みなさんこんにちは!3ヶ月に渡る僕のロサンゼルス・アート修行も大詰め、活動の報告として綴ってきたこのコーナーArt Act in LAもいよいよ最終回です。3ヶ月、全力で活動してきた中で、最終回にふさわしい事件が起きました!
今回LAに渡り、3ヶ月間活動するそもそもの目的は「現代アートの本場アメリカで個展をするための糸口を掴む」ということでした。人脈を増やすこと、必要な情報をえることなど、アメリカでアート活動をし、成功へ向かうための準備にきたわけです。世界中の数多くのアーティストがアメリカに集まる中で、なんとか自分という存在に興味を持ってもらい、機会を掴み取るために動き回りました。
前号でも書きましたが、飛び込み営業では累計60箇所のギャラリー及び美術館を周り、ギャラリー関係者と話し、「ここだ。」というタイミングで英訳した自分のポートフォリオを手渡して反応を見るということを実施しました。
結果、多くのネットワークが広がり、有益な情報を数多く得ることが出来ました。思っていたほど名門ギャラリーでの個展開催は甘くないことも痛感しましたし、逆に、僕の作品やスタイルに非常に好感を示してくれる事実に自信を持つこともできました。如何にしても、非常に実りある3ヶ月でした!

「具体的に、いつ、どの場所で個展を開催する」という最も狙っていた形を組み立てきれなかったのが1つ不完全燃焼なポイントですが、その本来の目的は達成できずとも、僕のアーティスト人生にとって掛け替えのない、本当にドラマチックなことが起きました。
滞在日程を5日残し、ロサンゼルスから成田までのチケットを手配しました。やれるだけやった、良い繋がりもできたし、情報も得たし、次に向かうべき方向が見えた。安堵に包まれながらいよいよ帰宅モードで仲間とパッキングしながら映画を観ていました。「ニューヨークの恋人」僕の大好きな映画の一つです。タイトル通り、映画の舞台はニューヨーク。ロサンゼルスの次は天下のニューヨーク、アートの本場に強い憧れを持ちながら「ニューヨーク、行きてぇな~!」と気持ちがこみ上げ、思わず言葉に出したのを覚えています。いつか絶対アートの仕事でニューヨークに行ってやると胸を馳せたのを覚えています。人生とは奇怪で面白いものです。なんとまさにその日の夕方のことです。「今週末、ニューヨークでアートパフォーマンスをしてみませんか?」という仕事の電話を頂いたんですね。
言霊とは本当にあるんですね!仲間達と歓喜に湧きました。ニューヨークのギャラリーでアートパフォーマンスをさせてもらえるという事は、今後のキャリアに活かすことのできる絶好のチャンスです。普段ライブアートはやらないのですが、3ヶ月の修行期間の最後にこんな好機もないだろうと思い、即快諾しました。本当に心踊りましたね!何が何でもやるっきゃないなと興奮していたのを覚えています。

普段は専門外であるライブアートパフォーマンスについて熟考しました。ライブアートとスタジオでじっくり時間をかけて行う制作ではもちろん勝手が違うわけです。限られた時間で、如何にしてオーディエンスに新しく、これまでにない感覚を表出していくか、そして自分という存在をできるだけ長く覚えていてもらうためのインパクトを植え付けられるか、という定を基にアイディアを考えました。
アイディアが浮かぶなり速攻準備を始めました。ホームセンターをはしご、道具を買い揃えました。実は、帰国予定日までの日数が残り4日しか残っておらず、ニューヨークでのパフォーマンスを終えるなり、速攻空港に向かってロサンゼルスまでとんぼ返りしなければならない過密な予定でした。すでにロサンゼルス~東京間のチケットを購入済みだったので、ロサンゼルスまで戻ることが必至だったのです。狂ったように荷物をまとめ、ロサンゼルスとは正反対の東海岸に向かう飛行機に乗るために空港に駆け込みました。ニューヨークの主要空港のチケットは既に売り切れ、ニュージャージー州のニューアーク空港までのチケットを購入し、ニューアークへ降り立つことに。

ニューアークに降り立つと、電車でニューヨークシティに向かいました。3年前にテレビの取材でニューヨークを訪れたことがあったのですが、今回は一層、街並みが色濃く移りました。好機を掴んで戻ってきたNYCの景観は何とも感慨深いものがあり、嬉しさが大爆発、心から込み上げるものがありましたね。
油断している暇はなく、キャンバスや、塗料などを揃えにアートショップへ急ぎました。今回のライブアートの構想は、巨大キャンバスを使うことだったので、運搬の都合上、キャンバスは現地で調達する必要がありました。「明日の15時までに絶対に、絶対に届けてくれ!僕の人生におけるビッグイベントなんだ!」とアートショップのマネージャーに発破をかけ、本当にキャンバスが届くであろうかという不安を持ちつつ、翌日の予測不可能な仕事に心躍らせながら眠りにつきました。

翌日、未だ足りてない道具をホームセンターで買い揃えて会場へ向かいました。ダウンタウンからバスで50分、ハーレム地区にあるギャラリー「WHITE_BOX」へ。今回キュレーションしてくださったKyokoさん、ギャラリーのファウンダーのファンがギャラリーの玄関で迎えてくれました。ニューヨークで著名なアーティストの作品と取り扱うWHITE_BOXでパフォーマンスができることに胸が騒ぎました。
夕方6:30、いよいよ本番。今回は僕が描き上げたアートキャンバスを中国人アーティストのJon Tsoiが切り刻み、仕上げるといった一見奇怪なアートコラボレーションでした。自分が描いたものを切り刻まれる?正直アーティストとしては断腸の極みです。しかし、僕の今後のアート人生を想像したときに、この先こんな経験は味わえないだろうと思いました。新しい境界の拡張に挑戦してみようと思いました。そして、僕の絵を切り刻む事がどんなに苦しいことであったか、という相手の感情も誘いだして、やられるのではなく、やってやろうと思いましたね。実情として、相手のJon Tsoiに挨拶をした際、真っ先に「日本人は甘やかされてる。」という洗礼を浴びせられましたしね。闘うということではなく、全く新しい感覚を覚えてもらおうと思いましたね。

パフォーマンスのタイトルをRitual Restoration とし、滅菌スーツのような全身白い作業スーツに着替えました。ゴーグルにガスマスクまで着けて、まるでバイオ研究員の装い(笑)。自分の服が汚れないようにということもありましたが、一番は演出のためです。オーディエンスは、あれは一体何を着ているんだろうとと不可解なものを見る様子で見ていましたから、目を惹く目的は成功です。そして、いよいよ登場し、早速、縦の長さ180cmのキャンバスの上に寝転がり、手首、足首、膝をテープで固定しました。
アシスタントの2人がディープブルー、オレンジ、パープル、ライトグリーンの絵の具をボトルごと噴射し、身体にかけまくりました。自分自身のカラダの型をキャンバスに写し込みたかったのです。白スーツの上から頭から足の先までペイントをとにかくかけまくりました。僕としてはこの時間が最高にエキサイティングなひと時だったことを覚えています。ニューヨークまで飛んできて、ギャラリーのコンクリートの床におかれたキャンバスの上で天井を見上げていました。オーディエンスからすると、まだどこへ向かうかわからない不可思議なアートパフォーマンスを見つめているわけですが、その不可思議な時間を自分自身が引きずり続けられるわけですね。アメリカですから、理解不能、そしてつまらないという感情の時間が長すぎると途中で席を立って帰ってしまうことが普通ですから、どこまで焦らすべきか、そこがミソなわけですね。大の字に寝転んで奇怪なことをしてオーディエンスを待たせる時間が、僕にとっても緊張感であり、恐怖であり、エキサイティングだったのです。心や感情は本来、目に見えないものなのですが、オーディエンスも僕自身も日常にはない方向と時間へ互いに引きずられていることを感じました。相互に心が新しい方へ動く、それがアートの面白みです。

おおよそ、これぐらいであろう時間が経った後にキャンバスから起き上がり、車椅子に戻りました。自分の身体のシルエットがちょうど良い具合に抽象的に象られていました。思った通り、と予想外のアクシデント性のある美が調和していて気に入りました。自分の身体のシルエットが白く残ったその空間にペインティングを施して仕上げに向かいます。キャンバスの一番下の足の空間から線を頭に向かって引きます。一本は花の茎、もう一本はその茎の影です。クリスチャン文化を抜きにアメリカは語れません。そしてアート史においてもそうです。マザーマリアの心、バラの花をチョイスしました。赤いバラを咲かせ、バラの影はポキっと折って下に俯かせます。僕も首の骨を折ったからこそ咲く人生がありますし、みなさんがそうで、日々の苦悩に向かい、乗り越えて何かを実らせるわけですね、そんな日常の思いを共有したかったのです。
バラを仕上げるなり、キャンバスをオーディエンスのサークルのど真ん中に敷き戻しました。脱いだ白スーツ、このパフォーマンスで使った筆2本、LAでの生活をずっと共に過ごし、汗の染み込んだ汚ったないキャップをキャンバスの心臓部に投げ込みました。
「これが僕の能力です。Thank you New York!」思いっきり叫び、パフォーマンスを閉めました。

この絵を刻むことは必ず物議を醸す。ということが確信できました。Jon Tsoiが切り刻み始めると「やめろ~!!やめろ~!!」と大声で叫ぶ人、顔をしかめて感情をあらわにする人、結果10人くらいが会場から去っていきました。Jon Tsoiが悪いのではなく、これぞアートだと思いました。日常にない感情に襲われる、耐えきれずに逃げ出したくなる。非日常の感情を味わって人は更新されるものであり、それがアートの役割だとも思います。その感情が悲痛な体験であれば、トラウマと化す可能性もありますが、今回は「美しいものを守りたい痛さ」だったのではないか、そうであったとしたら嬉しいと思います。普通であれば他の誰かがやれば良いわけですから、僕のアーティストである役目は境界を広げるというチャレンジにあったわけです。
パフォーマンスが終わると、Jon Tsoiが「人種、国は関係ないよね、君と僕は仲間だからね」と敬意を表してくれました。戦いあったというより、生み出したという気持ちになりましたね。

僕自身、非常に興奮させられた体験でした。「なぜアートをやっているの?」という質問に正確性を持って答えられない、あるいは思ってもいないことで取り繕う事が多々あります。この体験を通してその質問について改めて考えてみると「日々新しい感覚を追い、新しい感覚をくらい、くらわせられるから」という事が今の段階の答えです。自分自身が心踊ることを探して、手に入れようと必死で手を伸ばし、指先に少し触れてまた離れる、新しい方法で手を伸ばして一瞬つかむ事ができる快感に喜びを覚えるわけです。
3ヶ月間のコラム「Art Act in LA」、「Art Act in LA & NY」に拡張されました笑。3ヶ月、前のめりな姿勢で僕自身の人生がまた色濃くなったと実感しました。目標は絶え間なく伸び続けます。引き続きチャレンジしていきたいと思います。応援してくださった皆様、大変ありがとうございました。日本、海外、僕を見かけたら是非お声かけいただきたいと思います。引き続き応援よろしくお願いします!ありがとうございました!

Takayuki Matsumine (松嶺 貴幸)
1985年12月9日生まれ。岩手県雫石町出身。東北の豊かな自然が織りなす強烈な四季の中、 野生の動植物が嬉遊に生息する生命豊かな環境で生まれ、郷土民芸品の継承を担っていた祖父母の影響で「ものづくりに」の機会に恵まれた幼少期を過ごす。2001 年フリースタイルスキーの転倒 事故により頸椎を骨折、脊髄を損傷。2 年 8 ヶ月病院で治療から、自身の生命と向き合う機会を賜った。 生きる欲求と死への恐怖や苦悩が強烈に混ざり合い、本能の根底から「生」の価値観が湧き上がった。2013 年、単身で アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに渡り、サンタモニカカレッジでインダストリアルアートに出逢うと、そのエンターテイメント文化に触発され、全く経験のなかったアートの世界に飛び込んだ。現在は、燃えたぎるものを外部に排出し、残像した脳の内部で起こるニューロン・スパークや神経蘇生への欲求、強烈に飛び出し続ける脳波など宇宙論を形成する量子を自身の作品に落とし込み、造形、イン スタレーション、テクノロジー&サイエンティフィック・フュージョンをはじめとする作品に、一刻一 刻発火し、更新される考察を吐き出している。
2018年4月 View from the Broken Neck @SO1 Gallery
2018年11月 The Perfect Accident @aiina Gallery
2019年5月 The Factors @ガロウ Gallery
SPECIAL EDITION

FINEPLAYはアクションスポーツ・ストリートカルチャーに特化した総合ニュースメディアです。2013年9月より運営を開始し、世界中のサーフィン、ダンス、ウェイクボード、スケートボード、スノーボード、クライミング、パルクール、フリースタイルなどストリート・アクションスポーツを中心としたアスリート・プロダクト・イベント・カルチャー情報を提供しています。
アクションスポーツ・ストリートカルチャーの映像コンテンツやニュースを通して、ストリート・アクションスポーツの魅力を沢山の人へ伝えていきます。
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danceイベントからフェス型へ!今年で7年目を迎える「SHIROFES.」にかける想いをオーガナイザーNOBUOが語る2022.05.23新しいストリートダンスのジャンルや異なるカルチャーに出会うきっかけにして欲しい 今回のSHIROFES.のテーマや注目して欲しいポイントを教えて下さい 今年は星と森のロマントピアというエリアを貸し切ってフェス形式のイベントにステップアップします。オフラインでの開催を予定しているので、なかなかオンラインでは伝わりきらない熱量も現場で発信出来ると思っています。 また、SHIROFES.の醍醐味としてはストリートダンスだけではなく、様々なカルチャーや音楽にも触れることが出来るので、新しい発見にもつながると良いと考えています! ジャンルを絞ったイベントではなくフェスにすることで、フリースタイルバスケットボールやダブルダッチ、弘前の文化など、クロスカルチャーを体験してもらいたいとも思っていて、弘前の土地で頑張っている人たちの熱量も伝えていきたいです。 SHIROFES.2017 / (c)オオサワヤストモ(GLEAMWORKS) 昨年からSHIROFES.から変わった点はどこでしょうか? 会場のレイアウトと誰でも参加できるという部分が大きな変更点です。 去年はステージが1つでしたが、今回は3つのステージが同時進行でダンスバトルやパフォーマンスが繰り広げられます。DJタイムもありますし、他にもフードブースや物販ブースが展開される予定です。1つのステージを見て終わりではなく、フェスが開催される2日間を通じて楽しんでもらえるような内容になっています。 また昨年「あのステージに出てみたかったです」という声がすごく多くて、今回は前日予選という形でオープンに予選を行います。日本を代表するジャッジやゲストダンサーと参加者として接点が持てる機会でもあります。 SHIROFES. 2016 / (c)オオサワヤストモ(GLEAMWORKS) ストリートカルチャーで重要な「現場感」が失われないためにも試行錯誤しながらSHIROFES.を続けていた SHIROFES. 2020 ここ数年はコロナ禍での開催となりますがどのような想いがありますか? SHIROFES.やダンスイベントに限らず、大小いろんなイベントが制限されている状態が続いていました。東京や大阪などの大都市では模索しながらイベントを開催していましたが、地方では「そもそもイベントをやること自体が良くない…」という風潮があり、開催のハードルは高かったです。 辞めることに対して否定的なことを言う人も少なかったですし、イベントを開催しなければリスクも減らせるので、イベントを止めてしまうことは簡単だったのですが、コロナ期間に地方でのイベントが無くなってしまうことで世代に格差が生まれてしまうのではないか?と考えましたし、他の地域も含めて地方でのイベント自体がなくなる危機感というのもありました。 なので、足を止めず毎年少しずつでも新しいことにチャレンジして「コロナ禍だけど去年よりも楽しかったね!」と言ってもらえるような機会をつくっていきたいです。 SHIROFES. 2020 コロナ禍を経ての気付きはありますか? 去年は無観客でしたが、ダンサーやパフォーマーをリアルの現場に集めてイベントを開催することが出来ました。すごく良かったなと思ったのは「現場でみんなと共有できる時間」や「みんなで現場を創っていく感覚」を改めて感じられたことです。一方でオンラインイベントが当たり前になってしまうことで今言ったような「現場感」が分からなくなってしまうのではないかという怖さも知りました。 映像で見てくださいってのはいくらでも言えるし、映像で見て凄かった物は凄いけど、でも全体的にみんなで同じ時間を共有して何かを作る感覚だったり現場を作る感覚だったり、その感覚の大事さっていうのはダンス経験の有無は関係なしに、誰にとっても貴重だと思います。 SHIROFES.2021 / (c)Jason Halayko 今年はどんなSHIROFES.にしたいですか? 正直今までで一番プレッシャーがかかっています(笑)。昨年に引き続き沖縄から北海道まで全国各地のダンサーやパフォーマーが集まりますし、今年は海外からの参加者がいるかも知れません。「コロナ禍でも思い出に残るフェスだった!」と言ってもらえるイベントを目指したいと思っています。 また、昨年は無観客での開催だったので現地での観戦が出来ませんでした。地元の人も含めて今年は現場を感じてもらいたいです。コロナ禍でオンラインでの視聴や映像なども当たり前になっているので、今年のSHIROFES.で「やっぱり現場で見ないと駄目だな」って思って終わらないと、オンラインや映像で見る当たり前が定着してしまうと思うんです。なので是非現地に来て現場を感じて欲しいです。 特に映像には残らない部分を見てほしいと思っています。例えばバトル前後の雰囲気とか、ステージに入る前や降りた後の部分って自分はすごく大事だと思っています。 ジャンル別のダンスバトルにこだわる理由 SHIROFES.2019 / (c)harugraphics 他に注目してほしい部分はありますか? SHIROFES.ではダンサーをステージに呼び込むときに「From〇〇」という感じで、代表する地域を一緒に紹介します。海外でも国内でも自分の土地をレペゼンして戦ってもらいたいと思っています。 土地や地域を「背負って戦う感覚」をダンサーに持ってもらいたいですし、単純に「背負っている人ってかっこいいな」って思うので、現場でその雰囲気も含めて感じて欲しいです。 SHIROFES.2021 / (c)Jason Halayko 特に観て欲しいコンテンツがあれば教えてください ストリートダンスのジャンルが一同に介して、ハイレベルなバトルが繰り広げられることですかね。各ダンスジャンルで日本を背負って世界と戦っているエキスパートや先駆者と一緒にイベントを創っています。もともと僕自身はPOPPERなので、POPのRed Bull BC Oneを創りたかったという思いがあって、GUCCHONさんとSAMURAIというバトルイベントをやってきました。気がついたら他のジャンルの方々とも協力が出来るようになっていて、今の規模に至ります。 こうやって各ジャンルでハイレベルなバトルを同時にやることで「日本はもっと出来る」というのを世界に見せていきたいです。また、ALL STYLEのバトルではなく、そのジャンルのかっこよさだったり、そのジャンルを背負って戦う人のかっこよさを知ってもらいたいという思いが強いです。 SHIROFES.2021 / (c)Jason Halayko 世界の第一線で活躍している人のダンスを見ることで、プロダンサーにならないとしても何か得られるものはあると思いますし、ましてやダンスをやっている人が観たら、その凄さを感覚で受け取ってもらえて、言葉で伝えることの何十倍も伝わるんじゃないかと思うんですよ。 あとは単純にジャンルやカルチャーがクロスして交流することで、他のジャンルに興味を持ったりするきっかけにもなって欲しいです。 ダンス以外に今年は福岡からOlive Oil(福岡を拠点に活動するDJ / 音楽プロデューサー)に来ていただたり、毎年パフォーマンスをしてくれているフリースタイルバスケットボールのBUG⁉が三味線奏者のTESとユニットを披露してくれます。 カルチャーがクロスオーバーすることの凄さを知ってもらいたい NOBUO / (c)LITTLESHAO ダンスのカルチャーと違うカルチャーのクロスオーバーというかたちが凄く面白いと思ったのですが、今後さらなる展望はありますか? これは自分の中でできる事と、自分の軸では無いっていう所と2つあるんですけど自分の軸として目指すところで言えば「地元の奏者の方と他の土地の人とのコラボをSHIROFES.でやるっていう事」が一つの目標かなっていうところです。ダンスがそれを一番やれるのかなって思うのですが、ダンス以外のところでもコラボしていったら面白いなと思います。 例えば津軽の音楽と他の土地から来た演奏家の人とコラボしてSHIROFES.でクロスオーバーする事の凄さをダンサーに伝えていきたい、ていうところがまず1つあります。 SHIROFES. 2018 / (c)SHOTA ODAGIRI 2つ目は、それこそ弘前レペゼンでやられてる奏者の方だったり、そういうカルチャーに対して「良いな」って思った方々が地元の人たちを外に呼んでくれる流れを作れたらいいなって思います。SHIROFES.きっかけで「三味線を改めて聞いて良いなと思ったのでこの人を呼びたいです」とかそういうキッカケになればいいと思っていて。 SHIROFES. 2016 / (c)オオサワヤストモ(GLEAMWORKS) 改めてクロスオーバーする事でダンサーから見て「あの音色いいね」、とか「あの人いいね」とかそういう感覚を持ってもらえればもっと伝わっていくのかなって思っています。 自分も逆に色んなカルチャーがSHIROFES.に入ってきてもらえるような風通しのいい環境は常に作っていきたいなと思っています。
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surf田岡なつみ・井上鷹が世界5位に。WSLロングボード第1戦「GWMシドニー・サーフ・プロ」2022.05.20オーストラリア・マンリービーチで開催中のWSLロングボードツアー第1戦「GWM Sydney Surf Pro(GMWシドニー・サーフ・プロ)」で、日本の田岡なつみ・井上鷹が5位タイの成績をおさめた。 田岡は、ラウンド4で自身初の9.00ptをスコア。バックアップスコア7.67ptをそろえると、対戦相手のリンジー・スタインリーデ(アメリカ)をくだし、クォーターファイナルへと駒を進めた。 「東浪見ポイントに似ていました」とマンリーの波を分析した田岡。ただ、普段の練習成果を出そうと逸ったのが裏目に出た。 「 久しぶりの海外試合で緊張してしまい、気持ちが前に出すぎて……。なかなかリズムが合いませんでした」 クォーターでは波に恵まれず、クロエ・カルモンに敗退。不完全燃焼のまま5位タイでフィニッシュした。 「クロエは、確実にハイポイント出さないと勝てない相手。次の大会までにしっかり練習して優勝を目指します」(田岡) 次戦はLT5,000、「Vans Duct Tape Invitational(ヴァンズ・ダクトテープ・インビテーショナル)」。カリフォルニア・ハンティントンビーチで、8月3〜7日にわたり行われる予定だ。 この投稿をInstagramで見る 田岡なつみ (NatsumiTaoka)(@natsumi_taoka)がシェアした投稿 田岡と同じく、5位タイでフィニッシュした井上鷹。アンダープライオリティー下で7.40ptをスコアし健闘 World Surf League 田岡の対戦相手となったクロエ・カルモン World Surf League クロエ・カルモン World Surf League
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bmx「自分たちの好きなスタイルで輝けるように」プロBMXライダー米田“ダニエル”大輔の目指すセカンドキャリアの姿2022.05.17BMXシーンにて大会MC・解説をはじめ、子ども向けのBMXスクール開催、メディア出演、大会運営ディレクターなど様々な分野で活躍しているプロBMXライダーの米田大輔(ニックネームはダニエル)。彼は今年1月には自転車用プロテクター「Ninja Pads」もリリース。BMXライダーの新たな可能性へ挑戦を続ける彼が持つキッズライダーたちへの熱い想いとセカンドキャリアとして現役BMXライダーたちにいま伝えたいこととは。 BMXフリースタイルで世界に挑戦して得た「かけがえのないもの」 -国内のBMX業界では“ダニエル”の愛称で有名な米田さん。BMXを始めた経緯を聞かせてください。米田: 小学校低学年の時にテレビで筋肉番付の「スーパーライダー」というバイクトライアルの企画を観て「自転車でこんなことができるんだ!」って衝撃を受けたのがきっかけで、小学生高学年になった時にたまたまトライアル競技用の自転車を売ってるお店を見つけて、両親にその自転車を買ってもらい中学1年生から始めました。 -最初に始めたのはBMXではなかったんですね。米田: はい。中学生の時はバイクトライアルにのめり込み、この鵠沼スケートパークでもたくさん練習していました。その時に出会った亀ちゃんっていうBMXの先輩ライダーがバックフリップをしているのを見て、「俺も絶対BMXやろう」って思って高校2年生の17歳の時から本格的にBMXを始めたんです。バイクトライアルの経験が役立ち、すごい速いスピードで上達できてBMXを始めてから半年後くらいにはバックフリップもできるようになっていました。 -17歳から本格的にBMXを始めたというのは選手としては比較的遅い年齢ですよね?米田: 今だったら遅いですけど、当時はキッズライダーが全然いなかったので17歳でも早いか普通くらいでした。今は4〜5歳から乗ってる子もいますが、僕の時代はこのフリースタイルにおいては12,14,16,18インチの小さなサイズのBMXが全然なくてほとんどが20インチばかりだったので自然と始められる年齢も比較的遅めでした。 -その年齢から始めてどのようにプロになったのか聞かせてください。米田: 18歳くらいから大会に出始めました。初めて出たBMXの大会では初心者向けのノービスクラスに出場して2位になれました。その次の大会からエキスパートクラスで出るようになり、そのカテゴリーで年間3位もしくは大会で優勝すればプロクラスに上がれる仕組みで、20歳になるかならないかくらいの年齢の時にエキスパートクラスで年間2位になってプロクラスに昇格しました。それからバイクメーカーやDC(靴のブランド)がスポンサーしてくれるようになったのでその時から一応日本のBMX界でのプロとしてキャリアをスタートし始めました。 -そうなんですね。ちなみにプロになって最高成績を出した大会はいつでしたか?米田: 2010年に韓国であったWorld Leisure Cup Asia Classでの3位ですかね。当時は事実上のアジア大会みたいな立ち位置の大会でした。 -当時、海外に挑戦する日本人選手があまりいない中で世界大会のSimple Sessionにも参戦されていましたよね?米田: はい。正直本音はX GamesとかDew Tourに出たかったんですよね。でも(X GamesとかDew Tourは)招待選手しか出られない大会なので、自分たちが出られる大会を調べた時にSimple Sessionが世界中からエントリーできる世界大会の一つでエントリー人数も毎回100人超えでスタイルも全く違うライダーたちが集まって競われる大きな大会だったんです。 -Simple Sessionは世界で一番勝つのが難しいと言われる世界大会と聞きました。米田: 今も現役で日本のトップライダーの高木聖雄選手と僕は一緒に参加したのですが、当時の自分たちが世界に挑戦できるチャンスのある大会がSimple Sessionだけでした。初めて出場した年は約100人中56位で自分の中でもこの世界の56位まで来たんだって実感していましたが、翌年出たら70位台後半、さらにその翌年は90位台となっていった時に世界の壁を感じて精神的にくらっちゃったんです。そこから海外の大会に挑戦するのは辞めました。 -それはとても辛い経験でしたね。米田: 当時、プロとして成功するには世界で戦うしかなかったので海外に挑戦しましたが厳しい世界でした。でも海外の大会に出たおかげで世界中のたくさんのライダーと友達になれました。よく行ってたアメリカやオーストラリアではどこのパークに行っても必ず誰か友達か知り合いがいるくらいになったんです。彼らも日本に来るときは僕を頼ってくれますし、今では日本の大会に彼らを招待する時にインスタグラムのメッセージ一つですぐ連絡が取れるくらいの関係性になっています。またオリンピアンを含め今のトップライダーたちはまだ彼らが無名だった時に僕が一緒に乗っていた仲間なんです。 -プロとしては望んだ結果にはならなかったですが、それ以上に大切なものを手に入れたんですね。米田: はい。あの時もがきながらも海外に挑戦したことで、今では「一生ものの財産」となる人間関係を作ることができました。 自ら見出した「米田”ダニエル”大輔」としてBMX業界での本当の役割 -現在の活動について聞かせてください。米田: 最近はもう大会には出ていないのですが、その代わりに大会MC・解説や、子ども向けのBMXスクール、メディア出演、また大会運営側でディレクターをしたりとBMXにまつわる様々な仕事をしています。また今年は以前からずっとやりたかったオリジナルのプロテクター「Ninja Pads」を作りリリースしました。 -大会に出るのを辞めてBMXシーンを大きくしていく立場へ回ったきっかけは何でしたか?米田: 後輩のライダーたちの成長がすごくて、ある時「大会でもう勝てないな」ってふと思っちゃったので潔く大会から身を引きました。もちろん泥臭くトップを目指してチャレンジし続けることも本当にかっこいいです。でも僕自身、メディアやショーに出るパフォーマーの側面もあったりとBMXの魅力は大会だけじゃないと感じていました。また同時期にBMXフリースタイルが東京オリンピック2020の種目に決まったこともあり、自分が何かできることをよく考えた時に大会MCとか解説ができれば今頑張ってる現役選手たちやBMXの魅力をもっと一人でも多くの人に伝えられるんじゃないかと思い、BMXシーンを支える側に回ることを決めました。 -いろんな転機が重なってポジティブな気持ちで次への新たな挑戦が始まったんですね?米田: はい。身体的にも大会でライディングし続けることに限界を感じてしまったところもあったんですけど、だからといって「今まで自分がやってきたことは決して無駄にはならない」って思ったんです。自分の経験や知識と培ってきたネットワークで更にこれからの選手たちをサポートすると決めたので、今ではいろんな裏側の仕事やBMXを発信する側として活動しています。 -選手として結果を残すことだけが全てじゃないということですよね。米田: その通りです。BMX業界一つにしても色々な人間が必要だと思っています。このシーンの第一線で活躍する選手、パークビルダー、BMXスクールの先生、選手のコーチや監督、サポートしてくれるスポンサー、自転車屋やメカニックなど適材適所で全部の力が必要でそのおかげでこの業界が成り立っていると思います。その中で僕はBMXと他業界を繋げられる人間になりたかった。それは現役の頃から意識していて、BMXと関係ないメディアや広告で使ってもらえるようになった時にBMXと他業界の架け橋となって「BMXライダーってかっこいい!」って思わせたかったんです。 子どもたちは宝物。キッズライダーの夢への挑戦を支える相棒「Ninja Pads」 -米田さんがプロデュースした自転車用プロテクター「Ninja Pads」について詳しく聞かせてください。米田: BMXは危険なスポーツでもありますが、ストレッチしたり体を鍛えながら乗ること、そしてしっかりプロテクターを着けることでかなり怪我を防ぐことができます。でも子ども用のプロテクターは日本だけではなく世界中にあまり無くて、サッカーの脛当てでどうにか代用したり全然サイズが合ってないものを着けている子どもたちが多いのが現状でした。そんな子どもたちの身体を早い段階でしっかり守ってあげられたら彼らもずっと末永く楽しく乗れると思って、子ども用のプロテクターを早く作りたいと思っていた時にとても素敵な出会いがあったんです。「コミネ」というオートバイのプロテクターを作ってるメーカーの方と繋がれたので「BMX用のプロテクターをオリジナルで作りたいんです」って相談してみたら一言で引き受けてくれました。そこからすごいスピードで話を進めて作ってくれて第一弾としてこの「Ninja Pads」の子ども用プロテクターが実現しました。 -その「Ninja Pads」はどんなところをこだわってプロデュースされたんですか?米田: 「Ninja Pads」は見た目もおしゃれでかっこよくて、着け心地も最高で、みんなが痛かったところを守れるプロテクターです。特に膝の内側とかくるぶしにパッドをつけて子どもたちのニーズに応えられるようにプロデュースしました。 -確かに着けていてもライディング中にずれたりして守れてないところに限って怪我したりしますよね。米田: そういった部分も考慮した上でフィット感も大事にしながらスリムに作りました。その理由は既存の子ども用プロテクターはパッドが大きいのでフレームに引っかかりやすく、逆にトリックがやりづらくなってしまうからです。またそれが原因で転んでしまうこともあるので、伸縮性もあって動きやすくその上でしっかり守れるものを意識しました。 -実現できたのは米田さんがスクールでいろんな子どもたちを教えてきた経験があったからですね。米田: まさにその通りです。僕も子どもたちを教える中で子ども用のプロテクターを見たり、子どもたちや親御さんの意見を聞いたり、自分の今までの経験も含めて「あったらいいな」を全部詰め込んで作れたのがこの「Ninja Pads」です。結果として今ではいろんな子がどんどん着け始めてくれているので本当に作って良かったなって思っています。 -米田さんの子どもたちへの熱い想いがしっかり形になっていると感じます。米田: 本当に子どもたちは宝物なんです。当時自分たちがBMXを始めた時はキッズライダーはいなかったですし、今の日本のキッズライダーたちは世界で一番レベルが高いくらいです。こういう子どもたちが増えたのはリム(中村輪夢選手)の活躍が大きいと思いますが、世界を目指して始めてくれたからこそ彼らが怪我で辞めちゃうようなことにならないようにしっかり守れるプロテクターを作りたかったんです。 BMXライダーの誰もが好きなスタイルで輝ける世界に -セカンドキャリアとしていろんなことに挑戦されている米田さんですが今後の目標はありますか?米田: BMXライダーが現役引退した後にどういう風に生きていけるのかを示す一つの模範になりたいです。選手の間はみんなに注目してもらえることも多いですが、実際は選手を辞めた後にどういう風に生きていくかの方が大事だと思うんです。せっかく自分たちが大好きなことで今までやってきたからこそ、この好きなことを仕事にして生きていけるようなライダーを増やしていきたい。選手として人生と命をかけてずっとやってきたのに大会で勝てなかったら「じゃあこれで終わりです。スポンサーももう付きません。」ということで、もう誰にも求められない存在になるのかっていったらそれは違うと思うんです。 -それが米田さんの「選手として培った経験は絶対に無駄にならない」という言葉に繋がっていますね。米田: はい。もちろん選手たちの世界を目指す姿は本当にみんなの憧れなのでトップを目指して頑張って欲しいです。でもだからといって挫折してしまった選手たちには「大会で勝てないからもうダメだ」って悲観的になって欲しくないんです。表彰台に上がれなくても彼らの挑戦する姿はとても輝いています。だからこそ大会の結果が全てではないですし、選手の経験を活かしながらBMXを通して自分の得意なことを見つけて極めたらそこで成功できる可能性が絶対ある。例えばBMXが好きな人は自転車屋を始めても良いし、デザインが好きならBMXのデザイナーになっても良いんです。人前で話すのが好きな人は僕みたいに大会MCになればいいですし、自分の強みを活かせる色々なチャンネルがあるんです。僕も今まで一度もチャンピオンになったことはないです。でも自分なりのスタイルを魅せていくことでメディアにたくさん求めてもらえる需要がありました。正直僕まだまだこれからなので、成功するにはもう少し時間がかかるかもしれないですが頑張っていくので注目していて欲しいですし、みんなと一緒に頑張っていきたいと思っています。 -最後に米田さんが思う「BMXフリースタイルの魅力」を教えてください。米田: BMXはスポーツとしての競技性も大事ですが、カルチャーやファッションといったライフスタイルな側面も全部を兼ね備えた面白いものだと思っています。もちろん、大会を頑張ってオリンピックを目指す選手もどんどん増えて欲しいです。でも目立つことが大好きだから選手ではなくてパフォーマーになりたいというのもありだと思います。なぜなら自由でどんな人がいても良いのがこのBMXフリースタイルだから。本当にたくさん色々なチャンネルがあるので今の若い子たちは自分たちのやり方で挑戦して良いと思います。とにかくBMXに乗り続けて、たくさん考えて、たくさん行動したら絶対良いことがあるのでこれからも頑張ってほしいです。そしてBMXには自分たちが輝ける場所が必ずあるということを忘れないで欲しいです。 米田”ダニエル”大輔プロフィール 1989年9月21日生まれ。神奈川県出身のBMXライダー。中学1年生の時に自転車競技バイクトライアルを始め、高校生になり17歳で本格的にBMXフリースタイル・パーク種目へ転向。急速に力をつけ、20歳の頃には国内でプロクラスに昇格。その後国内外数々の大会で入賞を収める。現在は大会MC/解説を中心に、子ども向けのスクールやメディア出演、大会運営サポートなど様々なBMX関連の仕事に携わり、今年から自身のオリジナル商品として自転車用プロテクター「Ninja Pads」の販売も開始した。スポンサーはOAKLEY、NEW ERA 、Jykk Japan、CounterAttraction、株式会社マルイ
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others6月4日~5日開催!日本最大級、“入場無料”のアーバンスポーツの祭典 「YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL 2022」 X Games Chiba 2022のメダリストらを含む11選手が出場決定!2022.05.16来る6月4日(土) ~5日(日)に『YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL 2022(主催:YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL 2022 実行委員会)』を、横浜赤レンガ倉庫 イベント広場・赤レンガパークにて開催致します。 本イベントでは、SKATEBOARDING、BMX FLATLAND、BREAKING、DOUBLE DUTCH、PARKOUR、KIDS CHASE TAGの大会やエキシビションが実施予定となっており、この度はSKATEBOARDING(大会名:YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL “SKATE ARK”)ならびにBMX FLATLAND(大会名:YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL “FLAT ARK”)の大会へ招待選手と、DOUBLE DUTCH(大会名:DOUBLE DUTCH ONE’S FINAL 2022)については国内各地での予選を勝ち上がり出場が決定した選手を発表致します。 出場選手に関する追加情報は、決定次第、YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL 2022公式WEBサイトで発表となります。 SKATEBOARDING / “SKATE ARK” 織田 夢海(オダ ユメカ) 2006年10月30日生まれ。TAMPA PRO 2020 WOMENS 準優勝、世界最高峰のコンテスト、ストリートリーグにもコンスタントに参戦、X Games Chiba 2022にも出場しファイナリストに。世界のトップレベルを牽引する日本スケートボードストリート女子の中でも安定した成績を残し続けている実力者。 池田 大暉(イケダ ダイキ) 2006年6月7日生まれ。2019年 X Games Next X スケートボード ストリートアマチュアコンテスト 優勝、2022年 X Games Chiba 2022 準優勝。映像パートがThrasherマガジンにて特集を組まれるなどコンテストやストリートシーン でも国内外が注目している。 Photo:ⓒムラサキスポーツ 中山 楓奈(ナカヤマ フウナ) 2005年6月17日生まれ。2021年に出場した東京2020オリンピックで銅メダルを獲得。その後も2021 SLS in Salt Lake Cityで2位、X Games Chiba 2022でも2位になるなど、世界を舞台に活躍するプロスケーター。日々着実に成長を遂げており、今後も更なる活躍が期待される。 根附 海龍(ネツケ カイリ) 2003年8月19日生まれ。TAMPA AM 2019 優勝、X Games Chiba 2022 出場、TAMPA PRO 2022 8位入賞など、勢力的にコンテストへ出場し安定した成績を残している。最近アメリカの老舗カンパニー、 ZEROへ移籍しますます国内外での活躍が期待される。 BMX FLATLAND / “FLAT ARK” 片桐 亮(カタギリ リョウ) 2000年7月13日生まれ。幼少期よりBMXレースで培った身体能力を武器に12歳の時にフラットランドに転向。難易度の高い技と流れるようなライディングスタイルで18歳の時、UCI BMX Freestyle Flatland World Cupで優勝し念願の世界チャンピオンを獲得する。コンテスト以外にもファッションブランドのモデルやWeb CMにも出演。 片桐 悠(カタギリ ユウ) 2005年4月17日生まれ。7歳から兄の影響でBMXを始め、13歳でアメリカで行われた世界大会のアマチュアクラスで優勝。その翌年にはドイツ、ベルギーで開催された世界大会のプロクラスで表彰台に入る。体を宙に浮かした状態でBMXを回転させるテクニック「バイクフリップ」を武器に会場を沸かせる。 荘司 ゆう(ショウジ ユウ) 2002年1月1日生まれ。10歳の頃、友達の影響でBMXを始め、2014年 KOG ノービスクラス 優勝、2015年 Voodoo Jam アマチュアクラス 優勝。2018年からプロクラスに出場し、2021年にはChimera A-Side 3位、2022年 The Jam BestTrick 優勝。難易度が高いと言われる、足を交差して(クロスフット)バランスを取るフロントトリックや、前後のタイヤにジャンプして飛び移る技(トランスファー)などを得意とする若手のライダー。 DOUBLE DUTCH / “DOUBLE DUTCH ONE’S FINAL 2022” ASUKI(アスキ) 2002年2月6日生まれ。WOMEN’S SECTIONの予選を1位で通過した今大会の最年少プレーヤーで、予選では2度の優勝を勝ち取った。初出場のONE’S FINALで優勝の座を狙う。 KO-YA(コーヤ) 1990年2月4日生まれ。今シーズンの年間予選を1位通過したDOUBLE DUTCH ONE’S FINAL常連プレーヤーであり、プロとしても最前線で活躍しバトル・パフォーマンス共に見る人全てを魅了する。他を圧倒するその実力で初の優勝を狙う。 KAI(カイ) 1992年1月31日生まれ。KO-YAと同じくプロとして常に最前線で活躍している生粋のダブルダッチっ子。過去に世界最高峰のサーカス『Cirque du Soleil』でのパフォーマンスも経験しており、彼ならではの熟練度の高い技でONE’S FINALでも目の前の敵を薙ぎ倒す! Lisa(リサ) 1997年4月19日生まれ。今シーズンWOMEN’S SECTIONが新たに開設され頭角を現したニューカマー。全ての予選に出場し、2度の優勝を経てFINALへの出場権を勝ち取った。このFINALに全てをかけ、女性プレーヤーの頂点を目指す! 開催概要 競技としてのプロスポーツとバックボーンにあるストリートカルチャーの魅力が融合したアーバンスポーツのエンターテインメントイベントが2022年6月に新しく横浜赤レンガ倉庫の地で誕生します。 2021年夏、日本人選手の活躍で一躍人気となった新競技のスケートボードやBMX、今新たに注目されているブレイキンやパルクールなど、全6種目の世界的プレーヤーたちが2日間に渡り一堂に会します。各競技のエキシビションをはじめ、各競技ごとの国内大会も実施。その他、キッズ向けのコンテンツやマーケットプレイス、ワークショップや音楽LIVEなど、様々な視点から楽しめるスポーツ×ストリートカルチャーフェスとなっています。 開催名称:YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL 2022 (略称:YUSF)会 場:横浜赤レンガ倉庫 イベント広場・赤レンガパーク (住所:神奈川県横浜市中区新港1-1)日 程:6月4日(土)・5日(日) 両日ともOPEN 10:00 CLOSE 21:00入 場 料:無料主 催:YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL 2022 実行委員会協 賛:GoPro / 六甲バター株式会社 / FIJI Water / Manhattan Portage / ChargeSPOT / KIBACOWORKS / BRIEFING / カシオ計算機株式会社 / JOYSOUND協 力:一般社団法人ARK LEAGUE / 有限会社 OVER THUMPZ / 株式会社 I AM / 株式会社PKM / FINEPLAY / BEAMS SPORTS / Fanatics Japan G.K.後 援:横浜市市民局 / J-WAVE 81.3FM企画制作:株式会社横浜赤レンガ / 株式会社シブヤテレビジョン / 株式会社ローソンエンタテインメント / 株式会社乃村工藝社 / 株式会社グリーンルーム / 株式会社ZETA公式WEB:https://yusf.jp/ コンテンツ詳細 開催される大会やエキシビションに関する詳細は、公式WEBサイトのCONTENTSよりご覧いただけます。 SKATEBOARDING “SKATE ARK”https://yusf.jp/skateboarding BMX FLATLAND “FLAT ARK”https://yusf.jp/bmx-flatland/ BREAKIG “FREESTYLE SESSION JAPAN 2022”https://yusf.jp/breaking/ DOUBLE DUTCH “DOUBLE DUTCH ONE’S FINAL 2022”https://yusf.jp/double-dutch/ PARKOUR “ONE FLOW BATTLE” https://yusf.jp/parkour/ KIDS CHASE TAGhttps://yusf.jp/kids-chase-tag/ お問い合わせ先 YOKOHAMA URBAN SPORTS FESTIVAL 2022実行委員会 E-mail info@yusf.jp
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others【X Games Chiba 2022 Presented by Yogibo】千葉大会の3日間の興奮を振り返る、ハイライト映像が公開!2022.05.09世界最大のアクションスポーツの国際競技会「X Games (エックスゲームズ)」が日本初上陸。2022年4月22日(金)、23日(土)、24日(日)の3日間にZOZOマリンスタジアムでのべ4万人の来場者を迎えて、大盛況のうちに幕を閉じました。 男子スケートボードストリート、女子スケートボードパークで日本人選手が表彰台を独占。堀米雄斗(ミクシィ)が新しい技を決めて優勝し、19年ぶりにX Gamesの競技ラインナップに加わったBMXフラットランドでは、最年少の早川紀生が金メダルを獲得するなど、日本人アスリートたちの活躍が目立ちました。競技の合間にはストリートカルチャーともゆかりの深いロックバンドMAN WITH A MISSIONが音楽ライブに登場。次世代を担う日本トップクラスのスケートボードとBMXのキッズライダーのデモンストレーション、そしてMoto Xのライダーが飛び交うなか演奏を行いました。 X Games Chiba 2022 Presented by Yogibo ハイライト映像 https://youtu.be/DWIKac98xjQ Naoki Gaman / ESPN Images 今大会はX GamesとX Games Japan組織委員会、千葉市がパートナーシップを組み、ライフスタイルブランドYogiboをタイトルパートナーに迎えて「X Games Chiba 2022 Presented by Yogibo」として、世界最大のアクションスポーツの国際大会を日本に初めて誘致。 スケートボード、BMX、Moto Xの3競技・10種目が一度に楽しめて、音楽、アート、ファッションなどアクションスポーツの幅広い魅力を凝縮した3日間となりました。X Gamesの舞台は、アクションスポーツのアスリートにとって最高の名誉。本大会の出場は招待制(インビテーション)となっており、アスリートの持つ技術だけではなくライフスタイルまで含めて、選ばれし者だけが出場できる大会なのです。 Yoshio Yoshida / ESPN Images 男子スケートボードストリート堀米雄斗(ミクシィ)は「今までこんなに多くのファンが来てくれることはなかった。大勢のファンがいてスケートボードが少しずつ認められているなと感じたので、その応援に応える滑りができてよかった。X Gamesが日本で開催されるのは奇跡。小さい頃からの夢のコンテストで、ずっと見ていた。そのコンテストが日本に来て、そこで優勝できてすごくうれしい」と語りました。 同じく、男子スケートボードストリートの池田大暉(ムラサキスポーツ)は「メダルを取れると思っていなかったので、うれしい。多くの客の視線があって緊張したが、自分の滑りができた。最高の思い出に残る大会になった」 と語った。 Yoshio Yoshida / ESPN Images 女子スケートボードストリートの中山楓奈(ムラサキスポーツ)は「日本の大会でこれほど盛り上がったのは初めてなのですごいと思った。今回は自分ができる技を成功させて銀メダルだったのでもっと練習して、金メダルを取れるように頑張っていきたい」と表彰台で喜びを語りました。 男子スケートボードパークで金メダルを獲得したジャガー・イートンは勝利の秘訣について「この環境がとても快適でした。これが僕の日常なんです。大会への招待メールを受け取り、プレッシャーに耐え、ボールやストリートで練習して備える、それがいつものスタイルです」と金メダルを手にして答えました。 日本初開催となった今大会の来場者は3日間でのべ4万人。国内においては日本テレビをはじめとする各テレビ局、新聞、ラジオ、WEBなど各種メディアが千葉大会の模様を報じており、またスポーツ専門チャンネルESPNのネットワークを通じて世界192ヶ国・5億世帯超に映像配信、YouTubeとSNSで全世界にその興奮はリアルタイムに伝えられ、日本における「X Games」及びアクションスポーツシーンは今後さらなる注目が期待される結果となりました。 Jason Halayko / ESPN Image X Games Japan組織委員会会長の神谷俊一(千葉市長)は「世界最高峰のアクションスポーツの国際競技大会が、千葉市において開催されましたこと、大変うれしく思います。参加されたすべての選手の皆さんの限界に挑む姿に深い感銘を受けました。皆さんの雄姿をご覧になった多くの方々が、大きな感動と希望、夢を得られたのではないのかと思います。そして何より、皆さんの躍動する姿や、たくさんの笑顔に触れた多くの子供たちが、未来のトップアスリートとして世界に羽ばたいていくことを期待しています。大会の運営面でも、地元後援会による多くの支援やフェスティバルエリアへの出店など、国際的なイベントを地元と一体となって行うことができたことは、今後の本市における国際的なイベントの開催に向けても、大変大きな意義があったものと受け止めています。今回の大会を、千葉市がアクションスポーツやライドカルチャーの裾野を一層広げ、新しいスポーツ文化を醸成する大きな契機とするとともに、来年以降も本大会を継続して開催できるよう、市として様々な取組みを進めてまいります」と大会の成功を喜びました。 Yoshio Yoshida / ESPN Images X Games Japan後援会会長の中島賢治(千葉市議会議員)は地元の声を代表して「後援会関係者及び多くのボランティアの皆さんと大会の成功を喜ぶとともに、一過性で終わる事なく千葉市がアクションスポーツの聖地となるべく今後とも全力で取り組みたい」と大会を振り返りました。 最後に日本初開催を実現に導いてくれたYogiboの木村誠司(株式会社ウェブシャーク代表取締役)は「Yogiboは最先端のファニチャーブランドであり同時にファッションやアメリカ文化でもあります。XGamesはストリートを代表する世界イベントであり非常にクールでファッショナブルです。その意味で我々との共通項が数多くあり喜んでメインスポンサーをお引き受けしました。今後日本でX Gamesの人気はドンドン高まることでしょう。YogiboもX Gamesと日本のアクションスポーツの発展を応援したいと思います」と本大会にタイトルパートナーとして参画した想いを語りました。 X Gamesの日本開催を待ち望んでいたアスリート、来場者、メディアから、はやくも来年開催を望む声が聞こえており、今後さらなる盛り上がりが期待されています。 今大会では4月22日(金)~24日(日)の3日間、ZOZOマリンスタジアムの外周にどなたでもご来場いただける「フェスティバルエリア」を設けました。 千葉の人気ご当地ラーメン「勝浦タンタン麺」「千葉らぁ麺」、ご当地ドリンクグランプリ最高金賞受賞の千葉県鎌ケ谷産の和梨100%の「梨スパークリング」、いちごのスイーツ「千葉くちどけ苺」、からあげグランプリ金賞受賞の鴨川名物「おさしみ唐揚げ」などなど、千葉の魅力いっぱいの「千葉フードエリア」。 そして、八千代市のパクチーシスターズのパクチーソースや、ピーナッツペーストランキング1位のHAPPYNUTS DAYのピーナッツバターなど、千葉のこだわり&おしゃれなアイテムを厳選した「千葉セレクト物販ブース」、地域商社「ちばぎん商店」の初出展など、千葉の物産エリア。 YogiboやHUFのポップアップストアをはじめ、Monster Energy、X-mobileなどのスポンサーブースも出展。スケートボードやBMX、ブレイキンが体験できる「千葉市体験ブース」は連日たくさんの家族で賑わい大盛況となりました。 4月21日(木)大会前日の練習日には地元の保育園、幼稚園、小中学生およそ700名が見学に訪れる子供プロジェクトも実施。X Games Japan千葉後援会のボランティアの皆様のご協力もあって、フェスティバルエリアは滞りなく円滑な運営となりました。 Hikaru Funyu / ESPN Images Jason Halayko / ESPN Images Hikaru Funyu / ESPN Images Jason Halayko / ESPN Images