駄にはならない」って思ったんです。自分の経験や知識と培ってきたネットワークで更にこれからの選手たちをサポートすると決めたので、今ではいろんな裏側の仕事やBMXを発信する側として活動しています。

-選手として結果を残すことだけが全てじゃないということですよね。
米田: その通りです。BMX業界一つにしても色々な人間が必要だと思っています。このシーンの第一線で活躍する選手、パークビルダー、BMXスクールの先生、選手のコーチや監督、サポートしてくれるスポンサー、自転車屋やメカニックなど適材適所で全部の力が必要でそのおかげでこの業界が成り立っていると思います。
その中で僕はBMXと他業界を繋げられる人間になりたかった。それは現役の頃から意識していて、BMXと関係ないメディアや広告で使ってもらえるようになった時にBMXと他業界の架け橋となって「BMXライダーってかっこいい!」って思わせたかったんです。
子どもたちは宝物。キッズライダーの夢への挑戦を支える相棒「Ninja Pads」

-米田さんがプロデュースした自転車用プロテクター「Ninja Pads」について詳しく聞かせてください。
米田: BMXは危険なスポーツでもありますが、ストレッチしたり体を鍛えながら乗ること、そしてしっかりプロテクターを着けることでかなり怪我を防ぐことができます。
でも子ども用のプロテクターは日本だけではなく世界中にあまり無くて、サッカーの脛当てでどうにか代用したり全然サイズが合ってないものを着けている子どもたちが多いのが現状でした。
そんな子どもたちの身体を早い段階でしっかり守ってあげられたら彼らもずっと末永く楽しく乗れると思って、子ども用のプロテクターを早く作りたいと思っていた時にとても素敵な出会いがあったんです。
「コミネ」というオートバイのプロテクターを作ってるメーカーの方と繋がれたので「BMX用のプロテクターをオリジナルで作りたいんです」って相談してみたら一言で引き受けてくれました。そこからすごいスピードで話を進めて作ってくれて第一弾としてこの「Ninja Pads」の子ども用プロテクターが実現しました。
–その「Ninja Pads」はどんなところをこだわってプロデュースされたんですか?
米田: 「Ninja Pads」は見た目もおしゃれでかっこよくて、着け心地も最高で、みんなが痛かったところを守れるプロテクターです。特に膝の内側とかくるぶしにパッドをつけて子どもたちのニーズに応えられるようにプロデュースしました。

-確かに着けていてもライディング中にずれたりして守れてないところに限って怪我したりしますよね。
米田: そういった部分も考慮した上でフィット感も大事にしながらスリムに作りました。その理由は既存の子ども用プロテクターはパッドが大きいのでフレームに引っかかりやすく、逆にトリックがやりづらくなってしまうからです。またそれが原因で転んでしまうこともあるので、伸縮性もあって動きやすくその上でしっかり守れるものを意識しました。
-実現できたのは米田さんがスクールでいろんな子どもたちを教えてきた経験があったからですね。
米田: まさにその通りです。僕も子どもたちを教える中で子ども用のプロテクターを見たり、子どもたちや親御さんの意見を聞いたり、自分の今までの経験も含めて「あったらいいな」を全部詰め込んで作れたのがこの「Ninja Pads」です。結果として今ではいろんな子がどんどん着け始めてくれているので本当に作って良かったなって思っています。
-米田さんの子どもたちへの熱い想いがしっかり形になっていると感じます。
米田: 本当に子どもたちは宝物なんです。当時自分たちがBMXを始めた時はキッズライダーはいなかったですし、今の日本のキッズライダーたちは世界で一番レベルが高いくらいです。こういう子どもたちが増えたのはリム(中村輪夢選手)の活躍が大きいと思いますが、世界を目指して始めてくれたからこそ彼らが怪我で辞めちゃうようなことにならないようにしっかり守れるプロテクターを作りたかったんです。
BMXライダーの誰もが好きなスタイルで輝ける世界に

-セカンドキャリアとしていろんなことに挑戦されている米田さんですが今後の目標はありますか?
米田: BMXライダーが現役引退した後にどういう風に生きていけるのかを示す一つの模範になりたいです。
選手の間はみんなに注目してもらえることも多いですが、実際は選手を辞めた後にどういう風に生きていくかの方が大事だと思うんです。せっかく自分たちが大好きなことで今までやってきたからこそ、この好きなことを仕事にして生きていけるようなライダーを増やしていきたい。
選手として人生と命をかけてずっとやってきたのに大会で勝てなかったら「じゃあこれで終わりです。スポンサーももう付きません。」ということで、もう誰にも求められない存在になるのかっていったらそれは違うと思うんです。
-それが米田さんの「選手として培った経験は絶対に無駄にならない」という言葉に繋がっていますね。
米田: はい。もちろん選手たちの世界を目指す姿は本当にみんなの憧れなのでトップを目指して頑張って欲しいです。でもだからといって挫折してしまった選手たちには「大会で勝てないからもうダメだ」って悲観的になって欲しくないんです。表彰台に上がれなくても彼らの挑戦する姿はとても輝いています。
だからこそ大会の結果が全てではないですし、選手の経験を活かしながらBMXを通して自分の得意なことを見つけて極めたらそこで成功できる可能性が絶対ある。
例えばBMXが好きな人は自転車屋を始めても良いし、デザインが好きならBMXのデザイナーになっても良いんです。人前で話すのが好きな人は僕みたいに大会MCになればいいですし、自分の強みを活かせる色々なチャンネルがあるんです。

僕も今まで一度もチャンピオンになったことはないです。でも自分なりのスタイルを魅せていくことでメディアにたくさん求めてもらえる需要がありました。
正直僕まだまだこれからなので、成功するにはもう少し時間がかかるかもしれないですが頑張っていくので注目していて欲しいですし、みんなと一緒に頑張っていきたいと思っています。
-最後に米田さんが思う「BMXフリースタイルの魅力」を教えてください。
米田: BMXはスポーツとしての競技性も大事ですが、カルチャーやファッションといったライフスタイルな側面も全部を兼ね備えた面白いものだと思っています。
もちろん、大会を頑張ってオリンピックを目指す選手もどんどん増えて欲しいです。でも目立つことが大好きだから選手ではなくてパフォーマーになりたいというのもありだと思います。なぜなら自由でどんな人がいても良いのがこのBMXフリースタイルだから。
本当にたくさん色々なチャンネルがあるので今の若い子たちは自分たちのやり方で挑戦して良いと思います。とにかくBMXに乗り続けて、たくさん考えて、たくさん行動したら絶対良いことがあるのでこれからも頑張ってほしいです。そしてBMXには自分たちが輝ける場所が必ずあるということを忘れないで欲しいです。
米田”ダニエル”大輔プロフィール

1989年9月21日生まれ。神奈川県出身のBMXライダー。中学1年生の時に自転車競技バイクトライアルを始め、高校生になり17歳で本格的にBMXフリースタイル・パーク種目へ転向。急速に力をつけ、20歳の頃には国内でプロクラスに昇格。その後国内外数々の大会で入賞を収める。現在は大会MC/解説を中心に、子ども向けのスクールやメディア出演、大会運営サポートなど様々なBMX関連の仕事に携わり、今年から自身のオリジナル商品として自転車用プロテクター「Ninja Pads」の販売も開始した。スポンサーはOAKLEY、NEW ERA 、Jykk Japan、CounterAttraction、株式会社マルイ
SPECIAL EDITION

FINEPLAYはアクションスポーツ・ストリートカルチャーに特化した総合ニュースメディアです。2013年9月より運営を開始し、世界中のサーフィン、ダンス、ウェイクボード、スケートボード、スノーボード、クライミング、パルクール、フリースタイルなどストリート・アクションスポーツを中心としたアスリート・プロダクト・イベント・カルチャー情報を提供しています。
アクションスポーツ・ストリートカルチャーの映像コンテンツやニュースを通して、ストリート・アクションスポーツの魅力を沢山の人へ伝えていきます。
●今日 ○イベント開催日
-
surfMIDAS CAPITAL OMAEZAKI Pro 2025 QS2000/Pro Juniorが静岡県御前崎市ロングビーチで開催!2025.09.152025年9月3日から7日まで、静岡県御前崎市ロングビーチで「MIDAS CAPITAL OMAEZAKI Pro 2025 QS2000/Pro Junior」が開催された。今大会は4回目を迎え、プロジュニア部門も同時開催。来シーズンのCS出場権やWorld Junior代表枠をかけた、選手たちにとって重要な戦いとなった。大会は波のコンディションを考慮し、2日間でプロジュニアが行われ、その後にQSが実施されるスケジュールで進行した。 安室丈 WSL御前崎プロ:shujiizumo 地元の声援に応えた佐藤李が優勝 WSL御前崎プロ:shujiizumo プロジュニアウィメンズのファイナルには、佐藤李、松岡亜音、鈴木莉珠、松野杏利の4名が出場。序盤は松岡亜音が2本のライディングをまとめリードを奪ったが、後半にかけて地元、佐藤李が序盤で決め切れなかった技を修正し、得点へと繋げてトップに浮上した。松野杏利も終盤にリズムを掴み反撃を試みたが、あと一本届かず。見事、佐藤李が地元で栄冠を手にした。 松岡亜音 WSL御前崎プロ:shujiizumo 佐藤李 WSL御前崎プロ:shujiizumo 序盤のリードを守り切り、佐藤利希がプロジュニア初優勝 WSL御前崎プロ:shujiizumo プロジュニアメンズのファイナルには、佐藤利希、渡辺壱孔、岡野漣、Dylan Wilcoxenの4名が進出。佐藤利希は大会を通じて意識してきたスタートダッシュをファイナルでも実行し、1本目で4.00ポイント、続く2本目で5.83ポイントをマークしてトップに立った。中盤には渡辺壱孔と岡野漣も5点台をスコアして追い上げたものの、あと一本が伸びきらず。最後までリードを守り切った佐藤利希が、嬉しいプロジュニア初優勝を手にした。 渡辺壱孔WSL御前崎プロ:shujiizumo 佐藤利希 WSL御前崎プロ:shujiizumo リズムを掴んだ野中美波、2本連続の高得点で優勝 WSL御前崎プロ:shujiizumo ウィメンズQS2000は大会4日目からスタート。Round of 32はサイズのある波の中で行われ、その後のサイズダウンというコンディションの変化にも対応しながらの戦いとなった。ファイナルは野中美波と鈴木莉珠の一騎打ち。鈴木莉珠は左側のバンクを選び、1本目から4.50ポイントをスコア。対する野中美波は正面のバンクを選んだ。インタビューで「試合の前半が大事」と語っていたが、ファイナルでは1本目の波でフィニッシュを決めきれず、前半は苦しい展開が続いた。しかし中盤、待ち続けた野中美波の前にサイズのある綺麗な波が入り、6.67ポイントを獲得。さらに沖に戻るとリズムを掴んだかのように再び同じような波を引き寄せ、6.50ポイントを重ねてトップに浮上した。追いかける立場となった鈴木莉珠は波を待つもチャンスは訪れず、そのまま試合終了。見事、野中美波が優勝を飾った。野中美波は9月末にポルトガルで開催されるCS「EDP ERICEIRA PRO」への出場を予定。来季のCSクオリファイ、そしてCSでのクオーターファイナル以上進出を目標に掲げている。 野中美波 WSL御前崎プロ:shujiizumo 小林桂、圧巻の安定感で2連覇達成 WSL御前崎プロ:shujiizumo メンズは大会2日目の午後からスタート。台風の影響で目まぐるしく変わるコンディションの中、ファイナルはサイズが下がり、さらに風の影響を受ける難しい状況で行われた。対応力が試された今大会、ファイナルに勝ち残ったのは小林桂と安室丈。いずれも国内外で豊富な経験を積んできた2人の対決となった。小林桂は自分のスコアを出せるポジションをすでに見極めており、ファイナルでも迷うことなくそのポジションで波を待機。スタートのホーンと同時に乗った1本目で6.00ポイントをマークした。その勢いを保ちながらライディングを重ね、7本目には6.17ポイント、さらに14本目にはレイバックのワンマニューバーで6.83ポイントをスコア。ガッツポーズを見せるほど手応えのあるライディングで会場を沸かせた。一方、追う立場となった安室丈は1本目で4.60ポイントを出したものの、なかなかスコアを伸ばせる波を掴めず。12本目に4.67ポイントを重ねたが逆転には届かず試合終了。ディフェンディングチャンピオンの小林桂が、見事2連覇を達成した。今年からリージョンを移した小林桂はインタビューで、この後のQS6000田原、そして宮崎と全ての大会にも出場する予定だと語った。 小林桂 WSL御前崎プロ:shujiizumo Pro Junior Women's WSL御前崎プロ:shujiizumo 優勝:佐藤李2位:松岡亜音3位:松野杏利4位:鈴木莉珠 Pro Junior Men's WSL御前崎プロ:shujiizumo 優勝:佐藤利希2位:渡辺壱孔3位:岡野漣4位:Dylan Wilcoxen(INA) Women's QS2000 WSL御前崎プロ:shujiizumo 優勝:野中美波2位:鈴木莉珠3位:池田美来、Hana Bakker Men's QS2000 WSL御前崎プロ:shujiizumo 優勝:小林桂 2位:安室丈3位:金沢呂偉、Raphael Castro(USA) サイドコンテンツではUrban Sports Camp in Omaezakiが開催! USC御前崎:shujiizumo 9月6日(土)サイドコンテンツとして今年で3年目となる「Urban Sports Camp in Omaezaki」が同会場にて開催された。「ストリートカルチャーを世界に」をテーマに掲げ、ダブルダッチ、フリースタイルフットボール、フリースタイルバスケットボールのアスリートで結成されたチーム「F.B.D.」によるショーケース、体験会が行われた。 USC御前崎:shujiizumo 6日は天候に恵まれ青空の下、「F.B.D.」によるスペシャルパフォーマンスが披露された。御前崎市出身のフリースタイルフットボーラーYu-toをはじめ、レッドブルアスリートのYu-ri、フリースタイルバスケットボーラーのRIKU、NESS、プロダブルダッチチームMillennium Collectionからikkyon、ASUKI、KENTOが参加し各カルチャーの若手の精鋭が御前崎を沸かせた。 USC御前崎:shujiizumo パフォーマンスが終わった後はフリースタイルフットボール、フリースタイルバッスケットボール、ダブルダッチの3競技の体験会が開催。来場した家族連れや、サーファーをはじめ、ブースへの出展やイベント関係者たちも含め、老若男女がアーバンスポーツを体験。 USC御前崎:shujiizumo 即興の体験会コンテンツのゲームも行われ、参加者たちは技が成功すると満面の笑みを浮かべ、初めて触れるアーバンスポーツを楽しんだ。体験会が終わると参加者全員にアーバンスポーツキャンプ限定の缶バッジが配られ、子供たちは嬉しそうに受け取った。 MIDAS CAPITAL OMAEZAKI Pro 2025 開催概要 日程2025年9月3日(水)~9月7日(日)会場静岡県御前崎市ロングビーチ主催WSL御前崎プロ実行委員会公認WSL/ASIA(APAC)後援静岡県/御前崎市/御前崎市商工会/御前崎市観光協会協力(公社)日本サーフィン連盟静岡2区支部/御前崎ローカルサーフコミュニティ/(一社)御前崎スマイルプロジェクト競技種目・QS2000 Men’s/Women’s・PRO JUNIOR Men’s/Women’s
-
others日本最大級“入場無料”のアーバンスポーツの祭典 「YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL ’25」が今年も開催決定!2025.09.03今年も、2022年から開催されている「YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL」を来たる2025年11月15日(土)・16日(日)の2日間にて横浜赤レンガ倉庫で開催することが決定した! 本イベントは、アーバンスポーツ競技と、そのスポーツの原点とも言えるストリートカルチャーが一堂に会し、「観る・体験する・楽しむ」要素が満載のスポーツフェスティバルで、昨年度は6.5万人が来場数を記録。 4回目の開催となる今年は、2023年開催時に登場したフリースタイルフットボールが再び加わり、スケートボード、ブレイキン、BMXフラットランド、ダブルダッチ、パルクール、パルオニ、3X3とあわせた全8種目に、国内外で活躍する選手の登場が予定されている。その他、大人から子どもまでアーバンスポーツを気軽にチャレンジできる体験会や、ファッションやアイテムが勢揃いのストリートカルチャーマーケット、そして同時開催される横浜赤レンガ倉庫初のアメリカンフードフェス「ALL AMERICAN FOOD FESTIVAL ’25」など、2日間に収まりきらない盛りだくさんの企画が用意されており過去最大の盛り上がりが見込まれている。 コンテンツラインアップ 【アーバンスポーツ】 スケートボードパークやバーチカルなど様々なスタイルがあるスケートボード。その中でも日本人選手が世界のトップレベルで活躍している、街中にあるような階段やレールなど障害物のあるコースで競うストリート種目を実施。 © Yoshio Yoshida/YUSF ブレイキンダイナミックでアクロバティックなストリート発祥のダンスで「ブレイクダンス」とも呼ばれる。1970年代にアメリカのニューヨークで生まれたヒップホップカルチャーの一つで、80年代にヨーロッパや日本にも広がり世界中へ広まった。ストリートから始まったブレイキンは近年若年層に人気のアーバンスポーツとしても注目を集めている。 © Ayato Nishimura/YUSF BMXフラットランドランプやレールなどの構造物を使用せずに平らなステージでBMXを操る競技で「自転車でまるでダンスをしているかのように巧みに乗りこなす競技」とも言われる。 © Jason Halayko/YUSF ダブルダッチ2本の縄を操り、アクロバットやダンスなどで跳び越え魅せるストリートスポーツ。NYからその文化は拡まり、現在では、世界各地でトップクラスのコンテストが行われており、幅広い年代がプレイしている。高速ステップや、ダイナミックなアクロバット、一糸乱れぬ阿吽の呼吸が見どころ。 © Ayato Nishimura/YUSF パルクール走る・跳ぶ・登るの基本動作に加えて、壁など構造物を活かして飛び移る・飛び降りる・回転して受け身をとるなどダイナミックなアクションが魅力のスポーツ。 © Ayato Nishimura/YUSF パルオニパルオニとは「パルクール鬼ごっこ」のことで、競技の専門性によらない、誰でも行う「あそび」を競技化した究極の鬼ごっこスポーツ。 © Kazuki Murata/YUSF フリースタイルフットボールサッカーのリフティングやドリブルなどの技術を、魅せるパフォーマンスとして昇華させたフリースタイルフットボール。世界で活躍する日本人選手が多く、激アツな対戦に期待大。 © Hikaru Funyu/YUSF 3x3「3x3」とは、国際基準のルールに基づいて行われる、攻守の切り替えの速さ、1対1の駆け引きが魅力の3人制バスケットボール競技。10分1本勝負、または21点先取のKO方式で、ひとときも目が離せないスピード感に要注目。 © Kazuki Murata/YUSF アーバンスポーツ体験会知らないスポーツだからこそ、この機会に「アーバンスポーツ」にチャレンジしてみよう。もしかしたら、楽しすぎてハマっちゃうかも。やって楽しめるのもYUSF ’25ならでは。※実施予定種目は調整中です。 © Yoshio Yoshida/YUSF 【カルチャーマーケット】 アーバンスポーツを「観る・体験する」はもちろん、ファッションやカルチャーを体験できるショップやブースなど、盛りだくさんのラインアップを取り揃える。 © Hikaru Funyu/YUSF© Jason Halayko/YUSF 同時開催イベント 【 ALL AMERICAN FOOD FESTIVAL 】 「ALL AMERICAN FOOD FESTIVAL ’25」は、アメリカを代表するフードが味わえる横浜赤レンガ倉庫の新たなフードイベント。スケートボードやBMX、ブレイキンなど多くのアーバンスポーツの発祥となっているアメリカならではのフード&ドリンクを楽しめるキッチンカーが出店し、迫力満点のアーバンスポーツ観戦とともに、食を通じてこれまで以上にストリートカルチャーを体感できる。 アメリカンカルチャーに染まる2日間、横浜赤レンガ倉庫で、ご家族や友人と“食×スポーツの秋”をお楽しみあれ。 【名 称】 ALL AMERICAN FOOD FESTIVAL ’25(略称 AAFF ’25)【会 期】 2025年11月15日(土)・16日(日) ※雨天決行、荒天時は中止いたします【営業時間】11:00 ~ 20:00(ラストオーダー 19:30)【入場料】無料 ※飲食代は別途【会 場】 横浜赤レンガ倉庫 イベント広場(神奈川県横浜市中区新港1-1)【主 催】 YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL ’25 実行委員会【特設サイト】記事最下部の関連リンクから※全飲食店舗・フードメニューの詳細は後日公開予定です 開催概要 © Ayato Nishimura/YUSF©Yoshio Yoshida/YUSF 開催名称:YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL ’25(略称 YUSF ’25)会場:横浜赤レンガ倉庫イベント広場・赤レンガパーク(神奈川県横浜市中区新港1-1)日程・時間:2025年11月15日(土)・11月16日(日)両日ともに11:00〜20:00(予定)※雨天中止。競技の開始・終了時間は各競技によって異なります。詳細は後日公開いたします。入場料:無料 ※飲食や物販代金は別途必要。一部、有料の体験コンテンツあり。主催:YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL ’25 実行委員会(株式会社横浜赤レンガ / 明治商工株式会社 / 株式会社ローソンエンタテインメント / 株式会社ゼータ)共催:横浜市にぎわいスポーツ文化局協力:一般社団法人ARK LEAGUE / 有限会社OVER THUMPZ / 株式会社IAM / 株式会社トリデンテ /株式会社HANDOFF
-
danceFULLCAST RAISERZ|D.LEAGUE 24-25シーズン最下位転落と上昇の決意2025.08.18D.LEAGUE(※)のチームであるFULLCAST RAISERZ(フルキャストレイザーズ)は、これまでD.LEAGUEのチャンピオンシップ出場の常連チームと言われていた。なかでも2021-22シーズンではレギュラーシーズンで総合首位となり、チャンピオンシップでは準優勝を獲得するなど、初期から強豪チームとして存在感を示していた。しかし、D.LEAGUE 24-25シーズンはチームの歯車が狂い最下位に転落するという前代未聞の結果となった。シーズンを終えて率直な感想と今後の決意についてディレクターのKTRに話を訊いた。 過去最低順位を記録した24-25シーズン - 24-25シーズンもお疲れ様でした。初めて成績が振るわないシーズンを迎えたことになりましたが、率直な感想をお聞かせください。 KTR:一言で言えば「悔しい」シーズンでした。過去最低の14位という結果で、今までチャンピオンシップ常連だったレイザーズとしては、勝利した試合が1勝のみという結果は本当に悔しかったです。シーズン中は練習の雰囲気も苦しい時期があり、「なぜ勝てないんだろう」という迷いもありました。新ルールへの対応がうまくできなかったことがひとつの要因にありますが、その他のことについても、今振り返るともっと改善できたことがあったと感じています。その一方で、この悔しさや苦しさがあったからこそ、支えてくれる人たちの存在の大きさにより気付けたシーズンでもありました。ファンミーティングやイベントでファンの方々と会う機会が多く、彼らが常に「レイザーズが勝っているよ!」と信じ、声をかけ続けてくれたことは、決して当たり前ではないと改めて感じました。スポンサー様やスタッフの方々の支えも含め、「経験は宝」という言葉を強く実感したシーズンになりました。 D.LEAGUE 24-25 最終ラウンド ディレクターとしての2年間と覚醒 - ディレクターに就任されて2年が経ちました。以前、前ディレクターのJUNさん以上の成績を残したいとおっしゃっていましたが、ディレクターとしての葛藤はどのようなものがありましたか? KTR:正直なところ、就任当初の1年目はプレッシャーを感じる余裕すらなかったです。何がディレクターの仕事なのかも分からず、とにかく目の前のことを日々乗り越えることに精一杯でした。2年目でようやく仕事の内容や役割が分かり始めましたが、今振り返ると、当時の僕の意識は未熟だったと感じます。今の方がはるかに責任感を強く感じています。この責任感が生まれ始めたのは、24-25シーズンの後半戦でした。チームの雰囲気が悪く、メンバー間で衝突があった時、「この環境を作っているのは自分だ」と強く感じたんです。メンバーの衝突すらディレクターの責任だと。その時、「俺は何をやっているんだろう」と自問自答し、メンバーに心を開いて自分の想いを伝えました。「優しく接することが、もしかしたら皆にとっては甘えになって、仕事ではなく仲間内の感覚になっていたかもしれない。本来のDリーガーとしての練習の質や環境はこれで良いのか?」と。その辺りから練習内容を細かく変え、メンバーもより一層前向きに取り組んでくれるようになりました。その時に初めて、ディレクターの重要性を痛感しましたね。 JUNさんが築き上げてきたレイザーズの凄さを、より深く理解できるようにもなりました。JUNさんのチーム作りや、先頭に立ってチームを引っ張る強い意思は、今の自分に足りないものだと感じました。レイザーズのブランディングにおいても、JUNさんのやり方は間違っていなかった。JUNさんのやり方やチームブランディングを、僕なりにシフトしていこうと考えましたが、今は自分の軸はブレずに、改めてJUNさんが築き上げてきたスタイルの強みを活かし超えていく事が重要と考えています。ディレクターの仕事は、チームプロデュースも担当します。メンバーを頼る部分もあれば、スタッフとの話を全てメンバーに伝えるわけでもない。メンバーの意見を聞きすぎると迷いが生じることもあり、一人で抱え込むことが多かったです。プレイヤーとしても活動しているので、思考が追いつかない時もあり、正直投げ出したくなることも多々ありました。ただ、そんな中でディレクターとしてどう進むべきか、新たな気づきを得られたことは間違いありません。 課題と改善点|次シーズンへのコミット ― D.LEAGUE25-26シーズンに向けて具体的な課題感や改善点についてはいかがでしょうか? KTR:一番の課題は、チーム全員が「一つのことに意思を向ける」ということです。これはディレクターが背中で示していかなければならない部分であり、勝利だけでなく、D.LEAGUE全体を盛り上げるという意識も重要です。24-25シーズンは勝てなかった理由としてルール変更に僕たちが最後まで対応できなかったと感じていますが、最も大きな理由はD.LEAGUEにコミットしきれていなかったことだと考えます。KRUMPという自分たちの表現したいものを追求しすぎて、D.LEAGUEのルールや駆け引きに対応しきれていなかったと感じました。例えば、KRUMPの比率を80%ではなく60%に抑え、新たな要素を取り入れてバランスを取るべきでした。試合ごとの作品テーマや戦略も、今思えばもっと工夫できたはずです。 僕たちが表現したいものはステージ上でお見せできたと思いますが、それが“勝つため”に120%活かされていたかと言われると、そうではありませんでした。「自分たちがKRUMPを通じて認められたい」という意地やプライド、迷いがあったように感じています。メンバーのマインドについては、勝ちへの貪欲さは皆持っていたと思いますが、D.LEAGUEにかける熱量のバランスが異なっていたメンバーもいたと感じています。全員が最高の熱量を持っていれば相乗効果が生まれ、「あいつが頑張っているから俺も負けてられない」という意識が生まれます。チーム結成から5年が経ち、その意識がなあなあになってしまっていた部分もあったと感じています。ただその原因は、ディレクターである僕がしっかり示せていなかったことにあると猛省しています。例えば、レイザーズのYouTubeチャンネルでは現在新メンバーオーディションの様子を配信しているのですが、元メンバーであり、オーディションに参加しているTAICHI(Tiny Twiggz)から「正直生ぬるいメンバーもいるように思う。俺は全員本気のメンバーとやりたい。」という言葉を言われて自分の中でも深く考えたんですよね。練習の質や時間の使い方にも問題があったし、今後の具体的な改善点は明確にわかっています。 オーディションの様子 Dリーガーとしての5年間|困難を乗り越える原動力 ― ご自身はDリーガー以外にもアーティスト活動など様々な領域で活動をされ、ダンサーとしてのライフワークバランスも難しいと感じますがDリーガーを続けていられる理由は何だと思いますか? KTR:難しい質問ですね‥。なぜ続けられるかというと、シンプルに「ダンスが好きだから」だと思います。もちろん辛いと思うことはありますが、本当に辞めたいと思ったことは一度もありません。正直、休みたいと思うことはあっても“この環境が当たり前ではない”と常に感じているから、Dリーガーを辞めるという選択肢はこの5年間僕の中では生まれませんでした。とはいえ、自分の人生の5年間をD.LEAGUEに捧げ、24時間をコミットするというのは、簡単なことではありません。それでも僕が続けてこれたのは、まず「TWIGGZ FAM」という昔からの仲間がいる母体があり、KRUMPというジャンルに根ざしているからだと思います。JUNさんに誘われてD.LEAGUEに入ってからも、ずっと一緒に切磋琢磨してきたメンバーがいるからこそ、環境的に居心地が良いというのはあります。 D.LEAGUE開幕当初は勢いしかなかったように感じます。「何だか凄いことが始まった」「このまま D.LEAGUEは盛り上がる」と、シーンのことや自分がダンスで表現することに必死で、スポンサー様からの支援の重要性をあまり考えて来れなかったように思います。しかし、5年が経ち、その「当たり前ではない」という感覚は常に僕の頭にあります。僕自身も活動を通じて、影響が広がっていることを実感することもあります。昨日も僕の地元の愛媛で「KTRさん!」と声をかけてくれる子どもたちがいました。「Dリーガーになりたい」という声を聞くと、それが大きな原動力になります。だからこそ、メンバーの年俸も上げたいし、僕たちが輝いている姿を見せたい。子どもたちがDリーガーになりたいと言ってくれることが、僕の1番のモチベーションです。今は自分たちの意地やプライドを捨てて、“D.LEAGUEで勝つ”ということを最大の優先度にしコミットする決意があります。 初単独パフォーマンスイベント「REAWAKE」に込められた想い ― レイザーズとして初単独パフォーマンスライブが8/27に控えていると思いますが、開催目的について教えていただけますか? KTR:今回のイベントのテーマが「REAWAKE」なのですが、これは「目覚める」「再生する」「覚醒する」という意味合いが込められています。この苦しいシーズンを経て、僕たちが新たな形で目覚めるという思いもありますし、正直「14位は夢だった」という気持ちも乗っています。「俺らがそんなはずないだろう」という良い意味での強気な面も表現していきたいと思っています。 ― 今回のワンマンライブは、次のシーズンに向けて覚醒していくレイザーズの姿を見ることができるということですね。 KTR:そうですね。また、D.LEAGUEのステージではお見せ出来ないパフォーマンスも多く出していきたいと考えています。これまでレイザーズはD.LEAGUEのステージのみでパフォーマンスをし世界観を表現してきました。ファンミーティングを実施したことはありますが、それはどちらかと言うとダンスよりもトークがメインのファンとのコミュニケーションの場でした。今月に開催する初開催のワンマンイベントでは、D.LEAGUEのルール内では表現できなかったレイザーズの魅力を全力で出せる場所を作りたいし、それをファンの方を中心に届けたいという想いから企画した背景があります。また、これまでD.LEAGUEの会場には来たことがないけど、ダンスカルチャーが好きな方にも気軽に遊びに来れる場所も作りたかったです。僕たちは主にKRUMPにリスペクトをしているチームなのですが、その本来のKRUMPカルチャーの魅力も伝えられるイベントにもしたいと思っています。 ― 今回のイベントではD.LEAGUEで披露されたネタがベースになるとのことですが、具体的にどのような見どころがありますか? KTR:新たなKRUMPの魅せ方にもチャレンジしたショーケースを準備しています。これは僕たちにとってとても意義深い挑戦なのですが、それも全て僕たちの表現の幅を広げて、より多くの方々に届いて欲しいという想いから生まれました。それに加えて、僕たちがD.LEAGUEで闘い抜いてきたパフォーマンスを身近で体感いただけることや、レイザーズにゆかりのあるゲストパフォーマーの方々の出演も予定しています。あとは、普段見ることのできないメンバーそれぞれのソロパフォーマンスやコラボレーションや、現在行われている新メンバーオーディションの最終結果発表もイベントの中で行われます。レイザーズのファンの方はもちろん、そうではない方もきっと楽しんでいただけると思います。 -「KRUMP」と聞くと攻撃的な激しいイメージが先行しますが、今回のライブではまた違った側面のKRUMPを見ることができるのでしょうか? KTR:はい、そうですね。レイザーズは、KRUMPをいかに現代に消化するかを常に追求しています。本来KRUMPはバトル文化でありショーケースという文化はあまり浸透していませんでした。それをいかに一般の方にも伝えるかを積み重ねて、今の群舞でのD.LEAGUEのショーになっていると思います。僕たちは、KRUMPというものを現代の方々にどれだけ伝えられるかを深く考えています。KRUMPの可能性を今まで示してきたからこそ、今のショーの質が上がっていると思うんです。そういった一作品一作品が見られるところが見どころだと思いますし、レイザーズの魅力はそこにあります。自分たちが信じてきたKRUMPというものを消化し続け、ひとつ一つ最高の作品を作っているという自信があります。 ― 確かにそうですね。KRUMPで10人以上の群舞かつシンクロを交えたショーが見られるのはかなり珍しいのではないでしょうか? KTR:そうですね。レイザーズのような規模とスキルでパフォーマンスできるチームは、世界初なのではないかと思います。海外でも同じようなパフォーマンスはありますが、ショーの質が違うと思います。KRUMPのショーは日本が最強だと自負しています。そもそも日本人は群舞でのショーケースが強いことで知られていますよね。それはスキルも当然ですが、日本人としての繊細で真面目かつ協調性のある気質が大きく影響していると思います。そう言った意味でも僕たちならではのオリジナリティのあるショーケースをぜひ観にきて欲しいですね。 ― 最後に、読者の方やファンの皆様へメッセージをお願いします。 KTR:24-25シーズンは、レイザーズにとって過去最低の順位となり、悔しい結果に終わりました。ただ、この苦しい経験があったからこそ、僕たちは多くのことに気がつき、成長することができました。特に、ファンの皆様、スポンサーの皆様、そしてスタッフの皆様の支えがどれほど大きいものか、改めて痛感したシーズンでもあります。こんなに負けが続いても、僕たち以上に熱心な言葉をかけ続けてくれました。皆様の応援が、決して当たり前ではないことを胸に刻んでいます。初の単独イベント「REAWAKE」は、このライブを通じて、僕たちがこの苦しいシーズンを乗り越え、D.LEAGUEで「こんなもんじゃないぞ!」という姿を見せるための覚醒の瞬間を、ぜひ観にきていただきたいです。D.LEAGUEの舞台ではもちろん、レイザーズの単独イベントでも、KRUMPの新たな可能性を追求し、最高のパフォーマンスをお届けできるよう、チーム一丸となってこれからも邁進していきます。今後も、子どもたちがDリーガーになりたいと夢を抱いてくれるような、輝く存在であり続けるために、僕たちはD.LEAGUEに全力でコミットしていきます。レイザーズの挑戦はまだまだ続きますので、ここから更にギアを入れて加速する僕たちに期待をして欲しいです。それと、新たな挑戦でもあるワンマンで、気軽に声をかけていただけると嬉しいですね。レイザーズ全員で心よりお待ちしています! ※1)D.LEAGUE(ディーリーグ)株式会社Dリーグが運営する、日本発・世界初のプロダンスリーグ。2020年に設立され翌2021年に第1シーズンを開幕。ダンスをスポーツ競技とエンターテインメントとして融合させ、有名企業がスポンサーとなるチームが全12ラウンドのレギュラーシーズンを戦い、上位6チームがチャンピオンシップ(決勝トーナメント)へ進出して日本一を決定する。ファンによる投票も勝敗に影響する、新しい観戦体験を持ち味としている。 ◼︎KTRプロフィール日本の伝説的KRUMP CREWを継承すべく再始動した新生「RAG POUND」に所属し、Dリーガーとアーティスト活動を兼任する。また、世界最大級のKRUMP FAMILY「Twiggz Fam」の一員でもあり、日本KRUMP界を牽引する次世代の先駆者として、KRUMP界だけではなく多方面から支持を集めている。細やかでクリアな動きとキレのあるスキルフルなパフォーマンスを武器に、様々なコンテストやバトルに出場しては好成績を残し、国内に留まらず海外からの評価も高い。止めどなく繰り広げられる正確で丁寧なコンボやマテリアルに加え、抜群なリズミカリティーと無駄のない動きは圧巻で、見る者を釘づけにする世界レベルのパフォーマンスから、日本No.1 KRUMPERとの呼び声も高い。また、ダンスのみならず、その引き締まった体格とビジュアルを活かし、モデルや舞台役者としても活躍中で、東方神起などを筆頭にアーティストの振付なども担当する。FULLCAST RAISERZのディレクターとして、チームを勝利へ導く。 ◼︎1ST PERFORMANCE LIVE 開催概要開催日時:2025.08.27.Wed OPEN 18:00 / START 19:00会場:WWW X (東京都渋谷区宇田川町13−17 シネマライズビル B1F)チケット情報:*ページ下部の関連リンクよりご確認ください
-
danceHarutoとCocoaが初優勝「Red Bull BC One Cypher Japan 2025」日本開催のWorld Final出場を懸けた戦いへ2025.08.17世界への切符を懸けた、日本最高峰の1on1ブレイキンバトル 2025年8月16日(土)、横浜・大さん橋ホールで、日本一を決める1on1ブレイキンバトル「Red Bull BC One Cypher Japan 2025」が開催された。 優勝したB-Boy、B-Girl各1名は、11月7日(金)に東京・両国国技館で行われる「Red Bull BC One Last Chance Cypher 2025」に出場。ここで勝ち上がった者だけが、世界中から選ばれたわずか16人の舞台「Red Bull BC One World Final Tokyo 2025」への切符を手にすることができる。 「Red Bull BC One」は、今年で22回目を迎える世界最高峰の1on1ブレイキンバトル。20年以上の歴史と伝統を誇り、世界30カ国以上で予選やプログラムが行われ、数多くの才能あるダンサーを輩出してきた。毎年、何千人もの挑戦者の中から、選ばれしB-Boy・B-Girl各16名のみがWorld Finalのステージに立つことを許される。 今年はその世界決戦の地が日本。今回の日本最終予選も、例年以上に国内外から注目が集まり、史上最高レベルの戦いとなった。 Takayoshi Shimoda / Red Bull Content Pool 歴代王者と若手精鋭が集結、豪華すぎるラインナップ 3月から行われた地方予選・学生予選には約990名がエントリー。勝ち抜いたB-Boy7名、B-Girl7名に加え、日本と世界のブレイキンシーンを代表する招待ダンサーが集結した。 B-Boy Taisukeは、世界的クルー「Red Bull BC One All Stars」の初代メンバーとして長年世界の最前線を牽引してきた存在。B-Boy TSUKKIは、国内外の大会で活躍する次世代のホープとして注目を集める。B-Boy NORIは、「Red Bull BC One Cypher Japan」で通算6回の優勝を誇るベテランであり、その実力は折り紙付きだ。 B-Girl YASMINは、2023年日本予選を制し、昨年のWorld Finalでは日本勢トップのベスト8入りを果たした。B-Boy NICOLASも同じく2023年日本予選優勝者、B-Boy Harutoは昨年準優勝の実力者だ。さらに、B-Boy AisatsuとB-Boy Steezyskeeは、独自のスタイルで観客を魅了する若手ダンサーとして存在感を放つ。 ジャッジには、韓国のレジェンドB-Boy Hong10、米国のB-Girl BETA、タイのB-Boy CHENOといった世界的ダンサーが名を連ねる。さらにゲストライブには、日本を代表するヒップホップグループRHYMESTERが登場し、会場の熱気を最高潮に引き上げた。 B-Boy Hong10のジャッジムーブ Jason Halayko / Red Bull Content Pool 新時代の幕開け。王者を倒し、ニューフェイスが切符を掴む 今回のB-Boyサイドは、ただ勝敗を決めるだけでなく、世代や関係性が交錯するストーリー性に満ちたバトルが続いた。 レジェンド・Taisukeは、自身のレッスンにも通った経験を持つ教え子のGEN ROCと対戦。約9年ぶりにCypher Japanへ復活を遂げた偉大な存在に対し、GEN ROCは完璧なムーブを披露し、3-0の完全勝利。敗れたTaisukeにも、会場からは割れんばかりの拍手と声援が送られた。 同じ九州をレペゼンする若手、SO-TAとAisatsuはTOP8で激突。近年、日本ブレイキンシーンで存在感を増している九州勢同士の注目カードは、Aisatsuが制し、次世代の台頭を印象づけた。 決勝カードは、奇しくも昨年と同じ顔合わせ。日本最終予選で通算6回の優勝を誇るNORIと、昨年決勝で敗れ涙を呑んだHarutoのリマッチとなった。世代が交差する対決は、1ムーブ目からNORIが会場を大きく沸かせ、空気を掌握したかに見えた。しかしHarutoは最後まで揺るがぬパフォーマンスを続け、最年長ながら一切衰えを見せないNORIを撃破。幾度となく挑み続けてきた舞台で、ついに悲願の初優勝を飾った。 FinalでのHaruto Jason Halayko / Red Bull Content Pool 一方のB-Girlサイドは、まさに世代交代を象徴するようなトーナメントとなった。YuikaがベテランのERi FeNeSiSを初戦で破り、さらにSHIE-CHANも2回戦でHIYOに敗れるなど、長らくシーンをけん引してきた実力者たちが次々と姿を消した。フレッシュな勢いがトーナメントを席巻した。 決勝は、Cypher Japan優勝やWorld Final出場経験を持つ実績十分のYASMINと、この数年で日本選手権やアジア選手権を経て頭角を現したCocoaが対戦。貫禄あるYASMINに真っ向から挑んだCocoaが勝ち切り、初優勝を果たした。 B-Boy、B-Girlともに、過去に優勝や世界挑戦を経験した実力者が次々と敗れ、新たな挑戦者が切符を手にした今年のCypher Japan。Red Bull BC One Japanの歴史に、新たなページが刻まれた瞬間だった。世界を相手に挑むニューフェイスたちが、どんな戦いを見せるのか。期待は高まるばかりだ。 Jason Halayko / Red Bull Content Pool Harutoコメント「思い入れのある相手とのバトルが多かったです」 Jason Halayko / Red Bull Content Pool 今日の感想を教えてください決勝の相手が去年と同じNORIさんで、去年は負けて本当に悔しくて、そこからめちゃくちゃ練習してきました。ただ今日の決勝では、正直自分を出し切りきれなかった部分もあって、最後の詰めの甘さが課題だと気づけたのは良かったです。 勝てた要因はなんだと思いますか?今日は僕にとって思い入れのある相手とのバトルが多かったです。NICOLASさんは初めてBC Oneに出た時に負けた相手で、TSUKKIは昔からライバルとして戦ってきた存在。思い入れのある相手が多かったからこそ感情が入って、それがうまくダンスにつながったのが勝因だと思います。 ラストチャンスサイファーの意気込みは?個人的な弱点で、決勝になると出し切れなかったり、尻下がりになってしまうことが多いので、ムーブの追い込み練習をして、最後まで諦めずに詰め切れるようにしたいです。ワールドファイナルは、ダンスを始めてからずっと目指してきた「夢の舞台」。師匠のKAZUKIさん、同じチームメイトのISSIN、同じ地元のHIRO10などが先に経験していて、自分もいつか立ちたいと思っていた場所です。今回挑戦するチャンスが巡ってきたので、日本代表として胸を張って戦い抜けるように、さらに準備を重ねていきます。 Cocoaコメント「日本代表として胸を張って、精一杯戦いたい」 Jason Halayko / Red Bull Content Pool 今日の感想を教えてください今日までサポートしてくださった方々のおかげで、最後までベストコンディションで踊ることができました。嬉しい気持ちもありますが、それ以上に感謝の気持ちが強いです。 勝てた要因はなんだと思いますか?日本最終予選という大きな舞台で、正直かなり緊張しました。ですが、落ち着いてこれまでのことや応援してくれた人たちの言葉を思い出し、目の前のバトルに集中できたことが勝因だと思います。 ラストチャンスサイファーの意気込みは?これまで先輩方が築いてきた「日本は強い」という評判を崩さないよう、日本を背負う気持ちで挑戦したいです。ワールドファイナルは、ブレイキンを始めた頃は夢のまた夢でしたが、今日その舞台に挑戦するチャンスを得られました。日本代表として胸を張って、自分をもっと表現し、精一杯戦いたいです。 両国国技館へ、世界の舞台への挑戦 国内予選を勝ち抜いた代表は、11月7日のLast Chance Cypher(世界最終予選)に挑む。ここを突破すれば、同9日、両国国技館でのWorld Finalで世界16人の舞台に立つことになる。今年のWorld Finalには、B-Girl AYUのほか、Red BullダンサーのShigekixとIssinが招待ダンサーとして出場を決めており、日本勢の活躍に期待が高まっている。Cypher Japanで生まれた新たな挑戦者たちが、磨き上げたスタイルで世界にどう挑むのか。その瞬間は、まもなく訪れる。 The Moments Of「Red Bull BC One Cypher Japan 2025」 Takayoshi Shimoda / Red Bull Content Pool Takayoshi Shimoda / Red Bull Content Pool Jason Halayko / Red Bull Content Pool Jason Halayko / Red Bull Content Pool Jason Halayko / Red Bull Content Pool Jason Halayko / Red Bull Content Pool Jason Halayko / Red Bull Content Pool
-
danceRed Bull BC Oneとともに歩んだダンサー人生。初代王者 B-Boy Taisuke が九州を背負い、9年ぶりに挑む舞台。2025.08.142025年、日本のブレイキンシーンにとって特別な夏がやってくる。世界最高峰の1on1ブレイキンバトル「Red Bull BC One World Final」が、11月9日(日)に東京・両国国技館で開催される。その舞台の最終予選「Red Bull BC One Last Chance Cypher」への挑戦権を懸け、日本代表を決定する「Red Bull BC One Cypher Japan 2025」が、8月16日(土)、横浜・大さん橋ホールで行われる。3月から行われた地方予選・学生予選には約990名がエントリー。勝ち抜いたB-Boy 7名/B-Girl 7名に加え、招待選手たちが日本代表の座を懸けて激突する。ジャッジには韓国のレジェンドB-Boy Hong10、米国のB-Girl BETA、タイのB-Boy CHENOが名を連ね、ゲストライブにはRHYMESTERが登場し、会場の熱気を一層高める。その舞台に、2007年の初代ジャパンサイファー王者であり、日本ブレイキンシーンのパイオニアのひとり、B-Boy Taisukeが約9年ぶりに立つ。彼にとってBC Oneとは何なのか。なぜ今、このタイミングで挑戦するのか。そして、拠点を九州に移した彼が見据える未来とは。 「九州をレペゼンしてもう一度。自分が動くことで道を拓きたい」 Little Shao / Red Bull Content Pool 最近の活動について教えてください。 Taisuke(以下 T):活動自体は大きく変わっていません。地方や海外でのイベントオーガナイズやワークショップを続けています。ただ、国内のワークショップは減らしました。若い子たちがしっかりやってくれているので、自分は別の役割を果たすべきだと感じています。 その“別の役割”とは? T:九州のダンスシーンを再構築することです。九州は、その土地に根ざしていないと本当の意味でシーンを動かせない場所。これまでシーンを支えてきたレジェンドたちが少しずつ表舞台から離れていく中、「Taisuke、九州をもう一度盛り上げてくれ」という声も届いていました。だからこそ、かつての勢いを取り戻すために戻ってきたんです。以前は、多くの才能が地元を離れて東京や大阪へ向かっていましたが、最近は「九州にいながら世界を目指す」という意識を持つ若手も増えてきた。そんな彼らを支え、後押しする存在になりたいと思っています。 九州のダンスシーンの特徴は? T:「踊れるB-Boy」文化ですね。簡単に言えば、オールドスクール全般、どのジャンルでも踊れなければならないという考え方。ブレイキンだけでなく、ロックやハウス、ソウルなどもできて当たり前という価値観が根付いています。自分も若い頃にロックをやっていましたし、先輩たちからも「技だけじゃなく踊れなければ意味がない」と言われてきました。曲がかかれば、そのジャンルに合わせて自然に踊る。それが当たり前の環境で育まれたのが、九州ならではのスタイルです。 なぜそこまで九州にこだわるのですか? T:昔の九州は、完全に“殴り込み”文化でした。東京や大阪に乗り込むと、向こうも構えて迎え撃ってくる。九州の名前を背負って遠征し、勝てばその名を刻んで帰ってくる。そんな熱気と誇りがありました。九州から来るB-Boyは強い、と誰もが思っていた時代です。ところが今は、多くの実力者が地元を離れ、東京や大阪に拠点を移してしまった。だからこそ、もう一度「九州にいても戦える」環境を整えたい。そして、外に出た人も戻って来られる場所を作りたいんです。 注目しているクルーやダンサーは? T:nine states b-boyz です。地元・長崎の後輩もいて、ブレイキンも踊りもできる若手が揃っています。昔の九州らしさを持っているチームです。 Red Bull BC One Kick off Jam Tokyo 2025 Little Shao / Red Bull Content Pool 「BC Oneは、俺自身」―Red Bull BC One All Stars初期メンバーが見てきた“技の時代”から“アイデアの時代”への変化 TaisukeさんにとってBC Oneとは? T:自分自身です。2007年に東京へ拠点を移し、まさに“第二の人生”がスタートしました。その年に初めて開催されたBC One Cypher Japanで初代王者となり、そこからワールドファイナルにも出場。南アフリカや翌年のフランス大会で準優勝を経験し、その後もBC Oneとともに世界を回るようになりました。海外で戦うようになった今の自分を形づくったのは、間違いなくBC Oneの存在です。 Red Bull BC One 2014 World Final - Paris, France Nika Kramer / Red Bull Content Pool BC Oneはどう変わったと思いますか? T:昔はブレイキンを知らない人には届かないイベントでした。でも今は違います。著作権フリー音源の採用、メディアデー(メディア向けの取材日)の導入、ライブ配信の強化などで、ブレイキンを知らない層にも届く大会になりました。世の中の人がBC Oneを知り、ダンサーの背景まで触れられるようになった。ダンサー選考も大きく変わりました。昔は「予選では勝てないけど、この人が出たら面白い」というキャラクター枠もあった。でも今は“勝てるやつしか出られない”厳しい基準になっていると思います。全員が優勝候補であり、特に若い世代を積極的に出す流れが強まっている傾向があります。 Red Bull BC One All Starsの立ち位置は? T:初期メンバーは今年で15周年。それぞれ自分の立場でできることを続けてますね。今は正直、レジェンドが本気で戦う場って減ってきてるんですけど、2024年にやった「Red Bull Lords Of The Floor」は本当に大事な場だったと思います。普段はジャッジとして動いてる世代が、現役のときみたいにフロアに立ってバトルする。その姿って、やっぱりすごく価値があると思うんですよ。レジェンドが勝ち上がるのはもちろんすごいけど、逆に若手がそこで倒して「次の世代は俺たちだ」って証明するのもめちゃくちゃ意味がある。同じフロアでそういう世代が交差するのは、俺的にはすごく面白いし、いいなあって思いましたね。 Red Bull BC One All Stars 2010 Salzburg, Austria Martin Nink / Red Bull Content Pool 求められるスキルも変わりましたか? T:2000年代後半〜2010年代初頭は、基礎能力とオリジナリティが評価される時代でした。その後、構成力・発想力・体力を総合的に備えた者が勝つ時代へ。今は「オリジナリティの時代」から「アイデアの時代」に移ったと感じます。昔は一つ一つの技のクオリティまで厳しく見られていましたが、今はある程度長い構成(ロングムーブ)を踊り切ることが必須。その中で体力、パワー、発想力が問われます。典型的なアスリート型の強さに、芸術家的な(アーティストのような)表現力が加わった者、その両方を兼ね備えていないと勝てない時代です。もはや“一発の大技”だけで勝負できる時代ではありません。 そうなった背景は? T:2010年代までに、ほぼすべての技が出尽くしたからだと思います。オンリーワンだった動きが、今では世界中で何十人もできる。だからこそ、今は発想力で差をつけるしかない。オリジナリティの時代からアイデアの時代への転換ですね。 これからのBC Oneはどうなっていくと思いますか? T:どうなるんでしょうね。将来どうなるかは分からないけれど、自分としてはクオリティはやはり不可欠だと思っています。もっと見せ方のバリエーションが増え、個性と完成度の両方を持つダンサーが評価される流れがまた来てほしいですね。 Red Bull BC One Camp India 2019 Little Shao / Red Bull Content Pool 「Cypher Japanで勝った者こそ、本当の日本代表」 今回の出場の経緯は? T:2月か3月頃にワイルドカード(招待枠)で出てほしいと声をかけられました。九州を変えたいと言っている以上、自分が結果を残さないと説得力がない。だから九州を背負って戦おうと決めました。最初は、いきなりワールドファイナル(の招待枠)を狙うつもりでしたが、年齢的にも無理だよなあと思っていて(笑)、まずはジャパンファイナルからとなりました。今年はワールドファイナルが日本開催という特別な年でもあり、「出るべきタイミングだ」と背中を押された部分もあります。このタイミングでBC Oneにプレイヤーとして戻ることで、また何か“置いてこれるもの”があると思っています。 今回の日本予選の難易度は? T:正直、ワールドファイナルやラストチャンスサイファーよりも、サイファージャパンを勝ち抜く方が難しいと思っています。B-BoyもB-Girlも全員が強く、誰が勝ってもおかしくない。ワイルドカードで選ばれるよりも、この舞台を制する方がはるかに厳しい。本当の意味での日本代表は、このサイファージャパンを勝ち抜いた人間だと思います。そして、ジャッジや解説として関わってきた中でも、年々レベルが上がっているのを肌で感じています。B-BoyだけでなくB-Girlの層も厚く、トップ16に残ること自体が至難の業。逆に言えば、日本予選を通らずにワールドへ行けるのは「本当にラッキーなこと」だと思うくらいです。それだけ注目度も高く、今のサイファージャパンは、日本中が“この人こそ日本代表だ”と思える選手を決める舞台になっています。 戦いたい相手は? T:正直特にないですけど、強いて言うならNicolasですね。The Floorriorzの2代目リーダーでもあり、1on1で当たったことがないので、実際に対峙してどうなるのか見てみたい。逆にNoriは…当たりたくないですね(笑)。“鉄人”と言われるような存在ですから。こうやって言っておいて一回戦で当たる可能性もありますけど、その時はその時かなと思います(笑)。 過去にNoriと対戦したRed Bull BC One 2013 Asia Pacific Final Nika Kramer / Red Bull Content Pool 当日に向けた心構えは? T:構えすぎず、楽しむこと。自分らしい踊りが出せるのは、心から楽しんでいるときです。結果はその先についてくる。勝ちにいくことはもちろん大事ですが、「勝たなきゃ」と気負いすぎると自分の持ち味が消えてしまう。根っからのカルチャー気質なので、構えてしまうと合わないんです。だからこそ、まずはこの特別な舞台を全力で楽しみたいと思っています。 日本ブレイキン史に刻まれる夏 8月16日の「Red Bull BC One Cypher Japan 2025」で優勝したB-Boy/B-Girl各1名は、11月7日(金)に日本で開催される「Red Bull BC One Last Chance Cypher 2025」への出場権を得る。そこで勝ち上がれば、世界中から選ばれたわずか16名だけが立てる「Red Bull BC One World Final」への切符を手にする。今年のWorld Finalには、B-Girl AYUのほか、Red BullダンサーのShigekixとIssinが招待ダンサーとして出場を決めており、日本勢の活躍に期待が高まっている。 世界30カ国以上で予選やプログラムが行われ、20年以上の歴史と伝統を誇るこの世界最高峰の1on1ブレイキンバトル。毎年何千人もの挑戦者の中から選ばれた者だけが、あの舞台に立つことができる。 そして今回、その長い歴史の中でも特別な存在であり、日本のブレイキンシーンを切り開いてきたレジェンド・Taisukeが、約9年ぶりにCypher Japanへ戻ってくる。九州を背負い、再び世界への扉を叩くその姿は、多くのダンサーやファンにとって、大会の行方以上に強く記憶に残る瞬間となるはずだ。彼がこの夏、どんな踊りで何を残すのか。日本中の視線が横浜・大さん橋ホールに注がれる。 The Moments of 「Taisuke × Red Bull BC One」 Red Bull BC One Continent Battle Switzerland 2018 Dean Treml / Red Bull Content Pool Red Bull BC One Cypher in Osaka 2021 Jason Halayko / Red Bull Content Pool Workshop of Taisuke at Sakuragaoka high school in Nagoya 2019 Little Shao / Red Bull Content Pool South Korea 2017 Little Shao / Red Bull Content Pool Red Bull BC One 2016 World Final - Nagoya, Japan Jason Halayko / Red Bull Content Pool Red Bull BC One Cypher France 2025 Little Shao / Red Bull Content Pool Red Bull BC One 2016 World Final - Nagoya, Japan Dean Treml / Red Bull Content Pool Red Bull BC One 2014 World Final - Paris, France Romina Amato / Red Bull Content Pool Mont Saint-Michel France 2017 Little Shao / Red Bull Content Pool