【ALL STYLE JUMPERS vol.8】日本初のダブルダッチチーム元リーダーの新たな挑戦

2020.04.16
FINEPLAY編集部

日本初のプロダブルダッチチーム「J-TRAP.」をご存知だろうか。1990年代ダブルダッチプロチームとしてテレビ番組をきっかけに誕生し、Dance&Vocalという要素も加わりメンバーを変えながらも一昨年2018年の年末に25周年を迎えた伝説のチームだ。今回は18年間リーダーとして活躍し、引退後は形を変えてパフォーマーの新しい活動のサポートへと奔走するMIHOさんにお話を伺った。業界のトップを走り続けてきた彼女の想いとは。

J-TRAP.元リーダーのMIHOさん
日本初のプロダブルダッチチーム「J-TRAP.」

MIHO
7才からジャズダンスを始め幼少時代から舞台等に多数出演。ダンス専門学校にて様々なジャンルのダンスを改めて学び、アメリカへのダンス研修にて更にスキルを磨いた。ダブルダッチ世界大会優勝、NBAハーフタイムショー日本人初出演。長年ダンスボーカル&ダブルダッチプロチームJ-TRAP.のメンバーとしてTV,CM,イベント等に出演。MC,振付,タレント指導,専門学校講師などを経て、チーム卒業後は沖縄・伊良部島に2年間移住。東京に戻り2018年株式会社エムニーニーを設立。代表取締役として、Kick-itアプリの開発運営を含め、様々な仕事に取り組んでいる。

日本初のプロダブルダッチチームは、テレビ番組から生まれた

J-TRAP.が結成したのは1993年。ダンスブームは始まっていたものの、日本ではダブルダッチという名前さえもほぼ知られていない頃だ。MIHOさんは、幼い頃からJAZZダンスを習っており、「ダンスの道で生きていく」と決めていた。そのため、ちょうど開校したばかりだった多種ジャンルのダンスを学べる専門学校として日本初の認可校である「東京コミュニケーションアート(TCA、現TSM)専門学校」ダンス科1期生として入学を決めた。

当時を振り返るMIHOさん

MIHOさんが2年生になり、一学年下に2期生も入って来た頃、TBSの「チームディズニー」というテレビ番組で「日本にまだいないダブルダッチプロチームを作ろう」という企画が立ち上がった。当時、なんと番組内にダブルダッチのコーナーがあり、ニューヨークで活躍していた「DDDD」という黒人チームがレギュラー出演していたのだ。彼らは、ダブルダッチの本場ニューヨークハーレムにあるブラックカルチャーの象徴的存在として有名なアポロシアターで、毎年開催されている「Holiday Classic」というダブルダッチ世界大会で8年間連続チャンピオンを勝ち取っていたスーパーチームだ。ただ番組のロケは毎回ニューヨーク。日本で広めようにも毎回来日してもらう訳にはいかずロケはニューヨークで行われていた。そこで、番組にレギュラー出演出来るダブルダッチチームを日本国内でも作ろうという話が持ち上がった。そんな中、当時ダンスの専門学校として話題になっていたTCA専門学校にて、日本初ダブルダッチプロチームメンバーのオーディションすることになったのだ。

「実は、10才の時に通っていたダンススタジオでダブルダッチを少しやったことがあって。ただその後日本にダブルダッチは全く定着していなかったので、新しいことに挑戦したいという気持ちが強くオーディションに参加しました。オーディションの時点でダブルダッチが出来る人はいなかったため、一次オーディションはダンス選考。とにかくジャンプ力をアピールする様なルーティーンを見せたりする人も多くて面白かったな。そしてまず一次オーディションは合格。そこから二次オーディションまでの間に、受かったメンバーでほとんどやったこともないダブルダッチを練習し始めたんです。もちろん誰も教えてくれる人なんていないし、見様見真似でやろうと思っても真似する相手がいません(笑)。番組スタッフからもらったアメリカのダブルダッチ大会のビデオだけが、唯一のヒントでした。ビデオを研究しとにかくロープを回すのがうまそうな人がひたすらロープを回し、あとはダンスのステップや技をロープの中で跳びながら行えるようにすることから始めていました。そして最終オーディションに合格したのが初代12人のメンバー。この12人が日本で初めてのダブルダッチプロチームとしてTV番組にレギュラー出演することになりました。

デビュー当時の写真

ちなみに、当初のチーム名はJ/Z DRUG。学校後や土日には、原宿の神宮橋でダブルダッチの練習を行なっていた。そのため、チーム名には神宮橋の「J」と「私たちの技をみたらDrugなんか使わなくてもナチュラルにテンションあがるでしょ=アンチDRUG」という意味も込めた名前に決めた。しかし1993年12月、初のTV番組レギュラー出演、記念すべき第一回目の放送をみんなで集まって見ていたところ、スクリーンに勢い良く紹介されたチーム名は、「J-TRAP.」。えーー?!?!とメンバー全員が大声をあげた。急いでプロデューサーに確認すると、どうやらディズニー系の番組ではタバコやドラッグなどを画面にうつすこともNGだったらしく、DRUGという名前も変えられてしまったとのこと。そのことを知らされていなかった当時19歳と20歳だったメンバーたちは、そんなダサい名前は嫌だと反抗したものの番組上はもう変更が出来ない。「当時、番組以外での活動は『J/Z DRUG』、TV番組のみ『J-TRAP.』で活動していました。TV含め活動がどんどん増え、そのうち2つの名前がややこしくなり『J-TRAP.』に統一しました(笑)。当時、プロチームは私たちだけだったので、オロナミンCのプロモーションイベントを始め、様々な番組やイベントへの出演など、どんどん仕事をいただけてありがたかったですね。ときには、6人ずつ分けて2カ所のステージに出たりしていましたが、当時はあの12人のチームメンバーのまま、ダンスカンパニーの様にずっと一緒に活動していくと思っていました」。

日本中さまざまな場所へ行った

CDデビューを機に、12人から5人へ

しかし、12人の活動に転機が訪れる。CDデビューの話がやってきたのだ。しかしデビューの条件として、12人では人数が多過ぎるので選抜しなければいけないということだった。12人のダブルダッチチームとして共に過ごしてきたメンバーにとって厳しい条件だった。「とにかく挑戦してみよう」と、12人の中でオーディションを行なった。そこで、メインボーカルに選ばれたMIHOさんを含め5人のメンバーがCDデビュー組に選出された。ずっと12人で活動したいという想いがメンバー内であったにも関わらず、バラバラになってしまう。とても複雑な想いだった。12人の「J-TRAP.」という名前を、CDデビュー時もそのまま使うことは辛い。名前を別のものに変えたいとも申し出たが、テレビ露出があったため叶わず、5人組のJ-TRAP.としてCDデビューが決定した。

CDデビューを果たしたJ-TRAP.

そして、他のメンバーは新しいダブルダッチチーム「RUN-D-CREW」を結成した。「当時の想いは語り尽くせません。RUN-D-CREWが日本人初のHoliday Classic優勝を果たして一緒に喜んだこともあれば、翌年にはJ-TRAP.が優勝し嬉しさだけでなく複雑な気持ちになったこともあった。周りからは確執があると思われていたみたいです。25周年のステージでは、2チームが一緒に初代チームとしてステージに立ち、パフォーマンスをしました。その瞬間は昔に戻ったみたいで本当に嬉しかったです。翌日ステージの動画を見て胸が一杯になりましたね。長年携わって来て本当に良かったと思えた瞬間でした。初代J-TRAP.メンバーは、大事な仲間であり家族です。」

初代からの歴代メンバーと立った、感動の25周年ライブ

18年間の現役生活 歌って、踊って、跳び続けた

MIHOさんを主軸に、走り続けてきたJ-TRAP.。18年間、メンバーが変わることがあろうとMIHOさんは歌って踊って、跳び続けていた。後にも先にも、ダブルダッチと歌、ダンスを両立してライブするというチームはいない。こんなにも長い時間、ダブルダッチを続けることができたのは「いつまでも完成はせず、常に新しい完璧を追い続けられたからかもしれない」と語る。

現役は18年間と長い

「始めたときはダブルダッチしている人が全く日本にいませんでした。でも、サークルができたりプロチームが発足したり。どんどん仲間が増えてきて、単純にうれしいしどんどん楽しくなっていった。ダブルダッチを始めアートパフォーマンスというものは、いくらやっても完璧にはなかなかならない。完璧と思ったらそれ以上の発展がないんです。特にチームパフォーマンスは自分だけが、完璧だったらいいわけじゃないですからね。仲間がいて、技が成功するかしないかわからないスリルがあるからこそ飽きなかったんじゃないかなと思います。メンバーが変わったら、また一から構築して新デモを作っていく。だからこそ新しいもの好きで割と飽きっぽい私でも18年間続けられたのかもしれません(笑)。」

ダブルダッチは完璧になかなかならない

そんなMIHOさんも初代メンバーとしては最後まで活動している1人となり、思い切って引退したのが2011年の年末。ラストのライブは300人以上が来て、ライブハウスが満員に。MIHOさんは、その日を境にJ-TRAP.としてのステージを去った。

最後のライブは会場が満員になり、惜しまれつつステージを去った

夢を与える力のあるパフォーマーを支える 新しい挑戦へ

長く現役生活を過ごしたMIHOさんは、やってみたいことがあった。夏休みや冬休みを思う様にとれなかった現役時代。長期の海外旅行や離れた場所での移住生活など、興味があっても出来なかったため憧れがあった。結婚したご主人を説得し、沖縄県の伊良部島での移住を開始、のんびりと暮らしていた。ただ、美しい海と綺麗な自然と最高過ぎる平和な暮らしを送るうちに「刺激が足りないなあ」と思い、伊良部島で初めてのダンススクールを立ち上げたり、遊びにきた後輩たちと小学校でダブルダッチをしたりと、すぐに精力的に活動をし始めて気づいた。「私はのんびりしていられない性分なのだ」と。2年間の島暮らしを終えて、MIHOさんは再び東京へ舞い戻った。

約2年の沖縄移住生活

東京へもどったMIHOさんは「自分だけにしかできないことはないか」と考えた。「私たちが総プロデュースし行っていた単独ライブなどでいつも言われることがありました。『J-TRAP.のライブに来て元気をもらった。私も自分の好きなことを本気でしようと思った』『刺激を受けて、自分も独立を決意した。』『明日から、頑張ろうって勇気がわいた。』などといった言葉です。私たちはそんなことを計算してはいないんだけど、クールなかっこ良さとかではなく、がむしゃらなステージ作りやパフォーマンスの本気さが伝わったんだろうなって思った。本気のパフォーマンスは、人に大きな影響を与える。もしかしたら人の人生を動かしてしまうくらい。それくらい、すごいものだと思うんです。自分が色んなアーティストによって刺激を受けて来た様に。プロパフォーマー出身の私だからこそ出来ることは何か、ずっと考え続けました。そのタイミングで、子どもの時から私のプロ活動をずっと応援してくれていた母が亡くなり悲しみにくれました。ただ、母の教えを思い出し、メソメソせず世の中をよりよく変えて行ける様な希望あふれるプロダクトを創り出したいという気持ちが更に強くなりました。」

全力のパフォーマンスは、見る人に元気を与える

J-TRAP.は、結成当初からレギュラー番組が決まっていたという恵まれた経緯があったが、日本にたくさんいる才能豊かなパフォーマーも、営業力がなければ埋もれてしまう。素晴らしいパフォーマンス力のある人に大きな夢を諦めてほしくない。ネットの拡散力を通して、何かできないものか…。考え続けていたMIHOさんに、一つのアイデアがうかんだ。「視聴者がリアルに応援できるパフォーマーのためのアプリ」だ。思いついたMIHOさんは一気に走り出し、アイデアから1年半後の2018年12月にアプリ「Kick-it」のリリースを果たした。

ステージアプリ「Kick-it」

Kick-itは、得意なスキルを持ったパフォーマーたちが、自分のパフォーマンス動画を投稿出来るアプリだ。投稿できるだけでなく、パフォーマーに投票が可能でチップを入れたりクラウドファンディングの様にサポートをすることも出来、人気の出たパフォーマーには実際にお金が還元される仕組みとなっている。MIHOさんは「このアプリを通して、パフォーマー達を応援したいんです。見て応援するのが好きな人もたくさんいます。Kick-itアプリを通じて、素晴らしいパフォーマンスに出会い、見る人とパフォーマーとの間で勇気や希望を与えあえる様なフィールドを生み出したい。

「Kick it」の構想は、ステージ生活が長いMIHOさんだから出た発想ともいえる

「自分が実際に活動しているころから感じていた事ですが、日本でのパフォーマーの地位はまだまだ高いとは言えません。もっと評価されて良いし、きちんとそれだけで生活出来る人がもっと生まれるべき。ハイレベルなパフォーマンスが出来るのに、好きなことをしているからと言って他の仕事と同じ様な待遇を得られないのなら、業界の在り方を変えて行かなければいけません。今までの人生と経験をかけて作りました。このアプリを通して、例えば地方にいたとしてもすごいパフォーマーは評価されたり、少しでもお金が稼げるようになったり、新しい道筋を作っていきたい。パフォーマーの皆さまたちの人生を、より良く変えていけるきっかけとなれたら。」

ばいけません。今までの人生と経験をかけて作りました。このアプリを通して、例えば地方にいたとしてもすごいパフォーマーは評価されたり、少しでもお金が稼げるようになったり、新しい道筋を作っていきたい。パフォーマーの皆さまたちの人生を、より良く変えていけるきっかけとなれたら。」

「J-TRAP.」ファミリー

常に新しいことに挑戦し続け、パフォーマーの第一線を走り続けてきたMIHOさん。次は、エンターテイメント業界全体を変えていくのではないだろうか。シーンを作り、還元していく姿勢に敬意を込めたい。素晴らしいパフォーマーが活躍の場を広げることで、見る人も増えて人生に刺激を受けて行動を変えていく人が倍増していくのではないだろうか。ぜひ、MIHOさんの今後のアクションに注目してほしい。

取材・小田切萌

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