「OPPAI」「PAFU PAFU」「OINARISUN」「SKE BASE」・・・。
神奈川県茅ヶ崎市のサーフボードメーカー「610base」のカタログには、飴玉のような見た目をした、いかがわしいネーミングのボードがずらりと並ぶ。住宅街の小さな工房でボード作りを手がけるのは、武藤秀行こと“610-chang”。現役のプロミュージシャンであり、湘南で「変態ボードビルダー」と称されるサーフスケーターだ。FINEPLAYでは、610SURF BOARDS専属ライダー萩原周を後半に交え、豪華インタビューを敢行。その知られざる半生に迫った。
インタビュー前に

–本日はよろしくお願いします。
武藤:よろしく・・・(カメラマンに向かって)あれ? 久しぶり!
カメラマン:お久しぶりです。
–どうかしましたか?
武藤:ずっと前に、この子がスケートパークでマナー違反したのを見かけてさ。それを俺が叱ったんだ。

–そんなことがあったんですね。
武藤:そうしたら去年、知り合いの結婚式に参加したときに再会して。浜辺で集合写真を撮る際に、この子がカメラマンとして出てきて、思わず笑っちゃった。「あぁっ!アイツあのときの!」って(笑)
カメラマン:その節はお世話になりました!
武藤:嫌われてると思ってたから、今日は撮影しに来てくれて嬉しいよ。ありがとう!
茅ヶ崎のサーフコミュニティーで育つ

–では、改めてお聞きします。610-changのサーフィンのバックグラウンドを教えてください。
武藤:サーフィンに出会ったのは、13歳(中学2年生)のとき。友達の兄貴がサーフィンをしていて、それを見に茅ヶ崎の海へ出かけていったのがきっかけだね。家が海に近かったから、すぐにのめり込んだんだ。近所のサーフショップで中古のボードとウエットスーツを買って、海に行くようになった。ちなみに、スケートも同じ頃に始めたよ。
–どんな子どもでしたか?
武藤:いたずらっ子だったかな。昔、茅ヶ崎のビーチに置いてある地引網船の横に、ガスボンベがあってさ。夜にビーチまで出ていって、それを勝手に使って、鍋焼きうどんを作って食べてた。サーフボードも持っていってたな。

–夜だと、サーフィンはできませんよね。
武藤:それはもう、ビーチで一泊だよ。
–砂浜で寝ていたんですか?
武藤:うん。屋根もないところで、そのまま寝てた。で、翌朝に海でサーフィンしてから、学校へ行く。
–驚きの生活ですね。
武藤:今じゃ考えられないよね。

–ところで今の10代、20代のサーファーは、親もサーファーということが少なくありませんよね。610-changの家はどうでしたか?
武藤:今も湘南に住んでいるけど、親はサーファーじゃない。兄弟もサーフィンしないね。
–そうなんですね。
武藤:でも、サーフィンする環境は整ってた。茅ヶ崎には地域で子どもたちを育てようとする文化が昔からあって、俺もよく、親世代のサーフコミュニティーに出入りしてた。俺がシェイパーになれたのも、そこでの出会いのおかげ。

–シェイパーとしての原点ですね。
武藤:そうそう。でも、そんなこと言うとコミュニケーション能力が高そうに聞こえるかもしれないけど、本当は俺、人見知りなんだよね。
–それは意外でした。
武藤:家族や友達といる時間はもちろん大事。だけど、シェイプルーム(サーフボードの工場)にいて一人で仕事している時間も必要だし、好きなんだ。そういうときにアイデアが生まれるしね。
人気絶頂のバンド時代

–音楽を始めたのはいつからですか?
武藤:それもサーフィンやスケートと同じく、中学の頃から。最初は従兄弟のギターを借りて遊んでた程度だったけれど、そのうち学校の友達といっしょにコピーバンドを組んで、ライブを開催するようになった。舞台は近所の公民館で、お客さんは10人くらいだったけど。
–どんなバンドをコピーしていたんですか?
武藤:X JAPAN。
–X JAPANですか。
武藤:うん。X JAPAN。公民館で「紅だーッ」ってシャウトしてた(笑)

–では、本格的に音楽の道に進んだのはいつからですか?
武藤:高校卒業後、19歳から。地元の仲間と「No End Why」っていう4人編成のパンクバンドを組んだんだよね。その頃はパンクブームだったこともあって、ファーストアルバムのセールスが、4万枚になった。
–それはすごい!
武藤:で、そのお金で音楽機材や車を買って、日本全国ツアー。バンドメンバーは全員サーファーだったから、ツアー先で波乗りもしてた。
–自然な流れですね。どのようなイベントに出演されていたんですか?
武藤:俺らはサーファーバンドとして売ってたから、パンクロック系のイベント意外にもサーフィンのイベントに出演させてもらってたよ。
「THE SURFERS」と対バンしたり、Dragon、VOLCOMといったサーフブランドのイベントに顔を出したり。
(THE SURFERS:レジェンドサーファーのケリー・スレーター、ロブ・マチャド、ピーター・キングにより1998年に結成された音楽バンド)
–しかし、人気絶頂の中で突然、解散されてますよね。
武藤:理由は、よくある方向性の違いってやつ。でも恐いのは、その1週間後に全国ツアーが控えてたこと。飛ぶ鳥を落とす勢いが一転して、自分が落ちることになった(笑) それが27歳の頃だね。
「波と音と風の旅」に

–バンドを辞めてからは、何をしていたんですか?
武藤:地元のサーフィン仲間から、旅に誘ってもらったんだ。それが「波と音と風の旅」。
–どのような旅ですか?
武藤:秋冬と夏に1ヶ月ずつ、サーフスケートしながら全国各地をめぐる旅。行く先々で初めましての人とサーフィンしたり、スケートしたり、歌をレコーディングしたり、酒を飲んだり。その思い出を、エッセイにしてた。
秋冬は北海道からスタートして、ひたすら南下。夏は近畿や九州方面を周って、どちらも最後は湘南に帰ってくる。行き当たりばったりだったけれど、その分、思わぬ出会いがあって刺激的な旅だったよ。

–素敵ですね。ところで、レコーディングやエッセイとありましたが、旅の様子をどこかで発信していたんでしょうか。
武藤:雑誌「SURFING WORLD」に特集を組んでもらって、写真といっしょに掲載してたんだよね。道中でセッションしてできた音楽は、CDに録音して雑誌の付録にした。
秋冬はマイナーコードが多めな落ち着いた曲で、夏はアップテンポの曲がぎっしり。酔っ払ってベロベロの状態で録音した曲もあった(笑)

–とても楽しそうです。バンド時代とモチベーションに変化はありましたか?
武藤:何も変わらなかったね。伝えていた言葉や音楽が、バンド活動から雑誌という媒体に移っただけだから。ただ、「波と音と風の旅」では、音楽とサーフィンを通していろんな出会いがあった。そういう意味でのモチベーションは上がったかもね。

–資金はどこからかサポートされていたんですか?
武藤:協賛してくれる会社を集めたよ。ファミリーマート、SUBWAY、ノースフェイス・・・。あと吉野家からは、丼のチケットをもらった。
–牛丼を食べられるチケット、いいですね。
武藤:いや、なぜか豚丼だった(笑) でも、すごくありがたかったよ!
–旅をして、得られたものは何ですか。
武藤:この旅のおかげで、全国にサーファーの繋がりができた。あの頃できた友達は、今でも仲良いよ。
30歳手前でボード作りを始めた

–「波と音と風の旅」を終えてからは、どうしていたんですか?
武藤:CAVE surfboardsの矢貫直博さんに出会って、サーフボード作りを始めた。当時住んでいた家の近くに、矢貫さんのボード工場があってさ。興味本位でボード作りを見学しにいったら、たちまち魅了されちゃったんだ。それが29歳の頃。

–どんなところに魅力を感じましたか。
武藤:人間性や独創性はもちろんだけど、技術力だね。矢貫さんは、いわゆる「シェイプ」っていうボードの輪郭を削っていく仕事だけじゃなくて、「サンディング(磨き)」や「グラッシング(樹脂付け)」といったボード作りの工程を、全て一人でこなす「ボードビルダー」。
理想のボード作りを目指して、道具すら自分で作っていく。そんな矢貫さんの姿勢を間近で見て、「この人に教えてもらいたい」って思った。

–強く影響を受けているんですね。ボードに変わった名前を付けているのも、そのせいですか?
武藤:そうだね。というより、矢貫さんは「名前を付けたくない」って言ってた。「削ってるボードが毎度違うから、モデル名を付けても意味がないんだ」って。
ただ、俺はカタログを作りたかったから、どうしても名前をつけなきゃいけなかった。だからあまり考えずに、頭にパッと浮かんだ言葉を付けていったんだ。「OPPAI」とか「PAFU PAFU」とか。

–なるほど。合点がいきました。
武藤:電話で注文してくる人は、戸惑ってるけどね。「お、オッパイ、できますか?」って(笑)
–誤解されそうですね(笑) でも名前はともかく、ボードの色が綺麗で素敵だと思います。
武藤:個人的に、クリアーなボードより色彩豊かなボードの方が好きだから、力が入るよね。

–ハンドクラフトの610-changですが、マシンシェイプについて思うところはありますか?
武藤:肯定的だよ。マシンシェイプの板にもすごく興味を持ってる。ただ、ハンドクラフトのボードはこれから希少になってくるだろうから、手で作る技術も大切にしていきたいね。

–ということは、これから競技用のボードを作る予定が?
武藤:あるよ。俺の息子たちや、近所の子どもたちが成長するにつれて、コンペ用のボードが必要になってくるだろうから、そこで削っていきたいね。あと周にも乗ってもらいたい。いっしょにスキルを伸ばしていけたら最高だね。
厳格な父に育てられた幼少期

–ここからは「610SURF BOARDS」ライダーの萩原周くんに、610-changに出会うまでの話をお聞きします。よろしくお願いします。
萩原:はい。お願いします。
–周くんは、茅ヶ崎市の生まれですよね。いくつからサーフィンを始めたんですか?
萩原:4歳です。サーファーの父から手ほどきを受けて、姉弟でやっていました。

–小学2年生のとき、家族で宮崎県に移住していますよね。
萩原:はい。父の判断で移住しました。宮崎は波がいいから、サーフィンを上達させるには、うってつけだったんだと思います。ある日突然、「宮崎に行くぞ!」って言われて。旅行だと思っていたら、移住だった(笑)

–その頃からプロサーファーを目指していたんですか?
萩原:僕はまだ小さかったから、ただ楽しくてサーフィンをしていたけど、父はプロにさせたいと考えていたと思います。車で海まで連れて行ってもらって、毎日、特訓してました。
–お父さんは厳しかったですか?
萩原:厳しかったですね。よく海から浜に呼び戻されて、叱られていました。サーフィン中、僕らがいる沖には声が届きにくいので、父は“旗信号”を使うんですよ。黄色いタオルが車の窓にかかっていると「海から上がれ」っていう合図なんです。それを見て半べそになってましたね。「こんどはどこが悪かったんだろう」って。

–その特訓の日々を経て、プロサーファーになったのですね。
萩原:そうですね。プロになったのは16歳。積年の努力が実って念願のプロになったわけですから、感慨深かったです。「これで飯を食っていくのか」とぼんやり思っていましたね。父もすごく喜んでくれました。

—素晴らしいです。ちなみに、同世代で意識していたサーファーはいましたか?
萩原:大橋海人や松岡慧斗です。今も二人のライディングを間近で見て、刺激をもらってます。昔から二人とも、コンペティションでガンガン勝っていて勢いがあったし、カッコイイ動画を残してましたからね。負けられないなって思ってました。
無気力になり、全てを投げ出した

–しかし、順風満帆に見えたプロ活動を20歳で突然、停止しましたよね。
萩原:サーフィンを一度やめました。まさにドロップアウト。何もかも嫌になって。その頃はスポンサーや親からの期待が大きくなりすぎていて、重荷になっていた部分がありました。
大会で勝つのは自分のためか、それともスポンサーのためか、はたまた親のためか・・・。そんなことをぐるぐる考えているうちに、楽しいはずのサーフィンが、いつの間にか嫌悪の対象になっていったんです。
武藤:俺とは真逆の環境だね。

–610-changは誰からも強制されず、自発的にサーフィンをやっていたんですよね。この違いってなんでしょう?
武藤:世代じゃないかな。俺の親の世代は、子供のやることに口を出す人が少なかった。現に、親が俺のサーフィンを見にきたことなんか一度もないし。
スパルタな親が増えたのは、2世サーファーが出てきてからじゃない? 自分がサーフィンやってると、子供に口を出したくなるんだよ。
萩原:そうかもしれませんね。

–なるほど。では、そこからずっとサーフィンの世界から遠ざかっていたんですか。
萩原:はい。サーフィンは全くしていませんでした。仕事も続かなくて、転々として。「自分、何やってんだろ」とは常々思っていたけど、他にやりたいこともなかったんです。
–どこか惰性で人生を過ごしていたと。再開されたのはなぜですか?
萩原:ある日、気晴らしに近所の海に入ってみたんです。久しぶりにサーフィンをしていたら、心がほぐされていくような感覚になって。それから少しずつできるようになりました。

–復活できて、本当によかったです。その後はどうでしたか。
萩原:身体が海に入りだしたら、自然と頭でもサーフィンのことを考えるようになりました。2019年には、千葉のJPSAプロトライアルに出場して、そのときに慧斗や海人たちに再会したんです。二人に「湘南来てみたら?」と提案されて、移住することを決めました。

–波がいい宮崎ではなく、あえて湘南を選んだのですね。
萩原:はい。たしかに宮崎は波がいいです。でも、湘南エリアは同世代で活躍しているサーファーがたくさんいて、刺激をもらえる。宮崎のスローライフも悪くないけど、今の俺には刺激が必要じゃないかと感じたんです。
湘南はもともと、ホームですからね。とはいっても家がないので、しばらくは海人の実家に居候させてもらってました。
武藤:え、大橋家で暮らしてたの!それ初耳!アツイ(笑)
スポンサー契約のため、610-changに会いに行ったが・・・

–それでは、610-changに出会ったときのことも教えてください。
萩原:初めて会ったのは、昨年。僕が29歳のとき。慧斗がボードスポンサーを紹介してくれるって言って、610-changに引き合わせてくれたんです。
–いい話ですね。では、周くんはすぐチームライダーに?
武藤:それがさ、慧斗から話を持ちかけられたときに俺、すごく酔っ払ってて。一切、そのくだりを覚えてなかったんだよね。

–それは、何というか、ビックリですね・・・。
武藤:慧斗から「改めて周を紹介したいから、家に連れていきます」って後日言われて。「あれ、何か約束したっけ・・・?」ってずっと考えてた(笑)
萩原:家に行ったら「じつはさ、覚えてないんだよね」って申し訳なさそうに言われました。「あ、全然、大丈夫です!はじめまして!」と返したけれど、心の中では「えーっ!マジかよ」って叫んでました(笑)
武藤:「何このおじさん?!」って思った?
萩原:・・・思いました。
一同:(爆笑)

–実際に周くんと話してみて、どう感じましたか?
武藤:ライダーになってもらいたいって思った。だから、スポンサーの話もふたつ返事でOKしたよ。酔っ払ってても、俺の目に狂いはなかった。
–なるほど。ではシェイパーから見て、周くんの魅力はどういった所にありますか。
武藤:ひとつはサーフィンスタイル。フローで、かつメリハリのある周のサーフィンは、見てて飽きがこないんだよね。ブランクを感じさせない。うちのボードに乗ってもらいたいって思わされたね。
つぎに、性格のよさ。サーフィンは以前から知ってたものの、周と言葉を交わしたことがなかったから、俺はそこが心配だった。だけど、周は穏やかでしょ。実際に話をしてみて、フィーリングが合うとわかったから、そこが決め手になった。

シェイパーとライダーの関係って、信頼とコミュニケーションで成り立っていくんだ。ボードの乗り味とか、改善点をライダーからフィードバックしてもらうことで、シェイパーはよりよいのボードをライダーに作ってあげられる。だから、そこは外せなかったね。
萩原:ありがとうございます。
–周くんは、610-changのボードに乗って変わったことはありますか?
萩原:サーフィンの楽しみ方が格段に広がりました。クアッドのフィッシュテールだったり、細身のコンテストボードだったり、610SURF BOARDSの板はいろんな波を想定して作られているので、いつも新鮮な気持ちでサーフィンできます。
今後は610-changのボードで、もっとビッグウェーブにチャレンジしたい。そして、みんなが驚くようなチューブをメイクしていきたいですね。
若い世代に伝えたいこと

–最後になりますが、サーファーとしてさまざまな経験を積んできたお二人から、若い世代に伝えていきたいことはなんですか?
萩原:助けを必要としていたら、声をあげてほしいですね。僕がそうして周りに助けられてきたから。できる範囲で、若い世代をサポートしていきたいです。
武藤:友達とサーフィンする時間は超大事。だけど、「ずっと同じところに固まってサーフィンしててもつまんねーぞ」ってことを伝えたいかな。あとは、周りに乗れてない子がいたら、波を譲るくらいのシェア精神を学んでほしい。

–610-changから周くんにかけたい言葉はありますか?
武藤:かけたい言葉・・・。ないね。俺はシェイパーだから、周が乗る波に合うボードを削るだけ。言葉じゃなくて、行動で示していくよ。
萩原:これからもよろしくお願いします。
武藤:こちらこそ、よろしく!
武藤秀行プロフィール

1976年1月30日生まれの湘南ロコサーファー。
2011年に地元茅ヶ崎でサーフボードブランド「610SURF BOARDS」を立ち上げる。ボードビルダーとしての活動のかたわら、2016年に1stソロアルバム”人生のline”をリリースした。2018年にはサーフショップ「Sunny line」を新規オープンし、音楽とサーフスケートで湘南地域を盛り上げている。現在、5人家族の大黒柱。
萩原周プロフィール

1990年11月5日生まれ。湘南・茅ヶ崎在住のスタイルサーファー。
幼少の頃に湘南から宮崎へ移住し、弱冠16歳でJPSA(日本プロサーフィン連盟)からプロデビュー。2006年 KUSTOM PRESENTS HYUGA PRO JUNIOR 優勝、KASTOM PRESENTS BILLABONG WJC JAPAN TRIAL 優勝などの戦績を残す。人生を見つめ直すため一度はサーフィンから離れるも、近年、「610SURF BOARDS」の専属ライダーとして復活を遂げた。
text by : 佐藤稜馬
photo by : Kazuki Murata
SPECIAL EDITION

FINEPLAYはアクションスポーツ・ストリートカルチャーに特化した総合ニュースメディアです。2013年9月より運営を開始し、世界中のサーフィン、ダンス、ウェイクボード、スケートボード、スノーボード、クライミング、パルクール、フリースタイルなどストリート・アクションスポーツを中心としたアスリート・プロダクト・イベント・カルチャー情報を提供しています。
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others【スペシャルインタビュー】野村周平が愛するストリートカルチャーの「自由」2021.02.252月26日(金)22時30分からWOWOWプライムでスタートする番組「HI-FIVE~URBAN SPORTS for LIFE~」のナビゲーターに俳優・野村周平が就任決定。「HI-FIVE~URBAN SPORTS for LIFE~」はストリートで生まれ、オリンピック競技として採用されるなど注目を集める「アーバンスポーツ」の魅力をさまざまな角度から深掘りする、WOWOWオリジナルレギュラー番組だ。番組スタートにあたって、ナビゲーターを務める野村周平にFINEPLAY編集部がインタビューを実施。野村周平が愛するストリートカルチャーとの出会いや番組ナビゲーター就任への意気込みについて話を聞いた。 HI-FIVEについて ―HI-FIVEナビゲーターに就任した今の気持ちを教えてください。野村周平(以下、野村):まさか僕のような俳優にオファーを頂けるとは思っていなかったので、ナビゲーター就任のお話を頂いて驚きました。昔からBMXやスケボーなどを通じてストリートカルチャーを身近に感じていたので、お話を頂いたことは素直に嬉しかったですね。しかしやらせて頂くからには表面をなぞるだけになるような中途半端なものではなく、リアルなプレーヤーやカルチャーにも焦点を当てたカッコいい番組にしたいと思っていたので不安もありました。番組制作の方々が「自由にやってください!」と背中を押してくれたおかげで、「じゃあ、好き勝手言いまっせ(笑)」ととても気持ちが楽になりました。慣れ親しんだBMXやスケートボード以外の、まだ触れたことのないアーバンスポーツとの出会いも楽しみでワクワクしています。 ―昨日から始まった収録はいかがでしたか?野村:純粋に楽しかったですね。大好きなBMX、スケートボードをして、大好きなショップを回って言うことなしです。「辰巳屋文具店」、「arktz」はいつも行っているショップなのですが、「WORM TOKYO」は初めて行ったので新鮮でした。昨日から2日間にわたって収録をして、すでに良い番組になる実感を掴んでいます。出演してくれている方々もリアルなプレイヤーばかり。番組制作陣のジャンルへのリスペクトと深掘りには感心しています。 ストリートカルチャーとの接点について ―ストリートカルチャーとの出会いについて教えてください。野村:ストリートカルチャーとの出会いは5歳の頃、スノーボードを始めたことがきっかけです。その後、アミューズのオーディションの賞金でBMXを買ったことをきっかけにBMXにのめり込んでいきました。その頃住んでいた家の下に自転車屋さんがあったのですが、そこにBMXが飾ってあったんです。やっぱり乗るならママチャリよりもカッコいいBMXに乗りたいし、当時は憧れていましたね。アミューズのオーディションで賞金を獲得したら、絶対にあのBMXを買おうと思っていました。BMXを買ってからは、ストリートを中心にスポットに行きました。ニューヨーク留学へもBMXを持っていき、現地でも色々な場所でライディングしましたね。特にニューヨークではなんでもアリで、ライダーやスケーターも多く刺激を受けました。また、4年前くらいからスケートボードも始めています。BMXとスケートボードでは乗る/滑ることができるセクションが違うので、また振り出しに戻ったような気分で新鮮ですね。それから、スノーボード、BMX、スケートボードに加えて夏はサーフィンもやっています。一年を通して春夏秋冬にあった「アーバンスポーツ」をやっている感じです。他にも、ファッションや音楽、グラフィティなどのカルチャーからも影響を受けています。 ―野村さんにとってのストリートカルチャーの魅力とは?野村:「自由」であること、その一言に尽きますね。何者からも縛られずに、人それぞれが「自由」にタイミングを問わず楽しむことができる点がストリートカルチャーの魅力です。それから、それぞれのプレイヤーにそれぞれのプレイヤー専用のギアがあり、ファッションも含めてバリエーション豊かな個性が表現できる点も良いところですね。もちろん今はオリンピック競技としての採用をはじめとする、スポーツ/カルチャーに関するさまざまな議論もありますが、「アーバンスポーツ」の多くがスポーツ化している最中だからこそ、そのような議論になるのではと思います。例えば野球もスポーツですが、そのカルチャーはもっと長いものかもしれません。BMXやスケートボードもフィジカルを使うスポーツと呼ぶこともできるし、ライフスタイルやアートを含めたカルチャーと呼ぶことだってできる。それぞれがそれぞれのやり方で楽しむことができればそれが一番良いことだと思いますね。 ナビゲーターとしての今後の活動について ―今後番組でやってみたいことはありますか?野村:やりたいことが2つあります。ひとつは番組を通じて「アーバンスポーツ」のリアルなカッコいい映像を作っていきたいということ。よくあるドラマやテレビ番組でのわかりやすさ重視のカメラワークやカット割ではなく、せっかくストリート/アーバンスポーツに焦点をあててくれる良い番組なので、そういったところについても番組制作の方々と一緒にこだわって、リアルでカッコいい映像を作っていきたいですね。そしてもうひとつは、堀米雄斗選手や中村輪夢選手のような世界で活躍するアスリートや、シーンやカルチャーを築き上げてきた先人などのリアルな人たちにあって話を聞き、リスペクトを持って番組を作っていきたいということです。「アーバンスポーツ」好きにも納得して見てもらえる内容の番組にしていきたいなと思っています。 ―HI-FIVEナビゲーターとして、これから視聴者に対してどんなことを伝えていきたいですか?野村:楽しいことは大前提で、ぜひこの番組をきっかけに「アーバンスポーツ」にハマって欲しいですね。いろいろなジャンルのスポーツ/カルチャーがあるので、自分に合ったものを見つけて欲しいと思います。例えばスケートボードやBMXであれば、初めてオーリー、バニーホップができるとそれまで見えていた街中の景色が今までと全く違ったものに見えるんです。スケートボードやBMXをコントロールして宙に浮いている時の喜びはもとより、今まで目に入ってこなかった街中の障害物のひとつひとつがセクションとして見えてきます。すると自分自身のギアをコントロールして、一層自由に街中をライディングできるようになります。あくまで一例ではありますが、「アーバンスポーツ」は自身の体とギアとストリートの関係性を大きく覆してくれるような力を持っていると思うんです。この番組を通して、そんな「アーバンスポーツ」カルチャーの「自由」な魅力をもっと多くの人に味わって欲しいですね。 「HI-FIVE~URBAN SPORTS for LIFE~」は2月26日(金)22時30分からWOWOWプライムでスタート! 「HI-FIVE~URBAN SPORTS for LIFE~」は2月26日(金)22時30分からWOWOWプライムでスタート。「アーバンスポーツ」好きも、興味のある人も、ぜひ試聴してその魅力を感じよう。 「HI-FIVE~URBAN SPORTS for LIFE~」番組内容 世界的に注目度が高まるアーバンスポーツの魅力を、さまざまな角度でお届け。WEBで展開する動画と連動し、選手の内面やカルチャーとしての奥深さを掘り下げていく。BMXフリースタイルやスケートボード、パルクール、ブレイキン(ブレイクダンス)など、都市型スポーツと称されるアーバンスポーツ(URBAN SPORTS)。そのアーバンスポーツを2021年、WOWOWが放送する。テニス、サッカー、ラグビー、ゴルフ、ボクシング、総合格闘技といった、世界最高峰のスポーツを放送しているWOWOW。今回、アーバンスポーツのWOWOWオリジナルレギュラー番組や、世界大会の中継、さらに特設ポータルサイトやYouTubeチャンネルでの動画配信と、さまざまな形でコンテンツをお届けする。WOWOWが今回取り上げるのは、BMXフリースタイル(パーク/フラットランド)、スケートボード、パルクール、ブレイキン、インラインスケート、ボルダリングの6競技。さらなる競技の追加も今後行なっていく予定だ。BMXフリースタイル、スケートボード、ボルダリングは東京オリンピックの正式競技となり話題となったが、さらに2024年のパリオリンピックでは、ブレイキンが追加競技として採用された。この番組の放送を機に、年を追うごとに注目度が高まるアーバンスポーツの魅力を感じてほしい。この番組は、アーバンスポーツ各競技の、スポーツとしての楽しみ方はもちろん、己を磨き世界大会に挑む選手や、ストリートで自分を表現しているプレーヤーたちのそれぞれの想い、ファッションや音楽へのこだわり、地域によって異なる背景、そして根底にあるカルチャーとしての歴史など、スポーツとしての魅力に加え、各競技の周辺にあるカルチャーも深掘りするオリジナルレギュラー番組として、YouTubeチャンネルで配信する動画コンテンツと連動しながら、毎月1回、レギュラー放送・配信する。ナビゲーターとして、自身もBMX、スケートボードをプレーし、ストリートカルチャーに精通する野村周平が登場。ゲストとして登場する各競技のトップ選手や専門家とともに、さまざまな視点でアーバンスポーツの魅力をお届けしていく。【放送日時】2月26日(金) よる10:30スタート[WOWOWプライム] ※初回無料放送WOWOWメンバーズオンデマンドで同時配信(3月以降)毎月第3金曜日 よる10:30~[WOWOWプライム] 毎月1話レギュラー放送 WOWOWメンバーズオンデマンドで同時配信
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freestyle「フリースタイルフットボールを多角的にみながら楽しめる競技にしていきたい」フリースタイラーTOKURA2021.02.19【インタビュー/FINEPLAY】13歳でフリースタイルフットボールを始めてから、数々の大会で活躍し、全日本大会「Red Bull Street Style Japan Final」では史上最年少となる17歳で優勝。その後、2012年イタリアで開催された「Red Bull Street Style World Final 2012」にて日本人として初めて優勝し、大きな話題を呼んだ。現在、日本国内を中心に全国各地でパフォーマンス活動やレクチャー、クリニックなど精力的に活動しているフリースタイラーTOKURAへ自身の活動やフリスタイルフットボールシーンについて語ってもらった。 https://www.youtube.com/watch?v=en0snt0AffI&t film by 写樂-Sharaku- 徳田耕太郎プロフィール生年月日 : 1991年7月21日身長/体重: 169cm/52kg出 身 : 愛媛県所 属 : レッドブル・ジャパン経 歴 :13歳の頃に「NIKE フリースタイルフットボール」という本に影響を受けてフリースタイルフットボールを始める。2年後には愛媛県よりパフォーマンス活動を始め、その楽しさからその後も続けることを決意し、フリースタイルフットボールチーム「Team-Lingo」のリーダーを務めるなど、数々のステージを経験する。全日本大会「Red Bull Street Style Japan Final」では史上最年少となる17歳で優勝。その後、2012年イタリアで開催された「Red Bull Street Style World Final 2012」にて日本人として初めて優勝し、大きな話題を呼んだ。最近では世界で発売されているFIFA20というサッカーゲーム内、「VOLTA FOOTBALL」というモードにキャラクターとして登場している。現在も、日本国内を中心に全国各地でパフォーマンス活動やレクチャー、クリニックなど精力的に活動している。
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[PR] parkour【YASU&YOSHI × Xperia 特別インタビュー】YASU&YOSHIが目標に掲げるトレーサー像と「Xperia 1 II」カメラ機能の魅力2021.02.01日本体操協会のパルクール公式スポンサーであり、そのシーンをこれまでサポートし支え続けてきたXperiaと、アクションスポーツ・ストリートカルチャー総合メディアFINEPLAYがタイアップし、連載企画で注目のトレーサーに焦点を当てていく。今回は兄であるKENICHIの影響でパルクールを始め、monsterpkのユースチームlilmonpkでも活躍している、双子のスーパーキッズトレーサーYASU&YOSHIを取り上げてインタビュー。 YASU&YOSHIが目標に掲げるトレーサー像や意識していること、そしてソニーの最新スマートフォンである「Xperia 1 II」のカメラ機能を体験した感想について話を聞いた。 https://youtu.be/n4NB80p55q8 —パルクールを始めたキッカケYOSHI:兄であるKENICHIが友達からパルクールの動画を見せてもらったことで、僕たちもパルクールを知りました。兄はその時パルクールを始めましたが、高校に行くにつれてだんだん友達がパルクールから離れてしまったので、僕たちも練習場所に連れていってもらうようになりました。そこでカッコいいと思い、気づけば僕たちもパルクールを始めていました。 「Xperia 1 II」で撮影 —ホームタウン(練習場所)YASU:地元立川駅近くの公園や街中で練習しています。もともとあるものを使って練習することが多いですね。スケートパークもあるのでスケーターから話しかけられることもあります。—尊敬しているトレーサーYOSHI:尊敬しているトレーサーは兄です。また、「STORROR」というイギリスのパルクールチームも尊敬しています。YASU:僕も兄と「STORROR」を尊敬しています。 「Xperia 1 II」で撮影 —パルクールをする上で意識していることYOSHI:公共の場所で動くこともあるので、通行人に気を使ったり、物を壊したりしないように気をつけています。YASU:周りの人の意見もあると思うので、そのバランスは常に意識しています。—自身のスタイルについてYOSHI:僕のスタイルは「STORROR」のトレーサーのように移動系でありながら、瞬発的に大技を繰り出すパルクールの魅力を兼ね備えたスタイルを目指しています。YASU:僕は現在ムーブの中で大味な部分が多いので、そこのクオリティをもっと上げて滑らかに移動ができるようなトレーサーになりたいです。 —目指すトレーサー像YOSHI:今パルクールの動画を見ていると、似たようなフローやスタイルのトレーサーが多いと感じています。そのため自分は本当に好きな動きや求める技を今後も出していけるようなトレーサーになりたいと思っています。 YASU:兄や「STORROR」のスタイルだけでなく、人間的な部分でも尊敬しています。同じスタイルや同じ形でも見られ方はその人間性によって変わると思っているので、自分もパルクールだけでなく人としても成長していきたいと思っています。—今後の目標YASU・YOSHI:パルクールが今後広がっていく中で、競技的な部分だけでなく内面的な部分を感じさせるカルチャーをしっかり広めて行きたいと思っています。競技の中でも、スタイルには勝ち負けがありませんし、僕は楽しむことを念頭に置いて大会に臨んでいます。 「Xperia 1 II」で撮影 Xperiaについて —「Xperia 1 II」の第一印象は?YOSHI:「Xperia 1 II」は縦長のスタイリッシュなデザインだと思いました。スマートフォンでありながらも、3つのカメラの存在が特徴的で高級コンデジのような印象がありましたね。YASU:第一にディスプレイがワイドで見やすそうだと感じましたね。 *映画とほぼ同じ比率のシネマワイドディスプレイを搭載。21:9の動画視聴時に上下に黒帯が入らず、美しい映像を大迫力で楽しめます。 「Xperia 1 II」で撮影 —「Xperia 1 II」を使用した感想は?YOSHI:パルクールの動画を撮る上で、今までのスマートフォンでは動きがブレてしまってかっこいい動きなのに映りが微妙になってしまっていることもあったのですが、「Xperia 1 II」はブレもなく滑らかに、鮮明に映っていてすごいと思いました。 *ソニーの映画撮影用プロフェッショナルカメラ開発チームが画作り、操作画面を監修したCinematography Proでは、新たに2K 10bit HDRに対応した120コマ/秒のハイフレームレート撮影が可能に。従来の24コマ/秒、30コマ/秒に加え、60コマ/秒、25コマ/秒の4K 10bit HDR撮影も可能となっているため、激しい動きでもブレない滑らかな動画の撮影ができ、手軽に映画のような画作り・質感・色表現を楽しめます。YASU:シャッターボタンを半押ししてピントを合わせる機能や、シャッタースピードや露出などを細かく設定して撮影できるPhotography Proという機能は、まるで一眼レフカメラのようでお気に入りの機能です。練習風景以外の撮影にもいろいろと活用したいと思いました。 「Xperia 1 II」で撮影 —トレーサーにとって「Xperia 1 II」で便利だと思う瞬間は? YASU:「Xperia 1 II」の高速連写機能やスローモーションでの撮影機能が便利だと思います。練習の中で自分の動きを確認するために、お互いの動きを写真や動画に収めて、細かい動きを修正したり、改善するために利用したいです。 ソニーのデジタル一眼カメラ「α」シリーズの技術を継承した「Xperia 1 II」の高速連写機能でパルクールのトリッキーなアクションを撮影しよう ■最高20コマ/秒のAF/AE追従高速連写でトレーサーの動きを逃さずとらえて、カッコいい写真が撮れる!「Xperia 1 II」のカメラ機能は、世界中のプロフォトグラファーの意見を反映したPhotography Proの機能やカメラシステム、ソニーのデジタル一眼カメラ「α」シリーズで培った技術を引き継ぐ使いやすいインターフェースによって、スマートフォンの枠組みを超えた創造的な写真表現を可能にしています。最高20コマ/秒のAF/AE追従高速連写機能では、最高60回/秒のAF/AE演算処理でパルクールのようなトリッキーな動きの被写体でもスムーズにフォーカスを合わせ続け、決定的な瞬間を12MPの高画質でカッコよく撮影することができます。スムーズな連写と素早いオートフォーカスでトレーサーのスタイルを逃さず撮影できる「Xperia 1 II」の高速連写機能を使って、クリエイティブなパルクール写真を撮影してみましょう。 「Xperia 1 II」で撮影 —今後の活動についてYASU:同年代のトレーサーとチームを組んでいます。パルクールに出会って内面が成長した部分もあります。今後パルクールを広めていくというよりは、みんなにも僕にとってのパルクールのような個別の空間を見つけてほしいと思っています。 *被写体の動きを予測して高い精度でフォーカスを合わせ続け、自動で露出も調整してくれるので、誰でもかんたんに連写撮影ができます。最高20コマ/秒の連続撮影で、パルクールのトリッキーな動きも鮮明に捉えます。 Xperia 1 II
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[PR] parkour【RYOTA × Xperia 特別インタビュー】トレーサー・RYOTAがリスペクトするパルクールカルチャーと先人たち日本体操協会のパルクール公式スポンサーであり、そのシーンをこれまでサポートし支え続けてきたXperiaと、アクションスポーツ・ストリートカルチャー総合メディアFINEPLAYがタイアップし、連載企画で注目のトレーサーに焦点を当てていく。今回はRyotaxの愛称で親しまれる、リポーターや解説者、地元千葉での練習会主催など、多方面で活躍するトレーサー・RYOTAを取り上げてインタビュー。 RYOTAが目指すトレーサー像や現在のパルクールカルチャーの動向、そしてソニーの最新スマートフォンである「Xperia 1 II」のカメラ機能の魅力について話を聞いた。 https://youtu.be/rWXiJcq3teA —パルクールを始めたキッカケRYOTA:パルクールを始めたきっかけは、中学2年生となった初日に動画共有サイトでたまたま静岡県浜松で活動しているパルクールチーム・SIGNALの動画を見つけ、その動画に衝撃を受けたことです。今まで水泳やサッカー、野球や卓球などさまざまスポーツをやっていましたが、どれも長続きしませんでしたが、パルクールは真似して練習していくうちにどんどんのめり込んでいき、気づけば今年でパルクールを始めてから8年経ちました。 写真提供:株式会社PKM / 14歳の頃、千葉県千葉市の検見川浜にて —ホームタウンRYOTA:ホームタウンは千葉県・海浜幕張です。当時は施設があまりなく、海の砂浜や公園の段差やスロープを利用して練習を行っていました。—尊敬しているトレーサーRYOTA:尊敬しているトレーサーは同じチームのZENです。動きのカッコよさはもちろん、普段の立ち振る舞いや言動、全てが「この人みたいになりたい」という理想のトレーサーです。—現在のパルクールシーンについてRYOTA:最近ではパルクールもメディアへの露出が多くなり、同世代では5人に1人くらいはパルクールのことを知っています。昔に比べて確実に認知度は上がっていますね。 「Xperia 1 II」で撮影 —シーンを拡大する為、意識していることRYOTA:現在日本では、パルクールはスポーツやエンターテイメントの部分を中心に認知が広まっていますが、根本である「トレーニングであり、自身と向き合って強くなっていく」というカルチャーの部分を広げていく必要があると思っています。それが先代のパルクールの開拓者たちへのリスペクトであり恩返しになると思っています。そこだけは忘れてはならないと思っていますね。—自身のスタイルについてRYOTA:いい意味で癖を強くする、自分の個性を限りなく出していくスタイルを目指しています。そのためには、あえてトレンドを取捨選択するように意識しています。また、脚力を生かした動きの軽さを武器にして、宙返りや障害物をクリアするスピード、高さといった重力を感じさせない動きを得意としています。 「Xperia 1 II」で撮影 —目指すトレーサー像RYOTA:自分はこれまで挫折グセのある人間だったので、パルクールにおいては動きだけでなく、自分自身と対話をして強くなっていくことを念頭において練習に取り組んでいます。生涯を通して強くありたいと思いますし、トレーニングを通じて自分の強さの芯をどんどん太くしていきたいと思っています。またパルクールの歴史はまだ浅く、自分が年老いて亡くなるまでにはパルクールで生活できるという事例を作りたいと思っていますし、それが自分がmonsterpkに所属している使命だと思っています。これからも強くなっていくことで、後輩やこれからパルクールを志す人たちに対して勇気や希望を与えることができるトレーサーになりたいと思っています。—自身にとってパルクールとは?RYOTA:パルクールは自分にとって人生そのものです。普段の生活の中での思考や立ち振る舞い、感情含めて全てパルクールだと思っています。 「Xperia 1 II」で撮影 Xperiaについて —「Xperia 1 II」の第一印象は?RYOTA:思っていたより幅が広くなく、薄くて長いデザインに驚きました。スマートフォン自体に凹凸が少なく、メタルフレームにディスプレイがしっかり収まっているデザインは洗練されてスタイリッシュな印象がありました。 「Xperia 1 II」で撮影 —「Xperia 1 II」を使用した感想は?RYOTA:自分もカメラをやっているので、スマートフォンでこんなに細かく設定できるということに驚きましたね。絞り、シャッタースピード、露出を数値で設定できるPhotography Proは、今まで他のスマートフォンでは体験したことがありませんでした。パルクールの写真や動画を撮る側からしたらありがたい機能です。絶対にスマートフォンは持ち歩いているので、手軽に自分の意図した設定で撮影ができることは魅力的ですね。 —トレーサーにとって「Xperia 1 II」で便利だと思う瞬間は?RYOTA:トレーサーにとって「Xperia 1 II」で便利な機能は高速連写機能です。カメラ機能の性能には一番こだわっています。練習では、連写で写真を撮ってコマ送りで自分の動きを確認するのですが、「Xperia 1 II」はこれまでのスマートフォンよりも、指先まで鮮明にブレずに撮ることができるのでありがたいです。また、映画のワンシーンのような動画を簡単に撮影できるCinematography Proの機能もトレーサーにとっては嬉しいですね。クルーのプロモーションビデオの撮影などにも使ってみたい機能です。 ソニーのデジタル一眼カメラ「α」シリーズの技術を継承した「Xperia 1 II」の高速連写機能でパルクールのスピーディーなアクションを撮影しよう ■最高20コマ/秒のAF/AE追従高速連写でトレーサーの一瞬の動きを逃さず、カッコいい写真が撮れる!「Xperia 1 II」のカメラ機能はソニーのデジタル一眼カメラ「α」シリーズで培った技術を継承。 世界中のプロフォトグラファーとの共創によって磨き上げられた、Photography Proの機能や革新のカメラシステムによって想像を超えるクリエイティブな表現を可能にしています。最高20コマ/秒のAF/AE追従高速連写機能では、最高60回/秒のAF/AE演算処理でパルクールのような動きの速い被写体でもスムーズにフォーカスを合わせ続け、決定的な瞬間を12MPの高画質で美しくとらえることができます。スムーズな連写と素早いオートフォーカスでトレーサーのスタイルを逃さず撮影できる「Xperia 1 II」の高速連写機能を使って、あなただけのクリエイティブな写真を撮影してみましょう。 「Xperia 1 II」で撮影 —今後の活動についてRYOTA:パルクールを通して自分自身強くなりましたし、今まで先輩達にいろいろな大切なことを与えてもらいました。だからこそ、次の世代のトレーサーたちに対して、さまざまなことを生涯通して与えていける人間になりたいと思っています。 Xperia 1 II
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climb【スポーツクライミング】藤井快・森秋彩が優勝を飾り2021年シーズン好発進「ボルダリングジャパンカップ」2021.01.311月30、31日の2日間にわたり、東京都世田谷区・駒沢オリンピック公園総合運動場屋内球技場において「スポーツクライミング第16回ボルダリングジャパンカップ」(以下、「BJC2021」)が行われた。大会は現今の新型コロナウィルス感染症の流行と緊急事態宣言の発出を鑑み無観客試合、厳重な感染対策を実施の上開催。31日は準決勝、決勝が行われ、予選から勝ち上がった男子は藤井快(TEAM au)、女子は森秋彩(茨城県山岳連盟)が優勝。2021年シーズンのボルダリング王者の称号を手にした。藤井は2大会ぶり4回目、森は自身初のBJC優勝となる。 番狂わせの準決勝では女王・野口啓代が決勝進出を逃す 準決勝男子では天笠 颯太(日本大学)、4課題中4完登で首位通過。同じく4完登で「第14回BJC」王者の石松大晟(Base Camp)が2位と好調な成績で決勝へと進む。楢崎智亜(TEAM au)、緒方良行、原田海(日新火災)、藤井も決勝へ進んだ。準決勝女子では野中生萌(XFLAG)が唯一の4課題中4完登で首位をキープ。伊藤ふたば(TEAM au)、中村真緒(青山学院大学)、石井未来(愛知県山岳連盟)、谷井菜月(橿原学院高等学校)、森が3完登で決勝へ進む。2課題目を完登できず3完登であった野口啓代(TEAM au)はアテンプト差で惜しくも7位となり決勝進出を逃している。 決勝では藤井快が全完登、森秋彩は初優勝 男子決勝では藤井、楢崎智亜、緒方が第1課題、第2課題、第3課題を続けて完登、優勝争いは三つ巴の様相を呈する。残る最終第4課題では藤井が見事一撃で完登を決める。楢崎智亜、緒方も見事完登するがアテンプト差で藤井が首位。藤井は2大会ぶり4回目のボルダリング王者となった。女子決勝では森、中村、伊藤、野中が第1課題を完登し幸先の良いスタートを切る。続く第2課題も森、野中が見事完登。森と野中の首位争いとなるが、第3課題を唯一完登した森が一歩リードする。運命の第4課題ではなんと森が一撃、見事4課題中4完登の成績で締めくくり、自身初の優勝メダルを手にした。 藤井快(写真は「スポーツクライミング第32回リードジャパンカップ」で撮影) / photo by tabasa 優勝者コメント 男子優勝:藤井快 3連覇してから2大会続けて優勝できていなかったので、今年こそ4度目の優勝をと思っていました。今年こそ達成できて嬉しく思います。第1課題での膝負傷についても問題なく競技を続行することができたのでよかったです。この状況下での大会開催を感謝しています。今後のシーズンについても読めない部分はありますが、引き続き頑張っていきたいと思います。皆さんの声援が届きました、ありがとうございました。 女子優勝:森秋彩 このような大変な時期に、大会に出られるだけで幸せなことだと思っています。まさか自分が優勝できるとは持っていなかったのでとても驚いています。これからは以前のように大会が行われるかはわかりませんが、一つ一つの大会を楽しんでもっと強くなれるように努力したいと思います。今大会での優勝をモチベーションにして、パリオリンピックでの表彰台を目標にして練習していきます。これからも一生懸命頑張るので、応援よろしくお願いします。 出場選手コメント 楢崎智亜 決勝はパワフルな課題が多く、苦戦しました。ムーブの選択肢があったので迷ってしまった部分もありました。今日は優勝を狙っていたので残念でしたが、競技自体の感触も良く収穫は大きい大会となりました。今後も普段の練習の中から自分に合ったムーブを見つけていきたいと思います。 原田海 準決勝では予選の反省点を生かして100点満点の登りができましたが、決勝に進めると思っていなかったこともあり、準決勝で力を出し切ってしまいました。試合感覚は準決勝で良いものを得られたと思っているので、今はまだ基礎を固める段階ではありますが、オリンピックを見据えてしっかりとトレーニングを行っていきます。 伊藤ふたば 決勝の内容としては反省点ばかりだったので、純粋に悔しいです。2課題目を登れなかったことを4課題目まで引きずってしまったことが、今大会の敗因だと思います。今回の決勝でも改善点をたくさん見つけることができたので、パリ五輪へ向けて少しずつ改善していきたいです。 野中生萌 予選、準決勝と全部登れていたので、決勝でも全ての課題を登りきりたいと思っていましたが、それが叶わなくて残念です。しかし今までやってきたトレーニングは間違いないと確信できたので、その点ではよかったです。肩の怪我についてはリハビリや筋トレをすることでカバーができていると感じているので、引き続き様子を見ながらトレーニングをしていきたいと思います。 スポーツクライミング第16回ボルダリングジャパンカップ 結果 男子 優勝:藤井快2位:楢崎智亜3位:緒方良行 女子 優勝:森秋彩2位:野中生萌3位:伊藤ふたばtext by 金子修平