湘南の「変態ボードビルダー」武藤秀行&610SURF BOARDSライダー萩原周 Wインタビュー

2021.01.30
FINEPLAY編集部

「OPPAI」「PAFU PAFU」「OINARISUN」「SKE BASE」・・・。
神奈川県茅ヶ崎市のサーフボードメーカー「610base」のカタログには、飴玉のような見た目をした、いかがわしいネーミングのボードがずらりと並ぶ。住宅街の小さな工房でボード作りを手がけるのは、武藤秀行こと“610-chang”。現役のプロミュージシャンであり、湘南で「変態ボードビルダー」と称されるサーフスケーターだ。FINEPLAYでは、610SURF BOARDS専属ライダー萩原周を後半に交え、豪華インタビューを敢行。その知られざる半生に迫った。

Shu Hagiwara

インタビュー前に

photo by Kazuki Murata

–本日はよろしくお願いします。

武藤:よろしく・・・(カメラマンに向かって)あれ? 久しぶり!

カメラマン:お久しぶりです。

–どうかしましたか?

武藤:ずっと前に、この子がスケートパークでマナー違反したのを見かけてさ。それを俺が叱ったんだ。

photo by Kazuki Murata

–そんなことがあったんですね。

武藤:そうしたら去年、知り合いの結婚式に参加したときに再会して。浜辺で集合写真を撮る際に、この子がカメラマンとして出てきて、思わず笑っちゃった。「あぁっ!アイツあのときの!」って(笑)

カメラマン:その節はお世話になりました!

武藤:嫌われてると思ってたから、今日は撮影しに来てくれて嬉しいよ。ありがとう!

茅ヶ崎のサーフコミュニティーで育つ

武藤秀行こと“610-chang”
武藤秀行こと“610-chang” photo by Kazuki Murata

–では、改めてお聞きします。610-changのサーフィンのバックグラウンドを教えてください。

武藤:サーフィンに出会ったのは、13歳(中学2年生)のとき。友達の兄貴がサーフィンをしていて、それを見に茅ヶ崎の海へ出かけていったのがきっかけだね。家が海に近かったから、すぐにのめり込んだんだ。近所のサーフショップで中古のボードとウエットスーツを買って、海に行くようになった。ちなみに、スケートも同じ頃に始めたよ。

–どんな子どもでしたか?

武藤:いたずらっ子だったかな。昔、茅ヶ崎のビーチに置いてある地引網船の横に、ガスボンベがあってさ。夜にビーチまで出ていって、それを勝手に使って、鍋焼きうどんを作って食べてた。サーフボードも持っていってたな。

photo by Kazuki Murata

–夜だと、サーフィンはできませんよね。

武藤:それはもう、ビーチで一泊だよ。

–砂浜で寝ていたんですか?

武藤:うん。屋根もないところで、そのまま寝てた。で、翌朝に海でサーフィンしてから、学校へ行く。

–驚きの生活ですね。

武藤:今じゃ考えられないよね。

610-changが経営するサーフショップ「Sunny Line」 photo by Kazuki Murata
610-changが経営するサーフショップ「Sunny Line」 photo by Kazuki Murata

–ところで今の10代、20代のサーファーは、親もサーファーということが少なくありませんよね。610-changの家はどうでしたか?

武藤:今も湘南に住んでいるけど、親はサーファーじゃない。兄弟もサーフィンしないね。

–そうなんですね。

武藤:でも、サーフィンする環境は整ってた。茅ヶ崎には地域で子どもたちを育てようとする文化が昔からあって、俺もよく、親世代のサーフコミュニティーに出入りしてた。俺がシェイパーになれたのも、そこでの出会いのおかげ。

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–シェイパーとしての原点ですね。

武藤:そうそう。でも、そんなこと言うとコミュニケーション能力が高そうに聞こえるかもしれないけど、本当は俺、人見知りなんだよね。

–それは意外でした。

武藤:家族や友達といる時間はもちろん大事。だけど、シェイプルーム(サーフボードの工場)にいて一人で仕事している時間も必要だし、好きなんだ。そういうときにアイデアが生まれるしね。

人気絶頂のバンド時代

photo by Kazuki Murata
バンド時代の610-chang(右) photo by Kazuki Murata

–音楽を始めたのはいつからですか?

武藤:それもサーフィンやスケートと同じく、中学の頃から。最初は従兄弟のギターを借りて遊んでた程度だったけれど、そのうち学校の友達といっしょにコピーバンドを組んで、ライブを開催するようになった。舞台は近所の公民館で、お客さんは10人くらいだったけど。

–どんなバンドをコピーしていたんですか?

武藤:X JAPAN。

–X JAPANですか。

武藤:うん。X JAPAN。公民館で「紅だーッ」ってシャウトしてた(笑)

地元の仲間と610-chang(中央) photo by Kazuki Murata
地元の仲間と610-chang(中央) photo by Kazuki Murata

–では、本格的に音楽の道に進んだのはいつからですか?

武藤:高校卒業後、19歳から。地元の仲間と「No End Why」っていう4人編成のパンクバンドを組んだんだよね。その頃はパンクブームだったこともあって、ファーストアルバムのセールスが、4万枚になった。

–それはすごい!

武藤:で、そのお金で音楽機材や車を買って、日本全国ツアー。バンドメンバーは全員サーファーだったから、ツアー先で波乗りもしてた。

–自然な流れですね。どのようなイベントに出演されていたんですか?

武藤:俺らはサーファーバンドとして売ってたから、パンクロック系のイベント意外にもサーフィンのイベントに出演させてもらってたよ。

「THE SURFERS」と対バンしたり、Dragon、VOLCOMといったサーフブランドのイベントに顔を出したり。
(THE SURFERS:レジェンドサーファーのケリー・スレーター、ロブ・マチャド、ピーター・キングにより1998年に結成された音楽バンド)

–しかし、人気絶頂の中で突然、解散されてますよね。

武藤:理由は、よくある方向性の違いってやつ。でも恐いのは、その1週間後に全国ツアーが控えてたこと。飛ぶ鳥を落とす勢いが一転して、自分が落ちることになった(笑) それが27歳の頃だね。

「波と音と風の旅」に

「SURFING WORLD」2005年6月30日 刊行 photo by Kazuki Murata
「SURFING WORLD」2005年6月30日 刊行 photo by Kazuki Murata

–バンドを辞めてからは、何をしていたんですか?

武藤:地元のサーフィン仲間から、旅に誘ってもらったんだ。それが「波と音と風の旅」。

–どのような旅ですか?

武藤:秋冬と夏に1ヶ月ずつ、サーフスケートしながら全国各地をめぐる旅。行く先々で初めましての人とサーフィンしたり、スケートしたり、歌をレコーディングしたり、酒を飲んだり。その思い出を、エッセイにしてた。

秋冬は北海道からスタートして、ひたすら南下。夏は近畿や九州方面を周って、どちらも最後は湘南に帰ってくる。行き当たりばったりだったけれど、その分、思わぬ出会いがあって刺激的な旅だったよ。

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–素敵ですね。ところで、レコーディングやエッセイとありましたが、旅の様子をどこかで発信していたんでしょうか。

武藤:雑誌「SURFING WORLD」に特集を組んでもらって、写真といっしょに掲載してたんだよね。道中でセッションしてできた音楽は、CDに録音して雑誌の付録にした。

秋冬はマイナーコードが多めな落ち着いた曲で、夏はアップテンポの曲がぎっしり。酔っ払ってベロベロの状態で録音した曲もあった(笑)

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–とても楽しそうです。バンド時代とモチベーションに変化はありましたか?

武藤:何も変わらなかったね。伝えていた言葉や音楽が、バンド活動から雑誌という媒体に移っただけだから。ただ、「波と音と風の旅」では、音楽とサーフィンを通していろんな出会いがあった。そういう意味でのモチベーションは上がったかもね。

1stソロアルバム”人生のline” photo by Kazuki Murata

–資金はどこからかサポートされていたんですか?

武藤:協賛してくれる会社を集めたよ。ファミリーマート、SUBWAY、ノースフェイス・・・。あと吉野家からは、丼のチケットをもらった。

–牛丼を食べられるチケット、いいですね。

武藤:いや、なぜか豚丼だった(笑) でも、すごくありがたかったよ!

–旅をして、得られたものは何ですか。

武藤:この旅のおかげで、全国にサーファーの繋がりができた。あの頃できた友達は、今でも仲良いよ。

30歳手前でボード作りを始めた

シェイプルームにて photo by Kazuki Murata
シェイプルームにて photo by Kazuki Murata

–「波と音と風の旅」を終えてからは、どうしていたんですか?

武藤:CAVE surfboardsの矢貫直博さんに出会って、サーフボード作りを始めた。当時住んでいた家の近くに、矢貫さんのボード工場があってさ。興味本位でボード作りを見学しにいったら、たちまち魅了されちゃったんだ。それが29歳の頃。

ピン留めされたオーダー用紙 photo by Kazuki Murata
ピン留めされたオーダー用紙 photo by Kazuki Murata

–どんなところに魅力を感じましたか。

武藤:人間性や独創性はもちろんだけど、技術力だね。矢貫さんは、いわゆる「シェイプ」っていうボードの輪郭を削っていく仕事だけじゃなくて、「サンディング(磨き)」や「グラッシング(樹脂付け)」といったボード作りの工程を、全て一人でこなす「ボードビルダー」。

理想のボード作りを目指して、道具すら自分で作っていく。そんな矢貫さんの姿勢を間近で見て、「この人に教えてもらいたい」って思った。

ボード用の定規 photo by Kazuki Murata
ボード用の定規 photo by Kazuki Murata

–強く影響を受けているんですね。ボードに変わった名前を付けているのも、そのせいですか?

武藤:そうだね。というより、矢貫さんは「名前を付けたくない」って言ってた。「削ってるボードが毎度違うから、モデル名を付けても意味がないんだ」って。

ただ、俺はカタログを作りたかったから、どうしても名前をつけなきゃいけなかった。だからあまり考えずに、頭にパッと浮かんだ言葉を付けていったんだ。「OPPAI」とか「PAFU PAFU」とか。

鉋がけ photo by Kazuki Murata
鉋がけ photo by Kazuki Murata

–なるほど。合点がいきました。

武藤:電話で注文してくる人は、戸惑ってるけどね。「お、オッパイ、できますか?」って(笑)

–誤解されそうですね(笑) でも名前はともかく、ボードの色が綺麗で素敵だと思います。

武藤:個人的に、クリアーなボードより色彩豊かなボードの方が好きだから、力が入るよね。

樹脂に塗れた作業靴 photo by Kazuki Murata
樹脂に塗れた作業靴 photo by Kazuki Murata

–ハンドクラフトの610-changですが、マシンシェイプについて思うところはありますか?

武藤:肯定的だよ。マシンシェイプの板にもすごく興味を持ってる。ただ、ハンドクラフトのボードはこれから希少になってくるだろうから、手で作る技術も大切にしていきたいね。

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–ということは、これから競技用のボードを作る予定が?

武藤:あるよ。俺の息子たちや、近所の子どもたちが成長するにつれて、コンペ用のボードが必要になってくるだろうから、そこで削っていきたいね。あと周にも乗ってもらいたい。いっしょにスキルを伸ばしていけたら最高だね。

厳格な父に育てられた幼少期

萩原周 photo by Kazuki Murata
萩原周 photo by Kazuki Murata

–ここからは「610SURF BOARDS」ライダーの萩原周くんに、610-changに出会うまでの話をお聞きします。よろしくお願いします。

萩原:はい。お願いします。

–周くんは、茅ヶ崎市の生まれですよね。いくつからサーフィンを始めたんですか?

萩原:4歳です。サーファーの父から手ほどきを受けて、姉弟でやっていました。

幼少期 photo by Kazuki Murata

–小学2年生のとき、家族で宮崎県に移住していますよね。

萩原:はい。父の判断で移住しました。宮崎は波がいいから、サーフィンを上達させるには、うってつけだったんだと思います。ある日突然、「宮崎に行くぞ!」って言われて。旅行だと思っていたら、移住だった(笑)

幼少期 photo by Kazuki Murata
萩原周 photo by Kazuki Murata

–その頃からプロサーファーを目指していたんですか?

萩原:僕はまだ小さかったから、ただ楽しくてサーフィンをしていたけど、父はプロにさせたいと考えていたと思います。車で海まで連れて行ってもらって、毎日、特訓してました。

–お父さんは厳しかったですか?

萩原:厳しかったですね。よく海から浜に呼び戻されて、叱られていました。サーフィン中、僕らがいる沖には声が届きにくいので、父は“旗信号”を使うんですよ。黄色いタオルが車の窓にかかっていると「海から上がれ」っていう合図なんです。それを見て半べそになってましたね。「こんどはどこが悪かったんだろう」って。

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–その特訓の日々を経て、プロサーファーになったのですね。

萩原:そうですね。プロになったのは16歳。積年の努力が実って念願のプロになったわけですから、感慨深かったです。「これで飯を食っていくのか」とぼんやり思っていましたね。父もすごく喜んでくれました。

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

素晴らしいです。ちなみに、同世代で意識していたサーファーはいましたか?

萩原:大橋海人や松岡慧斗です。今も二人のライディングを間近で見て、刺激をもらってます。昔から二人とも、コンペティションでガンガン勝っていて勢いがあったし、カッコイイ動画を残してましたからね。負けられないなって思ってました。

無気力になり、全てを投げ出した

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–しかし、順風満帆に見えたプロ活動を20歳で突然、停止しましたよね。

萩原:サーフィンを一度やめました。まさにドロップアウト。何もかも嫌になって。その頃はスポンサーや親からの期待が大きくなりすぎていて、重荷になっていた部分がありました。

大会で勝つのは自分のためか、それともスポンサーのためか、はたまた親のためか・・・。そんなことをぐるぐる考えているうちに、楽しいはずのサーフィンが、いつの間にか嫌悪の対象になっていったんです。

武藤:俺とは真逆の環境だね。

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–610-changは誰からも強制されず、自発的にサーフィンをやっていたんですよね。この違いってなんでしょう?

武藤:世代じゃないかな。俺の親の世代は、子供のやることに口を出す人が少なかった。現に、親が俺のサーフィンを見にきたことなんか一度もないし。

スパルタな親が増えたのは、2世サーファーが出てきてからじゃない? 自分がサーフィンやってると、子供に口を出したくなるんだよ。

萩原:そうかもしれませんね。

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–なるほど。では、そこからずっとサーフィンの世界から遠ざかっていたんですか。

萩原:はい。サーフィンは全くしていませんでした。仕事も続かなくて、転々として。「自分、何やってんだろ」とは常々思っていたけど、他にやりたいこともなかったんです。

–どこか惰性で人生を過ごしていたと。再開されたのはなぜですか?

萩原:ある日、気晴らしに近所の海に入ってみたんです。久しぶりにサーフィンをしていたら、心がほぐされていくような感覚になって。それから少しずつできるようになりました。

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–復活できて、本当によかったです。その後はどうでしたか。

萩原:身体が海に入りだしたら、自然と頭でもサーフィンのことを考えるようになりました。2019年には、千葉のJPSAプロトライアルに出場して、そのときに慧斗や海人たちに再会したんです。二人に「湘南来てみたら?」と提案されて、移住することを決めました。

西浜ポイントにて photo by Kazuki Murata
西浜ポイントにて photo by Kazuki Murata

–波がいい宮崎ではなく、あえて湘南を選んだのですね。

萩原:はい。たしかに宮崎は波がいいです。でも、湘南エリアは同世代で活躍しているサーファーがたくさんいて、刺激をもらえる。宮崎のスローライフも悪くないけど、今の俺には刺激が必要じゃないかと感じたんです。

湘南はもともと、ホームですからね。とはいっても家がないので、しばらくは海人の実家に居候させてもらってました。

武藤:え、大橋家で暮らしてたの!それ初耳!アツイ(笑)

スポンサー契約のため、610-changに会いに行ったが・・・

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–それでは、610-changに出会ったときのことも教えてください。

萩原:初めて会ったのは、昨年。僕が29歳のとき。慧斗がボードスポンサーを紹介してくれるって言って、610-changに引き合わせてくれたんです。

–いい話ですね。では、周くんはすぐチームライダーに?

武藤:それがさ、慧斗から話を持ちかけられたときに俺、すごく酔っ払ってて。一切、そのくだりを覚えてなかったんだよね。

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–それは、何というか、ビックリですね・・・。

武藤:慧斗から「改めて周を紹介したいから、家に連れていきます」って後日言われて。「あれ、何か約束したっけ・・・?」ってずっと考えてた(笑)

萩原:家に行ったら「じつはさ、覚えてないんだよね」って申し訳なさそうに言われました。「あ、全然、大丈夫です!はじめまして!」と返したけれど、心の中では「えーっ!マジかよ」って叫んでました(笑)

武藤:「何このおじさん?!」って思った?

萩原:・・・思いました。

一同:(爆笑)

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–実際に周くんと話してみて、どう感じましたか?

武藤:ライダーになってもらいたいって思った。だから、スポンサーの話もふたつ返事でOKしたよ。酔っ払ってても、俺の目に狂いはなかった。

–なるほど。ではシェイパーから見て、周くんの魅力はどういった所にありますか。

武藤:ひとつはサーフィンスタイル。フローで、かつメリハリのある周のサーフィンは、見てて飽きがこないんだよね。ブランクを感じさせない。うちのボードに乗ってもらいたいって思わされたね。

つぎに、性格のよさ。サーフィンは以前から知ってたものの、周と言葉を交わしたことがなかったから、俺はそこが心配だった。だけど、周は穏やかでしょ。実際に話をしてみて、フィーリングが合うとわかったから、そこが決め手になった。

610SURF BOARDS photo by Kazuki Murata
610SURF BOARDS photo by Kazuki Murata

シェイパーとライダーの関係って、信頼とコミュニケーションで成り立っていくんだ。ボードの乗り味とか、改善点をライダーからフィードバックしてもらうことで、シェイパーはよりよいのボードをライダーに作ってあげられる。だから、そこは外せなかったね。

萩原:ありがとうございます。

–周くんは、610-changのボードに乗って変わったことはありますか?

萩原:サーフィンの楽しみ方が格段に広がりました。クアッドのフィッシュテールだったり、細身のコンテストボードだったり、610SURF BOARDSの板はいろんな波を想定して作られているので、いつも新鮮な気持ちでサーフィンできます。

今後は610-changのボードで、もっとビッグウェーブにチャレンジしたい。そして、みんなが驚くようなチューブをメイクしていきたいですね。

若い世代に伝えたいこと

腕に刻まれた「自由」 photo by Kazuki Murata
腕に刻まれた「自由」 photo by Kazuki Murata

–最後になりますが、サーファーとしてさまざまな経験を積んできたお二人から、若い世代に伝えていきたいことはなんですか?

萩原:助けを必要としていたら、声をあげてほしいですね。僕がそうして周りに助けられてきたから。できる範囲で、若い世代をサポートしていきたいです。

武藤:友達とサーフィンする時間は超大事。だけど、「ずっと同じところに固まってサーフィンしててもつまんねーぞ」ってことを伝えたいかな。あとは、周りに乗れてない子がいたら、波を譲るくらいのシェア精神を学んでほしい。

photo by Kazuki Murata
photo by Kazuki Murata

–610-changから周くんにかけたい言葉はありますか?

武藤:かけたい言葉・・・。ないね。俺はシェイパーだから、周が乗る波に合うボードを削るだけ。言葉じゃなくて、行動で示していくよ。

萩原:これからもよろしくお願いします。

武藤:こちらこそ、よろしく!

武藤秀行プロフィール

1976年1月30日生まれの湘南ロコサーファー。
2011年に地元茅ヶ崎でサーフボードブランド「610SURF BOARDS」を立ち上げる。ボードビルダーとしての活動のかたわら、2016年に1stソロアルバム”人生のline”をリリースした。2018年にはサーフショップ「Sunny line」を新規オープンし、音楽とサーフスケートで湘南地域を盛り上げている。現在、5人家族の大黒柱。

萩原周プロフィール

1990年11月5日生まれ。湘南・茅ヶ崎在住のスタイルサーファー。
幼少の頃に湘南から宮崎へ移住し、弱冠16歳でJPSA(日本プロサーフィン連盟)からプロデビュー。2006年 KUSTOM PRESENTS HYUGA PRO JUNIOR 優勝、KASTOM PRESENTS BILLABONG WJC JAPAN TRIAL 優勝などの戦績を残す。人生を見つめ直すため一度はサーフィンから離れるも、近年、「610SURF BOARDS」の専属ライダーとして復活を遂げた。

text by : 佐藤稜馬
photo by : Kazuki Murata

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